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ヒット商品応援団
「人力経営」という本を書きました。ヒット商品の裏に潜んでいる「人」がテーマです。取材先はダスキン、エゴイスト、野の葡萄、叶匠寿庵、桑野造船の経営リーダー。ユニーク、常識はずれ、そこまでやるのか、とにかく面白い経営です。星雲社刊、735円、新書判。

2018年06月24日

日常をおもしろがる時代の着眼 

ヒット商品応援団日記No716(毎週更新) 2018.6.24.

少し前のブログに「デフレを楽しむ時代」になったと書いた。実はその楽しむ内容はと言えば、多種多様で一見捉えどころのないものとなっている。この10数年小売業態で急成長したのは周知のダイソーをはじめとした「100円ショップ」で、価格を100円均一とした広範囲な生活雑貨店である。それまでの生活雑貨と言えば趣味領域にテーマを持たせた東急ハンズやデザインに特徴を持たせた西武ロフトが流通していたが、100円ショップによって生活に必要な消耗品的雑貨が確立できることになったという意味である。ある意味、足りないところを埋めて来たと言っても過言ではない。総合スーパー、GMSが低迷しているが、ドラッグストアもそうであるが足りないものを埋める流通が成長し、「総合」ということでは足りないところを埋めることはできない時代になっているということだ。

デフレ時代のもう一つの潮流がホームセンターの成長に表れている。100円ショップは生活の隙間、日常の消耗品的雑貨であるのに対し、ホームセンターは「ホーム」に関する全てで、すでに出来上がった完成商品ではなく、DIYという名の通り作り手の創造性に応えるための素材が用意されていることにある。
ホームセンターという有店舗市場は約4兆円弱で停滞気味であるが、他の産業同様ネット通販にシェアーを侵食されており、DIY市場全体としては着実に伸びていると推測される。
この市場の中心はDIYというクリエーターとしての創造市場であったが、次第に価格面でも価値基準を持つ顧客も加わっていることによって市場全体としては伸びていると言える。特に、ペット関連や家庭菜園など園芸用品はそれに当たる。

こうした傾向の背景にはもちろんのこと「成熟した生活」がある。よく成熟を誤解してしまうことがあるが、それは1980年代までのような成長、次々と新しい何かの刺激しよって生き生きとした生活を送っていたことに対し、バブル崩壊以降は収入は増えないが、デフレ経済の下にあって一定の購買力を保持することができる生活となっていることを成熟と呼んでいる。消費もリスクのある、つまり当たり外れのある買い物ではなく、好きで永いこと使えるか、もしくは外れても悔いのない安いものを試して購入する、そうした消費傾向を見せるようになる。これがデフレ消費の本質であるが、そうした「考え・行動」は徐々に熟成し、極めて賢明な楽しさのある消費へと向かっている。好きなもので日常生活を埋めて行く、これがデフレを楽しむ消費の本質である。一見すると停滞しているように見えるが、そうではないということだ。

ところで、2年ほど前から冷凍食品市場が急成長している。日本冷凍食品協会によれば平成29年度における国内消費については、国民1人当りの年間消費量は、22.5 キログラムとなり、過去最高を記録した。また、金額ベースでは 1 兆 585 億円と 1 年ぶりに 1 兆円を上回ったとのこと。この伸びの一番の理由は従来の子供の弁当惣菜ということからさらに進化した時短調理要請によるものと推測されている。冷凍食品についてはその技術の進歩もあって、今や夕食用の本格冷凍弁当まで販売されており、夫婦共稼ぎ世帯では必須食品となっている。
こうした時間に追われる生活であるが、実は自由時間を創り出すためのものとしてあり、今風に言えば、ワークライフバランスのための必須アイテムとなっているということだ。ここから得られた「時間」をどう使うかであり、その自由時間は日常生活の中心となっているということである。

デフレというと節約という言葉とともに何か暗いイメージで語られることが多いが、生活者は収入が増えないなか、楽しむための様々な工夫をして自由時間を確保しているということである。総務省の調査からも「自分の 趣味にあった暮らし方をする」とした人が一番多く40%前後となっているように、もう少し言うならば暮らし方とは「好きな時間」をどう創るか、どう使うかである。
そこでメーカーも小売業も等しく行って来たのが「小」への再編集であった。量やサイズはもとより価格までを小さくして販売して行く革新であった。こうした革新から生まれた代表的業態が前述の「100円ショップ」であった。しかし、スタート当初のダイソーはその成長の鍵として”100円で「こんなものが買えるのか」という新鮮な感動”を提供するために、次の3つを目標とすることにあったと創業者は語っていた。
1.「買い物の自由」;
すべて100円、価格を気にせず買える。買い物の解放感、普段の不満解消。「ダイソーは主婦のレジャーランド」。2.「新しい発見」;
「これも100円で買えるの?!」という新鮮な驚き。月80品目新製品導入。
3.「選択の自由」;
色違い、型違い、素材違い、どれを取ってもすべて100円。
さて現在のダイソーをはじめとした100円ショップはどうであろうか。アイテム数の格段の増加などあるが、より顧客に近ずくためのアイディア・工夫された商品が数多く店頭に並ぶ。例えば、固いバターをふわっと削ってくれるバターナイフ。10数年前ヒットしたご飯粒のつかないしゃもじと同じ着眼商品であるが、このように小さな「新しい発見」が次から次へと誕生している。困ったときの100円ショップから、生活を楽しく刺激してくれる100円ショップへの進化である。少し褒め過ぎかもしれないが、絶えざる小さな生活革新創造企業であろう。

さて今起こっていることの本質は日常生活の再編集ということになる。ハレとケという言い方をするとすれば、「ケ」をどれだけ豊かに楽しみを持った暮らしとするかが消費の中心となっているということである。例えば、その日常とは表通りではなく路地裏に、埋れていた街場の中華料理店に、日常の賄い飯が裏メニューに、朝市など雑多な商品が集まる市場に、・・・・・・・「雑」をどのように生活に取り入れ楽しむかに関心事が移っており、そのためには多くのものを「小さく」することが必要となっているということである。価格も、量も、そして多様なサイズ・カラーも、そして何よりもどんなアイディア・着想なのかが明確になっていて、それが刺激的であるか否かが消費を促すこととなる。
つまり、アイディア自体も小さくてかまわない。そうしたアイディア集を未来塾で後日公開したいと思っているが、例えば神奈川平塚の地域の人にとっては慣れ親しんだパンに弦斎カレーパンがある。カレーパンはどこにでもあるが、弦斎カレーパンの場合カレーライスのようなカレーパンで福神漬けまで入った文字通りのカレーライスパンである。もう一例挙げるとすれば、横浜六角橋商店街にある洋食の「キッチン友」に「友スペシャル」というメニューがある。一見すると山盛りの玉ねぎ炒めに見えるが、中から豚肉やポテト、人参などが出てきて小さな驚きが生まれる、そんなちょっとしたメニューである。日常とは特別なことではなく、大きな驚き・サプライズは必要ない。「雑」の中にちょっとしたアイディア、ちょっとした気遣い、そんな「ちょっと」が嬉しくてまた使ってしまう通ってしまう、そんな時代である。(続く)  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:11Comments(0)新市場創造

2018年06月19日

見える化から感じる化へ (後半)

ヒット商品応援団日記No715(毎週更新) 2018.6.19.



