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「人力経営」という本を書きました。ヒット商品の裏に潜んでいる「人」がテーマです。取材先はダスキン、エゴイスト、野の葡萄、叶匠寿庵、桑野造船の経営リーダー。ユニーク、常識はずれ、そこまでやるのか、とにかく面白い経営です。星雲社刊、735円、新書判。

2017年11月26日

「やり直し」は既に始まっている 

ヒット商品応援団日記No693(毎週更新) 2017.11.26.

前回「変わるなら、今でしょ」 というタイトルのブログを書いた。このブログを書いて大阪に向かったのだが、その大坂ではすでに「やり直し」が始まっていた。実は少し前に東京郊外横浜都築区のSCノースポート・モールのリニューアルを踏まえ、「新価格帯市場」という波が押し寄せていると指摘をした。その価格帯の象徴があのユニクロと妹ブランドGUで、特にGUのフロア面積がそれまでの標準店舗が約200坪であるのに対し、ノースポート・モールでは820坪となっている。更にこの価格帯戦略がキラーコンテンツの「何か」となり得るかはわからない」ともブログに書いた。
実は大坂で観察する目的は他にあったのだが、行けば定点観測しているSCの一つが大阪駅の駅ビル商業施設ルクアイーレである。オープンした当初三越伊勢丹によるフロアを見たときの感想は「従来の百貨店売り場・MD」で先行するしかも実績のある阪急および大丸百貨店に勝つことができるであろうか、従来の百貨店市場というパイの大きさはこれ以上大きくとはならない、そんな疑念が生じたことがあった。その数年後予測通り業績が低迷し撤退し始めるのだが、今なお地下2階の食品売り場はクローズされたままである。ところが地下1階の靴などの売り場が大幅にリニューアルされているのに驚かされた、驚いたのがノースポート・モールと同じユニクロ&GUがほぼ同じフロア面積で、この2ブランドでフロア全体を占めていることであった。正確な面積はわからないが、各400~500坪程度の規模になっている。やり直しは既に始まっており、その先頭をユニクロとGUが走り始めているということだ。
また、ルクアイーレの地下2階バルチカの「赤白」(コウハク)は変わらず流行っており、その今風の屋台のような店作りもさることながら代表的なメニューである大根の洋風おでんが1個180円という安さ。この「赤白」(コウハク)は阪急三番街を始め鉄板焼きなどの新しいメニューを追加し出店が加速している。

ところで今から3年半ほど前に未来塾「商店街から学ぶ」シリーズの第1回に「砂町銀座商店街」を取り上げたことがあった。砂町銀座商店街は東京江東区にある道幅3~5mという路地裏商店街で、周囲をアリオなど大型商業施設に囲まれ誰もがシャッター通り化するのではないかと思われていた。ところが人通りが絶えること無く、特に10日毎行われるバカ値市には人、人、人で溢れれ返る、そんな元気な商店街である。(詳細については「砂町銀座商店街」編をお読みください)
その元気な理由を以下のように整理したことがあった。
1、顧客の中心はお年寄り
2、商店街に不可欠な「界隈性」
3、名物商品と名物人物
4、人マネをしないという原則
勿論、「安さ」という魅力があるのだが、規格外商品であったり、大量仕入れによる「訳あり商品」の安さではなく、小さな商圏=仕入れ量も限られる砂町銀座のような中小零細商店にとっては「売り切ること」が経営を維持し持続させていく唯一の方法となっている。この「売り切る力」こそが商売の原点である。砂町銀座商店街の各店は生き続ける術として身につけたものであるが、ユニクロが今やろうとしていることはITを駆使して、需要を予測し、最適な生産を行い、デッドロスを出さない仕組みである。つまり「売り切る」システムの構築ということである。このことによって「価格帯」を維持し、しかも利益を出していこうということである。

