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ヒット商品応援団
「人力経営」という本を書きました。ヒット商品の裏に潜んでいる「人」がテーマです。取材先はダスキン、エゴイスト、野の葡萄、叶匠寿庵、桑野造船の経営リーダー。ユニーク、常識はずれ、そこまでやるのか、とにかく面白い経営です。星雲社刊、735円、新書判。

2021年08月17日

問われているのは、新たな戦い方 

ヒット商品応援団日記No795(毎週更新) 2021.8.17



東京都のモニタリング会議で、専門家は「かつてないほどの速度で感染拡大が進み、制御不能な状況で、災害レベルで感染が猛威を振るう非常事態だ」と指摘し、「災害時と同様 自分の身は自分で守る行動が必要な段階」との認識を示した。多くの報道がなされているように、感染が急速に拡大し8月5日には過去最多の5042人の感染が確認された。そして、自宅療養者は2万人を超え、大阪と同じように自宅で亡くなる人も出始め、医療逼迫を超えて破綻へと向かいつつある。
この急速な感染拡大の少し前8月2日には「入院は重症者や重症化のおそれが強い人などに限る」との政府発表があったが、与党の中からも反発があり、中等症も原則入院とするとした修正を行いその方針が2転3転する迷走ぶりとなった。
また、これも報道されているが、大阪の阪神百貨店あるいは東京では新宿伊勢丹でクラスターと思われる多くの感染者が出る状況も生まれ、休業もしくは入場制限を行う状態にまで至っている。これは政府分科会の尾見会長からの提言として大型商業施設への入場制限をすべきとの提言に沿ったもので既に百貨店などでは各々入場などの制限が実施されている。

さてこうした迷走・混乱はデルタ株と言う変異株への認識と対応が遅れたことに起因しているのだが、このデルタ株は既に「市中感染状態」になっていると言うことを表していると言うことだ。日経新聞によれば新宿伊勢丹の場合8月4日までの1週間に、店舗で働く従業員計81人が新型コロナウイルスに感染した。感染者のフロア別の人数分布を見ると分かるのだが地下の食品売り場が極端に多く、上の階のフロアに行けば行くほど感染者は少なくなる。つまりフロアへの集客人数にある意味比例した感染者数となっている。つまり、いつでも何処でも罹患すると言うことである。
また、大阪では阪神梅田本店にコロナ・クラスターが発生している。これも伊勢丹同様デパ地下に感染者が多く7月26日以降に従業員の感染が拡大。今月8日までに計145人となり現在休業となっている。
大阪の人には周知のことだが、このデパ地下には「スナックパーク」と言ういわば立ち食いできるスペースがあり、冒頭の写真のようにちょい飲みもできる名物スポットが人気となっている。当然、マスク無しの飲食ということになる。こうした阪神百貨店のようなデパ地下もあるが、試食を始めイートインのスペース・コーナーを設定した専門店も多い。
今年の春の緊急事態宣言の時に大型商業施設・百貨店に対し、ハイブランド・ラグジュアリーブランドなどの売り場に対し、「生活必需品」ではないことを理由に規制の対象とし食品は生活必需品ということで制限の対象外とした。当時、ブログにも書いたが、流通の実態、現実を知らない机上のプラン、世間受けするような規制で、感染防止対策としての合理性はほとんどないと指摘をしたが、その通りの「結果」となった。
そこで出てきたのが、前述の「災害時と同様 自分の身は自分で守る行動が必要な段階」である。こうした発言は感染症専門家の立場からの警鐘であれば許されるかもしれないが、政治行政の場合、責任放棄であり、決して許されるものではない。

この「災害」というキーワードを聞いた時、とてつもない違和感を感じた。それはコロナとの戦い方であり、昨年5月ブログ「連帯してコロナと戦う 」(2020.4.16)に次のように書いたことを思い出した。

