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ヒット商品応援団
「人力経営」という本を書きました。ヒット商品の裏に潜んでいる「人」がテーマです。取材先はダスキン、エゴイスト、野の葡萄、叶匠寿庵、桑野造船の経営リーダー。ユニーク、常識はずれ、そこまでやるのか、とにかく面白い経営です。星雲社刊、735円、新書判。

2006年06月28日

未来の壁 

ヒット商品応援団日記No76(毎週2回更新)  2006.6.28.

ここ1〜2年、全ての産業がサービス化されるに従って、「人」へのモチベーションアップの手法や仕組みが盛んに議論されてきた。つきつめていけば、違いという付加価値を最終的に産み出すのは「人」であると気づいたからである。それが、生産現場であれ、研究所であれ、勿論流通現場であれ、鉱物資源など持たない日本にあって唯一生産性と共に固有性という何事かを産み出すものこそ「人」であるということに行き着いた訳である。こうした人の成長を経営の中心においた企業の一つにダスキンがある。祈りの経営というユニークなポリシーをもつ企業であるが、その経営理念は人の本質をついた世界となっている。

「一日一日と今日こそは
あなたの人生が(私の人生が)
新しく生まれ変わるチャンスです
自分に対しては
損と得とあらば損の道をゆくこと
他人に対しては
喜びのタネまきをすること
我も他も(わたしもあなたも)
物心共に豊かになり(物も心も豊かになり)
生きがいのある世の中にすること 合掌 」(ダスキン祈りの経営理念)

さて、皆さんはこの経営理念をどう読み解かれるだろうか?ダスキン関係者であればその理念を自分の体験を交えながら話をすることだろう。私なら今風に置き換えると、養老孟司さんの「バカの壁」ではないが、自分の勝手な思い込みで決めつけていた「自分」を解き放ちなさいと。朝、目がさめたら新しい真っ白な紙にどのようにでも描けますよ、生まれ変われるチャンスですよ、と変われる自分であることを経営理念としてもっていると解釈している。毎朝、この経営理念を声を出し全員で確認し合っている会社である。40数年前に創業した当時のベンチャー企業であればこそ、こうした自ら変化を受け入れ変わることに躊躇しないエネルギーとアグレッシブさが必要であったのだと思う。しかし、40数年前も今も「変化」に対する受容に変わりはない。逆に、パラダイムの変革台風の中心に入っている現在こそ必要な経営であると思う。未来は茫洋とした先にあるのではない。今、変化し続けることの中にしかない。
今、個人化が進行し、ビジネスにおいても個人力の総和がビジネスの基礎となりつつある。米国では三千数百万人のフリーエイジェントが活動していると言われている。一昔前、”数パーセントの優秀な人間さえいれば会社は成長する”と言われてきた。実際、そうした数パーセントの人間によって伸びてきた事実もあった。しかし、今日そんな悠長な時代ではない。一人一人が戦力となって競争しており、社内の垣根を超えたプロジェクトやアライアンスといったビジネスが日常化している。個人+個人という足し算ではなく、個人×個人という自乗倍の世界へと変化するのが人のもつ潜在資源力である。そして、ビジネスは継続であり、個人ではその発想力やアイディアに限界があり、チームという考え・単位が必要になっていると思う。いわゆるチームによる「協業」である。映画やオーケストラ、あるいは農業における協業にも例えられるが、それぞれが専門分野という役割を果たしながら、相互に刺激し合い高め磨き上げる仕事術である。こうしたチーム経営、プロジェクト、アライアンスに重要なことは、先ずは明快な目標・目的をもつことである。
ところで話をダスキンの経営理念に戻すが、「損と得とあらば損の道をゆくこと」とあるが、どういうことであろうか?今から30年ほど前、ダスキンは化学ぞうきんというヒット商品によって、本部&加盟店というチーム経営が順調に回り始めたその時に、「損の道」を戦略的に採択したのである。次なる「変化」として、愛の店事業という「損の道」を創業者鈴木清一が提唱したのである。“ダスキンは、これからが本番。どのような損の仕方をして経営を広げていくか“私流に言えば、損という「未来投資」をどのようにしていくのか、という次なる経営目標・目的を明確にしたと理解している。そして、この事業によって、周知のダスキングループの経営の基礎ができたのである。ここから学ぶことは、個人の成長こそビジネス成長の第一歩との認識と共に、チームには常に「未来」という変化を取り入れ、更に「生まれ変わる」ことができるとする強い経営への意志だと思う。ところで、多くの人がワールドカップでの日本チームの戦いを見たと思う。変化=未来を取り入れ続けるとは、中田英寿のいう「90分走り続けること」であり、「ボールを奪い勝つこと」である。ある意味で「損の道」、捨て身で闘った中田と言えると思う。ブラジル戦終了後、ピッチに一人仰向けに寝て涙していた中田の姿に、個人の成長とチーム経営という難しさを重ねて見てしまったのだが、皆さんはどう感じられたであろうか。中田英寿はどんな次なる未来を描くのか見守りたいと思う。(続く)

