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ヒット商品応援団
「人力経営」という本を書きました。ヒット商品の裏に潜んでいる「人」がテーマです。取材先はダスキン、エゴイスト、野の葡萄、叶匠寿庵、桑野造船の経営リーダー。ユニーク、常識はずれ、そこまでやるのか、とにかく面白い経営です。星雲社刊、735円、新書判。

2007年02月28日

海の民の文化 

ヒット商品応援団日記No144(毎週2回更新)  2007.2.28.

先週好きな沖縄に行き、以前から興味のあったニライカナイ伝説の舞台である久高島を記録した映画「久高オデッセイ」を観て来た。久高島は琉球国を創った始祖が降り立った神の島と言われ、東方の海には黄泉の国、竜宮という理想郷ニライカナイがあると伝説となっている島である。その島の人達の生活記録の映画である。何故、ニライカナイ伝説、久高島に興味を持ったかと言うと、私たちは日本文化=農耕文化、稲作文化として理解してきたが、日本は島国であるにも関わらず海の文化が残されていないことが不思議に思えたからである。今なお残されているのは周知の「浦島太郎伝説」ぐらいで、この謎を唯一追いかけている高橋大輔氏によると沖縄にも同様の伝説があると言われている。(「浦島太郎はどこへ行ったのか」新潮社刊) 
ところで、この記録映画はこれからも続くとのことだが、久高島の住人(島人)の生活が神と一体となった生活であることが良く記録されている。年老いて亡くなった「おばあ」の葬送の記録には強くこころ動かされるものであった。集落のはずれまで皆で見送り、「ニライカナイの神様、これからおばあがまいります。どうぞよろしくお願いします。そして、またお戻しください」と祈る。人間と自然、俗界と聖なる場所との関係が生活の中に儀礼として今なお残っていることに驚く。

百姓=農民、孤立した島国、というドグマから解放してくれたのは異端の歴史研究家網野善彦さんである。商業者、職人、金融業者なども百姓としてくくられており、中世の日本では全国を自由に行き来していた事実。あるいは、島国とは回りは自由に行き来できる海があり、室町時代には南米ペルーまで丸木舟で日本人が渡っていた事実。こうした既成の歴史家によって切り捨てられて来た事実、庶民の歴史に着目した網野善彦さんである。もし生きていらっしゃれば、沖縄をフィールドに海の民の歴史、庶民の歴史を解き明かしてくれたと思う。久高島も他の村落と同様に若者は村を去り、漁をする海人はいない。都市化、都市への集中による固有文化の崩壊である。記録映画にも出て来ているが、イラブー(海蛇)漁の後継者もいない。久高島で生まれ育った女達が神女(ノロ)となる「イザイホー」という継承儀礼も1978年を最後に行われてはいない。久高島に近い糸満という漁師町の人から聞いた話だが、いまや糸満名物のかまぼこはベトナムからすり身を仕入れ加工しているという。近海の「ぐるくん」というかまぼこの材料となる魚を捕る漁師は皆年老いており、また加工する店もその多くが零細企業である。捕る魚は何かと言えば、高級魚の代表まぐろであると聞いている。まるで日本経済の縮図がここにも存在している。糸満にも久高島にも海の民の生活が残されている唯一の場所で、古代のこころ、日本の原風景の一つが消え去ろうとしている。

沖縄に行く度に那覇の国際通り周辺を歩くのだが、一言でいうと年々つまらない街へと変貌している。大手の観光土産物店、売られているのは同じような商品ばかりで、沖縄という固有な文化の香りは無い。三越裏に昨年10月にオープンした「沖縄そば博物館」で2度ほどすば(そば)を食べた。食は文化を語るには分かりやすい方法であるが、ラーメンのモノマネといった感がどうしてもしてしまった。沖縄そばのテーマパークは決して悪いことではないが、単なるそば屋の集積だけで、食の周辺商品を集めるといったテーマ性が文化まで高まっているとはいい難い。と言うより、那覇は歩いて楽しい、歩いて興味喚起・刺激されるような街並になっているであろうか。沖縄らしさ、紅型に代表されるような雅な風情と波や風をモチーフにした琉球絣のような素朴さ、「チャンプルー(=かきまぜる)」文化といわれるように本島と離島など異なる言葉をもった独特な雰囲気、猥雑さの中にある明るい生活臭、こうしたことは最早国際通りにはない。市場本通の奥に、今回も変わらずおばあが果物を売っていたが、そうした路地裏にしか「沖縄」は既にない。中高生の観光土産も必要とは思う。しかし、これからの観光、特に団塊世代といったシニアの旅は、「知」の旅となる。久高島に残るニライカナイ伝説はまさに知的興味をそそるテーマとなっている。勿論、久高島ではいまなおそうした神と自然と一体となって日々生活をしており、観光客として土足で家に入り込むようなことをしてはならない。例えば、沖縄で観光土産として「海人」といった文字が書かれたTシャツが売られているが、独自なデザインのTシャツを作り意匠登録をし、売上の一部を記録映画づくりなどの文化基金とする。あるいは久高島特産の海産物にも同様の基金とするような沖縄文化ビジネスの運動といったアイディアもあるだろう。つまり、文化を未来への社会価値として育てて行く「運動」こそ必要となっている。そして、こうした運動の周辺に新たなビジネスチャンスもまた生まれてくる。(続く)

