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「人力経営」という本を書きました。ヒット商品の裏に潜んでいる「人」がテーマです。取材先はダスキン、エゴイスト、野の葡萄、叶匠寿庵、桑野造船の経営リーダー。ユニーク、常識はずれ、そこまでやるのか、とにかく面白い経営です。星雲社刊、735円、新書判。

2015年05月31日

未来塾(17)「テーマから学ぶ」エスニックタウンTOKYO(前半)

ヒット商品応援団日記No615(毎週更新) 2015.5.31

今回の未来塾のテーマは「エスニックタウンTOKYO」という多民族、異文化の交差点となっている東京の変化を取り上げてみました。2014年1341万人という訪日外国人を迎えた日本ですが、実は足元である在留外国人によるコミュニティがについても変化が生まれている。生のなかに、具体的には、外国人によるコミュニティとその固有な生活文化の日本社会への浸透と衰退、更にはコミュニティの「先」にある観光地としての「街」についていくつかの具体的事例を見ながら学んでみることとする。

















「テーマから学ぶ」

エスニックタウンTOKYO
日本の中の外国


この写真を見てどの街であるか言い当てられる人はエスニックフードオタクか、もしくは近隣の不動産関連企業に勤める人しかいないであろう。東京に永く住んでいる私であるが、その変化のスピードは凄まじく、どのように変わっていくのかその経過を知ることは難しい。
昨年2014年の訪日外国人は過去最多の1341万4千人だったと政府観光局は発表した。その後の訪日外国人数はさらに伸び東京の街中はニューヨークと変わらない多様な人々が行き交う雑然とした街の様相を見せている。その背景及びいわゆるインバウンドマーケティングについては既に1年ほど前からブログにも公開しており次なるテーマとするが、実は足元にはいくつもの外国人居住者のコミュニティがつくられ、その消費も日本社会の表へと徐々に出てきている。
今回の学習テーマはそうしたコミュニティの中の「消費」と、そうした「消費」に触発される日本人の消費変化、この2つを視野に入れたテーマとして、大きく言うならば「日本のなかの外国」を浮かび上がらせてみることとする。そして、勿論、「日本のなかの外国」を学ぶことは国内外を含め「次」の市場開発へとつながるという意味である。

ところで写真は新宿百人町文化通りにある通称「イスラム横丁」の「GREEN NASCO(、グリーンナスコ)」というハラル専門店である。新宿百人町の最寄駅はJR山手線新大久保駅から徒歩数分のところにある通りである。韓流フアンであればコリアンタウンの少し外れたところといった方がわかりやすい。周知のようにイスラム教徒の国々からの訪日外国人が増え、そうしたムスリムに対するハラル認定料理を出すホテルが増えたり、更に輸出まで行おうとする食品メーカーもあり、マスコミを通じて公開され一定の認知を得てきているところである。


やはりというか、そうだろうなと思っていたが「GREEN NASCO」の隣にはケバブ(トルコ料理)の店があり、秋葉原のオタク街でも、上野アメ横においても数多く見かけるケバブ販売の店であるが、斜め前の「新宿八百屋」のスタッフとの会話がなんともおかしかった。ケバブを売っている中東の人間と思しきスタッフとの会話がハングルによるものであった。コリアンタウンの外れとはいえ、よくよく考えれば至極当然のことであるのだが。

▪️ヘルシーハラル

この「イスラム横丁」にはハラル食材、お米から羊肉まで揃えているが、特に香辛料関連が多くそれまではイスラム圏の人たちの専門店であったが、次第に日本人も例えばカレーづくりのための本格スパイスとして利用するようになってきている。更には昨年ニューヨークではヘルシーな食として話題になっており、そうした情報を踏まえ日本においても「ヘルシーハラル」への関心が高まっている。ハラル食がアルコールと豚肉を使わない野菜と鶏肉が中心になっていることからだ。そして、何よりもハラル認証をされている食材であり、「安心」ということでもある。


ちょうどウオッチングしていた時、ハラル専門店としては古くからある「Barahi Foods & Spice Center(バラヒ)」にどこかのTV局のクルーが取材に入っていた。
そして、どのビルであるかは確認はしなかったが、イスラム教徒の礼拝には欠かせないモスクも用意されていると聞いている。
また、こうした専門店の他にもベトナム料理専門店も出店しており、新宿新大久保はコリアンタウンが中心とはなっているが、後に触れるがコリアンタウンの衰退を踏まえエスニックタウンといった方がふさわしい異なる様相を見せはじめている。

▪️外国人居住エリアと訪日外国人

総務省の発表では人口動態調査(2013年3月末時点)によると、初めて調査対象となった外国人は、東京都が38万5195人となり、都道府県で最多であった。人口に占める外国人の割合もトップの2.93%で、新宿区、港区などが高水準だったと。外国人を除く人口増加数は、前回を2万人余り上回る5万8174人となり、都心流入が強まっている。
都内の区市町村で外国人が最も多かったのは新宿区の3万2521人で、区の人口に占める割合は10.13%。外国人向けの商店が多い大久保地区を中心に、中国、韓国など東アジア系居住者が集まっていることに加え、経済関係の進展などを背景に「最近はネパール、ミャンマー、ベトナム国籍が増えている」という。そして、新宿区では多言語対応を含め、多文化共生推進課を設け、外国人の教育環境や災害時の支援なども検討されている。
港区においては欧米系を中心に外国人の割合が8.01%と高い。ただ旧外国人登録制でピーク時に2万2千人を超えていた外国人は、08年のリーマン・ショックや11年の東日本大震災を機に減少傾向が強まり、今回の調査では1万8648人となっている。

一番新しい東京都による調査では11年(東日本大震災)の水準には戻ってはいないが、増加の傾向となり、2014 年 1 月 1 日現在、東京には 39 万 4,410 人の外国人が居住している。

そして、こうした居住外国人と訪日外国人を加えるとどうなるかである。2015年3月の訪日外国人は桜の季節ということから、前年同月比 45.3%増の 152 万 6 千人となった。そして、その内70%以上が東京に立ち寄っている。しかも、アジア系外国人は120万人弱と圧倒的多数を占めている。こうした外国人の多くが、浅草雷門や渋谷のスクランブル交差点といった人気観光スポットを踏まえ、インターネットで調べた情報をもとに、JR山手線に乗り、好きなラーメン店を探したり、そして東京に居住する外国人コミュニティにまで足を延ばすようになってきた。
ちなみに世界のイスラム教徒の人口を見ていくと、インドネシアの2億5000万人を筆頭にパキスタン、インド、バングラデシュと続く。まだまだ訪日外国人としては少ないが、増える傾向にある。
新宿百人町のイスラム横丁にハラル専門店やモスクができているのも至極当然の時代になったということである。

ちなみに2014年の国別訪日外国人数は以下となっている。

台湾        282万9800人(伸び率28.0%)  
韓国       275万5800人(伸び率12.2%)
中国       240万9200人(伸び率83.3%)
香港         92万5900人(伸び率24.1%)
米国         89万1600人(伸び率11.6%)
タイ          65万7600人(伸び率45.0%)
豪州         30万2700人(伸び率23.8%)
マレーシア       24万9500人(伸び率41.3%)
シンガポール  22万7900人(伸び率20.4%)
英国         22万0100人(伸び率14.8%)

▪️主要な外国人居住エリア

新宿百人町のイスラム横丁と呼ばれるような一定の商業集積ができたのはここ数年であるが、全国を見ていけば、以前から外国人コミュニティは数多く存在し、独自文化が町へと広がっている。古くは横浜中華街や新宿新大久保のコリアンタウン、といったところであるが、日本全国では次のようなコミュニティもある。
例えば、日本最北の国境の町 北海道・稚内市はサハリンまでたった40kmほどしか離れておらず、いわばロシアへの玄関口。稚内港からサハリン・コルサコフまでフェリーが就航している。こうしたことから市内にはロシア人向けのスーパーまである。
また、面白い活動としては、観光地を目指しているのがブラジル・タウンと呼ばれている 群馬県大泉町であろう。1989年に日本の出入国管理法が改正され、3世までの日系ブラジル人とその家族を無制限に受入る規制緩和によって多くの日系ブラジル人が居住し始める。景気に左右されるが、大泉町には三洋電機や富士重工業、その近くには凸版印刷などがあるため、 それらの工場で働くブラジル人が非常に多い街となっている。人口約4万1千人に対し約6千500人の外国人登録者がおり、外国人比率15.7%。ユニークなのは大泉町自らその「ブラジル・タウン」を観光地として売り込んでいることである。”東京から1,000円!しかも2時間でブラジル!に行ってこれます!!”といううたい文句である。
大泉町の他にもブラジル人の多い町は、愛知県豊田市、豊橋市、静岡県浜松市、岐阜県美濃加茂市、可児市、大垣市など。周知のように、豊田、浜松、太田は自動車産業の拠点でもある。

▪️変化する外国人留学生

日本学生支援機構によれば、平成26年5月1日現在の留学生数は以下となっている。 
総数 184,155人 (前年比 16,010人(9.5%)増)
ここで注目すべきは出身国(地域)別留学生数で上位5位は以下となっている。

中国  94,399人 (▲3,476人(▲3.6%)減)
ベトナム  26,439人 (12,640人(91.6%)増)
韓国  15,777人 (▲1,506人(▲8.7%)減)
ネパール  10,448人 (4,641人(79.9%)増)
台湾  6,231人 (571人(10.1%)増)

この数字とその傾向を見れば如実に分かることがある。留学生の増減は「日本への期待」が高い国もあり、また逆に低くなっている国もある。つまり、海外進出を見据えた日本企業にとっても中国や韓国の「次」のマーケットを考えた結果となっていることも分かる。
このリストには載っていないが、ベトナムとともにその豊かな市場性としてインドネシアがあることはいうまでもない。こうした国々からの留学生も増えてくることは間違いない。

