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「人力経営」という本を書きました。ヒット商品の裏に潜んでいる「人」がテーマです。取材先はダスキン、エゴイスト、野の葡萄、叶匠寿庵、桑野造船の経営リーダー。ユニーク、常識はずれ、そこまでやるのか、とにかく面白い経営です。星雲社刊、735円、新書判。

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2014年11月25日

不器用な昭和が、また一つ終わった

ヒット商品応援団日記No598(毎週更新) 2014.11.25.
 
昭和がまた一つ、不器用な俳優高倉健さんが亡くなった。亡くなって多くの人が高倉健という人物、素の姿を含め語っているので、ああそうだなと思うことも多く、同じことをブログには書こうとは思わない。ただ高倉健さんは3年ほど前に亡くなったミュージシャンの柳ジョージの大フアンであったことを想いだした。そして、柳ジョージもまた不器用であったことを思うと、互いにどこかで共感することがあったことと思う。
若い世代にとって柳ジョージといってもほとんど知らないと思う。R&Bのミュージシャンであるが、独特なしゃがれ声で歌うブルースは高倉健さん同様誰も真似することができない固有の世界であった。私たちの前に現れたのは時の不良グループと言われたザ・ゴールデンカプスのメンバーの一人であった。1970年に柳ジョージが参加するが、柳ジョージを始め4人が大麻取締法違反で逮捕される。事件の影響もあってカップスは72年に解散する。柳ジョージにとってこのドラッグ事件の挫折は大きく、後に1975年に柳ジョージ&レイニーウッドのバンドメンバーにはドラッグはしていないことを前提にメンバーの参加を認めるという徹底ぶりであったという。

R&Bをベースにした音楽性は、当時としてはまさに異端であったが、1979年に萩原健一主演のテレビドラマ「死人狩り」(1978年度版)のテーマ曲に使われた「雨に泣いてる‥」が大ヒットする。以降、「酔って候 」といった無頼酒の詩 にあるようにそんな孤高の世界、ブルースを歌っている。高倉健さんが任侠、ヤクザ映画といういわばアウトローを演じていた異端児スタートとまさに同じである。健さんのそれは演じる世界がアウトローであったばかりか、不条理に耐えかねて切り込むスタイルの様は殺陣師のそれではなく、これも独自なもので一種の様式美をもつものであった。

健さんもそうであったが、柳ジョージも謙虚な言動・物腰で知られている。「自分がだらしないので、歌だけはカッコイイ男の歌を歌ってるんです」と答えていた。そんな昭和のかっこ悪い男の復権を願ったのが、あの作詞家阿久悠さんであった。阿久悠さんは「時代おくれ」という曲を若くして亡くなった河島英五に歌わせている。1986年の曲で時代はバブルへと向かっていく時代にあって、”時代おくれの男になりたい”という歌詞に込めた思いは昭和の寡黙で不器用な男の姿を描いた曲である。その歌詞であるが
”目立たぬように、はしゃがぬように
似合わぬことは無理をせず
人の心を見つめつづける
時代おくれの男になりたい・・・・・”「歌謡曲の時代」阿久悠 (新潮文庫より)
昭和男の素の世界、寡黙でシャイな男の姿であるが、ごく普通の人間模様を描いた曲である。晩年、阿久悠さんは「昭和とともに終わったのは歌謡曲ではなく、実は、人間の心ではないかと気がついた」と語り、「心が無いとわかってしまうと、とても恐くて、新しいモラルや生き方を歌い上げることはできない」と歌づくりを断念する。歌が痩せていくとは、心が痩せていくということである。

ただその平成の時代にあって、阿久悠さんの後を引き受けている作曲家であり歌手でもあるすぎもとまさとが歌う「吾亦紅(われもこう)」は、昭和から平成へと変化する時代に追いついていこうとする男を描いている。北海道のライブコンサートで歌ったところ、その母親への想いと旅立ちに観客の多くが号泣したという曲である。「吾亦紅」の歌詞はまさに時代おくれの昭和男の旅立ちの歌である。
”親のことなど 気遣う暇に
後で恥じない 自分を生きろ
あなたの あなたの 形見の言葉
守れた試しさえ ないけれど
・・・・・・・・・・
来月で俺 離婚するんだよ
そう、はじめて 自分を生きる
・・・・・・・・・”

「網走番外地」などの任侠映画から「幸福の黄色いハンカチ」を転換点に「鉄道員」や遺作となった「あなたへ」を通底するものがあるとすれば、それは「時代との向き合い方が不器用で寡黙な男」となる。全てが過剰な時代であるが故に、この寡黙さのなかにざわめく言葉、無くしかけているものに気づかされる。それを昭和という時代おくれを通し、日本人とか男といったアイデンティティを、あるいは生き様といった生ききる人生を想起させてくれた。(続く)  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:31Comments(0)新市場創造

2014年11月19日

GDPショックって何?   

ヒット商品応援団日記No597(毎週更新) 2014.11.19 

7-9月のGDPの速報値が発表された。既に民間のエコノミスト42人による予測が日本経済研究センターからプラス2%前後といった数値で発表されていたが、この予測とは真逆なマイナス0.4%であった。項目別では全体の約6割を占める個人消費が0.4%増。設備投資は0.2%減。公共投資は2.2%増。在庫の寄与度はマイナス0.6ポイント、外需の寄与度はプラス0.1ポイントだった。発表と同時に多くのエコノミストが発表数値の内容についてコメントを出し、メディアもその発表数値を分析している。予測をした民間エコノミストはもっと消費は回復すると予測していたとコメントしているが、私は今回の0.4%増という消費はその程度であろうと思っている。予測したエコノミストはこの消費結果について、この夏の天候不順などを理由としているが、そんなことは理由にはならない。例えば、4-6月の百貨店売り上げの内容について宝飾貴金属商品はある程度売れていたが、7-9月それら高額品の売り上げは止まっている。百貨店売り上げはかなり株価と連動しているが、それすら継続しえていない。周知のように高い株価は外国人投資家によるもので、国内投資家にとっては先行き不安定ということであろう。また、食品などの必需消費も総体的に落ち込む傾向を見せている。0.4%増というその消費の背景についてであるが、このブログにも多様な視点をもって書いてきた。