このブログはマーケティングをテーマとしているので後半では本題に戻るが、こうした心理環境の中で際立ってきたのが「感情」が激しく行動を揺さぶる時代に入ってきている。勿論、誰もが感情を持ち、泣いたり笑ったり、怒ったりといった喜怒哀楽は持っている。この20数年の時代変化、特に個人化社会という帰属社会が会社や家族から個人へと移行した時代にあっては新たな「仲間社会」を産んできた。そして、この仲間から外されることの中に「いじめ」があった。もう一つが「キレる」という行き場のない感情が爆発するといった現象が至る所で見られる社会となった。これらはストレス社会の中のバラバラとなった個人に関わる新たな社会問題の出現である。しかし、こうしたネガティブな問題を解決あるいは緩和する「術(すべ)」もまた生まれてきている。その一つが少し前にブログに書いた「笑い」のある社会である。商品に、店作りに、ちょっと笑える、和ませてくれる、そんなことが求められている時代である。

ところでその本題であるが、こうした「感」が強く出てくる時代のマーケティングでは消費をどう考えるべきかという課題である。まず価格はデフレ時代においては消費を決める最大の鍵であるが、顧客との間で交わされる「共感」が不可欠な要素になってきたと考えている。今までの「訳あり」といった理屈による納得価格・お得な価格という心理価格から、考え方に共感したから、そこまでやるかといった気持ちが分かるから、あの人がやっているから、こうした共感価格とでも表現したくなる価格の受け止め方が生まれてくる。つまり、今までのお得を訳ありという「見える化」から、その比較から言えば「感じる化」ということになる。

前々回の未来塾にも少し書いたが、元気な大阪、その中でも飛び抜けた賑わいを見せる大阪ルクアイーレバルチカで一番の行列店になっている店が鮮魚店が経営する「魚やスタンドふじ子」である。
前回その店頭の写真を掲載したが今一度冒頭の写真として載せておく。普通に考えるのであれば、鮮度感や季節感を表に出したメッセージになる。つまり、旬を売り物にするのだが、それは二番目となっている。一番目は価格感を前面に出した店作りである。店頭の看板には「海鮮が安いだけの店」とある。但し、その安さの表現だけであれば、つまらない表現であるが、一度食べればその鮮度ある美味しさに唸ってしまう。激安あるいは激ウマといった表現が氾濫する中で、嘘とは言わないが、レトリックばかりの表現が充満している時代である。その逆を見透かしたようなリアルな美味しさ、そのギャップにやられてしまうといった感じである。面白いことにその「やられた感」は他者に話してみたくなってしまう。結果、口づてで評判が伝わるという「感」の連鎖が生まれる。これが若い世代を開発する戦略となっている。

この「感じる化」は体験してみないとわからない。そのためには入り口としてのメニューと「価格帯」に工夫が必要であるということである。単なるお試しメニューとその価格帯ということではなく、極めて多様なメニュー、好みに応えられる「小さな単位(りょう)」の「小さな価格」のメニューが用意するということである。あれこれちょっとづつといった「雑」メニューの満載である。価格帯としては300円を中心に200円から400円台となっている。つまり、共感価格という言い方をするならばこうした価格帯となる。この「魚やスタンドふじ子」では勿論昼のランチとして刺身定食のようなメニューもあるが、多くの若い世代はそうした単品を食べている。
つまり、あらためて使用価値・体験価値が求めれてきているということである。その背景にはネット社会というバーチャル世界・仮想世界と現実リアル世界・日常世界とを「行ったり来たり」する必要性がますます求められているということである。これからもAI(人工知能)が生活のいたるところへと進行していくと思うが、この行ったり来たりということがビジネスの仕組みの中に組み込まれる時代がきているということだ。若い世代の場合はこの行ったり来たりを当たり前のことと考えており、ある意味「コスパ世代」としてリスクヘッジをしているとも言える。友人からの情報をスマホで調べ、興味あるものであればちょっと試してみる。良ければ以降も使うが、気に入らなければそれで終わるということだ。そうした意味でシビアであり、お金の使い方がうまいということである。

そして、もう一つ付け加えるとすれば、「魚やスタンドふじ子」は昼飲みの店である。元々大阪では昼飲みと言えば、新世界か京橋と決まっていて、いわば「オヤジの街」の風景であった。しかし、今や大阪の中心であるターミナル駅ビル地下では若い世代の「昼飲み」が至る所で見られ当たり前の風景となっている。アルコール離れと言われていた世代であるが、確かにオヤジのように酔うために飲むのではなく、仲間とワイワイガヤガヤするためのいわば「ツール」としての飲み物であり、CMでオンエアされているがチョーヤの「酔わないウメッシュ」もそうしたツールということができる。つまり、「昼飲み」は若い世代の新しい一つの集いスタイルになったということである。

若い20代世代は消費の舞台にのることの無かった低欲望世代と言われ続けてきたが、実は舞台が無かったということである。この舞台は料理を味わう、会話を楽しむ舞台ではない。同じ世代の仲間同士が放課後の部活の部屋で集まるように、仲間内の話をする場所という意味である。数年前、こうした若いコスパ世代のデートとして、コンビニでドリンクとツマミなどを買い、デート場所は自宅で、興味はもっぱら貯金であると揶揄されてきた。しかし、喋り合うことが目的であり、消費金額から言えば。昼は1000円未満、夜も3000円未満という金額は決して高くはないということである。行列の絶えない「魚やスタンドふじ子」と「コウハク(紅白)」共に中心は女性で、女子会と思われる数名のグループが多く見受けられた。ここ数年、カラオケボックス人気が急速に落ち込み、しかも若い世代それも女性のカラオケ離れが進んでいるという。勿論、一人カラオケといった使い方に見られるようにカラオケ好きは勿論存在している。しかし、広いカラオケルームは数名の顧客利用によって経営は成り立っている。シダックスを始め対策は取りつつあるようだが、このカラオケ離れの一部は間違いなくこうした集まれる場所に来ていると推測される。ちなみにカラオケボックにおける客単価は1100円前後となっていて、同じような消費金額である。つまり、「好きな仲間と集まれる場所」「ワイワイガヤガヤ喋り合える場所」、ある意味日常的な出会いイベント場所が新たにつくられたということであろう。まさに、若い世代の「雑・エンターテイメント」空間の誕生ということである。

