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「人力経営」という本を書きました。ヒット商品の裏に潜んでいる「人」がテーマです。取材先はダスキン、エゴイスト、野の葡萄、叶匠寿庵、桑野造船の経営リーダー。ユニーク、常識はずれ、そこまでやるのか、とにかく面白い経営です。星雲社刊、735円、新書判。

2009年04月29日

パンデミックへの免疫抗体

ヒット商品応援団日記No362(毎週2回更新)  2009.4.29.

新型インフルエンザがメキシコを震源に世界へと広がっている。既にメキシコでは死者は150人を超え警戒レベルは人から人へと感染するフェーズ4に引き上げられた。過剰な恐怖心を抱く必要はないと思うが、目に見えない不安が静かに押し寄せてきている。初めてパンデミック(感染爆発)という言葉を耳にしたのは、数年前にベトナムで発生した鳥インフルエンザが新型インフルエンザに変異し、WHOの係官がウイルスを制圧するニュースの中であった。パンデミックは世界へと大流行する最悪の場合に使われるフェーズ6であるが、どうしても作家辺見庸が指摘していた事を思い出してしまう。それは「しのびよる破局 生体の悲鳴が聞こえるか」(大月書店刊)にも書かれているが、世界を覆う金融恐慌であり、地球温暖化であり、戦争という暴力であり、そして新型インフルエンザという危機の波が同時進行し破局へと向かっているとの指摘だ。

ところで、少し前に「値下げ競争」の時代であればこそ、「安心」は何よりも重要なこととして受け止めなければならないとブログに書いた。嫌な事が的中してしまったが、メキシコから豚肉を輸入している松屋フーズはすぐに豚関連のメニューを外した。豚肉は安全に調理され問題はないが、やはり心理的な不安要素を無くし安心を確保するためだ。更に、ドラッグストアにはウイルス対策のためのコーナーが設けられた。こうした動きも全て不安心理への対策である。日本では新型インフルエンザの感染者は未だ確認されていないが、お隣韓国では感染が疑われる患者が見つかっている。人から人へと感染するフェーズ4にあって、人ごみへ行くのは避けて欲しいと専門家は言うが、もしゴールデンウイーク期間中に日本でも感染者が見つかった場合、巣ごもり状態の消費は、一挙に「冬眠消費」に向かうのではないかと懸念される。それは、中国冷凍餃子事件によって冷凍食品が一挙に30数%減り、収入が減るといった経済的なことを含め、内食へと急速に向かったことを考えれば十分想定されることだ。ゴールデンウイークに入ったが、霞のような不安が立ちこめており、素直に楽しめない休日となった。

今、この安心を創るためにいくつかの施策が始まっている。その一つが有店舗販売とネット販売を組み合わせた方法である。以前から行われてきた方法であるが、最近では大手スーパーが一斉にネットスーパー市場へと参入してきた。また、その逆である楽天も子会社ネッツ(食卓・JP)を使って全国の有力スーパーと組み積極的な展開を始めた。こうした背景には、巣ごもり消費である「内食」市場を新規開拓することにある。この内食市場の根底にあるのが有店舗で商品を手に取り確認できる「安心」、リアリティ感の確保である。つまり、有店舗販売とネット販売を組み合わせることで安心を担保しながら、内食市場を開拓する試みだ。

一方、生活者の側の不安心理情況であるが、マスメディアの加熱報道とは違って、2chを見てもうわさを含めた風評はそれほど飛び交ってはいないようだ。以前このブログにも書いた事があるが、不安とうわさは表裏の関係にあって、あいまいさや不確かさがある場合、それが生命に関わるような重要な事柄が起きたときに発生する。今回の新型インフルエンザも耐震偽装事件から始まる多くの偽装事件、そして昨年の中国冷凍餃子事件など一連の経験から、自己防衛としての免疫抗体が既に出来ているようだ。

自己防衛としての免疫抗体とは、一言で言うならば、体験、体感によって得られた「五感の取り戻し」である。便利さや快適さがスイッチ一つで可能となった現代社会とは、ある意味で「無感社会」でもあった。しかし、こうしたことの矛盾をはっきりと教えてくれたのが、やはり中国冷凍餃子事件であった。見えないところで何が行われているかへの不信と不安である。こうした背景から、安全安心を入り口に、家庭菜園や田舎暮らしに始まり、今や人気となった農家レストラン、あるいは内食へと進む傾向の根底には、自ら体験、体感する「五感」に裏付けされた安心欲求がある。大仰に言うと、失いつつあった五感の取り戻しが不安に対する免疫抗体につながっている。不安・不信が渦巻く時代にあって、人間が本来持っている野生の復活、五感の取り戻しが最大のキーワードとなった。(続く)  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:43Comments(1)新市場創造

2009年04月26日

映像の裏に潜むもの

ヒット商品応援団日記No361(毎週2回更新)  2009.4.26.

ブログを閲覧する人間であれば100%スーザン・ボイルおばさんの歌声を聴いたと思う。youtubeにアップロードされた英国のオーディション番組『Britain’s Got Talent』に現れたあのスーザン・ボイルおばさんである。親しみを込めて「おばさん」と呼ばせてもらうが、一見して60代に見える47歳の女性、キスを一度もしたことのない独身女性が恋のやりとりをテーマとした「Cry Me a River」を歌うのである。誰もが勝手に外見と同じように歌も冴えないものになるだろうと思っていた。が、である。ワンフレーズ聴くか聴かない内に、驚きから感嘆へと変わる。その素敵な歌と共に、人は外見じゃない、見た目で判断してはいけないと、教えてくれた。

今、私たちを取り巻くあらゆることは映像が支配している世界と言っても過言ではない。「見た目」という価値観がどんな時間的推移となって今に至っているか正確な分析はまだ誰も行ってはいないが、情報発信のメディアとそれを受け止める生活者側の意識変化の相互によるものであろう。
まだモノ不足であった1970年代までは、それまでの「見た目」以前のモノ欲求から少しづつ「違い」の芽が出始めた頃であった。1980年代に入り、豊かさと共に次第に「見た目」を含めた情報価値のウエイトが高まってくる。その代表事例が、1980年代初頭のDCブランドブームであり、デザイン価値が生活者、若者の大きな関心テーマとなった。そして、バブル崩壊はあるものの、1990年代は競争市場下で差別化のために、商品からパッケージデザイン、VMDによる店頭での陳列、店の雰囲気、広告や販促といったトータルコミュニケーションがテーマとなった。「見た目」はその中でも最重要テーマとなった。つまり、最近まで「見た目」が一番、「中身」という商品やサービスは二の次、三の次の時代となった。

