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ヒット商品応援団
「人力経営」という本を書きました。ヒット商品の裏に潜んでいる「人」がテーマです。取材先はダスキン、エゴイスト、野の葡萄、叶匠寿庵、桑野造船の経営リーダー。ユニーク、常識はずれ、そこまでやるのか、とにかく面白い経営です。星雲社刊、735円、新書判。

2007年03月28日

シニアの上質な日常 

ヒット商品応援団日記No153(毎週2回更新)  2007.3.28.

私のブログの内容は、多くのメディアからの情報や実際に街を歩き感じたこと、あるいは人との会話の中から生まれたこと、そうした感じたままを出来る限り書こうと努めている。最近書いたテーマタイトルをこんな風に並べてみたが、まとめではないが共通する何かを見つけてみたい。

パラダイム変化の構図     2007.3.4.
リニューアルを読む    2007.3.7.
世代文化の衝突      2007.3.14.
増殖する妖怪     2007.3.18.
無菌社会        2007.3.23.
和の合理性に着目      2007.3.11.
恋愛市場化の時代       2007.3.25.

この1ヶ月、私の頭に有ったのは都市生活者のライフスタイルにおける「日常」「普通」についてであった。対比的に言うと、1980年代における「非日常」「特別」から、2000年代における「日常」「普通」へとどう変化したのか、これからの変化の在り方を見極めることにあった。今週末に六本木防衛庁跡地に「東京ミッドタウン」がオープンするが、そのテーマは「上質な日常」である。渋谷西武百貨店のリニューアルは「輝きを集めた暮らし」という富裕層への日常、普通がテーマであった。つまり、1980年代と2000年代の生活の「質」はどう変わり、更にどう変わって行くのかというマーケッターとしての興味・関心であった。

前号で書いた「恋愛市場化」という心理市場の進化を踏まえ、金融資産を一番持っている「高齢富裕層」を考えてみたい。既に、お気づきのように未上場株販売や平成電電といった詐欺事件のような「妖怪」が既に出現しているが、そうした犯罪は別にすると、自分自身のことではない回りの人や社会に対する「感謝マーケット」が大きく広がっていることに気づく。子や孫に対する贈与市場や社会への寄付といった既存市場の周辺市場である。
今、東京で小さな話題を集めている寄付事業がある。平成15年度から東京都が行っている「思い出ベンチ事業」である。公園や動物園といった公共の場に記念メッセージを刻んだプレート付きのベンチを寄付してもらおうという事業である。(http://www.kensetsu.metro.tokyo.jp/omoide/index.html
勿論、こうした行政以外にも沖縄では平和祈念の植樹がボランティアによって行われており、こうした「公」に対する貢献は企業単位やNGOあるいは個人ボランティアとして更に進んでいくと思う。

こうした「公」と共に「私」の市場が大きく広がっている。「私」の感謝が向かう最大の対象はなんといっても「家族」である。特に、家族単位を三世代単位として見ていくことがポイントとなる。例えば、住宅や旅はもとより、飲食・レストランといったことまで「家族」「三世代家族」として再編集し直すということである。つまり、三世代単位のスペース&メニューを用意するといったことにつながっていく。最近オープンした「ららぽ〜と横浜」(http://yokohama.lalaport.jp/foursyun/index.shtml)の最大の魅力はそのフードコートにある。従来のフードコートは1社で家族それぞれに向けたメニューを用意するのだが、ここでは専門店が出店するフードコートである。ある意味ファミリーレストランの「次」、上質なファミリーレストラン、となっている。例えば、孫は「山の上ホテル」のオムハヤシ、両親は「南国酒家」の中華、祖父母が「宮川」のうなぎ、といった具合である。勿論、費用は祖父母ということになる。

数年前からシニア向けの「夫婦割」がヒット商品となっている。その一番は周知の映画における「夫婦50割引」で邦画復活の中心顧客となっている。航空会社のJALもビジネスクラスの夫婦割を実施していたり、低迷を続けてきたゴルフ場の復活メニューの一つとなった「ツーサム」の中心は夫婦であった。あるいはJRの「青春18切符」の利用顧客はシニア個人もしくは夫婦利用となっている。こうした「夫婦単位」という着眼ビジネスと共に「三世代家族」着眼に新しいビジネスが生まれてくる思う。
また、単身シニアがこれからも増加していく時代だ。シニアのお見合いビジネスが盛んであるが、具体的な再婚へと向かわなくても「出会い」があればそれで良しとするシニアが多い。つまり、疑似夫婦、疑似家族づくり、ひととき夫婦、ひととき家族といった着眼である。テーマを持った集い、沖縄には今なお残っている「模合い」(講の一種)のような「場」がひととき家族、ひととき夫婦の役割を果たして行くことになると思う。テーマをもった会員制クラブ、社交ダンスなんかも更に流行って行く。
シニアにとっての「上質な日常」とは、感謝という気持ちが夫婦や家族といった身近な人に向かう。別な表現をするならば、人との「思い出の時づくり」、「思い出の場づくり」がシニア市場の大前提になるということだ。今、桜の季節で花見に出かけると思うが、旅であれ、クラブ活動であれ、家族との食事であれ、寄付活動であれ、全ての日常が「思い出づくり」となる。この「思い出づくり」の周辺にヒット商品が生まれてくる。(続く)  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:32Comments(0)新市場創造

2007年03月25日

恋愛市場化の時代 

ヒット商品応援団日記No152(毎週2回更新)  2007.3.25.

