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「人力経営」という本を書きました。ヒット商品の裏に潜んでいる「人」がテーマです。取材先はダスキン、エゴイスト、野の葡萄、叶匠寿庵、桑野造船の経営リーダー。ユニーク、常識はずれ、そこまでやるのか、とにかく面白い経営です。星雲社刊、735円、新書判。

2007年12月23日

「新しい強さ」を目指して

ヒット商品応援団日記No229(毎週2回更新)  2007.12.23.

一年前の12月、2007年はどんな年となるかこのブログで次のように私は書いた。

2007年は猛スピードで駆け抜ける情報に「真」があるのか、それは「信」足りうるのか、見極めることのできる年となる。2006年、私たちは、情報の偽装、偽計、粉飾、うわさ、やらせ、といった情報体験を積んできた。そして、マスメディアが取り上げない、誰も知らない埋もれた商品が表へと出て、ヒット商品が生まれる。そんなポリシー&コンセプトの競争という本当のマーケティングの時代を迎えると思う。いや、そう願っている。

情報の時代とは、表も裏も無い、内も外も無い、あらゆる垣根・障害を超えて伝わる時代のことである。「信」足りうるのか見極めることはできたが、2007年のビジネスは「偽」そのものであった。何か、人間の持つ弱さが奔出した一年となった。

五木寛之は作家らしい表現で、この時代を「鬱(うつ)の時代」であると指摘している。戦後の昭和の時代「Always三丁目の夕日」ではないが、物質的には貧しくとも夢や希望があった時代を五木寛之は「躁(そう)の時代」であったという。司馬遼太郎の「坂の上の雲」ではないが、無我夢中で働いて「坂の上にたなびく一筋の雲」に辿りついたと思った時、果たして雲が見えたのであろうかというのが、五木寛之が今の時代を指して「鬱の時代」とした理由である。坂の上で見えてきたのは、「人間関係の喪失」であったと言う。私の言葉でいうと、時代の「踊り場」で一筋の雲は見えず、どの階段を選べば良いのか分からないで立ち尽くしている。それを鬱と呼べば呼べなくはない。五木寛之はこの鬱時代は50年続くと言う。そして、「今を生きる力」として、鬱をプラス思考として考える時に来ていると指摘(「人間の関係」ポプラ社刊)している。

ところでタイトルの「新しい強さ」という言葉は、梅田望夫さんがその著書「ウェブ時代をゆく」の中で呼びかけているキーワードである。誰もが早く目的地(目標)にたどり着きたいと「高速道路」を選び走るが、目的地に近づくと渋滞となり、なかなかたどり着けない。無料で走れる高速道路をネットの世界と見立てた指摘である。ネット以外に、一流大学から一流企業・大企業への道を高速道路としても同じである。既成、エスタブリッシュメントと言っても良いと思う。五木寛之いうところの鬱の時代にもつながる認識である。梅田さん曰く、自ら高速道路を降り「けもの道」に入って活動しているのだが、そこには「新しい強さ」を身につけなければならないと言う。この本に答えはないが、私は2つのことを感じ取った。1つは「未知への開拓精神」という志しと、そうした志しを共有できるコミュニティ・仲間を持つこと。もう一つがネットというとGoogleやアマゾンを目標とするが、それらは結果であり、好きで好きでたまらないと思える「スモールビジネス」への執着である。

話は変わるが、先日鳥取県のアンテナショップ検討部会を終え米子に移動し、いくつかの企業を案内してもらった。案内してくれた人物は大山の麓に生まれ、育ち、こよなく大山を愛しNPO「大山王国」を立ち上げた人物である。車中、大山の素敵さとそこでコト起こしをしている仲間達に話は及んだ。結論は、まだまだアイディアが足りない、知恵が足りない、そしてもっと儲けなければいけない、ということであった。私はこのブログで何回か書いた二宮尊徳の報徳思想「道徳なき経済は犯罪であり、経済なき道徳は寝言である」を話した。今年は道徳なき経済=犯罪の一年であったが、一方高い志しを持つNPOは「経済なき寝言」とは言わないが、ボランティアの延長線上という現実がある。それは「三方よし」には至っておらずまだまだ役に立っていない、アイディアを出しもっと儲けなければならないと。もし、「新しい強さ」という言い方をするならば、鬱を楽しむ強さ、踊り場であれこれ小さくコトを起こす勇気であると思う。(続く)  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:43Comments(0)新市場創造

2007年12月19日

神の手と仏の手

ヒット商品応援団日記No228(毎週2回更新)  2007.12.19.