しかし、周知のように「見た目」にいかに嘘が多かったか、多くの情報偽装事件を2年ほど体験学習してきた。同時に、昨年からの世界同時不況をきっかけに、一斉に消費価値観そのものが変わった。「巣ごもり消費」あるいは「○○したつもり消費」「××の替わり消費」というキーワードに代表されるように、「見た目」から「内実」へと大きく振り子が振れた。そうした消費のキーワードが「わけあり消費」であり、「見た目」で選ぶのではなく、規格外でも内実さえ良ければ安いものを選ぶといった価値観へと変わった。あるいは初期は値段が張るが、長く使えば結果得になる。一言でいえば、大量生産大量消費、特に使い捨て時代は終焉したということだ。

「見た目」という映像情報の中で一番大きな役割を果たして来たのがTVメディアであった。あったと過去形にしたのは、「見た目」を全てに優先し、しかも善悪、好き嫌い、といった二元論で全てを編集するやり方にある。以前、筑紫哲也さんが亡くなった時、次のようにブログに書いた。
「天野祐吉さんは『ニュースに声を与えてくれた人』と語っていた。同時に、膨大な情報を整理し、防波堤の役割を果たしてくれていたと思う。多事という情報を争論できるようにしてくれた訳である。言葉は声であり、また文字である。」
言葉を失い、膨大な映像情報だけを繰り返し流す、しかも狭い特定情報だけを流す大量生産大量消費メディアに成り下がってしまったからだ。

その象徴例が今回の草なぎ剛による「公然わいせつ容疑」の事件報道であろう。たしかに法的には反する行為ではあったが、逮捕するほどの行為ではなく微罪である。これほどまでに揃って大騒ぎする事件ではない。「見た目」という視座しかない「声」を失ったTVメディアにとって、「見た目」の代表として人気の高い草なぎ剛があったのだと思う。しかも、あろうことか後に発言を訂正したが、あの総務大臣が草なぎ剛を「最低の人間」呼ばわりするといった大騒ぎである。しかし、生活者の側の興味はそんなところにはない。もし、あるとすれば、深夜全裸になって騒いだ草なぎ剛は、何を脱ぎ捨てたかったのだろうかという「声」を聴きたかったと思う。これは私の勝手な推測ではあるが、「見た目」という衣を脱ぎ捨て、あるがままの自分、等身大の自分になりたかったのではないかと。吉田拓郎流に言うならば、「ガンバラないけどいいでしょう」ということだ。「見た目」は創られてきた。しかし、生活者はその奥にある「内実」へと向かっている。(続く)  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:54Comments(0)新市場創造

2009年04月22日

安心コンセプト

ヒット商品応援団日記No360(毎週2回更新)  2009.4.22.

東京の商店街や旅行会社を始めとした企業は「一斉値下げ」と共に、定額給付金狙いのメニュー花盛りである。商魂逞しく、少しでも売上に結びつけばということであるが、価格は入り口で、その先にある「意味ある消費」が課題となっている。つまり、「巣ごもり」している生活者は「意味ある価値」を模索検討しているということだ。
既に多くの方が気づかれていると思うが、昨年のガソリン高騰を期に幹線道路のGSの多くは、廃業もしくはセルフ式スタンドへと変化した。顧客の側からすれば、給油中にしてくれる諸サービスは、セルフ式との価格差に見合わないサービスであったと言う事である。あるいは苦戦するファーストフード業界にあって、成長している回転寿司を見ればよく分かる。目の前で握ってくれる旧来の鮨とは比べ物にならないくらい安い価格で提供してくれる。回転寿司は勿論ロボットが握り、職人の技というサービスはその価格差に見合わない価格ということである。

このように顧客の側も新しい意味としての価値観を明確に持ち始めている。私がよく使う言葉に、「削ぎ落とし、更に削ぎ落としてもなお残るもの、それが本質である」と。つまり、生活の厚化粧とはいわないが、化粧を落とし一度素顔の世界まで戻ってみる、という志向が巣ごもりする生活者に見られる。この1年間、外食→中食→内食という傾向の中で、料理道具が売れているということを書いてきたが、道具ばかりか周辺の諸サービスである料理本や料理番組、更にはレシピの投稿サイト「cookpad」等へと、「削ぎ落とすこと」によって生まれる新たな消費の広がりを見出す事が出来る。

ところで、先日米国の貯蓄率が上昇に転じたと報じられた。周知のように、米国では1人9枚弱のクレジットカードを持ち、そのほとんどがリボ払いという借金漬け消費であった。確か、2005年度の頃の貯蓄率は0に近かったと記憶している。その米国人にとって、やはりリーマンショックは大きくライフスタイルを変える方向に進んでいるようだ。
日本の場合は米国とは反対に極めて貯蓄率は高く、膨大な金融商品を持っているが、国債のような安全・安心な商品へと移行しているようだ。今回の危機もそうであるが、なんといっても冷凍餃子事件の影響は大きいと思う。結果、ライフスタイルの中心に、意味ある消費として安全・安心コンセプトが置かれる事となった。

今までの「安全・安心コンセプト」は食から金融商品に至まで自己防衛的なものであった。顔の見える商品から始まり、手作り、あるいは自給自足的生活まで、その動機・理由の多くは自己防衛である。恐らく、これからも「安全・安心コンセプト」が大きな潮流となっていくと思うが、その自己防衛から広がりを見せていくと思う。既に、そうした芽が生まれつつある。具体的には「参加」「協同」というキーワードとなるが、都市近郊の農地を借り、野菜づくりなどを教えてもらう生産参加型プロジェクトが生まれている。農家側も農地を保全するには人手を必要とし、次の世代に農業をバトンタッチするためにも必要だ。

こうした参加・協同の仕組みが進んでいくと思うが、今求められている事にまずは応えなければならない。その安心とは細部、小さなことの世界にこそあるものだ。小さな単位へとこれでもかと割り算をしていくことの中に、実は経営はある。神は細部に宿るではないが、安心は細部にこそある。この細部の違いこそが他の商品との違い=競争力となり、利益を生む源泉となる。規模や量を追いかけることを否定しているのではない。規模が拡大すればするほど、値下げ競争が激しくなればこそ掛け算ではなく、割り算の経営をしなければならないということだ。生活者が「削ぎ落とし」をしているように、あらゆる物事を小さな単位に割り算をし、そこに安全・安心を置いてみる。よく安心を確保するための検査等のシステムを必要とするといった意見はあるが、それ以上にこれでもかと割り算をし、そこに安全・安心を置く事だ。私は、そんな安全・安心コンセプトの経営を割り算の経営と呼んでいる。(続く)  


Posted by ヒット商品応援団 at 14:32Comments(0)新市場創造

2009年04月19日

消費バブルの崩壊と不況の深化

ヒット商品応援団日記No359(毎週2回更新)  2009.4.19.