▪️東京の新しい外国人コミュニティ

今、外国人によるコミュニティやその生活を営むための小売店や飲食店、更には学校や礼拝のための諸施設が新しく作られ始めている。その小さな芽の一つが冒頭の新宿百人町にあるイスラム横丁である。他にも東京には以下のようなエリアにその芽が出てきている。
■高田馬場(新宿区):ミャンマー
■錦糸町(墨田区):タイ
■池袋(豊島区):中国
■西葛西(江戸川区):インド
■代々木上原(渋谷区):トルコ&アラブ
■蒲田(大田区):ベトナム
■目黒(目黒区):インドネシア
■大山(板橋区):バングラデシュ
■竹ノ塚(足立区):フィリピン

▪️2010年在日中国人が在日韓国・朝鮮人を超える
2010年12月末時点では中国・台湾両地域合わせて687,156人が外国人登録されており、これは565,989人の在日韓国・朝鮮人を超える規模となった。在日中国人は東京が最も多く164,201人、在日韓国・朝鮮人の場合は大阪が最も多く118,396人(2013年12月末)となっている。ちなみに東京は98,966人となっている。

日本人の人口減少を受けて、消滅する市町村に話題が集まったが、同時に小子高齢日本の中で、基本的には移民を受け入れない日本のなかにも外国人コミュニティが新たに生まれ、また衰退するところも出てきている。数年前、地域住民や商店とのあつれきに注目が集まったが、大きく言えば日本文化の理解の浸透とともにそうしたトラブルも減ってきている。
また、海外からの技術研修生を安価な労働力として使う農家や企業への批判を踏まえ、かなりそうした農家や企業は減ってきてはいる。東日本大震災の復興及び2020年の東京オリンピックに向けた建設需要が大きく、いわゆる人手不足状態にあって、建設現場では多くの外国人労働者が働いている。こうした背景も踏まえ、外国人によるコミュニティとその固有な生活文化の日本社会への浸透と衰退、更にはコミュニティの「先」にある観光地としての「街」についていくつかの具体的事例を見ながら学んでみることとする。

1、衰退に向かう街、新大久保コリアンタウン

恐らく誰もが衰退する街として第一に挙げるのが新宿新大久保のコリアンタウンであろう。JR新大久保駅の大久保通りと新宿職安通りに挟まれた一帯であるが、久しぶりにいわゆるイケメン通りを含め新大久保から新宿まで何回か歩いてみたが、以前の活気あるコリアンタウンとは全く異なる光景が広がっていた。
ところで日韓の歴史認識問題を含めた冷え込んだ関係の影響も若干はあると思うが、ここでは観光地としての限界とそれを突破しえる「何か」が見つからないまま数年が経過している点について考えてみたい。

周知のようにコリアンタウンという観光地を形成する第一歩が2003年の「冬のソナタ」ブームであった。次にK-POPブームが起き若い女性がフアンとして増え、韓流人気の裾野が広がっていく。そして、新大久保だけではなく、全国規模で韓国料理店が急増する。特に、新大久保のコリアンタウンには韓国俳優やミュージシャンのDVDなどのグッズや韓国コスメなどのショップも増え、一大観光地となる。
しかし、「韓流の中心」と呼ばれ、ファンのランドマーク的存在だった新宿・新大久保の「韓流百貨店」が2014年4月末に経営破綻する。2002年に創業し、韓国食品のほか、韓流スターグッズ、化粧品・雑貨などを取り扱ってきた。05年に新大久保店(新宿区)をオープン以降、「百貨店のように何でもそろう韓流ショップ」をコンセプトに急成長する。12年1月期には売上高約16億円を計上したが、販売が低迷し、資金繰りが急速に悪化。“韓流倒産第1号”となる。現在は異なるオーナーが引き続き経営をしており、営業は継続している。
更に、韓流百貨店倒産に続き、韓流ムックなどを手掛けていたTOKIMEKIパブリッシングの倒産も報じられる。

▪️顧客層が変わったコリアンタウン

それほど頻繁に韓国料理を食べに来たわけではないが、2000年代半ばの顧客層、冬ソナシニア世代は極端に少なくなっており、それはメインストリートである大久保通りを歩く人たちが極めて少なく感じられた。そして、何度か食べたことのある店でランチを食べたが、以前と同じと言えば言えなくはないが、新しい何か、本場ソウルの進化した新しい「食」に出会うということはまるでなかった。以前と同じサムゲタンやサムギョブサルといった変わらぬメニューであった。ソウルに行かなくても、ここコリアンタウンに来れば「ソウルの今」を味わう、まるで明洞の食を味わうことができるという意味であるが、そうした進化した「食」はなかった。

そして、食後イケメン通りを通って新宿に向かったのだが、ここでも人通りは写真のように閑散としていた。しかし、大久保通りとは異なり2~3人連れの若い女性、ハングル語の女性たちが歩いてはいたが、昼のランチ時にもかかわらず、行列の店は皆無であった。
そして、イケメン通りで唯一活気があったのが、ドン・キホーテで、韓流フェアーをやっており、奇妙な感覚に囚われた。そして、以前もそれほどではなかったが、職安通りも食事に出かけるサラリーマンがちらほら歩いているだけで、韓国の食材を売る南大門市場も閑散としており、ソウルの南大門市場を彷彿とさせるような品揃えも猥雑さもまるでない店となっていた。

そして、象徴的なことはドン・キホーテもそうであるが、職安通りに面している韓国の飲食を含め、免税品をメインにした各種商品を販売している商業施設の前には韓国からの観光客がショッピングを終え、バスを待つ行列であった。

▪️聖地(=精気)を失った街

韓流百貨店が破綻した当時、「冬のソナタ」の「ヨン様ブーム」のようなキラーコンテンツを見出せないままブームが終わり、Kpopフアンである次の顧客層もキラーコンテンツたり得ないという指摘を聞いたことがあった。昨年、そのKpopの「少女時代」が来日公演し一定の集客成果を挙げたと聞いている。
韓国はその国家政策として、韓国ドラマや映画、韓流スターなどを積極的に海外へと輸出してきた。そして、日本市場はビジネスとして大きく育ってきた。その中での新大久保コリアンタウンである。韓流スターが訪れる飲食店は「冬のソナタ」のロケ地を訪れるのと同じ意味合い、つまり「聖地」を感じる意味合いを持っていた。観光地とはこうした「聖地」としての意味を持つ。この聖地は韓国の聖地の代替としてあり、常に本国の韓流文化と同じでなければならない。
以前、米国オバマ大統領と朴槿惠大統領との首脳会談で「娘たちが教えてくれた」と江南(カンナム)スタイルが話題になったとそんなニュースを耳にしたことがあった。欧米で大ヒットしたサイ(PSY)の「江南スタイル」についての話題であるが、日本にはそうした江南スタイルはマスメディアにも載らず話題にもならなかった。勿論、新大久保コリアンタウンの中にもカンナムスタイル関連のグッズなどを売っている店も少しはあったが、話題として広がる気配はない。
つまり、キラーコンテンツは韓国のなかにあり、そのつながりによってのみ、キラーコンテンツとなる。そのつながりが実感できなくなった時、ブームは終わり、それでも好きなフアンだけが新大久保コリアンタウンへと足を運ぶ。つまり、観光地としての構造が既に失われているということである。

「観光地」とは継続的に魅力を保持できることが大前提である。景色も、祭りも、名物駅弁も、和歌山電鉄の駅長タマに至るまで、会いに行けるといった実感できるのが観光地である。韓国本国とのつながり、その変化を逐次コリアンタウンへと導入し、店頭化・サービス化しないかぎり、寂れた過去の観光地となる。あの北海道の旭山動物園が再生できたのは、単に動物を見せることから動物の本来持っている「生命行動」をわかりやすく興味深く実感できるように展示することによってであった。旭山動物園にとってキラーコンテンツとはこうした「実感展示法」によって再生を賭けたということだ。そして、ペンギンの朝の行進から始まり、しろくまの大ジャンプ、今ではオランウータンの綱渡といった変化ある展示が継続的に実施されている。
新大久保コリアンタウンは、「韓流の聖地」どころか、観光地としての最低限の魅力が既に劣化している。再生に向けたマーケティング着眼とそのビジネス努力が今のところ見られない。結果、その通りの寂れた光景を露出させている。

実は知人が大久保通りのマンションに住んでいることもあり、コリアンタウンの変化について聞いてみたが、その答えは「経営がやっていけなくなった店は多いが、その店の経営権を譲り受け、居抜きで内容を少し変えそのまま経営する。しかし、本質的な解決ではなく、半年、1年でまた経営者が変わる」と指摘していた。結果、通りを見ても「シャッター通り化」してはいないが、実態は街全体がシャッターを閉める寸前にあるということだ。(後半へ続く)  


Posted by ヒット商品応援団 at 12:46Comments(0)新市場創造

2015年05月17日

平成の歌謡曲/いきものがかりと阿久悠 

ヒット商品応援団日記No614(毎週更新) 2015.5.17.