今回は「感じ方」として若い世代、特に女性を中心に事例を踏まえてデフレが常態化した時代の着眼を書いてみた。ただこれは若い世代だけでなく、ここ数年の傾向としてあるのが「雑」集積を巡る楽しさの必要性である。整理されてはいない、ごちゃごちゃ感、一種猥雑な感覚のことである。窮屈でない、自由気ままに楽しむ感覚である。市場感覚、様々な売り物、小さな店々、声が飛び交う賑わい、そんな街を店を巡る楽しさである。東京で言えば築地の場外市場や上野のアメ横であり、大阪の場合では黒門市場や難波の道具屋筋ということになる。
あるいは「下町」と言っても構わない。オープン感覚、店の人間と顧客との声が十分届く距離。そんな店づくりが求められているということである。結果、生き生きとした店、顧客を主人公にしてくれるような舞台としての店である。
小さな価格で、雑としたメニュー、小さな満足を提供する店、ある意味「100円ショップ」感覚とでも表現したくなる店づくりへの再編である。(続く)  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:06Comments(0)新市場創造

2018年06月17日

見える化から感じる化へ (前半)

ヒット商品応援団日記No715(毎週更新) 2018.6.17.

前回の未来塾で「共感価格」と言うキーワードを初めて使った。テーマとしては1年数ヶ月後に実施されるであろう「消費税10%時代」をどう超えていくべきか、その消費心理のキーワードとして使った。デフレが常態化した時代における価格意識はそれまでの「訳あり」に代表れたお得という納得価格から共感価格へと向かう、そうした主旨であった。未来塾では今一番元気な地域大阪のいくつかの事例を踏まえてこの共感価格を取り上げた。事例に於いては「何に」着眼・強化するのかに主眼が置かれたが、実は広く「社会」と言う視点に立っても、この「共感」が時代のキーワードになっていることがわかる。

少し前に5歳の船戸結愛(ゆあ)ちゃんが両親による虐待によって亡くなった事件が報道された。亡くなった結愛ちゃんがノートに書き綴った反省文を読んで多くの人はかきむしられる思いがしたであろう。詳しいことは既に新聞を始め報道されていることからこれ以上書くことはやめる。何故、虐待を止められなかったのか東京への移動に伴う児童相談所の連携、あるいは児童相談所の担当者が母親との面会を拒否された時何故警察と連携し保護できなかったのかなど制度上の問題は残されている。そうした問題点の解決はなされていくとは思う。しかし、そうしたこと以上に、いやそれとは全く異なる「思い」が噴出したのは私だけであろうか。新聞に掲載された船戸結愛ちゃんの反省文の一部を転用する。

もうパパとママにいわれなくてもしっかりとじぶんから きょうよりも 
もっともっと あしたはできるようにするから
もうおねがい ゆるして ゆるしてください おねがいします
ほんとうにもう おなじことはしません ゆるして
きのうぜんぜんできてなかったこと これまでまいにちやってきたことを なおします
これまでどれだけあほみたいにあそぶって あほみたいだからやめるので
もうぜったいぜったいやらないからね ぜったいやくそくします
あしたのあさはぜったいにやるんだとおもって いっしょうけんめいやる やるぞ

これほど純粋に自分と向き合った「反省文」、わずか5歳の女の子が書いた反省文である。行き場のない怒りの感情が次から次へと湧いてくる。その後の報道によれば虐待が発覚して児童相談所や警察に介入されることを恐れ隔離し病院へも連れて行かず放置したと言う。厚労省によれば児童虐待はここ数年増加傾向にあり、平成27年度には103,260件となっている。その増加要因の多くは「心理的虐待」であると。虐待の内容にあって、それまでの「身体的虐待」に代わって「心理的虐待」が47.2%と半数近くにまで増えている。その心理的虐待とは、言葉による脅し、無視、兄弟間での差別的扱い、子どもの目の前で家族に対して暴力をふるうなどを指す。
船戸結愛ちゃんの場合は満足な食事が与えられなかったことを含めた「身体的虐待」もあっての無惨死であったと思うが、父親による執拗な言葉による虐待の中で書かれた「反省」である。結愛ちゃんが書いたメモの中に、「あほみたい」といった表現があるが、5歳の子供が使う言葉ではない。これは父親である船戸容疑者から繰り返し暴力的に「あほ」と言われてきた言葉であることが推測できる。

実は同じ「反省」が1ヶ月ほど前にもあった。周知の日大アメフト悪質タックル事件である。悪質タックルの理由が公になったのは、加害選手が謝罪会見に一人実名で臨んだことから始まる。記者からの質問にも真摯に答えていた当事者である宮川選手の「反省」であった。翌日やらざるを得なくなって記者会見をした日大アメフトの内田監督と井上コーチの「反省」とを比較し、どちらの方が真実か、どちらが嘘をついているのか、多くの人は明確に感じ取った。宮川選手の悪質タックルは精神的に追い詰められての行為であったことが明らかになり、被害を被った関学のアメフト部と被害選手も宮川選手の謝罪を受け入れ、逆に既に社会的制裁を受けたとしてそれ以上のことは望まないと言う立場に至っている。「パワハラ」と言う言葉で簡単に済ませがちであるが、本質的には結愛ちゃんへの心理的虐待と同じである。
「反省」という内なる自身に向き合い、何が問題であったかを自身の言葉で語る中に言葉では表せない「何か」が否応無く出てくる。それを多くの人が強く感じる時代にいるということである。

日大のアメフト事件についても同じように危機管理がなされていないと報道されているが、その多くは記者会見のやり方などイメージ操作のためのテクニックばかりである。ネクタイの色から始まり言葉づかいまでコメントしているが起こってしまったことに当事者が真正面から向き合うこと以外にない。向き合い方は各人が決めれば良い。事実を引き出す記者もいれば、ある意図を持っての意地悪な質問もある。視聴者はそれら全てを感じているのだ。よくもこんな人間が報道現場に身を置いているなと思うことも多い。
危機を超えたかどうかは視聴者が読者が決めることであって、当事者でも、危機コンサルタントでも、記者でもない。そうした意味で、悪質タックルという罪はあるが、危機を超えたのは宮川選手自身の間違っていたことを認め、その内なる原因までをも吐露したことであり、態度であった。記者会見に臨む100%の人間は「真摯」という言葉を使う。そのほとんどが嘘であることを知ってしまった社会にいる。そして、何よりも被害者への詫びる心、その誠実さがあったからである。

思い出すのは10年ほど前に起きた三笠フーズによるあの汚染米事件である。汚染された事故米の流通先は多様で、原材料として使用した酒造メーカーは、農水省が公開をためらっているなか、自ら公開した。いち早く汚染された米使用商品を公開し自主回収に向かった薩摩宝山をはじめとした焼酎・日本酒メーカーの事件である。そして、その後汚染米と知って使って嘘をついた美少年酒造は破綻し、本当に知らずに使っていた西酒造(薩摩宝山)は逆に顧客支持を取り戻し、焼酎の一大ヒット商品となった。この2社の間にあるのは顧客を信じる真摯さ、誠実さだ。そして、消費者は西酒造社長の記者会見という「情報」からそれらを感じ取ったからであった。
日大の宮川選手には「嘘」がないと多くの人は感じ、西山酒造と同様いつか復帰できる道があったらと思っている。