崩壊だとか、破局、恐慌といったおどろおどろしいタイトルはつけないようにしてきたが、ある新聞記事を読み、米国だけでなく日本も消費バブルの崩壊と不況が深化していたと直感した。それは定額給付金を地元商店街の活性に役立てようと行政がプレミアム分を負担した商品券の発売結果についてである。

「定額給付金の支給に合わせて発行されている割り増し付き商品券(プレミアム商品券)に関し、都内で先行発売した中野区で、予想外の「販売不振」に関係者が頭を悩ませている。港区内で3月に緊急不況対策で発売された商品券も半分近くが売れ残っている。消費刺激策として考えられた商品券そのものの消費が思うように進まない情勢だが、中野区などは「消費活性化のため、購入を」とポスターなどで呼び掛けを強め、販売期間を延長し売り上げを伸ばしたい考えだ。・・・・中野区は、区商店街連合会などが1セット(代金1万円)で1万1000円分の買い物ができる商品券を5万セット発行した。先着順で1人3セットまでと決め、11日から販売開始。週末の11、12の両日で完売との期待もあったが、15日時点の販売は約2割の約1万2000セットにとどまっている。・・・・・一方、定額給付金支給に先立ち、港区商店街振興組合連合会は区の補助を受け、3月3日〜4月8日に10%のプレミアム付き商品券を販売した。1セット1万円で計3万セットを発行したが、約1万セットが売れ残っているという。」(4/16毎日新聞都内版より)

やはりそうだろうなという思いと共に、何かが起こりつつあるなと感じた。「やはりそうだろうな」とは、1万円に1000円のプレミアムをつけた商品券程度では売れないという消費心理からである。小売業・専門店を現場をやっている人間にとって、最低でも20%は下げないと「お得感」は無い、と思う筈である。お役所仕事とはこのようなものだと思うが、このプレミアム商品券は全国にわたって展開されており、またこれから実施されるが、地方の場合は選択肢が限られているためある程度売れるとは思う。しかし、東京では「イオンの反省」ではないが、あらゆる業種・業態で一斉に値下げ競争が始まっている。そんな中で10%程度はプレミアムにはならないということだ。おもしろいことに、中野区などの失敗を踏まえ、墨田区では15%のプレミアムとし、区内での使い先を広げ、墨田区民以外でも購入できるようにするという。まあ墨田区の場合はそこそこ売れるとは思う。しかし、収入が増えない、あるいは下がり、社会に蔓延する不安の時代にあって、消費不況は構造的なものだ。

周知のようにOECD(経済開発協力機構)が今年度の主要国経済の発表が3/31にあった。鉱工業生産という輸出依存型経済の日本は−6.6%、米国は−4.0%、ユーロ圏は−4.1%、、中国は+6%台、インドは+4%台、という内容であった。1970年代の2度にわたる石油危機、更には変動為替への移行というニクソンショックによって、日本の産業は大きく変わった。日本は当時と同じような、いやそれ以上の転換が求められている。、1929年に起きた世界恐慌と単純比較はできないが、当時の指標を上回る悪化が起きており、既に恐慌状態にあると指摘する専門家もいる。恐らく世界恐慌という言葉をマスメディアが使わないのは社会不安を煽ってはいけないという自主規制からであろう。

もう1つの「何かが起こりつつある」とは、消費バブルであったとは誰も言わないが、誰に言われるまでもなく生活者は過剰な消費であったことを感じ取っている。それが崩壊したという生活実感である。バブルはその渦中にいるときはバブルであるとは誰も感じも認識もしないものだ。以前、いざなぎ景気を超えた平成景気という政府発表に対し、勤労者収入は下がっており、そんな好景気感は一部だけで多数ではないと指摘したことがあった。その一部とは東京や名古屋であり、輸出大企業であり、更には金融・不動産関連企業、つまり今回のサブプライムローン問題に端を発した世界同時不況に、善かれ悪しかれ直接関与したエリア、企業、人達である。私たちはこの市場を「新富裕層市場」と呼んできた。

また、2002年以降株価も上がったが、周知のように昨年株バブルもはじけ、保有する企業もシニアを中心とした投資家も売るに売れない塩漬け状態となり大きく資産価値を落とした。実は、2002年〜2007年にかけて全体市場、特に東京の消費を牽引してきたのはこうした新旧富裕層であった。1980年代の後半のような本格的なバブルではないが、いわば平成のミニバブル期と言えよう。この新旧富裕層において昨年バブルがはじけ、損を覚悟で株を売り国債のような元本保証された商品へと買い替えが進んだ。つまり、貯蓄から投資へという流れは大きく逆転した。消費対象としてきた高額商品やブランド、更には百貨店へと波及してきた。これがこの1年ほどの変化である。

誰も言わないが、この数年間TVメディアや雑誌を賑わせてきたニュースの多くは、実は消費バブルであったということだ。ミシュランガイドに載った店も既に数店閉鎖している。「サライ」を始めとした雑誌に食堂や丼の特集が組まれる時代だ。リーマンショック以降、NYのブロードウェイミュージカルも集客数が激減し、大人気であった「ヘアースプレー」をはじめ9つの大型ミュージカルが幕を閉じた。東京でも今年に入り、人気劇団である四季までもが値下げに踏み切った。もっと象徴的なことは、2010年に銀座に大型旗艦店を計画していたあのルイ・ヴィトンが実施を断念し、そのビルにGAPが出店する。

こうした2極化した市場、共に消費不況にある。つまり、モノが売れない時代であるということだ。この「売れない」という意味は、私のブログを継続して読んでいただいている方は理解していただいていると思うが、新たな消費の移動が始まっているということである。○○したつもり、××の替わりに、といった消費の移動である。例えば、行楽地に行ったつもりで近くの公園で遊ぶ、オシャレはしたいが服を買う代わりに柄タイツを買う、欲しいブランドは新品を買う替わりにアウトレットで買う、こうした消費を私は「つもり消費」「替わり消費」と呼んでいる。その象徴例が、実は昨年末年始の消費行動に表れていた。低迷する百貨店にあってデパ地下の高額おせちが飛ぶように売れていた。○○へ出かけたつもりで、あるいは××を買う替わりに、家でおせちのホームパーティを楽しむ、といった消費の移動である。