確か4月末のTVの特集番組であったと思う。それは再犯防止を願って、月に2回朝の決められた時間に札幌刑務所の受刑者たちが思い思いに耳を傾けるラジオ番組コミュニティーFM三角山放送局の特集であった。その受刑者からのリクエスト曲にいきものがかりの「ブルーバード」がかけられていた。その歌詞の出だしにある「飛翔(はばた)いたら 戻らないと言って 目指したのは 蒼い 蒼い あの空」・・・・・家族などへの塀の外への思い、二度と戻ってはいけないという意志からのリクエストであると思った。と同時に、若い三人組のいきものがかりの曲が60代と思しき受刑者のこころを打っていることに素直に驚いた。音楽は「聞く者」のためにあり、それは年齢や性差、言語の違いを超え、更に時間を超えていくものである。勿論、塀の中も外もである。何か、若い三人が「時代」という大きな妖怪に向き合っているなと感じた。

実は「妖怪」という言葉、キーワードを使ったのはあの作詞家阿久悠さんである。「歌謡曲の時代」(新潮文庫)の「序」のなかで、「歌謡曲活動するための餌はというと、時代である。歌謡曲は時代を食って色づき、育つ。時代を腹に入れて巨大化し、妖怪化する。ぼくはそう思っている。」と語っている。
何故いきものがかりにそう感じたのかというとある意味直感ではあるのだが、言葉(歌詞)はシンプルでごく普通の言葉が連なるそんな曲が多い。もっと言うならば、言葉、形容詞を削ぎ落とし、これ以上の意味しか無い、という世界にまで追い込もうという意志が見られるからである。少し褒めすぎかもしれないが、「普通」を超えるとは時代の持つ「普遍」につながるという意味である。

いきものがかりフアンであれば熟知のことであるが、初期の2006年リリースした「SAKURA」や7作目となる「ブルーバード」あたりまではいわゆる青春物であったが、Nコンの課題曲にもなった2009年の大ヒット作「YELL」あたりから少しづつ変わり始めたように思える。そして、やはり転換点となったのが2014年冬季オリンピックのテーマ曲となった「風が吹いている」であろう。この曲では初めて「時代」というキーワードを使った。

 時代はいま変わっていく 僕たちには願いがある
この涙も その笑顔も すべてをつないでいく

風が吹いている 僕はここで生きていく
・・・・・・・

冬季オリンピックのテーマ曲であるが、この「時代」にはオリンピックのアスリートたち以外に、直接的な言葉としては出てこないが、例えば日常の中のいじめを受けている人たちや、もっと大きく言えば3,11の東日本大震災の被災者をも含まれていると思う。そうした人々への応援歌である。

ところでその「時代」は凄まじい勢いで変化し続けている。そのためにどうするかである。答えは「Live」にある。常にフアン(顧客)に直接向き合って、その歓声や息遣いまでも感じ取ることができるからである。ミュージシャン、いや人を楽しませるエンターテイナーは毒舌漫談の綾小路きみまろから歌舞伎まで全ての基本はライブにある。ゆずもそうであるがいきものがかりの基本もライブで現在も全国コンサートツアー中である。CDもDVDもライブの結果である。古くからミュージシャンがCDショップの店頭で歌い、そして自ら販売するのもこうした背景からである。

ライブはミュージシャンにとって基本であるが、作詞家阿久悠さんが歌謡曲復興の最後にかけた歌手あさみちゆきは今でも路上ライブをやっている。井の頭公園の歌姫と呼称され一時注目された歌手である。阿久悠さんは『現在の歌で、一番欠けているのは場面だと思います。作詞家としても僕は、あさみちゆきという語り部を得て、映画よりも劇画よりも意味深い、鮮やかな『場面』を作ろうと試みました。」と語っていたが、ライブコンサートこそミュージシャンと観客が共有できる「唯一」の「場面」であるからだ。この「場面」、ストリートライブを今なお月1回吉祥寺の井の頭公園で実施していると聞いている。

亡くなってから随分時間が経ったが、コラムニスト天野祐吉さんは「ことばの元気学」で”ことばは音だ”と次のように語ってくれていた。

『やっぱり,言葉は音ですよね。
音を失ったら、言葉は半分死んでしまう、とぼくは思っています。
言葉は何万年も昔から音とともにあったわけで、
文字が生まれたのは、ほんの昨日のことですから。』

そして、阿久悠さんは流行歌に触れて、既に伝統化しつつあり、流行歌に自由はなかった。演歌となると、更に様式化が加わり、時代を拒否すると断言した。
「それに比べて歌謡曲は、定型や様式から解放され、逆に言えば、永久に伝統芸となり得ない、常に生(なま)もののようなところがあって、それが魅力だった。」と。
いきものがかりには、時代を食い、時代を「音」に変え、平成の歌謡曲という妖怪への道を歩んでもらいたいものである。(続く)  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:41Comments(0)新市場創造

2015年05月12日

未来塾(16)「テーマから学ぶ」聖地巡礼 2つの原宿(後半)

ヒット商品応援団日記No613(毎週更新) 2015.5.12.

未来塾「聖地巡礼2つの原宿」の前半では「伝説」がどのように生まれ、語り継がれていくか、そのメカニズムについて書いてきた。後半では、そのメカニズムに沿って創られていく「市場」、どんなビジネスとして成長し、またある部分は縮小していったかを読み解いていきます。そのキーワードは聖地へと昇華していく「観光地化」の世界についてです。



□聖地と市場

日本の資本主義の源流、貨幣経済の発展のスタートは中世の荘園経営であった。商業発展の場である市場(古くは市庭)の原初は荘園と荘園との境界、縁(ふち)で行われていた。平安時代、市の立つ場所・境界には「不善のやから」が往来して困るといった史実が残っている。簡単に言ってしまえば、市場は見知らぬ人間同士が取引する訳でルールを守らない人間が出てくるということである。つまり、場としても精神的にも無縁的空間であったということである。荘園と荘園との境界よりも、国と国との境界の方がより無縁的空間となり、そこに寺社を立て、聖なる力を持ってコントロールしてきた。歴史研究者である網野善彦氏は、こうした境界・市の立つ場所を辺界と呼び、市の思想には寺社といった聖なるものが必要であったという。日本人は神仏という聖なるものとの関係、縁にはこうした見えざる世界との関係性がある。今も続いている寺社での縁日は、こうした聖なる神仏が降りてくる有縁の日という意味である。
日本の商業の発展を見ていくとその多くは寺社を中心においた門前市であったが、次第に門前市が独占固定化した市場となりもっと楽に自由に商売ができるようにと行ったのが、織田信長による楽市楽座であった。当時は革命的な市場政策であり、多くの戦国大名の城下町において取り入れられた。そして、今日の商業集積地、商店街はこうした城下町の寺社の参道に作られ、その名残が多く見られる。
今回取り上げた聖地巡礼についても、高岩寺に向かう参道には巣鴨地蔵通り商店街があり、またラフォーレ原宿や竹下通りは明治神宮に向かう表参道に位置している。

□参道を埋める市(いち)/地蔵通り商店街

まずおばあちゃんの聖地巣鴨地蔵通り商店街であるが、「おばあちゃん」ならではの独自な市場商売として、約200軒近い会員の店が全長約780メートルに渡って軒を連ねている。そして、特徴的なことは谷中ぎんざ商店街と同様全国チェーンとして展開している飲食店がほとんどないという点である。勿論、巣鴨には観光客だけでなく、そこに住む住民もいる。そのためのコンビニが3店とスーパーが1店ほどあるがその程度である。
おばあちゃん相手の商売、観光地の商売ということもあるがその多くは老舗で、その代表格の飲食店が「ときわ食堂」であろう。いわゆるときわ会系の大衆食堂の一つであるが、昼時にはおばあちゃんを始めとしたシニア世代が写真のように行列をつくる。駅前食堂を始めファストフード店によって衰退していく食堂であるが、ここ地蔵通り商店街では健在である。

もう一つの特徴が全国的にも知られている巣鴨ファッッション、おばあちゃんの「赤パンツ」と赤肌着や赤グッズの専門店「マルジ」である。”お店の中にいるだけで元気と活力が出てくるフシギ空間。レッド・パワーをぜひ体感しに来てください”とある。「洗い観音」で痛みを取ってもらったら、後は赤のパワーを購入し、元気になって日常を過ごしてもらう、というパワースポットならではの商売である。
赤、朱色には生命の躍動を現すとともに、古来災厄や魔力を防ぐ色としても重視されてきた。このため古くは御殿や神社の社殿といった「聖なる場所」などに多く用いられており、稲荷神社の鳥居の朱色もこの影響によるものと考えられている。

また、赤パンツの他にも八つ目ウナギを名物にした創業90年のうなぎの「八ツ目や にしむら」もおばあちゃんパワーの応援店である。そして、シニア世代の女性にとって定番となった楽しみの一つであるカラオケまでもが用意されている。

そして、聖地巡礼という観光行動に不可欠なのが「お土産」である。浅草には浅草寺に向かう参道の両側・仲見世には世界の観光客向けの多様な土産物店が軒を連ねている。地蔵通り商店街の場合はそれほどの数の土産物店はないが、それでもおばあちゃんの好物である甘いものが土産物の中心となっている。行列が絶えない元祖塩大福の「みずの」を始め、栄太郎、岡埜榮泉、金太郎飴、おいもやさん興伸、手焼きせんべいの雷神堂など十数軒もあり、聖地巡礼の楽しみを提供している。

前述の縁日であるが、4のつく日には地蔵通り商店街に200もの露店が出る。これだけの規模による昔懐かしい縁日は都内でも珍しい。特に24日の例大祭には15万人以上の人が縁日を楽しむ。また、とんがら市という破格値の市も春秋2回行われる。
他にも日常的にイベントが組まれ、いつ行ってもチョット違う巣鴨地蔵通り商店街を楽しむことができる。久しぶりに訪れた当日には「素人川柳大会」が開催されていた。


□参道を埋める市(いち)/竹下通り

JR原宿駅竹下口から明治通りまで全長約350メートルを竹下通りと呼んでいるが、その通りにひしめくように個性的なファッション関連のショップが並ぶ。表参道とは併行した通りであるが、表参道という名称の如く、表参道は「表」であり、竹下通りは裏通り、横丁の意味で「裏」として発展してきた。この竹下通りはティーンの聖地と呼ばれているようにユニークな店もある。その第一がコインロッカーである。修学旅行や春休みの旅行先の一つとして原宿の「竹下通り」があり、コインロッカーに荷物を置いてショップ巡りを楽しむということである。最近では訪日外国人も多く、そうした旅行者、観光客のためのもので、まさに竹下通りは「観光地」になっているということである。
そして、新しいファッションの発信地として多様なオリジナリティを販売する専門店群にあって、そうしたティーンの「トレンド」を受信するためのショップも竹下通りに出店している。その代表的なショップがポテトチップスで知られている「カルビー」である。いわゆるティーンへのアンテナショップとしてどんな傾向の商品が売れるか、竹下通り限定商品が売られ、一種のテストマーケティングショップの役割も果たしている。