心理市場化と言うキーワードが生まれて20数年ほど経つが、同時に生まれたのが「見える化」であった。見えない世界を見えるように、わかりやすいようにと行われた経緯がある。それは過剰とも思える情報社会にあって間違えないようにするための知恵であった。しかし、それでも全てが見えるわけではない。見えないところで行われる不正の多くは情報の改竄、隠蔽でまさかと思われた不正が官僚・財務省の公文書偽造であり、企業では神戸製鋼所の製品の品質数字の改ざんであろう。数年前ドイツのフォルクスワーゲンによる不正の場合は、経営幹部が意図的にデータ改ざんを行う不正であったが、財務省も神戸製鋼所も組織上の「忖度」あるいは「組織風土」といった見えない世界での不正である。但し、財務省の職員の一人は推測するに改竄したことに苛まれて自殺しているのだが。これを日本的と言えばそうであるが、それだけ「こころ」が強く働く社会が日本という国である。2000年代初頭若い世代の間で「空気読めない」という言葉が流行ったが、これも同じこころを仲間内で共有する言葉であった。

心理とは外からは見えない世界であるが、少しの想像力があればわかる世界でもある。昨年の新語・流行語大賞になった「忖度」も同じである。つまり「感じとること」であり、社会には嘘や欺瞞が充満していることから、「感」が今まで以上研ぎ澄まされてきたと言うことであろう。感情の言葉である「いいね」の場合も、「悪いね」の場合も、そうと感じた人が圧倒的多数を占める時代になったと言うことだ。ある意味言葉の裏側にある「何か」を感じ取る敏感社会になったということである。後半ではこの敏感社会がどのように消費に結びついているかを考えて見た。(後半へ続く)  


Posted by ヒット商品応援団 at 14:01Comments(0)新市場創造

2018年06月07日

未来塾(32)「消費税10%時代の迎え方」(1)後半 

ヒット商品応援団日記No714(毎週更新) 2018.6.7.




消費税10%時代の迎え方(1)


かなり以前からデフレが常態化していると指摘をしてきたので、繰り返す必要はないであろう。一言で言えば、少し前まで物価上昇への期待と共に「消費」活性化への期待も生まれてはいたが、何故頓挫してしまったのか、答えは明白である。収入が増えない中では、最近また原油価格が上昇したり、人手不足による賃金上昇によって、一定の物価が上昇しても収入が増えない以上、消費心理は節約をはじめとした様々なお金の使い方など工夫をする、そんな消費の方向に進むのは至極当たり前のことである。理屈っぽくいうならば、賃金上昇が限られている場合、物価が上昇すれば、それだけ実質購買力が低下し、消費は落ちるということだ。

今回大阪という地域を選び、しかも主に「食」というテーマを選んだのも日常消費の中心である「食」、デフレ下の「食」に極めて「元気」な変化を見ることができたからである。
地域には地域固有の商い文化があり、消費文化もある。多くのものが標準化してしまった時代にあって、この「固有」が残されている地域の一つが大阪である。この固有文化、庶民の食が、どのように生まれ変化しているかその原型の世界を「うどん」に見ることとした。食い倒れの街としての歴史は古く、日本の食の誕生と原型がここ大阪にはあるということである。消費税10%という時代をどう迎えるのか、生活者が持つであろうその「増税感」を超える「満足」は何かという課題である。

「誕生物語」を今一度考えて見る

どんな企業も、その業種や規模の違いはあっても必ず「誕生物語」はある。そこには「何が」顧客を魅了したのか、そのビジネスの「原型」があるということである。うさみ亭マツバヤの場合、元祖きつねうどんは顧客から教えてもらったことから生まれている。肉吸いの千とせも顧客であった吉本の芸人花紀京が「肉うどん、うどん抜きで」と注文したことから生まれている。かすうどんはどうかと言えば、大阪人の焼肉特にホルモン好きから生まれたうどんである。まだその歴史は浅いが大阪ではかすうどん専門店が出現するほど、その市場の裾野は広がっている。さらに、シチュウうどんまであることを書いたが、これは「大阪的」と表現した方が適切ではあるが、市場の広がりを示した事例で、こんな食べ方、あんな食べ方、そんなアイディア・工夫のある「文化」、これが大阪の「食い倒れ」という消費文化である。食い倒れとは、大阪人の飲食にぜいたくをして、財産をつぶしてしまうさまを言い当てた言葉と言われているが、「そこまでやるか」というオタクのような一種の商いへの執着のことを指している。その根底にあるのは絶えざる工夫、常に顧客を見続ける商売ということになる。誕生物語に立ち返るとはこの原点に立ち返って今一度考えて見るということである。
そして、うさみ亭マツバヤの場合、その「おじやうどん」というもう一つの名物が生まれている。これは元祖きつねうどんは多くの飲食店でもメニューとして取り入れられ、一般化してしまったことによる。「違い」「新たな魅力」を創るという課題への一つの答えであろう。そして、うどんだけでなく、おじやも、そして具沢山のトッピングという新しいメニューが生まれ、次の名物になった。
千とせの場合は、この5月に吉本のグランド花月の1階に千とせ別館を出している。あくまでも吉本の芸人によって生まれた名物をより強めていく考え方である。そして、名物の肉吸いの「売り切れごめん」というのはその証左であろう。ある意味、肉吸いの誕生物語を薄めさせていくことなく、更に強めていく考えによるものである。何故なら、大阪では讃岐うどん系のうどん店も多く、うどん市場は激しい競争下にあり、更に言うならばお好み焼きもラーメンもあり、・・・・・・過剰なほどの選択肢の中での競争である。「千とせ」の観光地化という戦略はその誕生物語が面白い伝聞になるものであり、生き残るために不可欠なものとなっている。