デフレの日常化については1年以上前から指摘をし、可処分所得が増えない現状、その背景には企業の側も社会保険料の負担増などから給与アップを図ることができない、結果消費の低位停滞が進行していると書いてきた。更には、その内実としては保有資産の多くを持っているシニア世代はあまり消費に向かわないこと、あるいは一番消費旺盛である30代の関心事は消費には向かわず貯蓄へと向かっている、これが大雑把にいうと俯瞰的に見た消費天気図の模様である。(詳しくはデフレというキーワードでブログ内を検索してお読みください)
こうした消費模様にあって「やり直し」によって成長を遂げている企業や街はいくらでもある。1年前、その象徴である「大坂」「USJ」「新世界」「難波界隈」・・・・・こうした観察については未来塾でレポートしてきた。今回も大阪の街を歩いてきたのだが、私の持論である「横丁路地裏」に隠れた面白さに出会うことができた。(詳しくは未来塾あるいはFacebookにて公開する予定である。)
その着眼はこうである。SCという商業施設の内部であっても、オフィスビルとビルとの谷間にも、駅高架下にも、勿論既存の商店街の中にも、それぞれ横丁路地裏はある。語の正確な意味とすれば、横丁路地裏的な場所、空間は数多くあり、そこに隠れていた「何か」を発見することへと生活者、消費者の興味関心事は向かっている。一見するとつまらないありきたりの中にも、それこそ小さくても光る「何か」がある。今までは見過ごされてきたということだ。
隠れた「何か」、そこにある「大切なもの」の掘り起こしは、10年以上も前から東京谷根千では行われている。まだリノベーションという言葉が一般化していない時期である。古いアパートや一般家屋の再生、いや新たな誕生が行われ「昭和レトロ」なエリアへと変貌し一大観光地になった。今同じように、空き家やシャッター通り商店街、とりわけデッドスペースとなっていた横丁路地裏空間を若い世代向けの「バル」にしようという試みが始まっている。メニュー業態の異なる数坪の飲食店を10店舗ほど集めた小さな横丁であるが、賑わいを見せている。その先駆け的飲食街の一つが大阪梅田の「お初天神裏参道」である。裏参道というネーミングの通り、お初天神の少し手前の横丁路地裏である。あるいは阪急梅田駅外れの「かっぱ横丁」の飲食街も賑わいを見せている。実は今回行くことができなかった街の一つが大阪京橋駅北口の立ち飲み屋台ストリートである。洋食からステーキ、あるいは居酒屋メニューなどあるが、その中でも大阪人にはよく知られている屋台「とよ」に行ってみたかった。「とよ」には名物オヤジと共に名物メニューであるいくらやウニ、マグロなどの海鮮料理があるという。
勿論こうした行列の絶えない立ち飲みの店ばかりだが、前述の東京砂町銀座商店街の4大特徴と「顧客はお年寄り」という点を除けば、極めて似ている点にある。現在流行っている「バル横丁」もこの4大特徴をどこまで貫けるか、その持続性が課題であると思う。しかし、実行する前からできない理由を見つけても意味はない。やりながら「次」を考えれば良いのだ。

消費活性のためのプロモーションとして日本においても「ブラックフライデー」が実施されている。活況を見せているようだが、既に何年も前から砂町銀座商店街では「バカ値市」が行われ近隣の顧客を始めた恒例行事となっている。米国で始まった「ブラックフライデー」だが、ネット通販を中心とした小売業の趨勢の中にあって、唯一活況を見せている有店舗小売業があると言われている。それは世界最大の小売業ウオルマートである。その理由は通販で頼んだ商品の受け取り場所に、その巨大な店舗ネットワークを活用するということである。逆に解釈すれば、それほどまでに通販小売が進化し有店舗事業が低迷しているということだ。そして、日本も同様で、コンビニが今以上に通販の受け取り拠点になる。百貨店は既にやり直しが求められているが、SCもやり直しが始まっている。その再編集の鍵となるのがユニクロ&GUに見られる「価格帯市場」である。

つまり、デフレが常態化するとは、従来のやり方であれば相対的に「高い」という消費感覚を持たれてしまう、そんな時代に入っているということである。ユニクロの値上げの失敗に見られたように、その「価格」に見合う商品、魅力ある商品ではないという評価ということである。結果は、客数が大きく減少し、単価アップによる売り上げに届かないということになる。こうした時代にあって、例えば低価格路線で急成長した中華そばの幸楽苑が大幅な店舗閉鎖へと向かっている。他の低価格選択肢がある中にあっては、相対的に「高い」と感じられ始めたということだ。つまり、同じことをやっていてはいくら「低価格」であってもダメだということである。デフレの日常化とは、デフレスパイラルのフェーズに入ってきたということでもある。前回、「変わるなら、今でしょ」と書いたが、まだ遅くはない。
砂町銀座商店街ではないが、「売り切る」ためのやり直しである。ユニクロのようにシステムとしての売り切り方もあれば、以前ブログにも書いたが、「そこまでやるか」というぐらいのやり過ぎに踏み切ることも一つの方法だ。顧客に喜んでもらおうと、とことん、そこまでやるか、その旺盛なサービス精神を発揮するということである。別な視点に立って言うならば、とことん「こだわる」ということでもある。(続く)  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:24Comments(0)新市場創造

2017年11月19日

変わるなら「今でしょ」   

ヒット商品応援団日記No692(毎週更新) 2017.11.19.