この移動を促しているのが「価格」という訳だ。安い価格へという流れであるが、ポイントになるのが「割安感」である。長持ちするとか、食べごたえがある、使い勝手が格段に優れているといった価格観である。勿論、価格以外の理由からのものもある。例えば、大手コンビニは揃って増収増益であった。この好決算の理由の一つがタバコを買う顧客が自販機からコンビニに移動したtaspo効果のような場合もある。不況期のマーケティングとは、この消費の移動先を見出し、見極めることに尽きる。その際着眼すべきが、私が繰り返し書いてきたその消費が「どんな意味」を持っているかである。(続く)  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:53Comments(1)新市場創造

2009年04月15日

停滞と底流 

ヒット商品応援団日記No358(毎週2回更新)  2009.4.15.

ここ数ヶ月、消費においては「巣ごもり消費」と言われる如く、特筆すべき新たな傾向は見られない。日経MJの1〜3月期のヒット商品を見ても、ユニクロのguやHONDAのインサイトなど誰でもが売れる理由や結果を知っていて、そこに新しい着眼や傾向を見出す商品はない。景気浮揚策として実施された高速道路の割引制度、あるいは定額給付金の消費刺激の結果も、当たり前のことであるがマスメディアが大騒ぎして報じるほどではなかった。随分前になるが、消費税アップの実施に伴う消費の落ち込みに対し、ヨーカドーグループはその差額分を値引きするキャンペーンを行い、顧客の圧倒的な支持を得て大きな成果を得た事があった。小売業的発想とはかくのごとき消費心理をしっかりと把握することが最大の経営課題となっている。このブログでも少し前に取り上げたが、「イオンの反省」もこうした消費心理を理解しえなかった事への反省である。スーパー、コンビニ業界は揃って、PB商品を中心に値下げに踏み切った。

最近のマスメディアが取り上げる消費のストーリーは、例えばもったいない精神による「使い切りサイズ」にメーカー商品の改定が行われていると。例えば、容量1000mlを750mlへ、あるいは朝カレーといった食べ切りサイズなどもそうであるが、こうした傾向は「もったいない」という節約理由もあるが、既に5〜6年ほど前からの傾向でヒット商品である「一人鍋」に象徴的に現れている。つまり、単身世帯と、DINKSと呼ばれる夫婦共稼ぎ世帯は全世帯の50%を優に超え、ライフスタイルから見て個食化に進んでいることが大前提にある。この個食化を多様化へと広げれば、「あれこれチョットづつがうれしい」という顧客欲求につながっていく。ここ10年近く、食ばかりかあらゆるライフスタイルに小単位化は浸透してきた。サイズや量といったモノの小単位化、時間の小単位化(省時間化)、テーマの小単位化(超専門化)、そして、今日課題となっている小価格化(低価格化など)といったことは、マスメディアのいう型にはまった節約志向ではない。個人化するライフスタイルの最大特徴は、マイサイズ=小単位である。

既に2年ほど前に「私生活主義の解体」というタイトルで、マイブームをはじめ「私」が最優先される価値観の解体が始まっている事を指摘してきた。当時私は次のようにブログに書いていた。
「『私生活主義人』ではなく、家庭人、社会人・日本人・地球人としての『個人主義者』へと向かわなければならない。・・・・私は既に価値のベクトルが『私生活主義』へと振れてきたことへの揺れ戻し、解体が始まっていると考えている。・・・・・・エゴとしての『私』から、多元的な価値を認め合う『個人』への脱皮が求められているのだ。・・・・・『私』に閉じこもった欲望物語は、既に壊れていることに多くの人は気づき始めていると思う。特に若い世代に感じることであるが、食欲、物欲、表現欲、・・・・生きる欲、多かれ少なかれ欲を持っているのが人間であるが、欲望そのものを喪失してしまっているのではないかと思うことがある。」
奇妙な話であるが、この欲望を喪失している若者を最近では「草食系男子」と呼んでいる。車離れ、結婚離れ、社会離れ、政治離れ、・・・・多くの「離れ現象」に「私」が表れている。しかし、リーマンショック=就職難、リストラ、賃金引き下げ、という現実も含め時間経過と共に「私」は「公」へと向かい、そうした意味で成熟した個人へと向かっていくと考えている。

停滞いや後退しているのはマスメディアであって、前回書いたが生活者は「意味ある消費」を探し、創り始めている。例えば、最近目にすることが多くなった商品にフェアトレード商品がある。発展途上国の産品を不当に安く買いたたくビジネスではないこと、適正な価格で継続的な購入を目的とした商品で、コーヒーなどに見受けられるビジネスの在り方である。アジアの最貧国といわれているバングラディシュに単身乗り込んで、バッグづくりという小さな産業起こしに悪戦苦闘しているマザーハウスの山口絵里子さんなんかもこうしたフェアトレード商品に近い考え方だ。あるいは、わけあり商品を広めた元祖スーパーのOKストアにおけるオネスト(正直)コンセプトにもつながる考え方の商品だ。勿論、前者の価格は少々高く、後者は低価格の「わけあり」という違いはあるが、共通している意味は「公正さ」であろう。こうした「公正さ」は、生産者・製造者と消費者との間に立つ流通が3者のコミュニケーションを重ね、適正価格を目指すケースが見られるようになった。ある意味、国や地域、業種・業態、作り手と享受者、こうした垣根を越えた共創、コラボレーションの進化系とでも呼び得る負担の分散ネットワークである。

ところで話は変わるが、「過去の中の未来」というタイトルで、思い出消費などを事例に挙げ、次の消費、未来消費について書いた事があった。この「消費」という言葉を「日本」に置き換えたようなTV番組がNHKによって放送された。いや、4/5に始まったばかりであるが、「プロジェクトJAPAN」という番組だ。マスメディアのていたらくばかりを書いてきた私であるが、好きであった「映像の世紀」以来のTVメディアならではのNHKによる日本論である。HPには「未来へのプレーバック」とあり、大きくはETV特集とNHKスペシャルの2番組を柱にした歴史ドキュメンタリーである。第一回のNHKスペシャル「アジアの一等国」という近代国家日本の「坂の上」を目指した台湾統治の歴史も良かった。亡くなられた異端の歴史家網野善彦さんとは、また異なるTVの持つ可能性を見せてくれると思う。薄っぺらな二次情報を加工するだけの民放番組と比べ物にならないクオリティを持っている。勿論NHKは営利企業ではないが、これも「意味ある番組=商品」と言えるであろう。

