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「人力経営」という本を書きました。ヒット商品の裏に潜んでいる「人」がテーマです。取材先はダスキン、エゴイスト、野の葡萄、叶匠寿庵、桑野造船の経営リーダー。ユニーク、常識はずれ、そこまでやるのか、とにかく面白い経営です。星雲社刊、735円、新書判。

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2022年06月08日

夢中になれない時代 

ヒット商品応援団日記No804毎週更新) 2022.6.8



持続化給付金詐欺が相次いでいる。経産省のキャリア官僚から始まり、組織だった詐欺まで各々異なるが、共通していることの一つが「若い世代」によるもので、個人事業主を対象とした申請者として名義貸しをした主に学生が多く、給付金詐欺の特徴の一つとなっている。特に巧妙なのが給付された100万円の内手数料20万円を除いた80万円を暗号資産への投資をするという誘い文句あったと報道されている。
実は令和の時代はどんな時代なのかを鮮明にするために未来塾で「昭和」の時代の価値観の比較をしてきた。その中で「新しい「生き方」が生まれた」価値観の一つとしてとして次のように書いたことがあった。

『もう一つの人生が『FIRE』と呼ばれるグループである。FIREというのは文字通りFinancial Independence『経済的自立』とRetire Early『早期退職』の造語である。株高を背景に『FIRE』は裾野を広げており、企業・仕事に縛られることなく、自由なライフスタイルを楽しむ、そんな生き方である。若い世代の価値観について貯蓄好きな合理主義者であるとブログにも書いてきたが、コロナ禍によって生まれた進化系で、その代表的な世代がミレニアム世代である。ミレニアル世代は、1980年から1995年の間に生まれた世代と定義されている。現在25歳から40歳を迎える世代で、以前日経新聞が「under30」と呼び、草食世代と揶揄された世代のことである。ちなみに消費において注目されているZET世代はミレニアム世代の下の世代である』

実はこのコロナ禍において静かに進行していたものの一つに暗号資産の法整備があった。銀行に預けても利息がない時代が長く続き誰もが金融に関する価値観が変わり始めていた。当時は仮想通貨と呼んでいた通貨は暗号資産へと変わった。今や7000種類以上の通貨が存在している。その通貨の特徴は少額から購入できる。こうしたことから初心者でも始めやすく、分散投資効果を高めるのに格好な通貨へと生まれ変わった。
暗号資産投資は、1,000円ほどの少額から購入できます。始める際の敷居が低く毎月のお小遣いの範囲で投資も可能なので、気負わず資産運用を始めることができ若い世代に急速に進行してきた。2021年2月、アメリカの電気自動車メーカー・テスラが、暗号資産・ビットコインを15億ドル(約1,600億円)購入。さらに、近い将来ビットコインをテスラ車購入の決済手段とする考えを明らかにして話題を集めた。つまり、投機ではなく「投資」へと大きな価値観変化が生まれていたということだ。

暗号資産運用のセミナーは至る所で行われ、資産形成の一つの方法となったが、今回の詐欺事件の特徴としてこうした投資セミナー開催の名を借りた給付金申請への勧誘を行っていたことは偶然ではない。年金をもらえない世代とも言われる若い世代にとって新たな資産形成は重要なものになったとしても不思議ではない。その発想の先にFIREがある。暗号資産の運用は「個人事業」という言葉に疑いも持たずに進んでしまう。
今回の詐欺事件の勧誘に使われたものの一つがSNSである。家族で詐欺行為をしたグループもいたが、勧誘を組織的に行ったグループの多くはSNSで、人から人へと勧誘の輪が広げたるという訳である。
ここ2回ほど「昭和」をテーマにブログを描いてきたが、令和と昭和の違い、価値観の違いはなんであるかと言えば「夢」が持てる時代であるかどうかとなる。夢中になれたかどうかと言っても構わない。少し前の未来塾で昭和の町工場、べンチャー企業であった自動車のホンダには「夢」が脈々と継承されている。ある意味「生き方」「生き様」の継承で、お金のない時代にあって本田宗一郎はまだ創業8年バイクの販売で急成長している時のインタビューで次のように答えていた。
「乏しい金を有効に活かすためには、まず何より、時を稼ぐこと」「うちのセールスマンは、給料を出さないお客さんなんです。このセールスマンを育てるには、品物を育てなければならぬということです」「エンジン屋はエンジンばかり、オートバイ屋だからおまえはオートバイしかできないというような考え方が、そもそも間違っているんだ」と。(「東洋経済新報」1954年11月13日号より)
社員を愛し、社員の可能性考え、一緒に油まみれになってオートバイをつくるとは夢の共有であったということである。まさに本田宗一郎らしい発想である。この時代問われているのは若い世代の生き方ではなく、所属する組織のリーダーに夢があるかである。持続化給付金詐欺事件は氷山の一角で、海面下には夢が持てない、夢中になれない時代あが広がっているっということであろう。
持続化給付金は約5.5兆円支給されている。少なくとも運転資金で困っていた個人事業主を助けることができた。そして、その多くは夢を追いかけることができたということである。新型コロナウイルスは収束に向かいつつあり、事業の再生へと向かわなければならない時期である。前回のブログで既に悪性インフレが始まっていると描いた。家計調査の4月度の数字が公開されたが、勤労世帯の収入は前年同月比実質 3.5%の減少。消費支出も前年同月比 実質 1.7%の減少 とのこと。 前回のブログで「悪性インフレ始まる」と書いたが、4月の家計調査の数字がそれをよく表している。日銀の黒田東彦総裁は、6日の講演で「家計の値上げ許容度も高まってきている」という見解を示したが生活者は許容などしていない。それどころか真逆で事業者も生活者も耐えているのが現実である。悪性インフレ解決には賃上げしかないが、その前にやるべきは「夢」を語り合うことだ。(続く)
  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:00Comments(0)新市場創造

2022年05月13日

悪性インフレ始まる

ヒット商品応援団日記No803毎週更新) 2022.5.13



4ヶ月ぶりのブログとなってしまったが、私ごとで恐縮だが、ひどい腰痛のためPCに向かうことができなかった。その間コロナ禍はオミクロン株の亜種が爆発的な感染拡大となり、更には2月24日にはウクライナへのロシア侵攻があり世界中がその衝撃に包まれることとなった。腰痛とは言え思考が寸断されることはあっても、「事態」を考えることはあった。

まず、ウクライナとロシアの戦争であるが、私もそうだが、国際政治や軍事の専門家ではないことから、報道される時々のニュースに思うことを記憶を辿って書いてみることにした。日本における報道の論調はまさかロシア軍が侵攻はしないであろうと言うウクライナへのNTO加盟を断念させるための「圧力」で終わるであろうと。そうした論調とは異なり米国政府のみが「侵攻」はあり得ると断言しており、実際はその通りとなった。そして、「何故プーチン大統領は同じスラブ民族であるウクライナに軍事侵攻したのかと言う<理由>に注目が集まった。そして、欧米メディアから繰り返される惨劇の映像情報により、ウクライナ・ゼレンスキー大統領=善、ロシア・プーチン大統領=悪、と言う構図、現代のハイブリッド戦争による「イメージ」がつくられてきた。しかし、戦争の現象面を感情面から見てはならないと考える。ウクライナ侵攻から2ヶ月半が経ち、停戦に向かう気配はない。そこで、出来る限り自身の過去考えてきた記憶を辿り、冷静にウクライナ戦争の意味と日本への影響を考えてみた。

まずNTO加盟の歴史は周知の通り米ソ冷戦~ソヴィエト崩壊があるのだが、時代の節目から日本の経済を見て行くとより理解しやすい。日本の産業経済は戦後復興を目指し、ひたすら世界中を駆け巡る「セールスマン」であった。結果、高度経済成長期を経て1980年代のバブル景気へと向かう。一方、バブルの頂点である1989年から1992年と言う時期は、東欧の脱共産化、東西ドイツの統一、そしてソ連崩壊というように、冷戦が終わると同時に「世界地図大きくが塗り替わった時代」となる。その歴史の中心にはペレストロイカを進めたゴルバチェフがいたのだが、ソ連が崩壊した1992年は日本ではバブル崩壊の年でもあった。バブル崩壊後の日本についてはどんな変化が促されたのかは未来塾として「転換期から学ぶ」と言うタイトルで5回にわたって分析したことがあった。その第一回目が「パラダイム転換から学ぶ」で、その中心となったのが「世界のグローバル化」であった。当時の関心はソ連邦の崩壊のその後ではなく、もっぱら日本の国内における諸問題であった。

ソ連邦崩壊後、各国は相次いで独立しグローバル市場へと向かう。1998年にはロシアがサミットに参加し、G8が開催される。こうした世界全体がグローバル化に合わせるようにあのトヨタ自動車はロシアに工場進出を始めたことを思い出す。
そのグローバル市場の象徴が周知のEU・欧州連合も米ソ冷戦の象徴であった東西ドイツの統合と共に1992年欧州共同体の枠組みが出来上がる。つまり、巨大な経済圏が作られグローバル市場の一角が生まれるることとなる。

周知のようにEUが作られる背景の一つとして悲惨な第二次世界大戦の教訓があり、欧州の国々の主権や文化を尊重しながら共同体としての新たな価値観を模索することにあった。当時永世中立国のモデルでもある小国スイスを調べたことがあった。今回のウクライナにおいても「中立」が一つのキーワードになっているが、スイスの中立主義には実は自国が焦土となっても戦い抜く強い「覚悟」と「国民皆兵」のシステムを有している。そもそもスイス軍の 常備軍構成は約4000名の職業軍人であるが、徴兵制度により21万名の予備役を確保している。 実は傭兵の歴史を持つスイスでは、国民皆兵を国是としており、徴兵制度を採用している。 また、外国政府がスイス国内に基地等の軍事施設を設置することも容認していない。そして、第二次世界大戦中スイスは「武装中立」路線を貫き、ナチスドイツ側にも連合国軍側にも肩入れしない方針をとり、戦時中のスイスを守ったとして国民的英雄も生まれている。ちなみに第二次世界大戦の開戦前、スイスはフランス及びドイツから戦闘機を大量に購入、またはライセンス生産して航空戦力を整える。第二次世界大戦の開戦と同時に、スイスは国際社会に対して「武装中立」を宣言し、侵略者に対しては焦土作戦で臨むことを表明。実際にスイス領内に侵入したナチスドイツ側にも連合国軍側にも同様に撃墜し、陸上では、ナチス・ドイツのフランス侵攻後に連合国軍の敗残兵約42000人が入国してきたのを武装解除して抑留している。

地政学的にも日本とは異なる欧州は国境はあるものの地続き、つまり侵略・戦争が繰り返された歴史を持つ。EUのスタートもそうだが、グローバル市場の進展はある意味戦争を抑止することにもつながっていると感じたことがあった。その象徴がドイツで前首相のメルケルはロシアとの天然ガス事業の推進にも表れており、その延長線上にはもう一つの社会主義大国中郷にも自動車をはじめとした市場開拓を進めてきたことは周知の通りである。経済を通じた平和構築という正論・王道であったが、メルケルの考えは今回のウクライナ戦争では裏目に出てしまった。

ところでバブル崩壊後の1990年代から2000年代にかけて、私の関心事は日本の流通、ショッピングセンターや百貨店のコンセプトづくりと言うことからグローバル経済による「生活変化」の分析へと向かい、次第に今回のロシア・ウクライナをはじめとした欧州への関心は失せていった。ちょうど米国が大量破壊兵器保有を理由に始めたイラク戦争は失敗し、世界の警察から転換した時期と重なり、プーチン大統領によるクリミア併合も「遠い国の出来事」のように感じ始めていた。国際政治に疎い私ではあるが、時々の報道により、例えば2001年の9・11の後、アメリカがアフガニスタンに介入したときプーチン大統領はそれを支持し、2004年にバルト三国がNATOに加盟したときも強く反対しなかった。各国の思惑はその時々の政治状況によって変わるものだと、そんな風に受け止めていた。戦争は外交の失敗であり、その本質は「騙し合い」(駆け引き)であるとも。多くの専門家によれば、ウクライナを親露派政権と欧米の民主化を求める国民とが分断した2014年の「マイダン革命」にあったという指摘である。この時期から米国の介入が始まったと言う説である。裏側でどんな「騙し合い」があったかわからない。

私の専門は「消費」をテーマとしたマーケティングであり、そうした視点から2000年代の日本s市場のグローバル化の進展を見て行くとバブル崩壊からの一つの「定着点」としてのライフスタイルが見られるようになった。それを称し「成熟時代」と書いたことがあった。その成熟さは欧米的なものから日本的なものへ、家族単位から個人単位への揺れ戻しであり一種落ち着いた消費マインドがつくられた。しかし、周知の2008年に起こったリーマンショックによって消費市場は縮小した。「訳あり」といったキーワードによるデフレの強風が吹き荒れた時代であったが、その後落ち着きを取り戻したものの2019年春からのコロナ禍の大波によって生活行動が抑制され特に飲食業界、観光業界は大きく毀損した。こうした背景でのウクライナ戦争である。既にエネルギー資源を輸入に頼っており、ガスや電気料金だけではなく、生活のあらゆるうところに値上げが始まった。既に報道されているように多くの食品や飲食で値上げが行われたが、ウクライナ戦争によるエネルギー価格の高騰は本格的には秋口からとなリ、悪性インフレに襲われることとなる。悪性とは収入が増えないところでの物価高騰であるが、日米の金利差による「円安」はこの悪性インフレに拍車をかけることとなる。コロナ禍までのデフレは一挙にインフレへと転換することとなる。日本企業の業績は悪くはないが、賃金への反映は大企業を除けばこの「インフレ」には追いつかないであろう。こうしたウクライナ戦争の影響だけではく、日本の主要な貿易相手国である中国は、その「ゼロコロナ政策」によるロックダウンによりサプライチェーンが再び寸断され日本経済にも影響が出始めている。

そして、国際政治の専門家をはじめ戦争の長期化が指摘され、米国政府自身もウクライナ支援による「ロシアの弱体化」を表明している。そして、ロシアはその「侵攻」を止める気配どころかその勢力圏を拡大する兆候すら見せている。一方、ウクライナはブチャというキーヴ近郊での住民虐殺を契機に「勝利するまで戦う」とその態度を硬化さsている。
戦争当事国以外の世界各国を見て行くと、国連においてロシアへの非難決議には多くの国が賛成しても、インドをはじめ中東諸国などはロシアとの関係を大きく変える動きは見せてはいない。
中でもロシアの友好国である中国の場合、武器支援は行わないものの天然ガスをはじめ経済制裁も枠から外れており、ある意味世界の「様子見」の立場をとっている。各国それぞれの思惑はあっても共通していることはエネルギー資源」をはじめとした「インフレ」である。日本においても円安という「悪いインフレ」がこれから長期にわたって起きるということである。コロナ禍によって大きく傷んだ外食産業は随時「値上げ」に踏み切っている。顧客離れどころではないということだ。これが悪いインフレの実態である。勿論、市場は今まで以上に縮小しその柔軟性を失って行く。
一方、もう一つの観光産業はこの5月のGW期間多くの「人出」によって一息ついたであろう。規制のない休日であり、窮屈な3年間のリベンジ消費といったところだが、これからが「本番」で悪いインフレに立ち向かわなければならない。リベンジと言う「反動」への期待ではなく、日本人が忘れて埋もれていた地域の「魅力」を発掘することだ。
そして、1990年代日本のアニメが海外のオタクフアンによって秋葉原・アキバが観光地になり再認識されたように、3年前のインバウンド需要拡大もバックパッカーと言われた旅行オタク、日本オタクであった。政府は訪日観光の規制については段階的緩和して行くようだが、円安は間違いなく追い風になる。
その観光コンテンツであるが、例えばコロナ禍以前では「桜観光」が訪日観光客・リピーターの関心事であった。その「桜観光」の次を旅行コンテンツに育てて行くと言うことだ。「紅葉」など日本の四季観光へと繋がって行くであろう。そして、勿論のことその土地ならではの「食文化」も併せである。また露天風呂など温泉、さらには「祭りもも主要なコンテンツとなる。
こうした観光の中心は地方となるが、都市観光も重要なものとなる。コロナ禍以前では東京では有楽町のガード下飲屋街や新宿西口の思い出横丁、あるいは市場であれば築地市場、大阪であれば黒門市場となるが、都市固有の「賑わい」体験も重要な観光コンテンツとなる。日本人が当たり前で魅力に感じてはいない「賑わい」でそこに独自な魅力を感じてもらうと言う事である。これが7~8年前から提唱している「横丁・路地裏」観光である。

つまり、私の言葉で言えば、「昭和」となる。少し前までごくごく普通であった「日常」の出来事がコンテンツになると言う事だ。創られる昭和も良いが、今なお残っている「昭和」である。便利で合理的な清潔な街並みから少し外れた「一角」。食で追えば、今や世界の日本食となったラーメンではなく、青森の100年食堂ではないが、町中華で出される懐かしい醤油味のラーメン、トレンドとなたスパイスカレーではなく家庭で作るジャガイモカレーである。大阪で言えば、お好み焼き屋たこ焼き、串カツとなる。夏以降、徐々にではあるが広がるインバウンド市場はこうした「昭和」に注目が集まるであろう。
戦後の成長を可能としたものは「何か」、貧しくても豊かに感じた「街」「人」そして、「暮らし」、つまり生活文化の追体験である。コロナ禍によって失った最大のものは「賑わい」である。まだまだコロナ禍は続くがワクチン普及と治療薬によって共存できる社会が創られて行くであろう。

日銀の黒田総裁が来年任期終了となり、新総裁のもとで「利上げ」に踏み切ると金融の専門家は指摘し、おそらくそうした政策がとられて行くであろう。つまり、当分の間は「円安」が続くと言う事だ。ウクライナ戦争も長期化するとなれば、原材料高による「インフレ」がさらに押し上げる。例えば、ガソリンなどは政府の補助金で一定の価格が保たれるであろうが、「消費財」はことごとく価格上昇となる。消費は必要最低限なものに絞られ消費市場は縮小する。「お得」を求めてサブスクなど多くのアイディアも生まれてくるであろう。ただインフレに妙薬はない。「厳選消費」は「減選消費」へと向かうが、それが単に安くすればと言うことではない。例えば長く使い続けたい、使えば使いほど「しっくり」する、そんな「使用満足感」が今以上に求められてくると言うことだ。「食」で言えば、食べ飽きない、クセになる、そんなメニューである。つまり、顧客主義の基本・原点に戻るということだ。そして、この原則を守りきるには値上げしかないと決断した大手回転寿司のスシローのようなケースはこれからも続出するであろう。

ウイルスとの戦争・コロナ禍については出口が見えて来た。もう一つの戦争がウクライナ戦争であるが、「戦争は外交の失敗であり、その本質は「騙し合い」であると書いた。勿論誰もが願うのは停戦であり、休戦である。その道筋をつけるのは「武力」ではなく「外交」である。混乱する時代にあって道標とすべきはやはり基本・原則である。(続く)
追記 なお未来塾 下山からの風景(3)の「昭和文化考」も悪性インフレを踏まえた分析として書き直しているので少しの時間をいただきたい。
  


Posted by ヒット商品応援団 at 12:58Comments(0)新市場創造

2022年01月03日

第二の創業へ 復活を願って  

ヒット商品応援団日記No802毎週更新) 2022.1.3



明けましておめでとうございます。
年末年始の帰省をはじめとした移動もこれまでのコロナ学習を踏まえての行動と思うがコロナ禍以前の7~8割ほどの日常に戻ってきrている。風景としては久しぶりの賑わい・混雑が東京の街をはじめ、空港でも新幹線の駅でも、高速道路でも見られた。
一方、コロナウイルスの感染は増加傾向となっており、NHKによると12月29日確認された感染者数は全国で501人。東京では76人、、大阪では61人。その大阪ではオミクロン株の市中感染も始まり、依然としてコロナ禍が続いている年末年始となった。その新たに変異したオミクロン株の感染は欧米では一桁どころか二桁以上の猛威となっており、この先日本でも同じような感染になるのではといった予測が報道されている。日本で感染された患者の症状は欧米からの情報と同様無症状もしくは軽症者がほとんどで重傷者は見られてはいない。感染が拡大してからでないとわからないが、オミクロン株のウイルスは季節性インフルエンザと同じような「風邪」の一種になるとした仮説が専門家からも出てきている。いずれにせよ、今年もまたコロナ禍と向き合わなければならないということだ。

ところでこの念頭にあたり、コロナ禍とどう向き合うかその「基本」について書いてみたい。昨年の未来塾ではコロナ禍によって覆い隠れてしまっていたバブル崩壊以降の失われた30年と言われる社会経済の停滞にどう向かうべきかをテーマとしてきた。読んでいただいた読者は着目した「昭和」、しかも30年代にどんな「出来事」があったかを思い起こして、この年頭の「基本」を共に学んでほしい。
かなり前になるが、私はある企業のコンサルテーションを担当したことがあった。その企業は事業本部制をとっており、私が担当した事業本部は赤字状態が続く事業の再生がテーマであったが、もう1社他の事業本部を担当したのがマッキンぜーの日本支社であった。コンサルテーションと言っても「現場」に入り込んでの共同ワークであることから互いにどんな「考え方」、そのビジネスフレームであるかを確認することがあった。そのマッキンゼー社のフレームは次のようなものであった。

「空・雨・傘」と呼ばれるフレームワークで、空を見上げて、どんな状態かを判断し、傘を持っていくべきかどうか、・・・・そんなイラストまじりの図解が添えられた極めてわかりやすいビジネス手法であった。少し理屈っぽく説明するとすれば、
「空」は現状の認識で市場・顧客認識が中心となる分析である。コロナ禍に即して言えば、例えば緊急事態宣言が解除されてもそれまでの顧客数は戻っていない、そんな認識になる。
「雨」はその現状分析で、その理由の抽出である。メニューなのか、価格なのか、その要因など問題につながる要点を整理する。
「傘」は文字通り解決方法で土砂降りの雨であれば「休む」ことも必要になるし、小雨であれば折りたたみ傘を持って出かけるということになる。
一方、私が提案したのは「問題点と市場機会」という「方法」で、「空」と「雨」が問題点抽出の主内容となっており、「傘」はまさに市場機会と同じである。ただ、特徴的なのが次のような整理の仕方をして本質に迫る方法である。例えば、問題点と市場機会を左右に分けて主要な要点を次のように列記する。

              問題点                                    市場機会
・常連客の来店が減少                サブスクではないが回数特典案 

上記のような一般論では解決にはならないが、この方法の良いところは「問題点こそ市場機械になる」という整理法・発想である。 もう少し先に進めるとすれば「常連客」のタイプ分けをしてその代表的な常連客に回数減少の理由を「聞く」  ことを通して解決の着眼を探るということになる。  こうした方法は自らの思考の整理のためで、思い込みなどを排除することに役立つものとしてある。結果、出てくる着眼点は考え及ばなかったアイディアが出てくる場合もある。      

ところで今年も複数の新聞元旦号を斜め読みした。その中で日経新聞が時代の危機にあるとして、「資本主義 創り直す」というテーマで一面で提言していた。その中で北欧の各国を事例に挙げ、学ぶべき点として、「フレキシビリティ」(柔軟さ0の必要を説いていた。世界のマクロ経済を論じ力はないが、失われた30年の日本においてもその「危機」は誰もが実感しているところである。 
コロナ禍はまだまだ続くと描いたが、問題はウイルスが収束してもその後遺症、肉体的な病気としての後遺症だけでなく、人間心理に深く浸透したリスク心理が残っている。欧米においては1日数十万人ものオミクロン株による感染者を出しても、マスク着用もせず、飲食店の規制も限定的な国が多い。国民性の違いと専門家はコメントするが、危機心理、危機への認識が日本の場合と決定的に異なるからである。一言で言えば、ウイルスとの共存を図る欧米に対し、「ゼロリスク」を求める日本との「違い」である。

昨年11月末からの訪日外国人の入国規制、いわゆる水際政策に賛成する国民は70%近くに及んでいる。コロナ禍支援の給付金について 現金あるいはクーポンと言った論議があったが、自治体も含めて圧倒的に「現金」への支持であった。一昨年の現金による給付につては70%近くが貯蓄に回ったとの検証結果があるが、今回もかなりのパーセンテージで貯蓄に回るであろう。そして、現預金などの金融資産は2000兆円にまで膨れ上がっている。しかも、株式への投資はわずかで、金利もつかない銀行預金もしくはせいぜい国債の購入である。つまり、どれだけ「リスク」を小さくするかというリスク心理からである。極論ではあるが「ゼロリスク」心理が根深く浸透したということだ。
こうしたゼロリスク心理は実は若い世代にも異なる形で浸透している。 昨年夏コロナ禍がピークに達した時、東京都はワクチン接種には懐疑的であると勝手に決めつけて予約なしで接種できる計画を実行したことがあった。結果、 若い世代を中心にした長い行列が隣の原宿にまで及び話題になったことがあった。・・・・・・・つまり、危機を前にして若い世代の心理がワクチン接種へとリスク回避に向かっていることを見誤った結果である。こうしたリスク回避は若い世代にとって「合理的」であるということである。

私がタイトルのように「第二の創業」あるいは「復活」という言葉を使ったのも、危機は着実に迫っていると感じるからである。特に、コロナ禍の波が直接押し寄せた飲食業や観光産業はこれからも危機の只中にいるであろう。生活者心理、消費者心理がゼロリスクを求めるリスク社会にあって、どう行動したら良いのか、敢えて冷静に問題点を整理し、しかも柔軟に経営して欲しいと願ったからである。ここ2回ほどの未来塾で「昭和という時代」に着目したのも、明日に向かった先人達の事例を学ぶことにしたのも、この危機をどう向き合うか着眼して欲しかったからである。
戦う相手は誰か、いや戦う相手は顧客心理、まずはゼロリスク心理であり、事業変更についても、コンセプト変更についても柔軟に対応することが不可欠である。危機の時代は何があっても不思議ではないということだ。昭和30年代は何も無かった時代であったが、今もなお共通していることは「やりたいことをやる」ことに尽きる。その思い、行動が閉じこもったリスク心理の扉を開けてくれるに違いない。昨年の未来塾の最後に大谷翔平を取り上げた。大谷が戦ったのは「既成」という心理であった。周知のように「二刀流」は無理であるとし、どちらかに専念すべきとした既成との戦いであった。その戦いは2度の手術を経ての戦いで、今年もその戦いは続く。
ところでゼロリスク心理との戦いであるが、例えば昨年LCCピーチの「旅ガチャ」人気も良き成功事例の一つであろう。ガチャのカプセル自動販売機で5000円を支払うと、北海道や沖縄など指定された目的地への航空券が購入できるという販促策である。どこに行けるかわからないが、沖縄であれば大当たりと言った「遊び心」が閉じられたリスク心理をこじ開けたということだ。
前述の思考整理に即していうならば、「空」は曇りでありながら時に小雨も降るが陽もさす、そんな天気であるが「雨」は次第に止みはじめてもいる。まだ「傘」の必要な時間もあるが、陽のさすところには紛れもなく「日常」がある。そんな陽を受けるにはリスク回避という心理の扉を開ける工夫をすることだ。ブログの読者は理解されていると思うが、市場認識の間違いはこの2年間至る所で見られた。特に若い世代の市場には新しい芽も出てきており、当たり前のことだがその心理は時間経過と共に変化する。若い世代、特にミレニアム世代は次の市場の主役に躍り出ると未来塾で書いたが、つまり陽がさし込む市場になるということだ。そうした意味を踏まえ、年頭の画像にはLCCピーチの5000円ガチャの画像を掲載した。(続く)
  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:05Comments(0)新市場創造

2021年12月19日

未来塾(45) コト起こしを学ぶ (後半)」      

ヒット商品応援団日記No801毎週更新) 2021.12.19



「下山からの風景」に学ぶ


緊急事態宣言が全面的に解除され日常を取り戻しつつある。しかし、コロナ禍以前に戻ることなど誰も考えてはいない。自重しながら慎重に日常の生活行動へと向かっている。その理由のほとんどが第五波と呼ばれた感染拡大、東京の場合8月に入り連日5000人台の感染者を出したが、お盆明けから急激に減少へと向かった、つまり、減少理由が不明のままであることによる。こうした劇的な減少を海外メディアはワクチン接種とマスク着用が要因(英国ガーディアン紙)、挙げ句の果てには韓国メディアでは虚偽の報告がなされているとまで報じている。最近では京都大学の上久保靖彦特定教授のグループ研究では日本人は早期から新型コロナウイルスに感染し抗体を持っていたとし、”国民集団免疫説”プレジデントオンライン)に依るものだとする論文が出されている。つまり、「ウイルス側」に減少理由があるという説である。これまでの感染症専門家による人流抑制策など根底から検証されることが問われる論文である。何れにせよ、新型コロナウイルスの本質に更に迫って欲しい。

ところで本論に戻るが、前回の未来塾で投げかけたのはバブル崩壊以降の社会・経済の停滞と言う問題がコロナ禍によって大きく表舞台に出てきたことを指摘した。そして、着目すべきは昭和、特に30年代を軸に学びを進めてきた。今回もバブル期前までの無名の人々の挑戦、どんな「時代の敵」と戦ってきたかを辿ってみた。

第二の創業期を迎える

コロナ禍によって大きな被害を受けたが、同時に多くのこともまた学んだ。エコノミストによれば、政府系金融機関などの無担保無利子融資残高は30兆円に及ぶと試算している。簡単に言えば大きな借金を背負っての「日常」に向かっての再出発である。私の言葉では第二の創業期を迎えたと言うことだ。特にホテル・旅館などの観光産業、飲食業と裾野の関連企業が当てはまると言えよう。

