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「人力経営」という本を書きました。ヒット商品の裏に潜んでいる「人」がテーマです。取材先はダスキン、エゴイスト、野の葡萄、叶匠寿庵、桑野造船の経営リーダー。ユニーク、常識はずれ、そこまでやるのか、とにかく面白い経営です。星雲社刊、735円、新書判。

2017年12月21日

未来塾(31)「生活文化の時代へ」(後半−1)


大阪新世界ジャンジャン横丁


常に「外」から教えられる日本

サブカルチャー、ポップカルチャー、あるいはサムライ、ニンジャ、・・・・・・「クールジャパン」と呼んだのは勿論海外の熱狂的なフアンであった。サブカルの街、オタクの街、アキバには1990年代後半から2000年代初頭にかけてクール(ステキ・かっこいい)と感じた主に欧米人のオタクが訪れていた。漫画やアニメ、特にアニメが一部のオタクから広くマスMDされることと併行して現れた現象で、ちょうどインターネットが普及し始めた時期でもあった。当時は言葉として呼ばれてはいなかったが、今日で言うところのバックパッカーで、オタクという表現と同じ様に若干蔑みの目て使われていた。バックパッカーという言葉にあるように、バックとはリュックサックのことで、このリュックスタイルは後に若い世代からシニアまで広く取り入れられることとなる。
それまでは文化というと、純文学であったり、伝承芸能の古典ものであったり、高尚なものとしての認識がまだまだ強い時代であった。こうした既成概念に穴を穿ったのは好きが高じた訪日外国人・バックパッカーと日本人オタクという「外」の人間であった。

少し時代を遡れば江戸の庶民文化の一つであった浮世絵が注目されたのも、ヨーロッパの印象派の画家や美術家によってであった。それは江戸時代の輸出品であったお茶や陶器の包装資材として浮世絵が使われていたのに目が止まったのがきっかけであったと言われている。ヨーロッパの文化はオペラが代表するように貴族社会や宗教社会から生まれ、それが次第に庶民へと浸透していった。一方江戸文化は庶民から生まれ、武家社会にも浸透していった特異な文化である。そうした江戸文化を代表するのが浮世絵であるが、その誕生は1680年ごろで絵師によって描かれた江戸のプロマイドのようなものであった。
1856年にパリの店で見つけられた北斎の「漫画」はヨーロッパの人々の日本の美術 への興味をふくらませ、明治維新以降広重や歌麿などの浮世絵が一大ブームとなる。その影響を「ジャポニズム」と呼んでいた。こうした「外」から指摘された構図は1990年代後半秋葉原にアニメやコミックを求めて集まった外国人オタクと同じである。つまり、当時の「ジャポニズム」とは今日の「クールジャパン」ということである。
そして、クールジャパンの聖地であるアキバを歩けばわかるが、現在は、秋葉原UDX内に東京アニメセンターがあるが、スタートは駅前の高層ビルの西側にある横丁路地裏にアニメやコミック、あるいはフィギュアなどのグッズ類を扱う店があった。今はどうかと言えば、訪日外国人オタク目当てだと思うが、約500台のガチャガチャが集約されたガチャポン会館も観光名所の一つになっている。
インターネット時代の横丁路地裏文化

インターンネットが普及して約20年になる。得られる情報量は10年前と比較して数百倍とも言われている。しかも、SNSやFacebookの浸透によって、夥しいコミュニティサイトが生まれ、マーケティングもこうしたコミュニティサイトをターゲット目標とすることとなり、それまでのマスメディア広告はその効果を失ってきたことは周知の通りである。そして、生活者の興味関心事の数だけコミュニティが生まれるのだが、そのコミュニティも数年前から単なる趣味やスポーツあるいはご近所ママ友の集まりから、「共感コミュニティ」とでも表現する様な考えや理念、それに基づく「物語」を持ったコミュニティへと進化してきている。
私の友人の主婦は有機農産物や手作りした食品あるいはフェアトレード商品を催事販売したり、インターネットオンラインで販売したりしてコミュニティを運営している。消費という視点に立てば、コミュニティメンバーはこうした「物語」を買う訳である。

こうした考えや理念といった「物語」については訪日外国人の旅行好きサイトである「トリップアドバイザー」に物の見事にその共感物語が出てきている。周知の様に旅行好きの口コミサイトであるが、2017年度の人気の日本のレストランランキングが次のようになっている。
1位;お好み焼き ちとせ(大阪市)
2位;ニーノ (奈良県奈良市/ピザ・パスタ)
3位;クマ カフェ (大阪府大阪市/ピザなど)
4位;お好み焼き 克 (京都府京都市)
5位;韓の台所 カドチカ店 (東京都渋谷区/焼肉)

全て小さな横丁路地裏の店で、隠れた名店ばかりである。1位の「ちとせ」は大阪は再開発から取り残された西成のディープな街にある。地下鉄の御堂筋線動物園駅から南に歩いて少しのところの路地裏にあるのだが、駅北側には最近注目を浴び始めた通天閣ジャンジャン横丁があると言った方がわかりやすい。大阪の人間に言わせると、知る人ぞ知る店だが、昔はあまり土地柄が良くないこともあって「ちとせ」までは行かないとのこと。そんな店に訪日外国人が押し寄せるのである。店の雰囲気もそうだが、昭和の匂いがするノスタルジックな昔ながらのお好み焼きである。訪日外国人が多いのは、日本最大級の「日雇い労働者の町」として名をはせた西成のあいりん地区が、国際的な「バックパッカーの街」に変貌を遂げているからである。東京でも同様で、浅草の北側にある山谷がバックパッカー向けの宿泊施設が急増しており、同じ現象である。
2位にランクされた「ニーノ 」(奈良市/ピザ・パスタ)はトリップアドバイザーによれば”英語の会話はうまくないが、家庭的なもてなしサービス”との評価。確か「ニーノ 」もそうであったと思うが、訪れた客の名前を漢字に置き換えて色紙に書いてプレゼントするサービスが喜ばれている。そんな気遣いが口コミとして伝わり、こうしたサービスが日本的なもてなしであると感じたからであろう。

観光庁の訪日外国人の要望調査には「畳の部屋の旅館に泊まりたい」、あるいは「温泉に入りたい」と言った点が挙げられているが、そうしたことを含め日本文化への興味関心は高い。訪日外国人をどこよりも早く受け入れてきた東京谷根千の「澤の屋旅館」が行ってきたのはこの家族的なもてなしサービスであった。
周知の様に谷根千は東京の中でも下町といわれ、古い町並が残る谷中に位置し、伝統的な下町の文化や人々にふれることができるエリアである。この澤の屋旅館はその宿泊料金も安く、これまでに89ヵ国、延17万人を超える外国のお客様が利用。ちなみに、和室1名で1泊5400円。朝食は324円となっている。
この澤の屋旅館は宿泊客の調査を行っており、結果を公開している。個人旅行における訪日理由が明確になっている。
「日本の歴史・文化・芸術に興味がある」が 54.5%でトップ。
以下、「日本が好き」50.0%、「日本人が好き」30.2%、「観光地を訪れる」27.5%、「日本の食に興味がある」 26.0%の順となっている。
そして、旅行で体験したことは、
「歴史的建築・景観(城・寺社)」81.9%、 「由緒ある日本旅館に宿泊」80.3%、「日本の伝統食(寿司・懐石など)」73.4%、「日本の日常食(う どん・そば・居酒屋など)」73.0%、「日常生活・文化(スーパーマーケット・ショッピングなど)」 68.3%等が上位に挙げられている。
こうした調査結果とトリップアドバイザーの人気のレストランランキングを重ね合わせてみると訪日外国人の行動が良くわかる。これがクールジャパンとしての日本文化である。

