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ヒット商品応援団
「人力経営」という本を書きました。ヒット商品の裏に潜んでいる「人」がテーマです。取材先はダスキン、エゴイスト、野の葡萄、叶匠寿庵、桑野造船の経営リーダー。ユニーク、常識はずれ、そこまでやるのか、とにかく面白い経営です。星雲社刊、735円、新書判。

2021年05月30日

こころ折れず、なんとか倒れないで欲しい   

ヒット商品応援団日記No789(毎週更新) 2021.5.30.


ワクチン接種が加速している。やっとワクチン供給がスムーズになったこともあるが、新型コロナウイルスとの戦いの「先」が見えてきたことだ。その「先」とは、季節性インフルエンザと同じような「時」、日常が来ると言う意味である。そうした明日を確実にしてくれたのが横浜市大の山中教授グループによるワクチン効果の実証研究結果である。ファイザー製のワクチンの「有効性」についてで、変異型ウイルスにも中和抗体ができ、しかもその持続が半年だけでなく、1年間持続効果が見られたと言う実証結果である。多くの人が求めていたワクチンによる戦い方の意味、そのエビデンス(根拠・証拠)を明らかにしてくれたことである。この1年半近く、TVメディアに出演してきた感染症の専門家がただの一人も「答える」ことができなかったエビデンスを初めて明らかにしてくれた。飲食業における飛沫感染といった状況証拠としてのエビデンスではなく、「科学」によるエビデンスである。これまでの「出口戦略」から始まった「感染防止か経済か」「コロナゼロ」「人流による感染防止策」・・・・・全てが無用とは言わないが、生活者・個人のコロナに対する向き合い方を根底から変えることへと向かうであろう。

ワクチン接種は医療従事者から始まり高齢者へと進んできたが、残念ながらコロナとの共存と言う「日常」を手に入れるにはまだまだ時間がかかる。三回目の緊急事態宣言が6月20日まで延長されることとなったが、これも東京五輪の日程を見据えたものであることは明白で、こうしたことを含めほとんどの国民は宣言の根拠・合理性の無さに矛盾を感じている。唯一「先」を見させてくれているのがワクチンで、生活者個人だけでなく、今多大な犠牲を強いられている飲食事業者や観光産業にとっても同様である。生活者・個人にとっては感染発症のリスクが少なくなる「自己防衛」であり、事業者にとっても集団免疫が形成されることによる「社会防衛」と言う2つの防衛策となる。少し前になるが愛知でコロナ患者を診ている臨床医が東京五輪の開催について聞かれて答えていたのは「東京がイスラエルのようなワクチン接種状況であれば開催しても良いとは思うが、そうでなければ中止すべきである」と。ちなみにイスラエルの接種率は62.5%で、東京都の高齢者の第一回目の摂取率はわずか6.6%である。(NHK特設サイトより)

今心配なことは宣言延長によってほとんどの飲食事業者の心が折れてしまうことにある。古いデータで恐縮であるが4月末の日経新聞によれば、3回目の緊急事態宣言を要請した東京、大阪、京都、兵庫の4都府県で、時短営業に応じた飲食店への協力金の支払いに差が出ていると言う。2回目の当初の宣言中の支給率は東京や大阪、京都が4~5割台の一方、兵庫は9割に上る、と。遅れは店の経営に影響することは当然であるが、自治体は審査を担う人員を増やすなど対応を急いでいると報じられているが、少なくとも「根拠なき」要請に対し協力をしてきた店である。
またこの心配の延長線上には、もはや協力できないとした飲食店、特にアルコールを扱う居酒屋が増えていくことにある。勿論営業時間もである。当然東京都は違反企業として「命令」の措置を出すであろうし裁判所から「過料」が課せられることとなる。第二波の時にはあのグローバルダイニングのように裁判に訴える段階から、無数の飲食店が営業し、逆に多くの客が集まり、それこそ「密」を作ることとなる。つまり、行き場を失った若い世代が路上飲みからそうした「店」へと向かうと言うことだ。こうした情報はSNSを通じあっという間に広がる。ある意味で「混乱」が蔓延していくと言うことだ。

前回「根拠なき抑制は破綻する」と書いた。それは何度となくロックダウン(都市封鎖)」した欧米諸国が感染者減少に向かったのは明らかにワクチン効果であった。つまり、強制力を持ったロックダウン、「人流」を強制的に止めても感染拡大を一旦は減少に向かわせても根本解決にはならないと言うことが世界的に実証されてきた。あの感染対策の優等生と言われた台湾は一挙にワクチン接種へと向かったように。
その「人流」抑制であるが、東京の場合GW以降繁華街の人流は夜間だけでなく昼間も減るどころではなく増加傾向を示している。しかし、感染者は減少へと向かっている。人流が増えれば、つまり賑わいのあるところに出かけて行けば感染は拡大するはずなのにここ2週間ほど「減少」していると言う「事実」である。感染症の専門家は行動と感染・発症には2週間ほどの時間差があると言うが、この真逆の結果に対しどのような分析がなされるのか聞きたいものである。「人流」と「感染」の相関を単なる推測ではなく、根拠あるものとして明らかにして欲しいと言うことだ。人流、つまり人の行動変容はつとめて社会心理が働いていることを明らかにして欲しいと言うことである。人流が増えてきたことを単に「慣れてきた」からと言ったど素人のような物差しで人流増加を決めつけてはならないと言うことだ。この1年半、コロナとの戦いと言う学習経験を積んだ生活者・個人、更に言えば飲食店などの事業者の心理変化を分析の大きな変数として組み込まない限り間違った判断となる。