まず創業期を思い返すことから始めよう。創業期にはあったものは「何か」を思い起こすことから始める。「夢」といった大きなこともさることながら、ああもしたい、こうもしたい、どれだけできたであろうか、振り返ってみることだ。大切にしてきたことは何か、それはどのように変化してきたか、と言うことでもある。描いてきた「ビジネス」はどこまで達成できたか、できなかったことは何か。
このコロナ禍によって業態の転換を図った企業も多い。例えば、ワタミのように居酒屋業態から焼肉業態への転換もあるだろうし、テイクアウト業態のさらなる拡大に向かった飲食店もあるだろう。チェーン展開している外食企業においては多くの休業店舗を再スタートさせることであろう。いずれにせよ、新たな「考え」によってビジネスがスタートする。その時検討すべきが時代を超えたコンセプト、時代を取り入れたコンセプト、何を残し、何を変えていくのかという課題である。



今から3年ほど前になるが未来塾「コンセプト再考」でいくつか事例を踏まえて学んだことがあった。その中の一つに元祖カツカレーの老舗「王ろじ」を挙げたことがあった。創業1921年(大正10年)老舗とんかつ「王ろじ」のカツカレーである。その大正10年と言えば、その2年後には関東大震災が起きた時期である。東京新宿にあるとんかつ専門店で、その店名「王ろじ」の由来は「路地の王様」とのこと。場所は新宿三丁目の伊勢丹本店裏に当たるのだが、まだ伊勢丹本店が移転しオープンする前で、大規模な商業施設も少なく、まさに路地裏の店であった。当時の新宿三丁目は宿場町内藤新宿の面影を残した賑わいのある街であった。新宿通りが表通りで、「王ろじ」はその裏通りに当たり、まさに路地裏のとんかつの王様であった。その「王ろじ」も競争市場にあって今なお存続している最大理由は変化する時代にあって、「何を残し」、「何を変えていくのか」という避けて通れない課題である。この課題は「人」がビジネスを継承していく場合真っ先に答えを出さなければならない。ビジネス規模によっても答えを出す手続きなど異なるが、実はビジネスをビジネスとして存在させているのは「顧客」「市場」であり、コンセプトの最大の支持者であることを忘れがちである。株主や取引先、あるいは従業員もその「答え」の関係者ではあるが、顧客にとって「何を残して欲しいか」、「何を変えて欲しいか」が一番重要なことである。そうしたコンセプトの世界を表現したのが、店頭看板の写真である。

顧客主義に立ち返るコンセプト再考



緊急事態宣言が全面解除となったが、飲食業界も観光産業も一様に顧客が戻ってくれるかどうか不安だと言う。つまり、単なる躊躇しているだけでなく、今までの行動とは異なる行動へと変わってしまったのではないかと言う心配である。確かに100%元のように戻ることはない。忘年会や新年会が以前と同じように行われるかと言えば、多人数の会食は少なくなるであろう。従業員などのワクチン接種など安心環境の整備は必要となるが、、やはり新しい魅力が必要となる。前述のホテルにおける快眠の新しいコンセプトではないが、新しいメニューの提案での再スタートが望まれる。2部屋をnagomルームにしたように「小さな」メニューアクションと言うことである。まず「点」を打ってみると言うことだ。
繰り返しになるが、商品は最大のメディア、情報発信力となる。ホテルの事例のように1部屋、2部屋から始めると言うことだが、飲食業の場合はどうか。写真は「王ろじ」のカツカレーである。私が知ることになってかなりの時間が経つが、この盛りつけは美味しくインスタ映えもする。面白いことにカレー好きにはあまり好評価にはなっていないようだ。その一番の理由がカレールーの量が少ないと言うことのようである。私はこうした顧客評価を否定はしないが、カレールーの少なさにはこだわる必要はないと考えている。何故なら「王ろじ」はとんかつ専門店として「カツ」の美味しさを売る店で、カレーを売る店ではないと言うことである。老舗が変化する時代を潜り抜けるには「何を残し何を取り入れるか」であり、とんかつ専門店としての顧客支持を大切にしたいということで、たっぷりとしたカレールーを食べたいと思う人はカレー専門店に行けば良い。このように新メニューで変化をつけられなければ、「盛り付け」のアイディアで再スタートを切れば良い。つまり、今一度「誰を顧客とするのか」、コンセプトを再考するということだ。

競争力とは新しい価値を生み出すこと

失われた30年、先進国中成長できない国と言われ、結果賃金も上がらない日本、・・・・・「安定」という現状維持意識が蔓延する日本が指摘されてきたが、バブル崩壊以降グローバル競争市場にあって新たな産業を生み出すことができなかったことによる。バブル期の1980年代、例えば造船産業は世界シェアー50%を超え、半導体も世界をリードするポジションであった。この産業変化については未来塾「転換期から学ぶ」で取り上げてきた、今一度読み返していただければと思う。
今回いくつか取り上げた事例に共通することは「新しい価値創造」と言えるであろう。既成にとらわれない、一見非常識に見える、・・・・・・こうした挑戦が生まれないのは何故かである。その新しい価値創造は「人」によってなされてきた。どんな働き方であったのか、次のような総労働時間を見ていくとわかる。



最新のデータでは平成20年9月のリーマンショックの影響により景気が悪化し、所定 内・所定外労働時間がともに減少した。しかし、平成21年度には初めて1800時間を下回り、その傾向は続いていると推計されている。
つまり、2400時間を超えて働いていた「昭和」と比べ、平成・令和の時代は600時間も少ない労働時間である。現在の若い世代にとって「昭和」はブラック企業が活躍した時代であると解釈するかもしれない。短絡的に考えれば昭和の高度経済成長期は遅れた「ブラックの時代」であると考えても不思議ではないということだ。
一見すると長時間労働の代表のように思える業態に24時間営業がある。飲食業とコンビニである。その飲食業、具体的にはファストフード店である牛丼大手の「すき家」が確か7〜8年前に閉店する店が続出したことがあった。背景は人材不足という理由からである。「すき家」の店舗運営の特徴はアルバイトによるワンオペ(一人運営)で、その労働環境の厳しさが指摘されていた。このワンオペを可能にしたのが調理ロボットなどの機械化であった。その後賃金を含めた労働環境が改善され営業店舗も増え、業績は回復したことは周知の通りである。



その労働環境、ある意味働き方を変えて行った外食、深夜営業店に立ち食い蕎麦の「富士そば」がある。東京に生活していれば知らない人はいない24時間営業の立ち食いそば店である。富士そばではその経営方針として「従業員の生活が第一」としている。勿論、アルバイトも多く実働現場の主体となっている。そして、従業員であるアルバイトにもボーナスや退職金が出る、そんな仕組みが取り入れられている会社である。ブラック企業が横行する中、従業員こそ財産であり、内部留保は「人」であると。そして、1990年代後半債務超過で傾いたあの「はとバス」の再生を手がけた宮端氏と同様、富士そばの創業者丹道夫氏も『商いのコツは「儲」という字に隠れている』と指摘する。ご自身が「人を信じる者」(信 者)、従業員、顧客を信じるという信者であるという。
日本の雇用形態に非正規雇用がある。この非正規雇用と言う経営を取り入れてきた企業に「ロフト」という会社がある。確か10数年年前になるかと思うが、生活雑貨専門店のロフトは全パート社員を正社員とする思い切った制度の導入を図っている。その背景には、毎年1700名ほどのパート従業員を募集しても退職者も1700人。しかも、1年未満の退職者は75%にも及んでいた。ロフトの場合は「同一労働同一賃金」より更に進めた勤務時間を選択できる制度で、週20時間以上(職務によっては32時間以上)の勤務が可能となり、子育てなどの両立が可能となり、いわゆるワークライフバランスが取れた人事制度となっている。しかも、時給についてもベースアップが実施されている。こうした人手不足対応という側面もさることながら、ロフトの場合商品数が30万点を超えており、商品に精通することが必要で、ノウハウや売場作りなどのアイディアが現場に求められ、人材の定着が売り上げに直接的に結びつく。つまり、キャリアを積むということは「考える人材」に成長するということであり、この成長に比例するように売り上げもまた伸びるということであった。
富士そばもロフトも業態こそ違え「人材」を人手ではなく「人財」として制度化した点にある。私の言葉で言えば「人力経営」と言うことになる。

生産性の根本は「考える力」のことである

失われた30年論議と共に、その停滞の一つの象徴として欧米諸国との比較の上で「労働生産性の低さ」が指摘されている。しかし、よく考えればわかることだが、世界でいち早く生産性の向上に向かった企業があった。周知のトヨタ自動車における「カイゼン」である。お手本は既にあり、製造業だけでなく、大企業だけでもなく、全国の企業はそのカイゼンを取り入れていた。私が16年前に取材した和菓子の叶匠寿庵においても既に取り入れていたことを思い出す。
カイゼンの最も大きな特徴は、現場で労働に従事している人を中心としたボトムアップにある。カイゼンを会社全体の「運動」として位置付ける企業が多かったと記憶している。前述の事例として「すき家」と「富士そば」「ロフト」を取り上げたが、これも時代に沿ったカイゼンであると理解している。すき家の場合、調理器具などの機械・ロボットなどによる省力化をベースとした現場経営であるのに対し、富士そばやロフトは人を生かす「人力」による現場経営となるが、この2つの経営は対立する別個のものではない。労働環境そのものをカイゼンすることにおいて共通しており、つまり目的は生産性を上げていると言うことだ。特に現場の生産性を上げるための工夫として行われているのが、富士そばである。現在も行われていると思うが、店長にはオリジナルメニューを開発する権限が任されており、新メニューも生まれている。例えば、かなり前になるが2つの定番メニューを合わせた「カツ丼カレー」を食べたことがあった。食べた感想であるが、他のセットメニューの方がいいなと言うのが当時の率直な感想であった。つまり、現場の従業員の力、やる気、発想力を引き出す小さな仕組みということである。ボトムアップのための一つの方法であるが、カイゼンの根底には「考える力」があることがわかる。勿論、結果カイゼンによって総労働時間の短縮が生まれたことも事実であるが、最も重要なことは「考える力」を根底においた経営を構築するということに尽きる。
デジタル化、IT活用、更にはAIの活用もこの考える力をどれだけ引き出せるかである。単なる人手であればロボットを使えば良いのだ。こうした人手に頼った経営は終わりにしなければならないということだ。

「考える力」とは現場ならではの課題である。今から20年ほど前、「力」ブームが起こったことがあった。現場で「力」をどう引き出すかという試みであったが今日まで継続されたシステムとして運営されている企業はほとんど聞いたことがない。どの企業も停滞した市場を開拓する取り組みをしていると思うが、第二の創業を掲げる無印良品は中期計画の中で「地域事業部制」を取り入れると発表されている。その地域事業部制とは住民や行政と交流・連携をしながら生活圏への出店を推進して、地域密着型の事業モデルを確立するとある。かなり前から「食品」への取り組み、特に店舗によっては生鮮食品にも取り組んでいることの延長線上にあるものであると理解しているが、その根底には「考える力」が不可欠となる。良品計画の歴史を見ていくとわかるが、1990年代デベロッパーの要請により大規模スペースに品揃えの拡大。結果、多大な在庫を抱えて経営が窮地に陥った時期があった。こうした規模を追い求めた経営から、「地域」という小さなコミュニティへビジネスを目指すという。例えば、道の駅への出店もテーマに上がっているようだが、どんな地域貢献を行うのかその「考える力」を見てみたい。

「離れ世代」が明日を創っていく

コロナ禍の1年8ヶ月考えることのほとんどがどのように感染を防ぐかであった。それは同時に政治も行政も、TVなどでコメントする感染症の専門家も、医療従事者も、いや社会に生活するほとんどの人々の価値観、生き様すらコロナ禍を通じ見えてしまった。その中で最も誤解、いや偏見で間違えてしまったのが若い世代、もう少し正確にいうとミレニアム世代の行動であろう。所謂、感染の拡大の中心人物は「若い世代」とした犯人説である。コロナ初期段階の「罹っても軽症もしくは無症状」という情報を背景に、その行動力、行動範囲の大きさから感染を拡大させたであろうという説である。確かに感染者の半数近くが30歳代以下というデータが示されているが、その「行動」によって拡大したという根拠は一定程度確認されているが、少ない事象で全体がそうである、犯人とすることにはならない。マスメディアTVメディアの報道はそうした少ない事象を報道することによって若い世代があたかも犯人であるかのような「イメージ」が作られていく。コロナ禍の初期、感染犯人説の一人に「パチンコ店」が挙げられ一斉に非難したが、実はクラスターは起きてはいなかった。TVメディア自身が風評を撒き散らした事例である。そして、コロナに関する情報が若い世代には伝わっていないのではないかと言った議論が巻き起こる。ワイドショー的感染症の情報は伝わることはないが、少なくともネット上の感染情報については十分得ている。ただSNSによる誤った「仲間内情報」もあり、それは「大人」も同様である。1年以上前から誤った「若い世代理解」についてブログを通じ次のように指摘をしてきた。

『今や欲望むき出しのアニマル世代(under30)は草食世代と呼ばれ、肉食女子、女子会という消費牽引役の女性達は、境目を軽々と超えてしまう「オヤジギャル」の迫力には遠く及ばない。私が以前ネーミングしたのが「20歳の老人」であったが、達観、諦観、という言葉が似合う世代である。消費の現象面では「離れ世代」と呼べるであろう。TV離れ、車離れ、オシャレ離れ、海外旅行離れ、恋愛離れ、結婚離れ、・・・・・・執着する「何か」を持たない、欲望を喪失しているかのように見える世代である。唯一離さないのが携帯を始めとした「コミュニケーションツールや場」である。「新語・流行語大賞」のTOP10に入った「~なう」というツイッター用語に見られる常時接続世界もこの世代の特徴であるが、これも深い関係を結ぶための接続ではなく、私が「だよね世代」と名付けたように軽い相づちを打つようなそんな関係である。例えば、居酒屋にも行くが、酔うためではなく、人との関係を結ぶ軽いつきあいとしてである。だから、今や居酒屋のドリンクメニューの中心はノンアルコールドリンクになろうとしている。』

今回の衆院選挙でも明らかになったが、若い世代の「政治離れ」もこの「離れ世代」に付け加えなければいけないであろう。
ところで、何故、「離れ」なのかである。戦後日本の社会経済を登山に例え、バブル期までを登山、バブル崩壊以降を下山としたが、そうした日本を創ってきたのは「大人達」である。極論を言えば反発こそないが、どこかよそよそしい社会、鬱屈した社会であったと思う。かなり前になるが流行語大賞にもなったKY語に社会的注目が集まったことがあった。KY語とは「仲間言葉」である。前回の未来塾でジブリ作品「となりのトトロ」を引用したが、その中で子供たちにしか見ることができないトトロの話に触れたが、このトトロをKY語であると理解すれば間違いはない。
実は、今年8月上旬東京では感染者が激増し、連日5000人台となり、入院できない自宅療養者が激増する。在宅療養者からも死亡する患者が続出し、医療崩壊が叫ばれた。当時、もうひとつ社会の話題となったのが「路上飲み」で連日新宿や新橋などの若い世代の飲酒が報じられた。しかし、お盆休み明けからこの路上飲みは激減し8月末には大学の再開もあってほとんどいなくなった。この危機的状況にいち早く反応したのがこの「若い世代」であった。つまり、自らリスクを回避する行動へと向かったということである。実は「伝わらない」のは伝えることをしてこなかったという「大人」の責任であり、政治のリーダー、特にマスコミ・TVメディアの考え違いにある。「大人」のロジックと方法では伝わらないということである。感染のメカニズムを含め「若い世代」は正確にコトの事態を理解している。その証左であると思うが、8月末ワクチン接種には消極的であると勝手に決めつけられた若い世代が予約不要の渋谷区のワクチン接種会場に多くの若者が殺到し、300人以上の列を成したことが報じられた。この行列に慌てた東京都は翌日からは抽選方式に変更したがそれでも隣の原宿駅まで行列は伸びた。若い世代こそ、感染症というコトの本質、正しく恐るををよく理解しているという証左である。

実は「伝わらない」のは伝えることをしてこなかったという「大人」の責任であり、政治のリーダー、特にマスコミ・TVメディアの考え違いにある。「大人」のロジックと方法では伝わらないということである。感染のメカニズムを含め「若い世代」は正確にコトの事態を理解していると考えることが必要である。それは昨年3月以降の報道を始めメディアを通じて流される情報・内容の変化、若い世代にとっては情報の「いい加減さ=実感を持ち得ない理屈だけの言葉」に「大人」は気づいていないという断絶があるということだ。ロックダウン論議を含め、人流抑制が感染防止には不可欠であると感染症の専門家は提言し続けてきた。8月のお盆休み以降人流は増加しているにもかかわらず、反比例するように感染者は激減した。真逆の結果について納得できる根拠、科学的な理由は聞いたことがない。
若い世代にとってコロナウイルスの本質は季節性インフルエンザとまではいかないが、彼らにとって「恐怖」としてのパンデミックではない既知のウイルスに近い認識を持っている。しかし、感染しても入院できない状況になり、そうしたリスクが迫ってきたと感じれば、即回避へと向かう極めて合理的な思考を持った世代である。

[離れ世代」が主役になる日

前回の未来塾で「新しい生き方」が生まれた地雷としてミレニアム世代におけるFIREというのは文字通りFinancial Independence『経済的自立』とRetire Earlyという『早期退職』のグループについてその合理的生き方について書いた。「離れ世代」が唯一執着したことの一つとして「貯蓄」を挙げてきたが株価の上昇という時代背景を踏まえた貯蓄の進化系である。
この新しい生き方に触れた時思い出したのはフランスの経済学者トマ・ピケティが書き世界的なベストセラーになった『21世紀の資本』であった。恥ずかしい話であるが当時翻訳本を店頭で手にしたが、あまりの膨大なページ数から購入はしなかった。その内容であるが、経済専門家による解釈によれば、資本収益率は経済成長率よりも大きい。資本から得られる収益率が経済成長率を上回れば上回るほど、それだけ富は資本家へ蓄積される。そして、富が公平に再分配されないことによって、貧困が社会や経済の不安定を引き起こすという内容である。ピケティの研究の出発点は、米国でトップ1%所得者の所得割合が最近になり急速に上がったことを示した点に着目したことにある。出版後「1%の諸劇」という言葉と共に多くの人に知られるようになった。
ミレニアム世代、特にFIREグループは平易にいうならば「お金がお金を生む、その生産性の方が労働することより高い」と実感しているのだと感じたからであった。私が合理主義者と呼ぶ理由である。但し、若い世代が全てFIREグループのような価値観を持っているわけではない。その本質は多くの人が指摘するように変化ではなく、安定を求める世代である。「昭和」が「貧しくても夢があった」という幸福感との比較で言えば、「そこそこの豊かさと安定があれば」という価値観であろう。ビートたけしの「横断歩道、みんなで渡れば怖くない」になぞって言うならば、「令和時代、離れ仲間と渡れば怖くない」となるのであろうか。ある専門家の指摘によれば、10数年後競争力のない産業だけの日本になり、国内の仕事は減少し、中国に出稼ぎに出かけることになるであろうと。それもまた「合理主義的思考」の結果なのであろうか。そんな日本は望まないが、いずれにせよ、近未来離れ世代が日本の主役になる。
この世代、無名の人々がどんな合理的な「コト起こし」を始めるか、下山の途中からはまだその芽には出会っていない。コト起こしとは「既成」と戦うことでもある。その戦いの中には仲間内部の衝突もあるであろう。一つのアイディアが具体化するにはある意味戦いの連続となる。ミレニアム世代やその下のZ世代も衝突を嫌う優しい世代である。離れ世代が時代の主役になるとは、それまでの気のいい、愛想のいい、そんな人間から変わらなければならないということである。彼らが一番嫌う「協調」や「妥協」も是とすることもある。それまでの仲間社会も変化して行くこととなる。仲間と言うより新しい「コミュニティ」が作られると言うことだ。新しい考え、新しい価値観による共同体を目指すこととなる。いずれにせよ「大人」という重しが社会からなくなって行く時、「離れ世代」はその仲間社会から離れ、次のコミュニティ社会へと変化して行くこととなる。私の知らないところでコト起こし登山途中であることを期待したい。



ところで今年の新語・流行語大賞が「リアル二刀流、ショータイム」に決まった。この1年間重苦しいコロナ禍にあって大谷翔平の活躍に一喜一憂した。 スポーツ紙を含め多くのことが語られてきたが、大谷翔平(27才)」はまさにミレニアム世代の一人である。少し前までは二刀流の危うさを指摘しどちらかに集中すべきとの論議が日本では圧倒的であった。シーズンを終え日本に戻ってきての記者会見で、その二刀流について米国の方が好意的に受け入れてくれたと語っていた。2度の手術、挫折を乗り越えての活躍であったが、「既成」との戦いが続いていることがわかる。米国ア・リーグのMVP受賞よりもチーム・エンゼルスが勝つことに喜びを感じているとも語っている。私の理解ではチームとは大谷翔平にとってのコミュニティであり、最早「離れ世代」ではなくなったと言うことだ。そして、来季に向け「既成」との戦いが始まっていると語っている。(続く)
  
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Posted by ヒット商品応援団 at 13:10Comments(0)新市場創造

2021年12月15日

未来塾(45) コト起こしを学ぶ (前半)」   

ヒット商品応援団日記No801毎週更新) 2021.12.15

今回の未来塾は「下山からの風景(2)」として、昭和における「コト起こし事例」をテーマとした。前回に続き「昭和」が教えてくれたベンチャーの事例である。バブル崩壊以降失われた30年と言われているが、この停滞打開のためのヒントになればとの考えから取り上げてみた。




  
 下山からの風景(2)

「コト起こしを学ぶ」


「昭和」が教えてくれたベンチャー。
創業、ブランド、非常識、顧客主義・・・。
無名の人たちの挑戦、そして大谷翔平。



前回の未来塾「下山から見える風景」では「昭和30年代」に着目した。それは1年8ヶ月にわたるコロナ禍によって、バブル崩壊以降経済成長することなく、新しい価値観、停滞からの脱却が求められていることを浮かび上がらせてくれた。その象徴として昭和30年代がどんな時代であったか、当時を描いたジブリ作品「となりのトトロ」と映画「ALWAYS三丁目の夕日」を踏まえ、「貧しくても夢があった」時代にどんな出来事が起きていたかを自動車のホンダ、創業者本田宗一郎の言葉を引用しその「夢」を少しだけ辿ってみた。そのなかで当時はベンチャーなどという言葉はなかったが、まさに新しくコトを起こすベンチャーであった。今回は私自身の拙い経験を含め、「今」というこの時代の「コト起こしの意味」を学ぶこととする。
そして、嬉しいことに、二刀流大谷翔平が米国アッリーグのMYPに輝いたが、何よりも2度の手術・挫折を経て「規制」と戦ってくれたことにある。この活躍は末尾に書き加えたが是非ご一読いただきたい。

無名の人たちによって創られた「昭和」

ところで2000年代に入り、書店の店頭にはビジネス書、経営に関する書籍はほとん見られなくなった。現実ビジネスの方がどの書物より先に進んでしまった理由からであるが、実はビジネスの師である P.ドラッカーの書籍を再読している。周知のように日本の経営者にも大きな影響を与えた人物であるがその著書「マネジメント・フロンティア」の中で「明日をつく者」という表現がある。

「明日というのは、無名の人たちによって今日つくられる。」

政治家でなく、官僚でもなく、勤勉に働く普通の人たちによって、変化を受け止め、多く の困難さ、破局を乗越えてきたという主旨である。P.ドラッカーは、この普通の人たちの力を引き出し活性させるマネジメントを確立した人物だ。そのマネジメン トとは、組織中心の産業社会にあって、人が幸せになる方法をそのビジネスの根底に置くことによって、単に利益を得るための経営技術ではないとした。その組織とは、自らを社会生態学者と呼んだように、企業ばかりか、例えば病院経営やボランティア組織の運営についても言及している。ある意味、今日をどう生きるかという指針であった。前回「昭和」をテーマとしたのも、この貧しい無名の人たちによって創られた成長であることを指摘したかったからである。そうした意味を踏まえ、今起ってい激変、コロナによって痛んだ社会経済をどう立て直すか、いやどう生きてゆけば良いのか、まさに無名の人たちの着眼の一つを提示してみたい。前回はコトを起こす代表事例としてホンダの創業者本田宗一郎を取り上げたが、今回は昭和という時代における「無名」の人たちのコト起こし事例とその意味を学ぶこととする。

「ブランド」との出会い

ブランド価値、無形の資産ブランドという考えがビジネスに導入されてきた背景には、同じ機能を持つ商品がA社では100なのに、何故B社では120なのかという、その違いの根底に、誰もが持つ心理的価値に着眼してきたことにある。その心理的価 値とは何かであるが、その何かがブランド間の競争軸となる。 かなり前になるが、地域の名称を商標として登録できることから、雨後のタケノコのように 夥しい地域ブランドが生まれた。しかし、その呼称はさておき、その根底にある心理価値としての「何か」が無形の資産となるのだが。ところが地域ブランドの際立つ特徴となっているのか明確にされないままの呼称ブランドがいかに多いか周知の通りである。
私が初めて「ブランド」の世界に携わったのが米国サンキスト社の日本市場におけるマーケティング・企画面であった。周知のようにカ リフォルニア及びアリゾナの約6500の生産農家から構成されている世界で最も歴史のある柑橘類生産出荷団体である。いわば巨大な農協団体のような組織であるが、米国政府の農産品の輸出促進戦略を背景に卓越したマーケティング、ブランド戦略を現場実務で体験した。
実は日米間の貿易収支が赤字(米国にとって)」となったことを契機に1972年に日米貿易交渉が始まる。既にレモンという農産品はサンキスト社から輸入されており、日本市場に進出し、瀬戸内海沿岸にあるレモン農家は窮地に陥っていた時期でもあった。
そのサンキスト社のブランド戦略であるが、冒頭のレモンの写真には「印字」されてはいないが、当時は食べても健康被害にはならないインクで「SUNKIST」とブランド名が印字されていた。農水省からその安全性について指摘を受け、後にその印字はなくなったが、商品に直接ブランド名を印字することなど、少なくとも日本の農家には発想すら無かった。実際の広告物は手元にはないが、雑誌を中心に冒頭のレモンの写真のように印字された商品の広告で、大きくSUNKISTのロゴが入ったものであった。そして、「栄養と料理」といった雑誌を始め、レモンの主要な成分ビタミンCの効能について徹底した健康訴求・レシピ訴求を行い、新しいライフスタイルの創造を目指した。




このレモンのある生活によって創られたサンキストブランドの「先」には米や牛肉と共にオレンジの輸入拡大があった。日米両政府の交渉内容については詳細はわからなかったが、サンキスト社は佐賀県の園芸連のみかんとサンキスト社のバレンシアオレンジを使った100%のオレンジジュースの開発へ向かっていた。その商品開発にも携わったのだが、商品開発における嗜好テストの結果が興味あるものであった。佐賀県のみかんとサンキスト社のオレンジのブレンド比率を変えた5種類の飲み比べテストであったが、一番高評価であったのがみかん25%、オレンジ75%の比率であった。この時感じたことは、従来の延長線上の味でもダメで、かといって全く新しい味でもダメだという味覚における事実であった。
このオレンジジュース商品は静岡県と首都圏でテスト販売されたが、極めて高い販売結果を残した。しかし、日米間の輸入枠交渉によって全国発売できる程のオレンジの輸入量が確保できないことから本格販売はできなかった。
ブランドが持つ心理効果は極めて大きく、レモンによって得られた鮮度、瑞々しさ、爽やかさ、そして何よりも身体に良いという健康効果、新しいライフスタイル・・・・・その波及効果としてオレンジについても期待をうらぎることはないであろうという、つまり未来期待値という心理効果を創造することができた。ブランドの心理効果をイメージ戦略として考えがちであるが、実は実体験の積み重ねによって創られたものである。つまり、ブランドは顧客によって創られ育てられるという基本を学んだ。
そして、商品は最大のメディアであり、そのメディアによってブランド価値が形成される。よく間違えることだが、ブランド価値は「デザイン」によるもので、パッケージデザインで決まるという考えであるが、そうした商品は継続されることなく一過性で終わる。「ブランド」と呼ばれる商品は、継続、つまり顧客によって愛され育てられて初めてブランドとなるということだ。

「京都ブランド」が教えてくれたこと

日本人のライフスタイルを研究していくとその「原型」は江戸時代にあることがわかる。身近なことでは隅田川の花火大会を始め日々の生活に色濃く残っていることは実感されることと思う。ブランド実務についてはサンキスト社であったが、江戸時代も実は「ブランド」はあった。「消費」が広く庶民にまで浸透し、元禄文化と呼ばれるような成熟社会が江戸にはあったことを想起すれば十分であろう。
江戸時代の商人は、いわば流通としての手数料商売であった。しかし、天保の時代(1830年代)頃から、商人自ら 物を作り、それまでの流通経路とは異なる市場形成が始まる。今日のユニクロや渋谷109のブランドが既成流通と異なる「中抜き」を行った いわゆるSPAのようなものである。理屈っぽくいうと、商業資本の産業資本への転換である。




