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ヒット商品応援団
「人力経営」という本を書きました。ヒット商品の裏に潜んでいる「人」がテーマです。取材先はダスキン、エゴイスト、野の葡萄、叶匠寿庵、桑野造船の経営リーダー。ユニーク、常識はずれ、そこまでやるのか、とにかく面白い経営です。星雲社刊、735円、新書判。

2006年10月29日

いざなぎ景気と格差意識 

ヒット商品応援団日記No111(毎週2回更新)  2006.10,29,

今回の景気回復(2002年〜2005年)について、1960年代からの高度成長期のいざなぎ景気(1965年11月〜1970年7月/57ヶ月間)を超える順調な景気回復であるとニュースで報じられている。生活実感からはかけはなれた情報との指摘があるが、至極当たり前である。いざなぎ景気時代は平均成長率11.5%、一方今回は2.4%で、物価変動を踏まえない名目では18.4%と今回わずか1.0%である。生活実感ベースで見ていくと、いざなぎ景気時代の雇用者収入は2.1倍に、今回は逆に1.6%減となっている。嘘の情報とは言わないが、そもそも比較する事自体がおかしい話で、恣意的な情報と言われても仕方がないと思う。いざなぎ景気時代には3C(カラーTV、クーラー、車)と言われた消費ブームが起きたが、今回はせいぜい薄型TV位が売れているだけで、あのマクドナルドも「100円戦略」に戻ったようにデフレは今なお続いている。都心部の百貨店では高額時計やジュエリーあるいは一尾700〜800円もする釧路の青刃さんまが売れているが、一方CVS既存店の売り上げは横ばいもしくは減少傾向にある。その内容を見ても、小さな付加価値商品による利益重視型の戦略を取っているのが実態である。

是非経済の専門家による本格的な分析を得たいと思うが、「失われた10年間」は多くの人が指摘しているように「3つの過剰」を取り去ることであった。3つの過剰とは人、設備(流通)、融資(投資)でいわゆるリストラを行い、人についても正規雇用は増やさずパートやアルバイトにてまかない、そうしたしわ寄せが中小企業へと波及していった訳である。周知のように日本の雇用者数の70%は中小企業である。この構造は大企業が集まる都市部と地方との関係でも同様である。こうした格差が生まれた背景には、グローバル化という世界的な競争と技術革新、特にIT技術の活用による合理化があった。今日、少子高齢化、生産年齢人口は10年前から既に減少しており、いざなぎ景気の時のように若い労働力が経済を引っ張っていくことはない。誰もはっきりとした指摘をしていないが、この10年で「過剰」をなくしていくことから、結果として「格差」が生まれてきた訳である。いざなぎ景気以降1980年代までの生活者意識は「一億総中流意識」と言われるように70%を超える人たちが幸福感を感じていた。しかし、今多くの人たちにはそうした幸福実感はない。

さて、この「幸福感」という生活者心理についてであるが、団塊世代以降の人はまだしも「立って半畳、寝て三畳」という比喩は今の若い世代には通用しないと思う。何を持って「幸福」なのか、その心理については明確な物差しはない。常に揺れ動くのが心理である。全て解き明かしている訳ではないが、経済の分野でノーベル賞を受賞したダニエル・カーネマンらが研究したプロスペクト理論は一つの参考情報にはなると思う。幸福感に影響を与える経済的な要素としては、
(1)絶対的な豊かさ:お金に対する明確な価値認識/立って半畳寝て三畳のような価値観
(2)他人と比較した豊かさ:誰と比較するのかによって揺れ動く心理
(3)以前の自分と比較した豊かさ:いざなぎ景気のように年々収入という形で比較実感した豊かさ
以上の三つの要素があると考えられている。今日の格差実感はこの(2)の心理状況によるものが大きい。特に、「ヒルズ族」、あるいは「ホリエモン的」成功といったこととの比較が今日のマイナスとしての格差意識をより強めていると思う。(3)については収入実態はマイナスであることから、より(2)の格差意識を強めていくこととなる。(1)については団塊世代以上のシニアにとって人生価値としての意味はあるが、若い世代にとっては全く異なる共感しがたい世界である。これが、生活実感としてのいざなぎ景気と今回の景気回復との違いである。
勿論、整理のための整理であり、(1)(2)(3)は相互に影響し合い絡み合ったものである。こうした経済との関連での豊かさ、別な言葉でいうとモノの豊かさについてである。しかし、お気づきのように、もう一つの豊かさである精神的充足、こころの豊かさが求められている。このことは格差を是認しているのではない。ところで、モノもこころも豊かであることを目指している企業、そこに働く人たちがいる。次回はそうした企業、福岡の「野の葡萄」について報告してみたい。(続く)  