前々回「小さな単位発想が危機を救う」というタイトルでブログを書いたが、今回もその続きである。前回は創業期にはあった「大切なこと」が継承されないまま危機を迎えているという主旨であった。今回はもっと「今」ならではの危機を迎え、あるいは新たな市場を創るための発想着眼についてテーマとする。産業の転換を促すものとしてEV(電気自動車)の行方が議論されているが、消費という視点から見ていくと、少し前にブログに書いた「新たな価格帯市場」が大きな消費潮流になっている。この価格潮流が企業経営の危機を表へと出し、更に2年後の消費税10%導入によって更に深刻化させる。つまり、どう革新すべきか1990年代初頭のバブル崩壊による価値観の大転換点とまではいかないが、一つの転換期を迎えていることは間違いない。

ところでここ数年チェーンビジネス起こっている多くの危機は、特に飲食業において顕著なことは牛丼の「すき家」に象徴される「人手不足」、さらに課題として出てきたのが賃料に見合う「売り上げ・利益」が確保できない、という経営の根本に関わる課題である。結果どんな解決策が出てきているか、「規模縮小=撤退」というリストラ策である。こうした課題を引き起こしている消費は、物販であればネット通販であり、価格帯視点に立てば急成長しているフリーマーケットや中古ショップとなる。また、食品・飲食であれば「宅配」ということになり、その象徴が生鮮食品などのアマゾン・プライム会員サービスということになるであろう。
勿論、既存ビジネスも「人手不足」という課題であれば、スーパーやコンビニの場合、レジの自動化・セルフ化が急速に進行している。あるいはサービス業であれば、ロボット対応も導入され始めている。チェーン店の良さは均一な品質の商品・サービスをどこよりも安く提供するという規模のビジネスである。実はその規模(=市場)が大きく変化してきたということが根底にあるということである。
こうしたIT,IotあるいはAIといった技術革新による新しい業態による解決であるが、「人手」の活躍の拡大=生きがいに主眼を置いた企業もある。それはかなり前に事例として取り上げた雑貨専門店のロフトであり、24時間営業の「富士そば」などはまさに次なる「人力経営」であろう。こうした業態やサービスの大転換が人手を最大資源とする専門店で行われているということである。こうした2つの根源的な課題に取り組まない企業は残念ながら市場から退出を求められていく。

こうしたチェーン店はいわば表通りにあるビジネスであるが、一方では私が以前から着眼指摘してきた横丁路地裏の小さなビジネスから小さなヒット商品が生まれてきている。
この潮流は亡くなられた地井武男さんによるテレビ朝日の「ちい散歩」が火付け役となった「散歩ブーム」にある。この散歩ブームは鉄道沿線、地下鉄沿線、さらには路線バスの沿線、といった具合に今でも続いている。こうした街場にはまだまだ知らない世界が沢山あることに散歩によって気付かされる。それはTBS の「マツコの知らない世界」やTV東京の「孤独のグルメ」へとつながっていく。こうした「知らない世界」の道筋をつけてきたのは、専門家・プロの指摘ではなく、一見どこにでもいそうないわゆる「素人」であり、私の言葉で言えば「オタク」ということになる。
勿論、一方では専門家・プロからの「反撃」も出てきている。例えば、以前取り上げたことがあるフレンチのシェフ・水島弘史さんがすすめる、科学的にも理にかなった裏技、美味しい料理法なんかが当てはまる。しかも、フレンチではなく、日常誰でもが作るカレーライスといったメニューをプロの味にする裏技レシピといった「反撃」である。