都市の中の横丁路地裏

秋葉原、アキバの街もそうであるが、駅前・中心部から少し外れた、裏通り、地下、・・・・・こうしたところに独特な文化が生まれる。今やメジャーとなったAKB48も駅前から少し外れた雑居ビルに誕生した。次には駅前高架下にステージが広がってきた。そして、現在は後を追う様にいわゆる「地下アイドル」が多くのミニミニ劇場から誕生している。それは都市中心部の高い地代・賃料では商売できないような、少数の特定顧客を相手にした一見マイナーな商売だが、その分自由で個性的な店々が誕生している。特定顧客相手だから、つまりリピーター顧客相手だから、利益を追い求めることに汲々となることなく、思い切った商売ができる。店やオーナーの考えや思いをストレートに発揮でき、それに共感する顧客が集まるということである。成熟時代の消費とは、生きるための必要から生まれるものではなく、どちらかと言えば前述のように店やオーナーの考えや理念(物語)に共感する「物語消費」となる。不必要に見えるが、実は生きがい・働きがいが求められる時代にあっては不可欠な要素となっているのだ。

ところで大阪の中心部梅田に人が集まる2つの路地裏がある。元々は大阪はサントリー誕生の地であり、酒飲み文化をその秀逸な広告によって広めた企業でもある。その酒飲み文化を創造してきた一人である作家開高健がその著書にも書いているが大阪ミナミに「関東煮(かんとうだき)」の有名店「たこ梅」がある。こだわりにこだわった店だが、かなり値段も高く日常的に回数多く利用できる店ではない。
こうした酒飲みの店ではなく、サラリーマン御用達とでも言える安くて美味しい肴を出してくれる老舗の大衆酒場がある。神戸灘の地酒「福寿」の直営店でサラリーマンの聖地とでも言える酒場である。梅田の駅前ビル1号館にあるのだが、阪神百貨店横の地下道を6~7分歩いたところのかなり古いビルのそれも一番奥にある店である。東京でいうならば新橋の「大露路」と言ったオヤジの居酒屋である。いつ行ってもほぼ満席状態で店内はそれこそオヤジ飲みの聖地の一つとなっている。サラリーマンの上司から部下へ、その部下が出世し、またその部下へと受け継がれてきたオヤジ飲みの店である。

同じ梅田にはもう一つ若い世代が集まる路地裏がある。大阪駅の駅ビルルクアイーレの「バルチカ」にある「赤白(コウハク)」という洋風おでんを目玉メニューにした人気店を中心とした裏通り飲食街である。東京もそうであるが、アルコール離れの若い世代向けの新しい業態を横丁のように編集した通りが誕生している。通称「バル横丁」と呼ばれているが、スペインのバル文化と日本の横丁文化を融合させた通りである。
ところでこのルクアイーレの裏通り「バルチカ」がフロアを拡大させている。周知のように伊勢丹が撤退した跡の食品フロアをどうするかという課題があったのだが、地下一階はユニクロとGUが入り、地下二階はどうなるのかと注視していたが以下のようなニュースリリースが発表され12月19日オープンさせている。

『現在営業中の「バルチカ」のフロア面積を約200坪から約640坪へと3倍に拡大、新たに18店舗が出店する。新たに加わる店は、「海老talianバル」や「大衆飲み処 徳田酒店」「松葉」など、ウラなんば、天満、京橋でコスパが高いと評判の繁盛店。梅田のど真ん中に、路地裏の人気店やミシュランのビブグルマン獲得店など、実力を兼ね備えた名店を集積。昼から飲めるのはもちろん、さまざまなジャンルの料理や酒がそろい、はしご酒も楽しめるエリアになる。』

横丁がエリアへと3倍に拡大させたとのことだが、新しい若者世代のバルの聖地が誕生したということであろう。そして、前述の福寿にはオヤジ酒場文化として吉田類の「酒場放浪記」があるが、若い世代のバル文化・ちょい飲み文化もまた生まれてくるということだ。

成熟時代の「文化」を学ぶ


今まで「文化」はビジネスにはならないと考えられてきた。しかし、昨年日本ばかりか世界でヒットした新海監督によるアニメ映画「君の名は。」の興行収入は歴代4位の250億円であったとのこと。しかし、その映画の広がりは映画の舞台となった東京四谷須賀神社横の階段や飛騨高山の飛騨古川駅を訪れる聖地巡礼が多く見られている。こうした巡礼オタクは新海作品以外のアニメ映画も多く観ていることであろうし、他のビジネスへと広がりを見せている。その良き事例であると思われているのがランドセルのヒットであろう。「ちびまる子ちゃん」などのアニメに出てきたランドセルが海外のアニメ好きから話題となり、訪日外国人のお土産に買われているという。少子高齢社会にあって、ランドセル業界は右肩下がりの斜陽産業であったが、新たな需要が生まれたことでランドセルメーカーもその経営を持ち直している。
また、渋谷のスクランブル交差点が今日のような訪日外国人の観光名所となったのも、2003年に公開された映画「ロスト・イン・トランスレーション」がそのルーツであると言われている。この映画にはスクランブル交差点や新宿歌舞伎町など、外国人の好奇心をくすぐる風景があふれている。それは大阪なんばが広く知られるようになったのもガイドサイト「トリップアドバイザー」によることが大きかったことと同じで、「文化」の流通は思いがけないところにも大きく広がっていることがわかる。

観光地化の「鍵」となる文化

この未来塾でより課題を明確化するために「テーマから学ぶ」と題し、谷中ぎんざ(下町レトロ)、2つの原宿/竹下通り&巣鴨(聖地巡礼)、エスニックタウンTOKYO(雑の面白さ)、葛飾柴又(変化する観光地)、浅草と新世界(時代変化を映し出す)、そして、観光地化を促すための方法としての差分や遊び心、こうした人を惹きつける街やテーマ、それらを際立たせる方法を個別にスタディしてきた。この他にも「もんじゃ焼き」をテーマにした街として成功した東京中央区の月島や大テーマである「昭和レトロ」を具現化している吉祥寺ハモニカ横丁など街歩きをレポートしてきたが、その根底にある「文化」はそれぞれ異なるものであった。例えば、概念としての「下町レトロ」は谷中ぎんざも吉祥寺ハモニカ横丁もその文化は異なる。その魅力としては「Old New 」古が新しく魅力的であると若い世代は感じ、団塊世代にとっては懐かしさを感じる、つまりOldの受け止め方が異なると共に、その歴史の積み重ね、堆積もまた異なるからである。歓楽地として繁栄した東京浅草と大阪新世界はその歓楽地の衰退と共に「次」に何を目指すのかという点において異なり、新世界が通天閣とジャンジャン横丁を中心としたエンターティメントパークとして成功したのに比べ、浅草はそこまでの変わりようを果たしてはいない。

こうした「違い」は行政の支援もあるが、そこに住む人々、そこにある企業や団体の人たちの「考え」「思い」によって「地域文化」が創られる。谷中ぎんざのスタートは谷根千に住む4人の主婦が愛する街谷中のコミュニティ誌を作ることから始まる。谷根千は寺町でもあり、そこの住職や商店街の人たちも次第に参加し、地域全体が「下町レトロパーク」へと向かう。その中に前述の訪日外国人に人気の旅館「澤の屋」もメンバーとなっている。「何」を残し、「何」を変えていくか、決めて実践するのはその地域の「人々」である。
同じ下町レトロというテーマであっても谷中ぎんざと少し異なるのは中央区月島の「もんじゃストリート」である。下町の駄菓子屋の店先で売られていた子供向けのもんじゃ焼きは地域再開発と共に駄菓子屋もなくなりどんどん廃れていく。そのもんじゃを大人のもんじゃとして再スタートさせたのは「いろは」というもんじゃ焼きの店であった。ちょうど離れ小島のようであった月島に地下鉄有楽町線の開通というタイミングもあり、もんじゃストリートが次第に創られていく。そして、テーマとして確立させたのは、やはりメニューで明太子入りや餅入りといったもんじゃ焼きメニューが創られたことによってテーマパークは確立する。つまり、マーケティング&マーチャンダイジングがあったということである。ちなみにもんじゃストリートの正式名称は西仲通り商店街で、表通りである晴海通りから西に一本入った裏通りである。また、谷根千は戦災から免れた古い町並みが残る上野の裏手に位置したエリアである。