追記 ちなみにブラジル戦前日、中田は公式サイトに次のようなメッセージを寄せている。
・・・・・・・・・・・・
“全力でブラジルを倒しに行く”
これが俺がやるべき事であり、やれる事。
もちろん、これまでの2試合も、全力で相手を倒しにいったけれども、今度のブラジル戦は最低でも“2点差以上”で勝たなければならず、得点を取られないようにするという問題以前に、得点を取らないとどうしようもない。1-0で勝つような試合ではなく、もしかしたら3-4で負けてしまうかもしれない、そんな試合をしたいと思う。
ともかく、守らなければならないものは唯一
“誇り”
これまでの自分の人生の為に、これまでの自分に関わってきてくれた全ての人の為に、そして最後の最後まで、自分を信じ続けてくれているみんなの為に、すべてを尽くして戦ってきたいと思う!! この試合が最後にならないことを信じ続けて……。ひで (http://nakata.net/jp/hidesmail/hml277.htm

追記  6月20日以前のブログをご覧いただく場合は下記のアドレスにアクセスください。http://remodelnet.cocolog-nifty.com/remodelnet/  


Posted by ヒット商品応援団 at 14:15Comments(1)新市場創造

2006年06月25日

人力経営

ヒット商品応援団日記No75(毎週2回更新)  2006.6.25.

ここ1年程の間に相次ぐ経済事件が起きた。一連の耐震偽装事件、東横インの条例違反、ライブドア事件、村上ファンド事件、最近では社保庁による情報改ざん、シンドラーエレベーター事件もそうだと思うが、全ての事件に通底しているのが「経済合理性の追求」である。1990年代半ば、IT技術を活用した革新的なマーチャンダイジングやマーケティングによって、市場を一変させた企業、ブランドが相次いだ。例えば、ユニクロ、楽天市場、・・・・・・それぞれの企業が果たした役割は知っての通りである。そして、今遅れていた業界、市場において2000年前後の規制緩和を一つの契機としてこうした経済事犯が起きてきた。経済合理性の追求はどの企業においても当たり前のことであり、利益の最大化のためにこれからも必要な視座である。しかし、一見非経済的に見える戦略を採り高収益を上げている企業も実は多い。マスコミにとって、話題にならないテーマであり、取り上げることはまれである。彼らも、視聴率や販売部数という目標を持っているからと思う。結果、類似したテーマ、類似した事件、類似した人に集中し、ユニークな経営をしている企業が表舞台へと出てくることは少ない。
一見非合理的に見えるが、実は理にかなった企業に未来工業という会社がある。岐阜にある電設資材メーカーで製品点数は約16,000点と極端に多く、売れない製品を作りつづけている。そこにはアイディア溢れる「小さな違い」の製品をどこよりも先行して作る現場経営の仕組みがある。この発想は、非常識経営と言われているホームセンターのジョイフル本田と同じである。「死に筋」だからこそ扱うとして、ねじ、釘、ビス類をバラ売りし、「ジョイフル本田になくてどこにあるんだ」と言われるまでになったケースと同じである。売れ筋を追いかけると店はどんどんつまらないものになってしまうと言って、売るものは「夢」ですというジョイフル本田と「楽して儲けよう」というアイディア溢れる小さな違いを創造する未来工業は、共に一般的な経済合理主義を超えている。
経済合理性を別の言葉に置き換えると、コストパフォーマンス、システム化、それらを貫くIT技術といった方法が盛んに言われ取り入れられてきた。しかし、同時にIT依存には限界があると認識を改めはじめている。一時期、より顧客に近いところのビジネス、中抜きビジネスとして通販が脚光を浴び、誰もが参入した。周知の通り、分厚い総合カタログはほとんど存在していないか、専門カタログとして再編されている。しかし、通販カタログで今なお元気なのがカタログハウスの「通販生活」である。勿論、コンセプトは明確であり、特定顧客を対象としたビジネスであるが、この通販生活の最大特徴は実は顧客接点である「お便りありがとう室」にある。顔が互いに見えないビジネスであることから、見えるように見えるようにと、いただいたお便りには必ず「手書きの返事」でお応えしている。こんな「アナログ的」運営を行っているのが通販生活である。未来工業もジョイフル本田も、通販生活にも共通して経営のコアとなっているのが「人力」である。しかも、顧客接点現場での経営、ある意味で「人力経営」、人の成長が経営を支えているとする企業文化と言えよう。どんなに、顧客データベースがあろうと、効率よいシステムが組まれようとも、コストパフォーマンスの良い地域で生産しようとも、常に経営の中心には「人」を置いているという単純な事実である。このことを忘れた時、経済事件が生まれる。(続く)