3年ほど前、どの病院でも断られ手術困難な患者を救う医師、「鍵穴手術」の考案者でもある脳神経外科医福島孝徳氏を「神の手」と呼ぶようになった。以降、テレビ東京による「主治医が見つかる診療所」や雑誌で紹介され「神の手」を持つ名医が広く知られるようになった。最近では、再生医療を大きく前進させるであろう「万能細胞(iPS細胞)」を創ることに成功した京都大学の山中伸弥教授なんかも神の手を持つ研究者の一人であろう。こうした医療の分野だけでなく、周知の小さな町東京大田区の町工場にもロケット部品を作る神の手を持つ技能者はいる。更に言えば、日本文化の伝承者にはこうした「神の手」と呼ぶにふさわしい高度な技能者、匠は極めて多い。

今東京大田区の町工場には若い女性達が技能を身につけたいと就職希望者が出て来た。私が好きな沖縄にも紅型を学びに単身で移住する女性も多い。あるいはWeb2.0を提唱する梅田望夫さんは、IT技術者の精神のふるさとシリコンバレーに1万人の若者を移住させようと活動している。若者ばかりか、町工場で培った技能を中国や東南アジアで自ら働き、伝える中高年も多い。ビジネスの師P.ドラッカーも言うように、ビジネス世界は全て徒弟制度である。若い人は「神の手」を学び修行し、技能を持つ人はその技能を伝承する。

「神の手」と呼ばれる福島孝徳医師は、そう呼ばれることに対し「神の手をもつ医師ではない、いつも手術前には神様に成功を祈っている」と答えている。病気を治す「神の手」という卓越した技能と共に、患者と向き合い対話する「仏の手」を持っている方だと思う。梅田望夫さんは一つの「生き方論」として「ウェブは『志』『志向性』の核さえあればどこへでもいける」(「ウェブ時代をゆく」ちくま新書)と言う。そのために「新しい強さ」を身につけよう」と呼びかけ、自ら「高速道路」を走ることなく、「けもの道」を選んでいる。ある意味「仏の手」をもって呼びかけていると言えよう。東京大田区の町工場の代表がインタビューに答えて「技能は後からでもいい。まず挨拶、礼儀から。心が一流であって欲しい」という言葉にもつながる世界である。神の手を匠の技、プロの手、あるいは高度な技術と呼んでもかまわない。仏の手を他者への優しさ、愛情、あるいは生きざまと呼んでもかまわない。いづれにせよ、神の手と仏の手は一枚のコインの表と裏だ。

今年の「新語・流行語大賞」に引き続き、恒例の世相を表す漢字「偽」が京都清水寺から発表された。ちょうど一年前、私はこのブログで2007年はポリシーの時代になると、願望を込めて書いた。高い志しに多くの支持が集まる時代にという意味であったが、「発掘!あるある大辞典」から始まった「偽」は、2007年を終えようとする12月には船場吉兆のあざとい「偽」で終えた。「志し」の一年でという思いとは全く逆の年となった。
ところで「偽」の反対語は「真」という言葉であるが、2つを合わせると「真偽」という言葉になる。それは正しいことなのか、いや偽りなのか、と言った具合に使われる二項軸の考え方である。ところで多値論理という論理学がある。真と偽の他に多数の値があるのではという論理学だ。つまり、「曖昧さ」を認める考え方と言って良いと思う。コンピュータのように0と1で物事を決めていくのではなく、真ん中も良いではないか、ファジーを一つの価値としていく世界である。ある意味直感もこうした価値の一つであろう。過剰情報の中にあって、全てが真偽混在、混沌としている時代にいる。

食品偽装・偽造に関し、このブログでも書いたことがある。日本の精進料理はその戒律から多くの「もどき食品」で成り立っていると。カニもどき食品としては、あの「かにかま」というヒット商品すら生まれている。居酒屋などで使われているさいころステーキの多くは「成型肉」である。「もどき」を作る技術は、ある意味「神の手」と言えなくはない。決定的に失ってしまったのが「仏の手」だ。(続く)  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:49Comments(0)新市場創造

2007年12月16日

3つのメガ・トレンド 

ヒット商品応援団日記No227(毎週2回更新)  2007.12.16.