寸断される生活文化

東京では浅草寺、京都では伏見稲荷大社や清水寺といった歴史もあり、そのユニークな景観があるところはその文化価値は寺社自身以外にも、周辺の街も、更には国や行政も文化価値の継承を守りサポートする。ここではそうした継承されてきた観光地ではなく、いわゆる生活文化価値の誕生と継承をテーマとしており、生活する上で残すべき「何か」となる。そして、この生活文化が今日の生活に色濃く残っているのが、江戸時代の文化である。花火、花見、少なくはなっているが相撲や寄席、俳句などもそのフアンは400万人ほどいる。
ところでこの生活文化が熟成し、継承していくのは、小さな単位においては「家庭」であり、「村・町」であり、少なくなったが「国」の中においてである。
そこにおける「文化」とは祖父母から子へ、子から孫へと伝えられる生活の知恵のことである。今日においては、家族が崩壊し個族化した時代にあって、伝えられるべき文化は寸断されてしまっている。恐らく、唯一そうした生活文化が色濃く残っているのは京都であろう。勿論、京都も他の都市と同様に個族化してはいるが、四季折々の祭りや生活歳時が一種の生活カレンダー化されていて、生活文化が継承されている。祭りの日をハレ、日常をケと呼ぶが、これほどはっきりとした生活が残っているのは京都だけである。ハレの日はパッと華やかに、普段は「始末」して暮らす、そうした生活習慣である。ハレの日はどこまで残っているか京都の友人に確認してはいないが、例えば4月の今宮神社のやすらい祭りにはさば寿司を食べる、といった具合である。

この生活価値の一つである「始末」であるが、始末の基本は食べ物を捨てないという意味。素材を端っこまで使い切ったり、残ってしまったおばんざい(京の家庭料理/おふくろの味)を上手に使い回すといった生活の知恵である。それは単なる節約ではなく、モノの効用を使い切ることであり、「もったいない」という考えにつながるもので、エコロジーなどと言わなくても千数百年前から今なお続いている自然に寄り添って生きる生活思想だ。例えば、大根なら新鮮なうちはおろしてじゃこと一緒に食べ、2日目はお揚げと一緒に炊いて食べ、3日目はみそ汁の具にするといった具合である。この始末は日本古来のビジネスモデル、三方よしを創った近江商人の日常の心構えでもある。「しまつしてきばる」という言葉は、今なお京都や滋賀では日常的に使われており、近江商人の天性を表現した言葉である。

間も無く最大の「ハレ」の日である2018年の正月を迎える。ハレの日の祝膳であるおせち料理も代々伝わってきたおせちを作る家庭はどんどん少なくなり、百貨店や通販のおせちで祝う家庭がほとんどとなってきた。しかし、初詣には出かけるという一種バラバラな正月行事となる。年賀状はメールになり、TV番組も初笑いではなく箱根駅伝が正月の風物詩となった。都市においてはハレの日の迎え方も変わってきたということだ。ただ、故郷を持つ家族にとっては、混雑のなか帰省し、代々継承されてきた「正月」を迎えることとなる。

こうした寸断された生活文化にあって、都市商業文化に対し地方生活文化という構図が浮かび上がってくる。静かなブームが続いている田舎暮らしも、農業体験も、実は村や町単位で残されている生活文化体験のことである。ここ1~2年訪日外国人の個人旅行、特にリピーターの多くは地方へと向かっている。LCCによる空港の多くは地方ということもあって、東北や四国にまで旅行先が広がっている。ちょうど表通りが東京・大阪・京都観光だとすれば、地方は裏通り・横丁路地裏観光ということになる。ある意味、代々継承されてきた生活文化を体験できるということだ。都市生活者が忘れてきたことを、「外」から、訪日外国人から指摘され教えられる時代が来るかもしれない。
冒頭で書いた野の葡萄の理念「ここにある田舎をここにしかない田舎にしたい」とはまさに地方に眠っている「生活文化」のことである。そして、その田舎とは、その地・岡垣町の産物のみで作る「30種以上の野菜が摂れるビュッフェスタイル」で提供する「田舎」である。時代要請を捉えた都市生活に不足している健康コンセプトで創られた「田舎」である。葉物野菜以外は全て岡垣町産で目の前の玄界灘で獲れた魚は一船買いをし、獲れた魚次第でメニューもまた変わる。こうした「変化」をも楽しめる「田舎」である。

「文化起こし」への着眼

冒頭の藤沢の「さかな屋キネマ」のように、文化起こしは最初は「好き」を入り口に一人から立ち上がる。本業の方は順調のようで、道楽としての「映画上映」も商店街の活性に役立っていることと思う。今後さらに広げていくには、そうした道楽自体もビジネスとして考えていくことが必要となる。しかも、藤沢市という街全体としてである。東京谷根千の文化起こしは主婦四人から始まったが地域全体へと広げていく方法は100の地域があれば100通りの方法があるとしか言いようがない。それが「文化」の持つ固有独自性であり、真似のできない世界ということだ。

こうした「文化」を広げ継承していく方法の一つに江戸時代には「連(れん)」という方法があった。江戸時代の都市部で展開していた「連」は少人数の創造グループのことを指す出入り自由な「団体」のことである。江戸時代では浮世絵も解剖学書も落語も、このような組織から生まれた。その組織を表現するとすれば、適正規模を保っている。世話役はあっても、強力なリーダーはいない。常に全員が何かを創造しており、創る人、享受する者が一体。金銭が関わらない。他のグループにも開かれていて出入り自由。様々な年齢、性、階層、職業が混じっていて、ひとりずつが無名である。常に外の情報を把握する努力をしている。ある意味、本業をやりながらの「運動体」であり「ネットワーク」を持った「場」である。
例えば、江戸で流行ったものの一つに俳諧がある。俳諧は独吟するものではなく、座の文学なので「連」という形態を必要とする。「連」は俳諧を読むための場、そこに集まる人々のサロンを指していた。18世紀後半に流行った狂歌の連には落語家や絵師、作家、本屋などが集まり江戸の成熟した文芸をもたらした。江戸時代では、個人が自分の業績を声高に主張することはなかった。つまり、個人主義ではあっても、利己主義ではなかったということである。

こうした連のあり方を考えていくと、インターネットが普及し始めた時「オープンソース」という考え・理念がネット上に起こったことを思い浮かべる。その中でもオープンソースソフトウェアは、ネット上の有志によって組織された開発プロジェクトやコミュニティにおいて議論や改良が進められる。代表的なオープンソースのプロジェクトとして、リーナス・トーバルズが開始したUNIX互換のオペレーティングシステムであるLinuxを挙げることができる。その後もGoogleはオープンソースOS「Google Chrome OS」を開発している。自由に入手し無料で活用できるソフトウエアはネット社会が目指す理想でもある。
もっと簡単に言うとならば、ネット上で興味関心事を共有し、各人が知恵やアイディア、勿論技術を持ち寄って一つの「何か」を創り上げることが可能な世界である。かなり前になるが、作品名は忘れたが、ネット上で一つの映画が作られたことがあった。大きな映画館・劇場で有料上映される映画を表通りとするならば、こうしたオープンソースによる「何か」は裏通りから生まれたものと言えよう。

