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ヒット商品応援団
「人力経営」という本を書きました。ヒット商品の裏に潜んでいる「人」がテーマです。取材先はダスキン、エゴイスト、野の葡萄、叶匠寿庵、桑野造船の経営リーダー。ユニーク、常識はずれ、そこまでやるのか、とにかく面白い経営です。星雲社刊、735円、新書判。

2014年10月19日

決定的に足りないのはアイディアである 

ヒット商品応援団日記No595(毎週更新) 2014.10.19. 

学習すべきテーマや対象を決めて深掘りする「未来塾」も10回となった。街や商店街、あるいは小売り現場やスポーツなど一見脈絡がないように見えるが、学習すべき共通するものは時代の価値潮流とどう向かい合っているか、その「アイディア・着想」と「行動&継続力」である。こうした課題解決のためにも、顧客の「移動」を簡便であまり費用をかけずに行えるインフラ整備は不可欠となっている。

11月になったら公開するが未来塾として「東京町田市」をその対象とした。詳しくは11月の未来塾を読んでいただきたいが、その参考事例として東京・月島のもんじゃストリートを取り上げた。駄菓子屋の店先で売られていたもんじゃ焼きは都心開発に伴い駄菓子屋は少なくなり、もんじゃ焼きも廃れていった。1988年離れ小島であった月島に地下鉄有楽町線が出来たことを機会に、その顧客対象を子供から大人にしたもんじゃ焼きが10店舗からスタートした。そして、周知の明太子もちといった変わり種メニューが次から次へと提供され今や70数店舗にまで成長し、東京の観光名所の一つとなった。

次の写真はもんじゃストリート(西仲通り商店街)から見た超高層ビルである。開発された高層ビル群に囲まれたもんじゃストリートという対比はいかにも東京らしい風景である。



よく景気の指標として「移動」の実態がどうであるかが注視される。行楽といった遊びもさることながら、日常の移動、通勤通学から買い物あるいは病院通いといった生活するに不可欠な移動についてである。最近東京一極集中の弊害と共に、一方人口流出が止まらない地方にあって地方交通が経営として立ち行かない現状の困難さが言われている。特に、地方バス会社の7割が赤字経営で苦しんでいると聞く。
今から5年ほど前に鹿児島阿久根市のAZスーパーセンターが買い物に困っている高齢者のために100円バスを運行しており、そうしたことを含めブログに書いたことがあった。阿久根市は人口22,300人ほどのごく普通の過疎の地方都市で高齢化率も極めて高い。異色の非常識経営として業界に紹介されたスーパーであるがその名の通りAからZまで仏壇から車まで販売する、近くにコンビニがないからと24時間営業を行い、中山間部のお年寄りのために自ら100円バスを運行する。結果、阿久根市は勿論のこと周辺市場の顧客開発をも可能とし経営として成立させた。

こうしたAZスーパーセンターのように全てを自前で行う力のある企業は日本全国全てのモデルにすることは難しい。しかし、消費を活性化するためにも「移動」の問題を解決する試みが始まっている。その先駆けであると思うが、埼玉のイーグルバスでは利用実態のデータをベースにダイヤを合理的に編成し運行コストを軽減したり、病院にバス停を作るといった新たな路線を開発して売り上げを上げる。これもAZスーパーセンター同様、顧客要望に沿った経営である。単純化して言うならば、顧客要望の無い時間帯に無人のバス運行を止め、顧客要望のある病院にバスを運行させ新たな収入を得る、至極当たり前の経営をしたということである。

こうしたバス固有の改革と共に、町単位で移動=消費を活性する試みもある。例えばバス運行会社と温泉施設とのコラボレーションのように、バス運賃も安くし、温泉利用料金も割り引くという顧客へのお得を提供するといった方法である。まるで近江商人の三方よし、売り手(バス会社・温泉施設)よし、買い手(顧客)よし、世間という地域よしのような仕掛けである。
あるいは最近では街単位でメディア=消費を活性化する試みも始まっている。例えば、今年で3年目になるかと思うが、東京下北沢という街の地域密着型SNS「I LOVE 下北沢」が行うカレーフェスティバルもそうした試みの一つである。下北沢東会という商店会とともに今年は下北沢の105店舗が参加する変わり種カレーが食べられるカレーフェスティバルで、飲食店のみならずスーパーまでもが参加するテーマを設けた期間限定の活性化策である。参加店は集客を考え、食べ歩きしやすいような商品を作り顧客の反応を見ているが、こうしたなかからヒット商品も生まれてくるであろう。