まず一昨年の秋、既に消費増税対策が始まっているとブログに書いた。その背景には金利の安い状況にあって、住宅ローンの借り換えがヒット商品になっており、こうした大きな買い物を含めどれだけ安く買えるか、合理的な消費を見せていると。更に、この延長線上に昨年秋からの東京湾岸エリアを始めとしたっマンション・住宅取得ブームがあると。また、その後新車の販売台数についてもこうした計算心理は働いている。ホンダのNシリーズのようなヒット商品となったこともあるが、新車の販売台数の7~8割が軽自動車が占めるように変化してきた。これは自動車税やガソリン価格高騰への対応、燃費を考えたら軽自動車の方がお得。それほど車好きでない利用者にとって、軽自動車で十分という合理的消費が中心になったということである。そして、とどめは、今年の4月新消費税導入の結果についてであるが、不動産については的確な情報を提供してくれている不動産経済研究所の年間予測が発表された数値が大幅に訂正された記事を引用し、次のようにブログに書いた。

『2014年4月はどうであったかというと、不動産経済研究所による首都圏のマンション市場動向調査によると、4月の新規発売戸数は前年同月比39.6%減の2473戸と、マイナス幅はリーマンショック翌年の2009年3月(46.2%減)以来5年1カ月ぶりの大きさであった。これは前回の消費増税のあった1997年4月のマイナス幅は41.0%減で、当時に匹敵するマイナス幅である。
同研究所によると「市場が好調だった2013年に前倒しで販売したこともあり、今後も減少傾向は続く」とみており、2014年の年間見通し(2013年比0.8%減の5万6000戸)を下方修正する可能性を示唆している。』

更に、こうした計算された合理的消費の一つの事例として、消費が大きく落ち込んだリーマンショックの翌年はどんなヒット商品が生まれていたかというと、あのLED電球のように長く使えば「結果お得」という計算された消費であり、車であれば燃費を考えたらHV車となる。この延長線上に勿論軽自動車の好調さもある。ちなみに日経MJによるリーマンショック翌年2009年のヒット商品番付は次のようになっていた。

東横綱 エコカー、 西横綱 激安ジーンズ
東大関 フリー、    西大関 LED
東関脇 規格外野菜、西関脇 餃子の王将
東小結 下取り、   西小結 ツィッター

エコカー(HV車)」、「LED電球」、「下取りシステム」といった省エネ=省マネー商品が数多くヒットした。更に前頭には花王の「アタック Neo」という節水型洗剤やエコ容器のコカ・コーラの「い・ろ・は・す」も入った。そして、規格外野菜(=訳あり商品)も入っており、ここに表れている価値観は、費用対効果、費用対満足度、という新しい合理的生活への潮流である、とコメントした。そして、この時のブログのタイトルが「本格化する消費の減速」であった。

こんな予測は当たらない方が良いのだが、誰も指摘する専門家がいないので敢えてこうしたテーマ選んだ次第である。そして、今後についてであるが、リーマンショック後のヒット商品のような傾向を見せるかというと、新しい合理的商品、「結果お得商品」が生まれてくると思っている。明確にしておきたいことは、単に安いといったデフレ型商品ではない。例えば、200年代半ばに生まれた100均ショップはその後価格を超えたアイディアに溢れた商品へと進化してきている。更に付け加えるとするならば、馬鹿笑いのような「楽しさ」ではない、チョット笑える、そんな楽しさのある商品やサービスがヒットするであろう。つまり、景気が悪い時はこうした少しの明るさが必要であるということだ。但し、グルメレポーターでやたら大きな声で「おいし~い」としか言えない芸人のそれではなく、知的でオシャレな小さな笑いである。こうした着眼についてはで、12月上旬に発表される日経MJのヒット商品番付を踏まえて書くことにしたい。

今回のブログのタイトルを「GDPショックって何?  」としたが、生活者にとってのショックではなく、政府をはじめエコノミストや大学教授といった有識者にとってのショックである。ここ2年ほど街を歩き、商店街を観察し、そうした消費現場の実感をもって「未来塾」というレポートを公開している。そこに出てくる生活者は消費に関しては十分学習してきており、これからも計画的で合理的なすこぶる賢明な消費に向かう姿が見られる。10%の増税先送りは勿論のこと、実質賃金が消費増税分3%+物価上昇分に見合うものへと向かって欲しいというのが生活者にとって共通する要請である。景気回復への補正予算を組むとのことだが、そんな対処療法より日本の産業構造が既に変わりつつあるのに、その全体像を提示できていない政治にいらだちを感じているのだ。(続く)  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:35Comments(0)新市場創造

2014年11月19日

GDPショックって何?   

ヒット商品応援団日記No597(毎週更新) 2014.11.19 

7-9月のGDPの速報値が発表された。既に民間のエコノミスト42人による予測が日本経済研究センターからプラス2%前後といった数値で発表されていたが、この予測とは真逆なマイナス0.4%であった。項目別では全体の約6割を占める個人消費が0.4%増。設備投資は0.2%減。公共投資は2.2%増。在庫の寄与度はマイナス0.6ポイント、外需の寄与度はプラス0.1ポイントだった。発表と同時に多くのエコノミストが発表数値の内容についてコメントを出し、メディアもその発表数値を分析している。予測をした民間エコノミストはもっと消費は回復すると予測していたとコメントしているが、私は今回の0.4%増という消費はその程度であろうと思っている。予測したエコノミストはこの消費結果について、この夏の天候不順などを理由としているが、そんなことは理由にはならない。例えば、4-6月の百貨店売り上げの内容について宝飾貴金属商品はある程度売れていたが、7-9月それら高額品の売り上げは止まっている。百貨店売り上げはかなり株価と連動しているが、それすら継続しえていない。周知のように高い株価は外国人投資家によるもので、国内投資家にとっては先行き不安定ということであろう。また、食品などの必需消費も総体的に落ち込む傾向を見せている。0.4%増というその消費の背景についてであるが、このブログにも多様な視点をもって書いてきた。

まず一昨年の秋、既に消費増税対策が始まっているとブログに書いた。その背景には金利の安い状況にあって、住宅ローンの借り換えがヒット商品になっており、こうした大きな買い物を含めどれだけ安く買えるか、合理的な消費を見せていると。更に、この延長線上に昨年秋からの東京湾岸エリアを始めとしたっマンション・住宅取得ブームがあると。また、その後新車の販売台数についてもこうした計算心理は働いている。ホンダのNシリーズのようなヒット商品となったこともあるが、新車の販売台数の7~8割が軽自動車が占めるように変化してきた。これは自動車税やガソリン価格高騰への対応、燃費を考えたら軽自動車の方がお得。それほど車好きでない利用者にとって、軽自動車で十分という合理的消費が中心になったということである。そして、とどめは、今年の4月新消費税導入の結果についてであるが、不動産については的確な情報を提供してくれている不動産経済研究所の年間予測が発表された数値が大幅に訂正された記事を引用し、次のようにブログに書いた。