心が向かう先、メガ・トレンドは3つある。1つは自然・健康である。2つ目は家族・絆であり、3つ目は日本の歴史・文化であると考えている。全て工業化・近代化によって失ったものである。勿論、便利さや快適さ等工業化・近代化によって得たものも大きい。しかし、あらゆる分野で「依存症」といった言葉に見られるように、行き過ぎた過剰な傾向が多発してきた。例えば、この揺れ戻しの一つが振れ過ぎた洋からの和回帰・和ブームである。

「自然・健康」においては和食への注目は更に精進料理へとつながっていく。また、埋もれた地方の食にもスポットが当たると思う。2007年は食品偽装の一年であったが、自己防衛と楽しみを兼ねた家庭菜園熱は更に高まる。自然の持つ生命力、酵素を生きたまま食べる(火を使わない)「リビングフード」なんかも流行っていくと思う。単なる癒しを超えた、自然の持つ治癒力に心と身体をゆだねるような新しいツアーなんかも流行るかもしれない。今年注目された山梨の「ほったらかしの湯」のように、満天の星空のもとでの露天風呂のように、「ザ・自然」とでも言うような未知なる体験をさせてくれるようなものに注目が集まるだろう。
十数年前にホースセラピーから始まったアニマルセラピーはペットブームへと発展し、今や都心にはドッグラン専用の施設ができている。悪徳ブリーダーや動物病院も社会問題化した一年であったが、これからも人間と同様の衣食住遊休知美といったペット市場が生まれてくる。

2つ目の家族・絆であるが、前回書いたように崩壊した「家族」をつなぎ直す動きが様々なところで出て来ている。住においては家族共有のスペース、互いに顔が見えるような空間配置、つまりコミュニケーションできるような住まい方である。個という単位から、家族単位への揺り戻し、注目された一年であった。今年のヒット商品番付横綱となったWiiも家族や仲間と遊べるソフトによるものが大きい。ファミレスを始めとした飲食サービスにおいては幼い子供が騒いでも迷惑かけないような個室が用意され、親子三世代ツアー人気や「家族割り」といったプロモーションもこうした家族単位ビジネスを後押しした。
今年の福袋には百貨店の店長体験や農業体験といった「体験型商品」が見受けられたが、キッザニアの成功によるところが大きい。子を産んだだけで親にはなれない。育てようにも昔のように祖母というお手本が無い時代である。徹底的に失ってしまったのが「体験学習」の場と方法である。元リクルートの藤原さんが杉並の和田中学で行っているのも「親子一緒」による社会学習である。家族というテーマに関わらず、体験学習という方法と場は今後も強く求められていく。

3つ目の歴史・文化については和回帰・和ブームを兼ねてこのブログでも数多く書いて来た。停滞しどこに向かえば良いのか分からない時代、そんな時代を踊り場と私は表現してきた。過去はどうであったか遡ることは至極自然なことだ。禅や般若心経への注目や四国遍路、熊野古道、更には1000年前どのようにつくられたか分からない急峻な山の斜面にある修験道鳥取三徳山三佛寺も注目された。踊り場からの視座、日本古来の精神世界から何かを得ようとする心であろう。
ところで今年の「新語・流行語大賞」に東国原知事の「どげんかせんといかん」が選ばれた。時代の踊り場を脱却しなければとの意味であるが、実は方言である。以前、標準語と方言について書いたことがあったが、方言は地方文化そのものであり、地方の時代を支えるものだ。今、埋もれた地方の商品に注目が集まっているが、実は地方文化に注目が集まっていると認識しなければならない。文化の奥に潜む精神世界もまた掘り起こされていくと思う。都市と地方の格差が言われているが、敢えて誤解を恐れずに言うと、都市にはモノの豊かさはあっても心の豊かさはない。逆にモノは乏しくとも豊かな心性世界は地方に今なお残っている。(続く)  


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2007年12月12日

心はどこへ向かうのか(1) 

ヒット商品応援団日記No226(毎週2回更新)  2007.12.12.