こんなことを言う前に、GWの人流は昨年以上に増加しているのに、感染者数は減少しているのはなぜか。この人流は「都市」におけるもので、今回の第三波の特徴は全国への拡大、地方都市への拡大である。この拡大の主要な要因はどこにあるのか。GWによる地方都市への「移動」、例えばその象徴では無いかと思うのがあの「沖縄」であろう。観光産業以外に生きるっすべを持たない県である。こうした人流こそ分析の対象とすべきで、例えば鳥取県のようにスーパースプレッダーと言う感染拡大者の発見のために従来の疫学調査以上の追跡を行い、とことん感染源を追い求め隔離すると言う方法が取られている。結果、感染者が少ないのは当然の帰結となる。以前にも採り上げたが山梨県の感染撲滅の活動や、千葉市での認証事業活動、あるいは福井県なども同じような感染源をどう潰していくのかと言う「現場主義」こそが問われていると言うことだ。根拠のない人流抑止策から、感染現場に再び戻り、どう抑止していくのかが問われている。こうした現場主義こそがワクチン接種と並行して行うことだ。無症状者による感染という課題について、若い世代に再び注目が集まっているが、高齢者だけでなく、若い世代にも早急にワクチン接種すべきであろう。例えば、今尚、重傷病棟が逼迫している大阪などについては今以上の接種拡大策、若い世代への接種を戦略的に行うことだ。っp坂府知事も第二波の解除が早すぎたとして大きな批判を受けたと聞いているが、東京都のようなパフォーマンスとしての見回り他ではなく、行政も現場に入り事業者とt共に抑止を行い、良い実績を挙げた飲食事業者に対しては山梨県のように「認証」し、時短などの規制も緩和していく方法を取り入れていくと聞いている。規模の大きなとしては難しいと思いがちであるが、「小さな単位」で実効していけば良いのだ。商店街単位、飲食ビル単位、・・・・・・キタ・ミナミ単位のように。「認証」とは行政が一方的行うものでは成立しない。認証の主体は事業者であって、行政はサポート役・黒子である。もし、すべきことがあるとすれば、「認証」の精度を上げ、事業者と共に生活者・個人の信頼を勝ち取ることだ。

ワクチン接種が順調に行けば今年中には若い世代にも行われるであろう。しかし、例え集団免疫が得られたとしてもウイルスがなくなるわけではない。今、イギリス株の次にインド株に気をつけなければと報道されているが、ウイルスは常に変化していくものである。東京墨田区ではこのインド株の検出について力を入れ着実に対策を講じている。勿論、民間の分析企業と組んでのことだが、一番重要な東京都自身が検出数が極端に少ないのはそうした外部企業と連携する方法を持たないからである。横道に逸れてしまったが、つまりウイルス対策はこれからも継続されていくと言うことだ。一方消費者の側もきちんとした認証を受け止める正しい判断が求められていくこととなる。ある意味で1年半前までの「選択眼」に戻ると言うことだ。街を歩けば廃業店舗が目につくようになっているが、それまで、特に飲食事業者はなんとか倒れないで欲しい。(続く)  


Posted by ヒット商品応援団 at 12:59Comments(0)新市場創造

2021年05月16日

根拠なき抑制の破綻   

ヒット商品応援団日記No788(毎週更新) 2021.5.16.


3回目の緊急事態宣言、GW期間を挟んだ短期集中を目的とした感染拡大対応策を終え、5月末までの延長が実施されている。大阪における感染が拡大し医療崩壊が深刻化しつつあることは知事会見を始め報道の通りであろう。この緊急事態宣言の狙いは「短期集中」と共に「人流」を止めることにあった。しかし、宣言のエリアは愛知、福岡、北海道、岡山、広島へと更に拡大し、まんえん防止策の地域も同じように拡大、つまり「全国」へと広が理、宣言及びまんえん防止措置エリアを入れると全国の43%に及ぶに至っている。
こうした中、政府と自治体との間の「考え」の違いが具体的な防止策の問題として露呈している。その一つが東京都の防止策で、例えば演劇やプロ野球などは人数制限など限定的に緩和するが、映画館や美術館が休業、と言ったように支離滅裂な「考え」が露呈している。「人流」を抑制することが目的であるが、何故演劇は緩和で、映画館は休業なのか、その根拠が説明されないまま押し通す始末である。
そうした行政、東京都の「考え」を推測してとのことと思うが、生活必需品以外は休業との要請に対し、高島屋を始め東京都のほとんどの百貨店は、宝飾品・美術品あるいはゴルフ用品などを除外した商品を「生活必需品」とし、ほとんどのフロアで営業を再開している。極論を言えば東京都の「考え」とは異なる自己判断によるビジネスを始めたと言うことである。