『2014年4月はどうであったかというと、不動産経済研究所による首都圏のマンション市場動向調査によると、4月の新規発売戸数は前年同月比39.6%減の2473戸と、マイナス幅はリーマンショック翌年の2009年3月(46.2%減)以来5年1カ月ぶりの大きさであった。これは前回の消費増税のあった1997年4月のマイナス幅は41.0%減で、当時に匹敵するマイナス幅である。
同研究所によると「市場が好調だった2013年に前倒しで販売したこともあり、今後も減少傾向は続く」とみており、2014年の年間見通し(2013年比0.8%減の5万6000戸)を下方修正する可能性を示唆している。』

更に、こうした計算された合理的消費の一つの事例として、消費が大きく落ち込んだリーマンショックの翌年はどんなヒット商品が生まれていたかというと、あのLED電球のように長く使えば「結果お得」という計算された消費であり、車であれば燃費を考えたらHV車となる。この延長線上に勿論軽自動車の好調さもある。ちなみに日経MJによるリーマンショック翌年2009年のヒット商品番付は次のようになっていた。

東横綱 エコカー、 西横綱 激安ジーンズ
東大関 フリー、    西大関 LED
東関脇 規格外野菜、西関脇 餃子の王将
東小結 下取り、   西小結 ツィッター

エコカー(HV車)」、「LED電球」、「下取りシステム」といった省エネ=省マネー商品が数多くヒットした。更に前頭には花王の「アタック Neo」という節水型洗剤やエコ容器のコカ・コーラの「い・ろ・は・す」も入った。そして、規格外野菜(=訳あり商品)も入っており、ここに表れている価値観は、費用対効果、費用対満足度、という新しい合理的生活への潮流である、とコメントした。そして、この時のブログのタイトルが「本格化する消費の減速」であった。

こんな予測は当たらない方が良いのだが、誰も指摘する専門家がいないので敢えてこうしたテーマ選んだ次第である。そして、今後についてであるが、リーマンショック後のヒット商品のような傾向を見せるかというと、新しい合理的商品、「結果お得商品」が生まれてくると思っている。明確にしておきたいことは、単に安いといったデフレ型商品ではない。例えば、200年代半ばに生まれた100均ショップはその後価格を超えたアイディアに溢れた商品へと進化してきている。更に付け加えるとするならば、馬鹿笑いのような「楽しさ」ではない、チョット笑える、そんな楽しさのある商品やサービスがヒットするであろう。つまり、景気が悪い時はこうした少しの明るさが必要であるということだ。但し、グルメレポーターでやたら大きな声で「おいし~い」としか言えない芸人のそれではなく、知的でオシャレな小さな笑いである。こうした着眼についてはで、12月上旬に発表される日経MJのヒット商品番付を踏まえて書くことにしたい。

今回のブログのタイトルを「GDPショックって何?  」としたが、生活者にとってのショックではなく、政府をはじめエコノミストや大学教授といった有識者にとってのショックである。ここ2年ほど街を歩き、商店街を観察し、そうした消費現場の実感をもって「未来塾」というレポートを公開している。そこに出てくる生活者は消費に関しては十分学習してきており、これからも計画的で合理的なすこぶる賢明な消費に向かう姿が見られる。10%の増税先送りは勿論のこと、実質賃金が消費増税分3%+物価上昇分に見合うものへと向かって欲しいというのが生活者にとって共通する要請である。景気回復への補正予算を組むとのことだが、そんな対処療法より日本の産業構造が既に変わりつつあるのに、その全体像を提示できていない政治にいらだちを感じているのだ。(続く)  


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2014年11月09日

未来塾(11)「街から学ぶ」東京町田編(後半)

ヒット商品応援団日記No596(毎週更新) 2014.11.9. 
「街から学ぶ」東京町田を公開します。ここ数年前から人口の増加は止まり、町田駅周辺の商業も右肩下がりとなっている。町田も都市間競争のただ中にあるのだが、この競争に生き残るにはどうすべきか、テーマのある街、テーマ集積という着眼から月島もんじゃストリートの事例を踏まえ、町田の課題を学んでみた。

地元住民から愛され続ける店

町田仲見世商店街のように映画「Always三丁目の夕日」に出てくる昭和の景色は無いが、町田住民の支持を受けた古くからの店も数多くある。恐らく町田での商売が一番古いのがパン屋の「清水屋製パン」ではないかと思う。店の女主人に聞いたところ商売を始めたのは大正末期、昭和元年頃であると。戦前は現在よりもう少し駅から離れたところに店を構えていたという。
一通り食パンから総菜パンまで手作りで売っているが、最近人気なのが「きなこパン」だという。ドーナツのようなパン生地にきなこをまぶしただけの素朴な菓子パンであるが、これも永く愛される秘訣かもしれない。


また地元住民に愛されて何十年という飲食店が今なお元気である。小田急駅前には「グリルママ」という洋食屋があり、懐かしいステーキランチメニューが地元住民に愛されている。
また、若いティーンが集まる商業施設Tipsの前には3姉妹がやっている吉というお好み焼き屋がある。店を始めて40数年になるがファミリーだけでなく、結構若いカップル客がお好み焼きを楽しんでいる。昔の看板娘は3人揃って口にするのは「街がつまらなくなった」と。その理由を聞けば、後継者がいないという問題もあるが、代々商売をしていた店がどんどん少なくなっていくということであった。そうしたなかで、馬肉料理を出してくれる柿島屋も暖簾を守り健在である。


また、小田急線の反対側を少し歩いたところには喫茶店のような店構えであるが、刺身定食からハンバーグ定食まで、小さな定食屋「とき」もまた地元住民に愛されて時を重ねている。庶民にとっての老舗となるが、奇をてらわないどこかほっとするメニューが並ぶ。勿論、日常のランチが主体の店であり、全てリーズナブルな価格となっている。
また、町田の街をユニークなものとしている飲食店の一つがインド料理、タイ料理、カンボジア料理といったエスニックな飲食店が多い点である。恐らく20数店舗以上に及ぶと思うが、オープンして20数年になるカンボジア料理の「アンコールトム」は地元住民に愛される老舗飲食店と言える。