誰を顧客とするのか、このビジネスの大原則は古くて新しい。いや、今ほどこの原則をつきつめないと間違いなく失敗する時代である。1970年代の市場規定は収入といった経済をベースに、性別・年齢・エリアといったデモグラフィック的属性で顧客を決めていた。まだまだモノ不足の時代で提供者論理が中心であった。1980年代に入ると経済的には少しづつ豊かになり、個性あるいはセンスといった言葉に代表されるようにモノ価値以外デザインといった付加価値が生まれ、ユニセックスのように性別で顧客を決めることができなくなった。個性マーケティング、デザインマーケティングといったことばが生まれた時代である。1990年代はこうした経緯を踏まえ、更に「違い」を創造するためにモノ以外のサービスに力点が置かれ「個人」のサービス要望を聞きながら、商品を提供する時代へと向かった。世帯収入が右肩下がりになる1990年代後半には、そのサービス要望に価格を置いたのがデフレ企業であった。勿論、流通もこうした変化を受け、有店舗メディア、無店舗メディア、今やメディアミックスの時代となり、「お取り寄せ」ブームのようにいつでも、どこでも、欲しいものが手に入るようになった。

このブログで格差をテーマに何回か書いてきたが、東京ほど格差の激しいところはないとも書いて来た。釧路沖でとれた一尾700〜800円もする青刃さんまが飛ぶように売れていたり、沼津の一枚4000円もするアジの干物のお取り寄せに話題が集まったりしている。こうした時に使われている顧客名称が、2005年度の流行語大賞のキーワードの一つとなった「富裕層」である。この富裕層の定義の仕方にはいくつかあるが、野村証券の調査によると2005年の富裕層マーケットは81.3万世帯、金融資産は167兆円となっている。(http://www.nri.co.jp/news/2006/060905_1.html
プライベートバンキングの主要な顧客層であるが、1506兆円という個人金融資産の14.1%を占めていることに驚く。あるところにはある、というのが実感であるが、こうしたマーケットと低価格を売り物にしたディスカウンターのマーケットは明確に異なっている。ちなみに、2005年度には生活保護世帯は100万世帯を超えている。そのシンボルとして「東京足立区の修学援助率42%」というショッキングな情報の発端となったのが文芸春秋/2006年4月号の佐野眞一氏による「ルポ 下層社会」である。当時の夕刊フジ(http://www.yukan-fuji.com/archives/2006/08/post_6481.html)があるので興味のある方は見られたらと思う。

こうした経済から始まり、今流行のキーワードでいうとノンエイジング市場、ユニセックス市場、トレンド市場といったデモグラフィック的属性では誰を顧客として想定したらよいのか分からない多様なマーケットが存在する。百貨店顧客といったように流通で区分する方法もあるが、JR東日本の駅商業施設ecuteのようにミニデパ地下化した流通も出て来ている。また、最近ではネット通販のヒット商品が既存流通で販売されるものも出て来ている。話題になった「携帯小説」がアナログの書籍で店頭で売られるようなものである。
数年前にビジネス書において「one to oneマーケティング」が流行ったことがあるが、既に自明のことであり、すぐ廃れてしまった。顧客は全て「個客」を前提にして想定するのだが、重要なことは「何」に興味・関心をもった顧客かということである。必要でモノを買う顧客は少ない。どんなところにこころ引かれたのか、どんな点を素敵だと思ったのか、興味・関心を入り口にした「内なるこころ」に個客はいる。通販であれ、対面販売であれ、この「内なるこころ」を解き明かすことが、「誰を顧客とするのか」につながる。顧客を発見するとは「内なるこころ」の発見に他ならない。

顧客と直接顔を合わすことのない通販も同じである。多くの人が活用するAmazonのページをめくればそこには「この本を購入される人はこんな本も購入している」との表示がある。これも「内なるこころ」を次の購入へとガイドする一つの方法である。この仕組みもかなりの精度をもってきていると思う。カタログハウスでは顧客からの問い合わせや質問について、全て手書きのはがきで答えている。見えない顧客と「手書き」というこころで会話しようとしているのだ。対面販売しているから「内なるこころ」が交流しえる訳ではない。誰を顧客にするのかではなく、顧客を好きになれますか、が答えである。「好き」は「内なるこころ」の扉を開ける鍵となる。こうした心理が強く働く市場の時代とは、恋愛市場と考えなければならない。昨年秋以降話題となった山形新幹線のカリスマ販売員齋藤泉さんは、何故人より3倍4倍売れるのか、恋愛市場化している良い事例であろう。齋藤泉さんは記者の質問に答えて次のように答えている。
「お客さまはあったかいし、優しい。今ここにいなければ、この方と出会えなかった。この場にいれてよかったと。こんなに仕事が嫌なのに、こんなに得している」と。(http://www.yukan-fuji.com/archives/2006/10/post_7417.html)(続く)  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:40Comments(0)新市場創造

2007年03月23日

無菌社会 

ヒット商品応援団日記No151(毎週2回更新)  2007.3.23.