実は日本百貨店教会の売り上げなどの公開情報では1月からの緊急事態宣言が解除された3月の売り上げは21.8%増と18か月ぶりのプラスとなった。前年の新型コロナウイルス感染拡大による臨時休業や時短営業の反動に加え、緊急事態宣言の解除や、各社が企画し た会員向け施策等が寄与したことによる。こうした消費の回復傾向は家計調査にも明確にでている。3月の二人世帯以上の消費支出は6.2%で、1月は▲6.1%、2月は▲6.6%である。当たり前のことであるが、緊急事態宣言の発出は「消費」に多大な影響を及ぼしているということである。生活必需品の見直しは百貨店経営が危機的な状況になりつつあるあると言うことを表していると言うことだ。飲食店がテイクアウトへを取り入れたのと根っこは同じである。
前々回のブログでGWにおける生活者・個人の行動、特に不要不急の代表的な「旅行」について取り上げた。繰り返し書くことはしないが、コロナ禍の1年、学習した人達は感染していないエリア、あるいは感染しにくい移動の方法で、旅行を楽しんでいる。つまり、都心の夜の人出は減ってはいるが、昼間の人流は減るどころではなく、逆に増加しているということである。菅総理のコメントに都心の人流は減少したとあるが、これも当たり前のことでGW期間中に夜の繁華街に出かけることなど極めて少ない。横浜のみなとみらい地区のように周辺の観光地には多くの人出が見られ「分散化」しているだけである。学習してきた生活者・個人はある意味自己判断で動きは始めたということだ。その背景は分科会の尾見会長が言うように、「人流」抑制には感染を減少させる根拠がないと言うことからである。

生活者のこうした反応は今回の百貨店の判断対応と見事に付合している。それは「生活必需品」の解釈として、百貨店として「必需」は何かを明確に示し売り場を作ったと言うことである。1970年代百貨店は貧しかった戦後日本が経済成長を果たし「豊かさ」を手に入れつつあった時代の代表的な流通であった。それは以降生活にとって豊かであるための「必需」商品、必要な業態であった。それは百貨店にとって「当たり前」のことである。
問題は「人流」抑制ではなく、「感染」防止に更に努力すると言う判断である。周知のように百貨店は感染者が出た事実に対してはHPにその都度公開し併せて対策も講じている。勿論、結果としてクラスター発生を起こしてはいない。制限付きの観客を入れたピロ野球がクラスターを発生させた日ハムとは対照的である。
周知のようにこうした感染対策は飲食事業者など1年間を通じて行ってきた。時短営業は勿論のこと、今回の措置であるアルコール禁止であっても、例えばビールを売り物にしているビールバーはノンアルコールを出して営業している。飛沫感染対策として、アクリル板の設置から始まり、席数の制限、換気扇の設置・・・・・・・今度「人流」のための休業措置。おそらく6月には破綻する飲食店は続出するであろう。それでもランチ営業やデリバリー活用で商売していく店もあるかもしれない。しかし、こうした「不公平さ」は歴然として明らかになった。
人流を止めるなら鉄道など公共交通を止めるしかない。実は東京都の要請でJR東日本が鉄道本数を減らす減便を行なったが、減便の前後の車両はスシ詰め状態でそれこそ感染を拡大する危険な「密」状態を生み出し、結果元のダイヤに戻した。そんなことは当たり前のことで、次なる施策は何かと言えば、再度テレワークの推進となる。そのテレワークの実施実態は都のHPに掲載されているが、都の担当者による聞き取り調査でその実行は大企業やIT関連企業は可能であるが、補助金を出されても運営するのは「人」であり、仕事のやり方を含めてゼロスタートするしかないのだ。そんな「改革」が一朝一夕でできるはずがない。ビジネス現場を知らない行政のやりがちなことで「実効性」はまるでない。(今回は取り上げないが、「改革」を進め定r企業は多数に登っている。行政に言われるまでもなく生き残ろために必死に取り組んでいる。)

少し前の3月になるが、感染拡大防止と経済社会活動の両立を図るための取組として、「コロナリーダー事業」として、東京都感染拡大防止ガイドラインやガイドブックを策定し、対策に取り組んでいる店舗等で感染拡大防止徹底宣言ステッカーを掲示してもらうなど、感染拡大防止の取組を推進していた。スタート当初から協力金の条件に過ぎない事業と考えられていたが、その実効性は現在どうであったのか。アルコールの禁止によって飲食店はどんな状況になっているのか。マスコミ、特にTVメディアは「その後」を追跡しようとはしない。泥縄という言葉があるが、全ての対策は縄のない泥まみれとなっている。今、飲食店を支えているのは、常連客による「飲食」である。顧客によって救われているということだ。しかし、残念ながら長続きはしない現実がある。

この「人流」抑制は感染拡大防止のための「手段」であった。その背景には病床の確保、新規感染者を減少させる、特に重傷者に対する救命のためであった。緊急事態宣言の実施については、政府は大きな方針を提示するにとどまり、都道府県知事による「実行」に任せることが明確になった。理屈上は「現場」を熟知している知事に権限と責任を任せることはその通りであると思う。その良き事例と思われるのが東京と大阪の「違い」である。既に報道されているので繰り返しはしないが、大阪の場合周知のように自宅待機者から亡くなる感染者が出ているように医療破綻の危機にある。こうした背景から「人流」を止めることはやむなしとする世論が大阪の場合は形成され、例えば百貨店の大阪高島屋は今まで通りの「休業」要請を引き受けている。一方、東京の場合日本橋高島屋は前述のようにほとんどのフロアは営業する道を選んだ。その理由の一つは東京の場合の病床の逼迫は大阪ほどではないという理由からだ。社会的存在である百貨店はその危機的状況にある「社会」を考えてのことだ。ある意味、生活者個人が「自己判断」して行動変容を決めることと同じである。