面白いことにこうした転換期の「変化」を売り場に反映させているショッピングセンターがある。以前取り上げた大阪駅にあるルクアイーレである。あの伊勢丹・三越の失敗撤退跡にリニューアルされた売り場で、その象徴とも言える売り場が2つある。1つは2階のフロア「ワールドザッカマルシェ」でまさに小さな「雑」集積フロアとなっている。マルシェ、つまり市場感覚を生かしたオシャレで小さな専門店集積である。若い世代に人気の古着ショップと同じように、「知らない世界」と出会うことができる宝探しのような売り場編集である。
もう一つは地下2階にある「バルチカ」という飲食街である。行列の絶えないソース料理とワインが楽しめる「赤白(コウハク)」という店もあるが、ルクアイーレというショッピングセンター全体から見ればいわば横丁路地裏のような一角となっている。

もう一つの転換期としては、こうした既存の消費市場への対応とは別に新たに生まれてきているのが「訪日外国人市場」である。このブログでも何回も取り上げてきたが、本格的な対応を取らないと手遅れになると指摘をしておきたい。何故なら、今年に入っても訪日外国人客は増加しており、しかもリピーターが増え、それまでの団体旅行ではなく、個人旅行者数は全体の半数を超えてきた。しかも、再来年の2019年にはラクビーのW杯が開催されることもあるが、それよりもまず4月には現在の天皇陛下が退位され、新天皇が即位する。恐らく世界から国家元首級が70か国、王室VIPが20か国など大勢の賓客が駆けつけることになる。更には2019年の参院選前には、日本が主催するG20首脳会議が東京で開かれる。そして、2020年には東京オリンピックである。

多くの訪日外国人客の受け入れ体制、民泊の整備や交通機関のあり方が課題に上がっている。そうした観光インフラ的なこともさることながら、インターネットの時代ならではの課題について考えてみたい。
先ほどの「知らない世界」ではないが、訪日外国人の興味関心事はどこにあるのかある程度は把握できてはいるがまだまだわかってはいない。
日本という国を地球儀を前にして俯瞰的に見れば、ヨーロッパや米国と比較し、小さな小さな国土である。これを観光という視点に立てばどうなるかということである。1つは既に京都で起きていることだが、訪日外国人客の多さに、日本人観光客がひいてしまい、京都観光を避け始めているという事態になっている。以前にもブログに書いたが、京都新聞によれば京都市内の観光客は減少し、京都府は逆に増える傾向にあると。つまり、京都を代表する名所旧跡観光は減り、周辺の京都観光に向かっているということである。前者は表通り観光で、後者は横丁路地裏観光と言っても構わない。あるいは知名度のある観光地とまだ知られていない小さな観光地と置き換えても同じである。つまり、インターネットの時代にあっては、「表」と「裏」、「大」と「小」を組み合わせ、奥行きや深みをつけることが必要となるということである。京都の友人に言わせれば、訪日外国人もそうだが、日本人観光客も知らない京都らしい素敵な路地裏観光地や路地裏カフェが山ほどあると指摘をしている。

以前からホテルではなく畳座敷のある和風旅館へ宿泊したい、日本式の風呂、できれば露天風呂にも入りたい、そんな要望が強くあった。また、消費行動を見てもわかることだが、それまでの家電製品や寿司人気から目薬といった医薬品や化粧品、あるいは100円ショップや菓子類へと変化しており、私たちの日常消費へとどんどん近づいている。そして、食においては回転寿司から食べ放題へ、さらには居酒屋へと変化し、それまでの高級な寿司や天ぷらは卒業したかのごとくである。また、今流行り始めているのが、しゃれた文具製品や雑貨類で日本の「今」を感じさせる生活文化、「カワイイ文化」への関心である。土産類も小物であれば「漢字」をモチーフにしたTシャツや手ぬぐいなど「日本」を感じさせるものが買われているという。全て物理的にも価格的にも「小さな」ものばかりである。ここにおいても日常化、回数化がキーワードとなっている。そして、そのMDの先は何かと言えば日本の過去と今を実感できる「生活文化観光」ということになる。
つまり、特別なこと構えたことなど必要がないということである。民泊需要が高いのも価格がリーズナブルであることと共に、日本人の日常生活そのものへの興味が強いということである。漫画やアニメだけでなく、こうした生活文化そのものが「クールジャパン」の本質である。

要約すれば従来の市場が変わり、更に訪日外国人市場という新市場が生まれ拡大していく、そんな時代の転換期の入り口に来ている。そして、この2つの「変化」は一つになって、すぐそこにまで来ている。この変化の波は都市も地方も、大企業も中小企業も、チェーン店も街場のラーメン屋さんも、等しく押し寄せる。勿論、そこに生活する私たち生活者一人ひとりにも。この変化が深刻な危機に向かうのか、逆にチャンスとするのか、2年後の消費税10%導入によってより鮮明になっていくであろう。つまり、変わるなら「今でしょ」ということだ。(続く)
  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:36Comments(0)新市場創造

2017年11月12日

続く無縁社会 

ヒット商品応援団日記No692(毎週更新) 2017.11.12.