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2006年10月25日

コミュニティ再生への視座 

 ヒット商品応援団日記No110(毎週2回更新)  2006.10,25,

2006年のノーベル平和賞を、貧困撲滅に尽力したバングラデシュの経済学者、ムハマド・ユヌスさんと同氏が創設したグラミン(村落)銀行に授与すると発表したことは周知のことと思う。ニュースでは、受賞理由として「ユヌスさんは1983年、バングラデシュで貧困にあえぐ農村女性らを対象に無担保小口融資を実施する同銀行を設立。融資を受けた女性らが、工夫をしながら新たな収入源などを確保し、返済を実現。グラミン銀行の手法は、マイクロ・クレジットとして世界各国に広がった」と報じた。実はこのニュースを聞いた数日後に好きな沖縄に出かけ、訪沖の理由の一つであるライブハウスで面白い光景を目の当たりにした。それは、「もあい」(模合)と呼ばれる無尽、講の一つが、そのライブハウスで行われていたからである。同級生や親族、地域の仲間、経営仲間といった小さな単位のメンバーが親睦や助け合いを目的に定額のお金を積み立てて順番に飲み代や旅行、場合によっては資金繰りにも使われる金融の仕組みである。沖縄には未だこんな金融の仕組みが日常化していることに少々驚いた。今国会で論議されている消費者金融に関するあり方とは特例措置が撤回される方向に進んではいるものの、全く逆の助け合いの仕組みが沖縄には生きているのである。私は金融のプロではないが、もあいもマイクロ・クレジットもその仕組みの背景にある精神は同じだと思う。

5月2日の「家族のゆくえ」で個人化の進行に伴う多くの問題点と解決の芽についてふれた。家族という単位が崩壊し、最小単位の個人が社会の単位となった時代についてである。そして、バラバラとなった個人を今一度つなぎ直す試みが始まっており、そうした試みの総称として「コミュニティの再生」というキーワードが使われている。別の視点からいうと、唾棄すべきは過去にあり、過去を振り返るな、と言ってきた「考え方」の見直しと見るべきであろう。例えば、村落共同体、家制度は家父長制という封建制度の名残である、と全てを否定してきたのが戦後60年であった。しかし、子育て一つとってみても、祖母の手や目を、あるいはご近所の人たちの力を借りて育ててきた訳であり、若い母親にとって決定的に足りないのは経験であった。今、ららぽーと豊洲のキッザニアに注目が集まっているが、仕事という社会を幼い時から経験させたいとする思いから若いお母さんと子供たちで一杯である。別な視点で言えば、家あるいは社会という経験をサポートしてくれる「世間」が既にないという事実であろう。そうした世間を作ろうと、コミュニティ再生の一つである住居、住まい方として、英国を発祥の地としているコモンランドという考え方を導入しているところがある。コモンランドとは小さな公園・広場という意味で、その公園を囲むように住居を配置した暮らし方で、子供の遊び場である公園を互いにご近所が見守るようなかたちとなっている。この考えを導入しているのが、福島県伊達町諏訪野であるが、出生率は高いと言われている。こうした例を見るまでもなく、沖縄の離島を始め大家族世帯の多い地域では出生率は高く、東京目黒の出生率は全国最低の率である。あまり論議されていないが、少子化という課題についても、コミュニティという視座が必要であることは言うまでもない。

私はコミュニティ再生によって新たな市場が生まれてくるとこのブログでも書いてきた。都市が失ってしまったものの回復に最大の市場機会がある。今注目されているキッザニアに「社会体験」があるように、社会システムを変えていく入り口にある「体験」がこの時代のキーワードとなっている。失ってしまった自然の体験、野生の体験、それは農業だけでなく、漁業にも当てはまる「社会体験」である。農家にとって重労働である稲刈りばかりか、薪割りや雑草取りですら有料の体験観光(つばさツーリスト:http://www.e-toko.com/)になる時代である。農家や漁師の家の普通の家庭料理が身体によく、しかも美味しい料理観光になる時代である。それほど失われたものが大きくなっているということだ。このブログでも以前取り上げた金沢21世紀美術館の成功も、現代アートというテーマを子供たちの遊びという良き「文化体験」を提供しているからである。私の持論であるが、体験すべきは「自然・健康」「家族・関係」「歴史・文化」である。団塊世代が第二の人生をスタートさせる2007年、次代への継承という意味を含め、この「体験市場」は大きく顕在化する。(続く)  


Posted by ヒット商品応援団 at 14:02Comments(0)新市場創造

2006年10月22日

都市別荘  

ヒット商品応援団日記No1089(毎週2回更新)  2006.10,22,

六本木ヒルズがオープンした時、盛んにいわれたことの一つに「職住近接」「職住一体」があった。ある意味で「時間」を買うことに他ならない働き方、生活の仕方である。数年前から深夜時間帯のTV視聴率が上がり、また早朝の時間帯では英会話スクールやスポーツジムが盛んである。「24時間化」というキーワードはCVSの成長とパラレルで15年ほど前に流行ったが、今や日常になっている。春夏秋冬、四季という自然時間感覚は、都市生活者にとって既に失ったものであるが、24時間1日及び1週間という時間感覚は社会時間ということもあって、かろうじて残ってはいる。私たちはこうした時間に追われる生活から、ひととき休みを取ってリゾートなどで癒されることとなる。ちなみに、1960年と2000年との睡眠時間を比較すると、40年間で50分も減少している。新しく得た50分の多くは自由時間として使っている。このブログでも様々な視点からライフスタイルを見てきたが、新しい時間の使い方が「都心回帰」によってどう変化していくのか、その芽が出始めている。