PS 映画「久高オデッセイ」は3月2日まで那覇市桜坂劇場にて公開されている。以降、全国でも自主上映されるようで興味のある方は観られたらよいかと思う。(http://www.office-ten.net/kudaka/top.htm)  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:26Comments(0)新市場創造

2007年02月25日

駄洒落気分

ヒット商品応援団日記No143(毎週2回更新)  2007.2.25.

洒落は今で言うオシャレの語源で気の利いたことを指し示すものであるが、洒落に「駄」をつけると何か低級でセンスの無さを感じてしまうが決してそうではない。江戸時代上方から江戸に伝わってくるものを「下りもの」と呼んで珍重していたが、いつしか対抗して江戸の文化が生まれてくる。江戸文化の研究者の方から指摘を受けるかもしれないが、洒落に対する駄洒落は一種のカウンターカルチャー(対抗文化)のようなものと私は理解している。上方の押し寿司に対し、江戸ではにぎり寿司が生まれたように、文化という「違い」を楽しむ時代になってきている。今の流行もので言うと、刺繍されたジーンズに対するダメージジーンズのようなものだ。

ところで、和歌を詠むといった貴族文化は一つの季節行事として残ってはいるが、庶民が本格的に言葉遊びを楽しみ始めたのは江戸時代の川柳だと思う。初代柄井川柳(からいせんりゅう)が始めたものだが、庶民誰でもが参加できるように前句というお題に対し、それに続く句を詠む遊びである。日曜日の夕方日本テレビ系列の「笑点」を見ている方は分かると思う。この前句から続く後の句が独立したのが「川柳」である。連歌の練習としてスタートしたが、懸賞募集をしたことから庶民へと広まったと言われている。今は第一生命がスポンサーとして、同じように募集しているのが「サラリーマン川柳」である。(http://event.dai-ichi-life.co.jp/senryu/2007_best100.html)時代の雰囲気、世相をおもしろおかしく、ユーモアたっぷりに句が作られており、好きな人も多くいると思う。例えば、今年の応募作に次のような句が選ばれている。
◆  脳年齢 年金すでに もらえます  満33歳
こんな句から発想したのだが、任天堂DSのソフトに「脳齢年金受給ゲーム」といったブラックユーモアゲームなんかも作ったら面白いと思った次第である。この延長線上にはPCなどの「変換違い」や「言いまつがい」といった駄洒落もある。

敢えて、川柳を取り上げたのは、私たちのビジネスの考え方として、時代というお題に対し、後の句をどう詠んでいったらよいかよく似ているからである。しかも、川柳はくすっと笑える、そうそうとうなづける表現形式である。不安ばかりが増幅されている時代、停滞気味の市場情況の中にあって、顧客のこころの扉を開けるにはユーモア、遊び感覚こそ必要となる。以前、「標準語から方言へ」というテーマを書いたことがあったが、この方言をうまく使ったのは吉本の芸人であり、今回宮崎県知事になった東国原さんだと思う。東京に対するカウンターカルチャーとしての方言だ。
つまり、今流行っているものに対し、「アンチ」「反」「逆」を行ってみようということである。例えば、今や1億総健康時代で全てのものが健康を配慮したものとなっている。しかし、”食べたいものを食べる”というマーケットは小さいながらも存在する。マクドナルドの「メガ・マック」は米国では既に売られていない商品である。しかし、成人病をあまり気にしない給与もまだ低い若い男性サラリーマンというマーケットにとって、ある意味ヒット商品となっている。よく問題点の解決こそ、市場機会になると言われて来た。勿論、間違いではないが、逆に「良い点」は何かを探すことの中に、違う何かが見つかることもある。つまり、何が「良い」かという考え方を明確にすることでもあるのだ。どうすれば売れるか、どんなことをやればヒット商品になるかを考える前に、「これよさそうじゃない」「これって、おもしろそうじゃない」といった遊び感覚、駄洒落気分でやってみることも必要だ。以前取り上げた福岡の「こどもびいる」なんかはまさにそうした良き例である。(続く)  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:36Comments(0)新市場創造