トイレのウオシュレットは世界に誇れる日本が作った革命的商品の一つであるが、そのトイレも更に進化している。今から10数年前、サービス化の第一歩はトイレを清潔&快適にすることからと多くの商業施設のトイレが変わり始めた。当時は「パウダールーム」と呼び、ゆっくりとお化粧を直せる空間にしようと、差別化のシンボルのように次から次へとリニューアルしてきた。最近ではこれがトイレかと思うようなゴージャスなトイレや、以前は忌み嫌われた公衆トイレも見違えるようにきれいになった。こうした清潔&快適なトイレにあって、「和式トイレ」の希望者は17%いて、「他人が使った便器に直接肌に触れたくない」というのがその理由である。こうした背景には、鳥インフルエンザ、ノロウイルス、といった細菌、見えないものへの恐怖がある。インフルエンザウイルスに対する特効薬タミフルへの不信も、「見えないもの」への恐怖の一つであろう。

今年も花粉症のピークを過ぎようとしているが、ぜんそく、食物アレルギー、アトピー性皮膚炎といった広義の「アレルギー」患者は増加している。全て免疫反応によるものであるが、花粉症などの原因研究では中国からの黄砂も一因であると考えられている。また、子供の沢山いる大家族と子供が一人のような小家族との比較研究では、圧倒的に大家族の場合の方がアレルギーが少ないと言われている。つまり、大家族の場合は雑菌との「感染機会」が多く、それだけ抵抗力が備わるからというのがその理由である。そうした研究結果を見るまでもなく、戦後間もない頃は全てが「雑菌状態」であった。アレルギーが文明病、現代病と言われるのもうなづける話だ。抗菌、殺菌、といった機能は便座トイレばかりか、あらゆる道具の基本条件となり、今後も不可欠なものとなっていく。

近代化によって生まれた社会を「無菌社会」と私は呼んでいるが、身体ばかりかこころまで無菌化が進んでいると思う。誰もが感じることだが、こころの無菌化による最大の問題が「いじめ」だと思う。「私生活」という無菌箱の中で孵化した子供達は勿論雑菌に弱い。昨年話題となったキッザニアのように、「社会体験」、抵抗力をつける疑似体験が必要な時代となっている。以前取り上げた、田舎専門旅行代理店の「つばさツーリスト」(http://www.e-toko.com/)がプロジェクトとして次の段階へと進んで来ている。ここでは都市生活者が失ってしまった「体験」、以前であればどの家庭でもごく普通に行われていた生活体験をツアーメニューにしている。HPを見ていただくと分かるが、もはや旅行代理店ではなくなっている。「田舎体験」プロデュース会社と言った方が正確である。しかも、プロジェクトとして周辺の人達とネットワークを組んで「ダッシュ村」のような古民家づくりまで始めている。

こうした体験社会はあらゆる分野で取り入れられていくであろう。デジタル社会が進めば進むほどバーチャルとのバランスを「体験世界」が取ることとなる。こころの無菌状態に対し、こころの体験もまた必要となる。
異端の歴史学者網野善彦さんは、歴史の高校教師をしていた時、生徒から次のような質問を受けたという。「何故、平安末期から鎌倉時代にかけてのみ、優れた宗教家が出たのか?」網野さんは一言も答えられず、その後民俗学という歴史学とは異なる視座をもって解き明かしていくこととなる。その結論は、従来の自給自足的農業社会から商業など専門分野が生まれ発展し全国へと流通していく、大きなパラダイムチェンジがこの時代であった。ある意味異なる価値観が衝突し、精神の荒廃等カオスの時代に、親鸞、一遍、日蓮といった宗教家が生まれたと。
丁度1990年代の半ば以降、現代日本も同じようなこころのカオスの中にいる。オオム真理教のような妖怪も生まれたが、宗教の時代に入って来た。既成宗教への注目もあるが、例えば山岳信仰の地、熊野古道や鳥取三徳山三佛寺といった未知のところに注目が集まる。禅への関心も高まるであろうし、寺の宿坊に泊まるといったツアーが隠れたブームになる。こころの癒しから、未知なる心の体験世界へと一歩踏み出していく。(続く)  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:40Comments(0)新市場創造

2007年03月21日

応援団の広告です(1)

ヒット商品応援団日記No150(毎週2回更新)  2007.3.21.

仕事をする上でプロジェクトという方法は目的と各人が果たすべき役割が明確になるので良い方法の一つですが、プロジェクト以外の人にとってはまるで分からないやり方です。5年ほど前、そうした背景から若いスタッフと私の経験・ケースをテーマに早朝勉強会を開いていました。私は1年半ほど前に退社し、当時のメンバーも他の仕事場に移り、勉強会の場がなくなりました。このブログを始めるきっかけは、この早朝勉強会をブログ上でやってみようということから始まった訳です。

ところで、今回はヒット商品応援団からのお知らせです。マーケティングとかマーチャンダイジングといった専門的なことをテーマにしているにも関わらず、1日のアクセス人数が120〜200名になり、一度皆さんと直接話をしてみたいと思ったことが理由の一つです。もう一つの理由は、地方から都市へと進出する企業・商品が増えて来ています。また、逆に都市生活者が小さな旅で地方へと出かけていくことが日常化しています。しかし、相互に求める期待が微妙にかみ合わないのが現実です。実は、ヒット商品応援団を創ったのは、この出会いの場を創り、互いの期待を付き合わせたいという願いでスタートしました。ここ数ヶ月地方で活躍されている企業経営者数名の方と話をしましたが、共通していることはーー
1、都市生活者の流動性の高さについての認識。つまり、時間帯毎に顧客は変化し、時間帯毎の顧客にあったメニューとその店頭化への認識がないという点。つまり、駅立地などの場合は特に該当し、1日を4毛作、5毛作しないとビジネスとして成立しないという点です。
2、具体的な流通への提案ネットワークを持っていない点。都市市場で一番重要なことは「誰」を顧客とするかです。もっと簡単に言ってしまえば、そうした顧客を想定した流通への営業ネットワークを持っていないということです。