やっと政府も景気が横ばい状態から下がる傾向にあることを認め始めた。特に、消費が回復しないことが大きく、私に言わせれば既に「自己防衛的消費」に向かっているという理解である。その自己防衛の中心には「安心」と「安価」の2つの「安」があることは言うまでもない。この2つの「安」への入り口の一つに「移動」があることを書いたが、前々回のブログに書いた「感じ取る事実」ではないが、移動はまさに明日を感じ取れる事実としてある。顧客が動いてくれることこそ、明日を感じ取れるということだ。今回のブログのテーマを移動としたが、感じ取れるように、感じ取れるようなアイディアこそが問われているということである。
ご当地グルメのB-1グランプリも今回で9回目となり、福島郡山で行われている。今回は40万人という多くの来場者を予定しており、最早単なるイベントには終わらない、町おこしというビジネスインキュベーションとなった。よくよく考えれば、三方よしにおける、売り手よし、買い手よし、世間という地域よしという仕組みを全国各地を巡って運営する、これこそが小さな単位の「地方創世」であろう。そして、コラボレーションの時代とは「三方よし」が基本となる。(続く)  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:35Comments(0)新市場創造

2014年10月12日

未来塾(10)「スポーツから学ぶ」 コンビニスポーツ

ヒット商品応援団日記No594(毎週更新) 2014.10.12. 

今回の未来塾は「スポーツから学ぶ」の2回目として、日本はどのように世界の「スポーツ」を取り入れてきたか、その歴史と経緯について学びます。その特徴は「コンビニエンス」、構えず、手軽に、気軽にスポーツをやってみようという日本ならではのスポーツ。まるで変化し続けるコンビニのような、そんな「あり方」について学びます。



写真は1910年、旧第三高等学校の学生が、日本で初めてラグ ビーボールを蹴った「第一蹴の地」(京都)の石碑。

「スポーツから学ぶ」


時代の観察


コンビニスポーツ


器用な日本人─「スポーツのコンビニ化」

日本のスポーツの特徴の一つに「どんなスポーツでもやってみる」があると思う。逆にいうと「絞りきれない」。大相撲をよく「国技」と表現するが、これは、スポーツ行政の文部科学省がそう規定したわけでもなく、根拠がないといえばないのだ。

日本人のスポーツの間口の広さを少し探ってみよう。2014年の国民体育大会(国体)は長崎県が主会場。正式競技は37である。別に公開競技として、高校野球とトライアスロンが加わる。国体は、五輪と同じように冬季大会と夏季(秋季)大会に分かれていて、冬季国体はスケート、アイスホッケー、スキーの3競技を行う。バイアスロンは公開競技だ。まとめると、国体は正式競技、公開競技を合わせて通年で「43競技」を行っている。一般によく知られる競技で国体にないのはアメリカンフットボールだ。となると、日本人は比較的一般的な「競技スポーツ」だけで44競技に親しんでいることになるだろう。

さらに、フランスの国民的スポーツ「ペタンク」、韓国の格闘技「テコンドー」、野球の原型といわれる「クリケット」、アメリカ・インディアン発祥の「ラクロス」、アジア大会競技の「スカッシュ」もする。近年、「ゲートボール」に代わって急速に普及している「グラウンドゴルフ」、ニュースポーツといわれる「インディアカ」、「フライイングディスクゴルフ」などなど、スポーツ百花繚乱の趣だ。

2014年秋の仁川アジア競技大会(韓国)では、36競技を行う。2012年のロンドン五輪は26競技、2014年のソチ冬季五輪は7競技だった。五輪競技は夏、冬合わせて「33」ということになる。国内大会の国体の方が多いのだが、日本人は、アジア大会も、五輪も、当然のようにすべての競技・予選(一部の種目を除いて)に参加する。