2007年02月21日

「小」の経済学       

ヒット商品応援団日記No142(毎週2回更新)  2007.2.21.

経済単位が変わった。日常の食で言えば、あれこれチョットづつとなったのは既に10年前からであった。今やあらゆる分野で「小」単位が原則となってきた。「小」のビジネスを先行してきたのは周知のコンビニであったが、今や映画といった文化産業、エンターテイメントビジネスにおいても「小」が基本となってきた。スケールメリットという規模ビジネスは勿論あり得るが、それはNO1のみに与えられた戦略である。しかし、それですらいつしか崩壊していく様を何度となく見て来た。スケールメリットの多くは製紙や鉄鋼といった「装置産業」である。その装置が大規模工場であったり、大規模従業者数であったり、大規模資金であったり、人、物、金をいかに仕組みとして効率よく運営するかがメリット享受のポイントであった。興行収入で洋画を抜いた日本映画再生の秘訣は、「小」をいかに生かし切るかのアイディア・工夫にあった。映画産業は、ある意味職人ビジネスである。その職人を生かし、顧客が求めるビジネス規模に応えるための資金調達がポイントであった。あれこれチョットづつという多様な顧客志向を明確にし、ビジネスとして成立させたのが映画プロデューサーである。何が当たるか分からない不安の解決、特に投資資金の回収を可能にしたのが、リスク分散=小さな単位のファンド集めであった。東宝では20本の映画信託トータルでリターンを考える仕組みで、一口2000万という小さなファンドであった。資金も小さな単位で集め、小さな劇場・シネコンで放映し、小さな価格で楽しめるようになった、これが日本映画復活の鍵となった。

ここ数年前から、時間型サービス産業においても「小」が基本となっている。マッサージは10分単位、理美容院も30分のクイックサービス、快眠をテーマにした時間レンタルルーム、飲食店においても時間帯による入れ替え制を導入しているところすらある。物の単位ばかりでなく、時間の単位を「小」とすることによって「隙き間時間」という第三の市場が生まれる。そして、テーマですら「小」単位化が進んでいる。例えば、従来であれば中華料理には、四川料理、北京料理といった地域料理がテーマとなっていたが、今やフカヒレ料理や中国茶といったようにより細分化されたテーマ専門店となってきた。最近のショッピングセンターで成功しているフードコートもこうした専門店をうまく編集しているからである。

なぜこうした新しい「小」に着目したビジネスが生まれて来たかである。結論からいうと旧来の概念、業態や商品の変化要請があらゆる領域で、個性化=私化(個人単位)が行われ始めたということだ。例えば、ファーストフードとファミレスとは異なる第三の業態がこの変化要請に当たる。いわゆる食堂の再認識であり、大戸屋のような業態である。当然、ファーストフードやファミレスはその規模を「小」へと圧縮しなければならないのだが、物理的店舗を明日から半分にするという訳にはいかない。スーパーとコンビニについても同様である。スーパーサイドでは食品のフロアだけを24時間化し、一方ローソンのように生鮮品を扱うコンビニタイプを導入するといった第三の道の模索である。こうした第三の道で最初に成功したのが周知の和民であろう。居酒屋と食堂との間、居食屋という新しいコンセプトによる成功である。