そして、今回のテーマである生活文化は中心から「外れた」地方で、郊外で、表通りから少し入った横丁路地裏で、あるいは高層ビルの谷間にある「雑居ビル」の一室で、「地下」で、生まれ熟成していることだけは確かである。そこで育まれた文化こそが、競争の激しいビジネス状況にあって強力な武器となる。そのためにも、垣根文化ではないが、互いに顔を合わせ個人のプライベートを守り維持しながらも、コミュニケーションし共有・共感することに関しては共に参加し行動する、そんな成熟した社会が待たれている。そこから新たな生活文化も生まれ育っていく。そして、この「文化」があって初めてブランドが創られ顧客はそれを育てていく。
例えば、そうした地域の生活文化を代表するような「100年食堂」が青森には数多くある。その名の通り100年以上受け継がれてきた食堂である。そして、冬は寒い地域であるが、1年を通し体だけでなく心も暖かくなる、そんな食堂であると多くの人が表現する。そこには100年続かせた青森の産物を調理する知恵と工夫の物語があり、他に代え難いブランドとなっている。京都以外にも埋もれた生活文化は多い。成熟した時代の消費とはこうした「文化共感物語」の消費を指す。モノ充足を終えた成熟時代の消費とは、心までもが豊かになる「文化消費」のことである。



  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:28Comments(0)新市場創造

2017年12月19日

未来塾(31)「生活文化の時代へ」(前半)

ヒット商品応援団日記No696(毎週更新) 2017.12.19.

今回の未来塾は、モノ充足を終えた時代、成熟した時代の消費傾向である「生活文化価値」という大きなテーマの第一歩について、表通りではなく裏通りにある小さな文化に着眼して、その可能性について考えてみることとします。


神奈川県藤沢の自主上映会「さかな屋キネマ」
Facebookより


「生活文化の時代へ」

成熟時代の消費を考える
裏通り文化の魅力


今まで何冊かの「都市論」を読んでいるが、今一つしっくりこないことがあった。それは私自身が商業施設のコンセプトワークに携わっていることから、決してそうではないのだが、どうしても抽象論になってしまう、そんな同じ感を都市論にも感じていた。そんなことから「街歩き」を始めたのだが、そこで出会ったのは街の「変化」とそこに醸し出される独自な「表情・雰囲気」であった。もっと具体的に言うならば、そこに住む、あるいはそこを訪れる人たちの表情や生活の匂いであった。
そして、マーケティングという生業の私の場合、変化する街にあって「何故、そこに人が集まるのか」、「それは一過性ではなく持続しているのか」、またその逆についても同様の理由を見出したかった街歩きである。賑わいを見せる街もあれば、シャッター通り化した街もある。より結論として言うならば、生活者の消費エネルギーはどのように生まれ、変化し、また衰退していくかという課題、その課題に対する生活文化の果たす役割への関心であった。物不足の時代を終え、次は心の豊かさの時代であると言われて20年が経つ。多くの街を歩いてきたが、同じようでどこか違う、そんな違いの理由はその地域が育んできた歴史、生活文化の違いによるものだと気付き始めた。今回のテーマはある意味捉えどころのない「文化」、多様でしかし深い文化、変化し続ける生活文化にあって、その消費に及ぼす変化を把握する第一歩である。俯瞰的な視野に立てば、モノ充足後の「成熟時代の消費」に繋がる課題である。

「文化」の種を蒔き、育てる人たち

冒頭の写真は神奈川県JR藤沢駅北口の銀座通りにある魚屋が企画し運営する「さかな屋キネマ」の上映写真である。60年以上続く鮮魚店「ふじやす」の2代目が商店街の活性化を図りたいとのことで始めたいわば自主上映の映画館である。子供の頃、新潟の公民館で行われた映画に魅せられてのことだが、その映画「好き」を今なお追い求める人物は私に言わせれば「真性オタク」である。
その「さかな屋キネマ」は鮮魚店の2階にあるふじやす食堂をミニシアターにつくり替えた小さな町の映画館である。小さな映画館とはいえ、100インチのスクリーンやプロジェクター、スピーカーは用意されており、わずか30席だが立派な映画館である。映画館というと、それらの多くは都心もしくは郊外SCに集中しその多くの席数は500席以上で大きな映画館の場合は800~900席もある。あまり話題になる街でもない藤沢にこんな小さな映画館があるとは知らなかった。

この主催者である平木氏は「魚と映画の目利きには自信がある」とインタビューに答えていて、ほぼ隔月で上映会を行なっている。魚の目利きについては写真のような「まぐろ三昧丼」が極めて安い720円(税込)。鮮魚の本業共々確かなものであることは昼時には行列ができることによって実証されている。ちなみに、11月の上映は坂本欣弘監督による「真白の恋」。映画の目利きもかなりオタクである。
「道楽」という言葉がある。本業以外のものに熱中し、「道楽息子」などと使われ身をもちくづすといったように良いイメーで使われることは少ない。しかし、言葉の意味通り、「道」を「楽しみ」極めることであり、平和で豊かな時代となった江戸時代にあっては、園芸道楽、釣り道楽、文芸道楽を三大道楽と呼んで流行っていた。文芸道楽では、俳諧、和歌、紀行文等があったが、現代では「映画鑑賞」もそれら道楽に入る。文化の究極とはそういうものである。食堂のスタッフに聞いたところ、来年の上映のスケジュールはまだ立ってはいないが落語はやっていますとのこと。首都圏から外れた藤沢で、道楽オヤジは健在である。

成熟した時代の象徴として江戸時代が挙げられるが、人返し礼が出るほどの江戸は世界一の120万人都市であった。その人口集中だけでなく、今もなお残っているが、玉川上水の水を江戸の中心部まで貯めることなく水を引き入れるという高度な文明、技術を持っていた。また、後に文明開化以降、欧米人が日本を訪れびっくりしたことの一つに庶民の長屋にまで植木や花が満ちていることだったという。その文化水準の高さの極みとして花があった。こうした園芸が流行したのは八代将軍家光の花好きが発端であったと言われている。園芸指南書は200冊を超え、数多くの植木市が開かれていた。東京では今なお浅草のほうずき市や入谷の朝顔市が残っている。写真は「江戸名所図会」に描かれた賑わう植木市の風景である。

街の誕生と衰退

この5年ほど首都圏を始め多くの街を歩き観察してきたが、雑踏で歩くことすら大変な街もあれば、人通りの絶えたシャッター通りと化した街もあった。人口減少・高齢化が進み後継者がいない山間の村には耕作放棄地が今なお増え続けている。人間の手が加えられない放棄地は次第に元の自然に戻っていく。結果、猪や鹿の棲家になり荒地になっていく。街も同様で、「手」を加えないと荒地になるということである。