1994年の広島アジア大会を取材したが、東南アジア、南アジアの伝統的なスポーツ「セパタクロー」と「カバディ」を初めて見た。セパはマレー語で「蹴る」、タクローはタイ語で「ボール」の意味。しかし、セパタクローはサッカーではない。藤で編んだ小さなボールを、サッカーのように足で蹴るが、競技のスタイルはバレーボールだ。バレーボールを手ではなくて足でする。

カバディは、よく「鬼ごっこ」に似た格闘技といわれる。20年前のこの広島アジア大会で、すでに、セパタクローとカバディの日本代表チームが編成されていた。

フェンシングもするし剣道もする。空手をしながらテコンドーも強くなる。世界レベルになかなか追いつけそうにない馬術だってあきらめない。銃規制が極めて厳しい日本だが、クレー射撃も、ライフル射撃もする。
もっとも、日本が一度だけ挑戦したヨットのアメリカズカップのように、費用が巨額すぎて、バブル以降の日本にはテコが合わないスポーツもあるが。

                                                                         


日本のスポーツに対する好奇心と器用さは何だろう。好奇心は、明治政府が初等教育にきわめて熱心だったため、教育に裏打ちされて、いろいろなことに「興味を持つ智恵」がついたのではないだろうか。器用さは、日本の近代産業発展と同じ図式と考えられる。先進諸外国の製品を輸入して、まずは真似て、次に日本独自の発想、技術を加えて、やがて、逆輸出できるほどに完成度を高めてきた。

この図式のスポーツ界の一例として、ソフトテニスという競技がある。明治時代にイギリス発祥のローンテニスが輸入された。当時の日本の工業力では、テニスの本物のボールを造ることができなかった。そこで、簡単なゴムまりを代用品にしてテニスをやってみた。東京高等師範学校(現筑波大学)で試した結果、卒業した学生が全国に散らばって教師になり、ソフトテニスは瞬く間に全国の学校に普及した。昔は軟式庭球といったが、ソフトテニスという名称に改め、主にアジアを中心に輸出している。


実は、京都は日本の文化の故郷であると同時に、日本のスポーツ草創期にいろいろとかかわっている。
 スキーは、1911年にオーストリアのレルヒ少佐が日本に伝えた。さっそく、新潟で講習会が開かれ、京都二中(京都府立鳥羽高校に継承)の初代校長、中山再次郎も参加した。中山は西日本各地にスキーを広めた。今も、鳥羽高校の校庭に中山の胸像が飾られている。



バスケットボールは、アメリカのYMCAで、雨の日にもできるスポーツを─と考案され、桃を収穫するかご(バスケット)をゴールにした。100年前に京都YMCAでも講習会が開かれた。2014年7月に、京都バスケットボール協会が、その京都YMCAの玄関横に「バスケットボール発祥の地」記念碑を建立した。

 京都・下鴨神社の糺の森(ただすのもり)に、「第一蹴の地」の大きな石碑がある。1910年、旧第三高等学校の学生が、この地で初めてラグビーボールを蹴った。翌年、東京・三田で、三高と慶応が日本人同士では初のラグビー試合をしたという。



日本人は、思いのままにスポーツを取り入れてきた。島国の閉鎖性を感じさせない。長嶋、王の時代には考えられなかったが、日本人選手が大リーグで活躍する。サッカーでも釜本時代になかったプロのJリーグが生まれ、日本人選手が多く海外のクラブでプレーするようになった。まさに、日本のスポーツ「なんでもあり」といえる。

さて、数千アイテムの商品をそろえ、消費者のニーズに敏感に反応し、あるいはそのニーズさえも自らつくりだし、日々進化する「コンビニ」。日本のスポーツが、まるでコンビニ化していると思えてならない。