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Posted by ヒット商品応援団 at 17:14Comments(0)新市場創造

2006年06月21日

うわさの法則 

ヒット商品応援団日記No74(毎週2回更新)  2006.6.21.

ダン・ブラウンのベストセラー小説の映画化である「ダ・ヴィンチ・コード」がヒットしている。6月6日には800万人を動員し、1000万人を軽く超えるといわれている。様々な暗号解読をビジュアルでうまく表現した点は、古くは「ビックリマンチョコ」とある意味では同じである。また、1990年代初頭の謎本「磯野家の謎」もそうであった。物語消費の過剰さは、一方で「謎解き」消費の過剰さへと向かっている。最近のマスメディアのテレビ報道までもがそうした方向に進んでいる。元来、いち早く正確な事実報道を主眼とするニュースはワイドショー化を超えて、謎解きに終始しはじめている。今回の秋田小1児童殺害事件も、鈴香容疑者のこころの謎解き報道となっていることは誰もが感じていることと思う。ゲストには犯罪心理学者や元警察鑑識、あるいは脳科学の専門家までが出演し、専門意見を述べる。視聴者は、時に警察官になり、被害者の母親になったり、場合によっては裁判官にもなる。常に、表現されるのは「こころの闇に迫る」といった、不可解さに対する投げかけである。視聴者、受け手にあるのは、「曖昧さ」に対する言葉にならない「不安」と「怖さ」であると思う。例えば、少年犯罪のデータを見てもわかるが、ここ10年間の刑法犯の推移は若干上昇気味ではあるが、戦後60年の推移と比べたら極めて少ない社会となっている。しかし、多くの人は「社会に少年犯罪が蔓延」していると思っている。これは情報化社会の特質で、「不可解=曖昧な情報」への過剰反応の連鎖が起きているのだ。
こうした過剰反応の連鎖については、「うわさとパニック」など既に多くのケーススタディ、社会心理における研究がなされている。ここでは、その原点ともいうべき「うわさの法則」(オルポート&ポストマン)を簡単に説明してみたい。
R=うわさの流布(rumor), I=情報の重要さ(importance), A=情報の曖昧さ(ambiguity)
< うわさの法則:R∝(比例) I×A >  
つまり、話の「重要さ」と「曖昧さ」が大きければ大きいほど「うわさ」になりやすい、という法則である。但し、重要さと曖昧さのどちらか1つが0であればうわさはかけ算となり0となる。例えば、1997年神戸で起きた「酒鬼薔薇事件」では次のような法則が成り立つ。
・重要さ:人命にかかわる   ・曖昧さ:犯人は誰かわからない  ・うわさ:次は誰が狙われるかも?
当時、「犯人は中年男性かも」といった「うわさ」が流布されたことを思い出すことと思う。私は敢てこうした事件を取り上げたのも、今流行の「口コミマーケティング」もこうした法則を踏まえて実施されている。ある意味で、「曖昧さ」に人は耐えることがことができないという「心理」をついたマーケティングである。視点を変えれば、心理市場の側面をもつ株式市場などはものの見事に当てはまる。「風説の流布」が極めて重大な犯罪となるのはこうした背景からである。私自身、30数年マーケティングを実践してきており、こうした法則は勿論頭に入っているが、「うわさの流布」を意図的にやったことはない。逆に、「うわさ」の対極にあるのが「実体験・リアリティ」であり、曖昧さの解決=「実体験」が連鎖していく方法こそ「口コミマーケティング」であると考えている。今、「曖昧さ」に対する不安は4つに分けることができる。
1、健康に対する不安:癌といった病気から身じかな不眠といった不安。更には、「食」への不安。
2、経済に対する不安:世代によっても変わるが、社会保障から勤務先企業の経営や仕事への不安。
3、社会に対する不安:主に、凶悪犯罪からオレオレ詐欺などへの不安。
4、人災に対する不安:住まい、エレベーター、電車など生活インフラに対する漠然とした不安。
今、「曖昧さ」の極にあるのが未知なる「こころ」である。しかし、最近の脳科学ではかなりのことが分かってきている。人間の脳の発達は、人と人、人と機械の間では大きな開きがあることが分かってきた。つまり、脳は五感で培われ、都市という五感を感じることの少ない環境では、いわゆる「キレル子供」が多い。既に25年間、「じゃれつき遊び」という情動のおもむくままに遊ばせこころを抑制する訓練を行っている幼稚園に注目が集まっている。都市化によって失ってしまった、いわゆる「五感を取り戻す」一つの動きである。情緒障害を起こしている子供だけでなく、ごく普通の子供ですら山村留学をはじめ自然を感じ取れる環境づくりが必要となっている。情報の表層をなぞるような「うわさ」の時代にあって、こうした「謎解き」こそ必要であると思っている。(続く)

追記6月18日以前のブログをご覧いただく場合は下記のアドレスにアクセスください。http://remodelnet.cocolog-nifty.com/remodelnet/  


Posted by ヒット商品応援団 at 09:34Comments(1)新市場創造

2006年06月18日

キラーコンテンツ  

ヒット商品応援団日記No73(毎週2回更新)  2006.6.18.