勿論、衰退しつつある町や村、あるいは都市の商店街は手を拱いていたわけではない。周知の食による町おこしイベントの「B-1グランプリ」の第1回は2006年に青森県八戸市で開催された。その町おこしの目標の一つが「地方の6次産業化」を促すものとして実施されてきた。この「B-1グランプリ」が始まる数年前にこの「6次産業化」を目指し成功した企業があった。それは福岡県遠賀郡岡垣町の「野の葡萄」というレストラン事業会社で、リーダーである小役丸さんにインタビューし「人力経営」という本に書いたことがあった。一度見に来てくださいということで、本店のある岡垣町の駅に降り立ったのだが、駅前のロータリーにはコンビニひとつない田舎の駅であった。
野の葡萄が目指している「ここにある田舎をここにしかない田舎にしたい」というわかりやすい理念にも惹かれたのだが、6次産業化とはある意味地場の零細産業をシステムとしてビジネスを組み立てることでその情熱と共にアイディア溢れる仕組みづくりに感心したことがあった。また、同じ「人力経営」にも書いた滋賀県大津の和菓子「叶匠壽庵」も同様であった。面白いことに、両社の誕生の地には広大な土地にテーマパークを造り今なお進化しており、「食」を通じて楽しませるシンボルの役割を果たしている。

ところで「B-1グランプリ」もスタートして10年が経過した。第一回のグランプリである「富士宮やきそば」は一定の「産業化」が図られたが、徹底的に欠けているのはこの産業化へのシステム発想と実行力である。B-1グランプリはその役割を終えたと言ったら言い過ぎかもしれないが、その後数多くのフードイベントが組まれ埋没し、当初の鮮度ある情報を発信することすらなくなりつつある。
町の名物料理が全国区になるには産業化というビジネスにならなければならない。町の名物料理であれば、TV東京の「孤独のグルメ」によって興味のある視聴者は場合によっては全国から食べに来ることはある。しかし、それ以上でも以下でもなく、日常的に誰もが食べることのできる広がりはない。勿論、それでも地域の活性化という初期の目的は果たしているのだが、必要となっているのはやはり「経営」である。この経営によって広げることに「意味」があるのは、それを情熱を持ってやり遂げる「人」がいるのか、「資金」はどうか、必要とする周辺の産業と連携できるのか・・・・・・そして、目指すべきは、そうした経営は本当に「顧客」のためになるのか、そうした全体を考える経営が徹底的に欠けているということである。つまり、経営とは「継続」ということであり、このことを目指さない限り、単なる一過性のイベントで終わってしまうということだ。

情報のフローとストック

日本は島国という地政学的な特徴を持った国だが、江戸時代の鎖国政策を「閉鎖的」とした歴史教科書にかなり影響されてきた。しかし、その後の歴史家によって、海を越えて多くの人や文化の交流が庶民レベルで行われていたことがわかってきた。室町時代には日本からも丸木舟に乗って太平洋を越え南米のペルーにまで渡った記録がペルーの人口調査によって明らかになっている。ある研究者によれば欧米のみならずアジア諸国から多くのものが日本に入ってきた構図を「まるでパチンコの受け皿の様だ」と表現していた。欧米の「ササラ文化」と対比させ日本は「タコツボ文化」と言われてきたが、実は「雑種文化」であると指摘している。

そうした文化とのつきあい方であるが、世界中の新しい、面白い、珍しいものを積極的に取り入れてきた。その本格的なスタートは明治維新からであるが、その消化力は強く今も続いている。特に東京における戦後の再開発は激しく街の風景を一変させている。そして、街が持つメディア性、発信力の強さから、海外企業の多くは「原宿」を初進出のエリアとして選んできた。原宿はそうした変化型都市商業観光の街であるが、常にそうした変化を取り入れ続ける、流動的な傾向を私はフローと呼んでいるが、原宿から全国へと広がった専門店も多い。最近では若い世代に「話題」を発信するためにメーカーもあるいは地方自治体がイベントを行う場合もある。

ところで写真は体験型ケイジャンシーフードダイニング「Catch the Cajun Seafood(キャッチ ザ ケイジャン シーフード)」の手づかみ写真である。11月9日、原宿キャットストリーにオープンしたのだが、アメリカ西海岸やハワイなどで根付く”キャッチ(手づかみ)”スタイルのシーフードダイニング。テーブルの上に直接提供されたシーフードを手づかみで食べるスタイルである。原宿で一番新しいニュースであるが、どこまで広がるかおそらく主要都市のみであろう。

こうした変化型集客観光・フロー型の話題はブームとなり一挙に集客に向かい、そしてパタッと終わる場合が多い。逆に文化型観光集客は文化の本質がそうであるように「永いつきあい」へと向かう。つまり、リピーター化であるが、そのリピーター客によって「文化」は更に豊かになっていく。その良い事例として、過去度々話題を提供してきた東京谷中・谷根千(ヤネセン)も既に10年以上前から静かな観光ブームが始まっていた。そして、同じような表現をするならば、今なおブームは続き、更に広がりと深みが増した「文化物語」のある地域へと移行している最中だ。そして、その変化はヤネセンを訪れる一人ひとりによって創られている。学ぶべき点は「文化」への取り組み方である。

垣根というコミュニティ文化

日本の庶民住居の歴史を見ていくとわかるのだが、隣を隔ててはいるが、隣家の人と話ができる遮断されたものではなかった。それは江戸時代の長屋によく表れている。つまり、長屋という共同体、複数のファミリーの住まい方、生活の仕方にはオープンなコミュニティの考え方があった。その長屋は開かれたものではあるが、プライバシーを保ちながら、炊事場や洗濯あるいはトイレなど共同で使い合う、そんな生活の場であった。そうして生まれたコミュニティ発想から生まれ育てられたものが「垣根文化」である。

そうした生垣、竹垣は隣を隔てるだけでなく、生活そのものによって工夫され多様に作られ使われたものであった。しかし、コンクリートに覆われた都市にあって、100%遮断、隔絶された関係の都市構造となってしまった。まるで無菌社会のように、「他」を遮断する生活、ホテル生活をしているかのような生活となった。勿論、生活の経済合理性という一種の豊かさ革命がビジネスだけでなく、ごく普通の生活そのものの物差しになったからである。
東京や大阪といった都市のビルは高層化し、地下はビルとビルとを結ぶ地下街化が進み、人が集まれる広場はあっても、せいぜい待ち合わせ場所でしかなく、その場所で生活が育まれることはない。あったとして一過性のイベントに終わってしまい、持続されることはない。
戦後の60年代あたりまでは、垣根に面する道路は子供達の遊び場であった。一種のコミュニティスペースで、今なお再開発されていない下町の裏路地にはそんなコミュニティが残っている。

横丁路地裏の魅力とは

2000年代前半、都市の裏通りには「隠れ家」というマスコミや芸能界などの業界人が集まる飲食店に注目が集まったことがあった。そうした「隠れ家」ブームは一種の蛸壺の中のブームで、多くの人が足を踏み入れることは少なかった。実は隠れていた、埋れていた横丁路地裏の魅力を広く伝えたのはTV番組「ちい散歩」であった。関東ローカルのしかも午前中の番組ということから、視聴率を稼げない隙き間の時間帯であった。恐らくあまり期待されない番組としてスタートしたと思うが、実は今日ある散歩ブームの火付け役であったことはあまり知られてはいない。
実は都市生活者の興味・関心は表通り・大通りから中通へ、裏通り、横丁へ、路地裏へと「未知なる世界」を求めて多くの人の足は向かっていた。例えば、ガイド本も出ているが「東京の坂巡り」や「神社巡り」といった散歩である。こうした表から裏へ、既知から未知へ、現代から過去へ、といった傾向は散歩だけでなく、食で言えば賄い飯のような裏メニューブームにもつながり、情報の時代がこうした興味を入り口とした小さな知的冒険の旅を促していた。その代表が「ちい散歩」であった。