先日、ダスキン社長の伊東英幸さんと話をする機会があり、ダスキンもフランチャイズファンドという、地域に埋もれた商品を全国に流通させる一貫した仕組みを導入していると聞きました。必要に応じて、人、モノ、お金、情報をダスキンが提供し、互いにビジネスを広げていこうというファンドです。目指すところは同じですが、私が出来る事と言えばそこまでの一貫した仕組みは実行できません。しかし、応援団のネットワークも少しづつ広がり始めています。スタートした時の応援団メンバーです。(http://homepage2.nifty.com/iizuka-takashi/hit_profilenew.html)私の古くからの知人、友人でテーマが明確であればいつでも力を貸してくれますし、米国への進出をコーディネートするようなスタッフや商品のネーミング開発といった多くのメンバーもいます。私の業務経歴と共にご参照ください。

私が一番大切に考えているのが、小さくても熱意をもってコトを起こそうと行動している人達です。私は好きで沖縄へよく行きますが、このブログで知り合った二人の主婦が創ったコミュニティカフェnaminamiへは必ず顔を出します。内地(ヤマトンチュウ)の二人が沖縄で一番沖縄らしい(保守的な)糸満の公設市場にお店を作ったのですが、何も無いところからスタートした全て二人の手作りのお店です。企業規模の大小など一切関係なく、こうした人達、企業を応援したいと考えています。

さて具体的なお知らせですが、コトを起こそう、起こしたが問題も山積み状態、そうした課題に対し、解決へと応援したいと考えています。そうした課題は全て個別です。直接お会いする事が不可欠と考えています。何が問題かを確認し合うことが一番重要です。私は東京在住ですので、問題確認のために東京に来られる場合は費用はいただきません。私が地方に出かける場合は旅費・交通費という実費をご負担ください。有志が集まる勉強会でも、個別プロジェクトでもかまいません。その打ち合わせで解決のための着眼点やアイディアをお話しいたします。そして、それらを踏まえて、次に何をすべきか了解された段階で、以降のビジネス&費用を含めた話し合いをしたいと考えています。お問い合わせいただく場合は私のホームページ(http://homepage2.nifty.com/iizuka-takashi/)からお願いいたします。どんなコトを起こそうとしているか、抱える問題は何かをメールにてください。(HPのトップページはこれからリニューアルいたしますので、内容にとらわれないでください)どう顧客創造していけばよいか、小さなアイディアがヒット商品へとつながります。どうぞ気軽にお問い合わせください。(続く)  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:49Comments(0)新市場創造

2007年03月18日

増殖する妖怪     

ヒット商品応援団日記No149(毎週2回更新)  2007.3.18.

3月16日ライブドア事件に対する地裁の判決が堀江貴文被告に下りた。また、その数日前にライブドア以上の巨額の水増し粉飾決算をした日興コーディアルグループは上場廃止にはならず5億円の課徴金だけで済むとの報道がなされた。誰もがその違いは何か、東京証券取引所の判断する物差しは何か、疑問に思っていると思う。株式公開・上場とは英語でゴーイングパブリック、文字通り「公」のルールに従うことを意味する。資本主義の成長は常に変化する「公」を追求することであった。常に変化するとは、分かりやすく言えば「グレーゾーン」の歴史でもあった。日本においてはグローバル化という未知の世界を2000年前後に規制緩和という形で取り入れてきた。建築においては高層化と共に申請審査は官から民へと移管し、その狭間で耐震偽装事件も生まれた。同じように会計基準も時価会計基準という2つの会計がなされるようになった。その延長線上にライブドア事件もあったと私は考えている。

つまり、ここ10数年は「グレーゾーン」が現実化し、そこにビジネスチャンスを見いだす若い世代も出て来た。その代表が堀江貴文被告であろう。丁度、一年前私はライブドア事件に対し、情報の罠というタイトルでブログを書いた。詳しくはここでは書かないが、グレーゾーン化した「公」とは何かを再確認しなければならないと思う。現政府がよく使う言葉に「官」から「民」へ、ということばがあるが、私は「官」から「公」へ、「民」から「公」へ、がこれから目指すべき社会の指針であると考えている。つまり、「官」も「民」も「公」という世界を目指すべきであるとの考えである。Web2.0もそうした「公」を目指すネット世界であるが、一つのモデルとして近江商人の商売の心得である「三方よし」も分かりやすい指針の一つであると私は思っている。売り手よし、買い手よし、世間よし、の三方よしである。以前このテーマで書いた事があるので参照されたらと思う。(http://remodelnet.cocolog-nifty.com/remodelnet/2006/07/index.html

ところで株式をはじめとした金融商品からごく日常使う商品に至まで、心理商品であることは何回か書いて来たが、そうしたこころを動かすもの、それは情報である。ある意味全てが情報商品になった時代に生きている。一時期ICチップを産業の米と呼んでいた時代があったが、情報はいまや産業ばかりか生活の米となった。国勢調査の推計によれば、2007年度は「夫婦と子供」といった普通世帯を単身世帯が抜き、DINKSと呼んでいる夫婦世帯も伸長し、総世帯数が5000万を超える個人化社会となる。悪く言えば、個人化とは「バラバラ社会」のことであり、個人をつなぐ情報は極めて重要なものとなる。