既に死語となったことばの一つに「ベッドタウン」がある。団塊世代にとっては通勤ラッシュとともに実感することばであるが、若い世代には意味が分からないと思う。ベッドタウンとは東京でいうと多摩ニュータウンのように通勤に1時間以上かかる郊外にある住居、そのライフスタイルを総称していた。昼間働き、夜寝に帰るという意味のベッドタウンである。こうしたライフスタイルは2000年頃から大きく変わることとなった。これが都心回帰で、都心の地価が下がったことと規制緩和による住居の高層化により、求めやすい住居価格になったことによる。今や、人口流出が激しい多摩ニュータウンでは空室が多いだけでなく、お年寄りもまた多く孤独死などの対策に追われている状況となっている。
さて、こうした都心回帰による新しいライフスタイルを本格的に見せてくれたのが豊洲一帯の再開発である。六本木ヒルズが特定の人たちの職住一体型の街であるのに対し、銀座までわずか10分という豊洲地区は多くの人が購入しえる価格帯の住居が約2万戸予定されており、文字通り開かれた街となる。特に、目の前には東京湾があり、潮風を日常的に感じ取れる海浜リゾートとしての条件も備えている。

ところで、その豊洲の中心となる、「ららぽーと豊洲」へ行き2時間ほど歩いてみた。ある意味で商業はそこに住む人たちの生活未来を映し出すものであり、どんなライフスタイルがそこから見えてくるか興味があったからである。日本初、東京初というショップもあるが、そうした個々のショップについては後日取り上げてみたいと思うが、ここではテナント構成とゾーニングから見えてくるものに絞ってみたい。テナント構成については子育てファミリーをかなり意識しておりギャップキッズに代表されるように価格帯もかなりリーズナブルになっている。当たり前であるが、アパレルファッションもカジュアルなものが中心でスーパーブランドは皆無である。つまり、日常型高頻度使用型のテナントである。また、キッザニアに話題が集まっているが、シネコンや東急ハンズ、スポーツクラブなど休日型テナント・施設が多くなっている。もう一つの大きな特徴は、石川島播磨重工のドッグ跡地の再開発ということから、ドッグを囲むようにオープンテラスの飲食施設が配置されている。いわゆるリゾートホテルのオープンエアーのカフェなどをイメージされたら良いかと思う。植栽が未だ根付いていないため、海浜リゾートの雰囲気は乏しいが、数年先には散策やファミリーの良い遊び場になると思う。つまり、旧来はリゾートと言えば非日常、休日のものであったが、日常の中に、都市の中に、リゾート・休日を取り入れた生活未来を描いていると私は思っている。私は、そんな街づくりコンセプトを「都市別荘」と呼んでみた。NYはマンハッタンと比較する人もいると思うが、数年先には豊洲はTOYOSUという新しいライフスタイルが生まれてくると思う。つまり、モノの豊かさから、時間を楽しむ豊かさへの転換が、このららぽーと豊洲が描くライフスタイルであると思う。(続く)  


Posted by ヒット商品応援団 at 14:33Comments(0)新市場創造

2006年10月18日

私のWeb2.0 

ヒット商品応援団日記No108(毎週2回更新)  2006.10,18,

今年の春「ウェブ進化論」(梅田望夫著ちくま新書)を興味深く読んだ。多くの方も読まれていると思う。流通業は情報産業であらねばならないということはかねがね認識していたが、インターネット、Web上の分からなかったことがよく理解できる本であった。私はWebにおける技術者ではないので、著者の梅田さんのように直線的にWebによる変化という未来を想像することはできない。今、私はいみじくも直線的という形容詞を使ったが、どんなにテクノロジーが進化しても、それを使うのもまた人間であることを含め、こころまで100%管理(=検索)されることはないと考えている。特に、常に揺れ動く心理的市場下にあって、心を読み解くことは現時点では不可能だと思っている。しかし、この半年常にこの「ウェブ進化論」、というよりグーグルやアマゾン、あるいはYahooや楽天市場のことを考えてきた。梅田さんがWebの「こちら側」と「あちら側」とに分けて書かれている整理はよく分かるが、私自身はどちらかと言うと「こちら側」の人間である。テクノロジーの理解が遅れている私でも、Web上には既に独自の大きな「経済圏」という消費社会が出来ていること位は知っており、更に巨大化していくことも理解している。また、若い世代がチャレンジしようとしている世界であることも知っている。

丁度1年半ほど前、元ライブドア代表の堀江さんがニッポン放送株(フジテレビ)の買収における記者会見でWebの未来について語ったことが未だに忘れることができない。堀江さんは「テレビで放映されたタレントのつけている衣装など欲しいものがあればネットですぐ買うことができる」とTVメディアとネットとの融合を話していた。当時、私の感想は、そんなことは雑誌メディア(ペイドパブリシティ)でもどこでもやっていることであり、テレビでは未だやっていないだけで、そんな新しい発想でもビジネスモデルでもないと思っていた。しかし、梅田さんが書かれた「ウェブ進化論」を読んで、堀江さんとは全く正反対の世界、「あちら側」に未来を見ていこうとしていることが分かった。それはグーグルの考え方の世界と同じであると思うが、気になることが一つだけあった。その著書の中で電子メールというプライベートな通信の中にも広告を忍ばせようとするグーグルの考え方にふれて、「作業は全部コンピュータが自動的にやるんです。そのプロセスには人間は関与させません。悪いことをするのは人間でコンピュータではありません」とその考えを引用されている。極論ではあるが、人間は信頼できないが、インターネットという「向こう側」にある不特定多数無限大に対しては信頼、信奉できるという考え方である。