このように全てが「小」ビジネス化していくことによって重要になるのが、その編集力である。流通では古くから使われている言葉であるが、一つの雑誌づくりのように売り場を見ていけば良いのである。特集、連載・シリーズもの、コラム、・・・・といった構成であるが、今注目すべきはコラムである。一番小さなスペースだが、小さいことによってより強い先行する「何か」を掲載できるのがコラムである。コラムニストの先人は天野祐吉さんであるが、最近は多くの人間がコラムニストを自称してきているのもこうした背景からだ。「小」であれば、たとえ失敗してもリスクは小さい。常に先行する何かを探る良き羅針盤にもなる。私は5〜6年前に百貨店のリニューアルの時に、「小」編集売り場やMDを提案したことがある。それは「ワンコインマーケット」という食品売場で、あれこれチョットづつを100円単位、500円単位の商品構成の編集であった。また、洋菓子についても、1個400〜500円のケーキと共に、一つのコラムとしてプチケーキセット3個550円というプライスの商品化の提案であった。ヒントは懐石料理の先付けであったが、既にある「小」の世界を転用する方法もある。大特集の時代から、小さくても光る「小」への着眼、コラム編集の時代へと移行した。(続く)  


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2007年02月18日

大切な時づくり 

ヒット商品応援団日記No141(毎週2回更新)  2007.2.18.

2月14日のバレンタインデーで注目されたのは「ミーギフト」(私自身にご褒美)であった。義理チョコは残るものの、本命チョコは「私」にということだ。個人化はあらゆるところで進行しており、ミーギフトは驚くことではない。個人化を住まい方で言えば単身化=単身世帯であり、DINKS世帯を入れれば優に50%を超え、その個人消費の旺盛さを「ヒトリッチ」と呼んで来た。このブログでも何回か取り上げて来たヒット商品「一人鍋」や「お一人様歓迎旅館やレストラン」もその象徴であり、おふくろの味は、もはやデパ地下の総菜や給食となった。しかし、「ひとり」でいることの居心地の良さと共に、何か寂しさを感じているのも現実である。しがらみは義理チョコのように最低限に押さえ、あらたな人間関係づくり、人情チョコを渡したいという欲求はミーギフトの裏側に潜んでいる。既に高校生の間では「友(とも)チョコ」が流行始めている。こうした孤独化社会を癒してくれる時づくり、ひととき家族、ひととき夫婦、ひととき親子、ひととき仲間といった「ひととき関係」づくり市場が旧来の概念である「しがらみ関係」とは別にあらゆるところに進行している。

古くは合コンから始まり、最近の恵比寿界隈は仕事帰りの若い世代の立ち飲みショットバーが大流行りである。新橋駅付近のオヤジ居酒屋と同じ「飲みニケーション」であるが、上司部下といった上下関係ではなく、同世代の「ひととき仲間」である。
今、サントリーオールドのCM「父の上京」篇が流されている。東京で働く娘に会いにくる設定で、娘は仕事は順調と嘘を言い、父もまた出張で来たからと嘘を言う。互いに「嘘」と分かり合えている「大切な時」がその内容になっているが、私に言わせれば「ひととき親子」がテーマとなっている。父と娘、会話がもどかしい関係だが、こんな嘘はついてみたいと共感できるCMだ。
しがらみ関係と言えば、仕事の取引関係となるが、今東京で話題になっている和菓子屋がある。新橋にある老舗新正堂の「切腹最中」である。仕事でミスしてお詫びをする時持参する最中とのことだ。あんこがはみ出すぐらいの最中でチョットグロテスクだが、少なくとも談合関係ではない世界で、「人情最中」として話題にはなっているようだ。

戦前までは「家」が個人の居場所であり、戦後はその家が「会社」になり、ある意味バブル崩壊と共に、グローバリゼーションの進行に合わせて、会社から「個人」そのものが居場所となった。そこから生まれて来たのが、プチ家出という言葉が流行ったように居場所を求めて漂流する子供達だ。そうした少女達を救おうと夜回り先生こと水谷修さんが今なお活動していることは周知の通りである。バラバラになった「個」をつなぎ直す「大切な時」づくり視点が重要な時代となっている。住宅メーカーでは親子の大切な時づくりのための共同スペースが作られたり、親子で遊ぶ田舎ツアーやスポーツなどのメニュー、あるいは飲食施設の個室化などファミリー単位へと視座が変わって来た。その「ひととき」が強く記憶に残る、そんな思い出づくりが重要となる。ギフト市場、贈答市場は義理によるものから、心や気持ちを通い合わせる「時」づくり市場へと変化したのだ。バレンタインデーも新しい大切な時として、人情チョコとして、リニューアルしなければならないということだ。サントリーオールドのCMではないが、時に嘘も洒落た人情物語になる。また、「Always三丁目の夕日」の売れない作家が踊り子小雪さんにプロホーズするシーンを思い出す。お金のない作家は指輪の入っていない空箱を差し出すのだが、小雪さんはあたかも指輪があるかのように指にはめ、きれいとつぶやくシーンである。物にとらわれているとアイディアを失ってしまう。空箱でも、嘘でも、「大切」と思えば個と個はつながり合う。(続く)  


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2007年02月14日

知の退行現象

ヒット商品応援団日記No140(毎週2回更新)  2007.2.14.