ラーメン専門店の集積度の高さ

今から5年ほど前に友人と吉祥寺で会い、「ラーメン二郎のインスパイア系」の店がオープンしたのでそこで食べないかと誘われたことがあった。ガツン系のラーメンも経験するかと軽い気持ちで食べたが、その量の多さにギブアップして友人に食べてもらったことがあった。その時感じたのは過去あったラーメンとは異なる「食」であるという点であった。更にその時感じたのはそう言えば池袋にも同じような「大勝軒」があったなという素朴な感慨であったが、以降多くの独自世界を持つラーメン専門店が話題を集めることになる。

少し前に吉祥寺という街をテーマにしたときにも書いたが、町田は更に大きな街であり、主要なラーメン専門店が数多く集まっている。一頃塩ラーメンブームの中心にあった「町田汁場 しおらーめん進化」、横浜家系ラーメンの「町田商店」、「でくの坊」、「一番(いちばん) ラーメン」、二郎・インスパイヤ系では「二郎町田店」、「郎郎郎(サブロウ)」、更には「町田大勝軒」、「ど・みそ町田店」、「火の国ラーメン」、そして、町田のラーメン集積度の高さを象徴するのが町田ターミナルプラザ裏に隣り合わせに2店の専門店であろう。左が「ヌードルズ」で、右が最近特に人気となっている「胡心房」である。ちなみに全国にチェーン展開し出店しているのは「一風堂」だけである。

こうした独自なラーメン専門店だけでなく、ラーメンに小さなマーボ丼といったセットメニューを出す「熱血食堂 すわ」や町田一安い中華食堂「一番館 」といった多様なメニューをもつ街である。こうした背景には小田急線、JR横浜線、2つの沿線にある大学生という大きな市場と共に、恐らく関東周辺から「ラーメンオタク」が町田に集まってきていると思う。これがテーマ集積による市場開発のあり方であるが、町田の場合は人口増加に伴う市場規模に伴う自然発生的なものであると思う。
勿論、現在はラーメン専門店の集積度が高いことから、「町田ラーメン祭り」といったイベントも開催され、オタク達を更に集める試みもなされている。

2つのファッション


老舗、ラーメン専門店、の集積と共に町田の街を形成している特徴の一つがファッションである。冒頭の商業施設の開業やリニューアルの推移を見ていただくと分かるが、東急ツインズや町田ルミネといった大人のファッション以外に特徴的なのがティーンを始めとした若い世代のファストファッションである。丸井、町田109、更には町田109裏には商業施設TIPSや路面店もあり、パークアベニューからターミナルロードにかけた通りには、週末、休日ともなれば多くの女性達で通りが埋め尽くされる。この通りを歩くこと自体が楽しい、そんな町田のシンボリックな通りとなっている。

こうしたファッション専門店はいわば表通りにある専門店であるが、町田の特徴は古着を扱う小さなショップが数多くあるという点にある。
今から10数年前に町田の古着が話題になったことがあった。その後、どんな変化があったか今回街を歩きながらその変化を感じ取ることとなった。
町田109やTIPSが小田急線の駅東側、町名でいうと原町田にあるのに対し、古着やアンティークな小物類のショップはその反対側、小田急線西側、町名でいうと森野町や中町に数多くある。


今回HPを見ながらショップを見て回ったが、それぞれ特徴があり、ラルフローレンやLLビーンといったブランド古着を集めた店がある一方、恐らく独自な仕入れルートと共に、自ら海外で買い付けた店もある。そうした店の多くは雑居ビルの2階や地下にあり、入り口には写真のような看板が置かれている。HP上には載っていない、そんな小さな古着ショップがかなり多く、その集積度合いは高く町田の古着ショップはがんばっていると感じた。

しかし、古着というオシャレを探す街として欠けているものがいくつかある。まず東京の古着ショップが多い街と言えば下北沢である。下北沢では30数店舗あり、若い世代の街歩きの楽しみの一つとなっている。更に欠けているものがあるとすれば、街歩きをより楽しむオシャレなカフェが極めてすくないという点である。詳しく調べてはいないがワインバーのような店とカフェが数店あるだけで、古着巡りの楽しさには欠ける。あるいはファッションは衣類や靴だけではない。アクセサリーもあれば、インテリア小物もある。町田の場合、まだまだ集積度は低い。そして、そうした集積度が高まれば、映画の1シーンのように「歩いて絵になる」ストリートとなる。
オシャレ好きにとって街を歩くとは、お気に入りの衣装をまとって「舞台」に上がるということである。


町田の街に学ぶ


従来の銀座や秋葉原に加えて、東京スカイツリーや台場エリアも観光スポットになった。千年の歴史・文化をたどる京都や奈良観光はいわば歴史・文化の楽習旅行であるのに対し、都市観光はTOKYOという巨大遊園地のジェットコースターに乗るような刺激的なエンターテイメン観光といえる。
ここに面白い事例がある。千葉県の森田知事の公約であった東京湾アクアライン料金が割り引かれ800円となったが、その値下げ効果についてである。まず値下げ前の5月の連休中の木更津市のデータによると、
東京・横浜→千葉県/1万7300台、
千葉県→東京・横浜/1万8300台 となっている。
この移動台数が800円の値下げによってどう変わるかであるが、間違いなく千葉県から東京・横浜へと流出する台数の方が更に大きくなる。つまり、木更津市内の商業施設は更にガラガラになると多くの専門家は予測していた。というのも、横浜にはアウトレットを始めとした巨大な商業集積がある。一方、千葉県には房総の鴨川シーワールドやマザー牧場といった観光地があるが、どちらが顧客吸引の魅力があるか、考えるまでもない。
ところが面白いことに一昨年木更津に三井アウトレットパークがオープンし、移動の流れに変化が出始めた。
2009年8月からの料金引き下げ社会実験(ETC割引800円)を開始してからは交通量が2008年度比で1.5倍前後に伸びた。ところが、2012年度は4月に開業した三井アウトレットパーク 木更津による波及効果が大きく2008年度全日比で約1.8倍、2005年度道路交通センサス平日24時間交通量比では約3倍と通行量が増大している。この増加の多くは東京・横浜からの通行である。三井アウトレットパークの当初年間売り上げの目標であった320~340億円を大きく上回る410億円強の売上結果となった。アウトレットという業態、その集積規模のインパクトがいかに大きかったかである。アクセス、その気軽に利用できる簡便さによっては、商業という一つのエンターテイメント施設の集客魅力は大きくなり、人の移動を大きく変えることが出来るということの証明である。