ところで、ここまでの不特定多数無限大への可能性追求とまではいかないが、こうした発想でアナログとして小売りをしている企業はある。私の知る限り、ロングテールにおける可能性をMDの中心に置いているのはジョイフル本田であろう。いわゆる専門量販のホームセンターであるが、”ジョイフル本田に無かったら他にはない”と言われるほど「死に筋商品」を集め、5円のビスのバラ売りをする会社である。ちょうどアマゾンが死に筋の書籍の可能性、ロングテールに着眼したことと発想は同じである。勿論、広域商圏とはいえ狭いエリアのジョイフル本田の店舗と全世界という不特定多数無限大の可能性の中でのアマゾンとは比較にはならないが、ロングテールによって生まれる「たった一人の顧客発見」と「その顧客満足の提供」という意味では同じである。「あちら側」の情報発電所という不特定多数無限大に開かれたゲートに入れば、個々の意志によって満足が得られる世界である。私に言わせれば、そこにあるのはインターネットの「あちら側」と目の前に顧客がいる「こちら側」の違いだけである。グーグル流に言えば、「こちら側」は「悪いことをする人間」がサービスをする可能性があるビジネスと言えよう。しかし、人の成長によって企業の成長を目指そうという企業もまた存在する。「悪いことをする人間」も、良いことをする人間へと変化するのもまた人間であると思っている。たった一人の顧客の心を動かすことを目標に、「こちら側」で理想を目指していくのが、私にとってのWeb2.0である。そうした理想をもった企業を10月末から訪問していくが、このブログでもまた紹介していきたい。(続く)  


Posted by ヒット商品応援団 at 11:41Comments(0)新市場創造

2006年10月15日

ピュアライフスタイル 

ヒット商品応援団日記No107(毎週2回更新)  2006.10,15,

このブログでも何回か「ふるさと回帰」「普通への回帰」など回帰現象について書いてきた。前々回、おふくろの味は既になく、食堂や給食がおふくろの味の代わりを果たしており、商品開発の着眼になるのではとも書いた。私の持論であるのだが、工業化による自然や健康、あるいは近年ではIT技術による労働の平準化と更なるスピード、こうした変化によって失ってしまったものの取り戻しが回帰現象となって現れている。勿論、文明を否定するわけではないが、「過剰さ」に対する見直しが一人ひとり生活のあらゆるものに対し始まっていると考えている。回帰という記憶はいわばPCのメモリーのようなもので、次から次へと新たな記憶によって上書きされていく中、古いファイルから見つけ出す作業に似ている。
東京以外の方には不思議と思われるかもしれないが、昨年には都心のビルの屋上でミツバチを育て蜂蜜を採集するプロジェクトやJR北千住ルミネの屋上では大江戸屋上菜園が作られ野菜づくりが始まっている。ルーフソイルという泥炭を原材料とした魔法の土の開発により、コンクリートで固められた都市の再生が更に発展していくであろう。また、日本橋では大手デベロッパーとNPOが中心になって、古き江戸の界隈性を残そうと街作りプロジェクトがスタートしている。

こうした原点回帰における「原点とは何か」を発見することがヒット商品への入り口となる。原点とは、元、素、根、源、基、つまり多くのものの拠り所となる「もと」である。いろいろあるけれど、最後には何ですかと引き算をして残ったものである。足し算に足し算を重ねてきた過剰さへの見直しである。例えば、既に日常生活に取り入れられている一つに「塩」がある。美容やダイエットにも使われてきたが、素材の持ち味を生かすために塩にこだわった食が評判となっている。野菜、刺身、肉、といった素材に対し塩で食べるといった料理法だけでなく、塩だれのカツ丼やジンギスカンにまで出てきている。つまり、こだわりという視点に立つと、「加工」から「原素材」への回帰と言えよう。料理人だけの料理から、生産者、農家や漁師さんの手による料理も注目されてくると思う。つまり、素材の生かし方や健康に良い調理法を一番知っているのは生産者ということによる。また、加工しなければならないものがあっても、例えば煮すぎない、焼きすぎない、つまり手を加えすぎないといったこととなる。今、さんまが旬で一尾100円からの庶民の味となっているが、釧路で水揚げされた青刃さんまは船上で冷蔵され30数時間後には店頭に並び、都心の百貨店では一尾800〜900円で飛ぶように売れている。1年365日、冷凍技術によりさんまを食べることができるようになった。しかし、この時だけ、しかも漁師さんたちが地元で食べていた鮮度を食することができることへの「価格」が800〜900円ということだ。

