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「人力経営」という本を書きました。ヒット商品の裏に潜んでいる「人」がテーマです。取材先はダスキン、エゴイスト、野の葡萄、叶匠寿庵、桑野造船の経営リーダー。ユニーク、常識はずれ、そこまでやるのか、とにかく面白い経営です。星雲社刊、735円、新書判。

2009年05月31日

自由時間に見る価値観変化

ヒット商品応援団日記No371(毎週2回更新)  2009.5.31.

前回、東京ディズニーリゾートの集客数が減少に転じた時、消費氷河期へと本格的に入って行くと書いた。私の理解としては、東京ディズニーリゾートは「プロが提供するエンターテイメント」のシンボル的存在であり、家族が過ごす自由時間の遊びの中で他に変え難い固有の世界であると考えている。つまり、家族の日常的な遊び費用や食費などを減らしてでも、東京ディズニーリゾートには行こうという価値を認めたプロ消費の意味合いとしてである。あるいは数年前に閉園に追い込まれたが、今や再生し大人気の北海道の旭山動物園でも同じである。東京ディズニーリゾートがプロによる高度に創られた人工的なエンターテイメント世界であるのに対し、旭山動物園はプロの目によって着眼された動物の行動展示という自然のエンターテイメントであって、自由時間にお金をどう使うかの違いがあるだけである。

消費変化を俯瞰して見ていくには、まず時間に対する価値意識の変化を見ていくことが重要である。例えば、コンビニという業態は24時間営業、いつ行っても買う事ができる便利さにもお金を支払っている。仕事に追われると良く言うが、就業時間はその生産性を上げることに企業も個人も努力をしている。時間は限られており、その価値にお金を支払う訳である。まるで高速料金を支払って高速道路を走っているかのような社会に私たちは生活している。省時間(=小時間)という便利さに価値を見出してきた訳だが、コンビニも値下げせざるをえない情況のように、時間価値意識にも変化が見え始めた。

仮説はこうである。ここ10数年、生活時間を切り詰め、あらゆる生活の省時間化が進められてきた。その象徴例が冷凍食品の常態化であり、解凍調理の電子レンジの100%近い普及であった。あるいは家族一緒の外食であった。しかし、今や切り詰めるのは時間ではなく、生活費、経済に向かっている。省時間から省マネーへの転換である。省マネーによって起きたのが内食化である。そして、食において大きな支持を得たのが「わけあり商品」であり、今やお弁当持参の時代に向かっている。3年ほど前のブログに、今やおふくろの味はコンビニ弁当や学校給食になってしまったと書いたが、おふくろの味が試される時代となった。

ところで、従来は省時間によって得られた自由時間の多くは「外」へと向かっていた。その象徴が海外旅行や東京ディズニーリゾートであった。そして、渡航歴の多い人ほど日本から遠い国へと出かけていた。しかも、単なる名所観光ではない明確な渡航目的・テーマを持ってであった。しかし、昨年夏のお盆休みは原油高によって海外旅行者数は前年を割り、昨年末は同様の傾向と共にウオン安で近場の韓国が人気となった。国内旅行はと言うと、ダントツ京都人気で表通りから裏路地まで人で溢れ返っている。
つまり、自由時間の過ごし方は省マネーを背景に、遠くから近場へ、外から内へと明確に変化してきた。その近場で内で遊ぶ最大のヒット商品があの任天堂のWiiであり、安近短のシンボル的商品と言えよう。

自由時間はその言葉通り、自由ということから生活者の価値観がストレートに行動に出る世界である。つまり、素の世界、本音の世界、勿論好みの世界が出るということである。どのように自由時間を使うかによって、巣ごもり状態なのか、冬眠へと向かう氷河期に至ったのかライフスタイルの変化が分かる。そうした意味で東京ディズニーリゾートの集客数の変化に生活者のライフスタイル変化が表れるということである。勿論、日常的にどうであるかということも重要である。しかし、単純化していうと、「他に変え難い固有の世界」を中止もしくは延期せざるを得ない自由時間があるとすれば、消費氷河期に入ったと言わざるを得ない。ある意味、生活経営の深刻さの表現としてあるということだ。

もう一つの指標が子供への教育投資の低下である。最近の家計調査のデータを集計してはいないが、昨年の夏から秋にかけては大きな支出低下は起きてはいなかった。見えない不安の時代にあって、唯一未来を感じ、お金を使うのが子供への教育である。生活保護世帯の増加と共に、高校への未就学生徒が増えていると聞く。未来を感じられない生活こそ、実は氷河期ということだ。
ところで、私の住むマンションの隣に公園がある。ここ1年ほど前から、土日には父子がキャッチボールやサッカーボールで遊ぶ光景を目にするようになった。お金を使わない遊びもまた素敵である。(続く)  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:21Comments(0)新市場創造

2009年05月27日

激変する消費への指標

ヒット商品応援団日記No370(毎週2回更新)  2009.5.27.

ここ数ヶ月、特に1ヶ月ほどは危機に関する内容ばかりであった。先日政府は1月〜3月期のGDPが戦後最悪である−15.2%を踏まえ、こうした最悪の状態を脱したと発表があった。が、3月度の完全失業率は4.8%、失業者数は335万人と増え続けている。日本商工リサーチによる4月度の企業倒産件数は11ヶ月連続して増加し1329件。その内容であるが、件数は増加しているが負債総額は減少している。つまり、昨年は主に大企業の破綻の年であったのに対し、今年は中小企業に破綻が向かっているということであろう。つまり、危機は70%以上を占める中小企業、多くの労働者、つまりごく一般的な日常に本格的に押し寄せてきたということだ。

前回、消費は氷河期に向かっていると書いた。関西での新型インフルエンザに対し、通勤客・通学生徒のほとんどがマスク姿という異様な光景を自己防衛の象徴として指摘した。政府は「心配ありません、冷静な対応を」とCMまで動員するが、つまり誰もCMなど信用しないからであろう。信用できるのは自分と家族、それに長く付き合った分かり合える人達だけと思っているからだ。今年に入り、外需頼みから内需、個人消費の活性をと言うが、単純に消費のことを言えば、消費に回せる収入と、この「信用」足り得る社会が存在しえて初めて消費は活性される。数式として単純化してみると次のように表現できる。
y(消費)=a(収入)x(信用)
不安の時代とは信用できない時代のことであり、信用が小さくなれば消費も小さくなる。収入から消費を引いた残りは投資ではなく、安全な国債や預貯金へと回る、これが経済の原則であり常識である。