野外すら劇場店舗とする発想

ここ数年賃料に見合う売り上げを上げられねい飲食店が続出している。常態化したデフレ時代にあって、旧来の「業態」の変革が求められていると言うことであろう。空き店舗となった銀座の店舗を居抜きで借りて、本格フレンチなど提供する「立ち食い」業態を聖刻させたのはあの「俺の」である。こうした既にあるものを生かす発想は古くは「紅虎餃子房」で知られている際コーポレーションもそうであった。六本木の破綻した中華料理店を借り受け「紅虎餃子房」をスタートさせたのが1号店で、以降店舗改装部署を社内に置いて多様な飲食業種に対応している。
あるいは「立ち食い」と言うスタイルも江戸時代の屋台をルーツとしているが、冒頭の居酒屋とよはそうした過去の業態にはない破天荒な居酒屋であった。テーブルと言えばホームセンターで売っているような家庭用のものであったり、ビールケースの上にステンレス製の板状のものを置いてあるだけとか、とにかく店舗(?)にお金はまるでかけていない居酒屋である。写真を見ていただければ分かるように屋根はあるものの雨であれば濡れるのは必至。アルバイトの女性に聞けば、雨の日はさすがに行列はないが、それでもお客さんが来ると言う。顧客層も「オヤジの街」と勝手に決めつけていたが、若い女性も多く、同じテーブルに相席したのは若いカップルであった。勿論、お目当てはインドマグロではあるのだが、この立ち食いスタイル、都市の中にポツンと空いた空間で、しかもほとんど路上との境目のない野外という、ある意味異空間のような店である。TV番組「マツコの知らない世界」ではないが、こんな場所に、こんな居酒屋があるとは知らなかった。
こうした面白さ、野外居酒屋を満喫したのだが、名物オヤジのもう一つのパフォーマンスを見ることができなかった。それはマグロの頬肉を網の上で焼くのだが、上からはバーナーで焼く、そんなパフォーマンスが見られなかった。ちょうど宮崎の名物である地鶏の網焼きに似ているが、しかもバーナーでも焼くと言うことでこれも名物になっているとのこと。実際のパフォーマンス写真ではないが、食べログの写真を載せておくこととする。
全てが標準化という均質世界にあって、今までとはまるで違う「異質」な世界に多くの顧客は魅せられているということだ。この野外劇場の主役はこの名物オヤジであり、名物のインドマグロということになる。

そして、ここから学ぶとすれば店舗が果たす役割は「人」によるライブ感、リアリティのある「劇場」にしなければならないということになる。ネット通販が中心となっている便利で安く手に入るこの時代に、有店舗の意味があるとすれば、この「実感劇場」ということになる。この実感劇場とは、店のスタッフと顧客とが「交感」する舞台のことである。いま風に言うならば、「いいね」を超えた信者・オタクにつながる舞台になるということである。ちなみに、新しくなったバルチカの焼き小籠包の店頭ののれんには「肉汁注意」というシズル感を投げかけるメッセージがあった。こうした店頭の工夫も劇場化の一つである。

「食」という新たなキラーコンテンツ

時代時代によってキラーコンテンツ、生活者が虜になってしまう商品はある。例えば、1950年代後半には電化製品でいうと白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫の家電3品目が『三種の神器』と言われ、高度成長期には、カラーテレビ (Color television)・クーラー (Cooler)・自動車 (Car) の3種類の耐久消費財が新・三種の神器といわれ、今日のキラーコンテンツはどうかと言えば商品として言えばスマホということになる。つまり、内実はインターネットの世界であり、ITとでも表現するしかない。
今という時代にあって生活者を惹きつけるものがあるとすれば、それは「食」ということになる。家計調査を読み解けばわかるようにこの10数年で一番消費額が増えたのは「情報」への消費で、そのほとんどがスマホである。そして、その「食」であるが、デフレ下にあって切り詰めるのが「食」であり、生活者にとって最大の関心事は食で、しかも日常食である。節約、切り詰めるといっても戦後の物不足の貧しい時代の節約ではない。一見節約の対象である食がキラーコンテンツになることに疑問視する人も多いかと思う。しかし、その「食」に小さな楽しみを見出すデフレマインドにあっては、食は人を惹きつける新たなキラーコンテンツになっているというのが、私の仮説である。

正確なデータにはなってはいないが、消費を促す情報という視点に立てば、TVの情報番組や「孤独のグルメ」のようなグルメをテーマとした番組、あるいは旅番組などもその多くは「食」を取り上げたものばかりである。過去1980年代はTV番組の構成に多くのファッションブランドが番組制作上のコラボレーションとして使われていた。つまり、現在はファッションに代わって「食」がその役割を果たしているということである。今やご近所だけでなく、温泉などを組み合わせた食べ歩きが盛んであり、日帰りバスツアーのメインはほとんどが「食」となっている。しかも、周知のように「クックパッド」という投稿サイトは食への関心をさらに高めることに繋がっている。
こうしたことを背景に大阪に2つのキラーコンテンツが新たに生まれた。大阪ルクア地下の新バルチカとフードホール、もう一つが阪急三番街のウメダフードホールである。大阪の人にとって驚くことではないが、前者はJR線の駅ビル地下で、後者は阪急電車のホーム下という、つまり梅田という関西における一大ターミナルにおける食の集積商業施設である。更に言えば、この2つの商業施設の間には日本一の集客を誇る阪急百貨店の食品売り場がある。一見過剰とも思える梅田エリアへの集積であるが、各々顧客層が異なっていてある意味満遍なく顧客を魅了している点にある。
そして、ルクア地下のバルチカとフードホールは伊勢丹撤退跡の売り場であり、阪急三番街のウメダフードホールは中心からハズレにある北館という沈滞したエリアへの活性化策として実施され、現時点においては共に良い結果を残しているようだ。前者の顧客層は若い世代の男女が中心となっており、後者は近隣のビジネスマン・OLと共に阪急沿線住民・ファミリー層となっている。前者は1500坪、後者は700坪という大きな商業施設に顧客が押し寄せているという結果を踏まえれば、デフレ時代のキラーコンテンツとしての役割を果たしていると言えよう。そして、なんば・道頓堀を訪れていた訪日外国人は次第にこの2つのフードテーマパークにやってくるであろう。

鮮明になった「価格帯市場」という納得価格

そのデフレが常態化した時代の「食」というキラーコンテンツには鮮明な「価格帯市場」とでも呼ぶに相応しい現象が現れている。まず新バルチカとフードホールについてであるが、バルチカ成功の先導役を果たしてきたのが入り口にある洋風おでんとワインの店「コウハク(紅白)」である。何回かブログにも取り上げているので価格だけを紹介すると、グラスワイン380円、名物の洋風おでん180円と極めて手軽な価格帯となっている。
この新バルチカでもう一店行列の絶えない店がある。前述の鮮魚店が経営する「魚やスタンドふじ子」も同様の安い価格帯となっている。店頭のサイン看板には「海鮮が安いだけの店」とある。
京橋では当たり前となっている「昼飲み」がここ梅田の駅ビル地下で推奨されているのだ。日本酒はコウハクと同じ価格の380円。
肴も380円を中心に200円台から高くても500円台。種類も豊富で店は若い男女で満席である。写真には写していないが、写真右側には行列ができており、キラーコンテンツの「食」にあって、更にキラーコンテンツとなっているのが、「洋」の紅白、「和」のふじ子である。ちなみにボリューム満点の刺身定食は995円と、これもお得価格。
ショッピングセンターの常であるが、幅広い顧客層に応えることが求められている。あまり良い比較例ではないが、焼肉の店が2店出店しており、肉にこだわった高級店「焼肉トラジ」と一人焼肉ができる「やきにく萬野」である。
「焼肉トラジ」と「やきにく蕃野」で、前者は老舗の本格高級焼き肉チェーン店であり、後者は卸売問屋が経営する今流行りの「一人焼肉」のスタイルの焼肉店である。何故この2店を比較事例として取り上げたのかは、やはりその価格帯の違いである。前者は夜のコースだと5000円以上で昼のランチは1500円、後者は昼のランチは1000円程度となっており、マーケットの違いとは言え、前者はガラガラであったが、後者はそれなりの顧客で埋まっていた点にある。