引き算をしてなお残るものと言えば、水、光、土、空気(酸素やオゾン)、木、石、といった命にかかわることや最低限の生活に必要なものである。ここでは詳細については取り上げないが、それぞれについて思い浮かべれば、ヒット商品が出てくると思う。ご当地ウオーターではないが、ハイキングやトレッキングあるいは五街道ウオークの主要メニューに、森林浴ならぬ水を巡る旅が加わっても面白いと思う。不眠解決には、朝太陽光を浴びることが一番であるが、逆に明るすぎる夜に対し、電気を消して、小さな明かりのもとで暗闇を楽しむことにヒット商品が生まれるかもしれない。既に東京では裸足で遊ばせる幼稚園があるが、土と戯れるような体験農園や家庭菜園などが更に流行ると思うし、場合によってはコンクリートをはがして自然の土に戻していくような動きもこれから起きてくると思う。つまり、居心地の良い過剰さから、人間が本来もっている生命力を自ら活性するような商品やサービスの芽が随所に出てくる。ライフスタイル的にいうと、1970年代にも流行ったキーワードであるが、「シンプルライフ」ということになるが、次代の違いを踏まえて言うと「ピュアライフ」とでも呼べると思う。例えば、部屋の中にはあまりモノを置かずに、空間そのものの良さ・美を求めたり、材質や素材にこだわりそれらを生かしきるようなデザインのものが好まれる。引き算をしてなお残るものとは10年、20年と使い続けられるものである。私は美学研究者ではないが、日本の生活芸術に着眼した柳宗悦のような生活美の世界へと向かいつつあるような気がしている。数週間前に「デザインが変わる」で書いたが、皆川明さんや佐藤可士和さんのデザインを見ても、そうした傾向が読み取れる。(続く)  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:56Comments(0)新市場創造

2006年10月11日

働き方さがしの時代  

 ヒット商品応援団日記No106(毎週2回更新)  2006.10,11,

労働基準法改定の論議が盛んだ。ほとんどの日本人がホワイトカラーになり、工業化社会の時代とは違って、「時間で働く」ことの意味合いが変わってきたことによる。そして、論議を加速させているのが、グローバリズム、競争力という怪物である。1992年、バブルの崩壊と共に多くの企業において成果主義が取り入れられ実施されてきた。しかし、一部営業主体の企業においては成果主義の成果が得られたものの、多くの企業にとって成果は得られてこなかった。そして、追いかけるように2000年頃からどれだけ人の意欲を高められるか、モチベーション論議が盛んになった。そして、プレゼンテーションテクニックや営業ノウハウなどのハウツー本が書店に並ぶようになった。つまり、この10年間の論議は極まるところ「人の生産性」につきる。その生産性すらも「時間で働くのか」、「成果で働くのか」といった2者択一的論議ばかりである。更に、IT技術の進化により、労働の平準化、つまり一定のスキルさえ持てば、誰でも同じ仕事ができるという環境が作られつつある。そして、仕事をする場は、自宅、出先、会社など多様になってきている。こうした傾向はJRの通勤定期券の減少というかたちで如実に表れている。

さて、個人の側での働く意味合いを、特に若い世代においては、「お金」と「生き甲斐」、どちらかといった論議もある。今なお、元ライブドア代表の堀江さんに共感する若い世代は多い。そこに見えるのは「成功物語」「シンデレラストーリー」である。一方、生き甲斐を見いだせないといって「ニート」と呼ばれる64万人もの若者がいる。しかし、奇妙なことに両者に共通していることがある。まるで人生を終えた老人のような醒めた達観した考え方である。(生き急ぐ、二十歳の老人  http://remodelnet.cocolog-nifty.com/remodelnet/2006/05/index.html)そこには食べるために働くといった欠乏感はなく、精神的飢餓感だけがある。「精神的飢餓感」が成功物語に向かうか、自己の内面世界に向かうかの違いだけである。しかも、数年先の近未来のシュミレーションによるものであり、私のような団塊世代にとってはもっと「現在」を生きて欲しいなと思っている。こうした豊かさを背景に、どちらが良い、悪いではない現実がある。

一方、企業の側もリストラを行い、正社員を減らし、パートや派遣など非正社員の人間で経営をしてきた。しかし、日本一の出産数を誇る産院で看護士に医療行為を行わせるといった相次ぐ不祥事に見られるように、リスクとそのことによるコストもまた大きいことが分かってきた。人への教育、更には会社への帰属意識、ロイヤリティが今大きな経営課題となっている。経営の神様と言われたGEの前会長であるJ.ウエルチはインタビューの質問に、GEは100年以上の企業文化を持っており、その文化とは「誠実であること」と答えている。そして、「意味のない仕事を社員にさせることこそ残酷である」と言い、経営のリーダーは「尊敬される人たれ」とも言っている。
iPodで旧来のスタイルを変えたあのスティーブ・ジョブズはスタンフォード大学の2005年の卒業講演で次のように話している。

”自分が本当に心の底から満足を得たいなら進む道はただ一つ。自分が素晴らしいと信じる仕事をやる。それしかない。そして、素晴らしい仕事をしたいと思うなら、進むべき道はただ一つ。好きなことを仕事にすることだ。”