大相撲をスポーツとしてみると、昔は土俵の上の屋根を支える4本柱があった。テレビ中継ではその柱が邪魔になる、ということで4本柱をはずして屋根を吊った。

サッカーは、1個のボールで試合を進めていた。ボールが遠くに蹴りだされると、拾いに行っている間、プレーが止まった。テレビで中継していると間延びする。現在は「マルチボール」といって、複数のボールを用意して試合を進めるので、仮にボールが遠くに蹴りだされても、すぐに代わりのボールがピッチに提供される。試合は途切れずに進むが、選手はまったく休めない。
ラグビーは、2016年リオ五輪で「7人制(セブン)」が競技となる。少子化が進む日本で、15人の正式なラグビーに対して、7人制が本当に受け入れられるだろうか。「ラグビーは15人が本来の姿で、7人制などお話にならん」と切り捨てられるのか。スポーツは多くのファンに支持され、ファンが持ってくるお金を集めるために、コンビニの商品棚のレイアウトのようにこれからも変化していくだろう。スポーツウエアは機能性と同時にファッション性が重視される。審判のジャッジの「可視化」が進む。雨でも野球はドームでできる。ボールなど用具は機能性を高める。変化できなかったスポーツは取り残されていくに違いない。これも、コンビニに似ているのではないだろうか。

 ダーウィンは進化論で言っている。「生き残る『種』は、強いものではなくて、変化できるものなのだ」と。


スポーツから学ぶ


日本のスポーツの特徴の一つに「どんなスポーツでもやってみる」があると思うとスポーツライター井上氏から指摘をしていただいた。その特徴を問題ありとする人もいると思うが、日本は島国で閉鎖的であるとした考えをスポーツの分野においてもそうではなかったことが良く理解できたと思う。
異端の歴史学者と言われた網野善彦氏もその著書(「日本とは何か」)のなかで既に室町時代に太平洋を越えた南米ペルーの人口調査に日本人が含まれていたという記述がある。島国どころではなく、海に囲まれた島国であればこそ地球を舞台に活躍していたのが日本人であったということである。

1、新しい、珍しい、面白いを取り入れる

洋の文明を取り入れたのは明治維新によってであると言われているが、鎖国をしていた江戸時代においても多くの舶来品という新しい、珍しい、面白いが輸入されていた。享保年間に渡来したのが象で浮世絵にも描かれている。運ぶ手段がないため象は長崎から江戸まで自力で歩いたと伝えられている。その他にもラクダ、ダチョウ、オランウータンまでもが輸入され江戸の人を楽しませていた。また、面白いことにこうした動物だけでなく、将軍吉宗の規制緩和により多くの翻訳書も出回っている。なかでも「イソップ物語」や「ロビンソンクルーソー」などが読まれていた。
そして、井上氏が指摘をしてくれたように、明治以降本格的にヨーロッパを中心としたスポーツの輸入が始まる。その指摘第一は井上氏の地元である京都から多くのスポーツが始まったという点である。千年の歴史を持つ古都という日本を代表する観光都市が新しい、珍しい、面白いスポーツを取り入れたというのは極めて面白い。井上氏には再度新しい、珍しい、面白いという革新性、斬新さを生み出す京都についてコメントしていただければと思う。
もう一つが「どんなスポーツでもやってみる」というチャレンジ精神である。この「未来塾」でも取り上げた浅草に「神谷バー」という文明開化を象徴するバーがある。創業明治13年、浅草1丁目1番1号にある日本で一番古いバーである。神谷バーと言えば、その代表的メニューの一つが「デンキブラン」であろう。「庶民の社交場」として明治以降今日に至るまで変わらぬポリシーで運営されているが、「デンキブラン」というカクテルはデンキ(電気)とブランデーの合成ネーミングである。電気がめずらしい明治の頃、目新しいものというと”電気○○○"などと呼ばれ、舶来のハイカラ品と人々の関心を集めていた。さらにデンキブランはたいそう強いお酒で、当時はアルコール45度。それがまた電気とイメージがダブって、この名がぴったりだった、とHPに紹介されている。
「やってみなはれ」はサントリーのポリシーであると知られているが、京都も浅草もまさに「やって見なはれ」精神を生む都市であると言えるであろう。このポリシーこそ実は世界に誇るメイドインジャパン流通であるコンビニエンスストアのポリシーでもある。周知のようにイトーヨーカ堂がライセンス契約を受け、1973年に日本で初めてサービスを開始する。当時は国内の既存流通は極めて冷ややかな態度であった。ところが、1980年代になってアメリカセブン-イレブンは経営不振に陥り、1991年には経営破綻した米国セブンイレブンをイトーヨーカ堂が買収する。米国で生まれた流通業態をまずはそのまま取り入れ、日本流に咀嚼しシステムへと進化さっせていく。井上氏は「器用」な日本人と表現したが、スポーツも同じようにその根底には好奇心旺盛な精神を読み取ることができる。そして、その精神のルーツを辿ると江戸時代の「新しい、珍しい、面白い」という旺盛な好奇心にたどり着く。剣道という伝統スポーツもやれば、フェンシングもオリンピック級という日本のスポーツが物語っている。