座間の猟奇殺人事件による被害者の身元が判明し報道されている。こうした事件を取り上げたくはないのだが、無縁社会が引き起こす事件として、ある意味象徴的事件が起きてしまったことになんとも言えない思いにかられる。実は今から7年半ほど前に「無縁社会とツイッター」というタイトルで次のようにブログに書いたことがあった。

『昨年(2009年)のヒット商品の一つであったツイッターが更に広がりを見せているようだ。日経MJによれば昨年は月間利用者が250万人に及んでいると報じていたが、政治家を始め、企業の新製品の試食会やモニターリングなど多様な使われ方が表へと出てきた。当初は140文字以内のつぶやくミニブログであったが、その双方向コミュニケーションのスピード、即時性によって、新しい会話メディアとして定着し始めたということであろう。
そもそもプログの発展は、誕生した米国では主にビジネス用として使われていたが、日本に導入されるや「子育て情報」の交換・交流メディアとして、更には自分のペットを舞台へと上げるメディアとして成長してきた。日本の場合は、「話し相手・つながりを求めて」という動機であったということだ。その裏返しであるが、いかに話し相手がいないか、個人化社会の進化と共に生まれてきたメディアと言えよう。』

無縁社会は高齢社会の進行とともに、また若い世代においては家庭の崩壊、学校の崩壊によって生み出されたものだが、個人化社会という「つながり」を求めたコミュニケーションはツイッターやFacebookなどSNSへと発展していく。現在はどうかと言えば、ソーシャルメディアのユーザー数・年齢層・利用率などのデータが公開されている。

1、Facebook;国内月間アクティブユーザー数: 2,800万人 
2、Twitter;国内月間アクティブユーザー数: 4,500万人
3、LINE;月間アクティブユーザー数:7,000万人以上
4、Instagram;月間アクティブユーザー数: 2,000万人

複数のアカウントを持つユーザーの総計であるが、いかに個人メディアが浸透しているかがわかる。こうした膨大な「個」の表現世界を検索するには従来のGoogleやYahooでは最早スピードを持ってたどり着くことができなくなっている。何回かのキーワードを入れなければならなくなっている現実があり、若い世代の場合特にそうであるが、特別な興味関心事を共有する場合#(ハッシュ)タグをつけて行うことが一般化している。世界最大のSNSであるFacebookも少し前にこの#タグで検索できる方法が取り入れられほとんどのユーザーは無縁空間に向かって直接語りかけることが可能になった。

ところでこのツイッターであるが、無縁社会にあって、血縁、地縁、職縁といった動かし難い大きな観念から離れた、小さな軽い縁、ゆるい縁結びメディアである。インターネットというと、少し前までは「仮想世界」で仮想と現実を行ったり来たりするメディアであると理解されてきたが、実は仮想どころではなく、全て「現実」社会の出来事としてある。デジタルネイティブ世代という言葉があるように、仮想と現実の境目のない若い世代がネット社会の多くを占める時代となっている。ツイッターと同じ機能を持つ掲示板である2ちゃんねるとは根本異なる次元のコミュニケーション世界が広がっているということだ。
つまりトランプ大統領のツイッターではないが、ダイレクトに現実世界を動かすメディアとなっている。「インスタ映え」というキーワードがあるように、好きなラーメンを食べに行くのではなく、ちょっと面白いインスタ映えするラーメン屋に写真を撮りに行く、といった具合である。ツイッターやインスタグラムで公開された「写真」が素敵だとして一躍観光ブームが起こる、そんな時代にいる。誰も使ってはいないが、「ツイッター的リアリズム」というキーワードが思い浮かぶほどである。

このようにSNSでは個人単位の小さな興味からヒット商品が数多く生まれている。それが公開され「いいね」であれば急速に拡散して行く、バイラルマーケティングという言葉そのものの効果を生み出すメディアとなっている。語の真の意味を表現するならば、「バイラル」とはウイルス性、感染的の意味で、口コミでよく使われる「拡散希望」を可能とするメディアのことである。
こうした「拡散」して行く中で、今回の事件の場合は逆の世界で、「特定」「固有」の興味・関心事を共有する絞り込みを可能とするのが#タグという仕組みである。そして、今回の座間の猟奇殺人事件で使われた興味関心事の#タグが「自殺」であった。