「ヒット商品応援団」という名の通り、必ず「ヒット」するには根拠がある、勿論、逆に廃れることにも根拠がある。この10年ほど、街の「変化」を観察し実感し、その根拠を分析してきた。例えば、あの秋葉原が「アキバ」になり世界中から「オタク」の聖地として賑わいを創ることができたのも明確な「根拠」があった。あるいは、今や若い世代の好きな街に一つとなっている吉祥寺も、ライフスタイルの変kに追いつかない大型商業施設が次から次へと撤退した街であった。しかし、そうした状況下にあって若い世代は駅前の古びた一角、昭和の匂いのする飲食街「ハモニカ横町」に「新しさ」を感じ賑わいを見せることとなった。
一方、東京にも寂れた商店街は数多くあり、シャッター通りから古びた住居が立ち並ぶ通りへと変貌する、ちょうど過疎となった中山間地のように人の手が入らない場所が猪などの棲み家になると言った変化を観察してきた。つまり、あまり大仰なことを言う気はないが、豊かさを追い求める「商業」の本質を少しだけ学んだ。商業は生活そのものであり、商業なき生活などあり得ないと言うことだ。(その根拠については拙著「未来の消滅都市論」電子書籍版を参照してください)」

今回の「人流」を止める作戦は見事なくらい失敗したと言うことだ。それは欧米のような法的強制力持たない日本という理由だけでなく、個々人、個々の企業がそれぞれ自制する判断、セルフダウンする能力を持ち合わせているということだ。東京の場合第三波における感染者が2400人を超える2という「シグナル」であり、大阪の場合は病床に収容できない状態、医療崩壊寸前状態という「シグナル」、そうしたシグナルによって「行動変容」するということだ。感染症の専門家は「人流」を止めることが唯一の切り札のようにいうが、それは教科書の世界で、現実は一人ひとりの心の中の「自制」を働かせる「鍵」を探すことに他ならない。
「自制」とは自らの「自由」を制限することであり、個々人、個々の企業ごとに持っている。政治家も行政も、その「自由」を語らなければならないということだ。コロナとの戦いとは「自由」を取り戻すための戦いであるということである。ワクチン接種がゲームチェンジャーであると言われるが、自由を取り戻す入り口、その鍵であるということだ。
ところで大阪府民の多くはは今回の宣言の延長、厳しい制限のままの延長について支持しているという。勿論、病床が逼迫し医療の破綻を感じているからである。日本における死亡数は年間約137万人。周知のように死因1位は癌であり癌にかかる人は2020年の予測値で約101万7000人。医療崩壊は早期発見、入院、手術・治療という高度な医療を受けることができなくなる。ある意味で「医療を受ける自由」がコロナによって奪われるということだ。そうした現実に対し一定の行動制限は「やむを得ない」と感じたからであろう。そして、大阪府の場合、昨年1月武漢からの中国人観光客のバスツアーで感染が発生したことを覚えているだろうか。中国人バスガイドと運転手が罹患したのだが、厚労省をはじめ大阪府も個人のプライバシーを守りながら「情報公開」している。つまりこの1年半近く府民と情報を共有してきたという背景がある。
宣言の開始後、都の職員が盛んに新宿歌舞伎町や渋谷センター街に出かけ、路上飲みを止めるよう注意して回っているが、それはTVカメラを意識してのパフォーマンスで若い世代の行動を変えることはできない。若い性こそ自制すべき「根拠」、その合理性を求めているのだ。注意された若者は都の職員に向かって「義務ばかりで、何一つ権利はないのはどうしてか」と言っていたが、路上飲みはやめた方が良いとは思うが、心の奥底には「自由」を希求する気持ちがひしひしと感じる。
政治家、行政は理屈に合わない、非合理な、公平性を欠いた「義務」を押し付けるのではなく、「自由」を取り戻す戦いの先頭に立つことこそが求められているということだ。例えば、山梨県のように感染対策を飲食事業者と住民とが共通した目標を持った「実行性」のある取り組みが行われている。私の言葉で言うと、事業者・住民が共に「自由を取り戻す」運動のようなもので、行政がそうした目標を持って取り組みを現場でサポートする仕組みとなっている。感染対策の鍵は「ワクチン」であると、しかも横浜市大の山中教授の研究から変異型ウイルスにもワクチン効果があると「根拠」を持った成果が発表された。こうした朗報もあるが、まだまだコロナとの戦いは半ばである。(続く)
  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:08Comments(0)新市場創造

2021年05月09日

東京五輪って何?   

ヒット商品応援団日記No787(毎週更新) 2021.5.9.