今消費を含め問われているのは、企業も消費者も等しく「コトの本質は何か」である。コトの本質、意味の外れた商品は市場から退出されていくであろう。どんなコトに意味を見出すか、異論反論百出するであろう。それが表面上は混乱に見えようとも、越えなければならない関門である。昨年、米国オバマ大統領候補の勝利宣言に触れて書いたが、過剰な消費文明にノン(否)といって生まれたのがLOHAS推進者であった。このLOHASの主要なメンバーの多くがオバマサポーターであり、今どんな「意味あるライフスタイル」を構築しようとしているのか、米国も日本も同じような新価値創造に向かっている。(続く)  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:30Comments(0)新市場創造

2009年04月12日

押し寄せる波

ヒット商品応援団日記No357(毎週2回更新)  2009.4.12.

前回、革新はいつしかそのエネルギーを失い既成となり、新たな革新が「価格」を入り口にその座をとって代わるようになる、そんなテーマについて書いた。仕事柄多くの商業施設を見て歩いているが、イオンやセブン&アイ、あるいは百貨店といった大企業は勿論のこと、街の商店や専門店も価格の嵐の中に等しくいることを感じる。
ここ1年ほど、価格とその「わけあり消費」について多くの事例を書いてきたが、ブログを継続して読んでいただいた方には、過剰情報時代の特徴が事例に見事に表れていることに気づかれたことと思う。過剰情報時代にあって、表面づらだけの情報と「意味あるわけあり情報」とを明確に識別する生活者が増えてきたということである。つまり、商品という物の裏側にある意味や背景、そうした情報をしっかりと見極める生活者が現れてきた。

そして、東京は消費において次々と押し寄せる価格という大波にさらされている。これから少しづつ地方へと伝わっていくと思う。勿論、小さな波になってだが、逆に波が引き静まるのもまた遅くなる。情報が伝わる波は、イノベーター→サイバー→オピニオン→マス→レイターという具合に少し前までは理解され、以前からファッション分野などで使われ、食においても転用されてきた。メーカーもそうであるが、特に流通は、マス化(マスプロダクト化・大衆化)していく商品を見出すために、その情報発信者=市場牽引者であるオピニオン探しを懸命に行ってきた。しかし、オピニオン層とマス層の多くを占めてきた中流層は、格差というキーワードが表現しているように崩壊している。この中流層を主対象としてきた百貨店が苦戦しているのは至極当然で、今や価格に敏感なマス層とレイター層が圧倒的な市場規模を形成している。勿論、モノ価値以外のブランド価値といった無形の価値を見出すオピニオンマーケットも存在してはいるが、1990年代初頭以前と較べ、市場規模はどんどん小さくなっている。

政府も、経済誌も、多くのエコノミストは需給ギャップの大きさを指摘する。需要、つまり消費の落ち込みに対し、供給過剰になり、結果多くの失業者を産むということである。20兆円とももっと大きな需給ギャップとも言われているが、年度末には失業率が7%台に及ぶといった予測もなされている。派遣切りに象徴される不況の波は、東京・輸出大企業から地方・中小企業へと、これから押し寄せていく。マクロ経済の理屈はそうであると思うが、昨年末東京日比谷公園に現れた年越し派遣村が全国至る所に現れるということだ。

ところで、最近耳にしなくなったキーワードの1つに「癒し」がある。数年前まで、メディアから膨大な情報として流されてきたが、この1年ほどほとんど消えたキーワードである。自然という生命あるもの、例えば「小動物」に癒されるとか、私が好きで訪れる沖縄を「癒しの島」と呼んでみたり、つまり心を和ませる世界として数多く商品化されてきた。自然ばかりでなく、歴史や文化、更には家族や子との関係・絆など、大仰に言えば近代化によって失ってしまった「Always三丁目の夕日」のような世界を取り戻すこと=回帰現象のなかに「癒し」が置かれていた。勿論、そうした背景から夥しい量の情報と共にヒット商品も生まれてきた。
過去のヒット商品は、自然のリズムとは全く異なる凄まじいビジネススピード、自己責任論のもとでの過酷な競争、昼夜の境目ない24時間型社会、・・・・つまり都市化によって失ってしまったものへの、いわば回復としての商品化であった。この10年ほど多くの回帰現象というライフスタイルの中心に、この「癒し」が置かれていたということだ。しかし、この1年商品もそうであるが、癒しはマスメディアや広告の世界からも消えた。

最早、癒しなどでは回復できない危機的情況、破局に向かっていると指摘したのが作家辺見庸である。NHKのETV特集「しのびよる破局のなかで」、あるいは放送後再構成された本(「しのびよる破局」大月書店刊)を読まれた方もいると思う。私が解説するより直接読まれた方がよいのでここでは書かないが、今起こっている様々な危機、金融危機、地球温暖化、新型インフルエンザ、そして人間の内面崩壊、こうした一見異質なものに見える危機が同時進行しているいまだかってない時代にいると言う。そして、その予兆があの昨年起きた秋葉原殺傷事件であると。
私は人間が持っている欲望の一つである消費、その変化を分析し、その奥にある価値観を探ることを仕事としてきた。この価値観が壊れ始めている事はこのブログでも書いてきたが、作家辺見庸は価値観の崩壊とは「生体が悲鳴をあげていることだ」と言う。作家らしい表現、というより神経むき出しの辺見庸であるが、価値観の崩壊とはそういうことである。

病んだ経済、病んだ社会、病んだ地球、そして病んだこころ、こうした感染症がパンデミック(爆発)へと向かっているというのが作家辺見庸の認識であるが、同じような考えによる人達もいる。昨年夏、「暴走する資本主義」を書いたライシュもそうであるし、何よりも辺見庸と同じようにブッシュ政権を批判し続け、米国オバマ政権の顧問となったクルーグマン教授も同じ危機認識だ。どこに光明を見出すかについて、辺見庸は作家らしく「人間とは何か」と根源を内観する必要を説き、米国のこの二人は「成熟した市民」を置く。言葉こそ違え、私にとって共通するところは多い。先日、プラハでオバマ大統領が核廃絶の表明をしたが、これも1つの光明であると信じたい。
消費という側面から見ていくと、「意味あるわけあり情報」を持った生活者ということになる。「どんな意味」かは、財布の中身と相談しながら、今までの学習体験に依るところが大きいと思う。そうした意味で、「価格問題」を通した「わけあり競争」も少しの混乱はあると思うが、新しい価値観の創造、意味ある消費、成熟した消費へと向かっている。この価格という波の中から、必ず次の革新、次の価値観が生まれてくる。(続く)  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:49Comments(0)新市場創造

2009年04月08日

既成と革新

ヒット商品応援団日記No356(毎週2回更新)  2009.4.8.