『東日本大震災の時もそうであったが、「現場」で新しい新型コロナウイルスとの戦いが始まっている。医療現場もそうであるが、マスクや医療用具の製造などメーカーは自主的に動き始めている。助け合いの精神が具体的行動となって社会の表面に出てきたということである。「できること」から始めてみようということである。その良き事例としてあのサッカーのレジェンドキングカズはHP上で「都市封鎖をしなくたって、被害を小さく食い止められた。やはり日本人は素晴らしい」。そう記憶されるように。力を発揮するなら今、そうとらえて僕はできることをする。ロックダウンでなく「セルフ・ロックダウン」でいくよ、と発信している。そして、「自分たちを信じる。僕たちのモラル、秩序と連帯、日本のアイデンティティーで乗り切ってみせる。そんな見本を示せたらいいね。」とも。恐怖と強制による行動変容ではなく、キングカズが発言しているように、今からできることから始めるということに尽きる。人との接触を80%無くすとは、一律ではなく、一人一人異なっていいじゃないかということである。どんな結果が待っているかはわからない。しかし、それが今の日本を映し出しているということだ。
東日本大震災の時に生まれたのが「絆」であった。今回の新型コロナウイルス災害では「連帯」がコミュニティのキーワードとなって欲しいものである。』

こうした「自制」をベースに拡大防止策を徹底する動きは自治体も同様にあった。ちょうど同じ時期に病院にクラスターが発生し、閉鎖という措置をとって苦境を乗り超えたのが和歌山県であった。初期対応の手腕が高く評価された仁坂吉伸知事が感染源となっている「大阪」との関係を自分の言葉で本音のメッセージを公開していた。よくメッセージが届かない、危機感が共有できないなどと発言する専門家や首長が多いが公開された発言の一部を抜粋しておくが、こうしたメッセージのt届け方もある。(知事からのメッセージ 令和2年4月27日)

『それにしても、うらみ節みたいになりますが、和歌山県で主として当局の努力で感染の爆発をかろうじて抑え込んでいるのに、全国の大都市の惨状は目を覆うばかりになってしまって、大阪との関係が切っても切れない和歌山県としては本当に困ってしまいます。したがって感染防止のために大事なことは、大阪を中心とする県外からの感染流入の防止ですので、大都市などで前から行っている感染源となりやすい業種、施設の営業自粛の法的措置だけでは足りませんから、県外から人が来そうな施設に対して県外の人は皆断って下さいという自粛要請も行っていますし、24日にはゴールデンウィークを控え、県外から今年ばかりは是非来ないで下さいという呼びかけも行いました。この部分は、法律的権限もありませんし、一部は、法律上は営業を継続すべき、すなわち自粛要請をするのはとんでもないという業種、施設になっているものもありますが、和歌山の位置付けと、今大阪など県外で感染が荒れ狂っている状況からあえてそういう措置をとっているわけです。
 しかし、考えてみますと、コロナさえなければ、それらはどうぞ来て下さいとプロモーションを熱心にしてきた産業が多く、私が就任以来心血を注いで振興に力を入れ、色々な手を打って育ててきた産業ばかりなのであります。そう言う意味で自分で自分を痛めつけているようにつらい時期であります。
 だからどうしても、なんで日本中こんなになってしまったんだとうらみ節を言いたくなるわけです。大都市をはじめ、感染が著しく進んだ地域のトップの人は、それぞれの都道府県民にもっと自粛をしてくれ、感染が進むのは、自粛をしてくれないからだと強調されますし、マスコミの報道もそればかりですし、政府の対策も、このところは特にそればかりになっているように見えますが、私は本当にそうかと思っています。感染が拡がるにまかせてしまったのは、半分は人々の油断した行動だとしても、半分は当局の努力が足りなかったからではないでしょうか。
 大都市のようにこんなに毎日何十人も、百人以上も新規感染者が出てきたら、完璧な抑え込みは到底出来ないけれど、それでも抑え込み努力は続けなければいけない、あきらめてしまっては、もう爆発しかないと思います。また、感染者への対応にしても、その人の安全を守るためと感染を更に増やさないために、出来ることならした方が良い対応ということがあるはずだと私は思います。
 そのいずれも、国には感染症対策の専門家が居るはずなのに、感染症対策の当局の対応についてアドバイスをしているかというとあまりなく、あっても後手に回り、言っていることは、別に専門知識が無くても政治家が考えつきそうな人々の行動の自粛ばかりを言っていて、それがメディアでとても大きく報じられる、それが現状のようで、私も思わずうらみ節を言いたくなるのです。そう言えば最近は疫学的調査というちょっと難しい専門用語も政府からも聞こえてきません。それこそ、和歌山県でまだ必死に展開している辛い作業なのですが。専門家は主として医学と医療の専門家ではないのでしょうか。その本当の専門分野で我々を導いてくれることがないのでしょうか。
 私は、感染症についての学はありませんが、県のトップとして必死で対策に取り組み、数少ないかも知れないが、実態をつぶさに見て、一つ一つ対応を考えて頑張ってきた経験から、この病気と当局の行うべき対応を段階別に次のように整理できると思います。』