米ワシントン・ポスト(電子版)は5日のコラムで、日本政府に対し東京五輪を中止するよう促した。その中でIOCのバッハ会長を「ぼったくり男爵」と呼び、新型コロナウイルス禍で開催を強要していると主張。「地方行脚で食料を食い尽くす王族」に例え、「開催国を食い物にする悪癖がある」と非難した。コラムは大会開催を前進させている主要因は「金だ」と指摘。IOCは収益を得るための施設建設やイベント開催を義務付け「収益のほとんどを自分たちのものにし、費用は全て開催国に押し付けている」と強調した。その上で、日本政府は五輪中止で「損切り」をすべきだと訴えた報道である。
実は日本ではあまり報道されてはいないが、五輪に否定的な報道は米国で相次いでおり、ニューヨーク・タイムズ紙は4月、コロナ禍の五輪開催は最悪のタイミングで「一大感染イベント」になる可能性があると指摘。サンフランシスコ・クロニクル紙は5月3日、世界で新型コロナの影響が長期化する中、東京五輪は「開催されるべきではない」との記事を掲載している。そのバッハ会長は日本における緊急事態宣言と東京五輪開催は別問題だとして顰蹙を買ったが、まさにワシントンポストの指摘そのものの指摘に合致したコメント、自分さえ良ければとした考えでである。
日本でもいくつかの世論調査が実施されているが、例えば共同通信社の全国電話世論調査では、今夏開催するべきだとした人の割合は24・5%、再延期するべきだは32・8%、中止は39・2%で、いずれも3月の前回調査の23・2%、33・8%、39・8%から横ばいだった。つまり、再度延期すべき及び中止を考える人は72%と圧倒的にコロナ対策重視に世論は向かっている。

実は5年半ほど前に「ノンコンセプト・オリンピック」というタイトルでオリンピックが変質してしまったことについてコメントしたことがあった。ちょうどオリンピックのエンブレム盗用問題が新国立競技場のゼロ見直しに続き使用中止となり、またもや再度公募するとの発表があった時期である。記憶を辿れば、新国立競技場についてはその膨大な建設費について「何故」と思う人が大多数であった。1000兆円を超える債務をもつ日本にあっても、それでも意味ある費用であれば納得したことと思う。 そして、私は次のようにブログに書いた。

『ところでそのコンセプトであるが、2020東京オリンピックがどんなコンセプトを持ってIOCに提案したかを語る専門家はほとんどいない。実は、そのキーワードは「スポーツ・フォー・トゥモロー」となっている。この「スポーツ・フォー・トゥモロー」を実行すると宣言したことで、日本の方針をIOCが高く評価し、それが招致決定の決め手になった。そして同時に東京五輪の実施にあたって、この「スポーツ・フォー・トゥモロー」の実行が求められるという経緯になっている。この経緯などについては作家村上龍が主催しているJMMに投稿し広く知られている米国在住の冷泉彰彦氏は、そのキーワードについて、3つのスポーツ貢献を果たしていくというものであったと指摘をしている。(詳しくは2014年8.5.のNewsweekの「コラム&ブログ」をご一読ください。)
ところで、その貢献を簡略化するとすれば、
1)青年海外協力隊などの活動として、途上国などに日本のスポーツ振興のノウハウや施設を普及させる。
2)日本のスポーツ文化と世界の最先端のノウハウを融合した高度なスポーツマネジメントに関する国際的な人材育成を行う。
3)そして、今盛んに行われているアンチ・ドーピング活動を国際的に支援する。
調べた範囲は限られているが、概略は以上のようで、「スポーツを通じた未来への社会貢献」という意味合いについて、その社会貢献世界については誰もが納得理解し得るものだ。しかし、この方針はメッセージ性はあっても地味であるため、オリンピックのもつイベント性、お祭りというエンターテイメント溢れるビジネス世界とは異なるものである。
よくロンドンオリンピックは成功したと言われているが、その成功のためには英国が抱えている多様な社会矛盾を視野に入れた一種の社会運動としてスポーツを位置付け、その目標にロンドンオリンピックを置いたことによる。つまり、お金をかけないコンパクトオリンピックもそうであるが、「オリンピックは儲かる」という転換点となったロサンジェルスオリンピック以降の反省、いきすぎた商業主義としてのオリンピックの反省を踏まえたものであった。周知のサッカー界においても同様で、汚職にまみれたFIFAの改革にも繋がる課題である。ある意味世界的なスポーツビジネスの潮流を踏まえたコンセプト、方針であった。これがロンドンオリンピックであり、東京オリンピックのポリシーであったと。こうしたポリシー・コンセプトを詰め、祭典というエンターテイメント世界との折り合いをつけるという進化の努力がまるで見られない。』

更に記憶を辿れば、招致決定前の世論調査では、招致に賛成の日本国民はせいぜい50%程度で、マドリード78%、イスタンブール73%、と比較し一番低かった。こうした土壌からの東京五輪への取組であった。しかし、「コロナ禍」によって、当初の東日本大震災からの「復興五輪」から「コロナに打ち勝つ五輪」へと変質した。東日本大震災からの復興を五輪というスポーツを通じて広く世界に見ていただこうという趣旨であった筈である。それは1964年の東京オリンピックが戦争によって荒廃した日本の復興を同じように見てもらう趣旨と重なる。意味あるオリンピックは何かとはこうした社会に向けた「意味」のことである。ちょうど高度成長期の時期であり、その後の日本の大きな転換を後押しするスポーツイベントであった。
長くスポーツを担当した新聞記者であった友人はこうしたオリンピックの変質を次のようにSNSを通じまとめてくれている。