いやなことばであるが盲点となっている犯罪市場が増加しているように思える。最近の事例ではホームレスに対する医療扶助を悪用した病院犯罪には驚く。必要としない検査などをしたことにして、更には病院間でホームレスをたらい回しにして儲けるといった手口である。誰も社会のセーフティネットを悪用するとは思ってはいない。医療扶助はまさに「公」として重要で大切なものである。犯罪者にとっては、「官」が持つ年間の医療扶助費用は1兆3000億円という莫大なもので、書類という情報操作だけで自動的に収入が増える見えざる世界での犯罪である。
私はオンラインゲームをやらないので確かな実感はないが、オンラインゲームで使われる通貨の売買(RMTリアルマネートレード)は既に日本国内市場では150億円、利用者は7万人になっており、RMTを専門とする仲介業者も約80社あると言われている。(欧米や韓国では1000億円規模の市場となっている)ネット上で対戦し、勝つと通貨を手に入れる事ができるのだが、ネット上でもルールのない取引が横行していると言われている。(http://www5.plala.or.jp/SQR/ff11/archives/special/rmt.html)Web2.0という「公」の世界とは正反対の「公」の世界である。

全てが情報による「見えざる世界」の中の出来事である。今、悪意ある意図、恣意的な意図が情報という衣をまとった妖怪として、現実世界・仮想世界のあらゆるところで駆け巡っている。グレーゾーン化した「公」とは極まるところ他者に感謝することから始まる倫理である、と私は考えている。社会学でいうと、道徳と倫理は異なっていて、「外」に対するルールやマナーといったことは道徳であり、法や条例として制定される。しかし、常に未知なるグレーゾーンが生まれてくる。法や条例は常に後を追いかけるだけである。倫理とは「内」なるこころの物差しである。しかし、こころの物差しは時代と共に変化するのだが、「今」という時代においては変化というより混乱していると言った方が正確であろう。誰もが情報を使いビジネスや生活をしている。妖怪という衣を纏うか否か、自身にとっての「公」は一人ひとりのこころの中で問われている。(続く)  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:48Comments(0)新市場創造

2007年03月14日

世代文化の衝突 

ヒット商品応援団日記No148(毎週2回更新)  2007.3.14.

今、川内康範氏と歌手森進一との間の「おふくろさん」騒動が報道されている。著作権や知的所有権、あるいは作詞家と歌手といったことは別にして、その根本には戦中世代である川内康範氏と団塊・戦後世代の森進一との間のいわば文化価値、生き方価値の違いによる衝突のように私には見える。川内康範氏のことばから図式化すると以下のように見えてくる。

森進一/私人・経済(=計算)  VS  川内康範氏/公人・社会(=思い)

「今」という時代の価値観の違いが明確に出て来ている。その違いとは川内康範氏のおふくろさんは広く「社会のおふくろさん」となっており、森進一自身の「私のおふくろさん」ではないという違いだ。どちらを善とするのかといった論議ではなく、ここには戦後の社会価値観のあり方の違いが明確に出て来ている。今回の川内康範氏の発言を聞くにつけ、昨年のベストセラー「国家の品格」を書かれた藤原正彦氏の思想を彷彿とさせるものである。今の社会の荒廃は戦後の近代合理主義によるもので、自己中心的な考えに対する指摘である。川内康範氏の憤りは歌手森進一個人というより、その背景となっている「近代化」された戦後日本に対してであるように思える。つまり、近代化によって取り残された人々や押しつぶされた人々といったネガティブな面を取り上げて来たのが戦後文学であり、演歌であった。しかし、豊かさと共に、演歌が艶歌であり怨歌であった時代は終焉していく。女性が虐げられて来た時代ではもはやなく、歌謡曲は衰退していくが、その融合はニューミュージックからJ.ポップへと受け継がれて来ている。

豊かさを背景に7〜8年前から「マイブーム」が若い世代を中心に起きる。全てを「私のお気に入り」商品として、生活を埋め尽くすブームである。「ジコチュウ」ということばはごく自然に使われるようになる。本来、個人化とは自律し自立する世界であったのだが、次第に私人化し、そんな時代の風潮に対する戦中世代の憤りが社会のあちこちから吹き上がりつつある。自然を始め、近代化によって失われたものを取り戻すという大きな潮流にはあるが、今なお問題があるとすれば、自分さえ良ければといった身勝手な私生活主義に陥っている点であろう。
ところで、敬語が混乱していると文科省はじめ様々なところから指摘されている。ことばの問題というより、人間関係の混乱といった方が正確である。戦中世代にとって、目上目下という関係の第一は年長者であるか否かである。年長者は経験を重ね年長であるが故の正しい判断ができることから、敬われ目上として敬語の対象となった。しかし、その経験はデジタル化された情報化社会にあって、いとも簡単に経験を上回る時代、精度ある判断ができる時代となった。全てがフラット、横並び関係で、ライブドア事件においてホリエモンが部下の宮内氏に対し、「宮内さん」と呼び、仲間関係を表現していたことを思い起こせば十分であろう。会社でも、家庭でも個人と個人との関係しか残っておらず、敬語が混乱するのも当然と言える。