よく江戸時代は封建社会というが、実はこの「封」という閉じた市場を壊した中心が「京都ブランド」であった。この 京都ブランドの先駆けとなった商品が「京紅」であった。従来の京紅の生産流通ルートは 現在の山形県で生産さた紅花を日本海の海上交通を経て、工業都市京都で加工・製造され、京都ブランドとして全国に販売さていた。ところが1800年頃、近江商人(柳屋五郎三郎)は山形から紅花の種を仕入、現在のさいたま市付近で栽培 し、最大の消費地である江戸の日本橋で製造販売する。柳屋はイコール 京都ブランドであり、江戸の人達は喜んでこの「下物(くだりもの)」を買った。従来の流通時間 経費は半減し、近江商人が大きな財をなしたことは周知の通りである。
京紅だけでなく、従来上方で製造さていた清酒も同様に全国へと生産地を広げて いくこととなる。醤油、絹織物、こうした商品は江戸周辺地域で製造さていく。そして、製造地域は東北へと広がっていく。従来海上交通に決まっていた商品は陸上交通を使うようになる。こうして「下物」としてのブランドが広がって、偽ブランドが既に この時代に出てくることとなる。特に、貴重な絹製品、生糸の製造については、卓越した技術 に模造品が生じていく。今日のブランド偽造、産地偽装、この源流は江戸時代から始ったということだ。
ただ江戸時代では盲目的なブランド信仰といったことではなく、遊び心と偽造という 卓越した模倣技術を黙認していたということであった。例えば、ランキング という格付けは江戸時代の大相撲を始めなんでもかんでもランキングをつけて遊んでいた。今日、偽造、偽装ばかりが事件となっているが、江戸のように自らの体験・ 評価に格付けなされていたということだ。ブランドは本当に好きな人たちの ものである。好きで好きでたまらないという顧客の創造、このブランドの原則に立ち戻ることだ。
もう一つ学ぶことがあるとすれば江戸時代の閉じられた「封」がどのように壊れていったか、それは近江商人のような「革新者」によってである。江戸時代の身分制度に「士農工商」があるが、物を生産しない手数料商売の「商」はある意味蔑まれた存在であった。今もそうだが、江戸時代にあっても革新者によって「時代」は創られるということだ。

革新者シャネル




旧来の時代が持っている既成の慣習、モラル、価値観、大きくは文化と徹底して戦った革新者の一人にシャネルがいる。87歳の生涯を終えるまでの歴史を調べると、いかに多く戦い、そして非難され挫折を味わったかがわかる。その戦いの歴史をまとめると次のようになる。
・1910年頃、マリーンセーター類を売り始めたシャネルは、着手の女として彼女自身が真先に 試して着ていた。そして、自分のものになりきっていないものは、決して売ることはなかった。それは、アーティストが生涯に一つのテーマを追及するのによく似ている。丈の長いスカート時代にパンツスタイルを生み、男っぽいと言われながら、水夫風スタイルを自ら取り入れた革新者であり、肌を焼く習慣がなかった時代に黒く肌を焼き、マリンスタイルで登場した。そして自分がいいと思えば決して捨て去ることはなかった。スポーツウェアをスマートに、それらをタウン ウェア化させたシャネルはこのように言っている。
“私はスポーツウェアを創ったが、他の女性たちの為に創ったのではない。私自身がスポーツをし、そのために創ったまでのこと”。勿論、 アクセサリーの分野でも彼女のセンスを貫き通した。“日焼けした真っ黒な肌に真っ白なイヤ リング、それが私のセンス”。そして、シャネルのマリンルックは徐々に流行する。またヨーロッパ女性の憧れであった英国のウェントシンスター公爵との恋愛が大きく社会の眼に触れることとなり、恋多き女性と話題になる。
・1920年代、シャネルは単なるクチュールから、ロシアバレエのメセナになり、社会的地位を手 に入れることとなる。この頃、シャネルは香水の分野でも、その革新的チャレンジをしていた。 過去の“においを消す香水”ではなく、“清潔な上にいい匂いがする香水”、つまり基本は 清潔、それからエレガンスであった。そして、調香師エルネスト・ポーと出会い、「No.5」 「No.22」が生まれるのである。コンセプトは“新しい時代の匂いを取り入れること”とし、どこ にでもつけていける香水を創ったのである。その後、ジャスミン、ローズ、スズラン…といった植物を調合してでき上がったのが、この「No.5」と「No.22」であった。「No.5」が売り出された のは、1921年、ネーミングも簡潔そのものであり、ビンのフォルム、ロゴマークも従来の甘さや 文学性を排除した、シャネルの新しい時代感覚そのものの明快なデザインであった。
・1939年、第2次世界大戦が始まると、シャネルは香水とアクセサリーの部門を残してクチュー ルの店を閉める。15年後、再びシャネルは挑戦する。そして、戦後シャネルのコレクションに 対し、次のような批評が殺到する。「1930年代の服の亡霊」「田舎でしか着ない服」と酷評 される。
・1954年、既にパリモード界はクリスチャンディオールの時代となっていた。これらのモードに猛然と反撃したのがシャネルだった。カムバックする舞台はパリではなく、アメリカ。それがシャネルスーツであった。エレガントで、シック。かつ、時代のもつ生活に適合する機能をもったスー ツであった。そして、アメリカは「シャネルルック」という言葉でこのスーツを評した。シャネルは “モードではなく、私はスタイルを創りだしたのです”と語った。
・1971年1月、87歳の生涯を終える生前、“シーズン毎に変わっていくモードと違って、スタイル は残る”としたシャネルには、そのスタイルを引き継ぐ人々がいた。そして、1987年、カール・ラガーフェルドが参加する。“シャネルを賞賛するあまり、シャネルの服の発展を拒否するのは 危険である。”シャネルの最大の功績は、時代の要請に沿って服を創ったことにあり、シャネルスタイルを尊重しながらも、残すべきもの、変えていくべきものをラガーフェルドは明快に認識している。顧問就任時にこうも語っている。“シャネルは一つのアイディアの見本だが、そ れは抽象的ではない。生活全てのアイディアである。ファッションとスタイルのシャネルのコンセプトは一人の女性のため、彼女のパーソナルな服と毎日の生活のためのものなのだ。シャ ネルのコンセプトは象牙の塔のものではなく、ライフ=生活のためのもの”こうしてシャネル・ コンセプトはカール・ラガーフェルドに引き継がれていく。

ところで「ハングリーであれ、愚かであれ」という言葉が大好きであったアップル社創業メンバ ーの一人スティーブ・ジョブズは、2005年スタンフォード大学の卒業講演で次のよう に語っている。
「自分が本当に心の底から満足を得たいなら進む道はただ一つ。自分が素晴しい と信じた仕事をする。それしかない。そして、素晴しい仕事をしたいと思うなら、進むべき道はただ一つ。好きなことを仕事にすることだ。」
勿論、好きなことを仕事とするとはスティーブ・ジョブズのいくどとなく経験した挫折を思い浮かべれば、その覚悟と執念に共感する人は多い。
シャネルもスティーブ・ジョブズも同じ生き様であることがわかる。シャネルの服は高額ではあるが、モードではなく、あくまでも生活に根差した服である。シャネルフアンの多くはシャネルのそうした「生き方」「既成と戦う姿」に共感する女性は多い。ある意味、シャネルの服を買うとは生き様を着ているかのようである。

非常識経営と言われて




今から12年ほど前に鹿児島阿久根市のAZスーパーセンターをブログで取り上げたことがあった。きっかけは買い物に困っている高齢者のために100円バスを運行していたことを知ったからであった。
阿久根市は人口22,300人ほどのごく普通の過疎の地方都市で高齢化率も極めて高い。異色の非常識経営として業界に紹介されたスーパーであるがその名の通りAからZまで仏壇から車まで販売する、近くにコンビニがないからと24時間営業を行い、中山間部のお年寄りのために自ら100円バスを運行する。結果、阿久根市は勿論のこと周辺市場の顧客開発をも可能とし経営として成立させた。単なる効率を第一義とした業態とは正反対のビジネスである。
同じ考えで経営を成立させた業態の一つにジョイフル本田というホームセンターを思い出す。ジョイフル本田はいわゆるDIYを中心とした郊外型のホームセンターであるが、一般の小売業から見ると死に筋商品を山のように品揃えをしている。例えば、ネジ、釘、ビス類の種類が豊富でしかも全てバラ売りである。他の企業が排除した商品をきちんと品揃えすることによって結果として死に筋を売れ筋へと蘇らせているのである。5円のビスをバラ売りすることによって”あそこなら必ずある”という独自な「目的来店性」を創造している。POSは判断を誤らせると言い、”昨日100個売れたからといって今日100個仕入れても、今度は300個欲しいというお客さんが来るかもしれない。だいたいPOSは売っていない商品のデータは絶対出してこない。
AZスーパーセンターは鹿児島の片田舎に、売り場面積2万平方メートルもある巨大スーパーである。
取り扱う商品の種類も多様で無いものないスーパーであるが、実はその品揃えは丁寧な緻密さにある。例えば醤油ひとつとっても日本全国網羅した醤油が品揃えされていると聞く。5円のビスをバラ売りするジョイフル本田と同じ「非効率経営」である。今も同じ仕組みで運営されているか確認はしていないが、売り場の担当者が販売だけでなく仕入れも担当している、つまり「顧客」がわかっているからだ。同じ仕組みで成功しているのが周知のディスカウンターのドン・キホーテがある。つまり、人をどう生かすか、人力経営の良きモデルである。

コトを起こせば新たな顧客が生まれる

こうした「既成」を超えた市場の開発は顧客の求めていた「何か」を見事に捉え、解決策を提示したからに他ならない。マーケティングで言うところのプロブレム イコール オポチュニティ、問題点こそ新たな市場開発となると言う意味だが、それは大仰に構えたことでは無い。
ちょうど今から20数年年近く前になるが、不眠症が社会的な話題になることがあった。NHKでは不眠のメカニズム、体内時計などの解説が番組放送されたり、日経新聞も快眠のための解決策としては日常的には「マクラ」による解決策としては70%の生活者が実行しているなど大きな話題となっていた時期があった。こうしたことを背景に私が経験した拙いテスト計画を一部レポートすることとする。実は「快眠」をテーマとしたプロジェクトによるもので、2003年から快眠をテーマとした共同学習を踏まえたテスト計画で以下のような内容であった。

○テスト計画の舞台
地方都市県庁所在地の中心部にあるビジネスホテル。シティホテルを含め大手ホテル6社が競争している極めて激しい市場。
○テスト計画のホテル
25階建、客室数280、/23階フロア全体がレディースフロアとなっており、その17部屋の内2部屋を「nagomi room(なごみ)」としてテストを行った。
○コンセプト&キーワード
「nagomi room」、”ぐっすり眠ってキレイになる”
健美同源から一歩先の眠美同源のルームとして。
○2005年2月1日〜1年間
○ターゲット
30〜50歳のワーキングウーマン
○価格
8500円(税込)」、9000円’是込)
*実はホテル業界は使用ルーム面積比で室料が決められており、テストとなったnagomi roomは通常のルーム面積より大きく高い価格となっていたため、部屋の回転率が悪かった部屋であった。
○快眠のためのアイテム
ベッドについては既存のベッドを使用したが、プロジェクト参加企業からコンセプトに沿って次のようなアイテム商品の提供を受けた。
・加湿器セット ・スチームフットスパ ・フェイシャルスチーマー&マイナスイオンドライヤー ・ジャストパジャマ ・リラックスティー&天然水 ・ホテルオリジナルマクラ ・マットレス
○リラックス&ビューティ8つのプログラム
1、乾燥地がちなお部屋にまず加湿器
2、スッピンになってモード転換
3、ぬるめの半身浴で疲れとストレスをオフ
4、着心地の良いパジャマを着てリラックス
5、リラックスティーの香りに包まれながら
6、プチエステを楽しむ
7、足の疲れを取る
8、快適な寝具で朝までぐっすり
単なる商品説明ではなく、「リラックス&ビューティ」をプログラムとして顧客提案した。
○コミュニケーション
ホテルのHP上でスペシャルルームとして告知。

こうしたテスト計画であったが、快眠ルームnagomi によって新たな顧客が生まれた。nagomi ルーム2部屋によって次のような利用顧客の変化が生まれた。
・nagomi ルームの変化/新規顧客79%アップ リピート客11.3%アップ
・客室の稼働変化/nagomi ルーム2部屋57.2%アップ 
         レディースフロア17部屋15.2%アップ
         ホテル全体250部屋13.3%アップ
稼働率の悪かった2部屋をnagomi ルームに変えることによってレディースフロアのみならずホテル全体の稼働率が高まり経営に大きく寄与する結果が得られた。ホテル予約はnagomiから埋まり、ホテル全体へと広がったことがわかる。「新たなコトを起こせば新たな顧客が生まれる」良き事例を経験した。そして、その新たなコトは小さくても構わないと言うことである。
このことはホテルのみならず、ショッピングセンターにおいても、街づくりにおいても活性化策の基本である。まず点を打つ、次に線を引いてみる、最後は勿論面となるのだが、なかなか面には至らない。前述のブランドのように失敗や挫折もあり、途中で修正することが必要となる。問題なのは最初に打った「点」を忘れないことだ。私の言葉で言えば「点」とはコンセプトのことである。なお、テストに参加し商品の無料提供に対してはnagomiルーム利用顧客へのアンケート照査結果及びテスト結果の成果についてレポートを行った。なおその後のホテルサイドとの取引については個別なものとして2社間で行ってもらうこととした。(後半に続く)」
  
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2021年12月11日

2021年ヒット商品番付を読み解く  

ヒット商品応援団日記No800毎週更新) 2021.12.11

今年も日経MJによるヒット商品番付が発表された。そこで敢えてコロナ禍2年間のヒット商品番付を併記したが、コロナ禍=巣ごもり需要からどんな変化が生まれているかを観ていく必要があると感じたからであった。つまり、ライフスタイル変化がどのあたりに現れているかで、2022年以降の変化の芽となり得るかどうかに着目したかったからである。

2021年
東横綱 Z世代、 西横綱 大谷翔平
東大関 東京五輪・パラリンピック、西大関 サステナブル商品    
東関脇 シン・エヴァンゲリオン劇場版、西関脇 イカゲーム
東小結 ゴルフ、   西小結 冷食エコノミー
2020年
東横綱 鬼滅の刃、 西横綱 オンラインツール
東大関 おうち料理、    西大関 フードデリバリー
東関脇 あつまれ どうぶつの森、西関脇 アウトドア
東小結 有料ライブ配信、   西小結 プレイステーション5

コロナ禍の1年10ヶ月、巣ごもり需要という大きな括りとは大きく異なる消費行動があるとすれば東西横綱のZ世代と 大谷翔平である。次回の未来塾で大谷翔平(ミレニアム世代)については取り上げているのでここでは大きくは触れないこととする。というのも周知のZ世代の上の世代がミレニアム世代で、ある意味対極とは言わないまでも極めて異なる価値観を持つ世代であるからだ。ミレニアム世代についてはかなり以前から多くのことに興味関心を持たない「欲望喪失世代」、私の言葉で言えば「離れ世代」であるのに対し、Z世代はデジタルネイティブと呼称され、周知のTikTokを流行らせた世代である。ちなみにTokは2018年第一四半期、App Storeのアプリダウンロード数で世界一になり、世界的な流行になったアプリである。
つまり、上の世代とは異なりグローバルな世界を日常としてきた世代と言っても過言ではない。この消費旺盛さに着眼したのがguをはじめとしたアパレル企業で世界的な潮流となっているジェンダーレス商品へと一斉に取り組みはじめた。わかりやすく言えば、その嗜好は体のラインが強調されがちなレディース服を着るのが苦手で、ダボっとした大きめのサイズ感で、かつオシャレにも見える男女兼用できる服と言ったら理解できるかと思う。アパレリ企業だけでなく、無印良品でも、2019年から性別や年齢、体形に関係なく着用できるサイズ感の服を売りにした「MUJI Labo」の服が展開されている。
また、デジタルネイティブ世代と言われてきたように、SDGsにも理解共感する世代である。西大関 サステナブル商品にも出てきているが、それまでのエコロジーから更に地球規模の運動への取り組みで、Z世代のが地球市民あることがわかる。

ところで20年と21年を比較し変化があるとすれば、巣ごもり需要の進化であろう。その象徴として挙げられているのが西小結 冷食エコノミーである。レトルト商品・冷凍食品の需要からの進化で、レトルト商品はご当地カレーのように多様な楽しみ方へと変化し、冷凍食品は自販機にまでその販路が広がってきたと言う進化である。
こうした「広がり」はそれまでのメニューに「ちょい足し」して別の楽しみ方ができる調味料の新たな需要へと繋がっていく。あるいは既存のメニュー、袋麺やコンビニ商品を別のメニューへとアレンジし変えていくアイディア料理にまで広がっていく。例えば、袋麺の塩ラーメンを使ったカルボナーラのように。クックパッドでも各部門でアイディアコンテストを行っているが、その受賞メニューを見ていくと従来の調味料を味噌に変えたりして「味変」を楽しむと言った工夫・アイディアが多い。つまり、既にあるものを「変化」させて楽しむ巣ごもり消費である。食品メーカーもどんな食べられ方をしているか調査していく必要に迫られていると言うことだ。よく言われてきたことだが、ここでも「モノ消費」から「コト消費」への進化の広がり、調理を遊ぶと言った進化である。また、流通の側も新たな変化を見せている。例えば、先日成城石井の店で買い物をしたが、行われていたのはシンガポールフェアであった。全国ご当地フェアなどが人気となっているが、旅気分にひたれるテーマにシンガポールとはさすが成城石井だなと感心した。こうした消費変化に対し、「外食産業」も当然巣ごもり消費を超える進化、新しい価値あるメニュー提供をしなけれならないと言うことだ。

巣ごもり消費における年末年始の旅行需要についてだが、昨年と比較し旅行したいという意向を示している生活者は減少しており、コロナ感染がおさまっているにもかかわらず、コロナ禍以前と比較し遠く及ばない。12才未満のワクチン非接種人口を引いた2回接種人口は90%近くにまで進んでいるが、ワクチン効果が減少していることから感染がまだまだ続くとの認識が生活者に広く浸透している。結果、2年前のような旅行へと向かう生活者はまだまだ少ないと予測される。昨年と同様、安心安全にこだわり、行先・移動手段・宿泊先を選択・する、自宅から近いところに車で移動、近しい家族と少人数で1泊2日が主流となっるであろう。感染防止を最優先 した「新常態の安近短」という潮流である。勿論、GOtoトラベルの再開が年明けの1月末に予定されている背景もあるが、まだまだ2年前の需要には遠く及ばない、いや新たなコンセプト、新たな価値に基づいた旅行メニューが求められていると考えるべきで、従来の「あり方」では「新常識」には合致しないと言うことだ。例えば新しい価値あるメニューの一つがキャンピングブームを踏まえた「グランピング」であろう。ここでも顧客・生活者は変わっているのに、まだまだ提供する観光産業が変っていないと言うことである。

最新の家計調査報告を見てもわかるが、8月~10月の消費支出は減少のままである。リベンジ消費などど盛んに消費を促す言葉が流されているが、従来の商品・サービスを求めることではない。支出は減少しているが、貯蓄はその分増えている。将来への不安という要因もあるが、新しい価値ある商品・サービスの創造が徹底的に足らないと言うことの結果である。今、百貨店の正月おせちに話題が集まっているが、年末年始の旅行をやめた代わりの「代替消費」であり、新しい価値観による消費ではない。
次回の未来塾ではZ世代の上の世代であるミレニアム世代を中心に「コト起こし」の可能性について分析を行っている。この世代は欲望喪失とでも表現したくなるように消費という舞台に登場してこなかった世代である。自動車をはじめ、TV離れ、車離れ、オシャレ離れ、海外旅行離れ、恋愛離れ、結婚離れ、・・・・・・執着する「何か」を持たないまるで欲望を喪失したかのような世代で、私は「離れ世代」と呼んでいる。しかし、その「離れ」の一つであるアルコール離れについて大きく変わりはじめている。特に大阪での事例であるが、新しいメニュ~業態が生まれ行列ができる飲食店が数多く登場している。勿論、アルコールに新しい価値を見出したのではなく、「仲間と集うスタイル消費」が創られ、そこにアルコールもあるという飲食業態である。先月2年ぶりに大阪の街を歩いたが、そうした飲食店には若い世代が今なお行列ができており、街の賑わい復活の「核」となっている。(続く)
  


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2021年11月23日

まだら模様の街・大阪 

ヒット商品応援団日記No799毎週更新) 2021.11.23



2年ぶりに大阪の街を歩いてきた。コロナ禍以前と比較し衰退どころか活況を見せている店や街とコロナ禍が鎮静化しても以前の賑わいを取り戻せない店や街、3日間という短い期間ではあったが大阪の友人と共に歩いたレポートである。
まず道頓堀の街、特に南側の法善寺横丁界隈を歩いた。4年前も何回となく歩いたが、当時はインバウンドビジネス、もっと端的に言うならば、中国をはじめとした外国人観光客で溢れかえった街である。飲食店だけでなく、関空と難波を結ぶ南海電車の運賃収入が対前年比130%を超えるほどであった。そして、訪日観光客の足は黒門市場にも及び、賑わいというより、混雑で歩きにくいそんな状態であった。
そんな街であったが、訪日外国人の姿はほとんど目にすることはなかった。戎橋の撮影スポットで写真を撮る日本人の若い世代はいるものの、それも以前とはくらべようもない少なさであった。友人の話であるが、ここ数年キタ(梅田周辺)の開発が進み賑わいのある街となっているが、ミナミ(難波周辺)はほとんど変化はないとのこと。道頓堀はまだ人通りはあるが、路地に一歩入ると、ほとんど人のいない街となっていた。そんな法善寺横丁近くの鍬焼きを食べさせる店に3年ぶりに入ったが、6時半にもかかわらず私一人であった。1時間ほどしてサラリーマン風の二人連れ客が来店したが、店は閑散としたままであった。女将さんに話を聞いたが、緊急事態宣言が解除しても以前のような賑わいがない街になってしまったと。周辺には何軒かシャッターの降りた空き店舗について聞いたが、中国の投資家が物件を買い漁っているとの話であった。



一方、翌日は梅田の駅前ビル、その地下街の飲食店で食事をした。冒頭の写真がその居酒屋であるが、6時半ほどからの飲食であったが、7時過ぎには写真のような漢籍状態となっていた。友人の話ではコロナ禍の最中であったが、通りを隔てた空き物件を取得し繁盛しているとのこと。この一等地である駅前ビルの地下食堂街でもシャッター通りとなっているところが数カ所あり、前日の法善寺横丁界隈の空き店舗状態と変わらない光景がそこにはあった。キタとミナミという街の違いよりも、活況と衰退、いわば明暗、まだら模様のような街へと変貌しているということであった。
その理由であるが、キタの駅前ビルの地下飲食店街で活況を見せている居酒屋にそのヒントの一つがあった。2年前に訪れた時もそうであったが、なかなか美味しい料理を出す店であったが、最初に出された「突き出し」に驚かされた。それは3切れではあったが、中トロのマグロであった。勿論、味は申し分なく美味しかったが、全体として「クオリティ」が高くなった感がした。コロナ禍という苦境を乗り越えるには従来通りのやり方では顧客を取り戻せないということであろう。
また、活況を見せる店にはもう一つの理由があることがわかる。コロナ禍以前、3年ほど前になると思うが、大阪駅ビルにおける三越伊勢丹の撤退それに伴うニューアルした商業施設ルクアイーレについてである。覚えていらるだろうか、特にルクアイーレ地下の飲食街バルチカで行列ができた2店について。名物洋風おでんとワインが楽しめる店「赤白」と海鮮が安いだけの店「魚屋スタンド ふじ子」である。共に「安さ」を楽しめる店であるが、顧客層は異なるが、その安さがライフスタイルを定着させている点にある。デフレ時代の成功事例として、100円ショップから始まり、ユニクロ・gu、ニトリ、アウトレット、訳あり商品群、・・・・・・・・飲食業界もデフレは無縁ではない。しかも、メニューにおけるクオリティアップを踏まえた「スタンダード」が求められているということであろう。コロナ禍以前の価格・メニューでは顧客を取り戻せないということだ。そして、思い切って従来のスタンダード、常識を変えることができた店は逆に成長できる時代を迎えたということである。ちょうど米国ア・リーグのMVPに大谷小片が満票で選ばれたとうに、つまりそれまでの常識を変えることができるかどうかである。

また、阪神百貨店の地下にあった立ち食いのフードコートがリニューアルしたとのことで観てきた。イカ焼きという名物メニューで大阪の人間であれば知らない人はいないちょい飲み・立ち食いスナックパークであるが、その4店が別の場所に移設してしまった。移設は本館の建て替えのためであるとのことだが、移設した場所には徒歩5分ほどかかり、以前のような大阪らしい一種の猥雑さがまるでない、極めてつまらないスナックパークとなっていた、午前中ということもあって閑散としていたが、名物イカ焼きだけには行列ができていたが、なんとも言えない感慨を持った。それは感染拡大の感染源の一つとして指摘されたフードコートのリニューアルであり、「密」を避けるために各店が間仕切りされた店作りとなっている。しかし、もう少し蜜を裂けながらも気軽に立ち食いできる雰囲気ができたはずである。これもまたコロナ禍によってつくられた否応のない「現実」なのであろう。
実は一箇所観ておきたい商業施設があった。それは3月にリニューアルオープンした心斎橋パルコの心斎橋ネオン食堂街で東京渋谷のパルコと同じレトロ・横丁コンセプトによるテーマパークである。3年前に大阪空堀の人気店「その田」が出店しているとのことで時間があればどんなMD編集をしているかを実感したかったが次回とした。というのも東京渋谷パルコのMDは失敗したと思うが、大阪の場合は「その田」をはじめ「赤白」「魚屋スタンド」「立呑み処 七津屋」など以前取り上げた店が出店していることからある程度わかっているので、ただ若い世代の賑わい・人出を観てみたかったというのが本音であった。

今回大阪の街を歩いて感じたことは、活況を見せる店と衰退・閉店した店とがまだら模様のように偏在している光景であった。こうしたまだら模様と化した街は2008年のリーマンショック後のデフレの大波が押し寄せたヒット商品群の光景を思い出した。2009年のヒット商品には激安ジーンズが西の横綱にランクされ、規格外商品(訳あり商品)」が本格的に広く市場化した年であった。勿論、デフレ経済は今なお続いており、生活者のライフスタイルに定着しているのだが、今回のコロナ禍によって否応なく勝者と敗者が生まれたという印象であった。東京においても更に「安い」価格で勝負に出てきた飲食店があるが、顧客を呼び戻すには一つの方法であろう。今までの消費心理は京都に残る生活の知恵、ハレの日とケの日の生活価値観によく似ていた。ケの日、つまり普段は「始末」して暮らし、ハレの日はパッと華やかに。そうしたメリハリのある生活習慣が、食=台所に深く浸透している。「しまつ」とは単なる節約ではなく、モノの効用として使い切ること、生かし切ることである。今風で言うならばコストパフォーマンスという意味で、コスパ型ライフスタイルと言っても間違いではない。このコスパライフスタイルがまだら模様の街を創っている。特にそのパフォーマンスが一段とクオリティアップしているということである。ハレの日への切り替えはまだまだ先ということだ。ちなみに2009年以降3年間ののヒット商品版付は以下の通りである。
2009年
東横綱 エコカー、 西横綱 激安ジーンズ
東大関 フリー、    西大関 LED
東関脇 規格外野菜、西関脇 餃子の王将
東小結 下取り、   西小結 ツィッター
2010年
東横綱 スマートフォン、 西横綱 羽田空港
東大関 エコポイント、    西大関 3D
東関脇 猛暑特需、西関脇 LED電球
東小結 200円台牛丼、   西小結 坂本龍馬
2011年
東横綱 アップル、 西横綱 節電商品
東大関 アンドロイド端末、    西大関 なでしこジャパン
東関脇 フェイスブック、西関脇 有楽町(ルミネ&阪急メンズ館)
東小結 ミラーイース&デミオ、   西小結 九州新幹線&JR博多シティ

こうしたデフレの進行と共に外食産業ではある意味大きな事件が起きたことを思い出す。その一つがファミリーレストランである。1970年代ホテル並みの料理&サービスを手の届く価格で提供するという業態は、すかいらーくを先頭に全国へと広がった。その後、多様な外食産業、特に回転寿司などとの競争のなかで、リーマンショック後不採算店をスクラップしてきた。すかいらーく500店、デニーズ200店、ロイヤルホスト100店大手3社で800店が撤退する。
そして、このデフレの波を乗り越えたのが新規メニューの導入で、私が今回大阪で感じた「クオリティアップ」であった。デニーズやロイヤルホストは初めて2000円台のステーキメニューを出し、顧客単価も1000円台にまで戻し本来の安定経営を行なっている。これも、顧客需要に見合った規模へと再編・縮小した結果ということだ。
東京をはじめとした外食チェーンの動向については把握してはいないが、撤退縮小が進んでいるとのニュースは届いてはいる。「食べに出かける」という強い動機付が必要となっているということである。大きなパフォーマンスは必要ないが、例えば「突き出し」の事例ではないが、小さな驚きが求められているということだ。大阪の場合、アルコール離れ世代と言われてきた若い世代が飲食の現場に戻ってきており、街再編という消費の主役になっていた。
次回の未来塾ではもう少し俯瞰的にコロナ禍によって露わになった日本の「今」を分析し、何が課題となっているかをレポートしていくつもりである。(続く)
  
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2021年10月10日

未来塾(44) 下山から見える風景 後半  

ヒット商品応援団日記No798毎週更新) 2021.10.10

今回の未来塾は緊急事態宣言が解除され、1年8ヶ月のコロナ禍を通し、どんな価値観の転換が起きているか、その先にあるウイズコロナ、コロナとどう向き合っていくのかを戦後の時代変化を踏まえ考えてみた。特に、バブル崩壊以降大きな時代潮流である「昭和」、特に昭和30年代に注目し、その価値観変化を学ぶこととした。




「コロナ禍の風景」から学ぶ


コロナ禍によって失ってしまったのは人と人との関係でその変容してしまったことの回復であった。その象徴として「温もり」をキーワードに挙げた。それは仕事の関係のみならず、日々の買い物や飲食など社会生活全般に及ぶ変容であった。そして、、こうした人間関係の変容は教育の場における教師と生徒の場合も同様で、「距離」を取ることがいわば強制的された1年8ヶ月であった。
昭和30年代に注目が集まったのもこの「距離」のない、手を伸ばせば触ることのできた時代であったからである。ソーシャルディスタンス、社会的距離を取ることを半ば強制され、会いたくても会えない時間が長く続いた。その象徴が小学校における給食の「黙食」であろう。お喋りしながらの給食は生徒にとって一番楽しい時間であった。アクリル板越しの会話、大人の場合でも同様で仕事を終えての同僚との一杯も無い関係が続いた。休日ともなれば、ゴルフやジョギングなど「密」を避けたオープンエアーなスポーツを選ぶ。移動も自家用車を利用したり、公共交通の場合でも混雑を避けての時間帯に移動する。
そうした中ワクチン接種も進み、経口治療薬の開発も間近のようだ。コロナ禍の出口、ウイズコロナという日常が戻ることとなるが、1年8ヶ月前の「日常」ではない。見えない変化ではあるが、仮説を含め考えてみたい。