1、都市観光を誘発させるためのインフラ

このように都市商業それ自体が観光目的になる時代、いわゆる名所になった先駆けはあの渋谷、特に渋谷109を中心としたストリートであろう。1990年代後半、既成に飽き足らない若い世代は、山姥、ガングロといった婆娑羅ファッションという舞台衣装で渋谷を歩く。そんな光景に無秩序、無法のような姿に大人には見える。しかし、混沌とした時代を映し出しているのも、また彼女達であった。
こうした社会現象はマスメディアを通じて全国へと伝わることとなる。そして、カリスマ店員というキーワードとともに若い世代のファッションの聖地と化した。そして、渋谷109は東京近郊から、全国からティーン達が集まることとなる。更には、地方中学生の修学旅行の訪問先の定番として、東京ディズニーランドと共に渋谷109が人気となり、東京観光のメニューとなったことは周知の通りである。


町田の場合は東京湾アクアラインではないが、JRと小田急線の駅がつながり、格段のアクセスの良さが来街頻度を生んできた。今後必要なことは、顧客を魅きつけるものは何か、他には無いその話題づくりと、そうした情報を波及させるメディア受発信の整備であろう。
よく地方の町おこし、村おこしに必要なことは何かと聞かれることがある。ワカ者、バカ者、ヨソ者という推進役の必要性があると答える。しかし、それにも増して、移動のための交通インフラの整備こそが不可欠となっている。町田はその象徴のような街である。勿論、人を引きつける魅力、その変化に対応できるだけの柔軟な都市政策が特に行政に対し問われていることは言うまでもない。

2、集積度の魅力とつまらなさ

ところで集客をはかるテーマ集積度についてであるが、前述の杉浦日向子さんの言うところの江戸の魅力「珍」「奇」「怪」というキーワードに即して言えば、次のように整理することが出来る。


「珍」;
珍しい、初めての世界のことだが、江戸時代であれば舶来ものとなる。鎖国の時代にあっても多くのものが長崎を通じて輸入されていた。なかでも輸入された象などは江戸っ子の話題を独り占めしたと言われている。
町田における「珍」は何かと言えば、それはまず古着であろう。若い世代のファッション、ヴィンテージ商品についてそれほどの知識は無いが、一品ものはやはり逸品ものである。ファストファッション全盛の時代にあって、個性表現といった一般としてのオシャレ好きではなく、恐らくディテールにこだわるファっションオタクの舞台づくりである。希少なフィギュアを探しにアキバの街に集まるオタクと同じということである。

「奇」

町田にしか無い奇妙なものがあるとすれば、それは町田仲見世商店街が象徴している。戦後の荒廃した街並のなかで、JRの駅に向かう通路であった商店街のその後こそ奇妙なほど商店構成が面白い。古と新、和とエスニック、食品と洋品、飲酒と甘味処、行列と閑散、昭和と平成・・・・・デベロッパーによってつくられた明確なコンセプトによる商店街ではなく、どこがどうなっているかが分からない、そんな奇妙さを感じる、不思議な雰囲気を醸し出している商店街である。実はそれら異空間全てが顧客任せによって構成されているからである。

「怪」;
ところで江戸時代には多くの「怪」が出没していた。人々の心をつかんではなさなかったものが幽霊とお化けであった。幽霊は人にかかわる「怪」で、「四谷怪談」のお岩さんのようなもので、お化けは狸や狐が人を化かすと信じられていた。そんな怪しげなものに江戸の人は気をピリピリさせて生活していた。

ところで町田の怪しげなものと言えば、わずかではあるが、町田仲見世商店街や二番街にある路地裏街であろう。南側にあった東急ハンズがツインズに移転してしまい、南側にあった路地裏が少なくなってしまった。しかし、新宿歌舞伎町と比較すれば比べ物にはならないが、スナックや飲み屋などが密集している場所も一部ある。ただ、「怪」を現代的に置き換えるならば、それは「町田の夜」となる。写真のように昼間の町田の様相とは一変したものとなる。昼間は若い世代の時間であるのに対し、夜は勤め帰りのサラリーマン・大人の世界になる。一杯の相手は現代の狸や狐といったら怒られるかもしれないが、町田にも「百鬼夜行」はあるということだ。(笑)

未来塾ではいくつかの街や商店街を観察してきたが、その第一の視点は「歩いて楽しいか」である。安く手軽にショッピングするならば、ファッションから食品までネット通販で十分である。
さて、町田という街を歩いて楽しいか、そこに小さくても新しい発見があるか、極めて微妙な段階にある街であろう。例えば、大型商業施設は一定の集客効果が期待し得る。反面、金太郎アメの如く全てがどこにでもあるものとなり、期待感でゾクゾクさせるようなものは新商品が導入された時以外皆無となる。単に、商品を買うだけの街になってしまうということだ。更に、2つの駅をつなぐペデストリアンデッキという便利さは、同時に南北エリアを道路によって分断させ、街歩きの楽しさを半減させ、つまり回遊性を損なうことにつながっている。東京都の整備計画によれば、この南側エリアの再開発は町田の新市庁舎の移転だけで、その他についても予定されているようであるが、当分の間は現状のままである。
未来塾でも取り上げた砂町銀座商店街や洪福寺松原商店街のように、必要に迫られた商品購入ではなく、商品を買う楽しさ、あるいは新しい発見がある街。秋葉原の街のようにオタクにとってはまるで宝島のようなテーマパークとしての街づくり、その瀬戸際にある。

3、テーマ集積の第一歩はその密度にある

多くの地方にあって、大型商業施設の誘致の限界とそのことによってもたらされた問題について、中心市街地活性化法を通じて学習してきたと思う。町田は町田ならではのテーマを創造し育てていかなくてはならない。そのポイントはテーマの密度である。実はテーマ密度によって顧客への魅力は倍加する。