他にも100円ショップの「ダイソー」も出店しており、ティーンの売れ筋やその傾向を受信している。また、ティーンの消費行動のリアルさを把握するためと思うが、少し前までは動画サイトニコニコ動画の「ニコ本社」があったり、明治通にはスマホのLINEがそのキャラクターグッズを販売するショップまでもが出店している。ティーンがどんな消費行動をとっているか、リアルにタイムリーに把握する「場」にもなっている。竹下通りがメディアストリート、ティーン情報の受発信ストリートになっているということだ。

ところでおばあちゃんの原宿では甘味処が多く見られたが、本家原宿竹下通りではクレープである。元々フランス生まれのクレープであるが、1977年原宿カフェクレープが1号店を原宿の竹下通りに開店させたのが始まりである。ただ、当初はあまり売れなかったが、クレープの生地にフルーツやクリームをはさんで出すという原宿スタイルのスイーツに転換してからブームが起こり、竹下通り=クレープ店の多い通りとして注目される。写真は春休みの竹下通りのクレープ店の行列である。そして、行列と言えば、ここ2年ほど前からブームが起きているのが「ギャレット」を始めとしたポップコーンである。同じようにブームとなっているパンケーキは価格もそうであるが、20歳代の女性のスイーツとなっており、ティーンの原宿ではクレープと同様食べ歩きにはやはりポップコーンとなる。

また、今や「自撮りブーム」であるが、10数年前にブームとなった「プリクラ」が進化し、ティーンの遊び道具となっている。そのプリクラであるが、最近のプリクラは単に写真を撮るだけではない。自分の顔を理想の顔に映してくれる一種の魔法のような道具で、目を大きくから始まり小顔にしたり、肌の色を調整したり、といった進化したプリクラである。そして、観光地竹下通りの記念写真という意味も含め、必須道具となっている。
巣鴨のおばあちゃんでは「カラオケ」が遊び道具となっていたが、竹下通りでは「プリクラ」である。

多様なティーンファッションの集積力

恐らくティーンを対象としたテイストやセンスの異なる多様なファッション、そのほとんどが原宿に集中集積されているといっても過言ではない。特に、竹下通りの集積密度は類を見ない。その状況を表しているティーンとおぼしき「10代女子の原宿たっぷり6時間コース」というブログがネット上に公開されている。「時間と体力はあるけどお金はない」10代女子の 原宿たっぷり6時間コースという遊び方の紹介ブログである。このブログにガイドされているショップの多くはお小遣いで楽しめるもので、ティーンの興味関心事のコアとなる消費行動をよく表れている。オシャレ好きのティーンにとって、オシャレを楽しむ入場料のいらないディズニーランドというテーマパークのようなものである。

ちょうど春休み時期ということもあって、まるで上野アメ横のような雑踏であると表現したが、それと同様の「セール」が組まれていた。アメ横のような「ねぎり」と「おまけ」は無いが、「タイムセール」のかけ声をかけ、「OFFセール」の値札が店頭を飾っていた。
また、興味深いことにおばあちゃんの原宿の「マルジ」の赤パンツではないが、ここ原宿竹下通りの店頭も「赤」「赤」「赤」であった。ちなみに、100円ショップの「ダイソー」のファサード看板も「赤」となっている。


□もう一つの伝説

実は1990年代後半から2000年代前半にかけてティーンの多くが原宿から渋谷109へと移動した。山姥、ガングロという婆娑羅ファッションが社会現象として全国的に話題を集めた時期である。そして、伝説が生まれる。1999年9月渋谷109の中心となる専門店「エゴイスト」がわずか16.9坪で月商2億8万円という前代未聞の売り上げを残す。そして、カリスマ店長という言葉と共にティーンの間に「カリスマ伝説」が広がる。
ちょうど高度情報化の時代を迎えた時期で、一言でいうならばあらゆるものがメディアとなって情報発信できる時代がスタートする。従来の発信メディアであるマスメディアだけでなく、商品も、人も、店舗も、そして街も、メディアとなって情報を発信する。特に、渋谷の街に極めて個性的なファッションのティーン達が集まることになり、そうした情報は次々と人を通じ、更にTVメディアを通じ拡散していく。そして、渋谷の街、ストリートは舞台となってその個性ファッションを競う一大観光地となる。1970年代原宿の歩行者天国に竹の子族が集まりパフォーマンスを繰り広げ、誕生間もない雑誌メディアがそうしたオシャレな若者達のファッションを取り上げ「アンノン族」が生まれたように、今度は渋谷に舞台を移すこととなる。そして、原宿におけるMILKの創世記物語とは異なるのが、ティーンと向かい合ったカリスマ店長の存在であった。「エゴイスト」の初代カリスマ店長は渡辺加奈さん。今やアパレルファッションのSPAは当たり前のことであるが、渡辺加奈さんを中心に1週間単位でデザインや素材を決め、製造し、店頭にて販売する。その結果を踏まえ、また翌週1週間単位でまわしていく。そして、一番重要なことは顧客であるティーンに向かい合い対話することであったと聞いている。対話したティーンはその時購入した衣装を着て、後日また見てもらいたくて店頭に来ると言う。そこでの会話がうれしくてまた来店するというのだ。そうした積み重ねが「カリスマ店長」という伝説を生み、結果として16.9坪で月商2億8万円という前代未聞の売り上げを残すこととなる。商品とは別に、こころ惹かれる「大いなる存在」、それをカリスマと呼んだのである。
以降、多くのカリスマ店長を育て輩出していくのだが、「エゴイスト」代表である鬼頭さんにインタビューしてから9年が経つ。顧客の変化と共に、また「カリスマ店長」も変わると思うので、またインタビューしたいと思っている。


テーマから学ぶ



今回はおばあちゃんとティーンという世代の異なる2大観光地におけるテーマ集積のパワーを学んでみた。その具体的テーマであるが、巣鴨とげぬき地蔵尊・地蔵通り商店街の場合は、「老い」という現実に対する不安を除去し癒してくれる巡礼であるが、コンセプト的にいうならば「エナジーゲット」、もっと平易にいえば”元気いただき”巡礼となる。
また、ティーンにおける原宿竹下通りの場合は、「キレイでいたい」「オシャレ」という願望を満たす巡礼であるが、それが単なるモノとしてのそれではなくて、コンセプト的にいうならば「オシャレのアミューズメントパーク」、同じように平易にいうならば”kawaii宝島探検”巡礼となる。

1、おばあちゃんの元気

高齢者にとって失ってしまったものの一番は「健康」である。二番目は夫婦を含めた「仲間」との関係であり、三番目はこれからの「生きがい」となる。つまり、年齢的にも物的欲望から卒業し、「健康」や「こころ」という精神的欲望へと向かう。聖地である巣鴨高岩寺洗い観音はこうした高齢者の欲望を見事につかまえている。

□元気はつらつ

まず誰にでも訪れる「老い」による精神的痛みや不安をなくし、元気になって戻りたいたいとする巡礼である。例えば、リポビタンDの”元気はつらつ”ではないが、「マルジ」で買う赤パンツはモノとしてのそれではなく、「元気」を買っているのである。
こうした巡礼へと向かわせる「心の扉」を開かせてくれるのは人間に最も身近なお地蔵様という庶民信仰、いわば日常的な祈りの行動である。
高齢化社会にあって、日本スポーツマスターズの各種大会に出場するようなスポーツウーマンも長寿と共に増える傾向にある。しかし、圧倒的多数は「老い」を自覚しながらも一人暮らしをしている、いわゆる独居老人が急増している。65歳以上の一人暮らしのシニアは既に600万人を超え、これから団塊世代が高齢者の仲間入りをすることになり、更に増え、大きな課題へと向かうことになる。

□社会とつながる聖地巡礼

そして、葬儀やお墓をどうするかといった「終活」というテーマが数年前からメディアにも登場し議論されているが、その前に社会との関係性、つながりの少ない「一人暮らしシニア」をどうするか社会問題化している。巣鴨高岩寺の境内には写真のような休憩ベンチが置かれている場所がある。シニアの間では「ナンパベンチ」としてよく知られた場所であるが、コミュニティが崩壊した現状にあって、こうした関係を取り戻すことも実は「元気」の中に入っている。「ナンパベンチ」というより、「コミュニティベンチ」「コミュニティ広場」といった方がふさわしい。おばあちゃんの原宿は元気を取り戻す「おばあちゃんコミュニティ」という時代を映し出す「場」となっている。つまり、いつまでも「社会とつながる」ことによる健康も、こことげぬき地蔵地尊にはあるということだ。


2、アミューズメントパーク

10代、それはあらゆるものに対し興味・関心を持つ時である。いわば「大人」というモノに溢れた社会への入学が始まり、異性を含めた人と人との関係社会という未知への興味・体験人生が本格的にスタートするということである。そこには夢・好み・私があり、そうした体験の扉の一つが「オシャレ」である。久しぶりに竹下通りの雑踏を歩いたが、その多くは目をキラキラさせた好奇心そのもののティーン達であった。

□原宿はディズニーランド

竹下通りを「アミューズメントパーク」と表現したが、東京への旅行先の一つである浦安の東京ディズニーランドを想い浮かべてもらうとより鮮明に分かる。東京ディズニーランドのゲートをくぐるとその先にランドマークであるシンデレラ城がある。原宿に置き換えるならば、原宿ラフォーレがシンデレラ城で、その周りに多くのアトラクションやレストランが配置されている。竹下通りに置き換えればプリクラやクレープにカフェとなる。そして帰りにはディズニーキャラクターのお土産を買うのだが、竹下通りでは宝島探検で得たお気に入りブランドのファッションを買う。聖地を巡り、消費する世界の構造としては同じである。そして、ティーンのお小遣いでも購入できる価格帯のものが多い。カフェでのランチもドリンクを付けても1000円でおつりがくる。そして今回は春休み時期ということもあり、付き添いとおぼしき母親や父親が極めて多かった。恐らく事前に購入するブランド商品をスマホで調べ、母親や父親に支払ってもらう、そうした「大人」へのネオ体験の扉である。そして、そうした体験を重ね、一人であるいは友人と一緒に「お気に入り」を創るのである。