少子化社会を反映し、今や大学全入時代となった。大学は生き残りをかけて合併を含めた再編が始まっている。あるいは教育のサービス産業化、学生という「顧客」を目指して、様々な入学促進策が行われている。学生寮にはカラオケ設備が用意され、就職期にはメイクアップ講座までが開かれる。学生の意欲を喚起するために、各種の資格取得に対して学費免除が用意される。あるいは、面接と小論文で大学入試が行われるため、大学の授業についていけない学力低下学生には、高校程度の基礎学力をつけさせるための補修授業までが行われている。そうした大学生活においても約11%が中途退学しており、卒業しても3年未満の離職率は約30%と言われている。ここでいたれりつくせりの教育を論じはしないが、確実に学力というより知力が低下してきている。こうした知力(体力を含め)低下の主要な原因がテレビゲームにあると指摘する現場教育者(「百マス計算」「読み書き計算」で注目された尾道市立土堂小学校長の陰山英男氏)も存在している。確かに、1980年代後半にあのドラゴンクエストは400万本も売れ、ほとんどの小中学生のいる家庭にあった。この時の子供達が今高校や大学生の両親となっている。その任天堂が昨年ヒット商品DSを生み出したのは皮肉なものである。

ところで江戸時代はどうであったかというと、おそらく世界NO1の知力水準にあったと思う。義務教育がなかった時代、庶民は「指南所」(上方では寺子屋)に通い、その就学率は70〜80%と言われている。当時の英国の就学率が20〜30%と言われているので、いかに高かったか分かるであろう。ひらがなから始まり、数字や地名といった実用的な読み書きの他に、礼儀作法や道徳を教えていた。その道徳であるが、儒学者に編集させた「六諭(りくゆ)」という教科書がある。
①親孝行をしなさい
②年上のものを敬いなさい
③隣近所と仲良くしなさい
④子供のお手本となるような生き方をしなさい
⑤仕事はしっかりしなさい
⑥間違ったことをするな
先生になったのは、お坊さん、浪人、神主など教養のある人達で、授業料はあってないようなもので、八百屋の子供は授業料代わりに店の野菜などを持ってきたそうである。江戸後期、市内には約1500もの指南所があった。一方、武士階級はどうかというと、昌平坂学問所などは極めて厳しく4〜9級のクラスがあり、進級試験で次々とふるい落とされていき、最後まで残るのは10%に満たないと言われている。

昨年暮れ、2006年のヒット商品の着眼点「ヒットの読み方」の中で、私はその裏側に「知」があると書いた。任天堂DS、mixi、ダ・ヴィンチ・コード、TSUBAKI、といったところの商品であるが、「知」の欲求商品であり、知の退行現象をある意味で取り戻す商品である。ベストセラーになった養老孟司さんの「バカの壁」から始まり、最近では脳科学者の茂木健一郎さんに注目が集まっているのも、「こころ」という不思議な世界を解き明かしたいという欲求によるものだ。子供の知的社会体験商品という言い方であればキッザニアも該当する。私が好きな沖縄でも、方言を学ぶために「おばあ」を先生にした小さな場が作られつつあると聞いている。東京では散歩がブームであるが、ブームを超えてテーマを持った散歩クラブが無数存在し、東京再発見という小さな知の旅となっている。大きなマーケットとなるであろう知育玩具市場には異業種企業が一斉に参入し始めている。2005年にデジタルハリウッド大学がネット上でスタートしているが、2007年4月にはソフトバンクがサイバー大学をスタートさせる。昨年、「品格」が流行語大賞となったが、「品」は知性のなせるものである。10年前から言われてきた知価社会はやっと本格化し始めた。知的な商品・サービス、知性を感じさせる美的世界は、これからのヒット商品の基本原則となる。つまり、「知」の物語消費のスタートである。(続く)  


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2007年02月11日

まだら模様の情報格差

ヒット商品応援団日記No139(毎週2回更新)  2007.2.11.

