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「人力経営」という本を書きました。ヒット商品の裏に潜んでいる「人」がテーマです。取材先はダスキン、エゴイスト、野の葡萄、叶匠寿庵、桑野造船の経営リーダー。ユニーク、常識はずれ、そこまでやるのか、とにかく面白い経営です。星雲社刊、735円、新書判。

2016年06月27日

EU離脱ショック考 

ヒット商品応援団日記No651(毎週更新) 2016.6.27.

6月23日国民投票によって英国のEUからの離脱が決まった。その芽は以前からフランスにも見られたし、ドイツにもあった。「移民」を入り口にEUという国境なき市場統合のあり方に、Noという答えが国民投票によって明らかになった。英国をよく知るアナリストは今回のEU離脱は「経済」と「感情」の選択であったと指摘している。誰の目にもEU残留の方が経済としての恩恵を受けることは明白である。しかし、英国の情報を持たない、マスメディアも報道しない日本にあっては、その経済の恩恵を受けているのは金融立国であるその象徴のシティに働く一部の人達であり、多くのイングランド市民にとっては移民による雇用の喪失であり、公的サービスの低下となって映る。そうしたEUへの不満も「移民」問題の背景をつくっていいるようだ。勿論、キャメロン首相の不人気も含まれることは言うまでもない。
結果、2度の世界大戦の愚を犯したくないとした欧州の統合はその理念を元に拡大してきたが、経済という「グローバル化」ではなく、「ブリティシュファースト」という感情的なスローガンに表れているように、それまでの主権を取り戻す、過去の大英帝国の復活を望むというのが答えであった。保守、いやナショナリズム、復古主義、感情的ではあるがそこには明確な価値観が存在している。目に見える形となったグローバリズムへの逆襲である。そして、その逆襲の中心には中高年世代がいることは言うまでもない。

このEU離脱によってどんな経済・外交に変化を及ぼすのか、円高・株安といった変化については新聞報道などで説明されているので、ここで取り上げるつもりはない。しかも、2008年のリーマンショック、さらには小さいとはいえ株バブルが崩壊したチャイナショックを経験しており、日本の景気に及ぼす影響についてはほぼ想定できる。そして、EU離脱によって、どんな変化が生活者の消費生活に出てくるかは6か月後あたりから取り上げてみたい。
問題なのは、EU加盟各国が感じていることだと思うが、人種も、言語文化も、ライフスタイルといった考えや価値観までもが異なる「統合」の難しさである。
日本の場合、地政学的にも四方を海に囲まれ、自由に行き来してきた国である。ある意味「統合」という概念にはない国である。そして、島国であればこそ、周囲の国々の変化に多大な影響を受ける。例えば、バブル崩壊後の20数年では、安いコストの中国に工場を移転させることによって国内の産業空洞化を生み出したり、数年前からは中国における生産コストが上昇すればベトナムやミャンマーへと移転を考えるといった具合である。
今後の離脱交渉がどのように進んでいくのかわからないが、日本はEUとの貿易協定EPAや、さらにはTPPなど単一国同士の経済圏ではなく、エリア単位での経済圏という新たば統合に向かってきた。しかし、米国大統領予備選においても、民主・共和両党の候補者二人共TPPには反対である。グローバル化という潮流には不確定要素が増し、日本もその不確定の渦の中にあることだけは事実であろう。

ところで、今回のEU離脱のキーワードの一つとなっている「移民」についてであるが、日本の場合は基本的には国策として受け入れてはこなかった。ベトナム戦争による難民を始め少数の政治難民のみを日本は受け入れてきた。しかし、未来塾の「エスニックタウンTOKYO」において指摘したように、多くの国籍を持つ人たちが、特に東京に住み生活をしている。詳しくはお読みいただきたいが、多様な民族のコミュニティが首都圏にいくつも分布し、まさにエスニックタウンと化している。
新宿大久保はコリアンタウンとして有名であるが、韓流ブームの衰退とともにイスラムの国々の人たちが住み、生活をし、そこをイスラム横丁と呼ぶような場所も生まれている。また、池袋西口には新華僑と呼ばれる若い中国人が新しいチャイナタウンをつくり、横浜とは異なる街づくりを進めている。他にも高田馬場・ミャンマー、西葛西・インド、錦糸町・タイ、蒲田・ベトナム、・・・・・・・多くの外国人コミュニティが数千名単位でつくられている。そして、注目すべきは2010年12月末時点では中国・台湾両地域合わせて687,156人が外国人登録されており、これは565,989人の在日韓国・朝鮮人を超える規模となった。そして、在日中国人は東京が最も多く164,201人となっている。東京は観光目的の訪日外国人の街だけでなく、既にエスニックタウンTOKYOとなっているということである。