島田洋七さんによるベストセラー「佐賀のがばいばあちゃん」に続いて、漫才コンビ麒麟の一人田村裕さんの「ホームレス中学生」が発売3ヶ月で100万部を超えるベストセラーとなった。「佐賀のがばいばあちゃん」が自費出版から始まり、長いこと売れずに島田洋七さんのTV出演を機に一挙に売れたのに対し、「ホームレス中学生」は、そのネーミングの強さもあり一挙にベストセラーとなった。本という商品を見ていくと、明らかに読者・生活者が求める一つの心性世界が見えてくる。消費が心理化していけばいくほど心性世界のあり方を読んでいくことが、消費構造解明への鍵となる。

「佐賀のがばいばあちゃん」が多くの人の心を動かしたのは、経済的には貧しくとも明るく生きる知恵、「Always三丁目の夕日」という心は過去へと向かう世界であった。「ホームレス中学生」はというと、まさに現代、差し迫った今を想起させる内容である。ネットカフェ難民どころか、とうとう中学生までホームレスになったのかという今を感じさせるものだ。島田洋七さんが団塊の世代であるのに対し、田村裕さんは28歳団塊ジュニアという時代の違いといっても良い。団塊世代の少年期は戦後ということからもほとんどの人は経済的には貧しかった。団塊世代の貧しさと豊かさ、団塊ジュニアの貧しさと豊かさ、この対比は時代そのものを映し出している。何も無かった昭和30年代から高度成長期を経て、一億総中流時代を経て、1990年代後半から格差が生まれ、そして文字通り貧富の時代が来たと表現してもよい。

「ホームレス中学生」はフィクションである「一杯のかけそば」を想起させる内容であるが、兄姉3人と亡き母との絆の実話である。時代のリアリティそのもので、リストラに遭った父から「もうこの家に住むことはできなくなりました。解散!」という一言から兄姉バラバラ、公園でのホームレス生活が始まる。当たり前にあった日常、当たり前のこととしてあった家族の絆はいとも簡単に崩れる時代である。作者の田村裕さんは、この「当たり前にあったこと」の大切さを亡き母との思い出を追想しながら、感謝の気持ちを書いていくという実話だ。明日は分からないという日常、不安を超えた恐怖に近い感情は家族・絆へと向かい、その心のありようが読者の心を打ったのだと思う。

引きこもりを始め、鬱病、摂食障害、子供ばかりかキレル大人、モンスターペアレント、モンスターペイシェント、個族となったストレス社会の病理のキーワードが続出する時代である。米国におけるメガ・チャーチのような心の相談窓口がない日本においてはコトは深刻である。風営法の改正により夜12時以降営業できない新宿のホストクラブは早朝営業を行っているが、OLを始め若い女性達で満杯となっている。小さなストレス解消グッズとしてあの「∞プチプチ」は150万個も売れ、中高生のケータイの待ち受け画面には、願いを叶えてくれるという元祖都市伝説の美輪明宏さんが使われる時代だ。個族となって漂流する心はどこへ向かっていくのだろうか、引き続き一つの仮説を書いてみたい。(続く)  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:44Comments(0)新市場創造

2007年12月09日

2007年ヒット商品を読み解く(2) 

ヒット商品応援団日記No225(毎週2回更新)  2007.12.9.

前回に引き続き、もう少し2007年のヒット商品について読み解いてみたい。「2007年度新語・流行語大賞」には私の予測「KY(空気が読めない)」は大賞を逃したが、「ハニカミ王子」が選ばれた。ちょうど1年半ほど前に甲子園で活躍した「ハンカチ王子」を取り上げて書いたが、その潮流にこの「ハニカミ王子」もある。更に遡れば、「韓流ブーム」における「白馬の王子さま」のような一つの精神性、純粋、無垢なものへの願望を読むことができる。世俗にまみれた、というより「アンチヒール(悪役)」と言った方が分かりやすい。消費面でいうと、ピュアコンセプトの世界である。このピュアコンセプトとは、過剰なものを削り、更に削ぎ落とし残るもの、という意味である。シンプル・イズ・ベストと言っても良い。食でいうと、素材を生かす、塩味だけ、手をかけない、ある意味本質・本当に戻ろうという潮流である。

関脇にガツン系を始めとした「デカ盛りフード」がある一方、「カロリー・ゼロ・コーラ」に人気が集まる。ダイエットでは、周知のかなりハードな「ビリーズブートキャンプ」がブームになった一方、楽して痩せる「ぷるぷるフィットネス」の手軽さが人気となる。こうした価値観の反対軸にあるような商品が売れる市場の情況を私は「振り子消費」と呼んでみた。行ったり来たり振り子のように触れる心理市場であるが、この振り幅はブログでも書いたが年々小さくなって来ている。例えば数年前にダイエット&美容のためにサプリメント依存症が問題となるような過剰さはなくなり、今ではコラーゲンのようなものへとトレンドは移行してきているということである。