『私は、当面の問題は別にして、「五輪」がすでに重症の制度疲労を起こしていると思います。
その1。開催誘致はロビー活動という舞台に、多額の裏金がバラまかれるという疑惑です。致命的な暗部でしょう。スポーツマンシップを知らないIOC委員が増えているようです。
その2。テレビ放映権など、スポンサーが五輪の会期や聖火リレーまでも牛耳っている現実です。日本の猛暑、多湿の時期に開くなんて、だれも歓迎しません。これって、米TVネットワークの注文というのが暗黙の了解事項。挙げ句、マラソンコースはいつの間にか北海道へ。
その3。五輪は、すっかり「ショー」になり、バラエティ番組化してきました。背景はアスリートのプロ化。今更、大昔のアマチュア至上主義に戻る必要はなく、スポーツが注目され、スポーツ環境が良くなるのであれば、ショーアップも少しは我慢してもいいですが。
以上、野球に例えるなら、3アウトでチェンジ。東京五輪は今年は中止、五輪の真の姿を真剣に考えませんか。いずれ、出直し五輪を東北のどこかで開きましょう。
コロナ禍という「災い転じて福となす」という格言通りに。
これ蛇足。来年の北京冬季五輪はどうなるの?』

コロナ禍によってオリンピックの「制度疲労」という本質が隠されてしまった。いや、逆にコロナ禍によって本質的な問題が炙り出されたと言った方が正確であろう。先日マラソンのテストマッチが札幌で行われたが、テスト当日の午後まんえん防止を政府へと申請すると鈴木知事から発表があった。札幌市民の多くはかなり以前から感染者が急増し早く手を打つべきであり、テストマッチどころではないと報道されている。また、その前にオリンピック開催に向けて医療体制の整備として看護協会に500名ほどの看護師派遣を要請し、コロナ対応で緊急事態にある医療に対し、それどころではないとする反発が湧き上がっている。
こうした「反発」は東京五輪の内容がいまだに明らかにされないことによる。勿論、観客を入れるのか否か、無観客なのか、あるいは中止なのか、オリンピックの本質に関わる全体像がいまだに決められないことによる。政府も東京都も、その決断をする前になんとか感染者数を抑えなければという理由からで、バッハ会長の来日前に緊急事態宣言の期間を「短期集中」としたことは容易に感じ取れることだ。しかし、その緊急事態宣言は延長され、そのバッハ会長の来日は無くなるという顛末である。オリンピックによって振り回される構図がさらに明確になったということだ。

ところで少し前になるが、小池東京都知事が東京五輪中止を言い出し、それで国民の支持を取り付け、国政に転出するという報道があった。東京五輪の1年延期を主導したのは安倍前総理だが、それは長年の天敵である小池都知事と手を組んでの行動だった。その流れから現職の菅総理が小池都知事と手を組み、IOC(国際五輪委員会)に働きかければという報道もある。つまり、東京五輪は「政局化」してしまったということだ。
小池都知事にとって東京五輪は単なる主催都市の責任者ということであり、極論ではあるがオリンピックへの思い入れは無い。元組織委員会の森氏との確執を見れば分かることで、世論が「中止」に向かっていくならば、そのタイミングを見計って中止発言をするのではとメディアは待ち構えている。
一方、菅総理にとっても少し前の訪米に際し、バイデン大統領からは「開催を支持する」ではなく、「開催の努力を支持する」と発言し、菅総理がバイデン大統領を東京五輪に招待することもなかったとする専門家もいる。つまり、菅総理も小池都知事も「同床異夢」ではあるが、共に「中止」へと向かう可能性はあるということだ。
ただ東京五輪開催はIOCにとっては大前提であり、無観客開催であっても実行するであろう。放映権料というお金になるからであり、ワシントンポストが日本は「損切り」を選んだら良いのではと言っているのも、日本の収入は観客からの収入で、無観客であれば約900億円の収入が無くなる、つまり損切りを促すのはこうした背景からである。その損切りは訪日外国人観光客によるインバウンドビジネス含まれない。東京五輪をチャンスにと東京には多くのホテルが建設され、多大な投資の回収が見込めない状況となっている。
また誰も試算しないが、建設された多くの諸施設は採算にあう施設もあるが、経済の復活次第ではあるがその多くは赤字になるであろう。豊洲市場の開発で莫大な赤字事業に加えて、東京五輪の負の遺産を抱え込むこととなる。

社会貢献すべきスポーツ、東京五輪が果たすべきどんな「意味」があるのか? 「社会」とは生活者のことであり、事業を営む人たちのことであり、その人たちがコロナ禍によって苦しんでいる。特に前回も書いたが大阪の医療は既に崩壊しつつあると言っても過言では無い。収容できない感染者は自宅待機ということになり、亡くなる方も多数出てきた。既に隣県である和歌山などに分散収容しており、更に心ある医師や看護師は自発的に手弁当で大阪の現場に集まっていると聞く。コロナ患者を受け入れている病院だけでなく、府内の町医者も側面からも後方からも支援に回っている。ある意味、全国、いや日本社会が大阪支援に向かっているということだ。
そんなコロナ禍で東京五輪の「意味」が問われているということである。バッハ会長の言うように、理屈上は日本のコロナ状況とオリンピックは別問題として考えることも成立はする。しかし、平和を標榜するオリンピックの隣でコロナ禍で亡くなる人がいるとしたら、その平和の祭典の意味は何なのか明確に宣言すべきでる。もしそれができないまま開催されるのであれば、私の友人が指摘するように「制度疲労」のまま、歴史に汚点を残すオリンピックになる。(続く)
  
タグ :東京五輪


Posted by ヒット商品応援団 at 13:14Comments(0)新市場創造

2021年05月02日

分散化した賑わいが始まる 

ヒット商品応援団日記No786(毎週更新) 2021.5.2.