信用収縮は金融ばかりではない。社会や生活のあらゆる領域、局面で信用収縮が起きる、これが消費氷河期の特徴である。ヒト、モノ、カネ、情報の移動が小さく、しかも遅くなるのが特徴である。こうした氷河期の生活ビジネス潮流の第一は内製化として始まる。出来る限り自分で作るということである。既に1年以上前からこうした傾向は始まっている。東京の浅草近くの道具屋街には、普段はプロが買い求める調理道具専門店に素人である生活者が道具を求めて訪れている。いわゆる内製化であるが、もう少しかっこつけていうと、ホームクリエーションということになる。家の中のことを自ら楽しみながら費用を節約し、しかも自ら作ることで究極の安心を得る生活である。

寒い氷河期を暖かく過ごすための消費は活性する。極論ではあるが、衣食住遊休美知といったジャンルの全てにおいて家庭内もしくはホームグランドで行われるということである。宅配ピザやネット通販の好調さばかりでなく、従来高額サービスといわれてきたホームパーティのデリバリーサービスもかなり安価なメニューが生まれてくると思う。一昨年からの大ヒット商品であるWiiも継続した売れ行きを見せると思う。薄型TVもエコポイントの後押しも若干あって売れていく。外出着は売れないが、家庭内のカジュアルなものは売れるという事だ。消費移動という言い方をすると、外側にあった商品やサービスは内側・家庭の中に移動して消費されるということだ。

更に、従来は便利さに価値を認めたり、プロの専門性に価値をゆだねてきたが、そうした付加価値と呼ばれてきたものへは支出を減らすようになる。飲食サービスで言うと、お任せ料理、コース料理からアラカルト料理に移動が起きる。つまり、GSと同じようにセルフ式になるということだ。お金の使い方は専門家に任せるのではなく、自身の納得の上でお金を使うという事である。今以上に理容や美容・エステといったサービスもセルフ式へと変化していくであろう。便利さの代表的な業態であるコンビニも価格を引き下げ始める時代である。便利さとは、プロとは何かが更に問われていく時代だ。逆に、プロは個人がどうしても追いつけない世界を創っていくということである。

こうした内側への巣ごもり生活を見ていくには時間がかかるが、氷河期であることの指標としては、やはり行楽・観光といった遊びの分野の消費変化を見ていく事であろう。昨年夏、あるいは昨年末の旅行のキーワードは安近短であった。この春から燃油サーチャージが無くなり、安いツアー料金が目白押しとなり、気軽に手軽に旅行を楽しめる環境とはなったが、今年の夏も安近短志向は変わらないと思う。行動半径は小さくなり、新しい場所ではなく以前旅行した経験のあるところに行くことになる。こうした傾向と共に、以前から指摘してきた「替わり消費」や「つもり消費」が出てくる。昨年のヒット商品であったデパ地下のおせち料理のように、「××へ出かけたつもりで家でチョット豪華なおせちで正月を祝う」こうした代替消費である。私の言葉で言うと、「消費移動」であるが、おそらく考えつかないような消費移動がこれから現実化する。昨年夏、都心のホテルで実施された消費移動の実例であるが、ホテルの庭にカブトムシなどを放し、昆虫採集メニューを作り、家族集客を計ったホテルがあった。こうした里帰りした実家での「昆虫採集体験の替わりメニュー」といった「替わり消費」である。今年の夏休みの過ごし方にもアイディア溢れるメニューが出てくるとということだ。こうした消費も氷河期ならではの消費移動であろう。ところで、新しいアトラクションを次々と導入し、唯一来場者数を伸ばし続けているのが東京ディズニーリゾートである。このリピーターの多い東京ディズニーリゾートの来場者数がマイナスに転じた時、本格的な氷河期に入ったと見なければならない。(続く)  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:18Comments(0)新市場創造

2009年05月24日

氷河期の消費心理 

ヒット商品応援団日記No369(毎週2回更新)  2009.5.24.

新型インフルエンザによるビジネス被害が次々と明らかになってきた。弱毒性ということから患者への大きな被害は未だ出ていないようであるが、市場が心理化している時代の有様を見事に映し出している。1970年代の石油パニックの時はトイレットペーパーであったが、今回は防御マスクである。奇しくも、石油パニックの時のトイレットペーパー騒動の震源地は大阪の千里ニュータウンであった。
そして、連日のように関西方面への修学旅行の中止や百貨店を始めとした商業施設の客数減少や売上不振が報じられている。また、逆のケースである関西から沖縄などへの修学旅行も中止が相次いでいる。人の移動を前提とするビジネスは軒並み大きな損失が生まれ、株価もそうしたことを表している。しかも、政府の方針転換により幾分規制が緩和され、明日から通常通り授業が再開されるが、自粛という一種の心理的強制は残ったままだ。

前回、あたかも水際対策が万全であるかのような発表&報道から、神戸で渡航歴のない高校生が発症患者として見つかり、一転して無関心は恐怖へと振り子のように振れたと書いた。心理化された社会に及ぼす情報の時代の特徴であるが、神戸の高校生の発病を発見したのは地元の開業医であり、今なおその感染源ルートは不明である。曖昧さ、不確かさがうわさの発生源になるのだが、強毒性のうわさは見られないものの、見えないウイルスへの恐怖は心理の奥底に残っている。

ところで、新型インフルエンザを期に今後の消費はどう変化していくか、あまり予測的な事は書きたくないが、生活者の消費行動は大きく変化していくものと考える。その参考となる良き事例は1年半ほど前に起きた中国冷凍餃子毒物混入事件である。当時、日経POSデータによると、事件報道後4日間で冷凍食品全体では36%の減少、冷凍餃子では61%の減少という買い控えが起きていると報じられた。一方、家庭で餃子を作るのであろう餃子の皮は今なお売れ続けている。これも一種の消費移動現象であるが、こうした傾向、便利さより安全・安心を求める傾向は少し前に注目された農家レストランや農家直売所人気にもつながっている。今回の新型インフルエンザによる観光客の減少は前年比−68.8%に至ったと神戸市は発表した。冷凍餃子と単純比較はできないが、2/3の減少という数字は心理的ショックの大きさを表している。しかも、食に於ける中国製品あるいは冷凍食品への顧客支持は元には戻らなかったということである。また、不況が深刻化していることから、外食→中食→内食という大きな消費傾向へとつながっていく。果たして、神戸を始め関西経済だけでなく日本全体の今後はどうなるであろうか、そうしたことを含め何回かに分けて考えてみたい。