キラーコンテンツという言葉は一時期流行ったので記憶に残っていると思う。ある商品やサービスを普及させるきっかけとなるコンテンツ(情報やサービス)のことをキラーコンテンツと呼んでいる。あまり良い例ではないが、家庭用のビデオ普及のキラーコンテンツにはアダルトビデオがそうであった。最近では、コンテンツを更に明確化しようと「キラーアプリケーション」「キラーソフト」など細分化されてきている。しかし、言葉の意味合いを少し範囲を広げれば、今回のワールドカップが薄型テレビの拡販に大きく働いていることもキラーコンテンツと呼んでもかまわないと思う。つまり、小売業的に言うと、全てのフロア・売り場が平均的に売れている訳ではない。そこには、キラーコンテンツに近い、ブランドや商品、時にはイベント・催事などを組み合わせ編集している。もっと平易に言えば、「強い目的買い」と「ついで買い」といっても、それほど間違いではない。いづれにせよ、強く引きつける情報&サービスのことであり、誰もがこのキラーコンテンツを探している。ある一つの物語、ある一つのプログラム、ある一つの使用方法、概念を広げればたった一店、たった一人、たった何かによって、市場が異なるフェーズ(相)へと移行してしまうコンテンツである。
どこにでもある金太郎あめのようなテナントの入った商業施設であった渋谷109が、どこにもない固有なティーンのファッションビルへと変貌していく点となったのは、やはり「エゴイスト」であろう。大人になるための儀式衣装として「セクシー系」のアイテムが並び、入学を望むティーンは渋谷に集まったのである。そこには祭司をつかさどるカリスマ店長がおり、儀式を終えた生徒は商品というお土産を買い儀礼を終えるのである。ネーミングにあるように、「私」を超えた「エゴ」のスタイルというコンセプトは、他との小さな違いではなく、全く違う世界を提示している。そこから、ガングロ・山姥という婆娑羅ファッションが生まれたのである。
さて、今やインポートブランドの代名詞になっているシャネルも同様だと私は思っている。ココシャネルには多くの逸話が存在している。「この服は売りに出せないわ。私のものになっていないから」「仕事は私の命をむさぼりくった。私の恋さえも」…過去の破壊者、自由に生きる恋多き女、激しい、怒り、…多くの人がそうココシャネルを評しているが、ココシャネルにとっての服とは、そうした生き方や生活、アイディア等、全てが一つのスタイルとして創られたことにある。逸話はそうしたスタイル創造の過程として必然的に出てきたものと思う。クチュール以外でも単なる臭い消しであった香水を清潔でエレガンスなものへと革新させ「No.5」「No.22」を出していくことは知っての通りである。