この発言の後半には感染状況の段階をA~Gの7段階に分けてわかりやすく説明をしてくれています。文中にあるように地方の首長の「うらみぶし」として、その心情を吐露している。私の理解は「うらみぶし」とは県民への連帯、共に戦おうとの呼びかけに他ならないと思っている。知事も県民も同じ人間であり、共に苦しみもがいている生き様を共有しているということだ。この行政のあり方は首都圏に接している山梨県知事にも似通っているところがある。山梨県の感染防止戦略については何回か書いたので繰り返さないが、例えば防止の主人公は飲食業であり、規制の対象としてのそれではない。防止のためにはとことん行政は支援する考え方に徹するものであるが、和歌山県と同じ「共に戦う」スタンスである。私はそうした行政を県民と共に戦う一種の「県民運動」であると感じた。規制の対象ではなく、共に戦うことであり、考え方の根本として真逆である。それは県民の自発性を信じることであり、県民もまた首長を信じる、そんな良き関係・信頼関係が創られているということだ。

このブログを書いている途中で緊急事態宣言の9月12日までの期間延長とエリア拡大を検討していると報道された。周知のように東京の場合は新規感染者が4000名台と高止まりし、埼玉、千葉、神奈川、大阪、沖縄も同様の傾向を示していることと、その他の地方にも感染が拡大している背景からだ。そして、東京の場合は結果として自宅療養者が急増し、連日マスコミ、特にTVメディアがその対策について報じている。政府分科会の尾見会長が言うように感染が収まる理由が見出せないと言う「打つ手がない」状況だが、それでも緊急事態宣言を延長せざるを得ない、と言うことからであろう。
既にかなり前から生活者個人は「自己判断」によって自らの行動をし始めていると書いた。繰り返し書くことはしないが、その行動を変えた「シグナル」は例えば第一回目の緊急事態宣言が発出された時は「未知のウイルスへの恐怖」であった。そして、ウイルスへの学習も進み、第三波の正月明けの感染者数が初めて2500名を超えた時、大阪では4月自宅療養者が急増し亡くなる方が続出し、1医療破綻の実態」を感じた時、そして今回東京でも自宅療養者の急増に一種の「恐怖」を感じる事態へと至っている。これは緊急事態宣言が「日常化」してしまい、「シグナル」は緊急事態宣言ではないと言うことの証明である。
ただこれは私の推測であるが、この夏のお盆休み・規制については地方への感染拡大はあると思うが、実は長崎、佐賀、福岡、広島に大雨特別警報が発令され、行動抑制が働いたのではないかと言う私見である。但し、8月末になれば大学をはじめ多くの学校で授業も始まり、若い世代の行動が活発になる。その結果は9月上旬〜中旬に出てくると予測される。政府の唯一の感染拡大防止策であるワクチン接種の効果は出てこない。