□デジタルネイティブの世界

アミューズメントというと、ゲームセンターのように思ってしまうが、ゲームは仮想現実の世界である。原宿竹下通りというゾーンはティーンにとってはまさにこころ躍らせる仮想現実のファンタジー世界なのだが、日常のリアル世界に戻る時、お土産であるファッションがまた聖地へと誘う。
このように団塊世代の私は整理してしまうが、デジタルネイティブの彼女達にとって、実はファンタジーである竹下通りの世界も自宅に戻った日常世界も、仮想とリアルを行ったり来たりというより、同じ一つの世界、一体の世界となっている。このコトの中にこそ「次」なるティーンビジネスビジネスがある。ちなみに内閣府による最新のスマホ所有率は以下となsdている。
・小学生;36.6%
・中学生;51.9%
・高校生;97.2%

□入学と卒業

そして、一定の年齢になると「大人」への世界にも変化が出てくる。それまでのお気に入り世界の卒業である。2000年代前半、渋谷109にベビーカーを押して買い物に向かう「ギャル」が多く見られるようになった。欲しい商品が他では手に入らないということから、各専門店は卒業させじとばかりに一緒に成長しようとファッションの大人化につとめた。そして、客単価を上げることができたが、新しい入学候補者を迎い入れる方策に迷いが出てくる。結果、新しい入学者の多くは再び原宿竹下通りへと向かった。
また、同時期「裏原」という独自なファッションも卒業時期を迎えることとなる。前述のようにストリート系やヒッポホップ系ファッションはバンドブームやクラブの衰退と共に、「次」を見いだせないまま縮小していく。
こうした「入学」と「卒業」はファッションにはつきものであると言えばそれで話は終わってしまうが、その壁を超えるのも新たな「伝説」の創造ということであろう。


3、テーマの設定と集中化

マーケティングに携わる人間であれば、古くは「ライリーの法則」や「小売り引力の法則」といった商圏・顧客設定などの考え方を踏まえるのだが、ここではそうしたモデルの私見を披瀝するつもりはない。例えば、「ライリーの法則」に準ずれば、商圏設定において「一定規模の大型商業施設」をつくれば、周辺の商業施設間の競争においてより高い成果を得ることが出来るとする計算式がある。しかし、そんな机上での計算式による成果を覆すような吸引力をもった町の商店街や専門店、エリアがいくつでも存在しており、それは「何故」なのか、どんなテーマをもって顧客を吸引しているのかを明らかにすることがこの未来塾の役割であると考えている。
テーマは過去の歴史という継続の中から生まれるのであって、机上のプランで創られるものではない。過去を引き受け、そのなかに次なる可能性を見いだすのだ。「既にあるもの」を生かしきるというのが、日本文化の本質である。ところで、未来塾のなかでも「テーマの集中」についてその成功への要因について書いてきたが、整理要約すると以下となる。
・横浜洪福寺松原商店街:ハマのアメ横と呼ばれる商店街は、戦後のゼロスタート時点から競争軸を「価格」においた元祖「わけあり商品」をメインとした激安商店街。
・江東区砂町銀座商店街;周りを大型商業施設に囲まれながらも、お惣菜横丁と呼ばれるように真似のできない手作り総菜店を集積。そして、町の個人商店ならではの名物オヤジと看板娘のいる商店街。
・住みたい街NO1の街吉祥寺;パルコを始めとした時代の先端をいくファッショントレンドを発信する表通りとハモニカ横丁に代表される闇市の猥雑さや懐かしさを感じる路地裏。2つの異質さが交差するNew&Oldな街。
・ヤネセン(谷中ぎんざ商店街);地下鉄千代田線の開通により来街者が流出し苦境に陥ったが、ヤネセン(谷中、根津、千駄木)という広域エリアの観光地化を進めることによって、ウイークデー(ご近所顧客)は減少したが、休日(観光客)は倍となり良い成果へとつながった。
・上野アメ横;地球の「食」を集めた雑食の楽しさを「ねぎり」と「おまけ」で激安提供する市場。そして、観光地化した市場も「次」なる成長への着眼が必要。
テーマを設定すると参加店はアイディアや技術を持って競争することとなる。間違ってはならないが、その競争は顧客のための競争であり、競争相手に勝つことが目的ではない。どれだけ顧客をテーマ世界をもって喜ばせることができるかであって、結果それが競争に見えるだけである。そして、一つのテーマに絞り集中することは、競争によって更に集中を生み、顧客もその深化したテーマを享受し、そうした話題は更に顧客を呼ぶことになる。
例えば、北陸新幹線の開通などによって都市が発展したり衰退したりすることを「ストロー現象」と呼んでいるが、テーマを持たない都市はいくら新幹線が停まろうとストローのような恩恵を得ることは無い。例えば、金沢も富山も魅力あるテーマを持てば、東京から多くの顧客を集めることが出来る。しかし、その期待が外れれば東京に既にある「金沢」や「富山」の物産や飲食などでこと足りることになり、わざわざ北陸新幹線に乗って現地に行く気持ちにはならない。更には顧客はお取り寄せ通販という使い易い道具を既に持ち使っている。まだ開業して1ヶ月半ほどであり、この秋以降どれだけリピーターを創ることができるか、北陸オタクをどれだけ創れるかが課題となる。こうした着眼こそが地方創生の鍵となる。

□見える化のためのテーマ

何故なのか、過剰情報が行き交う時代であって、それは見えているようで、実は見えていなかったとの気づきが始まった、あるいは見ないようにしてきたことへの反省が始まったということである。例えば、ブームとなりつつある伝統野菜もそうであるが、職人の世界のように誰も知らないところで細々と愚直にやってきたことが、表へと出てくるということだ。サプライズという一瞬の驚き・パフォーマンスからの学習体験を経て、外側では見えなかったことを見えるように見えるようにと想像力を働かせるように気づき始めたということである。こうした動きは「昭和回帰」「ふるさと回帰」といった回帰現象、あるいは街歩き、路地裏散策ブームにもつながっている。見るために過去を遡り、内側を探り、今を考えようとしているのだ。あるいはIターンに若い世代が増えているが、地方という未知への興味も根っこのところでは一緒である。いかに知らないことが多かったかという自覚であり、自省でもある。「クールジャパン」も外側にいた訪日外国人やオタクによって見えない世界が「表」に出てきたものである。今回のテーマである伝説も見えない世界での語り継ぎであり、「宝島エイジズ(AGES)」の再創刊もこうした「見える化」潮流の一つである。

□どんなテーマとするのか

当たり前のことであるが、テーマ設定がその成功への第一歩となる。大型商業施設の場合は想定する商圏内の顧客要望を踏まえて、コンセプトづくりやフロア毎のテーマを設定し、最もそのテーマを生かしきれる専門店を選び編集していく。これが基本であるが、その基本以前のこととして「既にあるもの」をどう生かしきるのかが前提となる。そのために生かすにふさわしいテーマは何か、それは顧客要望にかなうものか、検証してみる。このことは一般論、一般的潮流にあるからという理由で設定してはならないということである。
昭和や下町というレトロテーマが今やトレンドとなっているが、例えばヤネセンのように戦災に遭わずに残った建物、アパートや民家などを生かしきる方法としてのリノベーションによって、カフェや飲食店へと変身させているが、問題なのはその変身へのセンスである。センスとは何を残し、何を新しくするか、その創造というセンスのことである。そして、その根底にあるのが、「残されているモノへの感謝」であり、そのことによって生まれる「新たな何か」である。これが日本固有の精神文化であり、世界に誇れる「クールジャパン」の本質である。
そして、面白いことにおばあちゃんの原宿にもティーンの原宿にも、次のような「共通項」がある。

・おばあちゃんの原宿→洗い観音という庶民信仰→寺社仏閣を日本精神文化のカルチャーとするならば巣鴨とげぬき地蔵尊は「サブカルチャー」となる。
・ティーンの原宿→オシャレという興味関心を満たすディズニーランド→既成の大手アパレルブランドをカルチャーとするならばティーンの原宿はMILKや裏原に代表されるような「サブカルチャー」となる。

未来塾で公開した秋葉原・アキバのところでも指摘したが、アニメやコミック、フィギュアー、あるいはAKB48もそうであるが、多くの「大人」はオタクだけの世界であるとか、あくまでもサブカルチャーにすぎないと蔑み見向きもしなかった。しかし、そうした「大人世界」を一変させたのが、外国のフアンであり、何よりも予測を超えたサブカルチャーの信者であった。そして、アキバも竹下通りも世界中から人を集める聖地の秘密はこの「テーマ密度」の高さにある。この密度こそ、未知への探検を促し、宝物探しにかき立てる。つまり、未知との遭遇観光地ということである。
つまり、変化の時代にあって「次」なる世界は「既成」とは異なるところから生まれるということである。何をテーマとして設定するのか、こうした裏側、サブ、アンチ、あるいは構えないポップなテーマとなる。
そして、「裏」はいづれ「表」となる情報の時代である。そんな時代にあって、原宿ファッションの創生ブランドであるMILKが示してくれたように、新しい何かを創るとは「こぼした牛乳」を一つづつ創っていくということだ。(続く)
  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:19Comments(0)新市場創造

2015年05月10日

未来塾(16)「テーマから学ぶ」聖地巡礼 2つの原宿(前半)

ヒット商品応援団日記No613(毎週更新) 2015.5.10.