情報格差の時代が始まっている。仮説はこうである。情報を発信するメディアの集積度合いの高い都市(中心)と低い地方(周辺)とでは情報量及び質が異なり、結果情報によって消費行動は異なったものになる。ところで、情報とは極まるところ「刺激」である。ある意味で刺激のない情報は情報ではない。今回の「発掘!あるある大辞典II」による納豆騒動を見れば一目瞭然である。私も周辺のスーパー3店舗ほど売り場を見たが放送直後の店頭には納豆はなかった。地方にいる知人とこの事件の話をしたところ、売り場には納豆があったとの話であった。勿論、スーパーに殺到したのは30代後半以上の女性、老化やダイエットを外側だけでなく内側(食)からも解決したいと考えている人達である。
昨年、サプライズといった過剰情報の時代は終えたと書いたが、まだサプライズ効果は一定のテーマ(健康&美容)マーケットにおいては存在していた訳である。情報を発信するメディアの集中度は都市、特に東京は極めて高い。既存のメディアであるTV局数を始め、新聞・雑誌やラジオ、最近話題のフリーペーパーの配布部数などの他に、情報発信という視点に立てば人メディア、街並界隈性というメディア、あるいは商業施設というメディア、勿論ショップも商品も絶え間なく鮮度&変化情報を発信している。高度情報化社会における特徴であるが、過剰情報、過剰刺激というカオスの中に都市生活者はいるということである。

こうした情報量という格差と共に質においても格差は生まれて来ている。情報は刺激であると書いたが、その刺激も心理学でいうところの動因(モーティブ)をその時に持った顧客が存在して初めて効果を発揮する。その動因とは興味を惹きつけるテーマであり、その時というタイミングによってである。例えば、情報産業であるコンビニの棚にある商品を時間帯毎に見ていけば分かる筈である。都市という人の流動性(=購買可能性)の高いコンビニは1日の商品の入れ替え頻度は極めて高い。地方のコンビニは入れ替え頻度は低い筈である。つまり、入れ替えというテーマ情報刺激を回数多くしているのが都市(中心)ということだ。情報産業であるコンビニも先行するセブンイレブンに対し、ローソンは立地によってテーマ性を変え、ナチュラルローソンや100円ショップのような「ローソン100」、あるいは刺身などの生鮮食品を扱う「ローソンプラス」まで情報刺激を変えてきている。つまり、小売業にとって、質とはその時欲しいなと思ったものが手に入る時間帯毎のテーマ編集となる。求められているのは「今」を売り続ける力である。ここ10年、渋谷109が快進撃を続けているのは、若いティーン女性の「今」を提案し続けているからである。

一方、地方(周辺)に情報刺激がないかと言えば、勿論存在している。しかし、圧倒的に情報のスピード、密度が低い。2007年春、東京では2つの大きなプロジェクトがオープンする。3/末には防衛庁跡地に東京ミッドタウン、4/末には東京駅丸の内に新丸ビルがオープンする。新たに「今」という情報の集積がなされる。六本木ヒルズのオープンほどではないにしろ情報興味集客=観光地的顧客は集まるだろう。
この情報格差を平準化する動きは、1996年以降のインターネットであり、2006年のWeb2.0だと思う。ビジネス、商業という面ではなんといっても楽天市場やヤフーオークションであった。出店企業、出品者の分布を正確に把握はしていないが、中心と周辺の格差はない。逆に、周辺であればこその知恵やアイディアを駆使したものが多い。放し飼いの鶏の有精卵や手作り酵母パンに始まり、最近では1枚4000円もする手作りアジの干物まで、一工夫されたものの多くは地方、周辺のヒット商品である。こうした小さなヒット商品は全て、都市生活者のライフスタイルを研究し、興味対象である「今」を言い当てているからである。但し、「今」は常に変化する。変化は顧客であり、常に自身もまた変わらなければならないということだ。1997年頃であったと思うが、当時ネット上で「雨降って傘屋どっと混む」というキャッチコピーで話題になった「心斎橋みや竹」のホームページ(http://www.kasaya.com/)を久しぶりに覗いてみた。やはり、「今」は存在し、顧客興味=市場機会の可能性を探り続けている。このように情報格差は、中心と周辺といったエリア間だけでなく、世代間、経済間、更にはマスメディアとネットメディアとの間においても生まれて来ており、まるで「まだら模様」の如くである。(続く)  


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2007年02月07日

気づき力の時代

ヒット商品応援団日記No138(毎週2回更新)  2007.2.7.