10店舗から始まった月島もんじゃストリート

その良き事例が東京の下町にある月島の「もんじゃ焼き」である。元々駄菓子屋の軒先で子供のおやつとしてもんじゃ焼きは売られていた。町の再開発とともに駄菓子屋がなくなり、結果もんじゃ焼きも廃れていく。しかし、都心には近いが交通の便が悪い離れ小島のような月島に地下鉄有楽町線が1988年開通する。これを契機に、大人相手のもんじゃ焼きを提供する飲食店が10店舗ほど現れ始める。ここから良い意味での競争が始まり、「変わり種」のもんじゃ焼きが次から次へと生まれてくる。月島もんじゃ振興会協同組合によれば現在70数店舗にまで増え、日本全国からお客さんが集まり、それどころか世界にまで広がり訪日外国人のお客さんも来街するようになった。
つまり、月島の町おこし、もんじゃ焼きのテーマパークが創られたということだ。月島のもんじゃストリートを歩いたらわかるが、裏路地(西仲通り)にはもんじゃ焼きの店が見事なくらい並んでいる。もんじゃストリートの写真のように、その密度こそが人を魅きつける。未来塾で取り上げた浅草を始め秋葉原のアキバ街、吉祥寺のハモニカ横丁、砂町銀座商店街、そして横浜の洪福寺松原商店街、全て集積密度、テーマ密度の高い街であり、商店街であった。また、港北ニュータウンはベビーカーの街と呼ばれるように明確なテーマを持った街となっている。戸越銀座商店街の場合はテーマも持たない密度0、ただ長い商店街だけとなっている。

さて、町田について3つのテーマの可能性について触れたが、現状であれば駅周辺の商業は徐々に衰退していくことが予測される。その傾向は町田駅南側エリアから既に始まっている。まず、路面店の小さな専門店・飲食店が歯が抜けたように店を閉めていく。地権者の場合、店舗の利用について大手チェーン店などに売却することとなる。買い手が付かなければいわゆるシャッター通りとなる。大型商業施設も安閑としていることはできない。既に、消費増税の壁を超えることができないSC内の専門店は撤退の意向をデベロッパーに示し始めている。クローズといった表に表れないのは、賃料などの諸条件を緩くして当分の間継続営業してもらい、空いたスペースを埋めるべく出店の営業をする。それでも埋まらない場合は催事業者に依頼する。この傾向は地方から都心部に向かって、郊外から移動の中心である駅に向かって、つまり中心に向かって少しづつ進行していく。結果、町はどんどんつまらなくなっていく。

観光都市の商業集中と生活都市という拠点への集約

ところで今回のテーマである商業施設の「集中」はいわば都市間競争の消費競争という課題としてある。では、地方はどうであるかというと、集中ではなく「集約」となる。より具体的に言うとすると、暮らしの集約化であり、スーパーなどの商業施設は勿論のこと病院や学校、行政の窓口といった暮らしに必要なものの集約である。国も検討しているようであるが、コンパクトシティ、コンビニエントシティと言い換えた方が分かりやすい生活の集約化である。故郷らしさを残しつつどのように集約を果たして行くかいくつか実験が行われているようだ。
こうした暮らしの集約化は駅のSCなどでは以前から実施されており、こうした編集を参考にして生活都市のデザインを行うと良いのではと思う。
(続く)  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:06Comments(0)新市場創造

2014年11月02日

未来塾(11)「街から学ぶ」東京町田編(前半)

ヒット商品応援団日記No596(毎週更新) 2014.11.2. 

今回の未来塾「街から学ぶ」は東京町田市とした。多摩丘陵地帯という東京のベッドタウンとして成長、いや膨張した都市である。しかし、ここ数年前から人口の増加は止まり、町田駅周辺の商業も右肩下がりとなっている。町田も都市間競争のただ中にあるのだが、この競争に生き残るにはどうすべきか、テーマのある街、テーマ集積という着眼から町田の課題を学んでみた。




「街から学ぶ」

時代の観察

東京町田市


有識者でつくる日本創世会議によるレポートが話題となっている。少子化や高齢化という問題以前として人口そのものが減少していくとの試算結果であるが、各都道府県特に市町村においてやっと人口減少問題が議論され始めている。
1998年当時経済企画庁長官であった堺屋太一さんが、生産年齢人口が減少へと向かったと警鐘をならしたことがあったが、マスコミを含め誰も見向きもしなかった。しかし、若い世代の地方から都市への流出は止まらず、地方はどんどん疲弊していった。但し、こうした人の移動は東京の特定エリアにおいても存在する。例えば、高度成長期のベッドタウンとしてあった多摩ニュータウンを始めとした団地群は高齢化が進み、数年前には限界集落となり多くの対策が実施されている。住みたい街No1吉祥寺についてはこの未来塾においても取り上げたが、東京にあっても流入・流出はあり、人口も含めその偏在は社会問題化している。
さて今回のテーマは人口もさることながら「集中」とは何か、暮らしを支える商業集積の集中がどのように推移していくか、町田という街を通してその「集中のあり方」とできうるならばメカニズムについても学んでみたい。

東京町田への人口流入



多摩丘陵にあるベッドタウン

東京一極集中、ビジネスを始め金融、商業、情報、結果としての人口の集中。ところで1980年代までは東京一極ではなかった。実は東京への人口集中の代表的な区の一つが品川区で、1990年代の人口減少から一転2000年以降人口は増え続けている。この傾向は今回スタディする町田も同様でその膨張ぶりには目を見張るものがある。町田の場合は横浜へ 28分 (JR横浜線快速)、新宿へは35分 (小田急急行)、八王子へは 22分 (JR横浜線快速)という極めて交通至便なベッドタウンとして人口増加が進んだ。
グラフを見ても分かるように1970年頃の人口と比較し、現在は倍以上の人口に膨れ上がっている。品川区もそうであったが、町田は東京一極集中のシンボリックな存在としてある。2014年8月の推定人口は428,745人となっており、2010年以降はほぼ横ばい状況となっている。
ところで町田市の人口は42〜3万であるが、町田駅を中心に半径10Km圏を設定すると約200万人もの商圏となる。実は札幌を抜いて全国第4位という極めて大きな都市となる。この大きな市場性を狙って多くのデベロッパーの開発や再開発がなされ、また飲食を始めとした路面店の出店・退店もある。しかし、順調な町田にあって、2000年代半ばから中心市街地の小売り販売額が減少傾向に向かい小売り吸引力も低くなっている。町田市による「中心市街地活性化基本方針」(2009年策定)にも明確に出ている。ちなみに古い2007年のデータであるが、東京周辺の小売り吸引力は以下となっている。

