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ヒット商品応援団
「人力経営」という本を書きました。ヒット商品の裏に潜んでいる「人」がテーマです。取材先はダスキン、エゴイスト、野の葡萄、叶匠寿庵、桑野造船の経営リーダー。ユニーク、常識はずれ、そこまでやるのか、とにかく面白い経営です。星雲社刊、735円、新書判。

2011年09月23日

安全の見える化

ヒット商品応援団日記No519(毎週更新)   2011.9.23.

台風15号が首都圏を始め関東地域を縦断した。東京では山手線の運転が見合わせられ、ほとんどの私鉄も同様で帰宅時の足がほとんど失われ、3,11ほどではないが、タクシーやバス乗り場には帰宅難民ではないが長蛇の列となった。しかし、3.11の時のような突然何が起こったのかとした自然への畏れのようなものを感じることはない。防災への慣れといったことではなく、自然とはこうしたことも引き起こすものであるとの認識、自然をやり過ごす考えがあり、極めて落ち着いた日常的な出来事ですらある。ツイッターでは動いている交通機関情報や格安飲食施設やカラオケボックスの情報交換など、3.11の時とは異なる行動が多く見られた。

ところで本業が少し忙しくなったせいかブログの更新が遅れてしまった。この間、東日本大震災の津波で倒れた岩手県陸前高田市の景勝地「高田松原」の松で作った薪を、 「京都五山送り火」で燃やす計画が放射能汚染を理由に中止された。風評被害に苦しむ福島県の生産者を支援するため、福岡市 の大型商業施設「マリノアシティ福岡」内に17日オープンする予定だった同県産品の専門店 が、計画中止に追い込まれた。更に、愛知・日進市の花火大会では、打ち上げが予定されていた福島県の花火が、放射性物質を心配する市民からのクレームで中止となった。市民から「放射能で汚染された花火を持ち込むな」といった抗議の電話やメールが20件以上寄せられたためであった。同時に、京都市の場合には何故中止といったことまでやるのか、やりすぎであるといった逆の抗議が寄せられたという。

放射能汚染に対する地方との情報格差と言えばそれで終ってしまうが、子どもを持つ母親とそうでない人間との認識の違い、3.11の受け止め方の違いが浮かび上がってきている。その根底にある原因は何か、それは原発事故、メルトダウンや放射能拡散の事実を結果として隠蔽した政府や東電にあるのだが、京都の場合も、福岡も、愛知の日進市の場合も、全て良かれと思って東北応援をした人間と、一方放射能汚染におびえる母親とが衝突する事態に至っている。
放射能に対する安全基準の不確かさが全てに基因している。国の基準では年間1ミリシーベルトとしているが、いや1年5ミリだいや年20ミリであると。しかも、それら基準は日本全国全てであるのか、半年も経過しているにも関わらず、それら数値は「暫定」のまま、つまり不確かな状態が今なお続いている。

以前、「うわさの法則」を引用しながら、その情報が命にかかわるような重要なことで、しかもあいまい・不確かであった時、うわさは生起し、しかも連鎖し続ける。その連鎖の先は元となった情報とは全く異なったものとなる。それを私たちはうわさではなく、デマと呼んでいる。
こうした不安心理がまん延する社会にあっては、例えば放射性物質の汚染情況について、「安全です」、「安全基準値以下です」といくら言っても不安は解消されはしない。パニックを起こさないためという理由から放射能汚染の拡散情報、スピーディのシュミレーション情報の開示を送らせた政府に対し、不安ではなく不信の塊となっているのだ。子を持つ母親の心理を考えれば、不安状態は続いている。

こうした市場にあって、ユニークな経営を行っている雪国まいたけが従来から行われてきた残留農薬や重金属に加えた放射性物質の検査結果を流通業者だけでなく、一般消費者にも日々公開すると広告において告知した。つまり、汚染の検査結果を数字で公開するというものである。その公開した数値を購入の判断基準にしてもらうということだ。つまり、不信社会にあっては、具体的な数値をもってしかコミュニケーションできないということである。その数値自体に嘘があったらどうするのだという声が聞こえてきそうであるが、少なくとも「基準値以下です」と表示することよりかは具体的数値の公開の方が信頼されるということである。福島原発事故後、放射能の線量計がヒット商品になるであろうとブログにも書いたが、その通りとなり、線量計を持つ母親がかなりの数に及んでいることを考えれば、生産する側も、流通する側も、最早自主検査の数値をも公開せざるを得ないところまできたということだ。

放射能汚染の程度を判断する安全基準だけでなく、自らの基準を持つことは成熟への第一歩である。それはお気に入りであることの前に、安全という基本欲求を自ら設定し、納得することが最大関心事となった。その納得とは何か、それは専門家の理屈ではなく、明確な数値で示すことである。見えない不安や恐怖を明確に数値化すること、いわゆる見える化が消費現場に要請されている。
安全というキーワードはこれからも続く。その後公開されたスピーディのデータを見ても分かるが、汚染は極めて広範囲である。ばらまかれた放射性物質は80京ベクレルという想像することが出来ない量である。つまり、これからもこの課題は続くということである。福島は桃や葡萄を始めとした果物が美味しい産地である。観光農園も盛んであるが、残念なことに桃狩りなどを楽しむ客は激減していると聞く。東北や北関東の山はキノコ狩りのシーズンであるが、各自治体は注意を呼びかけているという。魚介類の汚染情況について最近は情報に接することがない。小魚から大きな魚へと、いわゆる食物連鎖によって放射性物質はどの程度蓄積されているか、漁協の力を借りて行政は検査分析をしていると思うが、是非とも具体的数値をもって安全を語って欲しい。
生産する側も、流通する側も、そして消費する側も、その接点に置かなければならないのが、「安全の見える化」である。風評被害を防ぐためにも、安心を得る為にも、あいまいな表現ではなく、数値をもって安全を表現しなければならない時代だ。(続く)  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:43Comments(0)新市場創造

2011年09月05日

流行歌(はやりうた)が聞こえない

ヒット商品応援団日記No518(毎週更新)   2011.9.5.

