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ヒット商品応援団
「人力経営」という本を書きました。ヒット商品の裏に潜んでいる「人」がテーマです。取材先はダスキン、エゴイスト、野の葡萄、叶匠寿庵、桑野造船の経営リーダー。ユニーク、常識はずれ、そこまでやるのか、とにかく面白い経営です。星雲社刊、735円、新書判。

2010年01月31日

聖域、家計における教育支出の削減

ヒット商品応援団日記No440(毎週2回更新)  2010.1.31.

確か昨年9月頃のブログに、現状は消費氷河期の入り口あたりで未だ本格的には極寒状態ではないと書いた。その理由として、遊び・レジャー支出が減少する中で、固定フアン(リピーター)によって支えられている東京ディズニーリゾートの集客が減少傾向には至ってはいないこと。(昨年度との比較だけではないという意味)また、当時の家計調査による教育支出が横ばい傾向にあったこと、この2点によるものであった。所得が減少し続ける家計状態、わけあり商品や少しでも安いバーゲン商品、あるいは官製販促支援を受け燃費もお得なHVカーを・・・・・こうした生活防衛的支出にあって、好きを超えたディズニー・オタクに近い遊びへの支出と子供への教育支出。後者については、そんな親の子への気持ちの表れが家計支出の指標に出てきていると考えたことに依る。

周知のように、教育への支出(私費負担)は韓国に次いで日本は二番目に高い。OECDによると、データがあるすべての国で教育に対する国による財政支出は1995年から2006年の間に増加している。一方、私費負担は4分の3以上の国で国の財政支出の伸びを上回る率で増えておりOECD平均では教育支出の15.3%が私費負担となっている。日本の場合、この私費負担が33.3%とOECD平均を倍以上上回っており、OECD加盟国の中で日本より私費負担が高いのは韓国(41.2%)だけだ。つまり、日本は家計への負担が極めて高い国ということである。

ところで、この教育支出について1/27文科省から発表があった。塾や習い事といった「学校外活動費」が前回06年度の調査結果と08年度と比較し大幅に支出が減っている。高校では私立が1人当たり23.9%(6万2千円)減の約19万8千円、公立は9.8%(1万7千円)減の約15万9千円と、いずれも94年に現在の形の調査が始まって以来、最低になったと。しかも、この調査の実施時期は08年4月ー09年3月で、つまりリーマンショック以前も含まれており、この数字以上に現状は悪くなっているということだ。学費の高い私立高においても、学校外教育への支出減少は、多くの生活者に不況が広く浸透していることが分かる。ちょうど大学への受験シーズンであるが、学費の高い私大ではなく安い国公立大、しかも生活費の安い地方大学への志望が高くなっているという。
世帯収入別のデータや幼稚園から高校卒業までの学習費の総額も出ており、文科省のHPを参照されたらと思う。(文科省、『平成20年度「子どもの学習費調査」の結果について』より)

東京ディズニーリゾートの下半期の集客予想が公表されていないので何とも言えないが、子への教育私費負担の減少を見ると、やはり消費厳寒期に入っていると見なければならない。子は親にとって未来であり、子への教育費は取り崩したくない聖域である。しかし、その聖域が崩れ始めてきたということだ。
2010年度の国家予算の論議が国会でこれから始まるが、子ども手当を含めた教育関連予算がすんなり通ったとしても6月からの支給となり、その政策効果が出るのは夏頃からであろう。エコカー減税やエコポイント制の住宅への拡充があったとしても、需要の先食いであり、昨年から始まったこの制度がどこまで内需活性を伸ばしきれるか、暗澹たる思いがしてならない。

前回のブログでも書いたが、東京有楽町西武が今年度末をもって閉店すると報じられ、マスコミは一斉に苦境にある百貨店業界を取り上げた。いつものパターンで、「昔の百貨店には夢があった」などといったインタビューコメントを添えていたが、夢を持ち得ない時代にいることを指摘することはない。百貨店を支えてきた中流層はこの10年間で崩壊し、その中で最後のサバイバル競争に臨んでいるのが百貨店である。昨年9月、大阪梅田阪急百貨店が部分リニューアルしたが、その時従来のフロア構成を変えて、1階をスイーツ売り場とした。これも生き残るための一つの方策である。三越・伊勢丹グループを始め、高島屋もそうであるが、中国へ進出する、出店を加速させる、これも一つの方策である。従来のビジネス慣習から、自らMDし、リスクを負って1万円台のスーツを製造販売する、これも一つの方策である。売れ残ったお歳暮商品をわけあり商品として販売する・・・・・・・小売業は常に顧客の消費価値観を体現するものである。

情報の時代とは断片情報が行き交う時代のことである。数年前、食品偽装という体験を通し、断片情報の時代の生活の仕方を学んできた。体験、リアル、実感、そうした確かなものにしか価値を認めない、そうした自己防衛的ライフスタイルを持つに至った。また、断片情報は常に憶測を生み、憶測は更なる憶測を生む。それは噂になり、疑惑へと進み、結果不安を生じさせる。無数の小さな不安は、いつしか不信となり、内側へ、内側へと消費心理は向かう。そうした心理市場にあっては、安全、安心、更には信用、信頼という基本原則をかたくなに貫き通すということだ。
聖域といわれてきた子どもへの教育支出が削減に向かっている。こうした時代のビジネスは、信用・信頼という原則を愚直にまで実践し続けることだ。結果、閉ざされた心理の扉を開けることへとつながっていく。(続く)  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:48Comments(0)新市場創造

2010年01月27日

100ー1=0、マニュアルという罠

ヒット商品応援団日記No439(毎週2回更新)  2010.1.27.