今、マーケティングやマーチャンダイジング、あるいはヒット商品や業態の開発担当者の課題となっているのが「気づき力」についてである。ヒットするかしないかも最終的にはアイディア次第という一言で終わってしまうが、そのアイディアの源は何か、それをどう気づくかがテーマとなっている。少し理屈っぽく整理すると次のようになる。
①一つの仮説に基づいて「行動」してみる
②今までとは異なる変化に「気づく」
③その変化を「観察」する
④整理し、「理解」する
⑤最後に「実現」するべく実行する
特に重要なこととして②の気づきに注目が集まっている。ある意味「答え」を出していく入り口のようなもので、入り口を間違えれば答えも当然間違ってくる。私の場合、何十回と顧客調査を実施してきたが、一番重要視してきたのが、顧客の定性情報、いわゆる何を書いても答えてもよいフリーアンサーの項目に「何」が出て来ているかであった。理屈っぽくいうと、顧客の本音が一番出やすい項目であり、心理市場といわれるような「心の動き」を見ていくには一番良い方法であった。その時私がしたことは、生の文章、生の言葉にふれることであった。繰り返し繰り返し、ふれていくと小さな変化を感じ取れるようになっていく。また、よく売れている店ばかりを観て、その後で売れない店ばかりを観て、その「違い」を感じ取れるように訓練したりした。私の場合、気づきとは感じ取ることだと思っている。

さて、江戸時代に新たな変化を提供したのが、行商や屋台といった流通業であった。例えば、江戸前のにぎり寿司の原型は上方の押し寿司やなれ寿司であった。江戸中期には経済も活性し、人の移動も激しくなり、時間がキーワードとなっていく。つまり、寿司を作る側も食べる側も「小時間」で済む食べ物の開発である。江戸の食の多くは上方が原型にあり、そこに小さなアイディアを付加したものであった。屋台という業態への気づきは「時間」に対する気づきであったと思う。また、江戸時代の商業の多くは行商で多岐多様な商品やサービスを扱っていた。リサイクル社会の江戸では「蝋燭流れ買」や「灰買」、面白いところでは「看板書き」「暦・番付」までもが行商されていた。よく江戸っ子を評して「宵越しの銭はもたない」とその心意気をいうが、その日暮らしで持てなかったのが事実のようである。そうした経済背景から、その都度毎日必要なモノだけを行商から買い求めていた訳である。面白いのは行商は全て専門店で、後に大きな資金を必要とする呉服の行商は店舗を構え越後屋(後の三越)といった百貨店となっていく。また、江戸は単身世帯が多かったことから、損料屋という手ぬぐい1本からペットまでレンタルするビジネスが盛んであった。江戸中期に四文銭が普及すると二十文銭のところを一文安く売る十九文銭という価格立てが流行り、今日の100円ショップならぬ99円ショップのような発想も生まれていた。こうした多様な商売も顧客接点によってのみ気づきも生まれアイディア豊かなビジネスが開花した時代であった。

今日、気づく力や感じ取る力が注目されているのは、膨大な情報が駆け巡る社会の中にいて情報に翻弄されているからである。「発掘!あるある大辞典II」のねつ造事件を見ればよくわかることだ。必要なことは情報を見るのではなく、顧客、目の前にいる顧客をリアルに見続けることだ。そして、自ら体験し、身体も含め感じ取れる力を復元するということである。納豆好きは今なお納豆を食べている。このマーケットがロングセラーを創っている。「発掘!あるある大辞典II」放映後に売り場に殺到したマーケットは「バブルマーケット」ということだ。過剰な情報の時代にあって、気づかなければならないことの第一は、「誰を顧客にしたいか」ではなく、「誰が顧客か」である。そして、その顧客が明日もまた顧客であり続ける「理由」は何であるかに気づくことだ。(続く)  


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2007年02月04日

和ブームの本質

ヒット商品応援団日記No137(毎週2回更新)  2007.2.4.