ヒット商品応援団の主要なテーマは周知の通り「賑わい」で、その理由がどこにあるかを観察し分析することであった。そして、この1年コロナ禍によって賑わいがどのような「変化」を、街に、商業施設に、生活者心理に生み出してきたかを明らかにすることであった。
コロナ禍にあってよく使われる言葉に「不要不急」がある。不要不急の外出は控えて欲しいといった要請が盛んに使われてきたが、3回目の緊急事態宣言では「人流」という聞き慣れない言葉が飛び交っている。人流を止めないと感染防止ができないという理由からだが、この1年感染の主たる原因は「飛沫感染」であることがエビデンス、主に状況証拠の積み重ねでわかってきた。今回の緊急事態宣言においてはこの飲食店を中心とした飛沫感染に的を絞っただけでは感染拡大を防止できないということからであった。但し、政府分科会の尾見会長をはじめその「根拠」、エビデンス(証拠)はないという。ある感染症の専門家は100年前のペストの流行以来感染防止には人の移動を止めることが一番であるからと感染症学の教科書のような言説を披瀝する。結果、欧米のような都市封鎖まではいかないが、百貨店や家電量販店をはじめ生活必需品以外の流通の多くに休業要請、もしくは時短営業要請が今行われている。

さて、どんな「変化」がこのGWに起きているかである。まず不要不急の「人流」と言えば「旅行」となる。既にこのブログでも少し触れたが29日の新幹線の自由席の乗車率は東海道新幹線の下りで最大60%などと目立った混雑は起きてはいない。ただ、JR各社によればゴールデンウィークの指定席の予約状況は4月15日時点で去年の2.5倍を超えていると。また全日空によると、ゴールデンウィークの予約数は、去年と比べおよそ7.5倍と大幅に増加している。3回目の「宣言」発表前後での予約のキャンセルも7%にとどまったとも。つまり、不要不急の旅行は昨年の緊急事態宣言の時と比較し明確に増加しているということである。注視すべきは何故「増加」したかである。多くのコメンテーターは自粛疲れ解消とか我慢の限界を口にするが、表向きはそうした表現があったとしても裏側には昨年とは異なる生活者が見えてくる。それはいうまでも無く1年間コロナ学習をしてきた「生活者」の顔である。そして、昨年との比較ばかりが報道されているが、実はコロナ禍以前2年前と比較してどうかである。正確なデータではないが、昨年の2~3倍の増加ではあるが、2年前と比較し約20%弱にとどまっているという事実を踏まえなければならない。つまり、ある意味徐々に旅行へと踏み出したということであろう。ちなみにJTBの調査によれば、旅行に「行く」は10・3%で、例年の4人に1人から今年は10人に1人まで減少。「行く」と回答した10・3%を年代別にみると、男女とも若い世代をほど高く旅行日数は「1泊」が39・2%で最多。3泊までの旅行が8割以上で、旅行に行っても日数は控えめだ。ちなみに、例年報道されるGW期間中の高速道路の混雑情報はほとんど話題になってはいないが、やはり渋滞は起きているようだ。

こうした不要不急の代表となっている「旅行」を見ても分かるように、移動に使う新幹線や航空機でのクラスター発生は無く、感染拡大地域を外せば安全であると。例えば感染が治った沖縄には観光客は多いという。那覇には松山という新宿歌舞伎町のような繁華街があるがそうしたエリアを避ければリゾートライフを満喫できるということだ。そして、連休前には都内のPCR検査ショップには長蛇の列が伸びていた。移動の前に少しの安心を得るためであるが、これが昨年のGWとの違いであろう。
また、首都圏の知事が都と県の境を越えないでと盛んに自粛要請するが、GW期間中ばらつきはあるもののまんえん防止策の取られていないエリアへと見事なくらい「移動」している。例えば、首都圏郊外にある大型ショッピングモールなどへ出かけ映画を楽しんだり食事をしたり半日ほどの時間を過ごす。この1年キャンピングブームが加熱気味になっているが、周辺のキャンプ場は何処も満杯状況である。また、昨年の秋以降賑わいどころか混雑しているハイキングの高尾山であるが、緊急事態宣言発出前の駆け込み登山がひどい混雑であったと報道されていたが、期間中もケーブルカーや観光リフトの営業は続けており、「密」を避けたオープンエアな場所には賑わいを見せると思われる。また、「密」になることが想定される例えば観光地横浜の人気スポット「カップヌードルミュージアム」などは入館者の制限やアトラクションの一部休止など多くの措置が取られている。そして、桜木町とみなとみらいを結ぶロープウェイが開業し赤レンガ倉庫一帯は賑わいを見せるであろう。つまり、情報の時代であり、スマホで検索すればいくらでも楽しめる「場所」を探すことはできる。