2、変化し続けるスポーツ

スポーツにおいても時代と共に変化し続けていることを分かりやすい事例と共に指摘をしてくれた。特に興味深いスポーツとして、団塊世代以上のシニアにとってのテニスは中学時代にあっては軟式庭球であった。英国から取り入れたテニスのその後の開発経過からあの柔らかなゴムまりが生まれ、そして今やアジアに輸出されているという。プロテニスでは錦織圭選手が活躍する一方、ソフトテニス(軟式庭球)をも輸出するというまさにこれぞ日本ならではのスポーツであり、その賢明さは見事である。
コンビニ、特にセブンイレブンの業態の推移を見ていくとスポーツがそうであったように顧客変化に沿って自らも変化している。1974年江東区にオープンした1号店は元は酒販店で、品揃えは日用品が中心のミニスーパー的であった。そして、最初に売れた商品はサングラスであったという逸話は今なお知られている。
この先駆的な業態、「近所にある便利なお店」は1960年代の高度成長期を踏まえたものであった。所得が増え顧客自らが選択し購入するという、それまでの商品の供給主導から需要主導、今日でいうところの顧客主導への転換点の時期であった。
その後のコンビニの変化を見ても分かるように、わざわざ書店に行かなくても雑誌を買うことが出来る。そして、自宅の冷蔵庫代わりのコンビニと言われるようにその便利さは大きく流通マーケットを変えていった。1980年代当時よく言われたことであるが、雲行きが怪しくなったら傘を店頭に置く。夕方暗くなったら電球や電池をレジ前に置く。今ではどの流通にとっても当たり前のこととなっていることをコンビニは実施してきた。
ここ10年ほど、コンビニ市場においても一つの曲がり角に直面してきた。競合がひしめき合い、出店数を増やすことによる売り上げ増から、既存店の売り上げ増への転換である。そして、ヒット商品が次から次へと生まれてきた。おにぎりの充実とともに安くて多彩な弁当へ。食感がうれしい「金のパン」。煎れたてコーヒー。ガツンとうれしい「げんこつメンチ」、専門店顔負けのスイーツ類。更に生鮮三品を揃えたコンビニ、あるいはチルドタイプ総菜の品揃え。結果、周辺にあるハンバーガーショップや牛丼店などファストフーズの市場にも大きく食い込んでいる。
こうした競争はスポーツにおいても起こりうるか。否、既に起こっており、従来の「○○スポーツ一だけ」という時代を終え、多くのスポーツのなかからこれもやってみよう、あれもおもしろそうだと、一人で2つ3つとスポーツを楽しむ時代へと向かっている。スポーツの目的は単なる健康から美容であったり、病気回復のリハビリであったり、仲間とのスポーツが楽しいといった交流目的であったり。特に、シニア世代のスポーツはこうした多様な傾向を見せていくと思う。コンビニという近くにある便利な店舗サービスは、シニア向けのお弁当宅配サービスへと進化し始めている。井上氏が指摘してくれたように、スポーツもまた多様な「変化」に取り組まない限り生き残ることは難しい。
セブンイレブンの創業者でありセブン&アイグループの鈴木敏文会長は競争市場下にあって、「商品開発は競合を見るな、顧客が何を求めているかを見ろ」と。まさに変化は顧客の中にあり、どんな「新しい、珍しい、面白い」変化あるスポーツが出てくるか楽しみである。


元京都新聞社運動部長 
スポーツライター  井上年央
ヒット商品応援団 飯塚敞士


(続く)
  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:42Comments(0)