ここ1年ほど、顧客創造の第1に価格を置き、生半可な従来の付加価値など顧客の選択肢には入らない事を書いてきた。その延長線上ではないが、その象徴的な市場として、前回「今、東京で起こっている事」を書いた。コンセプトチェンジ、業態チェンジ、メニューチェンジ、そうした変化の事例を書いてきたのだが、ちょうど、日経MJの編集委員も価格を根底に置いた革新の在り方について「小売の輪」理論をテーマにした記事を書いていた。「小売の輪」とは、小売業のビジネスモデルとして古くからある仮説理論であるが、「革新も時間経過と共に既成になり、次に現れる革新によって市場から撤退していく」という小売業が進展する輪の理論である。まあ、あてはまることもあれば、あてはまらないこともあるが、革新が既成に挑む場合、その多くは「価格」、低価格戦略であったことは事実である。

先日、イオンの岡田社長が記者会見し、新たに3400品目を2〜4割値下げすると発表した。その折、他社と較べて顧客の値下げ要請に応えられていなかったと反省し、店頭には「イオンの反省」というメッセージが掲げられた。つまり、イオンも巨大化し、革新を失い、既成になってしまったことへの自省であろう。また、一方のセブンイレブンも日用品の値下げを発表した。これも24時間いつでも来店していただけるという便利さ、いわば省時間型サービス業態も既に革新ではなく、既成になりかけているとの認識である。つまり、「小売りの輪」が一回転し、市場から退出させられてしまう前の自省としてある。

私に言わせれば、顧客が変わったことに気づき、こんなこと、あんなこと、小さな提案をし続ける事の中にしか「次」の革新への芽は見出せない。顧客にもっと近づくことだ。流通も巨大化してしまうと、組織の論理、規模の論理へと向かい、顧客から離れてしまう。これは私の持論であるが、流通は街や村の在り方と共にあれば良い。以前取り上げた鹿児島阿久根市のA・Zスーパーセンターのように、顧客の要望に沿って仏壇から車まで売る店があっても良いし、車社会の地方では単なる買い物だけでなく、映画を観たり食事ができるようなSCがあっても良い。車で出かけられないお年寄りの多い限界集落にあっては、昔ながらのご用聞き、ショッピング代行も必要だ。つまり、多様な生活と共に、流通もその多様さに応えるということである。

TV東京のカンブリア宮殿で紹介された増収増益の「餃子の王将」も、売り物の餃子の安さやボリュームもさることながら、店の立地に合わせた独自メニューづくりを店長にまかせる、つまり顧客に近づく現場経営によって得られた成果である。チェーンビジネスの根底には「標準化」という物差しを持って運営する。品質から始まり、店や売り場づくり、コミュニケーションに至まで、誰がやっても一定の結果、均質な成果が得られるとした標準化である。これは多様な人種が集まる米国ならではの手法で、日本においてもそれなりの成果を挙げてきた。しかし、こうしたやり方だけの業態には限界がきているということである。標準化の象徴である日本マクドナルドが増収増益という成果を得たのは、そのメニューの多様さ、価格帯の多様さを時間をかけて標準化=システム化しえたことにある。この時間のかけ方・数年間を見ると、その戦略性がよく分かる。最初は「100円バーガー」によって離れた顧客を呼び戻すことから始める。次に、いわゆるガツン系新メニュー、価格帯も上げたメニューを販売していくといった戦略である。しかも、飲食の場合特に難しい多様なオペレーションをシステム化できたことによる。

「小売の輪」の行き着く先は分からない。しかし、顧客視点に立てば、大きくは2つの方向へと進んでいく。1つはセルフスタイルによってコストをギリギリまで削減し、低価格商品を実現する方向である。既に誰の目にも明らかのように、従来のGSは廃業するか、もしくはセルフ式のスタンドになった。寿司店は廃業が進み、替わって回転寿司が増え、シャリはロボットに握らせる。ファッションはと言えば、ユニクロの発想が顧客自身がセルフで選ぶ業態であり、いわゆるSPA(製造小売業)によって低価格商品を大量に販売する経営である。従来、人手を要してきたサービス業態を人手を極力無くしていく経営である。極論ではあるが、あのエブリデーロープライスのOKストアが無人のスーパー業態をかってテストしたようなセルフ式業態が続々と現れてくる。セルフ式への業態チェンジ、これが1つの方向であろう。

もう1つの方向は、プロの手によるものである。昨年、「プロの逆襲」のところでも書いたが、プロとセミプロ素人との境目が無くなった時代にいる。「作り手」をセミプロ素人から、どう取り戻すかである。それは、とりもなおさず「作り手」とは何か、その根っこに何を置いて作るのかを問い直すことだ。「プロの逆襲」で次のように私は書いた。
「基本が持つ奥行きの深さ、見えないところにプロの技があり、それを支えるのが手間を惜しまないプロの精神である。見えないということは、小さな違いである。決して大きな分かりやすさはないが、どこか違う。そんなプロの技は細部の見えないところに宿るものだ。」
こうしたプロの基本には多くの見えない手間を必要とし、結果価格は高くなる。残念ながら、こうした「小さな違い」の分かる顧客も年々少なくなっていく。ちょうど文化型商品としてのブランドが衰退しつつあるのと同様である。

ここでもプロの革新が求められているということだ。「プロの革新」を考える時、ブランドの生成と衰退を考える。そんな格好な例は何かと聞かれたら、やはりシャネルと私は答える。ヨーロッパ文化の破壊者として登場したあのシャネルである。詳しくは私のブログ「時代の変化と共にあるシャネル」を読んでいただきたいが、その後継者カール・ラガーフェルドの顧問就任時のコメントがプロの革新の在り方を言い当てていると思う。
「シャネルを賞賛するあまり、シャネルの服の発展を拒否するのは危険である。」
「シャネルの最大の功績は、時代の要請に沿って服を創ったことにあり、シャネルスタイルを尊重しながらも、残すべきもの、変えていくべきものをも含め継承することだ」

そのようにラガーフェルドは明快に認識している。つまり、シャネルスタイルの継承と共に、その破壊者としてのシャネルの生き方をも継承するということである。ここにプロの革新があると思う。(続く)  


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2009年04月05日

今、東京で起こっている事 

ヒット商品応援団日記No355(毎週2回更新)  2009.4.5.