先日、2〜3のメーカーによるバーゲン催事、百貨店のバーゲンセールを見て歩いた。どこも90−50%offといったセールで混雑するほどの集客であった。しかし、ひと頃のようにこの時だけといったまとめ買い顧客は少なく、せいぜい1〜2点の買い物に終わっている。いわゆる客数は若干増えたが、客単価は減り、前年並みもしくは前年割れといったところである。勿論、催事フロア以外は閑散としていたことは言うに及ばない。
そして、通年であると2月のバレンタイン商戦へと向かうのであるが、その小売りエネルギーを感じることがない。恐らく、来週あたりから「婚活」女子向けのバレンタインといったテーマでマスコミが動くであろうが、それすらも寒々しい空虚な情報となるであろう。昨日、昭和59年にオープンした東京有楽町西武が年内に撤退すると発表があった。まさに消費の今を象徴した発表である。

ところで、私はこの2年間ほど、東京のOKストアを始め、鹿児島阿久根市のAZスーパーセンター、京都のスーパーNISHIYAMA、といった中堅の地域スーパーを取り上げてきた。勿論、東京にはOKストア以外にも、オオゼキやサミットストアなど頑張っている特徴あるスーパーも存在している。それぞれ地域スーパーの元気さの根底には、地域顧客が求める日常的要望をしっかりと捉まえているからである。日経MJ的に言えば、顧客情報のデータベースによるMD分析や社員力の向上、変化対応のある売り場づくり、徹底した無駄の排除・・・・至極当たり前のことをきちんと実行しているスーパーである。そして、顧客が求める日常的要望として、安心価格、安心品質、安心できる売り場環境、そして安心できるサービス、こうした原則を踏まえた上での「特徴」である。この特徴の出し方に違いはあっても、全て共通しているのが「現場力」「人力経営」である。

今、実質倒産したJALの再建が、経済誌やマスコミに大きく取り上げられている。破綻に至った経緯や問題点については多くが語られているのでここでは指摘はしないこととする。ただ、一番気になったことがある。破綻後のキャビンアテンダントへの取材で、それまでの顧客サービスをマニュアルによるものではなく、各個人が柔軟に対応するというものであった。私に言わせれば、放漫経営であると同時に、放漫現場であったということである。実はマニュアルというツールに安住してきたということだ。しかし、安住できる場所など無いというのが現実である。半官半民、エリート世界とはこのようなものであると分かってはいても、倒産を前にやっと理解し得たのか、遅れているなというのが私の実感である。これでは潰れるべくして潰れたのだと納得した。

少し古い話になるが、JALの破綻で思い起こされたのが1948年創業の東京の名所観光バス「はとバス」の再建についてである。「はとバス」も1990年代末債務超過に落ち入り倒産寸前となる。背景にはバブル崩壊による客数の減少であるが、1998年に東京都交通局長であった宮端清次氏が社長に就任する。宮端さんがおこなった改革の中でも一番大きなことが、現場での意識改革であった。大きくは2つの運動を提起し、宮端さん自ら行動する。一つめが「なら、しか運動」と呼ばれるもので、”私ならこうする、私しかできない”現場サービスをやろうというものである。奈良(なら)と鹿(しか)という分かりやすさで、一人ひとりが「はとバス」ブランドを創っていこうというものである。そして、理屈っぽくならないように「自分の信者をつくろう。”信””者”をつなげれば”儲”になる」という分かりやすい説明と共にスタートする。二つ目が顧客情報の収集と活用であった。ドライバーや添乗員がその日あったお客さまの小さな声、本音をメモし、それを「お帰りボックス」に毎回入れる。そうした小さな声を集め以降多くのヒットメニューを生み出すこととなる。今では当たり前となっているが、「レディスシート」、「ゆったり座れる28人乗りのピアニシモ」、「1人で2席のゆったりシート」、あるいは昼食ぐらいは家族で食べたいという声から「個室昼食プラン」、富裕層向けには「12万円の箱根日帰りツアー/往路にヘリコプターを利用」・・・・従来の団体・貸し切りという「量」を追いかけてきた経営から、一人ひとりの顧客を大切にする、リピーターによる現場経営への転換であった。勿論、わずか数年で復配できる企業へと生まれ変わった。

マニュアルはチェーンオペレーションを必要とする業種・業態で活用されてきた。マニュアルに準じれば、一定の商品品質、一定のサービス品質が得られるためのもので、多様な言語・文化を持つ移民の国米国で生まれたシステム運営ツールである。いわば提供する側の合理的なツールであるが、今や多様に変化し続ける顧客に対してはマニュアルを超えた自在な対応力が求められている。極論ではあるが、マニュアルは顧客にとって合理的ではないということだ。
巣ごもり生活における消費は、常に価格を軸としながら消費移動を繰り返している。その変化移動の動きを唯一キャッチできるのが現場であり、人である。顧客の多様さに向き合うにはマニュアルを捨てなければならないということだ。そして、現場の人材を信じることでもある。それは必ず現場の人間に伝わり、結果顧客にも伝わる。1990年代半ば、米国からストックオプションに代表されるような成果主義に基づいた評価の仕組みが導入された。しかし、周知のようにバラバラとなった個人化社会にあって、荒んだ競争しか生まれなかった。勿論、成果すら挙げることはできなかったということである。
私は現場のスタッフに常に言うことの一つに、「貴方はお客さんを好きになれますか」と。それは、とりもなおさず、経営者に対しても「現場のスタッフを好きになり、信じて任せられますか」ということと同じである。当時、私はこうした市場の在り方に対し、次のような記号で表現した。

100-1=99 ではなく 0であり
100+1=∞の可能性を追求すべきであると

つまり、1(イチ)とは何かということである。市場が心理化している時代にあって、1(イチ)はマニュアルには現れては来ない「何か」で、現場、人しか分からない「何か」ということだ。例えば、飲食店では最初に水やお茶を出しながらオーダーを聞きにくる。その時、厨房が混んでいて10分間待たされたとする。しかし、オーダーの時に「今、このメニューだと10分かかります。こちらだと5分で召し上がれます。いかがなさいますか。」と言われるか否かで、待たされた時間への気持ちは大きく変わる。これも1(イチ)である。チョットした気遣い、一言、アイディア溢れる応対、そして何よりもマニュアル(テクニック)ではない自然な笑みということだ。(続く)  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:39Comments(0)新市場創造

2010年01月24日

仮想と現実、行ったり来たり

ヒット商品応援団日記No438(毎週2回更新)  2010.1.24.