武蔵野市1.50  厚木市1.33  立川市1.23  横浜市1.05  相模原市 0.96  川崎市 0.89
町田市 0.88  八王子市 0.75

住んでみたい街No1吉祥寺は武蔵野市であるが商業集積度においても高く財政基盤は豊かで全国トップクラスである。また、横浜市は東急東横線が東京メトロ副都心線につながり、更には東上線との相互乗り入れもあり現在では吸引力は大きくなっていると想定される。また立川市についても近隣にあの人気のIKEAが出店したこともあり、その吸引力を高めていると想定される。後述するが町田の場合は吸引力は今なお低下傾向にあり、小売り販売額も減少が続いていると考えられる。
今回の学習するポイントは低下傾向にある商業、駅を中心とした商業集積の可能性についてである。特に、人を魅きつけるものは何か、いくつかの事例を踏まえながらスタディしてみたい。
大学沿線都市

町田という都市の性格は昼夜間人口の変化にもよく表れている。古いデータで申し訳ないが2005年のデータでは、夜間人口(居住者)は404,449人であるが、市外からの通勤者と通学生および居住者のうちの市内に昼間残留する人口の合計である昼間人口は364,091人で昼は夜の0.9倍の人口になる。夜間に比べて昼の人口は約4万人ほど減ることになる。
ところで通勤者・通学者で見ると市内から市外へ出る通勤者110,479人、市外から市内へ入る通勤者は56,854人と通勤者では市外へ出る通勤者のほうが多く倍ほどとなっている。しかし学生では市外から市内へ入る通学生は28,920人で市内から市外に出る通学生15,653人と学生だけで見ると昼のほうが市内にいる学生は夜より多い。

こうした町田という都市の性格が商業集積のあり方を決めていくこととなる。つまり、沿線の大学に通う学生が町田という街に移動してきているという点である。
ちなみにベッドタウンという特徴のもう一つが小田急線沿線を中心とした大学キャンパスで、以下のようにかなり多い大学数である。(多摩川を超えた以西の沿線大学)JR中央線沿線も大学数は多いが、町田周辺の大学数とは比べものにはならない。

◎向ケ丘遊園:専修大学・生田キャンパス

◎生田:明治大学・生田キャンパス 聖マリアンナ医科大学

◎読売ランド前:日本女子大学・西生田キャンパス

◎新百合ケ丘:昭和音楽大学

◎柿生:桐蔭横浜大学

◎鶴川:和光大学 国士舘大学・町田キャンパス 鶴川女子短期大学

◎玉川学園前:玉川大学 昭和薬科大学

◎相模大野:北里大学・相模原キャンパス 相模女子大学 女子美術大学・相模原キャンパス

◎本厚木:松陰大学・厚木ステーションキャンパス 東京農業大学・厚木キャンパス 湘北短期大学

◎伊勢原:東海大学・伊勢原キャンパス 産業能率大学・湘南キャンパス
(参考)専修大学・伊勢原キャンパス・・・体育会系の運動施設、馬術部厩舎、学生寮があるのみ

◎東海大学前:東海大学・湘南キャンパス

◎秦野:神奈川大学・湘南ひらつかキャンパス

◎小田原:関東学院大学・小田原キャンパス 小田原女子短期大学
◎淵野辺】青山学院大学 桜美林大学 
◎矢部;麻布大学
◎橋本;多摩美術大学
◎相原;東京家政学院大学 東京造形大学
◎八王子みなみ野;東京工科大学 山野美容芸術短期大学
◎片倉;日本文化大学
◎八王子;杏林大学 工学院大学 創価大学 多摩美術大学  東京純心女子大学 


都市の魅力と商業

人を引きつける集中化とは何か、その良き事例は既に江戸時代にあった。総人口3000万人、ほとんど増減がなかった日本において、最初40万都市であった江戸が120〜130万都市にまでふくれあがった。飢饉による疲弊した農村復興と都市住民の圧縮を目的とした「人返し令」が幕府から出るほどの江戸の魅力とはなんであったのだろうか?ちょうど「地方創世」が現政府の大きな主要政策になっているが、江戸時代の「人返し令」のような無策に終わって欲しくない。
当時の江戸には武士が50%、町人や農民等が50%、今風に言えば生産人口は半分しかいない「消費都市」であった。人、モノ、金、情報、が江戸に集中し、地方の人間にとってはその集中によって生まれた「経済」と「生活文化」は極めて魅力的であった。よく江戸っ子は”宵越しの銭は持たない”とその粋が言われるが、実態はその日暮らしであった。しかし、食べていくには困らない程度の仕事・収入は江戸にはあった。

亡くなられてかなり経つが、江戸の庶民文化を研究していた杉浦日向子さんは江戸っ子のこころをつかむキーワードを3つ挙げている。それは「珍」「奇」「怪」で、私流のキーワードとして言うならば、新しい、珍しい、面白いとなる。例えば、寿司といえば上方の押し寿司やなれ鮨であった時代に江戸っ子はにぎり寿司を考案したのである。
ところで江戸のライフスタイル変化の最大のものはなんと言っても、一日の食事回数が2回から3回になったことだと思う。当時は火事が多く、1日3回の食事をしないと力がでなかったためと言われているが、定かな研究をまだ目にしてはいない。恐らく、商工業も発達し経済的豊かさも反映していたと思う。
その食事回数の増加を促したのが庶民にとっては屋台や行商であった。新たな業態によって新たな市場が生まれた良き事例である。この屋台から今日の寿司や蕎麦などが進化していく。いわゆる江戸のファーストフーズである。江戸時代こうした外食が流行ったのも今日とよく似ている点がある。大雑把に言うと、江戸の人口の半分は武士で単身赴任が多く、庶民も核家族化が進み、独居老人も多かったという背景があった。今日で言うところの個人化社会である。「夜鳴きそば」という言葉がまだ残っているように屋台や小料理屋は24時間化し、更には食のエンターテイメント化が進み、大食いコンテストなんかも行われていたようだ。