2年以上前に、私はこのブログで次のように書いた事があった。

「情報格差の時代が始まっている。仮説はこうである。情報を発信するメディアの集積度合いの高い都市(中心)と低い地方(周辺)とでは情報量及び質が異なり、結果情報によって消費行動は異なったものになる。ところで、情報とは極まるところ『刺激』である。ある意味で刺激のない情報は情報ではない。」

私は、よく過剰情報というキーワードを使うが、過剰情報とは過剰刺激ということである。そして、刺激を間断なく受け続けるとどうなるかである。過剰刺激の内容の本質は、変化と鮮度(新しい、おもしろい、珍しい)である。この変化と鮮度を生活の中に取り入れてきたわけであるが、この過剰情報を表すキーワードが、既に死語となったあのサプライズである。

今、東京で起こっている多くの事象は、俯瞰して見るならばこの過剰刺激から少し離れたところに「自分」を置く生活者が増加していることが第一番目に挙げられる。この2年ほど偽装情報やランキング情報に振り回された経験と、収入は減り少しぐらいはといった経済的余裕がなくなったことによる。更に言うと、ここ1年ほど消費トレンドとなっている「わけあり消費」というキーワードも、極論ではあるが過剰刺激から距離を置き、自己納得へと向かった都市固有、東京固有の現象である。

先日あるデベロッパーからの相談があり、東京近郊の商業地を観察したことがあった。周辺は住宅地と工場が混在している駅前商業地であるが、食について言うと、数年前の価格帯と比較し、価格ゾーンが100円ほど下げられていた。例えば、電鉄系スーパーの弁当は、298円、398円、498円、つまり300円、400円、500円の3種類のみ。街には、圧倒的にファーストフード、ラーメン店、居酒屋、焼き肉、ファミレス、といった低価格のガツン系飲食が多い。周知の日高屋もあり、ラーメンは390円である。更に、低価格を売り物にしたドラッグストアや中古本のブックオフ。また、ディスカウント業態のスーパー「ザ・プライス」も近くに出店している。つまり、あらゆる業種において価格が最優先の課題となっており、東京の生活者も至極普通のことと受け止めている。

更に象徴的に言うと、今東京で売れているのが子供用ではなく、OLやサラリーマン向けの弁当箱である。外食から中食、更に進んだ内食は弁当持参へと広がった。勿論、暖かいものを食べられるような工夫がなされた弁当箱が人気となっている。生半可な変化と鮮度といった情報刺激には最早反応しない生活者が増加傾向にあるということだ。
そして、情報刺激から離れた生活者が向かっているのが体験に基づく実感消費である。このブログでも何回か取り上げてきた自給自足的家庭菜園、あるいは農家直売所や農家レストランへの注目は、安心安全ということもあるが、そこに生活のリアリティさを感じているからであろう。この層が、前回書いた雑食系のたくましい生活者に該当し、新しい清貧の思想構築へと向かうと私は考えている。
先日、大手コンビニ各社が日用品等の値下げを発表したが、旧来の便利さ=時間を買ってもらうという価値だけでは最早競争できないということだ。コンビニがこうした新しい清貧の思想に、どうコミットしていけるか興味深いところである。

一方、3〜4年ほど前に「ヒトリッチ」というキーワードと共に新たな市場として現れた「新富裕層」はどう変化してきているかである。その代表が有職独身女性達で、年齢は30歳以上、住居は都心の3Aエリアという赤坂、青山、麻布に住み、会計士や弁護士といった専門職、あるいは総合職の女性、外資系企業に勤める、いわゆるキャリア女性市場である。象徴的にいうと、日常では都心にある隠れ家の主要顧客であり、休日には北海道洞爺湖にあるウインザーホテルでエステを楽しみ、あるいはオーベルジュが一人旅の定宿、そんなライフスタイルを持った女性達である。ある意味、都市が産み出した消費市場であり、NYでもロンドンでも同じ構造をもっている。結論から言うと、リーマンショック以降、収入は減り、保有資産も目減りし、従来のような旺盛な消費は見られない。

一昨日までロンドンで金融サミットG20が開かれていたが、ニュースでも報じられている通り、NYのウオール街だけでなく、シティにおいても金融危機を起こした責任追及のデモがあった。このデモに見られるように金融関係者への風当たりは強い。日本においても、リーマンショック以降外資系金融関連企業、投資顧問会社や証券会社、不動産関連企業のリストラあるいは撤退が行われている。新富裕層市場を担ってきたOLやビジネスマンの生活環境も激変した。更に、贅沢、華美、こうしたことを是としない空気感が社会に漂い、今までのような消費には一種の躊躇が見られる。この層やヒトリッチと呼ばれる有職独身女性を主要なマーケットとしてきた高級ブランドは軒並み売上を20〜30%落としている。こうした事象も新富裕層市場の縮小を象徴している。

こうした市場の変化を背景に、あらゆるビジネスに再編・再構築が突きつけられている。コンセプトチェンジ、業態、メニュー、勿論コミュニケーションを含め、新たなビジネス再編と構築が進んでいる。その再編途中ならではの新しいビジネスも生まれている。例えば、昨年秋頃には不動産不況にあって、新築マンションの売れ残りを安く買い、安く再販するビジネス。ファミレスの苦境がいわれているが、撤退するにもスクラップ費用がかなりかかることから、居抜きで安く譲り受けメニュー業態を変えて経営する業態転換ビジネス。いわば既成ビジネスのアウトレット化とでも呼べるようなニュービジネスが次々と生まれてきている。
こうしたビジネス再編が次々と進んでいるが、勿論生活現場においても再編が起きている。いわゆるリサイクル、リペア、リデザイン、あるいは下取り・再利用といったReの潮流で、「次」に向かうための第一ステップとしてある。今までのやり方を変えてください、既成を壊してください、と言われていると理解しなければならない。

以前、私は東京こそ経済ばかりでなく情報においても格差が大きいと指摘してきたが、地方のビジネスマンと話をしても通じないことが多かった。価格を軸に一見不可解に見える現象の意味合いが理解しえないからである。それはとりもなおさず、東京はTOKYOという都市性と日本における東京という2面性を併せ持っていることによる。3月2日にシャングリラホテル東京が東京駅前にオープンし、1泊7万円という宿泊料金が話題となったが、顧客はと言えば世界を舞台にした経営者や富豪と呼ばれている富裕層である。この東京駅から30分ほど電車に乗るとセブン&アイグループのディスカウントスーパー業態「ザ・プライス」の1号店である西新井駅がある。東京はこうした経済・情報がまだら模様のように偏在する都市である。(続く)  


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2009年04月01日

雑食系生活

ヒット商品応援団日記No354(毎週2回更新)  2009.4.1.