今回の未来塾のテーマは誰でもが知っているおばあちゃんの原宿巣鴨とげぬき地蔵尊と本家ティーンの原宿竹下通りを選んでみた。今回のテーマを「聖地巡礼」としたが、全国から信者・フアンを集めるという意味では共に「2大観光地」と言える。世代が全く異なる信者・フアンの聖地にも関わらず、その集客に共通する点が見事なくらい多い、そうしたことを含め2大観光地の構造を読み解いてみることとする。

      
「テーマから学ぶ」

聖地巡礼

おばあちゃんとティーンの原宿

















写真左は年間800万人以上が参詣する「おばあちゃんの原宿」と呼ばれている巣鴨とげぬき地蔵尊の「洗い観音」の写真である。一方、右の写真は若い世代では知らない人はいない、そして今や世界においてもアニメやコミックと共にクールジャパンの一つとなっている原宿ファッションのランドマーク・ラフォーレ原宿である。
今回のテーマを「聖地巡礼」としたが、全国から信者・フアンを集めるという意味では共に「2大観光地」と言える。ここ1年ほど多くのエリアや商店街をレポートしてきたが、共通する成功要因そのマーケティング着眼の一つは「観光地化」であった。興味関心事を楽しむ、その地に行かなければ得られない観光行動を促す試みが観光地化である。前々回のヤネセン(谷中、根津、千駄木)は広域エリアを観光地化させることによって、谷中ぎんざ商店街の集客数を倍増させ商店街の危機を脱することができた。また、前回の上野アメ横においては、年末の正月食材の売り出し以外の「次」の観光地として「夜市」の可能性について着眼した。今回はおばあちゃんとティーンの聖地、2大観光地の構造、世代が全く異なる信者・フアンの聖地にも関わらず、その集客に共通する点が見事なくらい多い、そうしたことを含め読み解いてみることとする。

ところで厳密な意味での「聖地巡礼」は宗教・信仰の対象となる本山、拠点となる寺院や神社を指す。数年前の日経新聞による調査によれば「巡礼の道」のランキングでは、第一位熊野古道、第二位四国八十八カ所、第三位お伊勢参りとなっているが、シニアのウオーキングブームを背景に厳しい修行にのぞむ修験の道もあれば、温泉に入ったり美味しいものを食べたりしながら寺社を巡る観光ルートもある。そうした意味合いを踏まえ、今や「聖地」という語の転用=拡大として心惹かれる特別な場所を聖地と呼んでいる。例えば、スポーツにおいては高校球児にとっては甲子園球場は高校野球の聖地になり、テニスであればウインブルドンとなる。更にはアニメやコミックのオタクにとっては秋葉原・アキバが聖地となる。
聖地には心ふるわせる「大いなるもの」の存在があり、その聖地を訪れ巡礼することでこころは安らぎ、癒され、何かを得て元気を取り戻すのだが、そんな巡礼の風習、いや生活の知恵を古来から日本人は持っていた。
今回の学びとしてのテーマは「どのように聖地」がこころの中で創造されてきたか、2つの代表的な聖地の事例、おばあちゃんの聖地とティーンの聖地を取り上げ、こころを魅きつける「大いなるもの」はどのように創られ人から人へと伝わり広がってきたか、その神話化の構造をマーケティングの視点をもって学んでみることとする。

歴史と伝説

ところで残された正確な史実に基づく歴史もあるが、そこからこぼれ落ちてしまう事実もある。学問の分野から言うと民俗学や社会学の領域になるのだが、こぼれおちてしまうものの一つが「伝説」やその先にある「神話」である。こうした領域をテーマとした一人があの柳田國男である。その柳田は口承伝承で伝えら れた過去についての言い伝え・語りを「伝説(傳説)」と呼び、その「歴史」との近さと遠さを考えよ うとした研究者である。その「伝説」であるが、文字によって固定される史料に拠るわけではないので、時間 を超えた「語り継ぎ」のあいだに入る人々それぞれの様々な思いや解釈によって少しづつ変わってくる。伝言ゲームではないが、語り継ぎがされるあいだに、様々な演出や脚色がなされる場合もある。しかし、「伝説」は、「むかし昔あるところに、○○であるそうな」のように、時期や場所、人物を 特定しない形式で語られる「昔話」よりは「歴史」に近い。「歴史」ほど厳密ではないが「伝 説」にもそれ固有の意味を持っている。

聖なる場所との関わり方

日本人には神仏という聖なるものとの関係を表す言葉として「縁」がある。縁には神仏のような見えざる世界との関係性として、例えば今も続いている寺社での縁日は、こうした聖なる神仏が降りてくる有縁の日という意味で縁日がある。
日本人の縁の結び方の特徴は寺社や聖なる場所を見ればよく分かる。私が好きな沖縄にも世界遺産でもある斎場御嶽(せいふぁうたき)という聖なる場所がある。神々の島と呼ばれている沖縄であるが、神が降り立ってくる場所が御嶽で、そこには形あるものは何一つ無い。つまり、神はこころの中に降りてくる、という心性世界をよく表している。斎場御嶽の先には、神々の島・久高島があり、その先東の海にはニライカナイという他界があるとされている。つまり、辺界、この世とあの世との境界に斎場御嶽はあるということだ。

□おばあちゃんの聖地、巣鴨とげぬき地蔵尊




とげぬき地蔵尊のある高岩寺は約400年前江戸時代に創建されたお寺で本尊は地蔵菩薩(延命地蔵)。一般にはとげぬき地蔵の通称で知られるお寺である。実は歴史のあるお寺であるが、巣鴨には1894年に神田湯島から移転し、戦災で全焼し1957年(昭和32年)に再建されたものである。
ある意味空白の時間を経て今日があるのだが、そのとげぬき地蔵には語り継がれてきた「伝説」がある。その伝説となるコトの起こりについて高岩寺のHPに次のように書かれている。「高岩寺地蔵尊縁起霊験記」より

『正徳3年5月(徳川七代将軍家継の治世)、江戸小石川に住む田付氏の妻、常に地蔵尊を信仰していたが、一人の男児を出産後重い病気に見舞われて床に臥した。諸所の医者が手をつくしたが、病気は悪化の一途。彼女は生家に宿る怨霊によって女はみな25歳までしか生きられないという父母の話を夫に伝えた。
田付氏は悲しみの中に、この上は妻が日頃信仰する地蔵尊におすがりするほかはないと毎日一心に祈願を続けた。 ある日のこと田付氏の夢枕に一人の僧が立ち「自分の形を一寸三分に彫って河水に浮かべよ」という。田付氏が「急には彫り難い」と答えると「お前に仏像をあたえよう」といわれ、夢がさめた。不思議な夢と枕元をみると、木のふしのようなものが置いてあり、平らな部分に地蔵菩薩のお姿があった。
田付氏は夢にあった通りと不思議に思いつつも、地蔵尊の宝号を唱えながら形を印肉にしめして一万体の「御影」をつくり、両国橋から隅田川に浮かべ、一心に祈った。
その日の夜午前2時頃、田付氏は妻の呼ぶ声にいってみると「今夢うつつの中に男があらわれ、長い棒と籠のようなものを持って枕上に立ちました。すると香染の袈裟をつけた一人の僧が出て来て蚊帳の外に引き出し、次の間で錫杖で背中をついて追い出してしまいました」といった。
このことがあって以来田付夫人の病気はしだいに快方に向かい、11月中旬には床をはなれ、以後無病になった。
田付氏がこの霊験を山高氏の家で話していると、一座の中に西順という僧がいて、その御影をほしいといわれ、二枚をあたえた。西順は毛利家に出入りしていたが、ある時同家の女中が口にくわえていた針を飲み込んで大いに苦しんだ。西順が持っていた地蔵尊の御影一枚を飲ませると、腹中のものを吐き、御影を洗ってみると、飲み込んだ針がささって出て来た。(享保13年7月17日=八代将軍吉宗の治世、田付氏が自ら記して高岩寺に奉納された霊験記の一部。)』

江戸時代までは神を祭るのはほとんどが時の権力者によってであった。しかし、江戸時代になると八百万の神の国と言われるように多くの神仏が身の回りにいて、特にお地蔵さんは「人に近い仏様」として親近感をもって受け止める庶民信仰の対象となっていた。
例えば、「蕎麦食地蔵」(九品院/練馬区)の場合は、客の来ないそば屋がお地蔵さんにそばを供えたところ翌日小僧さんがそばを食べにきてくれて以降繁盛したという。ただ、いつも小僧さんが支払ってくれるのは古銭ばかり、不思議に思った店主がお地蔵さんのところにいくと、お地蔵さんの口にはそばのかすが残っていたという。お地蔵さんへのお賽銭をとっておいて、そば屋の支払いに充てた、そんなお地蔵さんである。他にも、「田植え地蔵」あるいは「道祖神」もそうであるが、「とげぬき地蔵」が今なおおばあちゃん達の庶民信仰としてつながっているのもこうした庶民の力になってくれる身近な仏様であったからであろう。

おばあちゃんのパワースポット「洗い観音」

更に、そうした信仰を広く厚くしたのが、高岩寺にある「洗い観音」の存在である。その「洗い観音」であるが、江戸時代最大の火事であった「明暦の大火」(1657年)で、檀徒の一人「屋根屋喜平次」は妻をなくし、その供養のため、「聖観世音菩薩」を高岩寺に寄進した。

この聖観世音菩薩像に水をかけ、自分の悪いところを洗うと治るという信仰がいつしか生まれる。これが「洗い観音」の起源と言われている。とげや針ばかりか、老いると必ず出てくる体の痛みや具合の悪いところを治してくれる、そんな我が身を観音様に見立てて洗うことによって、観音様が痛みをとってくれる。そんな健康成就を願う、まさにおばあちゃんにとって身近で必要な神事・パワースポットとしてある。写真のように観音様を洗うために多くの人が列をなしている。おばあちゃんの聖地の起源は「老い」という身近で日常の中にある不安を取り除いてくれるこころのお医者さんかもしれない。
ところで、高岩寺本堂には本尊の地蔵菩薩像(延命地蔵)は秘仏のため非公開となっている。そして、本尊の姿を刷った御影(おみかげ)に祈願・またはその札を水などと共に飲むなどしても、病気平癒に効験があるとされているが、「洗い観音」は「洗う」という分かりやすく実感できることから、TV報道は「とげぬき地蔵」を代表するものとして「洗い観音」を取り上げ、次第に「とげぬき地蔵」=「洗い観音」のようなイメージが全国において定着していく。
聖地巡礼という視点に立てば、ご本尊が「裏」(見えざる世界)とするならば、「洗い観音」は「表」(見える世界)という2重の構図となる。