新しい「生き方」が生まれた

コロナ禍の1年8ヶ月は否応なくそれまでの「考え」を今一度内省する時間でもあった。人との関係を取るとは自身の心の内へ内へとそれまでの「考え」を問い直し事へと向かう。それは世代を含め育った環境、働く状況によって、100人いれば100通りの答えとなる。
そうした100通りの中に特筆すべき新しく生まれた「人生」がある。その一つはテレワークによってオフィスに出社しなくても済むことから住まいを郊外に移す「動き」である。この動きは当初は都心から少し離れた郊外マンションなどへの移転であったが、現在は東京の三多摩のように過疎化が進む地域への移住である。青梅市のように移住への支援もあり、都心の高い家賃より少々不便でも自然を満喫できるところへの移住である。東日本大震災における原発事故の時は、地方への「避難」であったが、今回のコロナ禍ではネット環境が整備されていれば「田舎暮らし」も楽しめる生き方である。但し、都心にも出かけることができる距離であることが条件である。ちなみに青梅駅から東京駅までの所要時間はJRの快速で1時間半ほどの近さである。
もう一つの人生が『FIRE』と呼ばれるグループである。FIREというのは文字通りFinancial Independence『経済的自立』とRetire Early『早期退職』の造語である。株高を背景に『FIRE』は裾野を広げており、企業・仕事に縛られることなく、自由なライフスタイルを楽しむ、そんな生き方である。若い世代の価値観について貯蓄好きな合理主義者であるとブログにも書いてきたが、コロナ禍によって生まれた進化系で、その代表的な世代がミレニアム世代である。ミレニアル世代は、1980年から1995年の間に生まれた世代と定義されている。現在25歳から40歳を迎える世代で、以前日経新聞が「under30」と呼び、草食世代と揶揄された世代のことである。ちなみに消費において注目されているZET世代はミレニアム世代の下の世代である。

こうした2つの新しい「動き」はいわば登山途中の風景である。昭和が「貧しくても夢があった」時代との比較で言えば、「豊かで自由がある」時代となる。ある意味、個人化社会が進化した一つの風景であろう。こうした傾向は既に社会に広がっている。例えば、上司からの飲み会は断るが仲間とは行くようなことだが、それは会社組織だけではない。例えば、働き盛りの世代、それも既婚男性が仕事を終え自宅にストレートに戻らずに一種の「自由時間」を楽しんでいる人物を「フラリーマン」と呼んでいる。これはNHKが少し前にこのフラリーマンの姿を「おはよう日本」で放送したことから流行った言葉である。
都市においては夫婦共稼ぎは当たり前となり、夕食までの時間を好きな時間として使う、フラリーマンが増えているという。書店や、家電量販店、ゲームセンター、あるいはバッティングセンター…。「自分の時間が欲しい」「仕事のストレスを解消したい」それぞれの思いを抱えながら、夜の街をふらふらと漂う男性たちのことを指してのことである。
実はこうした傾向はすでに数年前から起こっていて、深夜高速道路のSAで停めた車内で一人ギターを弾いたり、一人BARでジャズを聴いたり、勿論前述のサラリーマンの聖地で仲間と飲酒することもあるのだが、単なる時間つぶしでは全くない。逆に、「個人」に一度戻ってみたいとした「時間」である。

求められているのはこの時代の「人生観」

こうした社会現象は個人化社会から生まれたものだが、求められているのは個々人の「生き方」「働き方」である。
企業運営においてはワークライフバランスをとりながら、リーダーへの求心力が求められる、一方テレワークのようにコロナ禍は逆に「拡散」を進めていくこととなった。それまでは企業の持つ目標を共有するために、職場単位のパーティを行ったり、社内運動会といったイベントを行い「気持ち」を一つにすると、つまり求心力を目指す企業運営が行われてきた。創業者がリーダーでいるソフトバンクやユニクロ、あるいは楽天のような企業はリーダー自身が「求心力」となるが、コロナ禍では「集まること」「心を一つにすること」が不可能となってしまった。冒頭でコロナ禍で失ったのは「温もり」であったと書いたが、企業も社員との温もりを失ったということである。
ワクチン接種を2回済ませても、時間の経過と共に十分な抗体が維持できない場合もあり、3回目の接種が検討されている。つまり、以前のようなビジネススタイルには戻らないということだ。新しい「働き方」、生き方が個々人にも企業にも求められているということである。しかも、AIはどんどん進み、単なる「人手」を必要としない時代がすぐそこまで来ている。

江戸時代成熟した元禄バブルを経て、「浮世」という人生観を手に入れた江戸の人達と同じように、平成から令和の時代においても江戸の浮世のような新しい人生観が求められることとなる。
アニメ「となりのトトロ」における「子供にしか会うことができない不思議な生き物」が何であるのかという「問い」である。またその「子供」は誰なのかという問いでもあるが、『FIRE』と呼ばれるグループなのか、ライフスタイルをより合瓜的に送ろうとする移住する人たちなのか、おそらくもっと自由に合理的に生きようとする人もまた出てくるであろう。
そうした中、サントリーの新浪剛史社長が、「45歳定年制」の導入について提言したことが話題となっている。「定年」という言葉は年功序列制から生まれたものであまり良い表現ではないが、その本質は「このままの働き方では企業も個人も共に成長が望めない」ということに他ならない。

実は江戸時代における「浮世」には「自由な生き方」という人生観が中心となっている。浮世と言うと何かふわふわとしたいい加減な生き方を思い浮かべがちであるが、実は真逆な人生観である。江戸の人たちは「人間一生 物見遊山」と考えていた。生まれてきたのは、あちらこちら見聞を広め、友人を作り死んでいけば良い」とした人生観で、そこには「自由」を楽しむ人生と言うことである。但し、そこにはそうした生き方を貫く覚悟があった。例えば、江戸時代の最大の楽しみはお伊勢参りをはじめとした旅行であった。商家の旦那衆のようにお金を使った豪勢な旅行もあれば、ヒッチハイクのような旅、旅籠で働きながらお金を貯めて旅を続けると言った自由な旅もあった。こうした旅に不可欠なのが「通行手形」で日本全国旅することができた時代である。この通行手形には「私が死んだらありあわせの所に埋めてください、亡骸を送り戻す必要はありません。」と書かれているものが多かった。生きるも死ぬも自分の判断、他人のせいにはしない。「物見遊山という自由な生き方」とはこうした明快な人生観である。
いずれにせよ、令和の時代の「浮世」が求められているということだ。

「温もり」食堂という「生活文化」

最も日常を感じさせてくれるのは「食」である。家計調査の支出を見ても分かるように、長引く巣ごもり生活の「食」は仕事を持つ場合は「デリバリー」を利用したり、子供のいる家庭では3度の食事を作ることに苦労した。当然、冷凍食品やレトルト食品などの利用が加速する。しかも、変化をつけるためにご当地のレトルト食品が人気で都心にあるアンテナショップに多くの人が訪れている。こうした現象は「外食」への規制によるものであるが、それは極めて自然な心理的反応である。
そうした中、巣ごもり生活の一番のヒット商品はホットプレートで、その簡便さと共に「手作り」の楽しさに共感したからである。また、キャンピング人気で使われるキッチン用品も人気だ。100円ショップのダイソーもアウトドア商品が充実されており、手軽に室内のテーブル上で料理できるグッズがよく売れている。特に、ソロキャンプ用のキンチン用品の活用など単身者には好評のようだ。
求められているのが「手作り」の楽しさであり、外食の基本中の基本、外食の存在理由である「温もり料理」であることは間違いない。
一方、コロナ禍によって時短営業や酒類の提供ができないことから「外食」、特にチェーンビジネスは大きな痛手を被っている。回転寿司のスシローのように本業である回転寿司業態の他に駅などでの小型持ち帰り店舗による売り上げが貢献し業績は好調である。こうした好調な外食はマクドナルトを筆頭にごく一部であって、多くのチェーンビジネスは非採算店舗の閉鎖によってなんとか生き延びているのが現状である。




ところで「温もり」を感じさせてくれる業態と言えば、なんと言っても家族で切り盛りしているような「食堂」であろう。家庭の味、おふくろの味、なぜか懐かしさを感じてしまうのが食堂である。チェーンストアに押され、特に後継者がいないことからどんどん少なくなっているのが現状である。
そうした中、青森には「100年食堂」と呼ばれる大衆食堂が数多くある。地域の人たちが100年かけて育てた食堂である。店の人たちだけでなく、顧客もまた受け継いで行くもので、そうした感じる「何か」を生活文化と呼ぶ。
実はここ数年沖縄に行っていないが、1990年代後半からは沖縄の街の横丁路地裏歩きを目的に年に数回は訪れていた。そのきっかけになったのは観光客が必ず訪れる牧志公設市場から先、市場本通り奥を歩いた時、2人のお年寄り、おばあおじいの会話を聞いた時であった。まるで会話内容が分からない、単なる方言の分かりにくさでは全く無い外国に来ている感がした。国際通りという観光客向けのお土産通りから一歩路地に入るとそこには「沖縄」があった。その不思議な生活に魅せられた。その不思議さはライブハウスにおける琉球民謡とOldaysというある意味異質な音楽の魅力もあって那覇を中心に北は嘉手納、南は糸満。観光の島であることから一通りの観光地にも行ってみた。その観光地も沖縄らしさがあって北は巨大なジンベエサメのいる美ら海水族館、南は琉球の創世神話に登場する「斎場御嶽(せーふぁうたき)」のように奇妙な観光地にも興味があった。
しかし、中でも一番こころ動かされたのは沖縄の「食」であった。その食は至る所にある「食堂」で、沖縄の人たちの胃袋を満たしていた。都市にある天ぷらやうなぎ、あるいはとんかつといった専門店はほとんどなく、食堂には沖縄そばをはじめゴーヤなどのチャンプルー類といった炒め物があって、どの店にも必ず「ポークたまご」というメニューがあった。その多くは焼いたSPAMと目玉焼きといった単純なものである。中でも「ちゃんぽん」というメニューがあって、勿論長崎ちゃんぽんではなく、SPAMの入った野菜炒めを沖縄そばのスープで蒸し煮したものに卵をとじた物をライスに載せたものである。一時期このちゃんぽんを食べ歩いたが、ある時ふと思ったのは食堂は沖縄のファストフードなのだと。行列など全くしない沖縄人の気質に沿った早い、うまい、安い、しかも米軍文化をも取り入れたまさにゴチャ混ぜ文化、チャンプルー文化の象徴であると変な納得をしたことがあった。

そして、その生活文化の中心には必ず「あるもの」がある。それは使命感であり、それまで精進してきたこだわりで、もう少しビジネス的に言うならば、ポリシーとコンセプトということになる。使命感やこだわりは必ず「表」に出てくるものである。いや、表に出てこないものには使命感もこだわりもないということだ。「外見」は一番外側の「中身」であり、それは一つの「スタイル」となって、私たちに迫ってくる筈である。
「文化」は極めて感覚的な言葉である。ある人にとっては感じ取れるが、別の人にとっては異なる。そんな「感覚」が長く続いていくが、継承されていくには様式化されていくことが必要となる。
そんな様式化された「食」の一つが幕の内弁当であろう。江戸時代の芝居文化から生まれたと言われているが、コロナ禍の初期東京歌舞伎座前の弁当店「木挽町辨松」が152年の歴史を閉じ廃業したことが話題となった。これも芝居観劇には欠かせない、芝居好きが育てた一つの「様式」「スタイル」として続いたものである。
コロナ禍の1年8ヶ月は間違いなくこの「文化」を思い起こさせるものと考える。それは温もりを感じさせてくれるメニューであり、スタイルであり、それまでの「日常」を想起させてくれるものだ。

「旬」への気づき

そして、文化と共に気付かされるのが久方忘れていた季節・旬であろう。日常の取り戻しの第一歩は季節であり、旬である。人と人との距離だけでなく、コロナウイルスによって季節との距離もまた大きく遠ざかってしまった。
本来二十四節気は中国の暦であるが、日本ではそうした旧暦は既に暦としてはないが、ある意味季節を感じさせてくれる「季語」のような役割を果たしてくれている。そして、季節の気候に即して、土用、八十八夜、入梅、半夏生、二百十日などの「雑節」と呼ばれる季節の区分けを取り入れた。このように季節と生活とが一体となった生活歳時が行われてきた。こうした歳時が残っているのは京都が代表的な街であるが、地方にもこうした歳時は前述の季節の地産地消「津軽百年食堂」にも当てはまる。

これからの消費行動を考えていくと、この季節・旬を求めたものとなるが、まずは「過去」の消費を辿ることから始まるであろう。思い出消費としての旬である。周知のように季節の境目がなくなり、「旬」が」いつであったか思い出す時代となった。更に、物流を始め冷凍あるいは冷蔵技術の発達によって、1年中旬を体感できるようになった。ある意味「旬」は思い出の中にしか存在しなくなっている。その思い出を辿ることができるのは「老舗」である。つまり、「文化食」ということになる。

思い出を辿る旅

緊急事態宣言解除によってこれ方したことは何かと多くの調査が行われているが、この1年8ヶ月失ってしまった旅行と人に会いにいくと6割状が人が答えている。ワクチン接種も2回済ませた人も60%になり、Gotoトラベルなど支援をしなくても若い世代もシニア世代も旅行の目的や内容は異なるものの「旅」へと向かう。江戸時代の旅は通行手形を必要としたが、コロナ禍においてはワクチン接種書と陰性証明書となる。
この1年8ヶ月会いたくても会えなかった両親や父母、あるいは仲間との出会いの旅、故郷を訪ねる旅が始まる。勿論、「温もり」を求めての旅であるが、実は1年8ヶ月という「過去」を辿る旅である。恐らく大きくは「思い出」を辿る旅がこれから始まる。
これから始まる旅は100人いれば100の旅がある。登山・下山という視座で旅行を見ていくと、若い世代にとっての思い出旅行は新しい、面白い、珍しい旅行、そんな登山の旅行となる。シニア世代の場合はどうかと言えば下山の旅行、私の言葉で言えば「人生旅行」となる。

若い世代、その象徴としてミレニアム世代をあげたが、感染症の専門家あるいは行政もマスメディア特にTVメディアは間違った理解をしてきた。1年以上前から指摘をしてきたので繰り返し書くことはしないが、今回の急激な感染者の減少にも大きく関わっていると考えている。多くの感染症専門家もこの減少理由をまともに答えることができないでいる。9月28日のブログで次のようにその減少理由を書いた。

『今回の第五波においては「8月上旬感染者数が5000人を超え、入院できない状態、自宅療養者が急増、入院すらできない状態」というシグナルによって強く「行動の自制」が働いた結果であると。もう一つの理由があるとすれば、高齢者へのワクチン接種効果により感染者が減少しているという事実であろう。つまり、生活者・個人はこれまで1年8ヶ月の学習から明確に行動を抑制したり、緩めたりしているということだ。つまり「シグナル」に反応してハンマー&ダンスを自身で行った結果であるということである。』

その生活者・個人の中心にはこの若い世代、ミレニアム世代も含まれている。リスクある行動を強く「自制」に向かわせた証拠としてお盆以降渋谷や新宿歌舞伎町の「路上飲み」は無くなっていく。その後東京都は予約無しでもワクチン摂取ができるとし先着順という考えられない計画を実施する。結果、深夜から並ぶ若者が出る始末。翌日は抽選方式に変更するのだが、隣の駅の原宿にまで行列が続く。・・・・・こうした若い世代の行動に対し、誰一人まともなコメントをする人物・メディアはいない。
さて本題に戻るが、「新しい、面白い、珍しい旅行」に向かうと書いたが、私の言葉で表現するならば、「都市観光」旅行となる。宣言が解除され「東京」いう街は動き始める。そこには「変化」が次々と起こるであろう、その変化を求めての旅である。友人・仲間を連れ立って街へと出かけるのだ。その中には昭和レトロな喫茶店でクリームソーダを飲むこともあるだろう。おしゃれ欲求も動き始め、やっとファッション関連商品の消費も活況を見せるであろう。オンライン授業から以前のような対面授業も始まり、同時にアルバイトにも精を出すであろう。ミレニアム世代は草食世代と揶揄された世代である。情報にも精通し、注意深く社会を見るであろう。つまりリスクある行動はこれからもとらないということだ。これが登山途中の若い世代のハンマー&ダンスであり、「日常」の取り戻しである。




さてシニア世代の旅を「人生旅行」と呼んだ。今一度下山途中の尾根からこれまでの登山を振り返る、そんな旅行である。シニア世代がよく聞いた歌手井上陽水に「人生が二度あれば」という曲がある。亡き父を想い「次なる人生を楽しんでもらいたかった」とする曲である。二度目の人生を送ることはできないが、記憶を辿り追来県する旅もある。ある意味、人生を振り返り追想するする旅である。やり残したことはないか、少しでもこれからできることはないか、と考える修行の旅と言えなくはない。
ところで周知のように厳しい修行を行うことで功徳を得るとされる修験道によって開かれている四国遍路。空海の修行の足跡を巡る巡礼の旅には10万人とも20万人とも言われ、そのうち歩き遍路が約5~6千人、マイカーが約3万人から4万人、残りの11万人ほどが巡拝バスによると推測されている。若い時代と比べ体力は落ち自由奔放に動くことはできないが、少なくとも思い出旅行はできる。65歳以上の高齢者のワクチン摂取率が報告されているが、9月末現在2回目の接種済みはどの地域も90%前後で、東京都の場合は86.82%である。「自制」を解き、慎重に旅へと向かう。
この世代の特徴は小学校の時に体験した給食世代と言われるように、「空腹」を実感してきたことから「食」への執着は大きい。そうしたことから「食」の思い出を辿ることとなる。まずは近くにある馴染みの「食堂」に足が向かうであろう。

夢中になれた時代

「昭和」という時代を一言で語るとすれば、それは夢中になれた時代であったと言えよう。その夢中さとは生きることに必死であった。「何」も持たない荒廃した日本もまた生きるに必死であった。なかでもエネルギー源を持たない日本にとって石油メジャーが支配する産油国とのパイプを作ることはまさに必死であった。昭和28年出光は石油を国有化し英国と抗争中のイランへ日章丸を極秘裏に差し向けガソリン、軽油約2万2千キロℓを輸入する。後に日章丸事件と呼ばれるように画期的なことであった。
今回取り上げたホンダは創業者本田宗一郎はまだ創業8年バイクの販売で急成長している時のインタビューで次のように答えていた。
「乏しい金を有効に活かすためには、まず何より、時を稼ぐこと」「うちのセールスマンは、給料を出さないお客さんなんです。このセールスマンを育てるには、品物を育てなければならぬということです」「エンジン屋はエンジンばかり、オートバイ屋だからおまえはオートバイしかできないというような考え方が、そもそも間違っているんだ」と。(「東洋経済新報」1954年11月13日号より)
まさに「物づくり日本」の原点・ポリシーを語っている。その後のホンダの成長は周知の通りである。前述のように国産ジェット機の開発販売という「夢」は今もなお継承されているということだ。成長と共に、人も増え、組織も複雑化する。更に技術革新という専門化が進み、しかも創造性が全てに問われる時代となった。そんな転換期にあって、ホンダには「となりのトトロ」における「子供にしか会うことができない不思議な生き物トトロ」が住んでいるということだ。

つまり、「トトロ」は今もなお生きているということである。少し飛躍してしまうが、コロナ禍によって苦しんでいる多くの企業、いや生活者・個人にもトトロはいるということである。作詞家阿久悠は「心が無いとわかってしまうと、とても恐くて、新しいモラルや生き方を歌い上げることはできない」と語り歌づくりを断念したが、「昭和」に住むトトロは世代を超えて、企業に、街に、生活者のこころの中に脈々と住み続けている。今回のコロナ危機はそうしたトトロの存在を広く表舞台へと浮かび上がらせてくれた。








  


Posted by ヒット商品応援団 at 10:47Comments(0)新市場創造

2021年10月08日

未来塾(44) 下山から見える風景 前半  

ヒット商品応援団日記No798毎週更新) 2021.10.8

今回の未来塾は緊急事態宣言が解除され、1年8ヶ月のコロナ禍を通し、どんな価値観の転換が起きているか。その先にあるウイズコロナ、コロナとどう向き合っていくのかを戦後の時代変化を踏まえ考えてみた。特に、バブリ崩壊以降大きな時代潮流である「昭和」、特に昭和30年代に注目し、その価値観変化を学ぶこととした。



  コロナ禍を超える(1)

「下山から見える風景」


価値観の転換が迫られる時代の
コロナ危機。
注目される「昭和30年代」の意味。


失われたものを求めて

1年8ヶ月前、「未知」のウイルス、新型コロナウイルスという感染症に向き合ったが、それは「未知」であるが故、疑問への答えは留保してきた。留保と言うより、疑問を心の中に押し殺していったと言うのが本音であろう。
そして、コロナ禍を経験して、多くの経験の中、問題・課題があらわになった。生活実感から見ていくと、給付金支給の混乱と遅れに見られたように、いかにIT化、デジタル化・システム化があらゆるところで遅れていたか。国民皆保険という誇るべき制度を持ち病床数も世界で有数の医療を持っていると言われてきた日本であるが、残念ながら感染症には対応できなかったこと。こうしたことは個々の専門家にその評価を任せることとし、私の専門分野はやはり「消費」を中心とした生活者のライフスタイル変化にある。
感染症によって失った生活実感の第一は、人と会うことができなくなったことである。その象徴がソーシャルデイスタンス、人との距離を保つことであり、不要不急といった行動の制限となった。テレワーク、リモートによる会議といったビジネス変容から始まり、「多人数による会食」の制限、・・・・・・・つまり、人間が本来持っていた人と人との「つながり」、単なる通信としての繋がりではなく、人が持つ「温もり」の交感を失ってしまったことであろう。しかも、強制としてのそれだけではなく、「自制」によるものであり、自らの精神世界に大きな影響を及ぼした。
その精神世界であるが、2018年のベストセラーに「漫画 君たちはどう生きるか」(吉野源三郎著)があった。80年前の児童小説の漫画化である。10年ほど前からエンディングテーマである「終活」が静かなブームになり、最近ではTV番組「ポツンと一軒家」のような人生コンセプトに注目が集まる時代となっている。不確かな時代、不安の時代にあっては、世代に関係なく「どう生きたら良いのか」という人生の時代になったということである。背景にあるのは個人化社会が進めば進むほど、「生き方」が求められるということだ。

コロナ禍が始まって1年半、ワクチン接種も50%を超えるまで進んできた。一方、デルタ株という新たな敵によって7月下旬以降感染が急激に拡大し8月13日には5300名を超える。しかし、お盆休み以降「人流」は増加しているのに感染者は急激に減少する。人流の増加が感染拡大を促すと言っていた感染症の専門家は誰一人真逆の結果である減少理由を説明することができないでいる。私に言わせれば、ワクチン効果もあるが、最大の理由は個々人の「自制」によるもので、その自制を促したのは感染者数と共に「膨大な自宅療養者数」、そのシグナルによるものである。「セルフダウン」という自己管理を再び始めたということだ。そこでこれからはタイトルにある「下山から見える風景」として、まだまだ続くある意味でポストコロナ・ウイズコロナのライフスタイル変化を見据えた分析の第一歩を踏み出すこととした。

「下山」という視座

タイトルにある「下山」とは作家五木寛之の「下山の思想」からのものである。「下山」とは戦後日本の時代変化を表現したもので、簡略化して言えば、荒廃した日本から周知のように成長を果たし、今日に至っている時代の変化を「登山」に喩えて今はどんな時代にいるのかを俯瞰して見せた著作である。五木寛之はその著書の冒頭で「いま 未曾有の時代が始まろうとしている」と書き、いや既に始まっているとも書いている。私の言葉で表現するとすれば、「いま またパラダイムチェンジ(価値観の転換)が始まろうとしている」と言うことになる。実はこの「パラダイムチェンジ」と言うキーワードが社会へと広く浸透したのは1990年代初頭のバブル崩壊後であった。今回のコロナ禍はバブル崩壊に匹敵するようなものではないと思うが、少なくとも価値観の転換を促したことは事実であろう。
今回のテーマは「下山」から見える生活者の風景、戦後の成長結果を「成熟」として見ていくならば、ある意味停滞、いや立ち止まったままの社会経済にあって、「次」への着眼を見出せるのではないかと言う仮説のもとでのテーマ設定である。
コロナ禍によって疲弊したのは日本の社会経済ばかりでなく、一人ひとりのこころが壊れてしまう寸前の状態にいる。壊れてしまった飲食事業、観光産業、・・・・・・・・そうした社会経済の前に、まずは一人ひとり生活者個人の「こころ」を立て直さなければならない。つまり、医療をはじめ多くの「危機」が指摘されてきたが、実はコロナとの戦い方を改めて問い直すことが問われている。どのように危機に立ち向かうかを下山という視座で乗り越えるという試みである。下山とは既に登山を終え山を降り日常に向かう途中のことである。登山途中にも多くの危機に出くわし乗り越えてきた。下山とはその危機に立ち向かう知恵や経験に学ぼうということである。

「過去のなかに未来を見る



”過去に向かう「遠いまなざし」という。人間だけに見られる表情であろう。”と、三木成夫はその著書「胎児の世界」(中公新書)の「まえがき」に書いている。記憶とは回想とは無縁の場で、「生命」の深層の出来事で、遠い過去が、突如、一つのきっかけでよみがえってくると。三木成夫は人類の生命記憶、胎児の世界を書いたものであるが、数十億年という生命誕生の過去を遡ることはできないが、人は時に立ち止まり、過去へと想いは向かうものである。
ところで2005年度の日本アカデミー賞を受賞した映画に「ALWAYS三丁目の夕日」があった。西岸良平さんのコミックを原作にした昭和30年代の東京を舞台にした映画である。ここに描かれている生活風景は単なるノスタルジックな想いを想起させるだけではない。そこには物質的には貧しくても豊かな生活、母性・父性が描かれ忘れてしまった優しさがあり、そうした心象風景で泣かせる映画である。おそらく潜在的には既にあったものと思うが、昭和回帰という回想としての社会現象が一斉に表へと出てきたその先駆けの一つであった。
そして、もう一つが冒頭の画像、宮崎駿監督のジブリ作品「となりのトトロ」であろう。ストーリーは「ALWAYS三丁目の夕日」とは異なるが、同じ昭和30年代前半の日本を舞台にしたファンタジーアニメである。田舎へ引っ越してきた草壁一家のサツキ・メイ姉妹と、子どもの時にしか会えないと言われる不思議な生き物・トトロとの交流を描いた作品である。ジブリ作品の中では初期のアニメ映画であるが、大ヒット作となる「千と千尋の神隠し」(観客動員数2350万人)や「もののけ姫」(1420万人)などと比較すると、わずか80万人であった。しかし、同じ昭和30年代と言う「時代」をテーマとし、そこに生きる人間を描いた点は共通している。「となりのトトロ」における子供にしか会うことができない不思議な生き物トトロとは「大人」が失ってしまった「何か」のことであり、宮崎駿監督の言葉に変えれば工業化、都市化、世界化・・・・・・・経済成長という豊かさと引き換えに失ってしまった「何か」のことである。つまり、今なお大きな潮流となっている昭和レトロ、その中心である昭和30年代の「何か」を描こうとしたかである。
それは、「となりのトトロ」をはじめとした初期作品には以降のジブリ作品の「原型」がある。多くの映画制作がそうであるように、時代の変化と共に観客が求める「多様なテーマ」を取り入れていくこととなる。それは危機の時に常に言われる「創業の精神に立ち返る」ではないが、企業の場合も同様実は立ち返るべき「何か」が語られているからだ。

昭和30年代という時代

昭和という元号の時代は戦前からであるが、昭和レトロのように広く使われるようになったのは戦後であり、平成の時代との比較において使われ、特にバブル崩壊の意味を問う場合が多かった。バブル崩壊以降は失われた30年とも言われるように戦後昭和の高度経済成長期と比べ平成は低成長期・沈滞の時代と言われる。そんな表現をされる戦後昭和の活力、物質的には貧しくても多くの人が生き生きとした時代の象徴として「昭和30年代」があった。つまり、敗戦、荒廃した社会経済、勿論そうした混乱の中生活する人々の「こころ」はどうであったか。まさに日本の登山が始まった時期であった。
1965年11月からのいざなぎ景気と比較される2002年からの平成景気との違いは数字上だけでなく、例えば昭和のいざなぎ景気時代は「Always三丁目の夕日」のような集団就職の時代と就職氷河期を終えた売り手市場の平成就職時代との比較。いや、そもそも比較の前提であるが、昭和の団塊世代は大学卒は全体の15%で中高卒が85%であったのに対し、平成・令和の今はほとんど短大を含め大学全入時代である。年々給料が増えていった1億総中流時代の団塊世代に対し、安定を求める平成・令和の若者の幸福感とは決定的に異なる。昭和30年代とは貧しさを脱却するためのスタートの時期であり、それは以降の競争社会の幕開きの時期でもあった。後に「格差」という言葉が生まれてくるが、昭和30年代には格差も何もない、多くの人が等しくスタートラインに立った競争であった。それは人も企業も同様で、自動車のホンダもソニーも皆町工場であった。「Always三丁目の夕日」の舞台も東京下町の町工場、自転車工場に集団就職する「金の卵」と受け入れる暖かい家族の物語であるが、実は自動車工場への就職であるとばかり思って上京したのだが、自転車工場であったという互いの勘違いから物語は始まる映画である。