先日、日本百貨店協会から2009年度の売上高6兆5842億円との発表があった。前年と比較し10.8%減少し、過去最大の下落幅であったと。しかし、この売上規模は1980年代末の売上規模であり、所得水準もほぼ同じ時期となっており、まさに消費は所得の関数であることを表している。特に、百貨店についてはこのブログで何回となくその中心とする中流顧客層が崩壊したことを指摘してきたのでこれ以上は触れない。ただ、所得レベルが20年余前のバブルに向かっていた時期であることを想起すべきで、しかしその市場は1億総中流時代のそれとは根底から異なっていることを再認識すればよい。

その百貨店であるが、西武百貨店とYahooショッピングのコラボレーションによる「人気グルメ&スイーツ お取り寄せ市」に多くの顧客が集まっている。Yahoo!ショッピング食品部門の年間ベストストア2008年第1位の「オーガニックサイバーストア」や2009年上半期第1位の「花畑牧場」の人気商品に加え、ネット通販では体験できない商品のお試しやその場で味わえるイートインもあり、人気を呼んでいる。3月には同様の試みが東武百貨店と楽天市場との間で物産展「楽天市場うまいもの大会」が開催される予定である。日頃、自社以外のネット通販に縁の無かったデパート顧客層と、試すことが出来なくて躊躇していたネット顧客層を互いに取り込む意図で行われたものだ。こうした有店舗と無店舗の組み合わせはファンケルのように以前からあり、最近ではファッション商品などについては欲しい商品を店舗で確認し、安いネット通販で購入するといった女性達も増えている。

また、1/20の日経MJにはインターネットで人気の「脱出ゲーム」を取り上げていたが、倉庫などを使って実際に行うイベント「リアル脱出ゲーム」が話題を集めているという。このイベントへの参加チケットは、早々に完売し常に入手困難とのこと。謎解きのわくわく感やスリルを実体験でき、その上脱出のために参加者同士が協力し合う。そんな「人肌」というアナログ感覚を感じるつながりが意外にネット世代に受けているという。いわば、虚構のネットゲームを実際にリアル体験できることへの着目である。

こうした事例が出始めたというのも、インターネットの生活への普及がかなり浸透定着してきたということだ。もっと簡単に言えば、コンビニがそうであったように、生活の一部としてネットを使いこなすために次の段階に進んできたということである。別の言葉で言うと、仮想と現実、虚構と体験、デジタルとアナログ、流通という視点で言えば無店舗と有店舗、こうした異なる世界を自在に行ったり来たりする段階に至ったということである。そして、流通もこうした行ったり来たりという顧客要望に応えなければならないということだ。

前回、NHKの大河ドラマ「龍馬伝」を引用して、断片情報ばかりが行き交う情報の時代には「複製(虚構)は常にオリジナルの存在を必要とする」と私はブログに書いた。立ち帰るオリジナル、つまり現実、体験、アナログ、有店舗といったオリジナル世界が極めて重要になったということである。過去回帰、歴史回帰もこのオリジナルを探しに出かけるということである。美少女キャラをパッケージに使いあきたこまちをネット通販し注目を集めた秋田県羽後町の村起こしに、美少女アニメオタクが羽後町を訪問するのも、いわば虚構の美少女アニメの故郷訪問であり、こうしたオリジナル体験確認のようなものである。勿論、前回書いたように龍馬ゆかりの地の旅も同様である。そして、気をつけなければならないことは往々にして一過性のブームで終わってしまうことにある。つまり、仮想と現実、虚構と体験、これらの「行ったり来たり」全体を視野に入れたビジネスを考えなければならないということである。

さて、こうしたネットストアと既存店舗流通によるクロスメディア化はこれからも進んでいくと思う。私の友人も健食や美容関連のサプリメントの有店舗販売とネットストアを組み合わせているが、それぞれ売れ筋商品は異なるものの相乗効果が生まれ順調に売上を伸ばしている。こうした多大な投資は難しいとする個人商店の場合は、課題は仮想と現実、虚構と体験、これらを組み合わせることにある。小さな成功例であるが、ネットストアを運営しながら、その購入顧客の中からママ友グループのリーダー候補を選び、サンプル品や売価を安くしたりといったインセンティブをつけ、いわゆるママ友リーダーの使用体験を通じた共同購入を促進していく仕組みが採られているストアがある。ネット上でのサンプル投入はコストがかかる、使用体験してもらうにもどんな方法を採れば良いのか、こうした難しいネットストアの問題解決法の一つだ。
インターネットの世界が特別なものではなく日常化した時代では、仮想と現実、行ったり来たりを視野に入れた全体ビジネスを考えなければならない。 (続く)  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:44Comments(0)新市場創造

2010年01月20日

物語消費再考

ヒット商品応援団日記No437(毎週2回更新)  2010.1.20.

デフレ時代の消費は低価格を物差しとしたリアルなモノ価値消費である。消費現場での生活者目線で言えば、まず見るのが妥当な価格であるかを購入基準の第一とするということである。この低価格主義的消費は、所得の関数である消費として当分の間は続くと思う。しかし、単なる低価格であることから、少しづつ変化の芽が出始めている。その一つが前々回ブログに書いた「サービス価値再考」のように、サービスを含めその価値を認めてくれる顧客を市場とする。それは、国内、海外といった内と外という境をもたないマーケティングとしてである。つまり、誰を顧客とするのかを従来の考えから一端離れて考えてみようということである。

ところで、前評判の高かったNHKの大河ドラマ「龍馬伝」が始まった。初回視聴率は関東23.2%、関西21.0%とのことで、TV離れしている現状においては高視聴率に入るかと思う。NHKのHPを見ても分かるが、原作者はおらず、新しい龍馬像を創っていくオリジナル作品とのことで、敢えて原作者というのであれば脚本の福田靖氏と演出の大友啓史氏ということになる。
私も注目していた番組なので3話まで見たが、その感想としては、まるで劇画、コミック動画として創られているなという印象であった。人物配置の構図としては、坂本龍馬と岩崎弥太郎を縦糸に、家族や出会う女性達(土佐の平井加尾/広末涼子、江戸の千葉佐那、京都の楢崎龍、長崎のお元)を横糸にした分かりやすい龍馬の成長ドラマである。更には、土佐の上士と下士といった身分制度の対比のさせかたなどの過剰さ、あるいは剣道の乱取りなどを見ても、まさに劇画そのものである。カメラワークも手持ちカメラが多く、スピード感はあるが、反面断片的でまるでコミックを読んでいるかの如くである。