さて、今回の新型インフルエンザは更にどんな消費行動へと変化を促すであろうか。マスメディアが報じるように、レトルト食品や宅配スーパーへの依頼増加といった巣ごもりへの備蓄現象は勿論あるのだが、消費心理は氷河期を迎える準備に入ったと理解した方が良い。それは雇用不安、特に中小企業の雇用や変わらぬ非正規労働者の不安定さにある。更には今なお不確かな年金問題もある。そうした不安が氷河期を造っている。
こうした不安が増大し続ける時代の消費心理に挙げられる第一は、新しい、珍しい、おもしろい、といった外へと向かうことへの躊躇が強く働くということである。単純に言えば、興味はあるが今回は止めておこうという心理である。冒険より安定、新規より継続、つまり慣れ親しんだ商品、店、人物から買い求めたいという心理である。表面的には保守的な消費に見えるであろう。

そして、新型インフルエンザの影響を確認するには観光の実体を見ていくのが分かりやすい。ところで、その夏休みに向けた観光であるが、これから予約時期に入る。間違いなく新型インフルエンザの発生情況の推移を睨みながらギリギリまで待つ事となる。更に、従来であれば観光先は未知の国やテーマとなるが、今年はそうした希望者は減るであろう。そして、昨年の海外旅行者数は前年比マイナスであったと思うが、今年は更に悪くなる。国内外を問わず、旅行先は新型インフルエンザ発生エリア以外のところとなり、昨年以上に実家への里帰り休暇が多くなる。ただ燃油サーチャージがなくなり、ツアー料金は更に安くなり、昨年末の韓国人気のように近場のアジアなどには出かけていくと思う。3年ほど前に「ヒトリッチ」というキーワードと共に消費の舞台に上がった、女性のお一人旅仕様のオーベルジュなどの経営は深刻なものとなる。

残念ながら今回の新型インフルエンザは増々不安心理を増幅させることとなる。消費行動の物理的な収縮ばかりでなく、最も重要なことは心理的な収縮である。いずれにせよ氷河期の消費は物理的な行動半径が小さくなるばかりでなく、心理的距離も同様に近くなるということに、実はビジネスチャンスが生まれるという事だ。もっと分かりやすく言うと、親しい家族のような関係の中で消費が行われる。曖昧さ、不確かさを可能な限り排除することに、あらゆる投資、あらゆる粗力が求められているという事だ。(続く)  


Posted by ヒット商品応援団 at 19:54Comments(0)新市場創造

2009年05月20日

新型インフルエンザに見る振り子現象

ヒット商品応援団日記No368(毎週2回更新)  2009.5.20.

新型インフルエンザについて、今関西で起こっている事は「過剰反応の連鎖」が起こっているように思える。その理由の一つは強毒性の鳥インフルエンザを想定した初期段階での空港等の水際対策にあったことによる。物々しい防護服の係官が検疫する様子が繰り返し繰り返し報道され、検疫礼賛であるかのようであった。つまり、水際対策で大丈夫という「安心」の種がまかれることになる。しかし、5月15日渡航歴の全くない、しかも空港とは関係のない地域の高校生が突如発病する。しかも、その発見は地元の開業医によってである。水際対策によって蒔かれた種は「安心」から「恐怖」へと変化する。恐怖は不確かな情報によって増殖され、「うわさ」となって恐らく全国に伝播されていくと思う。そうなると、「無関心」から大きく「パニック」へと振れる現象が起きる。これが高度情報化社会の特徴である。

実は、3年前に「うわさの法則」について書いた事があった。その原点ともいうべき「うわさの法則」(オルポート&ポストマン)を簡単に説明してみたい。

R=うわさの流布(rumor), I=情報の重要さ(importance), A=情報の曖昧さ(ambiguity)
< うわさの法則:R∝(比例) I×A >  
つまり、話の「重要さ」と「曖昧さ」が大きければ大きいほど「うわさ」になりやすい、という法則である。但し、重要さと曖昧さのどちらか1つが0であればうわさはかけ算となり0となる。つまり、うわさは伝播しないということである。

今回の新型インフルエンザ事件に当てはめてみると、まず情報の「重要さ」においては、新しいウイルスであり人命にかかわる重要さである。もう一つの情報の「曖昧さ」については、どのような新種のウイルスであるか解明されていない。うわさが流布される要件は満たしているが、やっと最近になって感染症の専門家によるコメントが報じられるようになった。今回の新型インフルエンザは通常の季節性インフルエンザと同程度の毒性を持つものであると。しかし、糖尿病や腎臓病、ぜんそくなどの患者、あるいは免疫力のない妊婦は重篤になる恐れがあるとも。やっと、曖昧さと重要さの一部ではあるが明確になり、自己防衛の在り方が見えるようになった。

私の場合、大きな社会的事件が起きるときだけ「2チャンネル」の掲示板を見る。「うわさの法則」どおり、2チャンネルには複数の掲示板が立てられ、発症した高校生の高校探しが書き込まれていた。あるいは、既に大阪ばかりでなく東京でも数千名単位の発病者がいるといった憶測の書き込みもあるが、現時点においては全国へと伝播するだけの強いうわさは無い。新型インフルエンザの例に倣えば、弱毒性のうわさであった。何故なのか。それは新型インフルエンザの持つ「不可解さ」に対し、謎解きできるだけの専門性も知識もないということに他ならない。単純に言うと、発症した高校探しは出来ても、何故発病したのが渡航歴のない高校生なのか、何故兵庫県なのか、その謎解きにのめり込めるだけの「うわさ」が伝播されるだけの土壌、そうした情報をほとんどの人が持たないからである。

しかし、問題は他にもある。初期段階におけるマスメディアの報道はどうであったか。防護服の検疫体制というおどろおどろした映像は心理の奥に焼き付けられている。更に大阪の通勤時間帯ではほとんど全員が防護マスク姿の異様な光景、閑散とした神戸南京街、マスクはどこへ行っても買う事が出来ない、関西方面への修学旅行の相次ぐキャンセル、逆に関西の中学生の修学旅行先のキャンセル、そんな情報ばかりが繰り返し報じられる。まるで、蒔かれた安心の種は既に恐怖へと変異しているにも関わらず、更にに水をまいているかの如くである。
既に東京に於いても防護マスクを買い求めるには至難のことになっている。巣ごもりできるように、レトルト食品を買い求め、あろうことかタミフルの個人輸入代行まで始まった。大阪のブロガーの一人は学校の臨時休校だけでなく、多くの人が集まるUSJや商業施設を閉鎖しろとまで言う。重要な事は、専門家による確かな判断と情報しかないのだ。初期段階でメキシコ政府による誤った死者数情報があったことを含め、私は新型インフルエンザの今を知る専門情報としてWHOのHPを見る事にしている。日本以外、不確かな過剰情報による過剰反応はない。ちなみに、WHOは今回水際対策を行った日本と中国に対し、隔離や停留のような人権侵害を伴う対策を実施する国は、その根拠を示すべきだと言っている。