タイトルに世代文化の衝突と書いたが、その本質は大きく言えば戦後の西洋近代化、近代的自我によってもたらされた価値観との衝突である。こうした背景はあの養老孟司さんが「無思想の発見」(ちくま新書)で書かれているので興味ある方は読まれたらと思う。私も団塊世代、戦後世代の一人であるが、高校時代の国語で読まされた本で今なお記憶に残っている1冊がある。丸山真男さんが書かれた「日本の思想」である。日本文化の特殊性を「雑居文化」とし、戦争といった大きな事件に遭遇すると、雑居であるが故に突如として日本古来の思想へと先祖帰りする。何千年として受け継いで来た自然思想、仏教思想と明治維新後の外来近代思想とが並列同居し、一つの文化にまでなっていないという指摘であった、と記憶している。確かに、今日の和ブームも「ミニ先祖帰り」のようなもので、また新しい「洋」の世界へと戻って行く傾向はある。しかし、和と洋の文化が雑居から雑種へと、新しい文化創造の時代へと向かっていると私は思う。若い世代はこうしたことを微妙に感じ取っている。焼き物、染め、宮大工、・・・匠として伝承され今なお残っている「道」に修行する若者も多い。京都の町家に住みたいと仕事場を京阪神に求め移住する若者も多い。文化はその時代によって常に変化していく。その変化を庶民の生活を通して見て行こうとする民俗学者、あの異端の歴史学者網野善彦さんの後継者である赤坂憲雄氏は「東北学」を実践している。前回取り上げた沖縄久高島に伝わる「海の民の文化」を記録し続ける、私に言わせれば「沖縄学」を実践している人達もいる。丸山真男さん流にいうと、和と洋の世界を「である」とするのではなく、その場に身を置いたり、実践したり「する」ことによって新しい日本文化、雑種文化が生まれてきていると私は思っている。前回取り上げた土鍋も、洋のガスで炊く和の合理的道具で、雑種文化道具と呼んでもおかしくはない。いずれにせよ、川内康範氏のいう「愛は無償であり、極まるところ情死である」、この和のこころに戦後世代は正面から向き合わなければならない。つまり、雑居から雑種へと向かう「日本学」が希求されている。(続く)  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:53Comments(0)新市場創造

2007年03月11日

和の合理性に着目     

ヒット商品応援団日記No147(毎週2回更新)  2007.3.11.

前回、生活者が求める「普通」「日常」とは何か、この研究がもっとなされなければならないと指摘をした。また、少し前に「和ブームの本質」というテーマを書いたが、このテーマに沿いながら普通、日常について私の考えを書いてみたい。ところで、予測などは当たらないと言い続けて来た私であるが、大きな潮流の理解を深めるために和におけるヒット商品の予測を敢えてしてみたい。
このブログを書き始めて約1年8ヶ月になるが、スタート当時誰も指摘をしていないヒット商品の代表として「一人鍋」について何回かふれてきた。個人化(=個食化=小食化)の進行に伴う食のスタイルを「一人鍋」と指摘したのだが、「和」ブームの「普通」「日常」にも「食」から始まると考えている。食は毎日のことであり、取り入れやすく、またその利用結果もすぐ分かる世界である。結論からいうと、次は「和道具」の世界へと消費は進んで行くと思っている。その代表商品にはご飯を炊く「土鍋」に注目が集まる。土鍋はどの家庭にもあるものだが、私が言っている土鍋はご飯を炊く土鍋のことだけではない。圧力釜や石焼板の代わりにもなる万能に近い土鍋で、伊賀あたりの土を使ったものである。実は、土鍋は炊く、煮る、焼く、蒸す、毎日多様な使い方ができる合理的な道具である。時には季節の食材を入れた炊き込みご飯といった季節を楽しむ、和道具の知恵を使うライフスタイルである。これが私がいうところの「普通」「日常」を表す商品である。この土鍋がヒットするかしないかは別にして、例を挙げるとこんなような商品である。(http://stylestore.allabout.co.jp/mojo?language=ja&vgform=ProductGroupAA&sku=atelier20070101&template=default/atelier/2007/01/atelier20070101.html&from=AAZBUN

土鍋といった和道具は、簡単ではあるがスイッチ一つで標準的な何かができる道具ではない。個人の経験が出来の善し悪し、用途の広さを決める。機能と合理で済ませざるを得ない小さな子供のいる家庭では電気炊飯器、更にはコンビニやスーパーの出来合いのライスを購入するであろう。釜と薪で炊いた記憶の残っている時間的にもゆとりのある団塊世代にとっては、「手作り」でありながら、和道具の持つ合理性を実感できる道具だ。土鍋ばあまり失敗しないで美味しいご飯が炊ける、つまり道具自体に知恵が隠されているものへの支持といえる。理屈っぽくいうと、現代の機能合理性ではなく、先人達が育てて来た「和の合理性」と言えよう。こうした潮流は団塊世代を中心に少しづつ生活道具へと広がっていく。更には、道具素材に隠された不思議その合理性、土、鉄、錫、竹、木、紙といった古来から使われ、磨かれて来た和の生活道具類の美しさにも注目が集まるだろう。生活者が日常使う用具類、壷、膳、棚、家具といった工芸品に美を見いだした柳宗悦なども再び注目が集まるかもしれない。また、蕎麦好きが高じて蕎麦屋を起業する話についても何回か書いたが、鍋好き、鍋名人なんかも出てくると思う。普通・日常における「豊かさ」実感の方向の一つが、「手作り」=「和道具」の世界である。

和における普通、日常についてその「ケ」の日の世界を土鍋という商品で指摘したが、「ハレ」の日の世界はどうかというとまだまだ「入り口」段階にあると思う。その代表商品というと呉服、和服であるが、慶弔といった儀礼での舞台でしかないと思う。もっと日常の生活の中へと組み込まれるようなものにはならない。せいぜい花火大会の時の浴衣程度である。江戸時代で一番大きな生活イベントは「お花見」で、「梅見」「桜見」「桃見」と続くもので、特に「桜見」は多くの女性のファッションショー、舞台となっていた。オシャレを競い、お見合いの舞台でもあった桜見は、もはや私たちの生活歳時には入っていない。つまり、「季節」を楽しむといった世界にはまだまだ遠いということだ。ただ、東京日本橋では「街づくり委員会」が主催し着物姿を促進するためのプロモーションが行われている。江戸の古い街並を借景に着物姿で歩く素敵さを感じてもらおうという企画である。こうした小さな芽と共に、1987年の映画「私をスキーに連れてって」によるスキーブームではないが、映画や音楽といった若い世代へのテーマリーディングによって、和ファッションが舞台へと上がり、「ハレ」の日の和文化の導火線になる可能性はある。和のファッションという視点に立つと、やはり普通・日常の世界となる。例えば、風呂敷や手ぬぐいといった小物、風呂敷の多様な使い方といった知恵・アイディアは静かなブームになると思う。(続く)  


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2007年03月07日

リニューアルを読む 

ヒット商品応援団日記No146(毎週2回更新)  2007.3.7.