何故、私が「龍馬伝」を取り上げたかであるが、消費の現場では「わけあり商品」に代表されるように、「低価格物語」が広く浸透している。「龍馬伝」を劇画、コミック動画と私が呼んだのも、今という現実に重ね合わせて表現する、つまり視聴者に想像力を働かさせるには良き一つの手法であると考えているからである。というのも、昨年末から坂本龍馬に関する雑誌の発刊や坂本龍馬ゆかりの地、土佐、長崎、京都を巡る旅、更にはソフトバンクの白戸家も龍馬をテーマにしたCMを流している。「龍馬伝」の便乗MDと言ってしまえば、話は終わってしまうが、「龍馬伝」という仮想現実物語がどの程度消費に結びつくか、情報消費、物語消費のこれからを占う一つの指標になるからである。もっと単純化してしまえば、「龍馬伝」という劇画が、どの程度まで現実消費を動かすかである。それは昨年の「歴女ブーム」の火付け役となった「戦国BASARA」というアクションゲームの事例を見れば理解していただけると思うが、虚構が現実を動かす関係と同じである。

5〜6年前、ポストモダンとオタクというテーマが一部の専門家の間で議論されてきたことがあった。ここではこうした大きなテーマとしては取り上げないが、NHKの大河ドラマまで、いや時代表現として一番進んでいるNHKが一種の劇画ドラマを創作し始めたということに私自身驚いたというのが素直な感想である。というのも、幕末に現れた龍馬は世の中を変える革新者の一人であり、その創作物語はどんな世界観、どんな大きな物語として創作されるのか極めて興味深いテーマとしてある。1980年代に始まった「おたく」はマスプロダクト化され、オタクとなり、その最大特徴である虚構世界への「過剰さ」がかなり薄まって広く浸透してきたと理解している。つまり、情報発信メディアという視点から見れば、アキバ発から更にマスとなってNHK発というところまでポップカルチャー、サブカルチャーが進化してきたということだ。

「龍馬伝」のドラマ構成を縦糸と横糸によって織られた布地のようなものだと表現したが、縦と横との接点がコミックの一コマ=断片であり、受けてである視聴者はそれら断片情報を基に自ら想像し、創造していく訳である。これは人間心理として、不可解さとか確かめてみたいといった心理解決策として、突き止めていきたい、確認したいという本能のようなものである。「わけあり商品」も、その訳を確かめたい、そんな心理を後押しているのが実は低価格である。
「うわさの法則」でも書いたが、そうした断片情報が、生命にかかわるようなものであればあるほど、突き止めたいという欲求が強くなる。確かめたいという心理、それが憶測を超えてうわさとして広がるのである。つまり、過剰情報時代の創作手法として、100人受け手がいれば100の物語が創造されるということである。結果、100の複製龍馬が出現するということである。これが心理市場化している今日の、マスプロダクト化の本質である。そして、こうした複製が可能なのは、現実、リアルな物的世界と比較し、虚構(心理)世界の方がより簡単に可能となる。但し、複製は常にオリジナルの存在を必要とする。アキバのAKB48もアイドルのサバイバルゲームであるが、常設スタジオを持ち”会いに行けるアイドル”としたのも、こうした背景からであろう。

「龍馬伝」で言えば、龍馬のオリジナルは屋敷跡など痕跡の残る土佐、長崎、京都ということとなる。リバイバルとか、復刻版と言った消費は、極論を言えば、過去の複製、コピー販売である。昨年のヒット商品を見ても分かるが、過去を遡る回帰型消費がかなり多くなっている。しかし、複製にはかならずオリジナルがある。そして、そのオリジナルを求める欲求は必ず生まれる。こうした物語消費という欲求の過剰さは「謎解き」の過剰さへと向かっていく。例えば、龍馬ゆかりの地土佐を旅し、龍馬が好んで食べたという軍鶏鍋を食べる、こうした旅は龍馬がどんな生き方をしていたかを謎解きする旅ということである。

この10年間、多くの過剰さを削ぎ落としてきた。消費で言えば、ついで買いを止め、最小の目的買いのみとする。「わけあり」の訳を検討し、更に費用対効果を確かめ、意味あるモノだけを買う。こうした巣ごもり消費から、恐らく底流としてはあったと思うが、物語という虚構世界、その情報消費の芽が出てきた。ビックリマンチョコに代表されるような1980年代の物語消費とは質的に異なるとは思うが、どんな異なる消費かは「龍馬伝」が教えてくれるであろう。(続く)  


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2010年01月17日

エコは素敵生活へ

ヒット商品応援団日記No436(毎週2回更新)  2010.1.17.

昨年、2010年を予測するにあたり、「エコはお得」というキーワードで未来生活の芽をブログに書いた。予測は当たらないというのが私の持論ではあるが、以降1ヶ月ほど経つがエコ生活へと向かっていることは間違いない。
エコカーへの減税&補助金、エコポイント制度といった官製販促支援は需要の先食いとの側面をもってはいるが、生活者意識として省エネは省マネーになるという新たなエコ家庭経済へと向かわせている。LED電球から省エネ洗剤アタックネオといったヒット商品もさることながら、「その商品は環境にも財布にも優しいか」という鳥の眼と虫の眼という複眼で、しかも中長期の眼で消費する価値観を持ち始めたということである。

昨年「ユニクロ栄えて、国滅ぶ」と書いた経済学者がいたが、デフレ経済を悪者扱いしているが、単なる安売り競争経済といった側面だけで見てはならない。デフレは消費意識を、価格の裏側に潜む「理由」や「意味合い」へと向かわせた。その中には、グローバル経済に翻弄される生活、例えばガソリン高騰や中国冷凍餃子事件に見られるようなエネルギーや食料を輸入せざるを得ない小資源国としての実態を思い起こさせた。更に、リーマンショックは輸出によって得られたお金でそれらを買って済んでいた時代から、「自給」する経済、「自給」する生活へと意識を向かわせた。中国冷凍餃子事件は確認できる体感できる安心・安全な食へと向かわせた。こうした中から生まれたのが、家庭菜園ブームや農家レストラン人気であり、更には収入が減り続ける時代の知恵として、「わけあり商品」、「下取りセール」や「リサイクル」、「アウトレットブーム」といった消費が生まれてきた。ある意味、デフレは自給という循環型経済へと向かわせる後押しをしたと見ることも出来る。米国ほどはないが、過剰消費、バブル的消費の見直しである。