話を元に戻すが、今回の急激な感染拡大の理解の仕方であるが、周知のようにデルタ株と言うウイルス量の多い、つまり感染力の強いウイルスである。ある意味新たなウイルスとの戦い方となるが、政府行政からは指針となるものすら出てきてはいない。分科会の尾見会長の「今までの行動を半分にしてください」と言う呼びかけに対し、小池都知事は具体的に「今までの買い物は3日に1回にしてください」と記者会見でコメントしていた。その報道を聞いて、あるスーパーの店長は「何を今頃言っているんだ。1年も前から買い物の回数は減って3日に1回となっているのに」と呟いていたのが印象的であった。
生活現場を知らない政治家が迷走するのは当然であるが、今必要とされているのは「新たなウイルスとの戦い方」である。政治家にとって「パフォーマンス」もメッセージであるとしても、それだけではない。今回は敢えて和歌山県知事の長文のメッセージを引用させてもらった。過剰な情報が行き交う時代に一見時代遅れのように感じるかもしれないが、この長文もまたメッセージである。特にタイトルとなっている「うらみぶし」がなんとも言えず知事の人柄を感じた次第であるが、和歌山県のHPを覗くのも「新たな戦い方」の参考の一つになるかと思う。(続く)  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:13Comments(1)新市場創造

2021年08月03日

2021年の夏 

ヒット商品応援団日記No794(毎週更新) 2021.8.3



昨年の夏GoToトラベルがスタートし、観光産業は活況を見せていた。TVメディアは「お得な旅」の特集を競って報道していた。ただ夏休みの旅行については読売新聞の調査であったと思うが、旅行はしないとした自制する生活者が60%を超えていたと記憶している。今もTVメディアに出演している感染症の専門家の一人はGoToトラベルを「社会的な実験」と呼んでいた。ちなみにGo To Eatキャンペーンは10月1日よりスタートした。
さて、今年の夏はどのようなコロナ禍を迎えているかを比較してみると現在の状況が浮かび上がってくる。
・2020年7月30日の感染者数(東京);463人、
・2021年7月31日の感染者数(東京);4058人、
今年の夏はGoToトラベルに代わって東京五輪における日本選手の活躍がTVメディアを賑わしている。ところでGo To Eatの対象であった飲食店は周知の通り、廃業と休業、あるいは時短要請に従わない営業店が急増している。(日経新聞をはじめいくつかのメディアが調査をしているが、少なくとも都心繁華街の飲食店は50~70%の店が時短要請に従わない従来営業を行なっていると。)ちなみに、時短要請には従わず、東京都に対し提訴しているグローバルダイニングは2021年1~6月期の決算を発表している。その内容だが、売上高が前年同期比92・3%増の47億円、純利益が5億円の黒字で、前年同期は9億円の赤字で大きく改善したとのこと。これは今年は緊急事態宣言下、まん延防止等重点措置の中でも営業を続けた結果だと話した。協力金を得ながら赤字の多い飲食業界にあって、この黒字決算をどう受け止めるか業界のみならず、政府・東京都も考えるべき事例であろう。

また、昨年と比較し大きく変わったのがワクチン接種である。医療従事者から始まり、高齢者への接種は東京では71.94%(2回目接種・7月28日時点)と進んでおり、感染者の内訳にも高齢者の比率が大きく下げている。高齢者本人のワクチン接種もさることながら、高齢者のクラスター発生が多かった介護施設の従事者や医療従事者がワクチン接種を済ませたことが大きな要因となっている。なお、ワクチン供給がストップしている問題については前々回のブログ「不安から不信へ」を参照ください。
また、昨年の新型コロナウイルスの変異種であるデルタ株が猛威を奮っているが、従来型と比較し、感染スピードが極めて早いという特徴を持っている。(なお、毒性の比較論文についてはほとんど発表されてはいない)

こうした状況を踏まえ、政府分科会の尾見会長は国会で「強い対策を打ってみんなが危機感を共有しない限り、この傾向はしばらく続く」と指摘した。「人々に危機感を共有してもらえるメッセージと、感染状況にふさわしい効果的な対策を打つこと(が必要)だ」とも語りた。つまり、コロナ禍1年半、最早従来のような「考え」のもとでは生活者・個人の自制に頼った政策は意味を持たないという指摘である。ある報道番組の渋谷に集まる若い世代へのインタビューで「政府は東京五輪というお祭りを進めているが、自分たちもこの夏を楽しみたい」と発言していた。渋谷周辺はセンター街を始め、路上飲みのグループが多数集まり、東京の繁華街はパーティだらけとなっている。つまり、若い世代にとって東京五輪には興味はなく、路上パーティの方が楽しいとした見事な「すれ違い構図」となっている。尾見会長が言う「危機感の共有」どころの話ではないと言うことだ。