流通のあり方を見ていくと時代のライフスタイルが見えてくる。江戸時代の流通は行商や屋台が中心で新しいものを提案するライフスタイル革新者であった。ところで、日本の流通のオーバーストア情況の象徴として言われて来た百貨店も全体として低迷傾向は続いている。(http://www.depart.or.jp/)最近では大丸と松坂屋との合併ニュースが話題になったが、これからもスクラップ&ビルトは続いて行く。格差社会というと都市と地方というエリア間格差がテーマとなっているが、このブログでも何回となく言って来たが、東京という都市圏内部にも格差はあり、ジニ計数が23区で行われたならば都市と地方の格差どころではないもっと大きな格差になっていると思う。そうした意味で今都市の流通にとっての最大課題は
「誰を顧客とするのか」
「その顧客はどんな性格の市場になっていて」
「その市場で経営するには何が必要か」
を見極めることにある。そうした目をもって、渋谷西武百貨店(https://www2.seibu.co.jp/wsc-customer-app/page/020/dynamic/top/Top)のリニューアルを見て来た。知らない方もいると思うので簡単にリニューアルの概要を言うとA館を中心にリニューアルし、B館は屋上にペットショップを入れた程度で大きな変化はない。そのA館についてだが、一番のポイントは地下1階の食品フロアと地下2階及び8階のレストランフロアである。つまり、「食」「日常」がリニューアルの編集テーマとなっており、当然フロア面積も増えている。しかも、このテーマをかなりこなれた価格で実施していることだ。ランチタイムのレストランでは980円といったリーズナブルなプライスとなっている。また、和と洋がフュージョン(融合)した冷たい和菓子「モチクリーム」やマクロビオテクスのお惣菜などかなりトレンドを意識したテナント編集となっている。あのチョコレートのゴディバもカジュアルタイプの店が出店している。以前の渋谷西武百貨店の中心顧客設定は50歳代以上の大人の百貨店としていたが、かなり年齢層を若くしてきている。また、食品フロアの「グルメマルシェ」にある「煮売屋宮下」や「酒とおいしいものブティック」などは、前回私が指摘した地方の誰も知らない「普通」の店にあたる。その内容は岡山倉敷にある造り酒屋「森田酒造」の食のセレクトショップ「平翠軒」がそれである。「煮売屋宮下」は隠れ家という言葉を流行らせた宮下大輔氏がプロデュースした店で、江戸時代の飯屋(焼き魚、煮魚)にアイディアを置いた店である。

渋谷という街は面白い街であると同時に商業にとって難しい街でもある。1980年代前半、ファッションにおけるDCブランドブーム以降丸井からパルコへの公園通りは若者のストリートとなる。「若者の街渋谷」というイメージとなるが、百貨店顧客を「大人」としてポジションし直す動きは東急百貨店本店・文化村、あるいは西武百貨店の大人百貨店へのリニューアルとつながり「今」に至る。こうした「大人の街化」に呼応するかのように、渋谷109を高感度ファッション(大学生&OL)のビルにしようとしたが結果は周知の通り「ティーンを中心にした若者の聖地」になる。また、渋谷駅につながるマークシティを「大人の専門店街」にしようと意図したが、ファッション分野では失敗し、ワールドを中心に立て直ししたのだが、成功したのは飲食店街だけとなる。
渋谷は面白い街といったのはここ二十数年間ことごとく狙いが外れ、逆に市場・顧客のもつエネルギーに任せた商業施設は結果成功している。多くの商業施設が低迷する中で、伸びている商業施設は顧客の求めるものを素直に受け入れ変化して来た渋谷109、あるいは新宿ルミネである。

顧客が求める「普通」とは何かをどう編集していくのかという課題であるが、既に発表されている東京ミッドタウンや新丸ビルにも、ほとんど知られていない東京郊外の中華料理店や知名度はあるが新しい業態などの出店が予定されている。これは推定の域を出ないが、海外の著名な構えた店の名前はなく、ごく普通の日常がテーマになっている。価格もそれなりに値こなれしたものになると思う。つまり、「あっと驚く」ようなコンセプトではなく、従来表舞台には現れなかった地方、郊外、裏通り、隠れ家的名店が出店してくる。普通、日常をテーマとして成功させるには「回数化」がはかれるメニュー開発力が不可欠となる。開発が途絶えるその時、ともすると「トレンド」はまさに一過性のものとなり、顧客は離れて行く。毎日食べても飽きない、毎日着ていたいお気に入り、その都度小さな変化にこころ動かされまたと思いたくなる、ある意味癖になるメニューのことである。今回の渋谷西武百貨店のリニューアルについて結果が出るにはまだ時間を要する。しかし、私が懸念するのは「トレンド」の扱い方と、もっと「普通」「日常」といったテーマ集積をすべきではないかといった2点である。リニューアルをしなかったB館は従来の百貨店パターンであるティファニーなどのスーパーブランドが1階フロアを占め、他のフロアもブランドファッションで埋められている。もういいかげんにファッションから離れ、発想転換しなければならないと思う。生活者が求める「普通」「日常」集積が中途半端になっていると感じた。「普通」「日常」とは何か、この研究がもっとなされなければならない。(続く)  


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2007年03月04日

パラダイム変化の構図

ヒット商品応援団日記No145(毎週2回更新)  2007.3.4.