日本映画の興行収入が21年ぶりに洋画を上回った。シネコンが普及し、周防監督の映画のように小劇場で観るにふさわしい映画が生まれ育って来たのだと思う。また京都ブームは続き、今年度は観光客数5000万人を目指すと聞いている。食の分野においても健康志向の延長線上で玄米や雑穀米の人気も定着し始めている。住宅においても和のインテリアだけにとどまらず、和室を組み込んだ住まいも定着し始めている。いわゆる和ブームのモノやサービスは好調であるが、どこかチョット違うなという感じがしている。

今、東京郊外の河川で蛍の再生に取り組んでいる人やプロジェクトがいる。銀座のビルの屋上でミツバチを飼って蜂蜜づくりをしている人達もいる。東京都の小中学校の校庭の芝生化も始まっている。自然との共生、取り戻しであるが、江戸時代の人達はどうであったのだろうか。江戸も中期になると都市化してくる。自然を生活に取り入れる風物詩、朝顔などの園芸と共に「虫聞き」が盛んであった。鈴虫、こおろぎ、蛍、といった「虫売り」は6月位から始まり、お盆の頃まで売っていたと言う。既に、江戸の中心部には虫が生息する自然は無く、武蔵野あたりで人工的に孵化させた虫を売り歩いていた。今日の百貨店でかぶとむしやクワガタが売られるようなものである。ただ、今日と江戸時代の違いは、売れ残った虫を「放生会(ほうじょうえ)」といって野に返していたことである。命あるものを野に返し、後生を願うといった、自然との共生認識である。この認識は自分が死後虫に生まれ変わるかもしれないという認識を踏まえた「放生会」であったということだ。こうした死生観、自然観に裏打ちされた共生であった。

江戸時代の基幹交通は水上交通であったが、治安も良くなり道路も次第に整備され、五街道が一般庶民でも旅として使えるようになる。ヨーロッパの街道が軍隊によって開発整備されたのに対し、江戸時代の街道は商人、商道として開発された。江戸中期の「お伊勢参り」は一生のうち一回は行きたい旅として大ブームとなる。身の回りの世話をするお供をつれた豪勢な旅もあったが、ヒッチハイクのような宿場で働きながらの旅もあった。日本の人口が約3000万人の時代にお伊勢参りには500万人が行ったという。平和な時代の象徴が旅であり、通行手形も町役人や場合によっては大家が発行していた。今日のパスポートであるが、そこには「もし亡くなったら亡骸を送り返す必要はない」との一文が書かれていた。良い意味での自己責任が徹底していた。前回、「浮世」というキーワードについて書いたが、この世は苦しくもあり、楽しくもあり、一生物見遊山という人生観における自己責任である。モノの所有、例えば財産を作ることにエネルギーを費やすのではなく、人生という「時間」を楽しむ価値観を第一とし、旅はそのさえたるものであった。昨今、言われている「時間消費型マーチャンダイジング」と同じである。

現在の和ブームは、雰囲気が好きとか興味があるといった「入り口」段階である。「洋」一辺倒であったライフスタイルから、「違い」を求めたり、「変化」を求めるといった入り口だ。江戸のライフスタイルと比較をしてきたが、現在の和ブームはまだまだ表層をなぞっているだけで「和」の本質にはたどり着いてはいない。「方言と標準語」でも書いたが、日本文化の固有性への理解は難しい。ひらがな、カタカナ、漢字、しかも音と訓がある言語をもつ民族は世界で日本だけである。米国にはまがい物の店も含めてであるが、日本食レストランは2005年度の統計で約9000店もあり、世界の目は日本に注がれている。しかし、残念ながら日本人だけが日本文化に対し無自覚であった。今、やっと入り口にたどり着いた訳であり、これからが本格的な「和」のビジネスが生まれてくる。京都・奈良の観光も団塊世代にとって「思い出旅行」として一度は行くこととなるが、寺社仏閣的観光では「和」にはたどり着けない。今、京都では路地裏観光が盛んであると友人から聞いているが、京都は路地裏の一般庶民の生活の中に「和」が残されている唯一の都市だ。これからは和の生活文化に向かうことになる。しかし、マクロビオテクスのように「理屈」を食べても楽しくはないのと同じように、和の文化の理屈を提供することではない。今なお生活歳時の中に残っている四季という自然観や死生観、人生観をどのように感じ取ってもらうかがポイントとなる。例えば、懐石料理ではなく、おばんざいの中に着目すべき和の知恵と工夫を見ていくことだ。自分の生活の中に取り入れやすく継続できる、日常的で小さなものが「和」の本質へとつながっていく。キーワードとして言うと「生活文化体験」となる。(続く)  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:29Comments(0)新市場創造