若い世代の自殺願望の多くはいじめや受験・就職などの失敗が契機となっていると指摘されている。その心理の背景には間違った「自立」と「自己責任」認識があるとする専門家・教育関係者は多い。その認識は「自立」を家庭や帰属する組織から離れ独り立ちすることであると教えられてきた。自立とはこうした「社会」から離れ独り立ちすることではなく、「社会」の中で自分の果たす役割を全うすることにある。その時重要なことは自分でできることと、できないことをきちんと認識し、周りの仲間と補いながら役割を果たすこと、これが自立である。このことが家庭での子育ての第一義であり、学校もそれに沿った教育をすべきである。ある意味、偏差値を含めた「競争」がこうした教育を歪めてしまっているということだ。同様に、受験も就職も「自己責任」の一言で決めつけられる、そんな偏った個人化社会が背景としてある。

歪みつつある個人化社会にあって、今一度認識を新たにしなければならない。利他の精神という言葉が仏教にはある。自分のことはあとまわし、まず相手のことを考え行動する、これが「利他の精神」で利他に徹すると、結果は自分に返ってくる。つまり自利(自分の利益)は利他の結果であると。利他の心を持って周りの仲間に接しようとしてもそれを阻害する「いじめっ子」はいる。教師がわからないところでのいじめに対しては子の両親は徹底して教師・学校と戦うことだ。なぜなら、当たり前のことだが、「利他の心」を教えるのが学校教育で、受験などのスキルは2番目である。

今回の事件を受け、政府はSNSを含め不適切なサイトへの対策を強化すると報じられている。具体的には「自殺サイト」などの実態を把握し、サイトの削除や書き込み制限など対策の強化を図るとのこと。さらにネットを通じて自殺願望を発信する若者が適切な相談相手にアクセスできるよう取り組むという。
しかし、「自殺サイト」はさらに裏サイトへと変化していくだろう。勿論、防止策としては必要で、特にネット上での相談窓口の強化が必要となっている。少し前の「夜回り先生」こと水谷先生のような相談者が必要となっている。こうした対策は最後の防止策であり、その前に全てを「個」に解決を求める時代の傾向の中で、立ち返るべき基本はやはり家庭や学校である。ちょうど11年前に「いじめ」の問題にふれてブログに次のように書いたことがあった。それは糸井重里さんが主催する「ほぼ日刊イトイ新聞」の中で読者であるお母さんと子供のやりとりに詩人谷川俊太郎さんが答えたものである。(再録)

『【質問六】
どうして、にんげんは死ぬの?
さえちゃんは、死ぬのはいやだよ。
(こやまさえ 六歳)
追伸:これは、娘が実際に 母親である私に向かってした
   質問です。目をうるませながらの質問でした。
   正直、答えに困りました~
   
■谷川俊太郎さんの答え
ぼくがさえちゃんのお母さんだったら、
「お母さんだって死ぬのいやだよー」
と言いながらさえちゃんをぎゅーっと抱きしめて
一緒に泣きます。
そのあとで一緒にお茶します。
あのね、お母さん、
ことばで問われた質問に、
いつもことばで答える必要はないの。
こういう深い問いかけにはアタマだけじゃなく、
ココロもカラダも使って答えなくちゃね。』

「アタマだけじゃなく、ココロもカラダも使って答えなくちゃね」と答える谷川俊太郎さんの温かいまなざしに多くの人は共感すると思う。アタマという言葉を理屈という言葉に置き換えても、ココロを素直にと置き換えても、カラダを行動すると置き換えてもいいかと思う。そして、この答えはお母さんに対してだけではない。教育者にも、社会に対してもである。
ただココロもカラダも使って答えるべき母親のいないひとり家庭が増えており、厚労省の平成27年度のデータでは146万世帯とのこと。今回の座間の事件の容疑者が特定されたきっかけは被害者田村愛子さんのお兄さんであり、田村愛子さんが行方不明になって懸命にツイッターなどで情報収集を行い、捜索活動をした結果であったと報じられている。そして、その田村愛子さんの育った家庭と言えば、母親と二人の子供の母子家庭で、母親が亡くなった今年事件に巻き込まれ犠牲になったという。想像するに、亡くなった母親はココロもカラダも使って二人の子育てをしていたことだろう。母親を失った喪失感が「自殺」に向かったとすれば無残としか言いようがない。
無縁社会とは「世間」という概念が無くなってしまった社会のことである。多くの人が「縁」を求めてネット空間に入って行くが、この空間に「世間」を創ることこそが問われているのだ。座間の猟奇殺人事件を教訓とするならば、アタマという規制も必要であるとは思う。しかし、同時にココロとカラダを使ったネット上の「夜回り先生」こそが必要な時代となっている。(続く)  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:23Comments(0)新市場創造