このスティーブ・ジョブズのように「時間で働くのか」「成果で働くのか」といった論議を超えた企業、個人は、実は沢山あるのだ。ただマスコミが取り上げないだけである。ところで、業界内では取り上げられている企業にSHIBUYA109がある。あのティーンにとってのファッションの聖地である。多くの流通が苦戦している中、2005年度の売り上げは254億と過去最高売り上げを更新中である。ところで、SHIBUYA109の来館者数は月間500〜600万人で、その多くは「ヘアメイクなどの美容系」「ショップスタッフ」更には「モデル」になりたいと思っている若い女性たちである。多くのカリスマを輩出しているブランドショップであるが、ショップスタッフは単なる販売員ではない。1人2役3役当たり前で、ヘアメイク〜ファッションの変化を常に観察し、自ら取り入れ、オピニオン顧客の意見を取り入れたMDを行い、店頭ではその商品を自ら身に付け、モデルとなって顧客サービスに当たる、といったいわばミニ経営者の役割を演じている。しかも、刻々と変化するトレンドに追いつき追い越すために1週間単位でMDを投入するといったSPAである。「好き」を超えて、ブランドをマネジメントする働き方である。そのショップスタッフになりたいという若いティーンは多い。また、最近では元カリスマスタッフが戻ってきているという。J.ウエルチではないが、意味ある仕事と思い至り得る「マルキュー文化」が育ちつつある。

つまり、時間で働く就業形態があっても良いし、成果を目標に働くのも良いし、第三の道のように成果もリスクも引き受けるような働き方があっても良いと思う。1つの企業の中に、多様な働き方を一人ひとりが選択できる経営が理想である。まだまだ、労働力市場における流通が未成熟な日本にあって、しかし二者択一的な働き方ではない多様な働き方を採用している企業もある。そうした企業には間違いなくリーダーの理念が明確になっており、一つの文化を形成していることだけは事実である。そして、何よりもどんな仕事であれ「意味ある仕事・役割」であることを、生き急ぐ若い世代に説き続けることがリーダーの最大課題であり仕事となった。(続く)  


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2006年10月08日

話題と着眼 

ヒット商品応援団日記No105(毎週2回更新)  2006.10,8,

ここ10年ほど、通信をはじめとしたIT技術の進化、インターネットの普及によって世界は圧倒的に小さくなった。私のブログですら、外国語圏からのアクセスが多い日には十件近くもあり、どんな読まれ方をしているのか興味がわく位である。ところで、情報化社会の特徴であるが、情報が集積すればするほどまた情報が集まる。人気の「きっこの日記」でも、取り上げて欲しいとする情報依頼が数多く寄せられており、こうした現象をよく表している。少し前に、エリアにおける情報&サービス集積が、代官山から表参道へと移ったと書いたが、メディア=情報発信という視点に立てば同じ「中心化現象」である。情報の中心へ、中心へと情報が集まる現象である。最近では「ハンカチ王子」が使う青いハンカチに情報が集中したが、大阪にあるメーカーは今から作っても2〜3ヶ月先にしか出来上がらないからといって製造しなかったが、ここにきてサンリオとのコラボレーションで発売されるという。まあ、そこそこ売れるとは思うが。国体終了の時間経過と共に青いハンカチは忘れ去られていく。

さて、このように情報は物理的距離を短くし、しかも中心へ中心へと向かっていく特質を持っている。こうした情報化社会にあって、誰もが情報の中心に身を置きたいと思っている。裏返せば、このように経済ばかりか「情報格差」が生まれているということである。しかし、更に裏返せば、こうしたマス化したトレンド情報には辟易とした人もまたいて、「隠れ家」や「路地裏」へと足を向ける。つまり、情報格差を量的な格差としてではなく、質的格差(=受け止め方の違い)として見ていくことが必要だと思う。私が「質的」という場合、使用価値、使える情報という意味である。使えない情報は単なるデータであり、紙や音声にすぎない。少し前にも書いたが、私にとっても情報源はマーケティングやビジネス分野というより、医やテクノロジー、サブカルチャーなど生活の断面を専門分野で切り取ってくれている人たちの情報である。つまり、その分野での情報の中心にいると、私が考えている質的な情報である。更には、日々起こる社会事象と生活者の反応である。理屈っぽく言うと、こうした情報をモザイクのように埋めて、見えてくるものが生活者像であり、生活像だと思っている。

しかし、「予測を読む」でも書いたが、どれだけ情報を集め、分析しようとも確信することにはならない。真の情報は現場にあり、しかも刻々変化し続ける。今から5〜6年前、札幌の専門店経営者の方につれられて当時札幌で話題の「スープカレー」の店に行ったことがある。路地裏の民家を改造したエスニックな店であったが、今や東京でもそのマジックスパイスなど出店しており、ブームになっている。しかし、来年の今も東京に出店しているスープカレーの店が更に増えているとは思えない。今は情報の中心にスープカレーも入っているが、いつ外れるか分からないということである。こうしたブームを継続させるには、良い事例としてはラーメンがある。ラーメンブームの発端はテレビ東京が取り上げたことからだと思う。ご当地ラーメンから、ご当人ラーメン、ランキング、達人決定戦、・・・・しかも競争がラーメンを進化させ、何よりも日常食、回数食であるから継続していると考えている。スープカレーは、こだわり、うんちくのあるカレーの一アイテムとしては確立していくと思う。しかし、もう少し俯瞰的に見ていくと、ラーメン、カレー、各種どんぶり、更には讃岐うどんに注目が集まっているが、全て「食堂」のメニューであることに気づくべきだと思う。確か幕内秀夫さんの「粗食のすすめ」が発刊されたのが、1995年7月で、丁度その頃大衆食堂や下町がテレビなどで取り上げられはじめていた。世帯収入が減少しデフレに向かう少し前である。「ふるさと回帰」にもつながるテーマであるが、新商品開発、新業態開発の着眼の一つには、間違いなく「食堂」がある。「プチ思い出消費」というキーワードでも書いた「給食」にも同様の着眼ができると思う。つまり、既に「おふくろの味」は無くなっており、食堂や給食がその代わりを果たしていると見るべきである。そして、そこにどう1〜2のアイディアを付加するかによって、次のヒット商品が生まれてくると思う。(続く)  