ところで、少し前に巣ごもりから冬眠へ、と最近の消費傾向について書いた。今、関西地域は冬眠状態へと向かっている。前回書いた心理面だけでなく、物理的にも移動が自粛という形で制限され、家に、内に籠らざるを得なくなったからである。大阪府知事が正確な専門情報として水際対策からの転換を政府はメッセージを出すべきと発言したことは当然である。冬眠状態が続けば、経済ばかりか社会生活までもが危機となる。既に、糖尿病や腎臓病、ぜんそくなどの患者、あるいは免疫力のない妊婦といった方達を収容すべき病床が無く、危機は目の前にある。あるいはお年寄りのデイサービスが休止となっているが、それはいつまで続くのか、そんな不安が渦巻いていると聞く。手洗いやうがいの励行、マスクの着用は一度聞けば良いのだ。不安解消はこうした新型インフルエンザ難民の人達の問題を解決することにある。

更に問題は他愛もないうわさが新型インフルエンザと同じように、いつか変異して流行する恐れがあるということだ。その背景には、全国へと広がるであろう新型インフルエンザは必ず制圧できるが、またいつかどこかで更なる変種として現れる可能性を否定できない。強毒性の鳥インフルエンザは今なおベトナムやインドネシアに眠っていると専門家は指摘する。拡散したように見えるうわさも実は沈殿しているだけで、再び変異し動き出すであろう。
今、東京では新型インフルエンザが蔓延した場合の対策が、医師会を中心に街の開業医という現場で自発的に組まれ始めている。感染症の指定病院だけではあらゆる意味で患者に対応しきれないためだ。感染の疑い、もしくは軽症と見られる慢性的な持病をもつ患者には訪問治療まで検討されているという。つまり、不安の時代にあって、新型インフルエンザも、うわさも、現場でしか払拭し解決し得ないということだ。神戸の酒鬼薔薇聖徒事件の時もマスメディアは揃ってうわさを基に真犯人探しをした前科を持つ。今回、関西では大きなパニックには陥らなかったが、いつでもその恐れがあるということだ。今生活者は巣ごもり状態にある。多様なメディアの情報を手に入れ判断することが難しく、マスメディアからの情報に翻弄されやすいということだ。私は消費における振り子現象について数多く書いてきたが、今回の新型インフルエンザにおいても、「無関心」から一挙に「パニック」へと大きく振れる振り子現象が見られた。高度情報化社会の特質であると言ってしまえばそれで終わりであるが、言葉が伝わらない時代でもあるということだ。(続く)  


Posted by ヒット商品応援団 at 14:13Comments(2)新市場創造

2009年05月17日

意味ある消費時代

ヒット商品応援団日記No367(毎週2回更新)  2009.5.17.

5月15日から「エコポイント制度」がスタートした。後期高齢者医療制度の時はその内容もさることながらネーミングに本音が見え隠れしてしまいブーイングの嵐であった。今回はそんな失敗から、馴染みのあるエコ製品とポイント制度とを結びつけたネーミングによる追加経済対策の中の内需拡大策である。しかし、そのポイントの使い道や第三者委員会による運営が決まっていない見切り発車となっている。エコポイントをキーワード検索すると分かるが、自治体や企業、NPO、街の商店街に至までエコロジーを進めていくための小さいが丁寧な助成制度や仕組みが組まれている。定額給付金支給もそうであったが、高速道路割引制度においても生活者の消費価値観の変化を熟考することなく見切り発車するとどれだけの混乱を起こすか理解されていない。しかも、今回の国による「エコポイント制度」は、一言でいうと、質の悪い販促事業である。

消費の価値観を考えていく場合、生きていく上での必需消費と旅行や娯楽のような選択消費とに分ける事が出来る。正確なデータではないが、バブル絶頂期であった1989年に食費や住居費といった必需消費が家計支出全体の50%を切り、娯楽や教育費といった選択消費への支出が上回っていく。以降、豊かな時代を迎えたと言われてきた。しかし、1998年以降収入は減り、ITバブルがはじけるが、円安誘導もあって輸出企業が復活し、金融分野においても規制緩和によって投資ファンドの活動が活発化し、新富裕層と呼ばれる新たな市場を産み出した。また、同時に格差といった問題もであるが。そして、昨年9月のリーマンショックを含め、今日の「巣ごもり状態」へと至るのである。巣ごもり状態とは、選択消費ばかりでなく、必需消費すら切り詰め、家計を成立させる自己防衛の別名である。

今、生活者の中に2つの大きな消費価値観の潮流が見られる。1つは家計収入の大きな伸びを期待しない、あるがままを受け入れる、とする成熟派。もう1つは、いや収入は伸ばせるし、少々の無理は承知で頑張る、とする成長派。更に単純化すれば前者をアリ、後者をキリギリスに例えてもかまわない。国家レベルでいうと、現政権でいうと、前者を財政均衡主義者(与謝野金融大臣)、後者を成長への財政積極論者(中川秀直氏)としてもかまわない。今回の15兆円に近い追加経済対策について、赤字国債というつけを子や孫の世代に回す事はならないとする意見と、景気への緊急避難措置でやむを得ないとする意見。こうした対立軸は生活経営においても同じように行われてきた。

この1年間、私は価格について多くの注目すべき事例を書いてきた。エブリデーロープライスのOKストアから始まり、ユニクロ、H&M、更には雑誌の宝島社に至るまでだが、それは前者の成熟派が圧倒的に多くなったということでもあった。繰り返し書かないが、百貨店の衰退を見ても明らかであるように、日本市場の象徴であった中流層は1990年代後半から崩壊が始まり、この市場に準じていた新富裕層は金融破綻によってこの1年で崩壊した。結果、成熟派はマス市場化し、その市場を更に分解してみると、
・買いたいけれど買えない、我慢派(収入ダウン等による)
・買えるけど買わない、新合理主義派(前々回書いた平成世代)
それと既に半分死語と化してしまった「パラサイトシングル世代」である。1990年代後半、都市部サラリーマン世帯に現れた固有の世代で、当時はフリーターという新たな職種として呼称された時代であった。この世代は今30代後半を迎え、その予備軍である20代後半世代をハッピーパラサイトと呼ぶそうであるが、いずれにせよ両親の家に寄生する非正規労働者群で「買いたいけれど買えない我慢派」に属している。日本の労働人口の34%を非正規雇用が占めており、こうした成熟派が中心となって、「巣ごもり消費」現象がいたるところで見られるようになった。