2017年11月05日

小さな単位発想が危機を救う

ヒット商品応援団日記No691(毎週更新) 2017.11.5.

「沈みゆく日本」 を感じさせる事件・不祥事が次々と報じられている。既に十分沈んでいるとの声が聞こえてもいる。沈みゆくという言葉はグローバル競争に負け続けているということだけでなく、その本質でもある「劣化」という言葉に置き換えた方が適切であろう。このブログの主旨はどんな小さなビジネス、街場の商店でも学ぶところは学ぼうというのが基本姿勢としてある。大仰に日本を論じるといった視点は基本持たないというのが特徴でもある。しかし、不祥事どころではない大企業の深刻な問題が続いている。旭化成建材、三菱自動車、東洋ゴム、日産自動車、神戸製鋼所、あるいは東芝といった企業だけでなく、新聞紙上の片隅に報じられた不祥事・事件がいかに多いか、フジサンケイ危機管理研究室がそうした企業事件・不祥事のリストをまとめている。それらは氷山の一角で、「何か」がおかしくなってきていると指摘する専門家は多い。

それらの多くは粉飾、データ改ざん、詐称、偽装、隠蔽、不正、・・・・・・・・事件・不祥事のほとんどが、それまでの贈収賄、談合、汚職、とは異なる内容となっている。そして、特徴的なことはこうした不正には金銭的な欲求が背景にあるわけではなく、特に安全性や品質のようなものが関わっており、間違っていることを認めることができない企業体質にある。企業のコンプライアンスということになるのだが、内部告発の仕組み化といってしまえばそれで終わってしまうが、匿名性が確保された「調査」のようなものが必要になっていると指摘する専門家もいる。つまり、ここまで病根は深いということである。

バブル崩壊前までは「日本企業の強さ」のためのガバナンスは「企業組織の文化」をいかに強くするかであった。もっと簡単に言ってしまえば、企業風土である。何も難しいことではなく、ソニーであれば周知の通り、創業者井深大氏、盛田昭夫氏以来、引き継がれているのが「ソニースピリッツ」。 誰も踏み込まない「未知」への挑戦を商品開発にとどまらず、あらゆる分野で実行してきた企業である。世界初のトランジスタラジオの開発以降、「トリニトロン」「ウォークマン」「デジタルハンディカム」 「プレイステーション」「バイオ」「ベガ」「AIBO」…。日本の企業としては初めてのニューヨ ーク証券取引所に株式を上場。公開経営あるいは執行役員制の導入。新卒者への学歴不問採用等。多くの日本初、世界初のチャレンジを行ってきているが、その根底には、創業精神 「他人がやらないことをやりなさい」という不可能への挑戦が、ソニーマン一人ひとりに根づいてい ることにある。AIBOの開発メンバーである当時の責任者土井氏に井深氏から次のように言われたと後日語っている。“土井君、創造性とは人に真似されるかどうかで 評価される。人に真似されるものを作りなさい”と。
こうしたポリシーは実はあのアップル社が継承し、次々と「他人がやらないこと」を成功させているが、今回やっと周回遅れのロボットAIBOの発売が報じられた。この周回遅れという意味はAIBOに搭載されたAI・人工知能の開発が遅れたという意味である。周回遅れでも忘れずに再チャレンジしようとすることは創業精神がまだソニーには生きているということであろう。