Posted by ヒット商品応援団 at 14:01Comments(0)新市場創造

2006年10月04日

デザインが変わる 

ヒット商品応援団日記No104(毎週2回更新)  2006.10,4,

サプライズの時代は終わったと書いたが、サプライズを生んだ「情報競争時代」が終わった訳ではない。劇場型、つまりメディア型発想が終わったということでもない。これからも情報競争は続くし、あらゆるものが情報発信していくというメディアの時代が変わる訳でもない。つまり、天野祐吉さん流に言うと「猫だまし」的手法については、この1〜2年十分学習してきた上での情報競争ということである。学習を積んだ生活者に対し、さてどんなコミュニケーションが必要とされていくのか、これが今回のスタディテーマである。古くから情報伝達の70%は視覚によるものであると言われてきた。そして、情報発信という視点に立てば、あらゆるものがメディアとなる時代にいる。街もメディアとなり、人も、店も、商品も、勿論通信メディアも視覚を最重要視して進んできた。そして、ここ数年どれだけ強く、惹きつけるビジュアルを創造できるかが、スピードを第一の眼目とした競争に勝つための入り口となった。また、使いやすく、しかも記憶の底に残るように、ことばも徹底して圧縮された。ティーンの間でかわされる携帯コミュニケーションは絵文字となり、叔父さん族には解読不可能なものとなっている。

さて、絵文字は別にして、デザインが、というよりコミュニケーションが市場を創っていく上で極めて重要な時代になった。デザインマーケティング、つまり新しい考え方に基づいたデザインコミュニケーションによるマーケティングである。「新しい考え方」とは、今や普通のことばになったが私たちはコンセプトと呼んでいる世界である。一つの商品をどう見ていくのか、あれもこれも良さはあるが、一つひとつ削ぎ落とし、たった一つのメッセージで魅力的(=アイディアのある)に表現したらどうなるのか、これがコンセプトワークである。1万の文字数を1000に、100に、たった一言で魅力あるメッセージにすること。これはビジュアルにしても同様で、たった1枚で表現したらである。このことは単純に圧縮すれば良い訳ではない。たった一言、たった一枚の絵とは、伝えたいメッセージの背景となる状況、大きくは時代の雰囲気や置かれている商品の状況を踏まえた、他には無いコミュニケーションの「創造」となる。
今、一番人気のあるアートディレクター、クリエイティブディレクターの一人である佐藤可士和さんが糸井重里さんとの対談(http://www.1101.com/design/)で、このコンセプトワーク・デザインワークのあり方を分かりやすく説明している。この対談にあるように、今佐藤可士和さんは幼稚園を創っているという。対談にも出ているが、幼稚園は子供にとって極まるところ「遊び場」であって欲しいと言っている。これがコンセプトである。絵や設計図は見られないが、幼稚園としての機能や場があるとは思うが、大人が考える世界ではなく、子供によって創られる遊び場になると思う。例えば、建物の屋根は雨や風、寒さを防ぐ機能であるが、子供に取って遊び場としての屋根はどうなるであろうか、という発想である。

ところで、ここ数年で薄型テレビが更に大きく画質も極めて鮮明になり、現実世界に近づきつつある。従来の仮想現実としての世界であったメディア、テレビ番組、広告などの創り方が大きく変わっていくような気がしてならない。周知のCNNが24時間、世界中のあらゆるところから情報を発信し、このスピード、同時性が今や当たり前となった。日本においてはブログが1000万を超え、玉石混合ではあるが情報発信の主要なメディアとなった。光ファイバーの普及を考えていくと、ブログを入り口に個人放送局が続々と誕生していくと思う。こうした個人単位のメディアがメディアとしての情報発信性を強めていく時、既存のメディアも変容を促されると思う。金沢21世紀美術館の成功も、現代アートの展示から子供の遊び場へと考え方を変えたことにある。旭山動物園の成功も、珍しい動物を集めてくることから動物が本来もっている行動展示(=野生の展示)という考え方に変えたことにある。佐藤可士和さんによる幼稚園もおそらくそうした新しい考え方によって作られていくと思う。時代が大きく変わろうとしている今、こうした新しい考え方による新しいデザインコミュニケーションが生まれてくる。