とこで町工場かスタートしたホンダは創業者の夢 であったビジネスジェット機まで開発販売すまでに なった。その世界企業の土台となったのがスーパー カブというまったく新しい使い勝手とスタイリングのバ イクであった。このスーパーカブの開発も昭和30年 代、1957年であった。 今日の名だた企業の多くはこの時代に生また。 その誕生の本質はベンチャーであ、今でいうとこ のワークライフバランスとは真逆の生き方であった。 町工場か始まったホンダは、社長も社員もなく昼夜 なく、油まみで働いた時代であった。創業者本田宗 一郎は社員を家族と思い、社員もまた宗一郎を「オヤジ」と呼んだ、日本全国小さな家族が至所にあっ た。そはまさに「Always三丁目の夕日」が描いた世界であ。実の家族と共に、もう一つの「家族」があっ たということだ。そして、この時代こそ「登山」の時代であ、企業も生活者も皆ベンチャーの一員であった。 後に成長と共に、「家族経営」かの脱却と揶揄さたが、今日のベンチャー企業同様あ面では労働分 配率は大きく、社長も社員も報酬面でもそほど大きくはなかった。


昭和を駆け抜けた 「時代おく」

とこであのヒットメーカーであ作詞家阿久悠は亡くな前のインタビューに答えて、昭和と平成の時代 の違いについて次のうに語ってい。 「昭和という時代は私を超えた何かがあった時代です。平成は私そのものの時代です」と。「私を超えた何 か」を志しと言っても間違いではないと思うが、時代が求めた大いな何か、と考えことができ。。一 方、「私そのもの」とは個人価値、私がそう思うことを第一義の価値とす時代のことであう。阿久悠が作 詞した中に「時代おく」という曲があ。1986年に河島英五が歌った曲であ。 「・・・はしゃがぬうに、似合わぬことは無理をせず、人の心を見つめ続け時代おくの男になたい」と いうフレーズは、50代以上の人だと、あの歌かと思い起こすことだう。昭和という時代を走ってきて、今立 ち止まって振返、何か大切なことを無くしてしまったのではないかと、自問し探しに出うな内容の曲 であ。 昭和男の素の世界、寡黙でシャイな男の姿であが、ごく普通の人間模様を描いた曲であ。晩年、阿久 悠は「昭和とともに終わったのは歌謡曲ではなく、実は、人間の心ではないかと気がついた」と語、「心が 無いとわかってしまうと、とても恐くて、新しいモラルや生き方を歌い上げことはできない」と歌づくを断 念す。歌が痩せていくとは、心が痩せていくということであ。 また、昭和の匂いのす俳優と言えば、やは高倉健とな。「網走番外地」などの任侠映画か「幸福の 黄色いハンカチ」を転換点に「鉄道員」や遺作となった「あなたへ」を通底すものがあとすば、そは「時 代との向き合い方が不器用で寡黙な男」とな。全てが過剰な時代であが故に、この寡黙さのなかにざ わめく言葉、無くしかけていものに気づかさ。そを昭和という時代おくを通し、日本人とか男と いったアイデンティティを、いや「生き様」といった生きき人生を想起させてくた俳優の一人であ。まさ に「時代おくの一人」であった。

記憶の再生産 もう一つの昭和30年代

記憶を呼び起こしてくものは東京という都市においても至所で見ことができ。今なお再開発の途 上にあ都市であが、戦後の商店街の歴史を見ていくとわかが、その誕生は上野アメ横のうに闇市 という市場かのスタートがほとんどであ。サラリーマンの街新橋にも闇市はあ、駅前の再開発にって 収容先となったのが駅前ビルであ。吉祥寺のうに駅北口の一角、ハモニカ横丁などはその昭和の世 界を逆に集積すことにって若者の観光地にな、また新宿西口の思い出横丁も戦後の市場跡の名残
であ。現在はコロナ禍にインバウンド需要がないため外国人観光客はほとんどいないが、そまでは まさにインバウンド観光地の一つであった。


実は記憶の中にしかない上野駅を見ていくと、その「記憶」のもつ意味が見えてくる。昭和30年代「金の卵」たちが夜行列車に乗って上京した駅が上野駅であった。北海道新幹線開業に向けた再開発で旧上野駅の雰囲気を一部残しながらも、明るい都市型ショッピングセンターを併設した駅へと変わっていく。実はこの上野駅を舞台にあのミュージシャン中島みゆきが「ホームにて」という曲を書いている。
実は大ヒットした「わかれうた」のB面に入っていた歌であるが、中島みゆきフアンには良く知られた歌である。
 
ふるさとへ 向かう最終に
乗れる人は 急ぎなさいと
やさしい やさしい声の 駅長が
街なかに 叫ぶ
・・・・・・・・・・”
“・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・
灯りともる 窓の中では 帰りびとが笑う
走りだせば 間に合うだろう
かざり荷物を ふり捨てて
街に 街に挨拶を
振り向けば ドアは閉まる
 
中島みゆきの出身地は北海道で、上京し降り立ったであろう上野駅を舞台にした歌であると思う。こころの機微を歌う中島みゆきのことだから、「故郷に帰ろう、でも・・・」と迷い躊躇する気持ちを歌ったもので、やさしい駅長さんを通じて”乗れる人は 急ぎなさい(がんばりなさい)”という応援歌である。
東京は多くの地方出身者の寄せ集め都市である。故郷を後にしたが、失くしたわけではない。そんなこころの中にある「故郷」の応援歌は数多くヒットした。時代おくれのシニア世代も、こころの中でこうした応援歌を口ずさんでいる。

豊かさと引き換えにした「何か」




バブル崩壊後の1990年代、戦後の経済成長によって得られた「豊かさ」とは何であったのか、そんな議論が社会に提示されたことがあった。例えば、それまで生きるために必要であった「食」が家計支出に占める比率、既に死語となってしまったエンゲル係数が支出の50%を大きく下回り、レジャーやファッションといった支出が大きくなった。その「食」の変化であるが、1990年代ダイエットブームによって大きく変化していく。ある意味でそうした支出を豊かさの表現であるとした時期があった。昭和30年代の「空腹」を満たす食から、痩せてスマートになるための食への価値観の転換であった。「豊かさ」の意味合いもまた変化してきたということだ。ちなみに、学校給食が本格的に始まったのは昭和31年であった。団塊の世代にとっては懐かしいコッペパンと脱脂粉乳、それに時々出される鯨肉の竜田揚げ・・・・・今食べるとなると決して美味しいとは言えない給食であるが、貧しくても「空腹」を満たしてくれた食であった。
少し前こうした変化を未来塾で「転換期から学ぶ」と言うテーマで「モノ不足から健康時代へ」として描いたことがあった。そうした「変化」の事例として、1日あたりのカロリー摂取量の推移を調べたことがあった。グラフはその時のもので「健康」と言う新しい価値へと転換したことを見事に表している。つまり、豊かさ、幸福感は大きく転換したということである。



しかし、数年前から「昭和レトロ」というテーマが静かなブームとなっている。最近ではリニューアルした西武園ゆうえんちは「昭和の熱気あふれる1日の遊び方」という昭和コンセプトの遊園地である。中にある商店街は「夕日の丘商店街」とネーミングされ、まさに映画「ALWAYS三丁目の夕日」の世界となっている。
あるいはこれも静かなブームの一つとなっているのが、喫茶店である。勿論、当時のメニューであるクリームソーダにプリン、軽食にはナポリタンといった具合である。
10年ほど前から若い世代の一種の観光地にもなっている吉祥寺だが、最近はカフェブームが起きていると書いたことがあった。この吉祥寺に詳しい知人に聞いたところ昭和レトロな喫茶店にも若い世代の行列ができているとのこと。聞いてみると吉祥寺駅南口近くの喫茶店「ゆりあぺむぺる」。宮沢賢治の詩集『春と修羅』に登場する名前からつけた喫茶店である。変化の激しい吉祥寺にあって、実は1976年にオープンして以来ずっと変わらずこの場所にあり、地元の人に愛されている老舗喫茶店である。勿論、クリームソーダも人気のようだが、他にもチキンカレーなどフードメニューもあるとのこと。
余談になるが、吉祥寺が魅力ある街であるのは新旧の店が個々の魅力を発揮集積しているからに他ならない。ハモニカ横丁の飲食街のみならず、古くから地元住民に愛されてきたメンチカツの精肉店「サトウ」や孤独のグルメにも紹介されたユニークな喫茶店「カヤシマ」など「ゆりあぺむぺる」もそうした個性溢れる店の一つである。「昭和」は記憶だけでなく東京の街の至る所に残っている。(後半に続く)」
  


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2021年09月26日

「季節」から始まる日常   

 ヒット商品応援団日記No797毎週更新) 2021.9.26.



首都圏をはじめとした感染者数が急激に減少している。この理由についてやっとTVメディアも感染症専門家に質問するが「まとも」な答えを行い得る専門家はほとんど皆無である。8月のお盆休み以降人流は増えているのに感染者数は逆に減少に向かっている、その理由を問うているのだが、これまで人流の増減は感染者数の増減とパラレルな関係にあるとし、人流抑制の対策をとってきたが、まるで逆の現象が現れてしまった「事実」に誰も答えられないのが現状となっている。唯一答えようとしていたのは東京都のモニタリング会議で繁華街における夜間の滞留人口が減少しているからであると。これも何故夜間人口が減少したのか、その理由を説明してはいない。
私は数ヶ月前から生活者・個人は政府自治体による緊急事態宣言による行動抑制にはあまり影響を受けず、独自なシグナルに反応していると指摘をしてきた。そのシグナルであるが今年の正月明け第3波の場合は「感染者数が初めて2500名に及んだ」というシグナルであり、第四波の時は大阪における感染者の急増により「自宅療養者に死者が出た」という事実、今回の第五波においては「8月上旬感染者数が5000人を超え、入院できない状態、自宅療養者が急増、入院すらできない状態」というシグナルによって強く「行動の自制」が働いた結果であると。もう一つの理由があるとすれば、高齢者へのワクチン接種効果により感染者が減少しているという事実であろう。つまり、生活者・個人はこれまで1年8ヶ月の学習から明確に行動を抑制したり、緩めたりしているということだ。つまり「シグナル」に反応してハンマー&ダンスを自身で行った結果であるということである。
その「ハンマー」という自制行動の一つの「数字」として5月の百貨店売り上げ・客数はあまり良い表現ではないが、次のように見事なくらい減少している。
『8月の売上高は前月同月比15.9ポイントダウンし11.7%減、入店客数も是年同月比17.4ポイントダウンの13.8%減』
こうした減少はコロナによるだけでなく、大雨という自然現象もあってのことだが、百貨店だけでなくSC(ショッピングセンター)も前年同月比▲11.6%と大きく減少となっている。昨年4月第一波の緊急事態宣言の時の消費の落ち込みほどではないが、生活者・個人が「自制」した生活行動はこうした消費結果を生んでいるということだ。

こうした現象は規制の対象となった飲食店においても如実に現れている。現在は自民党の総裁選に話題が移ってほとんど報道されていないが、毎日新聞によれば、8月上旬都心の繁華街で計500店を目視調査すると、4割超は時短営業をしていなかった。またそのほとんどが酒類を提供していると報じている。つまり、居酒屋や飲食店も独自な判断によって8時以降営業したり、休業したり、ハンマー&ダンスを行っているということである。しかも、こうした繁華街において大きなクラスターが発生したという事実はない。
何故こうしたことが起きているかはこの1年8ヶ月間違ったアナウンス・報道に惑わされてきたことからである意味自己責任において判断・行動しているということである。例えば、感染者が急増し始めた8月上旬、あの8割おじさんこと京大の西浦教授は「東京だけで1万人を超える」との試算を発表している。現実はその半分であったが、多くの「学者」の予測はほとんどが外れている。狼少年ではないが、こうした予測を信じて行動変容することなどほとんどないであろう。生活者・個人の判断基準があるとすれば臨床という現場を持った感染症の専門家・医師の発言だけである。来院する患者の行動履歴など感染防止に役立つ発言には耳を傾けるということだ。

既に緊急事態宣言延長の期限が迫っている。全面解除に至るかどうかわからないが、旅行代理店や観光業者は報道されている通り既に動きはじめている。その中心はワクチン摂取者を主対象とした特典付きの10月以降の「旅行」である。またシルバーウイーク期間では首都圏の近場、箱根や鎌倉・湘南、日光あるいは高尾山などへの行楽、マイカーによる移動が中心となっていて高速道路は渋滞j状態となっている。しかし、ある意味リスクを回避した慎重な行動となっている。つまり、近場でオープンエアーな場所へ自家用車で移動するという自己防衛に基づいた慎重な「楽しみ方」である。コロナ禍1年8ヶ月ハンマーばかりの日々であったが、やっとダンスができるようになったということである。
政府は飲食店や大規模イベント、あるいはライブハウスなどでの実証実験が計画されていると報道されている。これは1年8ヶ月時短や人数制限、飲酒規制など多くの感染防止の規制策が実施されてきたが、その効果の検証が明確な数値を持って行われてこなかった。本来であれば保健所に集められて膨大な感染者の行動履歴や濃厚接触者との関連などビッグデータ解析が行えたはずであった。しかし、周知のように保健所を介在させるシステムのため対応が不可能になり、重要な情報を得ることができなかった。この実証実験はやって欲しいが、どのように感染するのかしないのか、ワクチン効果はどの程度なのか、その明確なデータを持った「根拠」を示してほしい。その根拠が不鮮明であることから多くの生活者・個人の納得が得られないのだ。政府自治体のコミュニケーション不足や説明力の無さはこうした「根拠」がないことによる。その表れと思うが、第一波から第五波まで一度も反省を含めた総括がなされていない。更に言うならば、分科会も同じで科学的な根拠は感染症という病気に関するものだけで、ウイルスの感染とは「人」が運ぶことから生活者・個人のコロナに対する「意識と行動の変化」をデータを持って明らかにすることが不可欠であった、しかし、こうした分析はほとんどなされないままの1年8ヶ月であった。せいぜい公開されたのは「人流」という名のもとで繁華街や観光地の人出情報だけである。勿論、人流と感染との相関関係は明らかにされないままであったが。

ところで「日常」に向かって生活者・個人は行動を始めていると書いたが、今回のシルバーウイークの楽しみ方を見ても分かるように慎重である。ただ日常の中心を占めている「食」は変化していくあろう。極論であるが、デリバリーとテイクアウトあるいは冷凍食品やレトルト食品といった食生活から、今までの「普通」に戻るということである。例えば、久しぶりに朝食には干物に白いごはん、豆腐のみそ汁、漬けもの、といった食生活である。ハレとケという言い方をすればケに戻るということであり、普通回帰とでも呼びたくなるような日常である。コロナ禍1年8ヶ月、直接規制の対象となった2つの業種、飲食と旅行から普通回帰が始まるということだ。
そして、蕎麦好きであれば新そばを求めて少し足を伸ばすであろう。また、サンマは今年も高いが、ブータン産の松茸は安く手に入るので松茸ご飯を作る家庭もあるだろう。日常とは「旬」を食べることであり、余裕を持って季節に向き合えるということだ。
飲食店を始め旅館やホテルの顧客の迎え方にもお得の提供もあるが、季節の花などをテーブルに一輪添えることだ。これもまた日常のサービスであったはずである。アクリル板があっても、席と席との間隔が離れていても、入り口では消毒液を用意したり、・・・・・・・・・つまり、感染防止は万全にしながら以前のように心が届くサービスを心がけるということだ。日常を取り戻す第一歩は季節の旬から始まる。(続く)  


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2021年09月02日

新たな戦い方が始まった 

ヒット商品応援団日記No796(毎週更新) 2021.9.2



この1週間東京の感染者数は減少へと向かった。勿論1日3000人台と言う高い水準で医療は逼迫しているのだが、首都圏の実効再生産数は東京の場合は0.9を切り、埼玉、千葉、神奈川も0.9台となった。(東洋経済オンラインによる) 一方、逆に地方の感染者数は増加し、逆の現象となっているが、当たり前のことで、お盆休み期間中首都圏から地方へ帰省した結果に過ぎない。この期間都心繁華街の夜間の人出は減少したと報告されている。このことも当たり前のことで、多くの人は地方に出かけており、繁華街で夜遊びする人が少なくなるのは至極当たり前のことである。そして、この1週間ほど都心の夜間の人出が増加してきたと言う。つまり夏休みを終え、「日常」に戻ったと言うことだ。

前回のブログで「新たな戦い方」が問われていると書いた。その背景であるが、今流行しているデルタ株は従来のウイルスアルファ株とは異なる変異株として認識を新たにして対応することが必要であるとの理解からだ。私の理解の多くはiPS細胞研究所の山中伸弥教授が公開してくれているHPによるものだが、そのデルタ株の研究内容が公開されている。このデルタ株についてはその感染力について、従来株とのウイルス量の比較において1000倍とも1200倍とも報道されているが、山中教授はインドで発生したデルタ株の簡単な歴史と共に、イギリスにおける感染リスク評価と共に次のようにコメントしてくれています。
『アメリカCDCの内部文書によると、1人の感染者が何人に感染させるかという基本再生産数(R0)は、新型コロナウイルスの従来型は2~3程度であったのに対して、デルタ変異は5~9と、水痘並みに高くなっているとしています(図3)。この内部文書はワシントンポストが入手し7月29日に報道しました。アルファ変異は従来型の1.5倍、デルタ変異はアルファ変異の2倍の感染力と推定されていますので、この5~9というR0の推定値は妥当と考えられます。私が知る限り、人類が経験した呼吸器疾患のウイルスで、最大の感染力です。』
そして、こうした感染の強いデルタ株についてのワクチン効果についても触れており、効果がかなり半減されるのではとした報道についても『これらは客観的な検証は受けていないデータであり、さらなる評価が必要です。しかし、これらのデータに基づき、イスラエルでは60歳以上の国民を対象に3回目接種 が開始されました。』ともコメントしている。「査読」と言う複数の研究者の眼を通した成果であるかどうかを見極めることも必要であるとも指摘してくれている。

さてその感染力の対象となっているのが、若い世代である。その世代に対し予約なしでもワクチン摂取できるとし、渋谷の摂取会場には午前1時には先頭集団ができ、後は密なる行列ができるといった「失態」を犯している。行節を作って並んだが摂取できない若い女性はインタビューに答えて「こんな状態になるなんて私でもわかること」と吐き捨てるように言っていたのが印象的であった。そして、行列に並んだ多くの若い世代の多くは「早く接種したい」「予約したくてもできない状況」と答えていた。翌日今度は先着順ではなく、抽選方式にしたとしたが、今度はその行列はt隣の駅原宿まで伸び3500人にも及んだと報道されている。東京都の発表ではワクチン接種を望まない人が20%もいることからこんな行列になるとは思わなかったとコメントしている。TVメディアもネット上のワクチン非接種理由のコメントばかりに焦点を絞り込んでいるが他の調査でも70%近くの若い世代はワクチン接種を望んでいると報告されている。ここでも「調査」の何を読み取りどう対策をすべきかを見極めることが問われている。少し前になるが、飲食店の時短及び飲酒の制限について聞かれた都知事は「90%を超えるお店が都の要請にしたがっている」と答え失笑を買ったことがある。その後複数の新聞社やTV局の調査では新宿歌舞伎町や新橋・渋谷の飲食街を調べたところ50%以上の店はコロナ前の「営業」を行っていたと報告されている。

昨年夏頃からの「若者悪者説」に対し、何度となく反論してきたが、今回のデルタ株との戦いについては極めてセンセティブに反応している。それは感染が急拡大し身近なところで感染者が出てきたことにある。しかも、入院できずに自宅療養の状態が迫っていると感じとったたと思う。その背景には従来のイギリス株の場合無症状もしくは軽症で済むといった理解が次から次へとくつされる事態が起こっているからだ。それはここ1ヶ月ほど報道される重傷者や死者に若い世代が増えてきたことへの反応である。そして、これまでのような自由な行動を行うにはワクチンが必要であると考えた結果が渋谷のようなワクチン接種の行列を作ったと言うことだ。今年5月には高齢者がワクチン摂取の供給不足で行えない状況、混乱した事態が生まれたが、高齢者の場合の行列は肺炎というという身近で「命」に関わることからであったが、若い世代のそれは「自由な行動」を求めてのことからである。不安なくもっと自由に遊びたい、新しい、面白い、珍しいものを求める自由な日常の取り戻しである。
ネット上のワクチンデマに惑わされる若い世代と言った極めて間違った認識、偏見で若い世代を見てはならないということだ。山中教授がコメントしてくれているように、デルタ株の感染力の凄まじさ、いや恐ろしさにいち早く反応しているのが「若い世代」であると認識しなければならない。「若者悪者説」どころか「若者先駆者説」と言っても良いぐらいである。

また、若い世代でも10代以下、特に小児にも感染が広がっている。ある小児科医は「初めての感染症」として取り組まなければならないと警告すらしている。感染はいわゆる「家庭内感染」であるが、母親から子だけでなく、子から母親へも感染するといった状況も生まれているようだ。これも感染力の強さということになるのだろうが、まさに「市中感染」状況とはこうした現実のことを指してのことだ。小児は免疫力が強くほとんど感染しないものとされていた。しかし、今回第五波ではこうした認識を変えなければならなくなった。東京の保健所は既にパンク状態で疫学調査も限定的にしか行えない。つまり、誰でも小児でもがいつでも知らず知らず感染してしまう環境にいるということだ。
ただここ1ヶ月ほどの感染を見ていくとわかるのが学校以外の場所での感染である。例えば、小学校などの感染防止対策は実は徹底している。黙食はいうに及ばす、生徒間のディスタンスを十分取り、換気も・・・・・これらは周知の通りである。ところが、学校は夏休みになり、感染場所は学習塾などのクラスター発生による実態を見ても分かるように、学校以外の所での感染が見られるのが実態である。

こうした事例でも分かるように勝手な決めつけをしてはならないということだ。保健所の疫学調査は十分ではないが、ここ数ヶ月感染経路における「飲食店」はどんどん少なくなっている。感染源=飲食店という理解は感染が会話などによる飛沫及びエアロゾル感染と言われてきた。しかし、長崎大学の森内教授のような研究者からは「空気感染が主な感染経路」という指摘も出されている。その背景であるが、ウイルス量が桁違いに多いことからだが、「換気」を特に十分にすることが必要との指摘である。この空気感染は飲食店に限らず蜜な空間全てに当てはまることで、抜本的な対策変更が必要とされるということだ。但し、これら議論も論争中であり、確定的なことではない。あくまでも「可能性」ということである。しかし、従来のアルファ株とは異なるウイルス理解が求められていることだけは事実である。こうした背景には今回の第五波はそれまでの感染とは異なる結果をもたらしているからである。第4波までは欧米を始め世界の各国と比較して日本は感染率も低く、重症化率も低く死者数も少ないことから東アジア諸国と共にその謎を「ファクターX」と呼ばれてきた。そのファクターXの提言は周知のiPS細胞研究所の山中伸弥教授であるが、その研究は多くの研究者に引き継がれており、その中の研究の一つが「BCGワクチン」と「交差免疫」の存在なのではないかという仮説である。いずれにせよ、今夏の第五波がそれまでの感染とは異なるものと認識されているからである。

ところで世界はどういう状況なのか見回してみるとこのデルタ株の本質の一つが見えてくる。感染者数や死者数は報道の通りであるが、デルタ株がもたらした「事実」を考えてみることとする。
東京五輪は多くの国民の反対を押し切っての開催であったが、日本人選手の活躍によってその後の調査では約60%の人が「よかった」と評価していたが、政権への評価・内閣支持率は下がりっぱなしである。前評判・目論見とは全く異なる「結果」が生まれている。
まず評価の指標の一つとして、東京五輪の開会式の視聴人数は全国で7061万7000人と推計されている。NHK総合の視聴率では、番組平均個人視聴率が40.0%、同世帯視聴率が56.4%だった。一方、米国で五輪のテレビ放送を担うNBCによると、23日に行われた東京五輪開会式の視聴者数は1700万人で、近年の歴代大会と比べ大幅に減少した。ちなみに、2018年平昌冬季五輪が2830万人、16年リオデジャネイロ夏季五輪が2650万人、12年ロンドン夏季五輪が過去最多の4070万人、08年北京夏季五輪が3490万人だった。分科会の尾見会長に言われるまでもなく、異常事態の中での大会であることがわかるであろう。これは日本だけでなく世界中がそうであるということだ。
かつてNBCテレビの経営者は、コロナ禍の東京五輪は史上最高の売り上げを記録すると豪語したが、その目論見は外れ、NBCはスポンサーとの間で補償交渉に入ったと米国メディアは伝えている。というのも1990年代以降のTV広告業界はスポンサーとの間で視聴人数(視聴率)」に対する実績に対し支払う実績主義が慣行となっており、実績が予測に届かなかったらその差額は補償する契約となっている。低迷し続けるオリンピックイベントはコロナ禍によって日本だけでなく世界中に広がっているということを思い知らされる。

新型コロナウイルスが初めて感染が確認された時の標語が「正しく 恐る」であった。その「正しさ」は感染症研究者ばかりでなく、飲食事業者を始め多くの事業者、社会を構成する学校などの組織はもとより一人ひとりの生活者・個人にとっての「正しさ」の再認識が必要となっている。デルタ株によってそれまでの「正しさ」も変わらなければならないということだ。
その正しさであるが、これまで感染を拡大させる犯人とされてきた「若い世代」がマスコミ、特にTVメディアの認識とは真逆であることが、東京渋谷におけるワクチン接種の行列がある意味「危機」を先行して表している。政府分科会の尾見会長は国会で「異常事態の中での東京五輪はあり得ない」と発言し、更にこの8月国会でパラリンピックの開会式にIOCのバッハ会長来日に関し「今人々に外出を自粛するように要請しているのに、何故来日するのか、挨拶であればオンラインで済むじゃないか。・・・・・・・・」いささか科学者でない感情的な発言であるが、国民感情を代弁した発言であろう。その東京五輪の評価の物差しの一つである世界の評価、どれだけ関心を持って迎えてくれたか、それはNBCテレビの無残な視聴者数の結果を見れば明らかだ。尾見会長が言うように「異常事態の中での東京五輪はあり得ない」その通りの結果となったと言うことだ。

1年半ほど前に新型コロナウイルスの正体がわからないまま日々の行動を自制してきた。そして、1年半行動の変容を促した「恐怖心」はその後の学習体験と共に次第に薄まってきた。1年半前の恐怖心は未知への恐怖であり、あの8割おじさんこと西浦教授の「このままでは42万人もの人が死ぬ」と言う預言者めいた発言に象徴された。「その後西浦教授はその誤りエオを認めている)
しかし、今抱えている恐怖は膨大に膨れ上がった「自宅療養者」である。ワクチン接種が進み重症患者が少なくなってきたが、自宅で療養中の人が8月25日時点で11万8035人になったと公表されている。ちなみに東京都では前週比で2800人余り増え、2万5045人となったと。パンク状態の保健所にも連絡が取れず亡くなる感染者が続出している。つまり、入院するどころか医師にも診てもらえずに亡くなるという恐怖である。ワクチン接種に渋谷に行列を作った若い世代は敏感にそうした「恐怖」を感じていると私は思っている。都知事はこのデルタ株について「災害級」と表現したが、このまま「恐怖」を放置したらそれは「人災」になる。(続く)
  
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2021年08月17日

問われているのは、新たな戦い方 

ヒット商品応援団日記No795(毎週更新) 2021.8.17



東京都のモニタリング会議で、専門家は「かつてないほどの速度で感染拡大が進み、制御不能な状況で、災害レベルで感染が猛威を振るう非常事態だ」と指摘し、「災害時と同様 自分の身は自分で守る行動が必要な段階」との認識を示した。多くの報道がなされているように、感染が急速に拡大し8月5日には過去最多の5042人の感染が確認された。そして、自宅療養者は2万人を超え、大阪と同じように自宅で亡くなる人も出始め、医療逼迫を超えて破綻へと向かいつつある。
この急速な感染拡大の少し前8月2日には「入院は重症者や重症化のおそれが強い人などに限る」との政府発表があったが、与党の中からも反発があり、中等症も原則入院とするとした修正を行いその方針が2転3転する迷走ぶりとなった。
また、これも報道されているが、大阪の阪神百貨店あるいは東京では新宿伊勢丹でクラスターと思われる多くの感染者が出る状況も生まれ、休業もしくは入場制限を行う状態にまで至っている。これは政府分科会の尾見会長からの提言として大型商業施設への入場制限をすべきとの提言に沿ったもので既に百貨店などでは各々入場などの制限が実施されている。

さてこうした迷走・混乱はデルタ株と言う変異株への認識と対応が遅れたことに起因しているのだが、このデルタ株は既に「市中感染状態」になっていると言うことを表していると言うことだ。日経新聞によれば新宿伊勢丹の場合8月4日までの1週間に、店舗で働く従業員計81人が新型コロナウイルスに感染した。感染者のフロア別の人数分布を見ると分かるのだが地下の食品売り場が極端に多く、上の階のフロアに行けば行くほど感染者は少なくなる。つまりフロアへの集客人数にある意味比例した感染者数となっている。つまり、いつでも何処でも罹患すると言うことである。
また、大阪では阪神梅田本店にコロナ・クラスターが発生している。これも伊勢丹同様デパ地下に感染者が多く7月26日以降に従業員の感染が拡大。今月8日までに計145人となり現在休業となっている。
大阪の人には周知のことだが、このデパ地下には「スナックパーク」と言ういわば立ち食いできるスペースがあり、冒頭の写真のようにちょい飲みもできる名物スポットが人気となっている。当然、マスク無しの飲食ということになる。こうした阪神百貨店のようなデパ地下もあるが、試食を始めイートインのスペース・コーナーを設定した専門店も多い。
今年の春の緊急事態宣言の時に大型商業施設・百貨店に対し、ハイブランド・ラグジュアリーブランドなどの売り場に対し、「生活必需品」ではないことを理由に規制の対象とし食品は生活必需品ということで制限の対象外とした。当時、ブログにも書いたが、流通の実態、現実を知らない机上のプラン、世間受けするような規制で、感染防止対策としての合理性はほとんどないと指摘をしたが、その通りの「結果」となった。
そこで出てきたのが、前述の「災害時と同様 自分の身は自分で守る行動が必要な段階」である。こうした発言は感染症専門家の立場からの警鐘であれば許されるかもしれないが、政治行政の場合、責任放棄であり、決して許されるものではない。