国は内需拡大・消費活性というが、未来に対し醒めた目でしか見る事ができない成熟派がマス市場化している現状にあって、「エコポイント制度」を活用する市場は一部に終わるであろう。求めているのは「未来」であり、若い世代にとっては何を置いてもまず仕事・雇用の確保で、無ければ新たな産業起こしをしなければならない。子育て世代にとっては安心できる育児や医療の体制であり、シニア世代にとっては年金や介護医療の問題解決であろう。根本課題の道筋を明らかにした上でのエコロジーである。しかも、生活レベルではかなりのところまでエコロジーは徹底されている。今、必要とされているのは国家レベルでの新しいエネルギー政策であり、新しい産業起こしであり、お金の使い道が間違えているとしか言いようがない。政治はこうした「未来」を提示することが使命であり、仕事の筈である。

ところで、日本は昔も今も、小資源、省エネ国である。少ない資源を最大化させ、その使われるエネルギーを最小にする知恵と技術を持った国である。日本こそエコ先進国であり、エコ大国であったことを指摘する人は少ない。私はこのブログを通じ何回か書いてきたが、現在のライフスタイルの原型は江戸にあり、その変化の先に今日がある。江戸が循環型社会、リサイクル社会であったことを指摘する研究者はいるが、江戸がエコロジー社会であったその裏側にある思想を指摘する人はほとんどいない。
江戸は幕府ができた当初は人口40万人ほどであったが、「人返し令」が出るぐらい人口は集中し、当時の世界都市であるロンドンやパリをはるかにしのぐ130万人都市となる。しかも、流れる上水道をもっていたのは江戸だけで、識字率も高く文明の高さからも群を抜いた都市であった。つまり、世界でもまれに見る都市化がどこよりも早く進んだのが江戸であった。いわば都市化先進国であったということだ。別の視点に立てば、人口増加による環境問題も発生し、どのように解決していったかという良き社会モデルとしてある。
こうした良きDNAを受けていると思うが、東京都内では家電リサイクルショップが相次いでオープンし、服や靴のリペアショップも同様である。衣料品や靴などの下取り企画は圧倒的な支持を得てヒット商品となった。ところが、今回のエコポイント制度では薄型TVのサイズの大小によってポイント還元される。家電量販店は当然同じ費用であれば大きめのサイズを勧めるであろうし、顧客も大きめのサイズを選ぶと思う。結果、大型のものとなり、消費電力においては省エネというエコロジーには反することにつながる。まだ、法案が審議中であり、内容それ自体が変わると思うが、提示されたエコポイント制度の内容を見る限り質の悪い販促事業である。生活者は意味ある支援、助成を求めており、その「意味ある」とは未来につながる政策に対してであり、その道筋さえ示されれば、徐々に巣ごもりから脱するであろう。

ところで、このブログを書いている最中に兵庫だけでなく大阪にも新型インフルエンザの患者が発見され21名になったと報じられた。予定されていた神戸まつりは中止となり、パンデミックである。残念ながら、私が予測した通り、心理的には巣ごもり消費から冬眠消費へと向かいつつある。(続く)  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:57Comments(0)新市場創造

2009年05月13日

個人サイズの合理主義

ヒット商品応援団日記No366(毎週2回更新)  2009.5.13.

前回、「顧客に近づく」という日本小売業調査結果を踏まえ、なかなか消費の表舞台に出てこなかった「平成世代」について少し書いてみた。旧来の価値観や慣習がもろくも崩壊していく様を物心つくやわらかな幼少期〜青年期にかけて目の当たりにしてきた世代である。私はそんな醒めた目で見ざるを得ないこの世代を「20歳の老人」と呼んだが、その根底にある新合理主義がこれからの消費のキーワードになると仮説した。
実は、この新合理主義の前提となるのが、「過剰認識」である。逆に「不足認識」と言葉を変えても同じである。生活していく上で、何が過剰で何が不足しているかという認識である。これはコインの表裏であり、個人間、世代間、あるいは時代間で、この生活認識は大きく変わる。

昨日、伊勢丹吉祥寺店が来年3月に閉店すると報じられた。少し前には三越池袋店が51年間にわたる営業の幕を閉じた。流通の統廃合は競争市場下にあって常にある事だが、以前から指摘してきたように百貨店が対象とする市場は、いわゆる中流層で、この市場は既に崩壊してしまっている。昨年、H&Mが銀座に出店した時に、GAPやZARA、ユニクロによって最も影響を受けるのが百貨店のファッション売り場であると指摘したが、百貨店の収益を決めるファッションの不振は閉店という現実となった。今注目されているフォーエバー21も新宿マルイのリニューアル後のMDも全て同じである。マスメディアは総称してファーストフードのように気軽に手軽に買えるファッション業態として「ファストファッション」と呼んでいるが、ここにも新合理主義が見られる。

平成世代を老人のような醒めた目という表現を私は使ったが、おそらく回りからは過剰な情報が日々聞こえてくるのに、自分の声が届かないという失語世代であると思っている。「私は」、と発語する時、一体誰が認め、あるいは保証してくれるのかが分からない。自分自身を確認する手段を持ち得ない、手段を失ってしまっているように見える。今回の派遣切りの延長線上に内定切りもあり、マスメディアはかなり報道していたが、誰一人怒りや義憤をぶつける事はなかった。「言ったところで」、と沈黙する学生が多かったように言葉からも見捨てられているように見える。

この世代を「巣ごもり消費」の典型であると書いたのも、自分の手が届く範囲内でしか消費しない、行動しない、発語しない、という意味である。キリギリスよりアリ、冒険より安定、変革より保守、不満より不安、大より小、言葉より実感、・・・・・これからも続々とキーワードが出てくると思う。ベストセラーとなった森永卓郎氏の「年収300万円時代を生き抜く経済学」ではないが、身の丈サイズの幸せを手に入れる、そんな個人サイズの合理主義を想起させる。

この個人サイズの合理主義は平成世代ばかりでなく、他の世代、他のエリア(都市と地方)においても浸透していくと考えている。「何が合理であるか」が、あらゆる消費の最大キーワードになってくる。昨年のヒット商品の一つであるパナソニックの電球型蛍光灯のように価格は高いが長持ちし電気代も節約できて結果として安く済む、といった費用対効果を物差しとした合理主義もある。1年前から生活者の消費キーワードとなっている「わけあり消費」も、その「わけ」が合理的判断の物差しとなっている。数年前から始まっている単位革命、例えば大家族の場合は業務用食品ショップで大量に買うことが合理主義となり、単身者やDINKSのような場合は小単位、食べ切りサイズが合理主義となる。1980年代から始まった個性化の時代、好き嫌いが消費の第一義であった時代を終え、価格認識に基づく個人サイズの合理主義の時代に入った。(続く)  


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2009年05月10日

平成世代の幸福観

ヒット商品応援団日記No365(毎週2回更新)  2009.5.10.