政府は8月2日から首都圏3県、大阪府を加え緊急事態宣言を発出した。若い世代のみならず多くの人はそのメッセージ効果は無いと感じているが、期間は8月31日までの期間(延長)となった。この期間延長はワクチン効果による感染拡大を止める効果を狙ってのことと想定されるが、果たしてそのような結果が得られるか疑問に思う専門家は多い。ただ、この1年半で現場医療は治療の精度は上がり亡くなる患者は極めて少なくなっている。問題なのは病院やホテルへの収容が追いつかない、つまり自宅療養と言う感染者が膨大に膨れ上がり、東京の場合自宅両両者は既に1万人を超え、病院などへの調整患者を含めると2万人を超える現状となっている。
ちょうどこのブログを書いている最中に政府から医療体制の方針転換についての発表があった。既に報道されているので詳細は新聞記事をみて欲しいが、重傷者及び重症化のリスクの高い患者以外は自宅療養を基本とすると言うものであった。自宅療養をサポートするためのオンライン診療や酸素吸入器具などを用意するとのことだが、以前から指摘されていたことばかりで医療逼迫を前に「付け焼き刃」策としか思えない方針に感じる。
例えば、東京や大阪でも民間で行われている訪問診療はあるが、そうしたケースは極めて少なく、課題なのは自宅療養者への訪問診療のシステム化である。特に民間の町医者の人たちの力を借りての制度化・システム化である。初期の頃の新型コロナウイルスの医療とは異なり、重症化しても救命治癒できる経験を積んできた現場医療がある。ただ人工呼吸器やエクモの装着は患者本人の意識はないところで行われるため、遺書を書いて臨む患者も多いと言われている。今、直面している課題は重症化させないための医療、中等症患者への対応であり、今回の政府方針は少なくとも半年以上前、第三波の時に提示すべきで、あまりにも唐突過ぎたもので大きな混乱を生じさせている。

ところで、あの「8割おじさん」で知られている京都大の西浦教授は強いメッセージとして、大阪のような医療破綻する前に「東京五輪の中止」しかないとSNS上で発言している。勿論、法改正の問題もあるが都内はロックダウン、外出禁止要請をと発言している。
海外メディアも、例えばニューヨーク・タイムズは、「感染者が過去最多の東京で、オリンピックのバブルは維持できるのか」という見出しで、「安心で安全な大会という約束が試されている」と報じている。
ところで今回の第五波のピークはどの程度の感染者数になるか、ピークアウトはいつごろになるか、と言うことである。それはどのような感染者の「山」を描くかと言うこと、つまり拡大期と鎮静化は同じような山を描くか過去4回の経験則でわかっている。具体的に言うと、第五波のピークを8月初旬とすると、拡大期は6月半ばから2ヶ月ほどかかっており、同じように鎮静化するには2ヶ月ほどかかるとすれば、ある程度沈静化した「日常」に戻る時期は10月になると言う予測が成り立つ。つまり、今回の第五波を終えるにはかなりの時間がかかると言うことである。勿論、高齢者以外の世代へのワクチン接種がどの程度のスピードなのかによる。