つまり、必要に迫られた食から、楽しむ食への転換である。その良き事例が「初鰹」で”初物を食べると75日寿命がのびる”という言い伝えから、「旬」が身体に良いとの生活風習は江戸時代から始まったようである。上物の初鰹には現在の価値でいうと20~30万もの大金を投じたと言われている。こうした初物人気を懸念して幕府は「初物禁止令」を出すほどであった。料理本も200種類ほど出されており、今なお知られているのが「豆腐百珍」で、その後も「大根百珍」「卵百珍」という具合に料理も楽しみとする遊び感覚の食となっていく。寿司に必要なさかなを江戸前と言って東京湾の小魚をネタにしていたが、常時食べられるようにいけすで魚を養殖していたという資料も残されている。今日でいうところの活魚である。江戸の後期には「冬場の焼き大福」「夏の冷水」「既に切ってあるごぼうや冬瓜」といった物にサービスを付加したものが売られ、幕府はこうした自由で便利になりすぎたとして規制するまでになったと言われている。

町田の商業集積の魅力とつまらなさ

町田は東京、それとも神奈川といった話がある。勿論、東京であるが、市制施行以後隣接する自治体との境界変更を数度実施し、地形的にも神奈川に組み込まれているからでもある。また、それ以前町田町は合併を繰り返し、社会インフラである鉄道の路線拡充と新駅のオープン、特に1980年の国鉄原町田駅が小田急線町田駅側に移転し町田駅に改称する。そして、2つの駅がペデストリアンデッキでつながることとなる。つまり、ほぼ今日の町田駅周辺の商業集積の原型が出来上がる。

しかし、冒頭の人口推移グラフを見ても分かるように、成長というより膨張に近い。東京のベッドタウンと呼んだが、その多くが多摩丘陵の団地群で、緑と共に周りには畑も見られる。町田駅への移動にはバスか車となる。当然のことであるが、駅周辺の道路は大渋滞となる。写真は町田ターミナルビルであるが、上は自家用車などの駐車場、1階はバスターミナルである。
少し前に「小売りから学ぶ」として横浜の港北ニュータウンについてレポートしてもらった。その港北ニュータウンは中長期構想として住宅や商業施設が開発されたが、町田の場合は計画に沿った街づくりというよりその都度対応といった傾向が見られる。悪く言えば成り行き任せ、良い意味では新しい町田住民及び沿線大学に通う学生のライフスタイルに沿った街が結果として形成されることになる。その象徴と思うが、港北ニュータウンには商店街はないが、吉祥寺や町田には古くからの商店街が今なお元気である。ところで町田の現在の主要商業施設は以下となっている。
大型小売店数72店
百貨店数7店
小売店数2,726店
飲食店数1,549店
商業集積度から言うと、ミニ新宿、ミニ渋谷、となっている。

商業集積が本格的に始まるのは2000年代からであるが、主要な商業施設は以下となっている。

・町田ターミナルプラザ;駅周辺の再開発の先駆けで、国鉄原町田駅の移転に伴って1983年に誕生する。そして、以前入っていた東急ハンズが東急ツインズに移転し、ミーナ町田(ファーストリテイリング)として2007年10月にリニューアルオープンする。
・丸井町田;2014年5月 8年ぶりにリニューアルオープン
・ルミネ町田;1999年9月22日開業
・東急109;2002年(平成14年)7月20日開業
・東急ツインズ;2007年(平成19年)10月5日 東急百貨店まちだ店からのリニューアル

こうした大型商業施設と共にドンキ・ホーテ、ABCマート、ユザワヤ、ユニクロ、家電量販のヨドバシやヤマダ、ブランド・チケットの買い取りなどの大黒屋までもが出店している。ラグジュアリーブランド以外の商品であれば都心あるいは横浜に行かなくても十分町田でこと足りる商業集積となっている。半径10Km200万人商圏の大型商業施設による開発競争である。しかし、それは同時にどこにでもある金太郎アメの如き商業施設が密集することとなる。
また、2つの駅だけでなくペデストリアンデッキによって大型商業施設に直接つながるという「便利さ」の反面、町田駅前通りによって南北エリアが分断され、街の魅力が薄れていくというマイナスも同時に生まれる。

新と古、和とアジアが混在する街

2つの駅前表通りには大型商業施設が立ち並ぶが、その横丁路地裏には多くの専門店や飲食店がひしめき合うように軒を連ねている。
その中でひときわ目立つ「古」の象徴が町田仲見世商店街である。長さ約200m。小さな商店街、というより路地裏商店街と言った方がひったりくるそんなレトロな商店街である。
商店街の誕生を調べたところ、関東大震災後の混乱期にいくつかの古物商などの商店が集まったのがきっかけであったという。そうしたことを考えると歴史のある商店街であるが、その商店構成を見ていくと面白いことに新と古、和とアジアが混在する商店街となっている。ある意味でこの構図は小さいながらも上野のアメ横に似ている。
町田名物として町田住民以外にも知られている店が数店ある。その1店は南側の商店街入り口にある焼き小籠包の店「小陽生煎饅頭屋」で、写真のように夜になっても店前には必ず小さな行列が見られる。

もう1店がカツカレーで有名な「アサノ」である。商店街と併行した狭い路地にある老舗であるが、以前は頑固オヤジが店に立っていたカレー専門店である。今は2代目のようであるが、カツカレー以外にもメニューはあって頼もうとするが必ずカツカレーを勧められる。カツカレーではないが、西荻窪に中華食堂「坂本屋」というカツ丼の名店がある。あの料理評論家の山本益博氏がカツ丼は揚げたてのカツに限ると、冷たいカツを使った店主に揚げたてカツを勧めたところ、見事なくらい美味しくなり、日本一のカツ丼であると褒め、そのブログ記事もあって昼時は常に行列となった名物店である。「アサノ」がそうだとは言わないが揚げたてのカツカレーはそれだけで十分美味しいのだ。「アサノ」も広く顧客を集めており、町田の名物店の一角をなしている。

もう一つの象徴が小さな商店街ながらもその商店構成に特徴が表れている。まぐろ専門の魚屋、干物等切り身魚の魚屋、大判焼きのマルヤ製菓、沖縄料理店やタイ料理店、更にはラーメン専門店、Mrs.向けの洋品店、靴や鞄店、焼き鳥と総菜の「ハマケイ」、北口入り口には何故かペットショップや荒物店まである。そして、「アサノ」がある路地裏の更に奥にはスナックなどの飲み屋が並ぶ路地もある。
こうした懐かしさとエスニックといったグローバル感がないまぜとなった一種猥雑な雰囲気が町田という街の大きな特徴となっている。買い物しやすいように導線が組まれ、その中にも戦略性を持ち込んだSCにはない歴史が堆積した生活文化ならではのインパクトを持つ街である。(後半へ続く)
  


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