余談になるが大阪ルクアには伊勢丹撤退跡にはユニクロとguが入っている。共に500坪以上の大きなスペースであるが、誕生祭というセール期間中であったが、ユニクロは一定の集客もあって売れている様子であったが、guは今一つといった状況に見えた。快進撃を進めてきたguであったが、それはジーンズ、ガウチョパンツといったヒット商品によるものであったが、その後のヒット商品は出てきてはいない。つまり、単なる低価格帯だけでは維持できないということも明らかになっている。それは同じように低価格メニューで快進撃を続けてきたラーメンの幸楽苑の低迷と同じである。周知のように290円まで下げたラーメンでは経営できず元の価格390円に戻す(新・極上中華そば)という路線転換を図ったように単なる低価格だけでは顧客は次第に離れていくということである。

今回取り上げたうさみ亭マツバヤのおじやうどんは780円、千とせの肉吸いも小玉とのセットで860円、居酒屋とよについてもあのボリュームの刺身などの三点セットで2850円。
今回は食べることができなかったが、大阪の友人に言わせると安くてうまいのは当たり前、うどんなら「なんばうどん」が良いと言う。ちなみにうどん そば170円。寿司を食べるなら新世界ジャンジャン横丁の大興寿司。回転すしではなく、カウンターで職人が握ってくれる寿司店である。一皿二貫ではなく三貫150円からという寿司である。そこには「これでもか!」といった超低価格か、更にそこにアイディアが込められたものしか生き残れないということである。
結果として、「納得価格」という考え方が生まれる。消費税8%の時は「まあこれでも良いか」といった心理であったものが、これからは今まで以上に明確な「納得価格」が求められるということである。そして、勿論納得価格は顧客が決めるということである。死語となった感のする顧客満足であるが、別の言葉で表現するならば徹底した「満足価格」ということになる。

共感価格の時代へ

今から10年ほど前、「付加価値という幻想」というタイトルでブログを書いたことがあった。付加価値の多くは「こだわり」という「訳あり」によって創られてきた。しかし、そうした情報はすぐ競争相手に伝わり、「類似したこだわり」が生まれる。結果、「こだわり」の再生産がなされ、市場に充満していくこととなる。「こだわり」は文化という固有性にまで時間をかけて昇華されないかぎり常に一般化してしまうということだ。いつの時代も顧客価値が価格を決める。消費税10%時代とは次の新しい価値時代を迎えるということである。居酒屋とよに見られたように劇場としてのライブ感のある「店舗」のあり方。単なる安さではない価格帯市場としての「満足価格」のあり方。そして、何よりも店の生き死にを決める「人」の活かし方。更には、デフレが日常化した時代における新たなキラーコンテンツ、「食」のあり方。そんなことを十分分かった「共感価格」へと向かう。つまり、納得から共感へ、これが消費税10%を超える消費であり、そしてブランド化へと向かうということだ。
誕生物語への共感、そして変化し続けることへの共感、そこに新たな価値消費が生まれる。(続く)
  


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2018年06月05日

未来塾(32)「消費税10%時代の迎え方」(1)前半 

ヒット商品応援団日記No714(毎週更新) 2018.6.5.




「消費税10%時代の迎え方」(1)

ロングセラー誕生物語と
その成長

来年10月には先送りを重ねてきた消費税10%が間違いなく導入されるであろう。8%と10%の差はわずか2%であるが、高くなったという消費心理は勿論のこと、10%への心理としては「わかりやすく」なったということである。例えば、税抜き前1000円であれば今までは1080円であった商品が1100円になり、その差20円高くなったという受け止めではなく、消費税が100円になったという心理が働くことは間違いない。つまり、「わかりやすく」とはそれだけ強いインパクトを持って受け止められるということである。これから1年4ヶ月ほど未来塾の主要なテーマとして、この「消費税10%時代」を軸に考えていくこととする。

どんなビジネスであれ、安定した売り上げ、しかも継続してわずかでも成長するビジネスを目指す。いわゆる求められるのはロングセラー商品であるが、これは言い得て極めて難しい課題である。消費税10%時代、いや国の借金を考えればそれ以上の消費税率が財政健全化上必要な時代を迎えており超えなければならない大きな課題である。

ところでロングセラーとは言葉を変えれば、老舗のことであり、ブランドにも繋がるキーワードである。もともと日本は周知の通り世界でダントツNo.1の老舗大国である。何故何百年も続くのかというテーマについてはブログにも何回か書いてきたのでここでは再録はしないこととする。ただ世界最古の建築会社である金剛組が幾多の戦乱に出合い、明治維新による廃仏毀釈によって仕事が失われ、それでも今日まで存続している理由を思い起こすことが必要である。。
ここでは愛され続ける訳、永く使われる訳、その「訳」に着目し、人を惹きつけ続ける魅力がどのように生まれ、それが人から人へと伝わり広がっていくのか、そうした「消費物語」に焦点を当て「消費税10%時代」の生き残りの術を見出していくこととする。

野外劇場という「パフォーマンス」

劇場化というキーワードが広く一般化したのは小泉政権の誕生によってであった。周知の元総理小泉氏による多くのパフォーマンスの意味は、人目を引くための演出・演技のことであり、あらゆるものがメディア化してしまった時代には、その人目をひくために周到な「舞台」がつくられることが必要であった。小泉劇場はそのわかりやすいパフォーマンスの第一歩であった。
ところで冒頭の写真は大阪の人にはよく知られた京橋の路上にある立ち飲み居酒屋「とよ」である。京橋はJR環状線と京阪電車とが交差する街で飲食店も多く「オヤジの街」、立ち飲み居酒屋も多く「昼飲みの街」とも表現されている街である。
実は京橋は初めてであったので大阪の友人に街歩きをしながら案内してもらった。全国的にはマイナーな小さな路上劇場ではあるが、劇場のなんたるかは小さくてもわかりやすくあった。

名物はインドマグロをはじめとした海鮮と気さくなオヤジで行列が絶えない店として知られている。面白いことにJR環状線京橋駅北口から歩いてわずか数分、裏手が市民墓地というなんともユニークな立地である。普通であれば縁起が悪いと避けがちな立地だが、そこを逆手にとって笑い飛ばすのが大阪商人らしいところだ。実はその名物オヤジに話を聞きたかったのだが、その日は体調が悪く店にいなかったので、一番古くからアルバイトをしている女性に聞くことにした。彼女曰く20年ほどアルバイトをしているので、その数年前にこの居酒屋とよが生まれたので創業は24年ほど前であると。そして、当時から行列が絶えず、数年前には横の土地に屋根を作り店を広くしてきたと。そして、名物メニューであるマグロのセットメニューも変わらないとも。勿論、保健所の認可を受け、水洗トイレもある。名物のマグロ・魚介のための冷蔵庫は5つほどあると言う。