5/8の日経MJに恒例となっている日本小売業調査の速報版が載っていた。巣ごもり消費に対する大手流通各社の考えを調査したものだが、結論から言うと「もっと顧客に近づく」ことが問われているとの認識である。それは価格において顧客に更に近づくためのPB化の促進、出店立地=より小さな業態出店やネットスーパーへの取り組みで顧客に近づく、あるいは特売といった売り出しの高頻度化で近づく、問題解決にはスピードを持って近づく、更なる経費の削減・・・・・ちょうど1年前に私はこのブログで安近短という消費キーワードを十数年ぶりに使ったが、まさにこのことが経営の現実課題として認識されたようだ。

前回、昭和と対比する意味で平成世代を取り上げた。その平成世代を私は「20歳の老人」というキーワードをつけてみた。表面的な消費欲望の乏しさだけでなく、多くの人から愛される性格の良さ、競争や闘いを好まない穏やかさ、そうしたことがどこか人生を達観しているかのように見えるからであった。しかし、内側に入れば、老人とは違って何故欲望が乏しいのか、誰彼となく好かれる性格なのか、穏やかであるのか、実はそこに見えてくるものがある。前回、この世代について不満はないが、不安があると書いた。その不安が何故そうなのか、「もっと平成世代顧客に近づく」にはどうしたら良いのか、少し考えてみたい。

ところで、平成世代の内側にある幸福感を見出す視座として、ノーベル経済学賞を受賞したダニエル・カーネマンらが研究したプロスペクト理論を私流に噛み砕いて、幸福観に影響を与える経済的な要因を整理してみた。

(A)絶対的な豊かさ:お金(収入や支出)に対する明確な価値認識
(B)他人と比較した豊かさ:誰と比較するのかによって揺れ動く心理
(C)以前の自分と比較した豊かさ:昭和のいざなぎ景気のように年々収入が増えるという比較実感した豊かさ

上記(B)が、いわゆる格差意識を醸成しているもので、新富裕層市場を産み出した背景である。勝ち組、負け組といった言葉が生まれる背景にもなっている。今回の世界不況によって、この新富裕層市場の多くは崩壊した。しかし、今年の後半位から新新富裕層市場の芽が出てくる事が予測される。
(C)は周知の通り、昭和のいざなぎ景気とは反対に、収入は増えず横ばいもしくは下がる情況で、「豊かさ」という幸福感が乏しいと感じている層だ。価格に対し、極めてシビアな認識と行動をとるのが特徴である。今回の高速料金割引制度で一斉に車で出かけた層である。しかし、予想を超えた混雑に対する学習もしており、毎回同じような消費行動を取るかと言うとそうではない。
(A)の「絶対的な豊かさ」とは、ある意味精神的な豊かさのことである。古くは功成り名を遂げた土光臨調と呼ばれた土光さんのような生き方、「私」を超えた社会価値に基づいた豊かさ実感と言えよう。象徴的に言えば、人生の先が見えたシニア世代の豊かさと言える。

平成世代(実際には25歳以下の世代で物心のつく年齢を平成元年以降とした意味合いで使っている)を見ていくと、絶対的とはいわないが、(A)のような価値観を持つに至っているように私には見える。「私」を超えたというより、「私」を押しつぶし、壊すような大きな時代の転換を目の当たりにした世代だ。政治的にはベルリンの壁崩壊後の米国一国主義による戦争の時代であり、社会経済では競争の時代である。日本ではバブルが崩壊し、多くの旧来価値観が壊れ、しかしゆとり教育を受けて育った世代である。ある意味価値観混乱の当事者ではないが、それらを肌身で感じていたと思う。(B)のような競争を嫌う一種の平和主義者で、しかも人間関係で言えば、愛するより愛されることが自然で楽であると考えている世代だ。しかも、(C)のような未来実感、そんな時代がくるとは思わない醒めた目をもっている。

消費面では、「そこそこ消費」という無理をしない消費で、勿論ブランドなどには全く固執はしない。例えば、シニア世代だとビールはやはりラガーにかぎるといったこだわり志向があるが、それとは逆に、ビールの味に価値を見出すほどの差を感じないので安い第三のビールで十分と考える。女性とデートするにも、チョット無理してホテルで食事をといった消費ではなく、気楽にできる彼女の部屋でデートするといった具合である。勿論、近くのコンビニで第三のビールを買ってであるが、こうした合理性、ある意味安近短の合理性を持っている。ここ数年、若い世代の車離れが指摘されているが、このことも至極当然である。無理して車を所有するより、車を借りるか、もしくは公共の移動手段を利用した方が楽で安く上がる。つまり、所有価値より使用価値を選ぶ合理主義者という訳だ。
新しい、珍しい、おもしろいを求めて「外」へと動き回っていた消費は、収入が増えないという経済事由によって、「内」へ、安近短へと向かう状態、これが「巣ごもり消費」である。しかし、平成世代はその若さから本来であれば未知への体験願望があり「外」へと向かうのだが、最初から醒めた目で「巣ごもり」しており、安近短は至極「普通」のこととしてある。これが平成世代の豊かさ認識で、キーワード的にいうと「小さな幸福」願望とでも言えよう。

最近、妙に平成世代のことが気になっている。日本の未来を映し出している世代と言ってしまえばそれで終わりであるが、生まれた時から続く今ある混乱を醒めた目で見ていると思うからである。それは、平成世代の「私」は時代の大波に翻弄されるがままに「今」があるからだ。私のような団塊世代以下が創った「重し」、既成によって、「小さな幸福観」が表へと出てくることはない。私は「20歳の老人」と呼んでみたが、平成世代を揶揄するつもりではない。よく若者らしさがない、元気がない、草食系男子などと「大人」は言うが、そんなノー天気な楽観主義の世界に平成世代は生きてはいない。平成世代の「小さな幸福観」は、醒めた合理主義に裏打ちされたものだ。その新しい合理主義がこれからどんな顔で社会の舞台に出てくるか注目していきたい。(続く)  


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2009年05月06日

昭和がまた一人亡くなってしまった

ヒット商品応援団日記No364(毎週2回更新)  2009.5.6.