この「災害」というキーワードを聞いた時、とてつもない違和感を感じた。それはコロナとの戦い方であり、昨年5月ブログ「連帯してコロナと戦う 」(2020.4.16)に次のように書いたことを思い出した。

『東日本大震災の時もそうであったが、「現場」で新しい新型コロナウイルスとの戦いが始まっている。医療現場もそうであるが、マスクや医療用具の製造などメーカーは自主的に動き始めている。助け合いの精神が具体的行動となって社会の表面に出てきたということである。「できること」から始めてみようということである。その良き事例としてあのサッカーのレジェンドキングカズはHP上で「都市封鎖をしなくたって、被害を小さく食い止められた。やはり日本人は素晴らしい」。そう記憶されるように。力を発揮するなら今、そうとらえて僕はできることをする。ロックダウンでなく「セルフ・ロックダウン」でいくよ、と発信している。そして、「自分たちを信じる。僕たちのモラル、秩序と連帯、日本のアイデンティティーで乗り切ってみせる。そんな見本を示せたらいいね。」とも。恐怖と強制による行動変容ではなく、キングカズが発言しているように、今からできることから始めるということに尽きる。人との接触を80%無くすとは、一律ではなく、一人一人異なっていいじゃないかということである。どんな結果が待っているかはわからない。しかし、それが今の日本を映し出しているということだ。
東日本大震災の時に生まれたのが「絆」であった。今回の新型コロナウイルス災害では「連帯」がコミュニティのキーワードとなって欲しいものである。』

こうした「自制」をベースに拡大防止策を徹底する動きは自治体も同様にあった。ちょうど同じ時期に病院にクラスターが発生し、閉鎖という措置をとって苦境を乗り超えたのが和歌山県であった。初期対応の手腕が高く評価された仁坂吉伸知事が感染源となっている「大阪」との関係を自分の言葉で本音のメッセージを公開していた。よくメッセージが届かない、危機感が共有できないなどと発言する専門家や首長が多いが公開された発言の一部を抜粋しておくが、こうしたメッセージのt届け方もある。(知事からのメッセージ 令和2年4月27日)

『それにしても、うらみ節みたいになりますが、和歌山県で主として当局の努力で感染の爆発をかろうじて抑え込んでいるのに、全国の大都市の惨状は目を覆うばかりになってしまって、大阪との関係が切っても切れない和歌山県としては本当に困ってしまいます。したがって感染防止のために大事なことは、大阪を中心とする県外からの感染流入の防止ですので、大都市などで前から行っている感染源となりやすい業種、施設の営業自粛の法的措置だけでは足りませんから、県外から人が来そうな施設に対して県外の人は皆断って下さいという自粛要請も行っていますし、24日にはゴールデンウィークを控え、県外から今年ばかりは是非来ないで下さいという呼びかけも行いました。この部分は、法律的権限もありませんし、一部は、法律上は営業を継続すべき、すなわち自粛要請をするのはとんでもないという業種、施設になっているものもありますが、和歌山の位置付けと、今大阪など県外で感染が荒れ狂っている状況からあえてそういう措置をとっているわけです。
 しかし、考えてみますと、コロナさえなければ、それらはどうぞ来て下さいとプロモーションを熱心にしてきた産業が多く、私が就任以来心血を注いで振興に力を入れ、色々な手を打って育ててきた産業ばかりなのであります。そう言う意味で自分で自分を痛めつけているようにつらい時期であります。
 だからどうしても、なんで日本中こんなになってしまったんだとうらみ節を言いたくなるわけです。大都市をはじめ、感染が著しく進んだ地域のトップの人は、それぞれの都道府県民にもっと自粛をしてくれ、感染が進むのは、自粛をしてくれないからだと強調されますし、マスコミの報道もそればかりですし、政府の対策も、このところは特にそればかりになっているように見えますが、私は本当にそうかと思っています。感染が拡がるにまかせてしまったのは、半分は人々の油断した行動だとしても、半分は当局の努力が足りなかったからではないでしょうか。
 大都市のようにこんなに毎日何十人も、百人以上も新規感染者が出てきたら、完璧な抑え込みは到底出来ないけれど、それでも抑え込み努力は続けなければいけない、あきらめてしまっては、もう爆発しかないと思います。また、感染者への対応にしても、その人の安全を守るためと感染を更に増やさないために、出来ることならした方が良い対応ということがあるはずだと私は思います。
 そのいずれも、国には感染症対策の専門家が居るはずなのに、感染症対策の当局の対応についてアドバイスをしているかというとあまりなく、あっても後手に回り、言っていることは、別に専門知識が無くても政治家が考えつきそうな人々の行動の自粛ばかりを言っていて、それがメディアでとても大きく報じられる、それが現状のようで、私も思わずうらみ節を言いたくなるのです。そう言えば最近は疫学的調査というちょっと難しい専門用語も政府からも聞こえてきません。それこそ、和歌山県でまだ必死に展開している辛い作業なのですが。専門家は主として医学と医療の専門家ではないのでしょうか。その本当の専門分野で我々を導いてくれることがないのでしょうか。
 私は、感染症についての学はありませんが、県のトップとして必死で対策に取り組み、数少ないかも知れないが、実態をつぶさに見て、一つ一つ対応を考えて頑張ってきた経験から、この病気と当局の行うべき対応を段階別に次のように整理できると思います。』

この発言の後半には感染状況の段階をA~Gの7段階に分けてわかりやすく説明をしてくれています。文中にあるように地方の首長の「うらみぶし」として、その心情を吐露している。私の理解は「うらみぶし」とは県民への連帯、共に戦おうとの呼びかけに他ならないと思っている。知事も県民も同じ人間であり、共に苦しみもがいている生き様を共有しているということだ。この行政のあり方は首都圏に接している山梨県知事にも似通っているところがある。山梨県の感染防止戦略については何回か書いたので繰り返さないが、例えば防止の主人公は飲食業であり、規制の対象としてのそれではない。防止のためにはとことん行政は支援する考え方に徹するものであるが、和歌山県と同じ「共に戦う」スタンスである。私はそうした行政を県民と共に戦う一種の「県民運動」であると感じた。規制の対象ではなく、共に戦うことであり、考え方の根本として真逆である。それは県民の自発性を信じることであり、県民もまた首長を信じる、そんな良き関係・信頼関係が創られているということだ。

このブログを書いている途中で緊急事態宣言の9月12日までの期間延長とエリア拡大を検討していると報道された。周知のように東京の場合は新規感染者が4000名台と高止まりし、埼玉、千葉、神奈川、大阪、沖縄も同様の傾向を示していることと、その他の地方にも感染が拡大している背景からだ。そして、東京の場合は結果として自宅療養者が急増し、連日マスコミ、特にTVメディアがその対策について報じている。政府分科会の尾見会長が言うように感染が収まる理由が見出せないと言う「打つ手がない」状況だが、それでも緊急事態宣言を延長せざるを得ない、と言うことからであろう。
既にかなり前から生活者個人は「自己判断」によって自らの行動をし始めていると書いた。繰り返し書くことはしないが、その行動を変えた「シグナル」は例えば第一回目の緊急事態宣言が発出された時は「未知のウイルスへの恐怖」であった。そして、ウイルスへの学習も進み、第三波の正月明けの感染者数が初めて2500名を超えた時、大阪では4月自宅療養者が急増し亡くなる方が続出し、1医療破綻の実態」を感じた時、そして今回東京でも自宅療養者の急増に一種の「恐怖」を感じる事態へと至っている。これは緊急事態宣言が「日常化」してしまい、「シグナル」は緊急事態宣言ではないと言うことの証明である。
ただこれは私の推測であるが、この夏のお盆休み・規制については地方への感染拡大はあると思うが、実は長崎、佐賀、福岡、広島に大雨特別警報が発令され、行動抑制が働いたのではないかと言う私見である。但し、8月末になれば大学をはじめ多くの学校で授業も始まり、若い世代の行動が活発になる。その結果は9月上旬〜中旬に出てくると予測される。政府の唯一の感染拡大防止策であるワクチン接種の効果は出てこない。

話を元に戻すが、今回の急激な感染拡大の理解の仕方であるが、周知のようにデルタ株と言うウイルス量の多い、つまり感染力の強いウイルスである。ある意味新たなウイルスとの戦い方となるが、政府行政からは指針となるものすら出てきてはいない。分科会の尾見会長の「今までの行動を半分にしてください」と言う呼びかけに対し、小池都知事は具体的に「今までの買い物は3日に1回にしてください」と記者会見でコメントしていた。その報道を聞いて、あるスーパーの店長は「何を今頃言っているんだ。1年も前から買い物の回数は減って3日に1回となっているのに」と呟いていたのが印象的であった。
生活現場を知らない政治家が迷走するのは当然であるが、今必要とされているのは「新たなウイルスとの戦い方」である。政治家にとって「パフォーマンス」もメッセージであるとしても、それだけではない。今回は敢えて和歌山県知事の長文のメッセージを引用させてもらった。過剰な情報が行き交う時代に一見時代遅れのように感じるかもしれないが、この長文もまたメッセージである。特にタイトルとなっている「うらみぶし」がなんとも言えず知事の人柄を感じた次第であるが、和歌山県のHPを覗くのも「新たな戦い方」の参考の一つになるかと思う。(続く)  


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2021年08月03日

2021年の夏 

ヒット商品応援団日記No794(毎週更新) 2021.8.3



昨年の夏GoToトラベルがスタートし、観光産業は活況を見せていた。TVメディアは「お得な旅」の特集を競って報道していた。ただ夏休みの旅行については読売新聞の調査であったと思うが、旅行はしないとした自制する生活者が60%を超えていたと記憶している。今もTVメディアに出演している感染症の専門家の一人はGoToトラベルを「社会的な実験」と呼んでいた。ちなみにGo To Eatキャンペーンは10月1日よりスタートした。
さて、今年の夏はどのようなコロナ禍を迎えているかを比較してみると現在の状況が浮かび上がってくる。
・2020年7月30日の感染者数(東京);463人、
・2021年7月31日の感染者数(東京);4058人、
今年の夏はGoToトラベルに代わって東京五輪における日本選手の活躍がTVメディアを賑わしている。ところでGo To Eatの対象であった飲食店は周知の通り、廃業と休業、あるいは時短要請に従わない営業店が急増している。(日経新聞をはじめいくつかのメディアが調査をしているが、少なくとも都心繁華街の飲食店は50~70%の店が時短要請に従わない従来営業を行なっていると。)ちなみに、時短要請には従わず、東京都に対し提訴しているグローバルダイニングは2021年1~6月期の決算を発表している。その内容だが、売上高が前年同期比92・3%増の47億円、純利益が5億円の黒字で、前年同期は9億円の赤字で大きく改善したとのこと。これは今年は緊急事態宣言下、まん延防止等重点措置の中でも営業を続けた結果だと話した。協力金を得ながら赤字の多い飲食業界にあって、この黒字決算をどう受け止めるか業界のみならず、政府・東京都も考えるべき事例であろう。

また、昨年と比較し大きく変わったのがワクチン接種である。医療従事者から始まり、高齢者への接種は東京では71.94%(2回目接種・7月28日時点)と進んでおり、感染者の内訳にも高齢者の比率が大きく下げている。高齢者本人のワクチン接種もさることながら、高齢者のクラスター発生が多かった介護施設の従事者や医療従事者がワクチン接種を済ませたことが大きな要因となっている。なお、ワクチン供給がストップしている問題については前々回のブログ「不安から不信へ」を参照ください。
また、昨年の新型コロナウイルスの変異種であるデルタ株が猛威を奮っているが、従来型と比較し、感染スピードが極めて早いという特徴を持っている。(なお、毒性の比較論文についてはほとんど発表されてはいない)

こうした状況を踏まえ、政府分科会の尾見会長は国会で「強い対策を打ってみんなが危機感を共有しない限り、この傾向はしばらく続く」と指摘した。「人々に危機感を共有してもらえるメッセージと、感染状況にふさわしい効果的な対策を打つこと(が必要)だ」とも語りた。つまり、コロナ禍1年半、最早従来のような「考え」のもとでは生活者・個人の自制に頼った政策は意味を持たないという指摘である。ある報道番組の渋谷に集まる若い世代へのインタビューで「政府は東京五輪というお祭りを進めているが、自分たちもこの夏を楽しみたい」と発言していた。渋谷周辺はセンター街を始め、路上飲みのグループが多数集まり、東京の繁華街はパーティだらけとなっている。つまり、若い世代にとって東京五輪には興味はなく、路上パーティの方が楽しいとした見事な「すれ違い構図」となっている。尾見会長が言う「危機感の共有」どころの話ではないと言うことだ。

政府は8月2日から首都圏3県、大阪府を加え緊急事態宣言を発出した。若い世代のみならず多くの人はそのメッセージ効果は無いと感じているが、期間は8月31日までの期間(延長)となった。この期間延長はワクチン効果による感染拡大を止める効果を狙ってのことと想定されるが、果たしてそのような結果が得られるか疑問に思う専門家は多い。ただ、この1年半で現場医療は治療の精度は上がり亡くなる患者は極めて少なくなっている。問題なのは病院やホテルへの収容が追いつかない、つまり自宅療養と言う感染者が膨大に膨れ上がり、東京の場合自宅両両者は既に1万人を超え、病院などへの調整患者を含めると2万人を超える現状となっている。
ちょうどこのブログを書いている最中に政府から医療体制の方針転換についての発表があった。既に報道されているので詳細は新聞記事をみて欲しいが、重傷者及び重症化のリスクの高い患者以外は自宅療養を基本とすると言うものであった。自宅療養をサポートするためのオンライン診療や酸素吸入器具などを用意するとのことだが、以前から指摘されていたことばかりで医療逼迫を前に「付け焼き刃」策としか思えない方針に感じる。
例えば、東京や大阪でも民間で行われている訪問診療はあるが、そうしたケースは極めて少なく、課題なのは自宅療養者への訪問診療のシステム化である。特に民間の町医者の人たちの力を借りての制度化・システム化である。初期の頃の新型コロナウイルスの医療とは異なり、重症化しても救命治癒できる経験を積んできた現場医療がある。ただ人工呼吸器やエクモの装着は患者本人の意識はないところで行われるため、遺書を書いて臨む患者も多いと言われている。今、直面している課題は重症化させないための医療、中等症患者への対応であり、今回の政府方針は少なくとも半年以上前、第三波の時に提示すべきで、あまりにも唐突過ぎたもので大きな混乱を生じさせている。

ところで、あの「8割おじさん」で知られている京都大の西浦教授は強いメッセージとして、大阪のような医療破綻する前に「東京五輪の中止」しかないとSNS上で発言している。勿論、法改正の問題もあるが都内はロックダウン、外出禁止要請をと発言している。
海外メディアも、例えばニューヨーク・タイムズは、「感染者が過去最多の東京で、オリンピックのバブルは維持できるのか」という見出しで、「安心で安全な大会という約束が試されている」と報じている。
ところで今回の第五波のピークはどの程度の感染者数になるか、ピークアウトはいつごろになるか、と言うことである。それはどのような感染者の「山」を描くかと言うこと、つまり拡大期と鎮静化は同じような山を描くか過去4回の経験則でわかっている。具体的に言うと、第五波のピークを8月初旬とすると、拡大期は6月半ばから2ヶ月ほどかかっており、同じように鎮静化するには2ヶ月ほどかかるとすれば、ある程度沈静化した「日常」に戻る時期は10月になると言う予測が成り立つ。つまり、今回の第五波を終えるにはかなりの時間がかかると言うことである。勿論、高齢者以外の世代へのワクチン接種がどの程度のスピードなのかによる。

こうした社会現象の1年前との比較で一番大きな「違い」は生活者・個人の「心理」である。マスコミの常套句として、コロナ疲れや慣れという表現を使っているが、1年前を思い起こせばどうであっただろうか。当時は「自粛警察」がキーワードとなっていた。営業を続けるパチンコ店などを取り上げメディアはこぞって非難していた。その背景にはコロナウイルスへの「恐怖」があってのことだが、例えば夏休み・帰省に際しては「県外の方、ご遠慮ください」といったことが地方の街の至る所で散見されていた。1年後、最早「恐怖」は無いといっても過言では無い。但し、大阪のように自宅療養者の中から死者が続出するといった事態、医療崩壊の寸前と言った状況には東京の場合至っていないため、「恐怖」はほとんど無いと言っても過言では無い。
「心理」は情報によって大きく左右される。しかも、養老孟司さんの「バカの壁」ではないが、人間は自分にとって都合の良い「情報」しか信じようとは思わない。それは政治家だけでなく、生活者・個人も同様である。今、その「心理」を支配しているのは東京五輪である。つまり、日本選手の活躍によって、恐怖はかき消され、冒頭写真のように新国立競技場前のモニュメントは記念撮影スポットとなり、順番待ち時間は数十分と言う有様である。また、トライアスロンの競技では、お台場周辺の沿道には多くの観客が殺到する状態となっていた。いくら「不要不急」の行動は謹んでくださいなどと言っても意味をなさない。

問題なのは、オリンピック終了後の状況である。つまり8月8日に終え、以降感染状況はどうなるかである。私の場合、東洋経済オンラインのデータを参考としているのでそのデータによると、東京の実効再生産数は1.74、全国は1.77となっている。この実効再生算数の結果が東京の場合4000人前後の感染者となって現れていると言うことだ。多くの実効再生産数の計算は2週間前のデータを元にしているので、その頃の人流は夏休みに入る頃であり、ちょうど増加し始めた頃である。専門家ではないのでピークアウトの時期やその感染者数を予測はできないが、政府分科会の尾見会長の言に従えば人流が減る要素はないとするならば、このまま感染拡大が減少することはない。いずれにせよ今年の夏休みは「ない」と言うことだ。しかも、感染の山は大きく、長く続くこととなる。東京五輪の熱狂が覚めたお盆休み明けの頃どんな「心理」となっているかである。前回のブログにも書いたが、ワクチン接種を済ませた高齢者は旅行を始め飲酒などの会食に向かうであろう。グローバルダイニングの決算事例ではないが、アルコールを取り扱い通常営業する飲食店は更に増加し、感染した自宅療養者は更に増加し・・・・・・・つまり、世代や置かれた環境の違いからまさに混沌とした「社会」が想定される。こうした混乱に対し、ワクチン接種しか打つ手がない政府・行政であるが、公的接種から除外されていたアストラゼネカ製のワクチン摂取がどこまで浸透するか、ある意味政権の命運がかかっているといえよう。
またコロナの恐怖から離れた心理はどこへ向かうか、東京五輪によってもたらされた「楽観バイアス」を持ち出すまでもなく、自分都合の行動は激しくなる。特に若い世代に対して再び矛先を向けているが、ワクチン接種を勧めても聞く耳を持つ人は少ないであろう。それは高齢者が肺炎の恐ろしさを身近に実感しているのに対し、若い世代は今もなお軽症もしくは無症状だから大丈夫と言った認識のままであり、わざわざワクチン接種をする合理的な理由が見出せないとする。おそらく9月になっても大学の授業はオンラインのままであろうし、緊急事態宣言が終了してもまんえん防止策へと向かうこととなり、・・・・・・・・悪いシナリオであるが、夜8時以降通常営業している飲食店に集まり、あるいは自宅を会場としたミニコンパなどが常態化するであろう。感染は減少することなく、自宅療養者は更に膨れ上がっていく。

2年目の夏を迎え、コロナ恐怖の受け止め方の違いが個々人によって明確に異なってきたと言うことである。9月以降のビジネス・マーケティングの課題はそうした個々人の心理に即したものとなる。「巣ごもり生活」からどう抜け出すかで、そのキーワードの根底は前回のブログのタイトルのように「失ったものの取り戻し」となる。この1年半失ったものは「何か」を考えることだ。前回のブログでは大きな潮流として過去に遡る「思い出消費」について書いた。「思い出」を通し、それまでの日常を取り戻すことであるが、「昭和レトロ」のように過去へも遡っていくであろう。
次回は「恐怖」から解き放たれた心理について詳しく書いてみることとする。(続く)
  
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2021年07月17日

失ったものの取り戻しが始まる   

ヒット商品応援団日記No793(毎週更新) 2021.7.17.



東京都に対し4回目の緊急事態宣言が発出された。今回は6週間、8月22日までとのこと。オリンピック開催、夏休み、帰省と言う「移動」が激しくなる期間に対し、移動を封じ込める意図であるが、果たして封じ込めることが可能となるのであろうか、甚だ疑問に思える。案の定東京では感染者が1000人を超え拡大基調に変わりはない。半年前の1月2回目の緊急事態宣言発出の時は2000名を超える新規感染者数に驚き、首都圏の人たちは「自制」へと向かい、以降感染者数は減少へと向かうこととなった。3回目の緊急事態宣言の時はいち早く2回目の緊急事態宣言解除に踏み切った大阪がイギリス型によって急激な感染の拡大によりある意味医療崩壊寸前、自宅待機療養者から死者が出る状態となった。結果府民の「自制」によって感染拡大は収束へと向かう。一方、こうした状況を首都圏の住民はニュースを通じ横目で見ながら自制へと向かう。このように「自制」を促す「シグナル」が必ずあり、それは1年余りのコロナ禍と言う学習によって生まれたものだ。よく緊急事態宣言発出のメッセージ性について議論されるが、「緊急」は既に日常になっており、生活者・個人が各人こうした「シグナル」を受け止め行動へと反映させていると言うことである。国会では分科会の尾見会長は感染対策に触れ「もはや行動制限による対策は終えなければならない」とはyすげんしている。私の言葉で言えば、国民も事業者も「自制」に頼った対策から科学的なサイエンステクノロジーによる対策への転換を提言していた。しかし、こんなことは1年以上前から指摘されてきたことで、今更という感がしてならないが、前回のブログにも書いたように「不安から不信へと」、社会心理は変化している。特に、「不信」については、ここ1週間ほどのコロナ担当相である西村発言騒動のようにその度合いを強めることとなった。

ところで2回目の時の宣言の規制のテーマは飛沫感染を背景とした「飲食業」であった。3回目は集客の核となる大型商業施設をはじめとした「人流」であった。そして今回4回目ののテーマは「酒類」の禁止となっている。繰り返し言われてきたことは、そのエビデンス・根拠は何かと言う指摘であったが、今回初めて酒類の禁止のエビデンスが厚労省の「アドバイザリーボード」によるレポートで、飲酒を伴う会食に複数回参加すると感染しやすくなると言う分析結果からであると。このレポートは国立感染症研究所の分析結果を踏まえたもので、陽性者の過去2週間の行動を分析したところ、飲酒付きの会食に2回以上参加した人は、参加が1回か0回の人に比べて約5倍、感染しやすかったと言う内容である。この調査は都内の医療機関で新型コロナの検査を受けた人を対象に、3月30日から6月8日の期間で調査したとのこと。調査期間は分かったが、対象となったサンプル数はどれほどなのか。抽出法は、そのサンプルの年齢や属性は。感染源と思われる飲酒時間は、利用した店の業態は。喚起の状況は・・・・・・これだけの「情報」は最低でも必要で、発表された内容では調査の体をなしておらず、これがエビデンスになることは常識的にはあり得ない。公開されたレポートから読み取れることは、飲酒の回数が多ければ多いほど感染率は高くなる、と言う至極当たり前のことしかわからない。飲酒回数を減らせば済むことで、一律に「飲酒禁止」することではない。政治家が良く使う手であるが、自らの正当性をわかりやすく理解してもらうために必ず「敵」を作る手法である。

ここ半年ほどの感染者の内訳は若い世代が半数を超えている他、感染経路の内訳としては「会食」は10%未満で、一番多いのが家庭内感染、次に多いのが職場。・・・・・・問題なのは半数以上が「経路不明」である。もし調査をしてエビデンスとして活用するのであれば、以前から何回も書いてきたが、日本の感染者約80万人、全てを対象とするのが無理であれば東京の18万人弱の感染者の分析をすべきである。つまり、「不明」のままではなく、何故不明なのか、答えたくない理由は何か、そして再度記憶を辿って答えてもらう。例えば、鳥取県の保健所がスーパースプレッダーを探し追跡しているように感染者の行動履歴を細かく追跡することである。そして、保健所のデータが手書きでデジタル化していないため「データ化」できないと言うことだが、今からでも「手書き情報」を入力する方法もある。民間の調査会社に依頼すれば少なくとも1ヶ月以内にまともな「分析結果」が得られる。感染経路を探ると言うことは、感染のメカニズム、飲食事業者も、利用する生活者・個人にとっても、具体的な「行動」として感染防止に向かうことができる。場合によっては、「どんな飲酒スタイルであれば感染を減らすことができるか」と言うことがわかるはずである。現在テストケースとして新宿歌舞伎町の飲食店を舞台に抗原検査をした陰性顧客による飲酒が行われていると聞いている。これも遅すぎることではあるが、飲食事業者も生活者個人も共に納得できる方策が求められていると言うことだ。ましてやワクチン接種が進んでいる中、先行するシニア世代が集い飲酒できるそんなテストケースも始めたら良い。分科会の尾見会長ではないが、「自制」に頼った対策からの脱却である。

さて、少し前に消費はワクチン接種を終えた高齢者から始まると書いた。その通りの動きが随所で見られるようになったが、旅行需要の「数字」については東京五輪が無観客となったことからJR各社、航空雨各社の予約状況の把握が出てはいない。受け皿となる旅行会社やホテル旅館ではワクチン接種に対する「特典付き」メニューが用意されているようだ。昨年夏はPCR検査付メニューが旅行者にとって必須のものであったが、今年の夏以降はワクチン接種済がキーワードになる。勿論、ワクチン接種がアレルギーによって難しい人もいて差別してはならないが、「特典」であれば大いに活用したら良いかと思う。
実は今回のコロナ禍によって失ってしまった最大のものは「人との触れ合い」であった。特に高齢者の場合、コロナ禍にあって最初で最大の衝撃はなんといっても志村けんさんの死であった。それは入院後わずか7日ほどで亡くなる、しかも死に目にも会えず、自宅に戻ったのは骨壺であったと言うことであった。日本人の死亡原因の1位は周知のガンである。ガンの場合、進行性の場合でも少なくとも1ヶ月以上の余裕はあり、会いたい人と会うことはできる。末期癌の場合でも家族旅行もできる。しかし、新型コロナウイルスの場合はそうしたことができない感染症の病である。

また、会いたいのは「人間」だけではない。ある意味終活の旅とでも表現したくなるような「旅」である。人生も終わりに近くなり、それまでの人生、仕事という言わば修行の「思い出」を辿る旅。若い頃の旅は「修学旅行」であったが、時代の経過と共に変わった街並や風景、変わらぬ場所や店もあったり、そんな修行時代を追憶する旅となる。
修行の日々を辿る旅であることから、100人いれば100通りの旅となる。パック旅行ではなく、行き帰りの交通、いやそれ自体もフリーなチケット購入となり、例えば修行中に食べた店を探し、そこで食べるラーメン一杯が嬉しいのだ。
「修学」には若い頃やりたくてもできなかったことへの思いが込められている。それが遊びであったり趣味や学びの世界もあるだろう。コロナ禍はそうした失ってしまったことの大切さを気付かせてくれた。失ったものを「思い出」の中から、再度探し出し出会う旅ということである。JRのチケットでロングセラー商品が青春18切符であり、元気なシニア世代には格好の旅が可能となる。また、昨年から人気となっているJR西日本の夜行列車「ウエストエクスプレス銀河」も更に人気となる。「昭和」を満喫できる旅ということだ。

こうした「思い出」の中にある消費は勿論高齢者だけのものではない。若い世代、中学生の「思い出消費」の代表商品があの「揚げパン」である。学校給食で出されていたあの揚げパンである。その復活を作ったのがコンビニで一時期ヒット商品となったことはよく知られたことである。ある意味「リバイバル」「復興」「復刻」といった着眼が今後の消費舞台に上がると思う。団塊の世代であれば、ファッションであればヴァンジャケットやKENT、リーバイス。車好きであれば中古のスカイラインGTRやセリカ。音楽であれば吉田拓郎や井上陽水。
昭和レトロは時代のトレンドであるが、昭和を生きた高齢者にとって、思い出の中の昭和は昭和らしい「昭和」の世界である。昭和そのもので、例えばスパイスカレー全盛の現在にあってジャガイモやニンジン・玉ねぎがごろごろと入ったカレーライスとなる。

こうしたことを指摘するのも2008年のリーマンショック後に現れた多くのヒット商品である。コロナ禍という不安の時代から生まれたもの、それは巣ごもり消費といった大きな潮流を超えて、それまで大切にしてきたことは何か、不安がなくなった後取り戻したいものは何か、・・・・・・・つまり、過去をはじめとした回帰現象が多発する。ちなみに2009年のヒット商品は経MJが行った2009年度のヒット商品番付では次の通りであった。

東横綱 エコカー、 西横綱 激安ジーンズ
東大関 フリー、    西大関 LED
東関脇 規格外野菜、西関脇 餃子の王将
東小結 下取り、   西小結 ツィッター
東西前頭 アタックNeo、ドラクエ9、ファストファッション、フィッツ、韓国旅行、仏像、新型インフル対策グッズ、ウーノ フォグバー、お弁当、THIS IS IT、戦国BASARA、ランニング&サイクリング、PEN E-P1、ザ・ビートルズリマスター盤CD、ベイブレード、ダウニー、山崎豊子、1Q84、ポメラ、けいおん!、シニア・ビューティ、蒸気レスIH炊飯器、粉もん、ハイボール、sweet、LABII日本総本店、い・ろ・は・す、ノート、

デフレ時代の特徴と共に、実は回帰傾向が顕著に出た一年であった。しかも、2009年の特徴は、数年前までの団塊シニア中心の回帰型消費が若い世代にも拡大してきたことにある。復刻、リバイバル、レトロ、こうしたキーワードがあてはまる商品が前頭に並んでいる。花王の白髪染め「ブローネ」を始めとした「シニア・ビューティ」をテーマとした青春フィードバック商品群。1986年に登場したあのドラクエの「ドラクエ9」は出荷本数は優に400万本を超えた。若い世代にとって温故知新であるサントリー角の「ハイボール」。私にとって、知らなかったヒット商品の一つであったのが、現代版ベーゴマの「ベイブレード」で、1998年夏の発売以来1100万個売り上げたお化け商品である。この延長線上に、東京台場に等身大立像で登場した「機動戦士ガンダム」や神戸の「鉄人28号」に話題が集まった。あるいは、オリンパスの一眼レフ「PEN E-P1」もレトロデザインで一種の復刻版カメラだ。売れない音楽業界で売れたのが「ザ・ビートルズ リマスター版CD」であり、同様に売れない出版業界で売れたのが山崎豊子の「不毛地帯」「沈まぬ太陽」で共に100万部を超えた。

こうしたヒット商品はリーマンショック翌年の2009年のヒット商品である。今年のヒット商品はシニア世代による旅行関連商品、リアル昭和商品、・・・・・・こうした先行市場から消費市場は進展していくであろう。そして、「西武園ゆうえんち」のコンセプトは「昭和レトロ」で、「生きた昭和の熱気溢れる1日」がテーマとなっている。その背景であるが、昭和33年(1958年)の東京の下町を舞台とした映画『ALWAYS 三丁目の夕日』が描く世界である。ソーシャルデイスタンス、人と人との距離をとることを余儀なくされたコロナ禍。失ってしまったのは「人の温もり」「父性や母性」、あるいは「友情」であった。そんな「温もり」を感じさせてくれる商品やサービスに注目が集まるであろう。ちなみに、冒頭の写真は『ALWAYS 三丁目の夕日』のラストシーンである。(続く)
  
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Posted by ヒット商品応援団 at 13:13Comments(0)新市場創造

2021年07月01日

不安から不信へ  

ヒット商品応援団日記No792(毎週更新) 2021.7.1.