東日本大震災への義援金が、8月23日現在約250万件、2816億円を超えたと報じられた。昨年末から今年にかけて、児童養護施設に「伊達直人」を名乗る人物からランドセルを始めとしたプレゼントが送られ、そうした善意が連鎖しタイガーマスク運動になった。その時感じたのだが、日本人はなんとシャイで照れ屋が多いことかと。無縁社会が流行語になるようなバラバラ社会にあって、互いにタイガーマスクという記号を使って匿名のままつながりあう現象であったが、東日本大震災はそれとは異なる次元のものであった。シャイも照れもなく、3.11の光景は我が身の痛さとして突き刺さったからだ。その痛みとは目の前で、多くの命、家族や知人・友人の命を持ち去ったことへの痛みであり、更に家屋も、学校も、車も、町も、生活の全てを持ち去った自然そのものへの畏れが痛みとして突き刺さったということでもある。そして、その痛みが義援金や現地ボランティアへと向かわせた。
その痛みが今なお続いているからであろうか、歌が聞こえてこない。多くのミュージシャンやアーチストが被災地を訪れ、支援のコンサートなどを行っている。被災した人達へ、ひととき心安らいで欲しいという意味で貢献しているとは思うが、被災者と無名の応援者とを結ぶ、そんな応援歌は未だ生まれてはいない。

戦後生まれの団塊世代の私でも物心つく年齢になると、まだがれきの残る東京の荒廃した風景のなかに多くの流行歌(はやりうた)が聞こえていたことを覚えている。美空ひばりを筆頭に、春日八郎、三浦光一、三波春夫・・・・戦中を経験してきた私より上の世代にとってはこうした歌手による歌が応援歌になっていた。私の世代と言えば、その後の米国文化の象徴であるエルビスプレスリーやベンチャーズによるエレキブームとフォークソングであろう。
歌は時代を映し出すとは、表には出てこない生活者の心の底にたまった自分では解決出来ない澱んだ何かを歌によって何十分の一、ほんのひととき気持ちを楽にしてくれるものの一つであった。心の底に澱んでいたものは「自分」を超えた時代そのものが持つ、故郷への想いであったり、別れであったり、男と女の愛憎などをテーマとしたいわゆる歌謡曲の時代であった。また、そうした世界の裏表の関係として水前寺清子の「365歩のマーチ」のような希望や夢をテーマとした曲も広く流行った。
歌謡曲が日本人がもつ繊細な心情のひだを歌い上げたのに対し、フォークソングやロックはストレートなメッセージソングとして歌謡曲とともに流行った。福島原発事故後、反原発のロック(「SUMMER TIME BLUES」)として2年程前に癌で亡くなった忌野清志郎が注目されたが、時代をどう生きるか、ストレートなメッセージとして歌っていた。私の場合、忌野清志郎と言えば、代表曲「雨あがりの夜空に」が好きあるが。同時代を今なお生きているあの吉田拓郎は、ありのままの自分でいいじゃないか、時に疲れたら少し休もうじゃないか、というメッセージソング「ガンバラないけどいいでしょう」を最後に音楽活動を卒業した。

卒業と言えば、3年半程前になるだろうか、アンジェラ・アキが歌ったNHKの全国学校音楽コンクールの課題曲「拝啓 ありがとう 十五のあなたに伝えたい事があるのです」を思い出す。未来へと旅立つ中学生への応援歌「手紙」という曲であるが、まだそんな応援歌は出てきてはいない。
そもそも言葉の原初的発生は、最初はまさに音であった。うれしかったり、悲しかったりそうした感情は音、つまり表音としてあった。そうした音を人類は表意として、地域ごとに時代ごとに言語として制度化してきた。そうした意味で、音楽は原初としての言葉であった。この時代に言葉を与えてくれるミュージシャンは未だ出てきてはいない。まだまだ痛みは強く言葉にならないということだろうか。

亡くなった作詞家阿久悠は、晩年「昭和とともに終わったのは歌謡曲ではなく、実は、人間の心ではないかと気がついた」と語り、「心が無いとわかってしまうと、とても恐くて、新しいモラルや生き方を歌い上げることはできない」と歌づくりを断念した。しかし、3.11後の光景は痛みとともに、共助の光景をも見せてくれた。大津波は自助できるものを大きく超えたものであった。更に、頼りにすべき行政機関も津波で持ち去られ、残るは生き残った人々の共助だけとなった。多くの場合こうした災害後には略奪などが横行するのだが、日本の場合は互いに助け合う共助へと向かい、世界中から賞讃された。阿久悠は「心が無い」時代に歌うことはできないとしたが、実は心はあったのだ。

忌野清志郎が歌う「雨あがりの夜空に」の歌詞に次のようなフレーズがある。
・・・・・・・・・・・・
こんな夜におまえに乗れないなんて
こんな夜に発車でないなんて
こんなこといつまでも長くは続かない
・・・・・・・
Oh雨上がりの夜空にかがやく
Woo雲の切れ間に
散りばめたダイヤモンド
・・・・・・・・・・

そして、忌野清志郎は私たちに「どうしたんだHey Hey Baby」と投げかける。乱暴だが、とてつもなく優しい。そんな応援歌が待たれている。(続く)  


Posted by ヒット商品応援団 at 09:43Comments(0)新市場創造