□ティーンの聖地、原宿竹下通り&ラフォーレ原宿




ティーンの聖地としての起源はいつから始まったのか、ファッショントレンドの発信という視点に立つと、それは1972 年に地下鉄・明治神宮前駅が開業し、70 年代にMILK、ビギ、原宿プラザ(マンシ ョンメーカーのショップ)の開業頃であると思う。そして、原宿から千駄ヶ谷にかけてマンションメーカーが 集まり、更に大手アパレルメーカーである 樫山、レナウン、東京ブラウス、東京スタイルなどもこの原宿エリアに集まる。そして、1978年にラフォーレ原宿がオープンする。
こうしたファッション集積のなかでもやはり伝説のひとつとして熱心なフアンに語り継がれているのがMILKであろう。1970年4月に原宿セントラルアパートの片隅に洋服好きの姉妹が立ち上げた小さな小さな店である。周知のレース、リボンなどが多用されたティーンが夢見るようなロマンテイックな服である。そのMILKは次のようにその誕生を語っている。(HPより)

それは1970年のできごと。
雲が見えないくらい高い空の上で、
神様はちょうど朝食を食べ終わり、牛乳を飲んでいました。
ポトッ、ポトッ… 神様は手をすべらせ、原宿の街に牛乳をこぼしてしまいました。
「これは、いけない!」と思った神様は、そのこぼした場所を
女の子の為の“MILK”というステキなお店にしたのです。


私たちの言葉で言うと、コンセプトストーリーとしてショップネーミングの由来を通し見事に誕生物語が語られている。ファッションは特にそうであるが、あのシャネルも創業当時周りのファッション業界人からは奇人変人扱いされてきた。例えば、当時のヨーロッパ文化のある意味破壊者で、丈の長いスカート時代にパンツスタイルを生み、男っぽいと言われながら、水夫風スタイルを自ら取り入れた。肌を焼く習慣がなかった時代に黒く肌を焼き、マリンスタイルで登場した。そして自分がいいと思えば決して捨て去ることはなかった。MILKもその誕生については衝撃的であったと言われている。以降、「銀座三愛」、「鈴屋」、「マミーナ」といったブランドのなかでストリートファッションとして際立つセンスであった。

1980年代に入ると社会現象として話題になった竹の子族が原宿の歩行者天国に出没する。実は「竹の子族」という名称は竹下通りにある「ブティック竹の子」で購入した服を着て踊っていたことが由来の一つと言われている。その竹の子族の影響もあって、竹下通りは更に原宿ファッションの代名詞として発展する。そして、話題が原宿竹下通りに集中することとなり、ファッション情報を発信する先端メディアの街としてスタートする。

雑誌メディアの創刊が新しいファッションを後押しする

そして、こうした新しいファッションという自己表現をサポート・促進したのが新しく生まれたメディア群、特に雑誌であった。創刊されたばかりのファッション雑誌「アンアン」や「non-no」により原宿が紹介さ れ、「アンノン族」が街を闊歩し、原宿はファッションの中心地として全国的な知名を手に 入れることとなる。

そして、1980年代に入り一挙に雑誌ブームが到来し、 200を超える雑誌 が創刊される。「25ans(ヴァンサンカン)」婦人画報社、「写楽」小 学館、「miss HERO」講談社、「コスモポリタン」集英社、「ブルー タス」平凡出版(現・マガジンハウス)、「Big Tomorrow」青春出版社など。そして、翌年以降も、「ウィズ」講談社、 「FOCUS」新潮社、「ダ・カーポ」平凡出版、「Can Cam」小学館、「オリーブ」平凡出版、「ELLE JAPON」平凡出版、「マリクレール」中央公論社。更に女性誌創刊ラッシュが続き、 「ViVi」講談社、「LEE」集英社。
こうした女性誌の創刊は1980年代後半にも具体的な商品紹介をテーマとし、再びブームが起きる。
「She’s」主婦と生活社、「Caraway」文化出版局、「Hanako」マガ ジンハウス、「B-TOOL マガジン」ナツメ社、「Goods Press」徳間書店、「Begin」世界文化社。「Miss 家庭画報」世界文化社、「Caz」扶桑社、「CLiQUE」マガジンハウス、「ヴァンテーヌ」婦人画報 社、「SPUR」集英社、「ル・クール」学研、「CREA」文藝春秋、「any」西武タイム、「SAPIO」小学館、「サライ」小学館、「ガリバー」マガジンハウス、など。
ところで、当時の原宿ファッションを始めとしたサブカルチャーを紹介してきた宝島社が昨年12月新たな季刊誌「宝島エイジズ(AGES)」を発行した。その第一号にはRCサクセションやザ・ブルーハーツ、ラフィンノーズなどの80年代に名を馳せたミュージシャンをはじめ、ファッションブランドでは「ミルク(MILK)」や「ヒステリックグラマー(HYSTERIC GLAMOUR)」などをフィーチャーしている。この再創刊にように今なお「伝説」が語り継がれているということである。

新しい文化の発信・裏原宿
ラフォーレ原宿のフロア構成に原宿ファッションの特徴が良く表れている。その代表に上げられるのがラフォーレミュージアムで「今」を映し出すイベントがオープン当初から行われてきた。最近では電子音楽のミュージシャンによるコンサートはもとより、チョット変わったところでは2014年には「東京チョコレートショー2014」が開催され、日本を代表するスイーツ・チョコレート店Ash Tsujiguchiやケンズカフェ東京など、20店舗以上が出店。有名ショコラティエが作るパンケーキやソフトクリームなど、ここだけでしか味わえないイベント限定商品も販売するといった具合である。もう一つの特徴が「LIMITED SHOP」という期間限定のショップで、その途切れることの無い出店である。つまり、小さな「変化」を発信する、そしてインキュベイトさせるそんな仕組みが当時から持っていた珍しいSCである。

そして、1990年代後半には、こうした最先端ファッションと共に生まれたのが「裏原」と呼ばれるファッションであった。「表」がメジャー・表通りであるのに対し、「裏」はマイナー・裏通りという構図である。前者は、例えば表参道にはシャネルを始め海外有名ファッションブランドの旗艦店が続々とオープンしたり、最近ではH&Mやフォーエバー21といったファストファッションの店も明治通沿いに並ぶ。そのかたわら、NIGOが神宮前四丁目にBAPEをオープンさせ、二丁目や三丁目界隈更にはキャットストリート(渋谷川跡)には新たなファッショントレンドの店が並び、「裏原宿」と呼ばれる一角が形成される。写真のショップはSevensであるが、70%もの商品は777円で収まるというティーンでも手が届く店も生まれる。次々と生まれる新しい芽、裏原宿一帯は「次」を産む、インキュベーション地帯となり、世界に発信する聖地となった。

しかし、2000年前後に生まれた裏原ファッション主にストリート系、ヒップホップ系のブランドは2000年代半ばにはその成長にかげりが見られるようになる。店がオープンする前に行列ができ、商品を並べると同時に売れていく、そうした「裏原」ファッションはブームという曲がり角を迎える。その最初の破綻が2000年に創業した「スワッガー」の自己破産であった。そして、更に曲がり角を広く知らしめたのが、2011年1月末に裏原宿系の人気ブランド「ア ベイシング エイプ」を手掛けるノーウェアが資金難から、セレクトショップを運営する香港企業に買収された一件であった。そして、ストリート系からトラッドへとテイストが変わっていくと。(日経ビジネスオンラインより)
「ブーム」は基本的には一過性で、渋谷109の代表的ブランドである「エゴイスト」の鬼頭社長にインタビューしたときも、この「一過性」の恐ろしさを指摘していた。そして、ブームは終わり裏原で育った若いデザイナーは次へと向かっているようだ。結果どのようなテイスト・スタイルのファッションが原宿に集積されたか、一言で言えば、ストリート系からファストファッションまでとなる。

・インポートスーパーブランド
・原宿アメカジ系
・裏原系
・セレクト系
・原宿ギャルスタイル系
・古着系
・ガーリースタイル
・ゴスロリ系
・ロック系などのハードファッション系
・不思議な世界観を持つ妖精系
・手作りファションを楽しむ手づくり系・リメイク系
・更にはファストファッションまで
上記は原宿ファッション大好き人間がネット上で整理してくれたものである。裏原のブームは終わったが、これだけ多岐にわたるファッションテイストが混在して成り立っている街は銀座にも、新宿にも、渋谷にも、勿論世界のどこを見てもない、原宿固有のファッション集積となっている。

2010年代に入り、それまでの表と裏の関係は混在しているというのが原宿の「今」の構図である。秋葉原・アキバもそうであるが、メジャーな出版会社や映画製作会社による書籍文化や映画文化に対し、マイナーなプロダクションによるコミックやアニメ。前者が「表」のカルチャーであるのに対し、後者が「裏」のカルチャーである。その「裏」カルチャーの代表作である「新世紀エヴァンゲリオン」が1995年に生まれ、今や「表」も「裏」もが集積する秋葉原・アキバになり、世界中からそのオタクとその予備軍たちを集める聖地になったことは周知の通りである。そうした意味で、原宿も混沌さはあるものの、その本質は表裏渾然とすることから生まれるエネルギーによって、新しい市場、新しい顧客層を獲得しつつあると言えるであろう。