昨年、2010年予測のブログで、地方はエネルギー生産地、都市はその消費地とし、その需給関係(青森六ヶ所村の風力発電と東京新丸ビルにおける電力消費)について書いたが、ちょうどそれを裏付けるデータがあった。「都道府県別自然エネルギー自給率」(http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/7390.html)で、最も自給率の高いのが地熱発電、温泉熱利用の高い大分県の25%、第二位はヨーロッパ型の水車の利用といった小水力発電の盛んな富山県、勿論最下位は東京の0.21%である。ちなみに、原子力発電を含めないエネルギー自給率の各国比較では米国73%、英国113%、中国100%、日本はわずか6%である。
もう一つの自給率である食料は、同じようにデータ比較(http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/7235.html)がなされている。これも地産地消の浸透指標として見ていくのに良いデータと思うが、自給率が最も高いのが北海道の198%、第二位が秋田の177%で、勿論最下位が東京の1%である。同じように各国比較では米国119%、英国74%、仏130%、日本は周知の40%である。(2002年度、カロリーベース比較)

確か2年ほど前、旧政権による環境技術開発などへの3兆円規模の助成支援があったが、太陽光発電や超伝導による電流ロスの解消など広義の省エネ技術が磨かれ成果が出始めているようだ。更に、昨年末新政権による「新成長戦略」が発表されたが、環境エネルギー政策の基本方針も出てきた。地方分権が、どんなスピードで、どこまでの権限と範囲で実行されるかわからないが、エネルギーと食料という生活に不可欠な重要テーマを軸に、都市と地方との格差是正や需給の在り方が政治の場で語られていくと思う。地方はエネルギーや食料の生産地として、魅力ある固有の生産を目指し、都市はその魅力を消費していくことになる。エコという視座に立てば、地方はエコヴィレッジ、都市はエコタウンが目標となる。

HVカーや電気自動車に代表されるエコ商品は官製支援はあるものの、量産化によってキラーコンテンツならぬキラープライスとして生活の多くの商品へと広がっていくであろう。勿論、「エコはお得」という新たな価値観によってだが、次のテーマとなるのが「エコは素敵」という概念であろう。この概念は、「クールジャパン」における「クール」に近い意味で、新しい時代人の格好良さとでも表現できるライフスタイル観である。米国から持ち込まれたLOHASは単なるブームに終わったが、LOHASに替わる新たなライフスタイル観が生まれてくる。そうした価値観は、人物、企業、あるいは市町村という様々なところから生まれてくるであろう。勿論、次なるライフスタイルリーダー、ソーシャルリーダーとしてであるが、私ならば「クールガール」とか、「クールカンパニー」、「クールヴィレッジ」などと呼んでみたいと思っている。それはなによりも、日本初のクールカルチャー、ジャパンスタイルカルチャーを世界に向けて発信していける、いやビジネスとして極めて大きな可能性があると考えているからだ。そのビジネスの中核となるのがやはり観光である。

勿論、グリーンツーリズムやエコツーリズムといった狭い観光ではない。狭いという意味は、単に自然の持つ生命力を五感で感じ、楽しみ遊ぶといったことではなく、それらを生活へと取り入れた日本文化、ヨーロッパを石の文化であるとするならば、木の文化、紙の文化といった生活文化の観光である。特に、地方には都市文化の波に洗われてなお残る固有な生活がある。私はその象徴として京都をそのモデルとして挙げているが、多くの地方には未だ知らない自然生活文化、産土(うぶすな)が埋もれており、少しづつ表舞台へと上がっていくであろう。
外(世界)からの眼でクールジャパンと注目されているが、今度は自ら「素敵生活」「クールカルチャー」を発信していくことだ。前回、「サービス価値再考」で「星のや 京都」と「加賀屋」を取り上げたのもそうした発信事例としてである。

ここ2年ほど「価格」に関するブログが多かったように思う。価格は重要なキーワードであるが、そのことを踏まえ「エコは素敵」というキーワードで消費を見ていこうと思っている。昨年、2010年をエコ元年と表現したが、現状は一部の省エネ製品、省エネ住宅、自然エネルギーの活用、・・・・ゴミゼロ運動、といったエコロジーの断片が生まれたにすぎない。生活は全体であり、全体を構想することが問われている。個人だけでも、企業だけでも解には至らない。産官学合同による産業起こしなどと言われるが、一番重要なことは住民、生活者がエコリーダーになるということだ。富山県のように小水力発電にチャレンジしているところもある。日本には約1800弱の区市町村があるが、1800のエコヴィレッジ、エコタウンという「素敵さ」があってもかまわない。福岡県岡垣町という田舎で「どこでもある田舎をここにしかない田舎にしたい」と町起こしをしている野の葡萄はその先駆者でもある。
そうした「素敵さ」を表舞台へ上げ、活性化させる中心は観光である。新政権の成長戦略に休暇取得の分散化などの「ローカル・ホリデー制度」が検討課題に上がっているが、こうした制度がエコヴィレッジを後押しするであろう。(続く)  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:07Comments(0)新市場創造

2010年01月13日

サービス価値再考

ヒット商品応援団日記No435(毎週2回更新)  2010.1.13.

前回、ノスタルジー消費という虚構世界の消費傾向について書いた。これは価格競争下の消費におけるリアリズムの変質の一つであるが、デフレの大波によって隠れてしまったサービス価値の今、その変容と在り方について考えてみたい。というのも1990年代後半、物が類似化する時代にあって差別化するにはサービス価値をどう高めるかがマーケティングの大きなテーマであった。しかし、今日サービスに価値を認め、それに値するお金を支払う市場は極めて小さくなったことも事実である。(10年間で100万円所得が減少したことを書いたブログを参照)
こうした中で、日本のサービス業が選択すべき一つの着眼を提示してくれたのが、星野リゾートによる2号店「星のや 京都」のオープンであり、石川県和倉の名旅館加賀屋の台北進出である。
この2つの旅館に共通していることは、日本のサービス・おもてなしを海外の富裕層へ売っていこうという試みである。

1/11の日経MJに、その「星のや 京都」の概要について取り上げている。「星のや 京都」は海外富裕層を主要顧客に想定しており、勿論和のコンセプトであるが、その「おもてなし」の入り口として専用の船による10分間の送迎という演出がなされるという。日常の世界からリゾートという非日常世界へと明確に切り替えるための仕掛けである。部屋は海外客にくつろぎやすくするためにソファースタイルとなっているが、畳座敷の時の目線と同じ位置になるように床の間やインテリアが考えられているという。この10年間で7万軒あった旅館は5万軒ほどに減少するなか、宿泊と食事の分離、24時間ルームサービス、こうした顧客の自由度を提供することによって自社の旅館ばかりか、苦境に立つ老舗旅館の再生に人材を送り込み日本旅館のこれからの道筋の一つを提示してくれている。そんな星野リゾートによる海外富裕層市場へのチャレンジである。