ちょうど同じ時期であったと思うが、「えんぴつで奥の細道」(ポプラ社)がベストセラーに躍り出た頃である。芭蕉の名文をお手本の上からなぞり書きするいわゆる教本である。全てPCまかせでスピードを競うデジタル世界ではほとんど書くという行為はない。ましてやえんぴつを持つことのない時代になって久しい。
「えんぴつで奥の細道」の編集者は「読む」ことばかりの時代にあって、「書く」とは路傍の花を見ながら道草を食うようなもの”と話されていたが、けだし名言で、今までは道草など排除してビジネス、いや人生を歩んできたと思う。このベストセラーに対し、スローライフ、アナログ感性回帰、奥行きのある大人の時代、埋もれた生活文化の時代、といったキーワードでくくる人が多いと思う。それはそれで正解だと思うが、私は直筆を通した想像という感性の取り戻しの入り口のように思える。ネット上の検索ではないが、全てが瞬時に答えが得られてしまう時代、全てがスイッチ一つで行われる時代、1ヶ月前に起きた事件などはまるで数年前のように思えてしまう過剰な情報消費時代、そこには「想像」を働かせる余地などない。「道草」などしている余裕などありはしない。そうした時代にあって失ってしまったものは何か、それは人間が本来もっている想像力である。自然を感じ取る力、野生とでもいうべき生命力、ある意味では危険などを予知する能力、人とのふれあいから生まれる情感、こうした五感力とでもいうような感性によって想像的世界が生まれてくる。地井さんの「ちい散歩」が支持を得てきたのは、ご本人の人なつっこいパーソナリティに加え、時代が創らせた番組であったと思う。
散歩という方法は想像力を喚起させてくれ、その先に「何」を発見したかである。それはそこに人が生活している「匂い」であり、「人間くささ」「日常の営み」といったものである。それら生活は「過去」が堆積し「今」になったもので、まさに想像力を喚起させてくれるものである。”ああ、こんなところに、こんな生活があったんだ”というコミュニティ文化の断片を発見するのである。「表」に出続ければ風化し鮮度を失ってしまうものであるが、そこに「人」が生活し続ける限り、コミュニティ文化は継承されていく。自動車ではなく人が歩く道、車が通れない、人のための道のどこにでもある横丁路地裏に文化は堆積する。(後半へ続く)  


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2017年12月10日

2017年ヒット商品番付を読み解く 

ヒット商品応援団日記No695(毎週更新) 2017.12.10.

日経MJによる2017年のヒット商品番付が発表された。2017年上期にも書いたのだが、昨年のようなヒット商品はほとんどなく、書くのをやめようかと思ったが、「ヒット商品が無い」こともまた消費低迷の傾向としてあり、その対策着眼についてコメントすることとする。以下が2017年の主要なヒット商品番付である。

東横綱 アマゾン・エフェクト 、 西横綱 任天堂ゲーム機 
東大関 安室奈美恵 、  西大関 AIスピーカー
関脇 GINZA SIX  、 関脇 ゾゾタウン
小結 シワ取り化粧品、  小結 睡眠負債商品 

2017年ヒット商品番付全体を象徴するキーフレーズには「決まり手はウチ充」とある。ウチは内・家で充は数年前に使われたリア充(リアル生活の充実)もじったキーフレーズである。デフレが常態化したここ数年、特にそうだが、成熟した時代の消費の最大特徴は生活者が「楽しみ」のつくり方、家族や友人などとの交換・交流の仕方、そして買い方を手に入れたことである。その楽しみは ありふれた日常で、しかも小さな「楽しみ」を小さな「金額」で満足させる方法を手に入れたことによる。
ここ数年私が指摘したことは、大きなヒット商品ではなく、例えば「孤独のグルメ」の様に地元にある一見ありふれた中華そば屋を楽しんだり、「好き」を入り口に手作りアクセサリーをネット上で販売したり、横丁路地裏散歩で見つけた風景を写真に撮りこれもインスタグラムに公開することを楽しんだり、そんなお気に入りの「楽しみ方」を手に入れた時代を「成熟」した時代と呼んできた。こうした消費潮流を表すかの様に、全国各地の産品をはじめとした固有文化に注目が集まってきている。いわゆる「わが町自慢」「ご当地自慢」である。こうした成熟時代を踏まえてのヒット商品である。

流通業態の変革が本格化した

東横綱のアマゾン・エフェクト、関脇GINZA SIX、関脇ゾゾタウン、共通しているものは日本における流通業態の大変革が本格化したということである。上期には物流サービスの「ヤマト運輸の値上げ」が入っていたが、まずはネット通販業態が生活のあらゆる商品分野に及んでいるということである。その象徴がアマゾン・フレッシュという生鮮食品の宅配サービスが都内の限定エリアで始まったことにある。書籍から始まったアマゾンであるが、顧客興味の把握をベースに次第にそのMDを広げていった、その一つの到達点が「生鮮食品」である。世界一の小売業であるウオルマートが有店舗業態であるのに対し、アマゾンは無店舗業態という比較もあるが、そうした競争の競争最前線にあるのが既存のスーパーマーケットである。このスーパーマーケット業態が数年前から実施しているのがネットスーパーであり、一定金額以上の買い上げへの宅配サービスである。
また、前頭には飲食店の出前・宅配サービスを代行するウーバーイーツが入っており、登録店は1000店を超え、対応エリアも拡大しているという。更に、番付には入っていないが、大手回転すしチェーンのスシローは鮮魚流通の羽田市場と組んで、朝取れ鮮魚を空輸し6時間で店頭に並ぶサービスが本格化している。あるいは鮮魚のみならず青果においては先行して実施されており、従来の「産直」の概念も変わりつつある。この様に、あらゆる領域で「物流」を軸に再編が本格化している。
次の流通変化としてGINZA SIXを挙げたが、百貨店のSC(ショッピングセンター)化という再編集の意味合いだけではない。日経MJをはじめ世界のラグジュアリーブランドを集めた延長線上で、高価格帯市場の成功事例の様に指摘をしていたが、それは一面的な見方である。「フェンディ」や「ディオール」といったブランドを指してのことだが、レストランにはあの大阪新世界ジャンジャン横丁の串揚げの「ダルマ」が入っている。ジャンジャン横丁の串揚げより少し高い価格になっているが、それでも安い「食」が用意されている。SCのデベロッパーであれば熟知していることだが、価格帯市場としてはある程度幅のある中でテナント編集するのは当たり前のことである。
更に若い世代にはファッション通販ZOZOTOWNは安くて使いやすい通販として急成長している。かなり前から通販と古着市場は伸びていると指摘をしていたが、ZOZOTOWNでは新品のブランドは勿論古着もあれば買取もしてくれる、しかも支払いは2ヶ月後という「うれしいシステム」になっている。嬉しいこと満載の通販ビジネスで、単なる通販の概念を超えた進化したビジネスとなっている。

AI(人工知能)はライフスタイルそのものを変えていく

少し前まではAIと言えば、将棋vs AIといった「知能」の卓越さや自動運転装置などの「技術」への応用が話題の中心であった。しかし、わずか数カ月で今回のAIスピーカーの様な生活を変えるそんな商品が出てきた。前者はまだまだ部分的世界であったが、身近な日常生活の良き「道具」として使われる様になった。価格としてはまだ少し高いが、これから安くなり普及していくであろう。
勿論、裏側にはインターネットという文字通り張り巡らされたネットワークがあっての話であるが、前述の流通業態の変革を促す世界と同じで早晩小売業とも連動していくであろう。PCの画面で注文するのではなく、AIに向かって話すだけで・・・・・支払いの決済はどうかと言えばAI機能に「顔認証」が付け加われば全て済む、そんなライフスタイルも間近に迫っている。既に有店舗のコンビニ・ローソンでは欲しい商品をカゴに入れれば自動的に持ち帰り包装され、支払いにはカードによる決済であるが、そんな無人の実験も始まっているぐらいである。そして、このAI機能はスマホやタブレット端末へと重なっていく。つまり、既に始まっているIot家電だけでなく、流通も大きく変わりライフスタイルそのものが変わっていくということだ。