パラダイムとは元々ある専門科学で使われていたことばであるが、今やビジネスやマーケティングの世界ではよく使われることばで大きな枠組み・価値観のことを示したことばである。このパラダイム変化、特に生活者の価値観変化の構図が大分明らかになってきた。1992年のバブル崩壊以降、様々な変化が怒濤のように押し寄せてきた。大企業神話の崩壊、終身雇用制度の崩壊、1997年をピークに世帯収入の減少とデフレの出現、グローバル化の進展と規制緩和、少年犯罪を含めた社会不安の増大・・・・・。企業にも、個人にも、勿論コミュニティにもである。その変化をどう受け止めてきたのか、その構図の発端は一昨年の映画「Always三丁目の夕日」から始まる昭和ブームであり、ベストセラーとなった島田洋七さんが書いた「佐賀のがばいばあちゃんシリーズ」であると考えている。家族、絆、貧しさ、遊び、やっていいこと・悪いこと、教育、愛情、希望、多くのテーマが浮かび上がってくるが、一言でいうと激変する中でどう生きて行けばよいのかという「生き方共感」が大きく舞台へと上がって来た、そう私は感じている。「がばい」とは佐賀弁ですごいという意味だそうだが、数十年前まではどこにでもいた普通のおばあちゃん、どこにでもあった普通の生活、普通の生き方への共感である。記憶は過去の単なる再現ではない。思い出したいことを記憶として取り出すことであり、そうさせる「何か」があるのだ。

普通の対義語は異常・特別である。つまり、「今」という時代・価値観の異常さに気づき始めたということだ。ファーストフーズに対するスローフーズ、洋のライフスタイルに対する和のライフスタイル、都市に対する田舎、経済に対する品格、私生活主義に対する公意識、といった具合に「過剰」という異常さに気づき始めたということだ。十数年前「豊かな時代」というキーワードが新聞やTVに取り上げられたが、物質的豊かさに対するこころの豊かさの意味が一人ひとりの生活者の意識に「普通の生き方」共感として明確に出て来たということである。私は年頭のブログで「生命」が今年のキーワードになるだろうと書いた。勿論、そうあって欲しいという願望を含めてであるが、「がばいばあちゃん」のように”うちは由緒ある7代続く貧乏家だから”と、あっけらかんと貧乏を言ってのける明るさ、生命力溢れる元気さに多くの人が共感し始めた。不安が連鎖するような閉塞した意識から脱し始めたということでもある。勝ち組VS負け組、格差社会、こうした論議など「がばいばあちゃん」にとって無縁である。

構えず、毎日、一生懸命生きていくことを「普通」と呼んでみたが、そうした毎日が積み重ねられ10年,50年、100年と続くことの素敵さだと思う。昭和という近過去がクローズアップされたのも分かりやすく実感できる人やモノ、街並や習慣がまだ残っているからだ。全力で走り抜ける、こだわりぬく、精神を高揚させる、・・・・・こうした過剰さとは異なる肩の力を抜いた生き方だ。ハレとケということばがあるが、ハレの日もあるがほとんどがケの日、日常ということになる。過剰さが常である若者のパラダイムから、そこそこほどほどの大人のパラダイムへのシフトとも言える。例えば、食材にこだわり抜いた有名シェフのレストランから、食べなれたメニューのどこにでもある食堂へのシフトと言っても良いかもしれない。その「なんでもなさ」「あたりまえ」の大切さに気づいたということだ。この「なんでもなさ」「あたりまえ」が何故失われてきたのか、その根源を探す動きが研究者ばかりでなく、「普通」の生活者からも生まれてくると考えている。例えば、グルメ、美食といったことばは次第にその鮮度を失っていくと思う。逆に、おふくろ料理、農家料理や漁師料理、その土地の人々が日常使っている食堂や居酒屋といった「あたりまえ文化」に戻って行く。既にその芽は出始めており、東京丸の内のTOKIAビル地下に出店した大阪の立ち飲み居酒屋「赤垣屋」などはその象徴だと思う。

物質的充足(経済)から生き方充足(文化)への変化であり、中心(都市)から周辺(地方・コミュニティ)への変化となっていく。特に東京という都市を見ていく場合、「消費都市」として見ていくこと、つまり消費が生産であるということだ。都市生活者における「生き方」消費は、旅で、お取り寄せ通販で行われるであろう。3月2日、渋谷西武百貨店がリニューアルオープンしたが、そのデパ地下にはチーズ好きなら誰でも知っている岡山吉備町の「吉田牧場」のチーズが目玉商品となっている。家族で作られたチーズであるため希少性はあるのだが、チーズそのものは普通の商品である。今、百貨店のバイヤーのやることと言えば、地方では普通の商品であるが都市においては誰も知らない商品・「がばい」商品探しである。課題は「誰も知らない商品」をどう都市生活者に伝えていくかにある。つまり、「普通」である商品の伝え方の工夫がヒットの分かれ目となる。東京では渋谷西武百貨店のリニューアルを皮切りに、六本木東京ミッドタウン、東京駅前の新丸の内ビルがオープンする。これら商業施設の中で、私が指摘した「普通」がどのようにプレゼンテーションされ、「がばい」となっていくか、その裏側にどんな文化が潜んでいるかレポートしていきたい。(続く)  


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