5月2日、忌野清志郎さんが亡くなった。井上陽水、吉田拓郎といったミュージシャンの少し後からのスタートであったが、私たち団塊世代にとって、青春の風景には必ず出てきたミュージシャンの一人である。勿論、ロックとフォークというジャンルの違い、好き嫌いでいうと陽水・拓郎派と清志郎派とに大きくは分かれていたと思う。私はどちらかと言うと前者であったが、友人の一人は清志郎フアンであった。しかし、音楽のジャンルを超えて共通していたことは、時代に素直に向き合う、そこに生きている「人間大好き」を表現したミュージシャンであった。陽水と同じように社会問題をテーマとし、「原発賛成音頭」のように時に物議をかもす、反骨のロックミュージシャンのように言われるが、それも多くの音楽専門家が言うように根底にはリズム&ブルースがある。1990年代末、渋谷109に集まった山姥・ガングロの30年も前に、歌舞伎役者のような婆娑羅スタイルで時代を駆け抜けた。「昭和は死んでしまった」と言い残して亡くなったのは、日本のブルース、歌謡曲を書いた阿久悠さんであるが、また一人昭和が亡くなってしまった。

今、忌野清志郎さんと井上揚水の二人が創った「帰れない二人」を聞いている。

思ったよりも夜露は冷たく
二人の声もふるえていました
「僕は君を」と言いかけた時
街の灯が消えました
もう星は 帰ろうとしてる
帰れない二人を残して

・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・

もう星は帰ろうとしてる
帰れない二人を残して    
作詩:井上陽水・忌野清志郎 作曲:井上陽水・忌野清志郎

「帰れない二人」は、今一人になって、何を想っているのであろうか。井上陽水の初期の楽曲に「人生が二度あれば」がある。この曲は亡くなった父を想って創った曲であるが、清志郎さんを想った曲を私は是非聴きたいと思う。
一昨日行われた通夜はロックコンサート会場になり、代表曲「雨あがりの夜空に」のアンコールで送り出したという。いってらっしゃい、清志郎さん。
言葉の原初的発生は、最初はまさに音であった。うれしかったり、悲しかったりそうした感情は音、つまり表音としてあった。そうした音を人類は表意として、地域ごとに時代ごとに言語として制度化してきた。そうした意味で、音楽は原初としての言葉であった。ニュースに声を与えてくれたのは亡き筑紫哲也さんであったが、清志郎さんは時代に言葉を与えてくれた一人だと思う。

前回、新型インフルエンザの危機によって、巣ごもりから冬眠消費へ向かう、と私は書いた。自己防衛意識は、更に強まるとも。つまり、言葉が届かない、受け付けない時代に進んでいくということだ。いや、最悪の場合は失語の時代を迎えるかもしれない。病気としての失語症は、脳の言語野が損傷することによって起こるのだが、マスメディアはまるで失語症の如く、言葉を発する言語野が損傷している。

昭和という元号が平成に変わったのは1989年であった。周知のように、日本の1989年はバブル絶頂期で株価は38000円を超え、ベルリン崩壊という東西冷戦のイデオロギー対立が終焉した年であった。生活という次元で言えば、収入が右肩上がりであった昭和とバブル崩壊後数年は世帯収入は上がるが1998年以降右肩下がりの時代へと分かれる年である。
本格的な分析を今後していきたいと思っているが、バブルが崩壊する1992年前後を境に生活価値観は根本から変わる。大きな分水嶺となる時代論であり、世代論でもあるが、1980年代後半に生まれた平成世代、25歳以下の若い世代の消費行動とその価値観、それ以前のポスト団塊世代40代半ば以上の昭和世代とを比較してみると明確な違いが分かる。

仮説はこうである。25歳以下の平成世代が物心がついてからどんなことが経済・社会で起きてきたか、物質的にはモノが溢れ、個室ばかりかPHSや携帯電話という個人単位の生活が当たり前の時代であった。しかし、同時に昭和の価値観が目の前で崩壊していく様を実感する。大企業神話、金融神話、終身雇用、年功序列、受験戦争、・・・・・こうした過去の価値観に替わってITビジネス、グローバリズム、成果主義、ゆとり教育、大学全入時代・・・・新しい平成の価値観に遭遇するのだが、経済でいうと右肩下がりの時代しか経験しておらず、不安はあっても不満が生まれる背景は持たない世代である。

この昭和世代と平成世代を対比して見ると、不足・欠乏感vs充足・不安感、モノ(ブランド)価値欲求vs情報(個人)価値欲求、消費・変化欲求vs貯蓄・安定欲求、競争vs非競争、変化受容vs保守維持、このように整理できる。不安感はあっても不足感の無い平成世代にとって、草食系男子と呼ばれるように消費欲望としては乏しい。しかし、モノを買わない訳ではなく、先日原宿にオープンした「フォーエバー21」のように、1万円あれば上から下まで全て揃うといった商品であれば買う世代である。また、これも先日リニューアルした新宿マルイの売り場を見てもわかるが、服と同じ位アクセサリーや小物雑貨が置かれ、どれも1000円〜3000円といった安さである。昨年のヒット商品となった柄タイツの主要購買層である。

話は元に戻るが、新型インフルエンザを含めこの平成世代こそ自己防衛に走る。いや、既に自己防衛的生活を送っていると言った方が正確であろう。団塊世代は若かりし頃「坂の上の雲」を目指したが、平成世代にとって「坂の上の雲」はない。この世代にとって安定・安心が最大のキーワードである。忌野清志郎さんの訃報を聞いて、ふとこの平成の時代、その申し子である世代を考えてしまった。以前、このブログにも書いたが、昭和と平成との段差は大きいと。清志郎さんが58歳の若者であるのに対し、目の前で多くの価値観崩壊を見てきた平成世代はまるで「20歳の老人」であるかのようだ。(続く)  


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2009年05月03日

巣ごもりから冬眠消費へ

ヒット商品応援団日記No363(毎週2回更新)  2009.5.3.