緊急事態宣言が解除されたが、1月の緊急事態宣言以降まんえん防止措置を含めるとほとんど半年の間規制された「日常」を送ることとなった。多くの人が感じていることは、緊急でもなんでもなく、規制された日常を送ってきたということであろう。今回の政府分科会が解除に向かった背景の要因として、「もはや限界」といった生活者心理を挙げていた。その「心理」はこの1年以上多くの学習を経た結果であることを忘れている。少し前までは感染の増加を「慣れ」とか、「緩み」といった表現をする感染症専門家やコメンテーターがいたが、そうではなく明確な物差しを持って認識し行動していることがわかる。それは「規制」の中に楽しさを見出す「気分転換」と言う満足消費、ライフスタイル変化がこの1年半随所で現れてきている。私の言葉で言うと、自らが判断し行動する「セルフダウン」を実行してきたということである。例えば、何度となくブログにも書いてきたが、「密」を避けてのキャンピングに象徴される「楽しみ方」であるが、実はその根底でつながっているのがワクチンフィーバーである。

ワクチンについては、昨年秋以降多くの感染症専門家はその有効性や副作用について疑問と不安を持って各国の接種推移を見るにとどまってきた。それは1970年代以降、いくつかのワクチン接種において集団訴訟が起きたことが起因している。厚労省も感染症専門家もある意味で及び腰てあった。しかし、今年に入り、三回目の緊急事態宣言がが発出され、海外でも多くのロックダウンの中ワクチン接種が本格化する。こうした情報から敏感に受け止めたのが「高齢者」であった。勿論、重症化率の高い世代であり、ワクチン予約における多くの自治体での混乱・行列騒ぎが起きたことは周知の通りである。政府も自治体も、感染症専門家も一様に驚く顛末となった。ある意味見事なくらい高齢者の「危機心理」が行動へと向かわせたということである。そこには感染の「危機」をいくらメッセージしても届かなかったにもかかわらず行動へと向かわせたのはワクチンのエビデンス。証拠を感じ取ったからに他ならない。政治家よりも、感染症専門家よりも、実は高齢者の方が接種の必要を「実感」できたということである。(ワクチンのエビデンスについては前回のブログを参照して欲しい。)
そして、この危機心理の裏側にはそれまでの日常を取り戻したい、自制してきたことから解放されたい、つまり「自由」を手に入れたいという強い欲求からであるということだ。家族にも、孫にも、友人にも会いたい、楽しい、そんな自由な時間を手に入れたいという思いである。
このことは戦う相手がウイルスという見えない敵に対しどれだけ「感じ取れるか」がポイントであると同時に、それら行動の裏側には自由を求める心理への理解が必要であるということだ。これも若い世代にメッセージが届かないとマスメディアも政治家も言うが、つまり実感し得る言葉も内容も持っていないことによる。このことも昨年の夏以降若い世代を感染拡大の犯人とした説が広く流布した時ブログに書いたので今一度読んで欲しい。(「密」を求めて、街へ向かう若者たち  2020.7.26.)

ところで5月のGW以降緊急事態宣言が延長されたにもかかわらず街中の人出は逆に増えている。都知事をはじめ感染症専門家は一様に人流増加に警鐘を鳴らすが、何故真逆の「増加」現象が生まれているのか。多くのコメンテーターは「我慢の限界」などと言うが、そうではなく自ら認識した上での行動結果であると言うことである。ある意味、節度を持った行動結果であり、宣言解除後ここ1週間ほど減少傾向に向かっていた感染者数は再び増加傾向を見せる。多くの政治家、感染症専門家は「リバウンド」と言う表現を使うが、生活者・個人にとってみれば「自制」した行動の結果ということだ。
6月20日には延長された宣言が解除され、引き続きまんえん防止措置へと移行したが、この「規制」がどんな変化を街にもたらしたか、その「心理」を見ていくと政治家や東京都の思惑とはまるで異なる心理が見えてくる。まず、解除にもかかわらず時短や飲酒の規制が続く飲食事業者の変化であるが、東京都の規制通りに、夜7時までのお酒の提供、人数は2人、滞在時間は90分を守る店もあるが、これでは経営できないとした飲食店が増加し、コロナ禍以前の通常営業に戻る店すら数多くでてきた。その背景には協力金がなかなか支払われないという経営の事情もあることはいうまでもない。実は面白いことに、こうした飲食店もあるが、東京都の規制を逆手にとった「セール」「キャンペーン」を行う店まで出てきている。例えば、「制限時間90分、飲み放題。ただし7時まで」といった具合である。まさに「昼飲み」促進キャンペーンであり、通常営業に戻した店を始め、満席状態になっている。今回の規制に際しては東京都独自の感染防止策であるコロナ防止リーダー事業など条件をつけてのアルコール解禁であるが、こうした背景には山梨県や千葉市をはじめとした感染防止対策の成功事例がある。実はこうした成功事例の背景には、飲食事業者はもとより利用する生活者・個人の納得・協力によって成立している。行政による「管理」ではなく、事業者・生活者による「防止運動」によって実行されてきたことによる成功事例である。その運動は、行政の職員が現場に入り、席の間隔や換気の相談にものり、アクリル板などの設置支援も行う。行政はサポート役であって管理するのは利用者の理解を得て飲食事業者自らが行うということで東京都のような昔ながらのお役所仕事とは真逆な現場主義によるものである。

東京五輪開幕まで1ヶ月を切った。開催内容が少しづつ明らかになるにつれ、感染下の東京で行う「オリンピック」の矛盾、いや明らかに間違った「考え」に基づくものばかりが明らかになった。まず多くの観客を集めたイベント・パブリックビューイングであるが、多くの都民からの反発により代々木公園会場はワクチン接種会場へと変更することとなった。以降、ほとんどのパブリックビューイングイベントは中止となったことは周知の通りである。こうした「世論」を踏まえ、オリンピック組織委員会からは各競技会場の観客人数案が提示され、その是非についても多くの議論が巻き起こった。特に、会場内での飲酒、五輪貴族と呼ばれる大会関係者用のラウンジでの飲酒についても検討されているとのことであったが、これも街中の飲食店が飲酒は7時まで利用は2名といった「制限」をしているのに、オリンピックは「特別」なのかといった非難が巻き起こる。即日撤回されたが、スポンサーとして当事者であるアサヒビールはその「特別」には与しないとの提言を組織委員会に申し入れたとコメントしていたが、これも至極当然のことである。
また、こうしたオリンピックイベントの問題と共に、夜間の競技時間についても埼玉、千葉の両知事から8時までの時短制限を都民に強いているのに9時以降の競技はやめて欲しいとの要請を組織委員会にしている。これも至極当然のことで・・・・・・・・・・つまり、コロナ禍の1年半、延期を決めてから1年3ヶ月、組織委員会は今までの「計画」のまま行おうとしてきたということである。常識として、これまでの大会とは異なった「コロナ禍のオリンピック」として行われなければならない筈であった。

この「コロナ禍のオリンピック」において一番大切にしなければいけないのが「安全安心」である。しかし、これも報道によればウガンダ選手団9名の内2名が陽性であったことがわかった。大会規則として選手団はワクチン接種を含め十分検査をしての入国である。まずワクチン接種で100%安全が担保されたわけでないということだ。また成田の検疫で見つかったものの、濃厚接触者の特定や隔離方法については明確な「方法」を持っていないことが明らかになった。「バブル方式」という完全に隔離されているから安全という「神話」は崩れ始めている。これもオリンピックの特例で通常であれば2週間の隔離であるがわずか3日で済むという。その後、南米で行われているサッカーの大会「コパ・アメリカ」ではバブル方式、しかも無観客試合にもかかわらず選手スタッフ140名ほどの感染者がでているとCNNは報じている。世界に目を転ずれば、南米やアフリカ、あるいは英国ですら感染は拡大傾向にある。つまり、「パンデミック」、今なお感染爆発は進行中であると言う認識である。

また、選手団とは別に入国するメディア関係者や大会関係者・オリンピックファミリーの約5万人の「行動」である。これも決められたホテルなどでの食事が難しい場合、例外として街中の「個室」のあるレストランや居酒屋などの飲食を認めるという。メディア関係者などは「バブル」の中の選手達の取材が中心となり、大会期間中バブルを行き来する人間である。つまり穴だらけの「バブル」であるということだ。外国人にとって、本場本物の日本食を食べることは来日の目的の一つとなっている。また、ここ数年日本のコンビニも大人気である。本来であれば、こうした庶民の日常を満喫させてあげたいが、やはり厳格に行動を規制しなければならないということだ。
このように多くの都民、いや国民が怒っているのは「オリンピックは特別」「別枠」という考え方であり、しかも大会間近になって詳細が明らかになるに従って、多くの矛盾、一貫性の無さに対してである。コロナウイルスは「人」を選ばない、と言われ続けてきた1年半である。昨年から怒りの先は政治家による銀座での深夜にわたる会食であり、感染対策の中心である厚労省官僚の送別会であり、全て「言っていることとやっていることが違うじゃないか」と言う点にある。

こうした「不信」の中での東京五輪である。開催間近になればオリンピックムードは高まると推進する組織委員会はコメントするが、そんな状況ではない。今回の東京五輪のスポンサー一覧を見てもわかるようにトヨタ自動車を始め日本を代表する企業ばかりである。各企業は東京五輪に「寄付」しているわけではない。しかし、パブリックビューイングイベントや会場内ラウンジでの「飲食」への非難に際し、例えばアサヒビールは飲食中止の提言を自らしている。理屈に合わないことことは重々承知しており、そのまま進めれば不買運動こそ起こらないとは思うもののブランドイメージは大きく損ない、消費にも影響が出てくることは間違いない。一覧に名前を連ねている企業の多くはTVCMを放映しているが、「オリンピック・ブランド」を使ってのキャンペーンなど行ってはいない。せいぜい東京五輪のマークと自社ロゴを並べているに過ぎない。つまり、本来ならば夢や希望溢れる祭典として社会の注目となるオリンピックが、逆に「そこまでしてやるのか」と言うネガティブな目に晒されてしまっていると言うことだ。単純化して言うならば、多大な投資をしたにもかかわらず消費が高まるどころかマイナスに作用しかねないと判断していると言うことである。それは従来進めてきた東京五輪の「コンテンツ」を全く新しい視点、パンデミックを踏まえた視点で編集し直さなければならなかったにもかかわらず、「そのまま」押し通した結果から生まれたものだ。しかも、1年延期によってスポンサー各社は確か追加拠出額の合計は約220億円に上り、組織委の収入に組み込まれた筈である。
参加したスポンサー企業が一様に注視しているのが生活者心理であり、その心理が「ネガティブ」なものの延長線上にスポンサー企業にまで及ぶのではないかと言う危惧である。しかし、心配は無用である。組織委員会への非難の先にスポンサー企業へと向かうほど無理解な生活者ではない。アサヒビールの事例ように、スポンサーも大変だなという思いであろう。さらに言うならば、ウイルスの被害者である企業、観光産業である近畿日本ツーリストなどの苦境に思いは及ぶ。おそらく大会終了後、後始末としてスポンサー契約に応えることができなかった内容への「返済」が始まるであろう。企業としては株主に対する当然の説明として追求することとなる。しかし、そうであっても生活者は誰よりもスポンサー企業を非難しないであろう。そこにはある意味で賢明な生活者個人がいると言うことだ。

今どんな社会の「心理」が起こりつつあるのか。それは一言で言えば、1年前の「未知」への不安から、コロナ禍によって起こった多くの現象の裏にあること、不信が「見えてきた」ことにある。その不信心理の第一はやはり「東京五輪は「特別扱い」と言うことであろう。その象徴が撤回されたが五輪会場内での飲酒であり、多くの飲食店が時短で飲酒は7時までと言う制限とはまるで違うのではないかと言う批判である。しかも夜間の滞留人口が多く感染の要因となっているとして外出を控えるように要請されているが、バスケットボールやサッカーなどの競技では夜9時以降の外^むもあり国民に言っていることとはまるで違うのではないかと言う批判もある。また、東京五輪の有観客制限についても「会場への規制も会場規模の50%未満、1万人以内」ぬ見られるように、「行動の制限」が大きく緩和されたイベントである、つまり自由に行動しても良いとした「シグナル」として受け止める人も多い。つまり、こうした多くの「特別」「別枠」に対し、今まで国民に「言ってきたこととやっていることとは違うじゃないか」と言う感情を生んでいる。しかも、組織委員会はJR東日本各社へ深夜運行の特別ダイヤを要請していると言う。

もう一つの不信の要因が実はワクチンの供給である。遅れに遅れたワクチン供給の目処が立ち、やっと順調に接種が進行してきた。しかし、接種の目標1日100万回、あるいは職場での接種など接種の多様化により供給が複雑化し管理ができなくなり、職域などでの接種予約をストップせざるを得なくなった。しかもファイザー製ワクチンは7月以降減少すると言う。唯一の時代の空気転換を促す「ワクチン」が赤信号となったことで、未接種の世代には不安が残ったままとなる。
ちょうど6月30日の東京都の新規感染者数は714人となり直近7日間の平均は500人を超えて、508人となった。ちなみに人から人への感染の目安である実効再生産数は1.15と高いままである。7月11日にはまんえん防止措置の期限となり、延長もしくは緊急事態宣言の発出する議論がされ始めている。当然東京五輪の無観客開催が議論となるが、会場内にはIOC関係者のみが観客となる。当然日本人が見ることができないのに何故IOC関係者だけが観客となるのかと言う非難が巻き起こるであろう。組織委員会はIOCに自制を求めてもおそらく聞く耳を持たないであろう。ここでもIOCの本質が見えてくる。不信はIOCだけにとどまらず政権へと向かうであろう。また、東京都始めまんえん防止措置が延長された場合、アルコール飲酒は全面禁止なることが予測される。結果どうなるのか、容易に起こりうる現象が目に浮かぶ。飲食事業者の反発はもとより、アルコールは勿論のこと深夜に及ぶ営業店はさらに増加するであろう。路上飲みも増えるであろう。あるいは東京近郊都市の居酒屋は満席状態になるであろう。つまり、不信は深刻化し、小さなトラブルが至る所で起きる予感がしてならない。いわゆる社会不安である。(続く)
  
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2021年06月13日

生活文化の継承  

ヒット商品応援団日記No791(毎週更新) 2021.6.13.


3年半ほど前に未来塾で「生活文化の時代へ」というタイトルでブログを書いたことがあった。副題として「成熟時代の消費を考える」、つまりモノ充足を終えた時代、成熟した時代の消費傾向である「生活文化価値」をテーマとしたことがあった。前回のブログ「人流・考」においても少し触れたが、大型商業施設特に百貨店における「生活必需品」論議の中で、なんとも古くさい生活必需品という言葉が出てきた。既にほとんど死語となった言葉・概念であるが、そうした言葉を使えば使うほど生活実感からは離れていく。結果、不要不急と言った言葉同様不毛な論議になるだけである。

実は1990年代初頭のバブル崩壊、次に大きな変化であった2008年のリーマンショックを経て、「消費」の世界、特に生活消費・日常消費に一つの「変化」が現れてきた時期に書いたブログであった。その消費は、表通りではなく、横丁・路地裏と言った「裏通り文化」の魅力であった。その火付け役はテレビ朝日の番組「『ちい散歩』で、以降散歩ブームが起こるのだが、実は「知らない町」「知らない人々」、そこで営まれている「生活」がいかに知っているようで知らなかったかを教えてくれた番組であった。つまり、表通り以外にもいかに多くの「魅力」があることを教えてくれ、しかも2000年代前半にあったような業界人だけが集まる「隠れ家」ブームではなく、誰でもが日常利用する「魅力」の再発見であり、後に話題となったTV東京の「孤独のグルメ」のような日常の「豊かさ」である。

この豊かさの担い手である飲食業がコロナ禍にあって危機的状況にあることは周知の通りである。前々回のブログで「なんとか倒れないでほしい」と願ったのはこの「豊かさ」を失わないでほしいとの思いであった。一見倒産件数はそれほど多くはないように見えるが、周知のように倒産には法的倒産と私的倒産の2つがあり、飲食業の多くは経営規模が小さな個人事業主が極めて多い。結果、表立って公表される倒産は少なく、私的倒産あるいはその前段階での「廃業」が多い業種である。しかも、タイミング的には政府系あるいは民間金融機関からの借入が1年経過し、返済が始まる時期である。
飲食業界の18団体が10日、都内で「外食崩壊寸前、事業者の声」と題した緊急記者会見を行い、「資金面、精神面で我慢の限界がきております」と訴えたのもこうした背景からであった。
このことは個々の飲食店の経営危機ではあるが、その根底には食文化の危機であると認識すべきである。「食」はライフスタイルを構成する分野、衣食住遊休知美などの中で一番「変化」が起きる分野である。生活するうえでの「豊かさ」も「食」、特に外食へとダイレクトに反映する。生きるため、必要に迫られた食の時代ではない。

私の仕事の中心は商業施設のコンセプトづくりであるが、そのコンセプトの大半を占めているのが「食」であった。時代変化を辿っていくとわかるのだが、例えば1980年代はライフスタイルのコアな部分にはファッションがあり、性差や年齢差、民族差など境目のない情報の時代が特徴であった。そして、バブル崩壊後はそれまでの価値観が大きく崩れある意味で失われた20年、30年とも言われる時代を迎えた。それでも「食」への変化は進み、それまでの海外の変化を取り入れてきたものから、逆に海外へと輸出する時代・日本ブームを迎え、国内においても「食」への認識は変わっていく。それは特別な日の「食」ではなく、ごく当たり前である日常の「食」への再認識で、ハレとケという言い方をするならば「ケ」の日の食である。「豊かさ」はこうした日々の日常の中にある。

この日常を壊したのがコロナ禍であるが、これに代わるフード宅配サービスが急成長しているが、これは日常食であっても日常食文化ではない。Uber Eatsや出前館は忙しい年生活者にとっては必要なサービスではあるが、そこには「文化」はない。今から3年半ほど前になるが、久しぶりに大阪らしい味、元祖きつねうどんの店「うさみ亭マツバヤ」で食事をしたことがあった。明治26年(1893年という老舗で大阪ではよく知られた店であるが、まさに「うどん」という日常食の店である。元祖きつねうどんも好きだが、一番好きだったのが冒頭写真の「おじやうどん」である。うどんもいいがおいしい出汁を含んだおじやご飯も欲しいと言った大阪らしい欲張りメニューである。今も価格は変わらないと思うが、おじやうどんは780円、エビの天ぷらをトッピングしても1000円でお釣りがあった。元祖きつねうどんも、甘辛く炊いた揚げを「かけうどん」とは別に出していたが、客はその揚げをうどんに乗せて食べているのを見て、それなら最初から揚げを乗せたらという。ある意味、顧客から教わったメニューであるが、「文化」はそうした顧客とのキャッチボールから生まれ磨かれる。

成熟した時代とは成熟した生活者・個人がいるということである。コロナ禍によって音楽業界を始め飲食業界と同じように苦境を強いられているが、同じように成熟した顧客はいる。コロナ禍によってライブ演奏ができなくなり、ネット配信をはじめたミュージシャンもいたが、やはり代替サービスでしかない。1990年代から2000年代に入り、ネット配信サービスが主流となり、それまでのCD販売による経営は成立しなくなった。その窮地を救ったのが顧客を前にした「ライブ」であった。つまり、「音楽好き」な顧客、成熟した顧客によって「次」の世界へと転換することができた。それを可能にしたのが「文化」ということだ。飲食業もまた同様に成熟した顧客は間違いなく存在している。そうした顧客がまた通えるまで倒れないで欲しい。(続く)
  


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2021年06月06日

「人流」考  

ヒット商品応援団日記No790(毎週更新) 2021.6.6


「人流」という聞き慣れない言葉が突如感染症の専門家や政治家の口から発せられた。しかも、感染拡大の防止策として「人流を止める」ことの必要性から使われたものだが、欧米のようなロックダウン(都市封鎖)という防止策の言葉を使えない日本、私権の制限を極力少なくする日本において、ロックダウンの代用語の意味から使われたものと推測できる。この人流抑制の効果としては明確なエビデンス(科学的根拠)はないと分科会の尾見会長が国会で述べているように、その効果に疑問を持つ人は多い。事実、英国をはじめヨーロッパ各国で感染が鎮静化したのはワクチンであって、ロックダウンではないことは実証されている。

ところでその「人流」であるが、若いJR頃東海道線の途中駅に大型商業施設が造られる計画があり、消費を目的とした生活者の「動き」、人流がどのように変化していくかをスタディしたことがあった。その前提となる人の流入・流出の移動情報については神奈川県庁にあることを突き止め何回か県庁に足を運んだことがあった。このように都市開発・都市設計を行う場合に使われてきた言葉で、マーケティングの世界では古くからある「概念」である。
ビジネスマンであれば多くの人が知る話ではあるが、大阪阪急グループの創業者である小林一三は昭和4年梅田の阪急百貨店をつくるにあたり最上階に豪華な食堂を置き、清潔で安くて美味しいをモット-にしたターミナル型の百貨店経営を行い大人気となった。特に、食堂のライスカレ-が名物料理となり、集客のコアとなる。後に商業施設をつくるマーケッターは最上階に「人」を集め、下の階へと移動を促す「人流」のことをシャワー効果と呼んで商業施設づくりの基本の一つとなった。その小林一三は阪急電車の活性化策としてあの「宝塚」をつくったことも知られているように、「賑わい」こそが商売の原点であることを生涯にわたって生きた経営者であった。
こうした発想は屋上に遊園地やミニ動物園、あるいは催事場と言った集客のコアとなる装置をつくることへと向かう。またこうしたタテ型の人の移動動線の進化と共に、実はその阪急百貨店はタテ型と共にヨコ型の動線をつくる試みを行い大きな成果を挙げている。そのヨコ型とはフロアの隅・角にカフェやレストランを造り、ヨコ動線の動きを新たにつくったことによる。つまり、タテ・ヨコの動線を組み合わせることによって回遊性を促進させる。つまり、百貨店の滞在時間を長くさせればさせるほど消費・売り上げは伸びるという結果を得ることとなった。これはモノ消費から、楽しみ消費への変化に即したものであることは言うまでもないことである。

こうした回遊性、つまり楽しさ消費への着眼は商業施設だけでなく、「街」づくりにも現れている。戦後の東京の賑わいには「闇市」を出発点としている場合が多い。例えば、新橋も、新宿もそうであるが、古くからの「賑わい」を残しながら再開発した街がほとんどである。サラリーマンの街新橋は闇市で商売していたバラック造りの路面店は駅前ビルに収容され、新宿の場合は西口にある思い出横丁に当時の雰囲気が残され今も賑わいを見せている。その代表的な街が人気の吉祥寺であろう。人気のコアとなっているのが、駅前のハモニカ横丁であり、コンセプト的にいうならば昭和レトロとなる。こうしたOLD NEW、古が新しい都市・街づくりは最近ではリニューアルした渋谷パルコの地下レストランや渋谷宮下公園跡地の開発から生まれた渋谷横丁につながっている。これらはレトロコンセプトであるが、その先駆けとなったのは秋葉原・アキバや竹下通りなど時代を映し出した「テーマ」への共感であり、人流はテーマによって創られるということである。詳しくは拙著「未来の消滅都市」(電子書籍版)」を一読いただければと思う。
「人流」を止めるとは物理的な移動を止めることと共に、テーマを壊し無化させることによって可能となる。しかし、テーマは生活者・個人の心の奥にあり、つまり記憶に刻まれており簡単に無化させることはできない。少し前に、東京都知事は移動を抑制するためにJR東日本に対し、ラッシュ時の運行本数を減らす要請をしたことがあった。結果は、減らしたダイヤの前後は今まで以上に混み合い、抑制効果はあられずすぐに元のダイヤに戻した。
このように物理的に移動抑制する難しいということであり、東京の場合GW以降感染者は減少傾向となっているが、昼夜の人流は増えている。特に今までのやり方では若い世代において賑わいを求める心理を変えることはできないということだ。

今東京五輪に向かって、IOC、政府、東京都が開催へと突き進んでいる。バブル方式というバブルの中に選手団を閉じ込め感染の拡大は起こらない方式であるという。確かに理屈上は可能かもしれないが、選手以外の五輪関係者は極めて多く、いまだに推定の人数すら明らかにされていない。更に観客を入れての大会を想定しているようだが、全国からどれだけの観客が東京に集まるかである。ちなみに東京五輪の販売済みチケットの払戻枚数が約81万枚と発表されているが、その内何人の入場を進めるかであるが、観客制限を50%としても40万人が東京に集まることとなる。よくプロ野球や Jリーグの観客数を持ち出しクラスターの発生がないことを発言するコメンテーターがいるが、比較にならない人数とその移動の距離と広がりである。
問題なのは全国から東京に集まり、観戦し、勿論街中で飲食もし、場合によっては他の観光地へと向かうこととなる。しかも、夏休みの期間、お盆休みの期間とも重なる、言わば「人流」が最も激しくなる時期である。今まで、人流抑制を目的としてきた政府や自治体、勿論感染症の専門家もであるが、東京五輪の場合の人流は別なのであろうか。

今回の緊急事態宣言においても大型商業施設、特に百貨店の休業要請があったが、人流抑制という視点から言えば、地下の食品売り場を休業させた方が物理的効果は大きい。宝飾品やラグジュアリーブランドの休業など人流抑制にはほとんど効果はない。そんなことは百貨店を利用している生活者にとっては至極当たり前のことである。代々木公園に予定されていた東京五輪のパブリックビューイングが世論の反対から急遽ワクチン接種会場に変ったが、吉祥寺の井の頭公園など他の地域のイベント会場は進めると思われる。人流を抑制すると言ってきた都知事をはじめ感染症の専門家はどんな判断をしているのか、明確なエビデンス・科学的根拠が問われている。

昨年の夏以降繰り返し求められてきたことは、全ての判断の「根拠・エビデンス」を明らかにしてほしいということだけである。今なお若い世代を感染源とした「悪者説」の論者がいるが、彼らこそ合理的な思考を持つ世代であり、明確な論拠を持って語りかければ十分納得するはずである。6月5日現在全国の感染者数は約75万人。少なくとも感染経路の詳細は別にしても「何が」感染防止策に有効であるかビッグデータが教えてくれるはずであった。しかし、保健所のデータが手書きでデジタル化されていないことから「データ」として活用されることができなかった。前回ワクチン接種について書いたが、その有効性がいくつかの研究によって科学的根拠を持って実証されてきている。結果、多くの国民は理解納得している。つまり、見えないウイルスとの戦いには、エビデンス・根拠が人の心を動かし行動変容へと向かわせる。
「人流」抑制にどれだけの意味・効果があるのか、このこともまたエビデンス・根拠が問われているということだ。(続く)
  
タグ :人流


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2021年05月30日

こころ折れず、なんとか倒れないで欲しい   

ヒット商品応援団日記No789(毎週更新) 2021.5.30.