日経MJとは少し離れるが、情報の時代の最大特徴である情報による偽装事件が多発した年であった。関西テレビ「発掘!あるある大辞典」のやらせ問題以降、特に食品において多発した。そのほとんどが内部告発によるものであったが、内と外との垣根が情報によって無くなったということである。これは数年前から表通りから裏路地散策へ、一般的な名所旧跡団体観光から隠れ家的一人旅へといった裏が表となる興味変化にも通じるものである。更にいうと、表メニューからまかない料理といった裏メニューへの関心にも通ずるものである。つまりあらゆる垣根、境を越えてその先へ、その奥へと興味関心を喚起してしまうのが情報の時代と特徴である。

先日鳥取に行きアンテナショップの検討部会でも話題になったが、ギャル曽根が出たTV番組で今流行のランキングにおいて鳥取県の「鬼太郎の好きなビーフカレー」がレトルトカレーで1位になった。放映後問い合わせが殺到し、在庫は一掃し、生産が追いつかない情況が生まれたとのこと。これも情報の時代ならではの現象である。但し、何回も書くがブームは一過性であり、継続させていくことが重要となる。次から次へと新たな情報を提案し続けない限り、継続できないということだ。例えば、数年前から鍋に人気が集まっており、今注目されているのがカレー鍋である。もし「鬼太郎の好きなビーフカレー」に続く情報=新商品があるとすれば、「鬼太郎の好きなカレー鍋」を販売するということである。

少し前に景気は更に低迷し、消費は厳選から減選へと向かっていくと書いたが、回数減となっていた外食産業の中で、一人減少傾向になかったファーストフードも減選へと向かっている。相次ぐ食品偽装事件により、今年の歳暮贈答品に占める食品の比率は下がるであろう。1992年にバブルが崩壊した時、残業カットで「父帰る」というキーワードが流布し家庭内調理の味噌や醤油が飛ぶように売れたが、10数年を経過今日はさてどうであろうか。(続く)  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:19Comments(2)新市場創造

2007年12月05日

2007年ヒット商品を読み解く(1)       

ヒット商品応援団日記No224(毎週2回更新)  2007.12.5.

12/3の日経MJで恒例の2007年ヒット商品番付が発表されたので私なりに読み解いてみたいと思う。東西の横綱には「Wii」と「電子マネー」で多くの人が認めるところの商品である。大関には顔を「自動的に認識する技術」と「ハイビジョンビデオカメラ」、関脇には「デカ盛り(ガツン系)フード」と新しいランドマークが生まれた「TOKYO」、小結以下には「YOUTUBE」、ソフトバンクの「ホワイトプラン」等。
日経MJも下半期は原油高等による景気の低迷を若干指摘しているが、ヒット商品の多くは価格戦略を中心に据えたことによるものが多い。番付に入っているヒット商品には新価格(新しい考え方に基づく価格戦略)によるものが多い。「デカ盛りフード(ガツン系)」、ソフトバンクの「ホワイトプラン」、マクドナルドを始めとした「地域価格」、GMSを始めとした「価格据え置きセール」、エコロジーをもったいない精神の発露とするならば「マイ箸」や「エコバッグ」も単に安いということだけではない新しい価格価値認識によるものだ。

従来の価格認識は1990年代後半のデフレの旗手と呼ばれたマクドナルドやユニクロのような「抜きん出た安い価格」であった。しかし、今日の価格はその「抜きん出た安い価格」を超えた新しい価格であると言えよう。今、多くの分野で値上げが進行しているが、誰もインフレとは呼ばない。従来のインフレであれば、値上げ分の多くは国内のメーカーや流通の誰かがその利益を得ることができ、最終的にはそこに働く人達の収入へと還元され、循環してきた。しかし、今日の値上げの多くはエネルギー資源国等の他の国へと吸収されていき、国内に還流することは少ない。経済のグローバル化とはこういうことである。

今年の春、東京ミッドタウンや新丸ビルのオープンに際し、東京はTOKYOとなったと指摘した通り関脇に番付された。これは世界中の人、モノ、金、情報やサービスが地球都市TOKYOに集積された象徴としてある。東京市場は地球市場という側面を持つと同時に、私は都市と地方との格差どころではないもっと大きな格差のあるまだら模様の市場との指摘をした。東京(TOKYO)は、誰を顧客とするのか、価格や流通、エリアや立地の選択が極めて重要な時代であり、極めて難しい市場ということだ。