基本は全てセルフサービス、立ち食い、しかし出されるメニューは本格・・・・・・・5年ほど前に銀座で話題となった「俺のフレンチ・イタリアン」と考え方は同じで、何を売り物にするか明確になっている。「俺の」の場合は1日の客回転が6回転を超えていたと記憶しているが、この居酒屋とよも同じで営業は火・水・金・土の4日間で時間も1日6時間ほど、行列ができてももその回転が早いので待ちくたびれることはない。通常飲食店の場合は厨房などの投資が大きいが、「とよ」の場合も見ての通り極めて小さく、空き店舗を居抜きで改装して出店する「俺の」と比較しても更に効率良い経営となっていることがわかる。そこにはあるものを徹底して使い切るという発想である。そして、聞くところによると居酒屋とよの年商は1億を超えていると。

こうした経営を可能としている第一は、やはり顧客を魅了するそのメニューのダイナミックさにある。中心はインドマクロとのことだが、その部位ごとのメニュー化も図られていてロスもなく、顧客を喜ばせるだけに終わらない。久しぶりにインドマグロの刺身を食べたがこれも旨かった。数年前から「インスタ映え」が時代のキーワードになっているが、単なる「映え」であれば一過性で終わる。居酒屋とよは物の見事に一つの「劇場」になっている、顧客はその鮮度をはじめとしたライブ感に魅了されるということである。
写真は名物となっているマグロの刺身である。値段は3種類のセットで2850円。2〜3人前というボリュームであるが居酒屋チェーンと比較し価格だけを見れば極端に安いとは言えない。しかし、食べてみると誰もが美味いの一言で納得・満足。大阪のパフォーマンスは「実質」そのものであり、居酒屋とよは「ザ・大阪」という丸ごと大阪を楽しめる劇場であった。
そして、写真を見てもわかるように顧客には「オヤジ」もいるが若い男女も多く、アルコール離れが進む世代と勝手に決めつけてはならないと感じた。

「うどん物語」の誕生とその広がり

”食い倒れの街”として親しまれている大阪の食文化の中でも「粉もん文化」と言えばたこ焼きやお好み焼きとなるが、もう一つあるのが関西の出汁と共に食べさせてくれるうどんである。うどんと言うと讃岐となるが、広く庶民の食べ物として定着したのが大阪うどんである。それだけ競争も激しく「違い」を求めたうどん市場となるが、大阪うどんの老舗店にはその誕生と広く行き渡ってきた物語がある。つまり、競争によって生まれた誕生物語とその変化である。

元祖きつねうどん;うさみ亭マツバヤ

南船場にある明治26年創業の元祖きつねうどんの店である。大阪には日常的に頻度多く来ていたが、うさみ亭マツバヤはほぼ30年ぶりの訪問であった。御堂筋線心斎橋駅を降りて店に向かったが周りは多くのビルに囲まれ当時の雰囲気はまるでなかったが、店先は昔のままで当時を思い出した。実はきつねうどん発祥の店として大阪の人にはよく知られている店である。30年前に案内してもらった人に言わせると、甘辛く炊いた揚げをサービスとして別の皿に出したところ多くの客がうどんの上に乗せて食べていたことからきつねうどんが生まれたとのこと。
そして、もう一つの名物が「おじやうどん」である。その名の通り、四角い鉄鍋に半分がうどん、半分がおじやとなった煮込みのメニューである。その欲張りメニューにはトッピングとして、かしわ
かまぼこ、穴子、しいたけ、ネギ、しょうが、半熟卵、・・・・・・・今回は更に海老の天ぷらを追加してもらった。いわゆる具沢山でシンプルな出汁で食べさせるうどんとは異なる。そして、大阪うどんにあっては少し濃い口の色と味の出汁で作られており、さらに「違い」を際立たせている。
このおじやうどんは780円で海老の天ぷら200円をプラスして980円であった。









肉吸いの千とせ

うどんと言うと道頓堀 今井が挙げられ、私も大阪にビジネスに来た時最初に案内してもらった店の一つである。そして、大阪の出汁と言う存在を知った店でもある。大阪観光の初心者向けには良い店である。もう一つの「うどん」の観光名所となっているのが、なんばグランド花月裏、いや道具屋筋の裏路地にあるうどん店「千とせ」である。吉本の芸人花紀京が「肉うどん、うどん抜きで」と注文したことから、肉吸いが生まれる。これだけであれば単なる誕生物語で終わるのだが、後に明石家さんまをはじめとした吉本の芸人が「うどん屋なのになんでうどんが入っていないのか」とギャグのネタにしたことから一気に広まることとなる。ちょうど新世界ジャンジャン横丁の串カツだるまがタレントで元プロボクサーの赤井英和が「ソースの二度漬けは禁止やで!」というフレーズと共に「だるま」を広めたことと同じである。そして、周知のようにだるまは銀座のど真ん中のGINZA SIXにまで進出することとなる。
つまり、名物商品の誕生物語を広く伝える「人物」が必要であると言うことである。「千とせ」には勿論きつねうどんもあれなカレーうどん、親子丼まであるが、名物の肉吸い目当ての顧客がほとんどのようで、この肉吸いが無くなり次第閉店となる。ちなみに定番メニューは肉吸い650円に小玉(小ご飯に生卵)210円。
市場というのはこうした新しいうどんの誕生と共に、更なる違いを求めたMDによって裾野は広が
っていく。大阪人にとっては至極普通のことであるが、アイディア満載の「うどん」も誕生している。心斎橋に讃岐うどんの流れを汲む川福という美味しい店もあるが、大阪うどんの裾野にはどんなうどんがあるのか見ていくと、その競争世界が見えてくる。









低価格で、しかもアイディア満載うどん

このタイトルそのままのうどんが大阪にはある。その代表的メニューが「かすうどん」であろう。飲んだ後のシメには東京だとラーメンになるが、大阪の場合はかすうどんとなる。このかすうどんの歴史は浅く1990年代と言われているが、次第にうどんメニューの一つとして定着し、かすうどんの専門店まで出現している。その「かす」とは牛の小腸・ホルモンを十分油抜きしたもので、東京でいうところの天かすをのせたたぬき蕎麦のようなものである。こうした表現をすると大阪の人に怒られてしまうが、関西の出汁に凝縮された旨味のかすが入ったアイディアフルなうどんである。
このかすうどんのように表舞台に出てくるかどうかはわからないが、大阪らしいアイディアのあるうどんがある。それは「シチュウうどん」で「あづま食堂」の名物メニューになっている。通天閣のある新世界の食堂のメニューであるが、写真を見ていただければわかると思うが、牛肉に玉ねぎ、それにじゃがいも、塩味のシチュウにうどんが入ったものである。
ハウス食品からご飯にかける専用のクリームシチューのもとが新発売されたが、かなり前から大阪では塩味のシチュウにうどんを入れて食べている。ちなみにあづまのシチュウうどんは500円。