ワクチン接種が加速している。やっとワクチン供給がスムーズになったこともあるが、新型コロナウイルスとの戦いの「先」が見えてきたことだ。その「先」とは、季節性インフルエンザと同じような「時」、日常が来ると言う意味である。そうした明日を確実にしてくれたのが横浜市大の山中教授グループによるワクチン効果の実証研究結果である。ファイザー製のワクチンの「有効性」についてで、変異型ウイルスにも中和抗体ができ、しかもその持続が半年だけでなく、1年間持続効果が見られたと言う実証結果である。多くの人が求めていたワクチンによる戦い方の意味、そのエビデンス(根拠・証拠)を明らかにしてくれたことである。この1年半近く、TVメディアに出演してきた感染症の専門家がただの一人も「答える」ことができなかったエビデンスを初めて明らかにしてくれた。飲食業における飛沫感染といった状況証拠としてのエビデンスではなく、「科学」によるエビデンスである。これまでの「出口戦略」から始まった「感染防止か経済か」「コロナゼロ」「人流による感染防止策」・・・・・全てが無用とは言わないが、生活者・個人のコロナに対する向き合い方を根底から変えることへと向かうであろう。

ワクチン接種は医療従事者から始まり高齢者へと進んできたが、残念ながらコロナとの共存と言う「日常」を手に入れるにはまだまだ時間がかかる。三回目の緊急事態宣言が6月20日まで延長されることとなったが、これも東京五輪の日程を見据えたものであることは明白で、こうしたことを含めほとんどの国民は宣言の根拠・合理性の無さに矛盾を感じている。唯一「先」を見させてくれているのがワクチンで、生活者個人だけでなく、今多大な犠牲を強いられている飲食事業者や観光産業にとっても同様である。生活者・個人にとっては感染発症のリスクが少なくなる「自己防衛」であり、事業者にとっても集団免疫が形成されることによる「社会防衛」と言う2つの防衛策となる。少し前になるが愛知でコロナ患者を診ている臨床医が東京五輪の開催について聞かれて答えていたのは「東京がイスラエルのようなワクチン接種状況であれば開催しても良いとは思うが、そうでなければ中止すべきである」と。ちなみにイスラエルの接種率は62.5%で、東京都の高齢者の第一回目の摂取率はわずか6.6%である。(NHK特設サイトより)

今心配なことは宣言延長によってほとんどの飲食事業者の心が折れてしまうことにある。古いデータで恐縮であるが4月末の日経新聞によれば、3回目の緊急事態宣言を要請した東京、大阪、京都、兵庫の4都府県で、時短営業に応じた飲食店への協力金の支払いに差が出ていると言う。2回目の当初の宣言中の支給率は東京や大阪、京都が4~5割台の一方、兵庫は9割に上る、と。遅れは店の経営に影響することは当然であるが、自治体は審査を担う人員を増やすなど対応を急いでいると報じられているが、少なくとも「根拠なき」要請に対し協力をしてきた店である。
またこの心配の延長線上には、もはや協力できないとした飲食店、特にアルコールを扱う居酒屋が増えていくことにある。勿論営業時間もである。当然東京都は違反企業として「命令」の措置を出すであろうし裁判所から「過料」が課せられることとなる。第二波の時にはあのグローバルダイニングのように裁判に訴える段階から、無数の飲食店が営業し、逆に多くの客が集まり、それこそ「密」を作ることとなる。つまり、行き場を失った若い世代が路上飲みからそうした「店」へと向かうと言うことだ。こうした情報はSNSを通じあっという間に広がる。ある意味で「混乱」が蔓延していくと言うことだ。

前回「根拠なき抑制は破綻する」と書いた。それは何度となくロックダウン(都市封鎖)」した欧米諸国が感染者減少に向かったのは明らかにワクチン効果であった。つまり、強制力を持ったロックダウン、「人流」を強制的に止めても感染拡大を一旦は減少に向かわせても根本解決にはならないと言うことが世界的に実証されてきた。あの感染対策の優等生と言われた台湾は一挙にワクチン接種へと向かったように。
その「人流」抑制であるが、東京の場合GW以降繁華街の人流は夜間だけでなく昼間も減るどころではなく増加傾向を示している。しかし、感染者は減少へと向かっている。人流が増えれば、つまり賑わいのあるところに出かけて行けば感染は拡大するはずなのにここ2週間ほど「減少」していると言う「事実」である。感染症の専門家は行動と感染・発症には2週間ほどの時間差があると言うが、この真逆の結果に対しどのような分析がなされるのか聞きたいものである。「人流」と「感染」の相関を単なる推測ではなく、根拠あるものとして明らかにして欲しいと言うことだ。人流、つまり人の行動変容はつとめて社会心理が働いていることを明らかにして欲しいと言うことである。人流が増えてきたことを単に「慣れてきた」からと言ったど素人のような物差しで人流増加を決めつけてはならないと言うことだ。この1年半、コロナとの戦いと言う学習経験を積んだ生活者・個人、更に言えば飲食店などの事業者の心理変化を分析の大きな変数として組み込まない限り間違った判断となる。

こんなことを言う前に、GWの人流は昨年以上に増加しているのに、感染者数は減少しているのはなぜか。この人流は「都市」におけるもので、今回の第三波の特徴は全国への拡大、地方都市への拡大である。この拡大の主要な要因はどこにあるのか。GWによる地方都市への「移動」、例えばその象徴では無いかと思うのがあの「沖縄」であろう。観光産業以外に生きるっすべを持たない県である。こうした人流こそ分析の対象とすべきで、例えば鳥取県のようにスーパースプレッダーと言う感染拡大者の発見のために従来の疫学調査以上の追跡を行い、とことん感染源を追い求め隔離すると言う方法が取られている。結果、感染者が少ないのは当然の帰結となる。以前にも採り上げたが山梨県の感染撲滅の活動や、千葉市での認証事業活動、あるいは福井県なども同じような感染源をどう潰していくのかと言う「現場主義」こそが問われていると言うことだ。根拠のない人流抑止策から、感染現場に再び戻り、どう抑止していくのかが問われている。こうした現場主義こそがワクチン接種と並行して行うことだ。無症状者による感染という課題について、若い世代に再び注目が集まっているが、高齢者だけでなく、若い世代にも早急にワクチン接種すべきであろう。例えば、今尚、重傷病棟が逼迫している大阪などについては今以上の接種拡大策、若い世代への接種を戦略的に行うことだ。っp坂府知事も第二波の解除が早すぎたとして大きな批判を受けたと聞いているが、東京都のようなパフォーマンスとしての見回り他ではなく、行政も現場に入り事業者とt共に抑止を行い、良い実績を挙げた飲食事業者に対しては山梨県のように「認証」し、時短などの規制も緩和していく方法を取り入れていくと聞いている。規模の大きなとしては難しいと思いがちであるが、「小さな単位」で実効していけば良いのだ。商店街単位、飲食ビル単位、・・・・・・キタ・ミナミ単位のように。「認証」とは行政が一方的行うものでは成立しない。認証の主体は事業者であって、行政はサポート役・黒子である。もし、すべきことがあるとすれば、「認証」の精度を上げ、事業者と共に生活者・個人の信頼を勝ち取ることだ。

ワクチン接種が順調に行けば今年中には若い世代にも行われるであろう。しかし、例え集団免疫が得られたとしてもウイルスがなくなるわけではない。今、イギリス株の次にインド株に気をつけなければと報道されているが、ウイルスは常に変化していくものである。東京墨田区ではこのインド株の検出について力を入れ着実に対策を講じている。勿論、民間の分析企業と組んでのことだが、一番重要な東京都自身が検出数が極端に少ないのはそうした外部企業と連携する方法を持たないからである。横道に逸れてしまったが、つまりウイルス対策はこれからも継続されていくと言うことだ。一方消費者の側もきちんとした認証を受け止める正しい判断が求められていくこととなる。ある意味で1年半前までの「選択眼」に戻ると言うことだ。街を歩けば廃業店舗が目につくようになっているが、それまで、特に飲食事業者はなんとか倒れないで欲しい。(続く)  


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2021年05月16日

根拠なき抑制の破綻   

ヒット商品応援団日記No788(毎週更新) 2021.5.16.


3回目の緊急事態宣言、GW期間を挟んだ短期集中を目的とした感染拡大対応策を終え、5月末までの延長が実施されている。大阪における感染が拡大し医療崩壊が深刻化しつつあることは知事会見を始め報道の通りであろう。この緊急事態宣言の狙いは「短期集中」と共に「人流」を止めることにあった。しかし、宣言のエリアは愛知、福岡、北海道、岡山、広島へと更に拡大し、まんえん防止策の地域も同じように拡大、つまり「全国」へと広が理、宣言及びまんえん防止措置エリアを入れると全国の43%に及ぶに至っている。
こうした中、政府と自治体との間の「考え」の違いが具体的な防止策の問題として露呈している。その一つが東京都の防止策で、例えば演劇やプロ野球などは人数制限など限定的に緩和するが、映画館や美術館が休業、と言ったように支離滅裂な「考え」が露呈している。「人流」を抑制することが目的であるが、何故演劇は緩和で、映画館は休業なのか、その根拠が説明されないまま押し通す始末である。
そうした行政、東京都の「考え」を推測してとのことと思うが、生活必需品以外は休業との要請に対し、高島屋を始め東京都のほとんどの百貨店は、宝飾品・美術品あるいはゴルフ用品などを除外した商品を「生活必需品」とし、ほとんどのフロアで営業を再開している。極論を言えば東京都の「考え」とは異なる自己判断によるビジネスを始めたと言うことである。

実は日本百貨店教会の売り上げなどの公開情報では1月からの緊急事態宣言が解除された3月の売り上げは21.8%増と18か月ぶりのプラスとなった。前年の新型コロナウイルス感染拡大による臨時休業や時短営業の反動に加え、緊急事態宣言の解除や、各社が企画し た会員向け施策等が寄与したことによる。こうした消費の回復傾向は家計調査にも明確にでている。3月の二人世帯以上の消費支出は6.2%で、1月は▲6.1%、2月は▲6.6%である。当たり前のことであるが、緊急事態宣言の発出は「消費」に多大な影響を及ぼしているということである。生活必需品の見直しは百貨店経営が危機的な状況になりつつあるあると言うことを表していると言うことだ。飲食店がテイクアウトへを取り入れたのと根っこは同じである。
前々回のブログでGWにおける生活者・個人の行動、特に不要不急の代表的な「旅行」について取り上げた。繰り返し書くことはしないが、コロナ禍の1年、学習した人達は感染していないエリア、あるいは感染しにくい移動の方法で、旅行を楽しんでいる。つまり、都心の夜の人出は減ってはいるが、昼間の人流は減るどころではなく、逆に増加しているということである。菅総理のコメントに都心の人流は減少したとあるが、これも当たり前のことでGW期間中に夜の繁華街に出かけることなど極めて少ない。横浜のみなとみらい地区のように周辺の観光地には多くの人出が見られ「分散化」しているだけである。学習してきた生活者・個人はある意味自己判断で動きは始めたということだ。その背景は分科会の尾見会長が言うように、「人流」抑制には感染を減少させる根拠がないと言うことからである。

生活者のこうした反応は今回の百貨店の判断対応と見事に付合している。それは「生活必需品」の解釈として、百貨店として「必需」は何かを明確に示し売り場を作ったと言うことである。1970年代百貨店は貧しかった戦後日本が経済成長を果たし「豊かさ」を手に入れつつあった時代の代表的な流通であった。それは以降生活にとって豊かであるための「必需」商品、必要な業態であった。それは百貨店にとって「当たり前」のことである。
問題は「人流」抑制ではなく、「感染」防止に更に努力すると言う判断である。周知のように百貨店は感染者が出た事実に対してはHPにその都度公開し併せて対策も講じている。勿論、結果としてクラスター発生を起こしてはいない。制限付きの観客を入れたピロ野球がクラスターを発生させた日ハムとは対照的である。
周知のようにこうした感染対策は飲食事業者など1年間を通じて行ってきた。時短営業は勿論のこと、今回の措置であるアルコール禁止であっても、例えばビールを売り物にしているビールバーはノンアルコールを出して営業している。飛沫感染対策として、アクリル板の設置から始まり、席数の制限、換気扇の設置・・・・・・・今度「人流」のための休業措置。おそらく6月には破綻する飲食店は続出するであろう。それでもランチ営業やデリバリー活用で商売していく店もあるかもしれない。しかし、こうした「不公平さ」は歴然として明らかになった。
人流を止めるなら鉄道など公共交通を止めるしかない。実は東京都の要請でJR東日本が鉄道本数を減らす減便を行なったが、減便の前後の車両はスシ詰め状態でそれこそ感染を拡大する危険な「密」状態を生み出し、結果元のダイヤに戻した。そんなことは当たり前のことで、次なる施策は何かと言えば、再度テレワークの推進となる。そのテレワークの実施実態は都のHPに掲載されているが、都の担当者による聞き取り調査でその実行は大企業やIT関連企業は可能であるが、補助金を出されても運営するのは「人」であり、仕事のやり方を含めてゼロスタートするしかないのだ。そんな「改革」が一朝一夕でできるはずがない。ビジネス現場を知らない行政のやりがちなことで「実効性」はまるでない。(今回は取り上げないが、「改革」を進め定r企業は多数に登っている。行政に言われるまでもなく生き残ろために必死に取り組んでいる。)

少し前の3月になるが、感染拡大防止と経済社会活動の両立を図るための取組として、「コロナリーダー事業」として、東京都感染拡大防止ガイドラインやガイドブックを策定し、対策に取り組んでいる店舗等で感染拡大防止徹底宣言ステッカーを掲示してもらうなど、感染拡大防止の取組を推進していた。スタート当初から協力金の条件に過ぎない事業と考えられていたが、その実効性は現在どうであったのか。アルコールの禁止によって飲食店はどんな状況になっているのか。マスコミ、特にTVメディアは「その後」を追跡しようとはしない。泥縄という言葉があるが、全ての対策は縄のない泥まみれとなっている。今、飲食店を支えているのは、常連客による「飲食」である。顧客によって救われているということだ。しかし、残念ながら長続きはしない現実がある。

この「人流」抑制は感染拡大防止のための「手段」であった。その背景には病床の確保、新規感染者を減少させる、特に重傷者に対する救命のためであった。緊急事態宣言の実施については、政府は大きな方針を提示するにとどまり、都道府県知事による「実行」に任せることが明確になった。理屈上は「現場」を熟知している知事に権限と責任を任せることはその通りであると思う。その良き事例と思われるのが東京と大阪の「違い」である。既に報道されているので繰り返しはしないが、大阪の場合周知のように自宅待機者から亡くなる感染者が出ているように医療破綻の危機にある。こうした背景から「人流」を止めることはやむなしとする世論が大阪の場合は形成され、例えば百貨店の大阪高島屋は今まで通りの「休業」要請を引き受けている。一方、東京の場合日本橋高島屋は前述のようにほとんどのフロアは営業する道を選んだ。その理由の一つは東京の場合の病床の逼迫は大阪ほどではないという理由からだ。社会的存在である百貨店はその危機的状況にある「社会」を考えてのことだ。ある意味、生活者個人が「自己判断」して行動変容を決めることと同じである。

「ヒット商品応援団」という名の通り、必ず「ヒット」するには根拠がある、勿論、逆に廃れることにも根拠がある。この10年ほど、街の「変化」を観察し実感し、その根拠を分析してきた。例えば、あの秋葉原が「アキバ」になり世界中から「オタク」の聖地として賑わいを創ることができたのも明確な「根拠」があった。あるいは、今や若い世代の好きな街に一つとなっている吉祥寺も、ライフスタイルの変kに追いつかない大型商業施設が次から次へと撤退した街であった。しかし、そうした状況下にあって若い世代は駅前の古びた一角、昭和の匂いのする飲食街「ハモニカ横町」に「新しさ」を感じ賑わいを見せることとなった。
一方、東京にも寂れた商店街は数多くあり、シャッター通りから古びた住居が立ち並ぶ通りへと変貌する、ちょうど過疎となった中山間地のように人の手が入らない場所が猪などの棲み家になると言った変化を観察してきた。つまり、あまり大仰なことを言う気はないが、豊かさを追い求める「商業」の本質を少しだけ学んだ。商業は生活そのものであり、商業なき生活などあり得ないと言うことだ。(その根拠については拙著「未来の消滅都市論」電子書籍版を参照してください)」

今回の「人流」を止める作戦は見事なくらい失敗したと言うことだ。それは欧米のような法的強制力持たない日本という理由だけでなく、個々人、個々の企業がそれぞれ自制する判断、セルフダウンする能力を持ち合わせているということだ。東京の場合第三波における感染者が2400人を超える2という「シグナル」であり、大阪の場合は病床に収容できない状態、医療崩壊寸前状態という「シグナル」、そうしたシグナルによって「行動変容」するということだ。感染症の専門家は「人流」を止めることが唯一の切り札のようにいうが、それは教科書の世界で、現実は一人ひとりの心の中の「自制」を働かせる「鍵」を探すことに他ならない。
「自制」とは自らの「自由」を制限することであり、個々人、個々の企業ごとに持っている。政治家も行政も、その「自由」を語らなければならないということだ。コロナとの戦いとは「自由」を取り戻すための戦いであるということである。ワクチン接種がゲームチェンジャーであると言われるが、自由を取り戻す入り口、その鍵であるということだ。
ところで大阪府民の多くはは今回の宣言の延長、厳しい制限のままの延長について支持しているという。勿論、病床が逼迫し医療の破綻を感じているからである。日本における死亡数は年間約137万人。周知のように死因1位は癌であり癌にかかる人は2020年の予測値で約101万7000人。医療崩壊は早期発見、入院、手術・治療という高度な医療を受けることができなくなる。ある意味で「医療を受ける自由」がコロナによって奪われるということだ。そうした現実に対し一定の行動制限は「やむを得ない」と感じたからであろう。そして、大阪府の場合、昨年1月武漢からの中国人観光客のバスツアーで感染が発生したことを覚えているだろうか。中国人バスガイドと運転手が罹患したのだが、厚労省をはじめ大阪府も個人のプライバシーを守りながら「情報公開」している。つまりこの1年半近く府民と情報を共有してきたという背景がある。
宣言の開始後、都の職員が盛んに新宿歌舞伎町や渋谷センター街に出かけ、路上飲みを止めるよう注意して回っているが、それはTVカメラを意識してのパフォーマンスで若い世代の行動を変えることはできない。若い性こそ自制すべき「根拠」、その合理性を求めているのだ。注意された若者は都の職員に向かって「義務ばかりで、何一つ権利はないのはどうしてか」と言っていたが、路上飲みはやめた方が良いとは思うが、心の奥底には「自由」を希求する気持ちがひしひしと感じる。
政治家、行政は理屈に合わない、非合理な、公平性を欠いた「義務」を押し付けるのではなく、「自由」を取り戻す戦いの先頭に立つことこそが求められているということだ。例えば、山梨県のように感染対策を飲食事業者と住民とが共通した目標を持った「実行性」のある取り組みが行われている。私の言葉で言うと、事業者・住民が共に「自由を取り戻す」運動のようなもので、行政がそうした目標を持って取り組みを現場でサポートする仕組みとなっている。感染対策の鍵は「ワクチン」であると、しかも横浜市大の山中教授の研究から変異型ウイルスにもワクチン効果があると「根拠」を持った成果が発表された。こうした朗報もあるが、まだまだコロナとの戦いは半ばである。(続く)
  


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2021年05月09日

東京五輪って何?   

ヒット商品応援団日記No787(毎週更新) 2021.5.9.


米ワシントン・ポスト(電子版)は5日のコラムで、日本政府に対し東京五輪を中止するよう促した。その中でIOCのバッハ会長を「ぼったくり男爵」と呼び、新型コロナウイルス禍で開催を強要していると主張。「地方行脚で食料を食い尽くす王族」に例え、「開催国を食い物にする悪癖がある」と非難した。コラムは大会開催を前進させている主要因は「金だ」と指摘。IOCは収益を得るための施設建設やイベント開催を義務付け「収益のほとんどを自分たちのものにし、費用は全て開催国に押し付けている」と強調した。その上で、日本政府は五輪中止で「損切り」をすべきだと訴えた報道である。
実は日本ではあまり報道されてはいないが、五輪に否定的な報道は米国で相次いでおり、ニューヨーク・タイムズ紙は4月、コロナ禍の五輪開催は最悪のタイミングで「一大感染イベント」になる可能性があると指摘。サンフランシスコ・クロニクル紙は5月3日、世界で新型コロナの影響が長期化する中、東京五輪は「開催されるべきではない」との記事を掲載している。そのバッハ会長は日本における緊急事態宣言と東京五輪開催は別問題だとして顰蹙を買ったが、まさにワシントンポストの指摘そのものの指摘に合致したコメント、自分さえ良ければとした考えでである。
日本でもいくつかの世論調査が実施されているが、例えば共同通信社の全国電話世論調査では、今夏開催するべきだとした人の割合は24・5%、再延期するべきだは32・8%、中止は39・2%で、いずれも3月の前回調査の23・2%、33・8%、39・8%から横ばいだった。つまり、再度延期すべき及び中止を考える人は72%と圧倒的にコロナ対策重視に世論は向かっている。

実は5年半ほど前に「ノンコンセプト・オリンピック」というタイトルでオリンピックが変質してしまったことについてコメントしたことがあった。ちょうどオリンピックのエンブレム盗用問題が新国立競技場のゼロ見直しに続き使用中止となり、またもや再度公募するとの発表があった時期である。記憶を辿れば、新国立競技場についてはその膨大な建設費について「何故」と思う人が大多数であった。1000兆円を超える債務をもつ日本にあっても、それでも意味ある費用であれば納得したことと思う。 そして、私は次のようにブログに書いた。

『ところでそのコンセプトであるが、2020東京オリンピックがどんなコンセプトを持ってIOCに提案したかを語る専門家はほとんどいない。実は、そのキーワードは「スポーツ・フォー・トゥモロー」となっている。この「スポーツ・フォー・トゥモロー」を実行すると宣言したことで、日本の方針をIOCが高く評価し、それが招致決定の決め手になった。そして同時に東京五輪の実施にあたって、この「スポーツ・フォー・トゥモロー」の実行が求められるという経緯になっている。この経緯などについては作家村上龍が主催しているJMMに投稿し広く知られている米国在住の冷泉彰彦氏は、そのキーワードについて、3つのスポーツ貢献を果たしていくというものであったと指摘をしている。(詳しくは2014年8.5.のNewsweekの「コラム&ブログ」をご一読ください。)
ところで、その貢献を簡略化するとすれば、
1)青年海外協力隊などの活動として、途上国などに日本のスポーツ振興のノウハウや施設を普及させる。
2)日本のスポーツ文化と世界の最先端のノウハウを融合した高度なスポーツマネジメントに関する国際的な人材育成を行う。
3)そして、今盛んに行われているアンチ・ドーピング活動を国際的に支援する。
調べた範囲は限られているが、概略は以上のようで、「スポーツを通じた未来への社会貢献」という意味合いについて、その社会貢献世界については誰もが納得理解し得るものだ。しかし、この方針はメッセージ性はあっても地味であるため、オリンピックのもつイベント性、お祭りというエンターテイメント溢れるビジネス世界とは異なるものである。
よくロンドンオリンピックは成功したと言われているが、その成功のためには英国が抱えている多様な社会矛盾を視野に入れた一種の社会運動としてスポーツを位置付け、その目標にロンドンオリンピックを置いたことによる。つまり、お金をかけないコンパクトオリンピックもそうであるが、「オリンピックは儲かる」という転換点となったロサンジェルスオリンピック以降の反省、いきすぎた商業主義としてのオリンピックの反省を踏まえたものであった。周知のサッカー界においても同様で、汚職にまみれたFIFAの改革にも繋がる課題である。ある意味世界的なスポーツビジネスの潮流を踏まえたコンセプト、方針であった。これがロンドンオリンピックであり、東京オリンピックのポリシーであったと。こうしたポリシー・コンセプトを詰め、祭典というエンターテイメント世界との折り合いをつけるという進化の努力がまるで見られない。』

更に記憶を辿れば、招致決定前の世論調査では、招致に賛成の日本国民はせいぜい50%程度で、マドリード78%、イスタンブール73%、と比較し一番低かった。こうした土壌からの東京五輪への取組であった。しかし、「コロナ禍」によって、当初の東日本大震災からの「復興五輪」から「コロナに打ち勝つ五輪」へと変質した。東日本大震災からの復興を五輪というスポーツを通じて広く世界に見ていただこうという趣旨であった筈である。それは1964年の東京オリンピックが戦争によって荒廃した日本の復興を同じように見てもらう趣旨と重なる。意味あるオリンピックは何かとはこうした社会に向けた「意味」のことである。ちょうど高度成長期の時期であり、その後の日本の大きな転換を後押しするスポーツイベントであった。
長くスポーツを担当した新聞記者であった友人はこうしたオリンピックの変質を次のようにSNSを通じまとめてくれている。

『私は、当面の問題は別にして、「五輪」がすでに重症の制度疲労を起こしていると思います。
その1。開催誘致はロビー活動という舞台に、多額の裏金がバラまかれるという疑惑です。致命的な暗部でしょう。スポーツマンシップを知らないIOC委員が増えているようです。
その2。テレビ放映権など、スポンサーが五輪の会期や聖火リレーまでも牛耳っている現実です。日本の猛暑、多湿の時期に開くなんて、だれも歓迎しません。これって、米TVネットワークの注文というのが暗黙の了解事項。挙げ句、マラソンコースはいつの間にか北海道へ。
その3。五輪は、すっかり「ショー」になり、バラエティ番組化してきました。背景はアスリートのプロ化。今更、大昔のアマチュア至上主義に戻る必要はなく、スポーツが注目され、スポーツ環境が良くなるのであれば、ショーアップも少しは我慢してもいいですが。
以上、野球に例えるなら、3アウトでチェンジ。東京五輪は今年は中止、五輪の真の姿を真剣に考えませんか。いずれ、出直し五輪を東北のどこかで開きましょう。
コロナ禍という「災い転じて福となす」という格言通りに。
これ蛇足。来年の北京冬季五輪はどうなるの?』

コロナ禍によってオリンピックの「制度疲労」という本質が隠されてしまった。いや、逆にコロナ禍によって本質的な問題が炙り出されたと言った方が正確であろう。先日マラソンのテストマッチが札幌で行われたが、テスト当日の午後まんえん防止を政府へと申請すると鈴木知事から発表があった。札幌市民の多くはかなり以前から感染者が急増し早く手を打つべきであり、テストマッチどころではないと報道されている。また、その前にオリンピック開催に向けて医療体制の整備として看護協会に500名ほどの看護師派遣を要請し、コロナ対応で緊急事態にある医療に対し、それどころではないとする反発が湧き上がっている。
こうした「反発」は東京五輪の内容がいまだに明らかにされないことによる。勿論、観客を入れるのか否か、無観客なのか、あるいは中止なのか、オリンピックの本質に関わる全体像がいまだに決められないことによる。政府も東京都も、その決断をする前になんとか感染者数を抑えなければという理由からで、バッハ会長の来日前に緊急事態宣言の期間を「短期集中」としたことは容易に感じ取れることだ。しかし、その緊急事態宣言は延長され、そのバッハ会長の来日は無くなるという顛末である。オリンピックによって振り回される構図がさらに明確になったということだ。

ところで少し前になるが、小池東京都知事が東京五輪中止を言い出し、それで国民の支持を取り付け、国政に転出するという報道があった。東京五輪の1年延期を主導したのは安倍前総理だが、それは長年の天敵である小池都知事と手を組んでの行動だった。その流れから現職の菅総理が小池都知事と手を組み、IOC(国際五輪委員会)に働きかければという報道もある。つまり、東京五輪は「政局化」してしまったということだ。
小池都知事にとって東京五輪は単なる主催都市の責任者ということであり、極論ではあるがオリンピックへの思い入れは無い。元組織委員会の森氏との確執を見れば分かることで、世論が「中止」に向かっていくならば、そのタイミングを見計って中止発言をするのではとメディアは待ち構えている。
一方、菅総理にとっても少し前の訪米に際し、バイデン大統領からは「開催を支持する」ではなく、「開催の努力を支持する」と発言し、菅総理がバイデン大統領を東京五輪に招待することもなかったとする専門家もいる。つまり、菅総理も小池都知事も「同床異夢」ではあるが、共に「中止」へと向かう可能性はあるということだ。
ただ東京五輪開催はIOCにとっては大前提であり、無観客開催であっても実行するであろう。放映権料というお金になるからであり、ワシントンポストが日本は「損切り」を選んだら良いのではと言っているのも、日本の収入は観客からの収入で、無観客であれば約900億円の収入が無くなる、つまり損切りを促すのはこうした背景からである。その損切りは訪日外国人観光客によるインバウンドビジネス含まれない。東京五輪をチャンスにと東京には多くのホテルが建設され、多大な投資の回収が見込めない状況となっている。
また誰も試算しないが、建設された多くの諸施設は採算にあう施設もあるが、経済の復活次第ではあるがその多くは赤字になるであろう。豊洲市場の開発で莫大な赤字事業に加えて、東京五輪の負の遺産を抱え込むこととなる。

社会貢献すべきスポーツ、東京五輪が果たすべきどんな「意味」があるのか? 「社会」とは生活者のことであり、事業を営む人たちのことであり、その人たちがコロナ禍によって苦しんでいる。特に前回も書いたが大阪の医療は既に崩壊しつつあると言っても過言では無い。収容できない感染者は自宅待機ということになり、亡くなる方も多数出てきた。既に隣県である和歌山などに分散収容しており、更に心ある医師や看護師は自発的に手弁当で大阪の現場に集まっていると聞く。コロナ患者を受け入れている病院だけでなく、府内の町医者も側面からも後方からも支援に回っている。ある意味、全国、いや日本社会が大阪支援に向かっているということだ。
そんなコロナ禍で東京五輪の「意味」が問われているということである。バッハ会長の言うように、理屈上は日本のコロナ状況とオリンピックは別問題として考えることも成立はする。しかし、平和を標榜するオリンピックの隣でコロナ禍で亡くなる人がいるとしたら、その平和の祭典の意味は何なのか明確に宣言すべきでる。もしそれができないまま開催されるのであれば、私の友人が指摘するように「制度疲労」のまま、歴史に汚点を残すオリンピックになる。(続く)
  
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