さて、その新しい考え方であるが、前回の「ライフトレンドの今」で書いたように和と北欧から生まれてくるような気がしている。最近のライフスタイル傾向、CiBONEにも見られるデザイン傾向、勿論北欧の家具もそうであるが、その美的感性方向を分析していくと、まさしく「引き算の創造」が既に生活者の生活の中に現れてきていると思う。それは、ミニマリズム、削ぎ落とし、ピュア・・・・・・「引き算の美学」である。こうしたミニマリズムをバックグランドにして、特に「時間が育ててきたもの」「老練な技」 「今は昔」、「アナログの素晴らしさ」、「手技」、つまり20世紀の合理主義によって失われたものの回復を目指しているように見える。そして、この引き算創造の源泉に日本と北欧があるというのが私の仮説である。「木」の文化、「職人」の文化といった精神性は北欧と日本は共通しており、今後の世界潮流の一つとなると思う。若い女性に人気のアパレルデザイナーである「ミナ」の皆川明さんのデザインを見てもそうであるし、京都の古い町家に住みたいと京阪神に仕事の場を移す若い世代が増えている。このように次のデザイン潮流の芽が出てきていると思うが、皆さんはどう感じているだろうか。(続く)  


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2006年10月01日

ライフトレンドの今     

ヒット商品応援団日記No103(毎週2回更新)  2006.10,1,

私はここ10年ほど前までは、「何」に焦点を当ててライフスタイル変化を見てきたかと言うと、衣食住遊休美健・・といった旧来区分でいうと「食」と「自由時間の過ごし方」であった。全ての生活変化をつぶさに見ていったり、定点観測していくには実務をこなしていく上で時間的に難しかったということもあったが、最大理由は「変化」が一番出やすい分野であるということであった。生活実感からすると、「チョットだけ」「この時位は」「なんとか」「無理がきく金額だから」といったように、365日同じような生活は難しいけれど食事ぐらい、自由時間ぐらいは、といった本音や願望が出やすい世界に焦点を当ててきた。調査などもフリーアンサー形式にして、できる限り「生の声」を取り、その「変化」のありようを見てきた訳である。
ところが、丁度10年ほど前、札幌を中心に40数店舗のファッション専門店を経営する企業において調査をしたことがあった。ファッションといってもかなり個性的なハイスタイル専門店で、主要な顧客は、いわゆるオピニオン層でこうした顧客に対する調査であった。最後の質問に「これからどんな商品・サービスを望まれますか」という質問に対し、その多くがファッションではなくインテリア商品と答えていた。その時の私の実感は"
ああ豊かさが変化してきたな"というものであった。

ところで、東京でも10年ほど前からインテリアや家具が静かなブームとなっている。東京目黒通り沿いには多くのショップがあり、アンティーク家具やセレクトショップ巡りの中心となっている。周知のように、インテリアや家具はお気に入りのライフスタイルづくりには今や必須アイテムとなっている。このインテリアショップの草分け的存在が、周知のアクタスであるが、今日の北欧ブームのシンボル的存在であるデンマークのアルネ・ヤコブセン、その火付け役でもある。そして、今やインテリアというより「一つの美意識」によって世界中から小物雑貨までを集めてくる「セレクトショップ」が標準となっている。私のことばでいうと、「ライフデザインセレクトショップ」となる。この「セレクトショップ」という言葉をつくり、キーワードとして流行らせたのは団塊ジュニアである。ビームスやトゥモローランドがその代表的ショップであった。ある意味で「個性化」の進展がファッションから住まい方まで進化してきたことに他ならない。数年前から、デザイナーズマンションが流行ったが、既成のデザイナーによるマンションから、今やセレクトしたデザイナーにオーダーするような売られ方が出てきており、セレクト&コーディネーション主体が生活者側に移ってきたということだ。既に、インテリア関連においてはリアルショップからネットショッピングへとその比重が移ってきている。その代表がCiBONE(シボネ/http://zozo.jp/shop/cibone/default.html?KID=50010100)やamadana(アマダナ)、+-0(プラスマイナス・ゼロ)といったところだと思う。

このライフスタイルを売るインテリア・家具のリアルショップも2年ほど前から少しづつ変わり始めている。従来の家具・インテリアというモノ売り場から、コーティネーションを売るショールームへと変化してきたが、カフェや本格的なイタリアンなど飲食を伴う業態への変化である。つまり、生活感という実感、雰囲気を体験してもらおうという意図からと、私は考えている。この先駆け的存在としては、周知のサザビーグループのアフタヌーンティーがあり、大手デベロッパーとのコラボレーションによるマンションもつくられている。このようにライフスタイルトレンドは「生活全体」を実感する方向へと向かっている。10年前のように、日常の小さな取り入れやすいものからの変化から、体験学習の成果と思うが、自らの美意識で生活をデザインするところまで成熟してきたと言えよう。
8月に最近の米国の動向を調べたが、注目するような米国発のニュースはなかった。米国発の「セレブ」人気の後はと言えば、人気モデルの出産ブーム位(http://fanet.jp/domani/cafe/newyork/newyork0302.htm)で、逆に北欧や日本ブームが変わらずトレンドの中心となっていた。LOHASもこうした大きな潮流の中で見ていくべきだと思う。私は世界的な和ブームの中心には京都があり、寺社文化を入り口としながらも、その奥には千年の時を経た生活美学が今なお生きていることに魅せられているからと思っている。そして、ビジネスばかりでなく、私たちのライフスタイルそのものがグローバル化しており、日本人はあまり意識はしていないが、これからは日本発の文化=デザインに注目が集まってくると思う。(続く)  


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