変化を続ける顧客満足世界

少し前のブログにインバウンドビジネスが「西高東低」へと変化したと書いた。インバウンドビジネスもそうであるが、西=大阪は「元気」である。その元気とは失敗しても怯まない商売にある。元気の先頭を走っているのは周知のUSJ(ユニバーサルスタジオジャパン)である。オープンした当時は西部劇のアトラクションもあって、こんなアトラクションを誰が面白いと思って来園するのか、疑問に思い興味も無く訪れることはなかった。しかし、その後ハリーポッターの導入を機に業績は反転した。実はその頃から新しい試みが随所に見られるようになった。その象徴が人気のアトラクション待ちとして実施されたUSJスタッフと主にファミリーの子供達との水鉄砲合戦というお金もかからない試みで、その後人気が出て本格的なアトラクションメニューの一つになった。それは顧客に投げかけ良いと思えば果敢にトライするという大阪らしい「やってみなはれ精神」であった。
そして、何回か未来塾にも取り上げたが、もう一つが寂れ果てた新世界の再生であった。街の再生に「飲食」、具体的には串カツ「だるま」が大きく貢献したことは周知の通りである。

2つの巨大フードホールの誕生

商業集積、特にSC(ショッピングセンター)のテナント構成を見ていくとその地域の生活者のライフスタイル変化が良くわかる。時代の変化、顧客変化によるスクラップ&ビルド、つまり何を変え、何を誕生させるかに、顧客満足を読み取ることができるということである。このスクラップ&ビルドによって、今大阪の「消費」が劇的に変化し始めていることがわかる。大阪の友人そのほとんどが顧客の流れが変わり、しかも新たな顧客も誕生し、まさに元気な大阪が生まれていると指摘する。

更に活況を見せる「ルクア イーレ」の地下飲食街バルチカ

大阪駅ビル「ルクア」に出店した伊勢丹が業績不振で撤退した跡に生まれたバルチカについては何度かブログにも触れているので繰り返さないが、バルチカのコンセプトに準じた飲食街の拡大と共に、隣り合わせに阪急オアシス(食品スーパー)が併設され、その「食」の集積度は極めて高く、文字通り「フードホール」が出来上がっている。
まず、新バルチカの方であるが、オープン当初から行列が絶えなかった洋風おでんとワインのコウハク(紅白)は相変わらず若い世代で溢れていた。他にも銀座で話題となった鶏白湯のラーメン篝(かがり)にも行列ができていた。まあ既に知っているラーメン店なので私にとってそれほど興味を引く店ではなかった。一番興味を惹いたのが「魚屋スタンドふじ子」という老舗鮮魚店が経営する「ザク飲み」の店である。席数も70席ほどと思われるが、2日にわたり3度ほど訪れたが常に行列状態であった。人気なのは鮮魚店としての鮮度ある魚介ということだが、ドリンクを含めどのメニューもほとんどが1品300円台という安さである。しかも行列をつくるその多くが若い世代で前述の昼飲みの街京橋ではないが、昼間から一杯という顧客が多いことに驚いた。アルコール離れ世代と言われてきた若い世代であるが、コウハク(紅白)同様やり方次第では新しい顧客を創ることができるということである。

このバルチカの奥まったところに阪急オアシスの新業態「キッチン&マーケット」という食品マーケットが連なっている。大阪の人には知られたスーパーであるが、東京でいうところのクイーンズ伊勢丹的スーパーである。飲食街に連なるマーケットとしてそのエンターティメント性、目からも楽しめる売り場づくりとなっている。このルクアイーレの2階には国内外の生活雑貨からアクセサリー雑貨までを集積したマルシェのフロアがあるが、そんな「雑」を集積した食品フロアとなっている。それまでのバルチカ飲食街とこの阪急オアシスによるフードホールというネーミングの通り約860坪という大きな食の雑エンターティメント世界が出現したということである。ある意味、これでもかというぐらいの食の楽しさが提供されており、大阪の新名所となっている。
このフードホールと新バルチカを合わせたB2階の面積は約1500坪に及び巨大な「食」のエンターティメント世界が誕生したということである。

もう一つのフードホール、阪急三番街北館

阪急梅田駅の商業施設「阪急三番街」北館地下2階に3月28日、飲食エリア「ウメダ フードホール」が開業した。この阪急三番街というSCは簡単にいうと阪急電車の梅田駅ホーム下・改札下にある巨大な商業施設。オープン以降、このフードホールにも連日多くの顧客が押し寄せている。ソファ席、ボックス席、カウンター席、立ち食い席など飲食スタイルに応じた多種多様な約1000席を全て共用で配置した総面積約700坪弱というフロアである。このゾーンは北の外れにあり、立地的にも厳しい場でともすると古書の街(現在は移転)に繋がる通路的なものとして魅力のない場所であった。今から25年ほど前のリニューアルでは当時のキラーコンテンツであったキャラクター世界を集積した「キディランド」など特定顧客には強い吸引力を持った専門店が上の階に編集されていたが、下の階にはなかなか顧客を呼び込むことが難しいそんな場所である。

このウメダ フードホールに出店した飲食店舗を見ていくと新バルチカと比較し、若者というより大人・ファミリー向きの店舗構成となっており、価格帯も少し上になっている。ちょっとした違いを売り物にした飲食店が多く、「鳥焼き・蕎麦(そば)・おでん 一重」「天丼・天串・串カツ いしのや」「大阪梅田 花火寿司(すし)」あるいは「宮武讃岐うどん」といったところで、実は懐かしさもあって名古屋の「矢場とん」のみそかつ丼を食べた。
昼時には少しの行列もできていたが、オペレーションもスムーズで座る席を確保する方が大変である、そんな賑わいであった。大阪の友人の一人は混雑がひどく食べるのを諦めたと話し、もう一人は阪急三番街では古くからある南館の「インディアンカレー」に行列ができており、人の流れが変わってきたと話す。
2つの「フードホール」、私の言葉に変えれば2つの「フードテーマパーク」の誕生ということになる。実は一見この過剰とも思える「食」の持つ意味を考えていくことが必要である。デフレが常態化した時代にあって顧客を惹きつけるものとしての食。そのことはまさに1年数か月後に実施される消費税10%を迎えるための戦略、ロングセラーという生き残るための施策。小さな単位で言うならば街の商店街から商業施設、更に俯瞰的な視座に立てば街の再編集・再生への鍵となる「テーマ」ということになる。




(後半へ続く)  


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