それでは前述の流通業態はどう変わっていくかである。少し前のブログで米国で流行っている「ブラックフライデー」について書いたことがあった。消費活性のプロモーションであるが、日本ではブームにはならなかったが、米国ではそれなりの成果があったようだ。米国でも日本と同様小売は通販が主流となっており、有店舗はどこも苦戦している。そうした状況にあって唯一活況を見せている有店舗小売業があると言われている。それは世界最大の小売業ウオルマートである。その理由は通販で頼んだ商品の受け取り場所に、その巨大な4300店舗ネットワークを活用するということである。日本の場合でいうとコンビニがその受け皿になるということである。

この様にライフスタイルが変わり始め、至るところで「やり直し」が始まったということである。ところで西横綱に任天堂ゲーム機が入った。上期にもその「スイッチ」は順調な売れ行きを見せていたが、若干危惧もあった。それはゲームの潮流はスマホに移っていたからであるが、据え置き型プラス携帯という多様な遊び方機能を加えたことで、従来の任天堂フアンを呼び戻したのであろう。更に懐かしい「スーパーファミコン」が小さくなった復刻版も予約が殺到し好調とのこと。こうした背景から西の横綱に番付されたのだが、これも従来型ゲーム機の見直し、やり直しの成果であったということだ。

「価格」と「人手」という経営課題

今回の日経MJではあまり「価格」についてはドン・キホーテによる格安5万円台の4Kテレビが前頭に入っている程度であまり触れられてはいない。しかし、この価格の根底には「経営」という大きな山を越えなければならない課題がある。例えば、外食チェーンにおいて人件費や原材料のアップにより値上げが行われ始めているが、原材料は別にして人件費や家賃に見合わなくなったということからチェーンビジネスの本質的課題が生まれてきている。結果、採算の合わない店舗は撤退し、縮小していくだけとなっている。ブログにも書いたが、低価格を売り物に急成長してきたラーメンの幸楽苑ですら低価格だけではやっていけない山が立ちはだかっている。よく対比されるのが同じ業態の日高屋であるが、日高屋の場合は野菜たっぷりの「タンメン」という人気メニューがあり、そうした特徴がチェーンビジネスを維持させtている。あるいは牛丼大手のすき家も数年前人手不足から店舗閉鎖に追い込まれたことがあった。しかし、一方で24時間営業の立ち食いそな「富士そば」は順調である。何故か、それは前社の場合は深夜時間帯における「ワンオペ」「一人回し」という業態では最早人材は集まらずやっていけなくなったからである。つまり、「人手」をまるでロボットとして使っていたのに比べ、富士そばの場合は「人手」の人を生かしきる経営、例えば良き実績が上がればアルバイトにボーナスを出す経営、そんな人力経営との違いを見ればわかる様に、価格設定・人手という経営の「やり直し」が問われているということである。
また、このやり直しと共に山を越えている企業もある。その代表的事例はUSJ(ユニバーサルジャパン)で同じ様に値上げした東京ディズニーリゾートが低迷しているにもかかわらず、好調な集客が図られているのはやりすぎとも思われる「ここまでやるか」というMDにある。「この差・違い」は何かと言えば、徹底して顧客を喜ばせる、そんなアトラクションが至るところに溢れている。これも転換期の山を越える一つの戦略であろう。「価格」と「人手」という2つを軸に再編されるということだ。(続く)  


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2017年12月03日

またか! 変わらない日本の大相撲

ヒット商品応援団日記No694(毎週更新) 2017.12.3.

最近話題になっている「君たちはどう生きるか」(吉野源三郎著, 羽賀翔一の漫画)が100万部を超えたと報じられている。内容自体もさることながら、難しいテーマを漫画ならではのわかりやすさ、手軽さがヒット作に向かわせていると思いブログに書こうと思っていた。ただ、ちょうど来週には日経MJによる2017年度ヒット商品番付が発表されるのでそこでヒットの理由を読み解くこととする。
ところで今回のブログのテーマであるが、先日横綱日馬富士の引退会見及び相撲協会の危機管理委員会の中間発表を見ていて、”ああなるほどそういうことだったのか”と腑に落ちた。それは暴行の理由として挙げたのは「弟弟子に礼儀礼節を指導し、それがいきすぎた」ということで貴の岩への謝罪は一切なかったことによく表れている。現在力士が所属する部屋は45ある。あるスポーツジャーナリストに言わせればもう一つモンゴル部屋があり、全部で46部屋あると。つまり、日本に不慣れなモンゴル力士の懇親会を指してのことだが、その根底には日本文化とモンゴル文化の違いが横たわっている。日馬富士が他の部屋のモンゴル力士を弟弟子として指導したのは先輩の義務でもあるとし、相撲界ではよくある話であるとしたことがよく表している。

周知のように神事・武道、興行・娯楽、スポーツ・競技という3つの要素を併せ持った日本固有の伝統文化を継承してきた相撲である。その起源を見て行くとわかるが、奈良時代から平安時代にかけて、武家相撲といった武道、五穀豊穣を祈った神事としての宮廷相撲、そして、庶民の間で行われた草相撲といったように、中国の影響を受けながら多様な相撲をその起源としている。現在のライフスタイルの起源の多くは江戸時代にあるのだが、相撲も歌舞伎や寄席、浮世絵といった人気娯楽の一つであった。
今日の興行として行われるようになったのがこの江戸時代である。当時は力士、与力、火消しの頭は江戸の三男と呼ばれ、庶民の人気者であった。相撲は屋外で行われ、雨が降ると中止になり、興行が数ヶ月に及ぶこともあったようだ。興行は”一年を20日で暮す良い男”と言われたように、20日で興行は終了する。ちなみに、十両という名称は年間十両の給料をもらえる力士のことである。
当時の相撲は今で言うところのガチンコ勝負で、力士同士が喧嘩することも多々あったようである。現在は土俵上には柱はないが、当時は柱があってここに刀がくくり付けられており、喧嘩になると親方が刀を引き抜いて仲裁に入る、そんな真剣勝負であった。また、行司も刀をさし、仲裁に入る場合もあったようである。
というのも大関になると部屋から引き抜かれ大名のお抱えになる力士もいる、つまり、侍の身分になるという大変名誉な職業であった。大名もメンツがあって、当然力士は真剣勝負になり、庶民はそうした勝負を楽しんでいた。こうした真剣勝負の世界にあっては、八百長などはあろう筈はなかった。実は、「八百長」という言葉が生まれ使われるようになったのは明治時代以降である。周知のように明治時代になると近代化の名の下に、廃仏毀釈が全国至る所で行われ、神事(神道としての様式)という側面を持つ相撲もその対象となり、存続が危ぶまれたが、伝統文化として今日に至っている。

ところで今から6年ほど前大相撲八百長事件が起き、大阪場所が中止に追い込まれ、大相撲の危機が叫ばれ改革へと動いた。思い起こせば、日本の伝統文化に対する認識がいかに喪失しているかを物語っている良き事例であった。当事者達のメールでの勝敗のやりとりを見ても、そこにあるのは人情相撲といった「情」による八百長ではなく、幕下に落ちないためのグループによる保身感覚、勝敗を売り買いする意識、その「軽さ」である。面白いことに、野球賭博事件の捜査に付帯したものとしてこの八百長が発覚したことである。前者は刑法事案となるが、後者は法にはふれないことであるが、当事者達にとってはそれほどの罪悪感がないように見える。それはメールによるやりとりという一種のゲーム感覚のようにも見える。そうした方法が更に罪悪感喪失を倍加させている。今回の暴行事件の裏にはモンゴル力士同士の星の回しあいがあるのではとの週刊誌報道もある。事実の真偽はわからないが、もしモンゴル力士の互助相撲が行われていたとすれば、誰も相撲観戦などしないであろう。言うまでもなく、そんな疑義が起きないような相撲内容でなければならない。