3月28日から始まった高速料金割引制度の結果情報が各道路会社から発表された。データの取り方が少しづつ異なるが、同じ土曜日の交通量と比較し、地方では秋田道1.6倍、岡山道1.5倍、香川の高松道1.5倍、東京近郊の東名高速道などでは1.05〜1.11倍といったところで、交通量としては5月の連休のような渋滞は起こらなかった。移動活性による消費=地域活性とい前評判であったが、皆一様に財布のひもは固かったという。至極当たり前のことで、高速道路を使って1000円でどこまで行けるかといったマニヤックな人間もいるが、多くの高速利用者は、例えば軽井沢アウトレットモールがゴールデンウイーク並みの混雑であったように、この割引制度を使ってブランド品を安く買いにいくという賢明さが表れた結果だ。高速道路のSAの飲食店などは仕入れを増やし、結果売れずに廃棄処分したところが多かったと聞いている。

同じように4月1日以降、多くの値下げが発表されている。サブプライムローン問題を引き金に巨大な投機資金が原油を始めとした多くの資源から一斉に手を引いた結果である。昨年からの円高還元による値下げに加え、燃油サーチャージの大幅値下げ、更には5月からは電気・ガスといった公共料金の値下げ。政府が製粉会社に売り渡す輸入小麦価格を4月から平均14.8%引き下げると発表があったが、日清製粉など大手は5月から業務用小麦粉を値下げするという。5月になったら、パンやケーキあるいは粉製品が少し安くなるということだ。

一方、雇用情況はといえば、予測通り悪化の一途を辿っている。2月の完全失業率は4.4%、完全失業者数は299万人で、ITバブル崩壊時の350万人に迫ろうとしている。いや、6月ぐらいには恐らく超えてしまうであろう。嫌な予測であるが、2009年12月にはかってない失業者数が生まれてしまうであろう。厚労省によると、従業員の休業手当を助成する「雇用調整助成金」の申請は事業所数では3万カ所を超え、対象者数は186万5792人に及んでいるからだ。ハローワークを通じた予測では、非正規社員の失職者数は、この6月までに19万2000人に及ぶと報告されている。年越し派遣村が象徴しているように、格差問題は、その先にある貧困問題へと移りつつある。
ところで3月の年度末株価は昨年と比較し、35%の下落となった。株保有は企業ばかりでなく、シニア層の老後資産や企業年金も大きく目減りしたということだ。保有している株は塩漬け状態で、消費などに向かう事はない。

ここ数年間、既に死語となったグローバルスタンダードの名の下で、「会社は誰のものか」から始まり、見えざる投機資金が世界中の資源エネルギーへと向かい、跳梁跋扈したあげく、破綻し、その結果が私たちの生活の細部にまで直撃する体験をしてきた。急激な値上げ、1年経たないうちに値下げ、保有資産は40〜50%の目減り。周知の輸出激減と波及する雇用不安。翻弄され続けてきた数年である。グローバリズムとはビジネストレンド、ある時代の潮流であって生きるための思想ではない、と実感したと思う。巣ごもり消費と言われているが、巣の中でグローバリズムという嵐が過ぎ去るのを耐えているだけではない。生きる思想を模索しているということだ。

これは私の仮説であるが、巣の中の生活は1980年代に「一杯のかけそば」や「おしん」に共感したような「清貧の思想」に戻る事ではない。「一杯のかけそば」の作者である栗良平は、後に寸借詐欺でつかまるという落ちがついた良く出来た創作話であるが、そうしたことではない。あるいは明治の人の苦労、窮乏や悲惨さ、子守り奉公や女郎部屋に売られたり行商といった「おしん」のような苦労話でもない。もし新しい清貧の思想があるとすれば、「わけあり消費」に見られるように、財布と相談しながらモノにとらわれないもっと明るくたくましい生活思想である。

以前、ブログにも書いた草食系男子vs肉食系女子という対比が話題となっている。その意味合いとは異なるが、結論からいうと私の仮説は雑食系生活、もっと広げれば雑種系生活へ進んでいくと考えている。この10年前後のライフスタイル傾向を見ていくと、洋から和へ、ヘルシーからガツンへ、量から質へ、若者から大人へ、ハードからソフトへ、ハレ(非日常)からケ(日常)へ、・・・・・・こうした変化する様は情報によって振り子のように振れることから「振り子消費」と、私は名付けた。そして、振り子のエンジン役である情報がいかにいい加減であるかを多くの偽装事件を通して実体験してきた。これからも情報に右往左往することもあるが、この学習体験によって振り子の中心点がかなり定まってきている。私はこの生活を雑食系生活と呼ぶ事にした。つまり、振れていた雑居的生活から、咀嚼する雑食系生活へと質的転換を果たしつつあるということだ。

この雑食系生活の知恵とは、時代の変化に合わせて、ライフスタイル的にいうと時に和を取り入れ、時に洋も取り入れる。例えば、狸や狐のように、季節によって得られる獲物、時に小動物であったり、季節によっては柿や栃の実を食べるといった雑食動物ということだ。業態的にいうと、食であれば静かなブームとなっている「食堂」である。あるいは居酒屋のメニューを見ればよく分かる。和食もあれば、中華も、勿論イタリアンもある。但し、それぞれは専門家の手による味・品質があるという前提である。1社であれこれ専門メニューを用意した旧来のフードコートが限界にきて客数を落とし、商業施設から退店しているのも、経営の効率、合理性ばかりに目がいっているからだ。あるいはファッションでいうと、昨年のヒット商品である柄タイツのように、服は高くて買えないけれどオシャレはしたい、そんな代替商品を楽しむのも雑食系と言えよう。
以前、生活者は消費のプロ顧客であると私は書いた。顧客は更に進化してきている。今、求められているのはそうした顧客の雑食の知恵に応えられる「知恵の業態」「知恵のメニュー」である。(続く)  


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