□現代の新たな聖地
今から7年ほど前になるが、白米あきたこまちの包装に美少女イラストを起用してネット通販で売り出したことがあった。初めてということもあって、数ヶ月で2500件、30トンものあきたこまちが売れ、その萌え米誕生の地である、秋田県羽後町に若い男性が押し寄せ、マスメディアもその反響の大きさを報じたことがあった。その後、羽後町で生産される農作物に美少女イラストの包装がなされ販売されているが、その後の売れ行きはどうであろうか。実は売れたのは美少女イラストであって、あきたこまちではなかった。美少女イラストのオタク達が追跡したのがその聖地、誕生の地羽後町であった。ネット上という仮想現実世界からリアルな世界へとトレースする一種の聖地巡礼=実存という意味の確認であったということだ。
そして、聖地巡礼というキーワードでネット上を検索するとそのほとんどがアニメ誕生の地への巡礼となっている。そうした聖地を巡礼する若者の数は年間100万人に上るといわれ、地方都市に予期せぬ経済効果をもたらしている。そうした事例を確か3年ほど前にNHK「クローズアップ現代」がレポートしている。
虚構(アニメ)と現実(誕生の地)を行ったり来たり(巡礼)、どのように作られたのかという一種の推理ゲームのようなもので、アニメのもう一つの楽しみ方という見方もある。どのように作られていくのか、誕生の地で実感・共感していくことで、更に虚構の世界へと没頭していく、そうした楽しみ方ということである。

例えば、こうした楽しみ方は地方で売られているファッションも、誕生の地である裏原宿の本店で売られている同じファッションとは異なるものとなる、誕生の地を体験実感することでファッションもまた変わってくるということである。写真は3月の春休みの竹下通りの雑踏ぶりである。前回レポートした上野アメ横の年末の雑踏以上の凄まじさである。その多くは女子小中学生であったが、付き添いの両親とおぼしき40代の男女も多く見られた。
また、ビジネスのグローバル化に伴い多くの外国人が日本での仕事を選び訪日している。その多くがアニメなどクールジャパンの影響を受けており、日本に職を求めるのも、そうした誕生の地での職場という一種の「聖地」巡礼と言えなくはない。こうした訪日外国人の多くは日本の精神文化へのあこがれによるものであり、その結果オタク化した多くの外国人が日本のビジネスに携わる、あるいは日本で生活するようになる。つまり、日本が聖地になるということである。(後半へ続く)  


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2015年05月03日

心が見える関係へ 

ヒット商品応援団日記No612(毎週更新) 2015.5.3.

5月1日総務省から3月度の家計調査(速報)が発表された。誰もが予測していたように昨年3月の膨れ上がった駆け込み需要と比較し、実質10.6%の減少。その主要な内容を見ていくと、駆け込み需要の主要商品の一つであった家具や家庭電化製品は-39.6%となり12ヶ月連続の実質減少となっている。こうした駆け込み需要の反動もあるが、一番気になるのが教養娯楽への支出で14.0%の減少となっており、これも12ヶ月連続の実質減少となっている。更に見ていくと自動車購入やガソリンなどの関係の支出が家計支出全体の減少に大きくはたらいていることだ。そして、縮小する消費の背景となっているのが世帯実収入であるが、これも予測通り0.3%の減少で18ヶ月連続の実質減少となっている。そして、消費者物価指数は数字で表現するまでもなく、消費を控えさせる水準にまで上がっている。つまり、消費の低迷状態はこの1年間ほとんど変わることなく、縮小のまま推移してきたということである。

ところで地方創生のための交付金として地域消費喚起などに2500億円。話題となった鳥取県のプレミアム宿泊券のようないわゆる官製販売促進である。同じように徳島県では「おどる宝島!とくしま旅行券」も実質半額で泊まれるものでこれも完売となっている。全国1700を超える自治体が似たり寄ったりの商品券を発行している。こうした商品券は以前にも行われたことがあったが、プレミアムというお得感が当時は10%程度でその率が少なく効果はほとんどなかったことから、今回は半額といった「お得」をエスカレートさせて注目を浴びているが、それらは瞬間的なパフォーマンスにすぎない。問題は継続させる抜本的な施策が不可欠であるが、継続・定着を促す施策は聞いたことがない。

この3月後半から4月上旬にかけてティーンの聖地原宿竹下通りとおばあちゃんの原宿巣鴨とげぬき地蔵尊を何回か歩いたが、竹下通りの集客数は年末の上野アメ横と同じ光景を呈していた。雑踏というよりすしずめの満員電車のようで、その観光地化の成功事例を目の当たりにした。これは次回の「未来塾」でレポートするが、巣鴨は別として、原宿にもかなりの訪日外国人が訪れていた。桜観光が中心で、原宿には少ないと勝手に思っていたが、ファッションもクールジャパンという日本の精神文化の嫡子、サブカルチャーの一つであると彼らは考えており、すでに定着化が始まっていると思われる。若いティーンに混ざって、年齢を重ねた外国人がいると、少しの違和感を感じるが、これもまた時間経過とともに当たり前の光景になってくる。こうした訪日外国人を地方に呼び込もうとしているが、それほど簡単なことではない。都市部の百貨店は訪日外国人、特に中国人観光客によって「一息」ついているが、これも4~5年前から準備体制を整えてきた結果であり、サプライズだけの地方創生メニューでは不可能である。にわか免税店を考える前に、自らの持つコンテンツがどうであるか今一度見直すことから始めることをお勧めする。

このGW連休中首都圏では多くのイベントが開催されている。特に、「食」に関するイベントに多くの人が集まっているようだ。 B-1グランプリから始まったフードイベントは、ラーメン、ご当地の食フェス、最近では3年目を迎える「肉フェス」に注目が集まっている。第1回目の駒沢オリンピック公園では約29万人、2回目の国営昭和記念公園では約42万人を動員し、国内最大級のフードイベントとなった。今年は東京・千葉・神奈川の3カ所で同時開催となり、動員数も更に増えることが想定されている。
また、同じ「食」であるが、数年前からBBQ(バーベキュー)が人気となり、何も持たずにファミリーやグループで楽しむといった傾向が強く出ている。以前は河川敷やキャンプ場が中心であったが、数年前から東京台場周辺の公園やホテルや施設の屋上がBBQ会場となり、仕事帰りのBBQが一つのスタイルとなり、その裾野が広がっている。消費が縮小するなかにあっても、こうした小さな楽しみには積極的な行動を起こしている。

私のブログのテーマに「食」に関するものが多いが、これはライフスタイル変化や消費価値観の変化が一番出やすいのが「食」であり、「日常」であることからいきおいこうしたテーマが多い。例えば、苦戦している、いや危機的状況にあるマクドナルドについてかなり多く書いてきたが、そのマクドナルドから離れていった顧客はどんな顧客でどんな消費移動を見せているかである。正確な調査結果に基づいたものではないが、子供を含めたファミリーに力を入れ始めたファミレスや「食」の完成度の高いコンビニに移動しているようだ。つまり、2007年12月の中国冷凍餃子事件以降、「食」の安全が消費の大前提となり、その先には「子供」や「家族」がいるということである。このことに気づかない限りマクドナルドの再生はあり得ない。逆に、「子供」への安全、健康といった世界でどれだけ貢献できるかが課題であるということだ。このことは子供向けの商品メニューの開発に留まらず、例えば子供たちの健康を考えた「肥満」対策としてのメニュー開発や管理栄養士による日常の食生活の相談や提案など。子供だけではないが、米国の食品スーパーでは新たなサービス貢献として管理栄養士が売り場に配置しているスーパーも出てきたように。
周知の子供への教育をテーマとしたあのベネッセが顧客情報を流出させた事件後どんな変化となったか。先日あのマクドナルドの元会長でベネッセの経営リーダーである原田氏が記者会見に臨み、今年3月期の決算予測の発表があった。会員数は25%減少し、上場後初の赤字転落でリストラを加速させるという。そして、顧客名簿の流出の根っこにあるのが、販促策としてのDMであるが、こうした「量」にシフトしたマーケティングこそが問われていると自省しなければならないのだが。

通販ビジネスは「顔が見えない者同士」のビジネスである。「見えない」関係であればこそ、見えるように見えるようにすべきであってDMの量の問題ではない。よく顔が見える関係というが、心が見える関係こそが目標なのだ。そんなことをしていたら経済効率が悪いと指摘する人もいるかと思う。しかし、「危機」を超えるにはこうした方法しかない。しかも、前述のように消費は縮小したままである。
例えば、エブリデーロープライスを掲げる世界最大の米国ウオルマートを見に行かなくても、日本にあるOK(オーケー)というスーパーに行けば全てが分かると言われている。そのOKでは何故安いのか、何故高いのか、明確に店頭表現するオネスト(正直)コンセプトを徹底させている。安さだけでなく、この誠実さ、真摯さに共感・納得するから顧客支持を得て成長しているのだ。信用は、提供する企業・店が顧客を信じることからしか始まらない。その努力の結果が信用への入り口となる。顔が見える関係から、心が見える関係へと1歩踏み出すことである。
こうした企業は他にもいくらでもある。通販生活のカタログハウスでは、顧客からの問い合わせに対し、「お客様窓口」などとは言わず、「お便りありがとう室」としている。お問い合わせいただきありがとうございますという意味だ。今も継続しているかわからないが、いただいたお便りに対しては直筆で返事を書くという。あるいは九州にある皇潤というヒアルロン酸を販売しているエバーライフという通販企業がある。この企業ではシニアの悩みを聞くことが全てであると考えており、顧客は電話オペレータを指名することができる。つまり、電話オペレータ担当制を敷いている。人件費といった経済効率を考えたら「担当制」という発想は出て来ない。
マクドナルドも、ベネッセも、あるいは低迷する企業も、消費が縮小しているこの時にこそ、創業期がそうであったように、「心が見える関係」へと原点に帰ることだ。(続く)  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:04Comments(0)新市場創造