以前、ブログに「クールジャパン」について書いたが、日本食レストランやSUSHIBAR、禅やサムライ、コミックやアニメ、・・・・・こうした日本ブームには日本の精神文化への興味・関心、更にはその魅力に傾倒する市場があることを物語っている。コミックやアニメの聖地は秋葉原であるが、日本食レストランやSUSHIBAR、禅やサムライといった日本精神文化の聖地はやはり京都である。富裕層の長期滞在客市場を創造してきた世界のリゾートと言われるアマンリゾートも京都にリゾートホテルを創る計画であった。しかし、1年半ほど前になるが提携先のアーバンコーポレーションの破綻によって計画は頓挫している。つまり、世界、外からの目は日本人の想像を遥かに超えて、日本の精神文化、日本美に注がれている。

製造業の東・東南アジアやインドへの工場移転、あるいは既に多くの流通が進出しニュースとなっているが、実は飲食業も欧米以外に、上海、バンコク、シンガポール、といった主要都市へと続々と進出している。古くは大戸屋、ラーメンチェーン店、サイゼリアのようなファミレス、こうしたチェーン店以外にも個人経営の日本食レストランも多数活動している。それら飲食業は基本的には日本に於ける調理法に準じた、メニュー、味などとなっている。そして、最大特徴であり、海外の現地客が最も新鮮に受け止めてくれるのがサービススタイル、おもてなしである。飲食業の海外出店ではあるが、日本食文化、日本の精神文化の輸出といっても過言ではない。

ところで、コミックやアニメの聖地である秋葉原に常設劇場を構え、オタク達へのライブショーを演じているのがAKB48である。オタクはアイドル(憧れ)を消費するために劇場に集まる。歌やショーを観劇し、憧れという心を交換し、ステージに立つメンバーも成長する。仕組みという視点に立てば、オタクがアイドルを育てるサバイバルゲームである。このAKB48は周知の秋元康氏がプロデュースするエンターテイメントビジネスであるが、顧客参加ゲームにおけるライブコンテンツ、TVコンテンツ、インターネットコンテンツ、そして周辺のMD商品を一つのビジネスパッケージにして、いわゆる世界へとコンテンツ輸出を行おうといった試みまで始まっている。コミックやアニメの主人公は時を経ても変わらないが、AKB48のアイドル達はオタクによって育てられ成長するキャラクターであり、自分の分身アバターとしてある。そして、その本質はアイドル育成ゲームであり、劇画的である。

さて、サービス価値の今であるが、一つのヒントは星野リゾートの星野桂路社長が答えてくれている。それは一号店である軽井沢の「星のや」は大不況もあって法人需要が落ち込んだという。しかし、売上の多くを占める個人顧客は変わらずリピーターとして利用してくれていると。つまり、個客を大切にするサービスによってということだ。
もう一つは対象とする顧客の想定に沿って、ビジネスの在り方を決める。つまり、サービス価値を認めてくれる顧客を顧客とするということだ。価格競争によって真っ先に削ぎ落とされるのが人件費、人的サービスである。しかし、価値を認める顧客は存在している。その顧客を顧客とする規模で経営すれば良いのだ。ちなみに、「星のや 京都」の客室数は25室、1室あたり7万円、宿泊人数は1室平均2.2人、アラカルトの夕食&朝食の費用を含めると1人当り4万5000円〜5万円になるという。
加賀屋の台北進出については、計画より大分遅れ今だ工事中のようである。その概要の情報が得られたらまたブログにてレポートしたい。いずれにせよ、地球は小さくなり、同時代性、同地域性という世界が進んでいる。つまり、もはや内も外もないということである。であればこそ、水村美苗氏の「日本語が亡びるとき」ではないが、伝承された日本文化、今の日本を表現するサブカルチャーの如何を問わず、その価値を再考すべき時に来ている。(続く)  


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2010年01月10日

時間という視座ー思い出消費の背景

ヒット商品応援団日記No434(毎週2回更新)  2010.1.10.

昨年のヒット商品における大きな傾向、「戦後の工業化・近代化(都市化)によって失われたものを過去に遡って取り戻す、回帰傾向が顕著に出た一年であった」とブログに書いた。1986年に登場したあのドラクエの「ドラクエ9」、現代版ベーゴマの「ベイブレード」、東京台場に等身大立像で登場した「機動戦士ガンダム」、オリンパスの一眼レフ「PEN E-P1」もレトロデザインで一種の復刻版カメラ、売れない音楽業界で売れたのが「ザ・ビートルズ リマスター版CD」、同様に売れない出版業界で売れたのが山崎豊子の「不毛地帯」「沈まぬ太陽」で共に100万部を超えた。更に、2009年の特徴の一つが「歴史回帰」である。国宝阿修羅像展、歴女ブームの火付け役となったのが「戦国BASARA」。
年齢問わずこうした過去へと遡る消費は一つの時代特徴として存在する。それは何故なのか、今回は私の考えを書いてみたい。

仮説はこうである。戦後、特に1980年代以降、都市生活者は圧倒的なスピードによる時間を生きてきた。つまり、圧倒的な変化の連続であったということである。しかも、24時間化という言葉に象徴されるように、昼夜の境目、更には季節感すらをも無くした、時間生活であった。その病変は、1990年代半ば以降、特にIT技術の進化と共に「不眠」、更には精神的な「鬱」という形で現れてきた。「不眠」を単純化して言えば、眠りのリズムをコントロールする体内時計が、社会(ビジネス)時間のスピードについていけなくなったことによる。この反作用としてライフスタイルに現れてきたのが、スローフードであり、スローライフである。
一方、こうした時間感覚、スピード感覚についていけない、いわば置き去りにされていく心理的解決として、「過去(歴史)」という虚構の世界へと向かわせる。思い出は、「何か」によって思い出されることで「思い出」となる。思い出は今の自分の心のありようが投影された、一種の加工された虚構世界である。「あの頃はよかった」「懐かしいあの頃」とは、いわば時間から置き去りにされた癒しの世界ということである。