また、その前には2007年時津風部屋新弟子を「可愛がり」と称し、リンチまがいの暴行によって命を失くす事件が発生している。この事件も「可愛がり」という暴力に対する罪悪感がない事件で、その後日本相撲協会は徹底的に暴力を無くすように努力するとのことであったが、2010年の朝青龍による一般人への暴行事件を始め声明とは逆に暴力は連綿ととして貴の岩暴行事件に繋がっていたということだ。その背景には、今なお「可愛がり」という土俵上の「稽古」によって強くなったという体験認識を基本に相撲部屋は運営されている。問われているのはこの強くなるための「可愛がり」ではない、新たな稽古法が問われているとの認識が無いという点にある。
格闘技ではないが、2015年のラクビーW杯における桜ジャパンの活躍、特に南アフリカ戦のトライに多くの人は感動した。帰国後の記者会見などで明らかになったことだが、その背景にはエディーコーチによる高度な科学技術を踏まえた過酷なトレーニングがあったことが分かった。そのトレーニングを影で支えたのがITベンチャー企業ユーフォリアの選手強化法で当時の日経ビジネスに詳しく紹介されている。スポーツも常に新しいトレーニング法を取り入れることが必要な時代にいるということだ。暴力を持って行うトレーニングなど論外である。

さてもう一つの根本問題が日馬富士による「礼儀礼節」の指導である。勿論、一般論としての「礼儀礼節」ではなく、相撲道における「礼儀礼節」である。ある意味日本人の精神文化に関わることで、「道の文化」である。柔道、茶道、華道は元より職人が目指す日本の伝承文化の世界でもある。よく言われる例えであるが、欧米のスポーツは「勝負」、つまり勝ち負けを競い合う。日本の場合は「勝負」と「試合」とが重なり合っているスポーツが多い。試合とは「試し合い」で相手の力を借りて自分の腕を見極めることである。だから、相手に対し礼を持って「よろしくお願いします」と頭を下げるのである。これもよく言われることであるが、「勝負には負けたが、試合には勝った」。その逆もあるのだが、このように一見すると相矛盾する2つの意味を担ったスポーツ文化である。
ラクビー桜ジャパンの元コーチのエディさんは「試合」と「勝負」とを選手に明確に理解認識させ、勝つための過酷なトレーニングを個々の選手一人ひとりに課した結果が前述の試合結果になったということである。
相撲の難しさは「勝つこと」だけでなく、「試合」というつまり「礼を尽くす」という精神世界をも生きなければならないことにある。横綱の品格もこの両者を超えた世界にある。このことはモンゴル人力士だけでなく、日本人力士も同様である。これが古来から言われ続けてきた「道を極める」ということに繋がる。日本の伝統文化を継承する多くの名人が「まだまだ道半ばです」というのはこうした背景からである。横綱といえども「道半ば」であるとの自己認識が不可欠で、それが無い「横綱」は横綱では無い。

日馬富士の暴行事件の中間発表の理事会で現横綱白鵬の品格も問題となり親方共々厳重注意処分が行われた。九州場所での「物言い」の振る舞い、あるいは優勝後の日馬富士、貴の岩を土俵に戻したい発言、更には万歳三唱など「品格」の無さへの指摘である。これは個人的な好き嫌いであるが、白鵬が若くして優勝を重ねていた頃、大鵬親方のような差し身のうまい力士だなと感心していたが、ここ数年左の張り手から右のエルボードロップのようなカチ上げというワンパターン相撲ばかりで興味関心は失せてしまった。「勝つ」ことだけが全てに優先され、つまり勝つためなら禁じ手以外なら何をやっても構わない、そんな傲慢とも思える相撲に辟易したからである。これから論議されると思うが、貴乃花親方の考える相撲道と白鵬が今行なっている「相撲」とは全く異なるものである。相撲も娯楽だから白鵬のパフォーマンスも良いではないかとするそんな楽しみ方もあっても構わない。しかし、歴史ある伝承文化としての大相撲ではない。プロ格闘技であるプロレスやボクシングなどと同じようなスポーツ分野の相撲ということになる。勿論、そうなったら公益法人を返上してからであるが。
少しづつ全容がわかるにつれて貴乃花親方VS白鵬(モンゴル力士会)という図式の情報が興味本位で報じられているが、相撲道、横綱の品格、というおお相撲の本質、継承すべき文化の違いがあり、そのことを明確化できていない点にある。

日本古来の文化は、仏教も神道もそうであるが、Yes であり Noでもある、善であり悪でもある、奥行き深く、なかなか答えが得られない。歴史とは積み重ねであり、デジタルではなくアナログの世界である。そこに、相撲道という言葉がある。
いずれにせよ、こうした神事・武道、興行・娯楽、スポーツ・競技のバランスが崩れ変容しているにも関わらず変わることができないということであろう。この20数年、多様な娯楽・スポーツが楽しめるようになり、相撲興行もいわば競争のなかにある。興行というビジネスを担う人材ということに置き換えるならば、高い報酬が得られるサッカーや野球の方に若い人材は集まる。結果、収入面では日本の10分の一のモンゴルから人材が集まるようになる。それは決して間違ったことではないと思うが、こうした日本文化を体得して行くには極めて難しい。モンゴル力士だけでなく、日本人の多くの力士も伝統の意味合いを研修所では教わるが、教わった「角道」を土俵上でも体得する力士は少ない。

時代の変化を受け入れるとは、詰まる所伝統文化の何を残し、何を変えていくかであり、それは協会も力士も継承する者の責務である。あの横綱朝青龍が土俵上でガッツポーズをした時、アスリートとしての強さは認めるが横綱としての品格が欠如していると強く批判したのが元横綱審議委員の内館牧子さんであった。批判の理由として、相撲には武道、武士道としての精神を必要とする、とのコメントを思い起こす。武士道精神からは、たとえ人情相撲といえども許されないであろう。いわんや、八百長などは論外である。そして、「可愛がり」といった暴力世界からいち早く抜け出ることが必要となっているのだ。日馬富士は「礼儀礼節」の指導であったというが、暴力を持って行うなどは真逆のことである。病気療養中の内館牧子さんであったが、やっと回復し相撲観戦しているようだ。阿武咲を始め若い世代の相撲が殊の外面白いとスポーツ紙は報じていた。今回の暴行事件についてはコメントしていないが、「礼儀礼節」の考え違い、それも最高位の横綱による日本文化の考え違いをどうすれば良いのか是非聞いて見たいものだ。
少し前に「変わるなら 今でしょ!」とブログに書いた。何年経っても変わらない、またやらかしてしまった、そんな日本の大相撲も変わらざるを得ない時を迎えている。それは日馬富士の暴行事件の裏にある「相撲道」の変質、本質に関わる問題だからだ。変わり得なかった時、間違いなく相撲フアンは徐々に減少しつ続け、日本の伝承文化は廃れて行くこととなる。それにしても、一番の被害者である貴の岩を救ってあげなければならない。モンゴルでは英雄日馬富士を貶めた「悪人」になっているとのこと。障害事件の被害者に加えて、情報においても被害者になることが予測され、二重の被害者になる恐れがある。肉体的傷害が治ったとしても、心の傷が癒されることはなかなか難しい。貴の岩も引退などといった最悪事態にはならないことを願う。(続く)  


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