ところでもう一つ創業精神が継承されているブランドとしてあのシャネルがある。波乱万丈、成功と失敗を繰り返したシャネルであるが、この生き様が商品に映し出された例は珍しい。その生き様であるが、1910年頃マリーンセーター類を売り始めたシャネルは、着手の女として彼女自身が真先に試して着ていた。そして、自分のものになりきっていないものは、決して売ることはなかった。それは、アーティストが生涯に一つのテーマを追及するのによく似ている。丈の長いスカート時代にパンツスタイルを生み、男っぽいと言われながら、水夫風スタイルを自ら取り入れた革新者であり、肌を焼く習慣がなかった時代に黒く肌を焼き、マリンスタイルで登場した。そして自分がいいと思えば決して捨て去ることはなかった。スポーツウェアをスマートに、それらをタウン ウェア化させたシャネルはこのように言っている。“私はスポーツウェアを創ったが、他の女性たちの為に創ったのではない。私自身がスポーツをし、そのために創ったまでのこと”。勿論、 アクセサリーの分野でも彼女のセンスを貫き通した。“日焼けした真っ黒な肌に真っ白なイヤリング、それが私のセンス”。シャネルのマリンルックは徐々に流行する。
以降も次々と革新的な商品を生み出していく。例えば香水についても、過去の“においを消す香水”ではなく、“清潔な上にいい匂いがする香水”、つまり基本は清潔、それからエレガンスであった。そして、調香師エルネスト・ポーと出会い、「No.5」
 「No.22」が生まれるのである。コンセプトは“新しい時代の匂いを取り入れること”とし、どこにでもつけていける香水を創ったのである。

ここにあるのは革新、生き方、夢、情熱、仕事好き、初めて、・・・・・・・創業期にあった企業風土、企業文化である。今から10数年前、盛んにCSRの必要性が指摘されたことがあった。CSRとはCorporate Social Responsibilityのことであり、当時私は分かりやすく既にあった近江商人の心得「三方よし」を持ち出して企業の不祥事を分析したことがあった。その後、Social ・世間はグローバル化し、CSRも変化してきてはいるが、創業期はどうであったかを今一度考えてみることも必要であると思う。何故なら創業期には理想とするビジネスの原型、ある意味完成形に近いものがあるからである。ビジネスは成長と共に次第に多数の事業がからみあい複雑になり、視座も視野も視点もごちゃ混ぜになり、大切なことを見失ってしまう時代にいる。創業回帰とは、今一度「大切なこと」を明確にして、未来を目指すということである。「大切なこと」の多くは経営理念のように明文化しても機能することはない。理屈っぽく言えば、創業の精神・ポリシーの継承とは、形式知を学ぶのではなく、暗黙知こそ学ばなければならないということである。しかし、創業期の暗黙知を持っていた団塊世代は最早現場にはいない。

この難しいと思われてきた暗黙知の継承=現場社員一人ひとりへの浸透の成功事例は実はあのトヨタの「カイゼン」の中にある。カイゼンというと無駄の削減といった見られ方をしてきたが、その本質は小さな革新の積み重ねにある。目的は現場の一人ひとりが結果として「楽になる」ことで、この意識改革そのものが重要となっている。現場のちょっとした工夫やアイディアをすくい上げ、選択し、日々実践し、見直しし、磨き上げていくこと。こうした方法論は暗黙知を生産ラインや場合によっては商品開発にすら広げ活用することができる方法となっている。これは製造現場だけのことではなく、カイゼンの発想・着眼は小売業にも実は応用されている。小売現場の暗黙知は小さなことばかりである。ある百貨店の場合であるが、大きな売り場を4つに分け、さらに4つに分ける。そうすると少しずつ問題点も見えてくる。そこに知恵やアイディアを売り場に注ぎ込む。そして、小さな単位の売り場責任者を置く・・・・・・つまり小さな単位に分けることによって現場の知恵やアイディアを引き出し生かしていく現場経営が生まれる。この方法はあのドン・キホーテの売り場経営と同じである。

「大切なこと」とは、例えばユニクロのように創業者のリーダーシップによって危機が明らかになることもあるが、多くのサラリーマン社長による企業の場合はこうした一連の絶えざる小さな革新によってのみ継承されるということである。ユニクロのように大きく変えることはリスクもあって難しい、そう誰もが考える。しかし、小さな単位なら構えず実施できる。しかも、小さな単位とは日常の現場作業のことであり、それは慣習として日常化され継続される。つまり、暗黙知という「大切なこと」が継承されるということである。例えば、世界に誇る老舗大国日本であるが、危機を超える知恵はこうした発想によって成立している。老舗とは保守の真逆、絶えざる革新によってのみ継承された企業のことである。(続く)
  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:34Comments(0)新市場創造