エゴイストがシャネルのようになれるかといったことではない。エゴイストは渋谷109を一変させ、シャネルはヨーロッパ社交界のクチュールを始め香水、アクセサリーなど「オシャレ」世界を一変させた。いささか強引ではあるが、そこには「キラーコンテンツ」の持つ市場への在り方が見て取れる。エゴイストにもシャネルが生きた時代と同様に、ティーンにとって「既成」に対する破壊、反逆、アンチ、を受け入れる背景がある。別の言葉でいうならば、多様な価値観が錯綜、衝突するパラダイムの転換期市場ということができる。違いはシャネル自身が「モードではなく、私はスタイルを創り出したのです」と語っているように、エゴイストがモードであるのに対し、シャネルは「生き方」としてのスタイルを貫き通した点にある。変化への破壊であれば、破壊し続けることが宿命となり、エゴイストはコンビニ以上の鮮度を保つためのマーチャンダイジングを必要とする。一方シャネルの場合、後継者であるカール・ラガーフェルドが言うように、「スタイルを受け継ぐのではなく、シャネルの精神を受け継ぐ」ということになる。こうした違いはあっても「既成」への強い反逆、破壊がキラーコンテンツの本質であると思う。
話は変わるが、一連のライブドア事件、村上ファンド事件を思うにつけ、私はその倫理性の欠如について断罪してきたが、一方日本の証券市場をある意味で様変わりさせた「キラーコンテンツ」のように思えて仕方が無い。ここ1〜2年規制緩和と共に、書店の棚は金融関連の書籍・雑誌で埋められ、主婦のデイトレーダーが話題になり、証券市場の20%を個人株主が占めるようになったのも、堀江・村上というコンテンツが大きく作用してきたことには間違いない。結果として、自らを「キラー」としてしまったが、一度キラーコンテンツがどのように証券&金融市場に変化を与えてきたかスタディしたいと思っている。(続く)

訃報  6月13日、ヒット商品応援団の仲間である梅原豊和氏が亡くなられた。あまり大阪に行く機会がなく、昨年12月に食事をしたのが最後であった。癌との闘病中であったが、そんなそぶりは微塵も見せずによく食べていた。大阪から離れず、大阪のデザイナーのために少しでも貢献したいと、その時語っていたが、元来商売人であった梅原氏が死期を感じていたのかもしれません。叔父さんである梅原龍三郎画伯ばりの強いタッチのデザイナーであったが、あの世でもヒットデザインを創り続けることと思います。感謝、そしてご冥福をお祈りいたします。ヒット商品応援団 飯塚敞士

追記 −1 6月18日以前のブログをご覧いただく場合は下記のアドレスにアクセスください。http://remodelnet.cocolog-nifty.com/remodelnet/  


Posted by ヒット商品応援団 at 16:29Comments(1)新市場創造