こうした社会現象の1年前との比較で一番大きな「違い」は生活者・個人の「心理」である。マスコミの常套句として、コロナ疲れや慣れという表現を使っているが、1年前を思い起こせばどうであっただろうか。当時は「自粛警察」がキーワードとなっていた。営業を続けるパチンコ店などを取り上げメディアはこぞって非難していた。その背景にはコロナウイルスへの「恐怖」があってのことだが、例えば夏休み・帰省に際しては「県外の方、ご遠慮ください」といったことが地方の街の至る所で散見されていた。1年後、最早「恐怖」は無いといっても過言では無い。但し、大阪のように自宅療養者の中から死者が続出するといった事態、医療崩壊の寸前と言った状況には東京の場合至っていないため、「恐怖」はほとんど無いと言っても過言では無い。
「心理」は情報によって大きく左右される。しかも、養老孟司さんの「バカの壁」ではないが、人間は自分にとって都合の良い「情報」しか信じようとは思わない。それは政治家だけでなく、生活者・個人も同様である。今、その「心理」を支配しているのは東京五輪である。つまり、日本選手の活躍によって、恐怖はかき消され、冒頭写真のように新国立競技場前のモニュメントは記念撮影スポットとなり、順番待ち時間は数十分と言う有様である。また、トライアスロンの競技では、お台場周辺の沿道には多くの観客が殺到する状態となっていた。いくら「不要不急」の行動は謹んでくださいなどと言っても意味をなさない。

問題なのは、オリンピック終了後の状況である。つまり8月8日に終え、以降感染状況はどうなるかである。私の場合、東洋経済オンラインのデータを参考としているのでそのデータによると、東京の実効再生産数は1.74、全国は1.77となっている。この実効再生算数の結果が東京の場合4000人前後の感染者となって現れていると言うことだ。多くの実効再生産数の計算は2週間前のデータを元にしているので、その頃の人流は夏休みに入る頃であり、ちょうど増加し始めた頃である。専門家ではないのでピークアウトの時期やその感染者数を予測はできないが、政府分科会の尾見会長の言に従えば人流が減る要素はないとするならば、このまま感染拡大が減少することはない。いずれにせよ今年の夏休みは「ない」と言うことだ。しかも、感染の山は大きく、長く続くこととなる。東京五輪の熱狂が覚めたお盆休み明けの頃どんな「心理」となっているかである。前回のブログにも書いたが、ワクチン接種を済ませた高齢者は旅行を始め飲酒などの会食に向かうであろう。グローバルダイニングの決算事例ではないが、アルコールを取り扱い通常営業する飲食店は更に増加し、感染した自宅療養者は更に増加し・・・・・・・つまり、世代や置かれた環境の違いからまさに混沌とした「社会」が想定される。こうした混乱に対し、ワクチン接種しか打つ手がない政府・行政であるが、公的接種から除外されていたアストラゼネカ製のワクチン摂取がどこまで浸透するか、ある意味政権の命運がかかっているといえよう。
またコロナの恐怖から離れた心理はどこへ向かうか、東京五輪によってもたらされた「楽観バイアス」を持ち出すまでもなく、自分都合の行動は激しくなる。特に若い世代に対して再び矛先を向けているが、ワクチン接種を勧めても聞く耳を持つ人は少ないであろう。それは高齢者が肺炎の恐ろしさを身近に実感しているのに対し、若い世代は今もなお軽症もしくは無症状だから大丈夫と言った認識のままであり、わざわざワクチン接種をする合理的な理由が見出せないとする。おそらく9月になっても大学の授業はオンラインのままであろうし、緊急事態宣言が終了してもまんえん防止策へと向かうこととなり、・・・・・・・・悪いシナリオであるが、夜8時以降通常営業している飲食店に集まり、あるいは自宅を会場としたミニコンパなどが常態化するであろう。感染は減少することなく、自宅療養者は更に膨れ上がっていく。

2年目の夏を迎え、コロナ恐怖の受け止め方の違いが個々人によって明確に異なってきたと言うことである。9月以降のビジネス・マーケティングの課題はそうした個々人の心理に即したものとなる。「巣ごもり生活」からどう抜け出すかで、そのキーワードの根底は前回のブログのタイトルのように「失ったものの取り戻し」となる。この1年半失ったものは「何か」を考えることだ。前回のブログでは大きな潮流として過去に遡る「思い出消費」について書いた。「思い出」を通し、それまでの日常を取り戻すことであるが、「昭和レトロ」のように過去へも遡っていくであろう。
次回は「恐怖」から解き放たれた心理について詳しく書いてみることとする。(続く)
  
タグ :東京五輪


Posted by ヒット商品応援団 at 13:09Comments(0)新市場創造