思い出は人それぞれ固有の世界である。「この味がいいねと君が言ったから7月6日はサラダ記念日」と歌ったのは歌人俵万智であるが、個人体験は固有の世界であり、戦争といった極限体験を持ち出すまでもなくそれらを商品化することはできない。過去の自分を置き換えられる商品化可能な「何か」、それはサブカルチャーや遊び、共通する「時代性」によって思い出される。私がプチ思い出消費と名付けたコンビニのヒット商品「揚げパン」は、学校給食という共通した時代の思い出であり、「ドラクエ9」や「ベイブレード」「機動戦士ガンダム」はまさに時代性を想起させるサブカルチャー、遊びである。最近では、パチスロや広告CMに多用されている少年マガジンの「明日のジョー」も同じである。2年半ほど前の日本アカデミー賞を受賞した「ALWAYS三丁目の夕日」はその典型である。

さて、こうした「時間感覚」という視座で市場を見ていくと、例えばスピードへの「反」として現出したスローフードやスローライフは家庭経済としてはどうであるかである。勿論、雑誌などで特集され一種のトレンドとなった上澄み的市場は既に消滅している。その象徴が「癒しの島沖縄」である。周知のように、そうしたライフスタイルを追求していく経済的基盤を喪失しており、今やスローフードではなくB級グルメであり、癒しの時間は週末だけのひととき農業人といったところに留まっているのが現実である。
つまり、お金をかけずにいかにスローライフ、スローフーズを楽しむか、その答えは地方にある。あり余るほどの資源、財産を持っているのが地方であるが、例えば豊かな自然・景観、今も残る古民家、自給自足できる畑がある、郷土料理もある、・・・・しかし、それら資源をまとめ上げた都市生活者に向けたポリシー&コンセプトがない。過去へと遡る都市生活者の欲求に対し、過去・歴史を今に置き換えるアイディアが無いという意味である。

つまり、「過去へと遡る」とは言葉を変えて言うと、語るべき歴史・過去を持たないということである。静かなブームとなっているのが、自分の家系図を辿るルーツ探し、自分史づくりである。もっと平易に言えば、思い出づくり、語るべき歴史をどう提供していくかである。更に言うと、昨年から注目され始めているのが伝統野菜である。その先駆けは京野菜であるが、全国に埋もれた昔ながらの野菜、安い輸入野菜に押され無くしてしまった野菜が再生産され始めている。いわば伝統野菜の復刻版である。これも語るべき歴史の一つとなる。そして、伝統野菜の先には郷土料理がある。おふくろの味は学校給食とコンビニの中にしか見出せないのが、都市生活者である。語るべき何かとは、故郷であり、家族であり、遊びであり、つまりもう一つの生活ということである。ノスタルジー消費、虚構の生活ではあるが、第二の故郷、第二の家族、第二の遊び、第二の生活をどう提供していくのか、ここに市場着眼しなければならない。今年は平城京遷都1300年であり、奈良や京都に多くの観光客が向かうであろう。そこで見出すのは、日本って何、日本人って何、という日本の歴史であろう。日本史と自分史を重ね合わせた癒しの旅ということだ。(続く)  


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2010年01月06日

価格競争を超えるもの

ヒット商品応援団日記No433(毎週2回更新)  2010.1.6.

年が明け、一斉に福袋というバーゲンセールが始まった。例年百貨店ではプランタン銀座を筆頭に松屋など銀座に集まる百貨店には4000〜5000名の徹夜組を先頭にした行列が出来る。若い世代では渋谷109恒例の5DAYS バーゲンには初日65,000人が集まり、ラフォーレ原宿においても同様の行列となり、今やデフレ時代の正月風物詩となっている。
未だ正確な売上実績情報ではないが、マスコミ取材を受けた現場担当者のコメントを聞く限り、客数は増えたが客単価は減り、昨年並みの売上であるという。こうした初売りがバーゲンとなり、本来行っている冬物バーゲン時期とつながって、私が指摘してきたエブリデーバーゲンの時代となった。昨年も同じようなことを書いた記憶があるが、確か銀座松屋では缶詰のつめ放題をセールの目玉にしていた。年末に売れ残ったお歳暮商品をお中元の時と同様にバラ売りを予定している百貨店もあり、バーゲンの名を借りた叩き売り、最後の生き残りをかけた流通サバイバルの時代になったということだ。

一方、生活者の年末年始の移動であるが、高速道の割引制度の適用期間が1日〜5日となったため帰省は新幹線へと流れ、3日の渋滞予想もそれほどではなく結構スムーズに流れたとのこと。海外への旅行者数も例年並みで、しかも近場が多いこともあり、やはり予想通りの巣ごもり正月となった。昨年末、イルミネーションが復活した表参道は人波で溢れていた。正月を迎え各地の初詣も新型インフルエンザにも関わらず例年通りであったが、周辺の飲食店やお土産店の売上が良かったとの話は一切聞いていない。
次々と寒波が押し寄せ豪雪が日本を覆っているが、消費も氷河期に既に入った感がしてならない。しかし、氷河期には氷河期の消費がある。

さて、低価格以外でどう消費氷河期を超えるかである。まず、昨年のヒット商品の理由の一つとして書いた「費用対効果」という価値観である。もう少し意味合いを広げると「費用対満足」と置き換えてもかまわない。
今年のバーゲンの中心である衣料品を見ていくと、寒波が到来しているにも関わらずコートなどの重衣料があまり売れていない。年々重衣料は軽衣料化の傾向にあるが、更にユニクロによるヒートテックやワコールの「スゴ衣」といったウォームビズ対応商品の影響が出ている。つまり、ファッションとしてではなく、寒さ対策であればこうしたウォームビズ対応商品で十分であるということだ。ある意味、重衣料の代替消費(=消費移動)となっており、オシャレにお金をかけられない我慢消費、巣ごもり消費の典型となっている。勿論、若いティーン女性にとってオシャレは不可欠なことで、渋谷109などのバーゲンには全国から集まってくる。しかし、バーゲンの中身が見れないことから、数年前から渋谷109の前や地下通路では気に入らない商品の交換市のようなものが自然発生的に生まれている。これも単なる安さだけでなく、シビアにお気に入り商品を厳選したいとする結果であろう。

年末、年始と都心のいくつかの家電量販店を見て回ったが、やはり売れているのは巣ごもり商品であった。その代表的商品であるが、エコポイントという官製販促もあってか薄型TVは売れている。そして、売れているのは26型や32型といった個人視聴用で、つまり2台目需要である。更には、個人サイズのホットカーペットやヒーターなど、個人使用のものが売れているようだ。つまり、部屋全体をエアコンで暖めるより、省エネ=省マネーになるという、これも一つの合理的生活ということだ。