3月31日から東京上野国立博物館で行われている「阿修羅展」には連日1万人を超える入場者があり、4月28日には30万人を超えたと報じられた。奈良・興福寺所蔵の天平文化を代表する仏像が一堂にそろう特別展であるが、入場者はというと、従来であるとシニア世代の愛好家がほとんどであったが、20代、30代の若い女性がかなり多く見受けられた。この「阿修羅展」に先だって東京世田谷美術館で行われた「平泉 みちのくの浄土」も同様に若い世代の入場が多かった。

小柄で小顔の美少年のようだと、阿修羅像に魅入る女性達を「アシュラー」と呼ぶそうだが、どこかマスメディアのやらせのような薄っぺらさを感じる。が、そんなレッテル貼りに関係なく、ここ数年若い世代の仏像、いや日本文化への愛好家は着実に増えている。修羅場の語源となった阿修羅は帝釈天と絶えず戦争をする鬼神であり、後に仏に帰依する。そんな阿修羅像に魅入る女性を「アシュラー」と呼ばれようが、日本の歴史文化の興味の入り口でありさえすれば良い。中尊寺金色堂のきらびやかさも、平泉一帯を浄土の庭とした仏教文化の入り口でありさえすれば良いのだ。1300年前の仏像を通し、日本の精神世界に触れ、内省する良き機会である。

柳澤桂子さんの「生きて死ぬ智慧」や「えんぴつで奥の細道」のベストセラー以降、変わらぬ静かなる禅ブーム、宿坊顧客の増加、精進料理や声明への注目。あるいは阿寒グランドホテル鶴雅におけるアイヌ文化の取り入れに代表されるように、地域の固有な風土、文化への注目。こうした今も残る日本の精神文化を取り入れていく傾向の中に、今回の一連の仏像展への注目もある。こうした傾向は、昨年のサブプライムローン問題を引き金とした金融危機や実体経済の危機といったグローバリズムが、ある意味促進しているとも言える。戦後60数年、「外」へ、「世界」へ、ライフスタイル的に言えば「洋」へと振れ過ぎたことに対する振り子現象の一つである。振り子は「内」へ、「日本」へ、そして「和」のライフスタイルへと揺れ戻しの中にある。

ところで、ここ1年ほどマスメディアが流す情報の中に、実は無くなっているキーワードがある。常に表層をなぞり、情報消費を促すのがマスメディアと言ってしまえばそれで話は終わってしまうが、無くなったキーワードの一つが「スピリチュアル」である。更に言うと「癒し」でもある。つまり、従来あった精神世界、心の世界の商品化が終わろうとしているということだ。終わったのは勿論単なる表層をなぞっただけの「スピリチュアル商品」であり、「癒し商品」である。
もっと分かりやすく言おう。1年半ほど前までは、占いがブームであったり、あるいは「癒しのリゾート」「癒しの宿」「和に癒される」といったテーマがTV番組を始め、雑誌などを賑わしていた。さて、結果は言うまでもなく、そんな時代ではなくなったということだ。

前号で「パンデミックへの免疫抗体」というテーマ、不安心理のパンデミック(感染爆発)について書いた。案の定、その一つである新型インフルエンザの「感染の疑い」という不確かな情報によって、政府・自治体は右往左往大騒ぎした。1日も経たない内に、メキシコの感染者数や死者数が大きく修正されたが、マスメディアは明確な根拠を示すことなくあいまいなままである。しかし、生活者はそんな情報によってパニック状態に陥りはしない。生活者にとって、問題は新型インフルエンザだけでなく、もっと大きな深い「危機」に対して感じているからだ。そんな本質としてのパンデミックが訪れていると指摘した作家辺見庸が、5月9日早稲田大学大隈小講堂で講演を行う。テーマは「暴力の時代 言葉に見はなされるとき」とある。作家として言葉を紡ぐことを生業(なりわい)としている辺見が、最早自身の言葉で語りえない、誰の言葉も及ばない暴力というパンデミックの時にきているとの認識。いや認識というより、脳溢血で倒れ、更に癌でおかされた辺見庸の叫びである。

消費という人間が本質として持っている欲望の変化と推移を見ていくと、その時々の経済や社会、あるいは政治が見事に映し出されていることが分かる。今回の新型インフルエンザは遅かれ早かれ日本にも感染者が出てくると思う。更には、そのウイルスを制圧しえたとしても、冬に向かって更に変異したウイルスが出現するかもしれない。こうした一連の危機と共に政府の過剰な「隔離政策」によって、ヒトもモノもその移動が制限され、経済ばかりか心までもが否応なく「内」へと向かうであろう。消費の傾向は「巣ごもり」から「冬眠」へと向かう。今までの消費キーワードである安近短は、更に安く、更に近場で、更に短く、「あれこれチョットづつ」は「これだけチョット」となり、回数も更に減る。例えば、食のガツン系は冬眠を前にした栄養補給の様相さえ見せるようになる。既に始まっている家庭内充実は家庭内防衛へと進み、こうした自己防衛の傾向は新たな氷河期時代のライフスタイルキーワードとして出てくる。

こうした消費の自己防衛ばかりか、働き方も自己防衛的なものとなる。既に、その兆候は出てきているが、休日や時間外のアルバイト、サイドビジネスが盛んになる。収入の補填もあるが、見えない未来への模索である。この模索は、一つは資格取得という形になって現れてくる。英検や漢検といった就職に有利といった資格ではない。もっと実ビジネスに即した行政書士や中小企業診断士のような安定した仕事に向けた資格だ。つまり、仕事における安定志向を超えて、積極的な防衛策が始まったという事だ。嫌な言葉だが、企業ばかりか個人までもが生き残りをかけた氷河期を迎える。

冬眠消費というと、まるでモノが売れない時代のように考えがちであるが、決してそういうことではない。むしろ逆なのである。勿論、消費全体としてのパイは縮小する。しかし、売れる商品、売れる店、売れるサービスは一カ所に集中する。今回の高速料金割引制度による高速道の大渋滞のように、一斉に一カ所に集中する現象が現れる。しかし、GW期間中にあって、高速道の1000円効果は50km60kmといった大渋滞による学習体験によって、効果は一過性で終わる。しかし、氷河期にあっては、メーカーであれ、流通であれ、競争結果として寡占化が進み、上位数社のみが市場を占有するということになる。つまり、そうした意味のヒット商品が生まれるという事だ。(続く)  


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