また、この1〜2年ヒット商品の着眼をブログで書いて来たが、そのほとんが番付対象となっているので詳しくは私のブログを見ていただきたい。例えば、番付では「ニッサンGT-R」をリバイバル商品とキーワード化しているが、私のキーワードは「思い出消費」として、団塊世代だけでなく、若いティーン世代にとっても同様で、それは「冷凍みかん」や「揚げパン」人気となって表れていると指摘をした。この10年、先が見えない停滞した時代の傾向を「踊り場」にいると表現したが、こうした踊り場から過去を振り返る思い出消費はこれからも続くであろう。「2007年新語・流行語大賞」に選ばれた「どげんかせんといかん」時代の直中にいる。

もう一つ時代の傾向、踊り場から脱却する表現が強く出た年である。ファッションにおいては数年前から黒がトレンドカラーの一つになっていたが、2007年には航空機から始まりショップデザインの多くが黒を基調としたものとなっている。商品では黒い歯磨き粉、黒いカレーパン、黒い生八つ橋、黒いおいなりさん、他にも無数の「黒商品」が店頭へと出現した。その意味するところの世界は、シック、大人の色、深みや奥行き、こうした言葉で表現されるが、黒は全てを覆い尽くす強い色であり、停滞する踊り場を突破する「どげんかせんといかん」時代の色なのかもしれない。(続く)  


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2007年12月02日

過剰情報からの質的転換

ヒット商品応援団日記No223(毎週2回更新)  2007.12.2.

サブプライムローンにおける格付け問題の疑義やミシュランの東京版から、ネット上で行われている各種のランキングまで、今やすべてがランク・格という物差しによって動く情報の時代となっている。新しく何かをする時、頼るべき情報の第一として、こうしたランキング情報は重宝なものである。東京の東急電鉄が数年前から行っている駅のコンビニショップ「ranKing ranQueen」は売れ筋ランキング商品を集めていることから結構人気ショップとなっている。思えば耐震偽装事件から2年を経過したが、その後社会的事件と呼ばれる多くが経営指標の偽装から産地偽装や表示偽装といった情報による偽装事件ばかりである。

株式市場やビジネスにおける顧客への約束といった「公」のルールは100%果たさなければならない。しかし、この2年間公も私においても情報による偽装を学習してきた。情報の本質の一つが使用価値にある。新聞も使えなければただの紙であり、TVも無駄な時間を使ったことになる。もうそろそろ情報の時代の本質を受け止めなければならないと思う。自己責任などという一方的な話ではなく、自らの判断で線引きをし、その精度を高める工夫をしていくということだ。表層の情報からその背後にある世界へ、表通りから裏路地散策をするように自らの五感で体験学習することだ。受け手である私たちも、情報依存という体質を改善しなければならない。

東京新聞でも「あれこれランキング」(http://www.tokyobaystudio.com/main/ts_lanking/ts_lanking.html)というユニークなものをランキングしている。江戸時代もこうしたランキング遊びが盛んであった。まさに「なんでもランキング」でミシュランガイドのように料理屋ランキングから大食いランキングまで、いわば情報・話のネタ遊びとしていた。当時の週刊誌である瓦版もランキング遊びを取り上げ、江戸の人達は酒の肴にしていた。瓦版には2種類あって、1つは火事の速報などを扱った「方角場所付」で、今でいう報道である。江戸の人達はその情報を基に火事見舞いに使っていた。もう一つが「辻売り」と言われている瓦版でインチキ情報満載の瓦版である。江戸の人達は「瓦版は話三分」といって、七分はだまされようじゃないかとインチキ自体を楽しむ気風があった。

ところで、以前にも書いたことがあると思うが、例えばTVの報道は事実情報を正確に伝えるというより、まるで映画を見るように劇場化させている。事件が意外であればあるほど、レポーターはその不可思議さ、謎解きへと視聴者を誘う。今回の香川坂出の悲惨な事件においても、某地方局を始めいくつかのTV報道において真犯人探しどころか示唆するような報道がなされていた。その情報を基に真犯人を特定するかの如きブログを書いてひんしゅくをかったタレントも出る始末であった。視聴者を刑事や弁護人にしたり、時には裁判官にもさせるように誘う報道である。情報の特質であるが、そうした刺激をエスカレートさせていく宿命を持っている。まるで驚きがなければ情報ではないという世界だ。この10数年、企業も生活者も多くの「過剰」を削ぎ落とし再編を重ねて来た。過剰な情報の時代にあって、モノばかりでなく情報もまた厳選から減選へと向かい質的転換が行われるであろう。その転換を促す一つがブログであり、個人メディアであると思っている。(続く)  


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