ところでこうした「賑わい」の中心は若い世代であるが、巣ごもり生活という一種の「自己隔離」を余儀なくされてきた高齢者はワクチン接種に殺到している。原因はワクチンの供給量が少ないためだが、公平平等を原則としたため、人口の少ない地方の市町村ではほとんど混乱は起きず、一方都市部では電話は繋がらず、HP上での予約サイトにもアクセスが殺到しシステムダウンを起こすなど一部地域の市庁舎には高齢者が押し掛けると言った混乱が見られた。重症化率、死亡率の高い高齢者にとってワクチンは不安や恐怖を解消してくれる唯一のものだからだ。政府も自治体も、高齢者の心理がどれほどであるかを推し量ることができなかったということだ。例えば、名古屋市の場合コールセンターに125回線を準備し、1日5000件の対応を想定していたが、実際には22日だけで、およそ1万5000件がかかってきたという。
こうしたことは高齢者心理だけでなく、例えば東京都の場合、若い世代の感染率が高く、人出も多くその実態をつかみかねてのことから、渋谷などの街頭でヒアリング調査を行なっている。何故「出かけるのか」などの質問を友人同士など複数の若い世代を中心にした調査とのことだが、コロナ禍でしかも人出が多い渋谷などの街頭で「まとも」な答え、本音を引き出すことなどあり得ない。調査の手法であれば、複数人ではなく、個別のパーソナルインタビュー。あるいは深層心理を探るデプスインタビューなどが考えられるが、素人の東京都職員がインタビューしてもまともな答えなど得られるはずはない。これも政治における「やってる感」を演出する、パフォーマンスであると言われても仕方がない。若い世代を弁護するわけではないが、1年前には路上での飲酒など一切なかった。単純な話お酒を売る居酒屋での酒の販売を禁止したからである。この若い世代のパーソナリティについては「消費」という側面からかなり前から分析したことがある。昨年の夏この世代を悪者化する報道があったとき、詳しく分析結果をブログに書いたが、いわゆる「草食世代」と呼ばれた世代で「離れ世代」と呼んだことがった。車離れ、恋愛離れ、アルコール離れ、・・・・・・趣味と実益を兼ねた貯金を常に考える合理主義者である。彼らの「合理」に答えてあげることが感染防止に役立つということだ。その「合理」には当然のことであるが、感染のメカニズム、そのエビデンス、証拠がある。例えば、飲食の際の飛沫が感染源であると言われているが、それはあくまでも状況証拠でその状況の積み重ねでカッコ付きのエビデンスとしている。カッコ付きのカッコを外して欲しいという意見もあるが、状況とは具体的であり、どんな街のどんな飲食店でどんな人たちで何時間ぐらい・・・・・・・・そうしたことを明らかにすることである。

思い起こせば、そうした具体的な事例が公開されたのは1年2ヶ月ほど前の大阪梅田のライブハウスでのクラスター発生で、どんな環境で何人ぐらいの客で、・・・・・・かなりの状況が明らかになった。こうした「事実」をもとにエビデンスが明らかになっていくと思っていたが、何故できなかったのか。それはこうした「状況」情報を集めていくのがいわゆる保健所による疫学調査であった。しかし、実態はこの「状況」情報はペーパーで行われており、・・・・・・これ以上言わなくも分かると思うが、デジタル化しておけば膨大な情報の解析、つまりビッグデーター解析に基づくより明確な証拠になり得たということだ。現在、約58万程の感染者の感染状況が明確になったということである。これはクラスター発生の追跡だけでなく、生活者にとっても事業者にとっても意味ある対策、特に若い世代にとっても合理的な「答え」となる。今となっては死んだ子の年齢を数えることになってしまうが、今も苦労している保健所、現場の情報が生かされることにつながる筈である。情報の活かし方が決定的に間違っていたということである。根拠がないまま対策がなされるということは後手後手になるのは必然であり、生活者は勿論感染防止の最前線となっている飲食店はじめ多くの事業者に犠牲を強いることに終始する。

今回の「人流」を止めることによる感染拡大防止策は解除の目標が示されないことから今回の緊急事態宣言の成功・失敗といった論議もない。ビジネスの世界で言えば破綻に向かうということだ。唯一免れることができるとすれば、ワクチン接種のスピード以外にない。俯瞰的に見れば、前回書いたように夏には旅行を始め高齢者の移動は活発化する。人流の中心は若い世代を含め高齢者が一挙に増加する。そして、新たな賑わいを含め、多様で小さな賑わいが都市部でも地方でも見られるようになる。日本経済の立て直しの先頭に高齢者がなるであろう。高齢者が求めていることは、何よりも子や孫と会うことである。三世代旅行をはじめ孫へのプレゼントなど大きな消費が生まれる。例えば、コースにもよるが37万円〜80っ万円という|JR東日本の豪華寝台列車「四季島」2021年夏季出発分の申し込み受付開始 が開始するが、こうした旅行商品に申し込みは殺到するであろう。またインバウンド需要のない苦労している百貨店も活況を見せるであろう。ワクチン接種によって消費都市は復活し、次第に地方へ波及していくであろう。そして、地方への波及のパスポートにはPCR検査証明ではなく、ワクチン接種証明書になる。安心へのエビデンス・証拠はワクチンということである。今年のGWはおそるおそるの移動であったが、本格的なコロナとの共生、季節性インフルエンザと同じような「日常」、小さな賑わいは高齢者市場から始まるということだ。(続く)
  
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Posted by ヒット商品応援団 at 13:12Comments(0)新市場創造