これからも安売り、低価格競争は続くと思う。しかし、その低価格商品は自分の生活にとって「合理」となるのか、その理にかなうとした物差しが次第に明確になってきている。生活は「今」であり、その鮮度こそ重要であるとしたキリギリス的生活は無くなり、ある意味中長期的生活にかなったものであるかどうか、そうしたアリ的生活へとシフトしたということである。ヒット商品となったLED電球がその象徴であるが、その耐久性や省エネを考えたら、結果お得という「合理的価値」である。大量消費・使い捨て消費から、最初は少し高いが長期間使ったらお得になる、という価値観である。食品で言えば、食べ切りサイズ、小単位サイズ、小価格であり、冷蔵庫と組み合わせれば賞味期限の延長となる。ファッションで言えば、ロングライフデザイン、トレンドに左右されない、長期間着ても着飽きない、そんな商品となる。

2年ほど前に、「和の合理性に着目」というタイトルで土鍋を取り上げたことがあった。周知の通り、土鍋は静かなブームとなり、今や生活に定着した調理道具となった。当時、和におけるヒット商品として、私は次のようにブログに書いていた。

『次は「和道具」の世界へと消費は進んで行くと思っている。その代表商品にはご飯を炊く「土鍋」に注目が集まる。土鍋はどの家庭にもあるものだが、私が言っている土鍋はご飯を炊く土鍋のことだけではない。圧力釜や石焼板の代わりにもなる万能に近い土鍋で、伊賀あたりの土を使ったものである。実は、土鍋は炊く、煮る、焼く、蒸す、毎日多様な使い方ができる合理的な道具である。時には季節の食材を入れた炊き込みご飯といった季節を楽しむ、和道具の知恵を使うライフスタイルである。』

これは土鍋という過去に着眼した一つの合理性である。所得が10年間で100万円減少した時代、ちょうど1989年のバブル時期と同じ所得水準と言われているが、物の本質、その合理的価値にやっとたどり着いたと言えよう。バブル崩壊後、豊かさとは何か、と盛んに言われてきたが、成熟した消費とはこうした合理的生活を目指すということである。価格競争を超えるとは、こうした合理に基づく価値を提供していくことにある。良く言われるテーマであるが、ベストセラーを狙うのではなく、ロングセラーとして育てていくということだ。(続く)  


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2010年01月01日

2010年の応援歌

ヒット商品応援団日記No432(毎週2回更新)  2010.1.1.

新年あけましておめでとうございます。旧年中は拙いブログをお読みいただきありがとうございました。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

ところで、年代、性別あるいは地域や国の垣根を超えて、歌は常に人々への応援歌であった。昨年春、アンジェラ・アキの「手紙」、未来の自分に宛てた手紙なら素直になれるだろう、だから「未来の自分に手紙を書いてみよう」と呼びかける歌についてブログに書いた。更に、吉田拓郎の最後のライブコンサートであった「ガンバラないけどいいでしょう」についても書いた。共に、あるがままの自分でいいじゃないか、時に疲れたら少し休もうじゃないか、とメッセージを送った歌で、世代を超えてつながっている歌であった。情報の時代という凄まじいスピードに、生き方までもがからめとられてしまう時代にいる。過剰さは情報やモノばかりではない。生き方までもが知らず知らずの内に過剰になってしまう。足し算ばかりの過剰な生き方から引き算の生き方へと変化し始めている。引いてもなお残る自分、そんな自分を見出す時代だ。だから、生き急いではならない。年末、久しぶりにNHKの「紅白歌合戦」を見たが、ちょうど「いきものがかり」による「YELL」であった。「手紙」と同じNHKの全国学校音楽コンクールの中学の部の課題曲であるが、2009年という年に生きてきた人達へのまさに生きることへの応援歌であった。

さて、元旦の新聞各紙、朝日、日経、東京の3誌を読んだが、東京新聞を除き、ジャーナリズムとしての時代に向き合う思想も鮮度も喪失している。確か、2年前の日経新聞の元旦号一面は「沈む国と通貨の物語/漱石の嘆きいま再び」と題し、円の力の低下を国費留学生としてロンドンに留学していた夏目漱石のコメントを重ね合わせた良い記事であった。今年は「成長へ眠る力を引き出す」とし、シニアと女性に注目した「ニッポン復活の10年」という視座で編集されている。日経らしいと言えば、それなりの構成とはなっているが、視座としての鋭さも鮮度も欠けている。もっとひどいのが朝日新聞である。閉塞感が充満する日本が前へと進むために「動く世界と共に」を掲げている。抽象的で茫洋とした一般論的視座で、その内容も読むに耐えない。一方、東京ローカル紙という特性もあるが、生活者の視座と同じ目線で紙面構成されているのが、東京新聞である。一面は、ホームレス診療を16年続けている和田龍蔵医師に焦点を当て、「難しい病気を先端医療で治す」のではなく、セーフティネットの隙き間にこぼれ落ちたホームレスの「救える命を救う」こと、そうした常識の転換を促す良い紙面となっている。
今年から日経新聞朝刊は140円から160円へと20円値上がりした。恐らく赤字続きの大手新聞各紙は春には右にならうことであろう。仕事上新聞は読まざるを得ないが、かれらこそ常識の殻を破り、読むに耐える新聞として復活すべきであろう。

東京新聞の元旦号ではないが、格差というまだら模様は、貧困という鮮明な模様へと変化してきた。それは希望格差として、希望の喪失として表れてきている。デフレは経済の在り方ではあるが、心理化した市場においてはデフレの内実はこうした希望喪失に依るところが大きい。希望は不安を取り除くことから始めると言われるが、それらは単なる一般論としての理屈である。理屈からは希望は生まれない。もし生まれるとするならば、全て現場、具体性の中からである。
私もそうした具体性へ、フィールドワークに応援団として出かけて行こうと思っている。2月21日には京都府南丹市の依頼で地域フォーラムの基調講演にでかける。2月か3月には、沖縄でトークイベントのようなことをやりたいと考えている。どんどん地域、現場へと出かけるつもりである。そうしたことから、このブログも不定期になるかもしれない。しかし、1日150〜200名の方が読んでいただいているので、出来る限り都市に於ける消費変化という課題に向き合いたいと思っている。今年も一年どうぞよろしくお願いいたします。(続く)  


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