こうした外国人コミュニティと周辺の日本人住民との間には当然生活の場において衝突も生まれる。それは日常のことからで、ゴミ出しや騒音といった生活上のルールやマナーについてである。しかし、そうしたことも対話の継続によって多くは解消してきている。「寛容」という言葉があるが、日本の場合際立つ形での衝突は表には出てきてはいない。しかし、英国がそうであったように、心の奥底では寛容でありたいとは思うものの、どこかで反発する、あるいは嫌悪する気持ちを残している。そうしたことの中に、一部ではあるが「ヘイトスピーチ」のようなデモも社会問題として表へと出てきている。
しかし、日本の場合総じて外国人の受け入れには寛容である。その寛容さは、やはり東京の誕生、江戸時代からのものであろう。周知のように政治都市江戸の人口構成は、古くから住む人は全体の5%程度で、武士は50%程度であった。他の地域では武士は10%であったことを考えると、江戸に於ける武士がいかに多くいたかがわかる。しかも、単身赴任者がほとんどで今日でいうコンビニのような損料屋というレンタル専門ビジネスが流行っていた。そして、全国から集まる武士は北は津軽から南は薩摩まで、ほとんどの言語が方言であり、会話はボディランゲージまじりといった具合で、ある意味寄せ集め人間の雑居都市・国際都市でもあった。こうした消費都市である江戸の豊かさを求めて、武士以外も江戸へ集まり、最初は40万人ほどの人口は130万人まで膨れ上がる。当時の国際都市パリをしのぐ巨大都市であった。幕府は人返令を定めるが、それでも多くの民衆が江戸にやってくるのだが、江戸の町人達は「来る人拒まず」で、町役人は仕事がなければ世話をし、長屋にも住まわせたと言われている。
こうした互助の精神、寛容さが東京には残っている。以来、いくつもの大きな変化を経て「今」があるのだが、今回のEU離脱に見られた感情的な「移民」感覚とは少し異なる受け止め方であろう。勿論、株式投資や金融関連ビジネスに従事している人たちや企業、あるいはEIとの輸出入ビジネスにとってはショックではあるが、それが多くの日本人の日常の消費生活に及ぶにはまだまだ時間がかかるということだ。(続く)
  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:05Comments(0)新市場創造

2016年06月19日

転がる石

ヒット商品応援団日記No650(毎週更新) 2016.6.19.

タイトルの「転がる石」は、2002年阿久悠が作詞し石川さゆりが歌った曲である。
歌い始めには、十五は胸を患って、咳き込むたびに、血を吐いた、・・・・・という少々おどろおどろしい詞であるが、阿久悠には同名の小説があり、自伝的な内容となっている。胸を患って生き方を変えざるを得なくなった高校時代から、上京し、大学から広告代理店時代へ、そして放送作家から最初の詞を書くまでの小説である。その小説の中で口ずさむ歌として、

転がる石はどこへ行く、
転がる石は坂まかせ、
どうせ転げていくのなら、
親の知らない遠い場所・・・・・

その小説のフレーズを元にしたのが「転がる石」である。この曲を石川さゆりが歌う30年近く前に、あの大ヒット曲「津軽海峡・冬景色」を18歳の少女であった石川さゆりに歌わせている。「転がる石」は阿久悠の晩年の作詞である。自分も転がる人生であったし、転がることを嫌がって、立場や過去に囚われてしまったら、苔むす石になってしまう、後年自分も石川さゆりも転がり続けてきたと語っていた。

なぜ「転がる石」を思い出したかというと、今回の舛添狂騒劇の渦中の人物舛添要一は最後の最後まで違法ではなかったと非を認めず、しかも都民に向き合い謝罪することなく、6月21日をもって都知事を辞したというまさに転がる石となったことにある。恐らく、9月までは守ってくれりであろうと思っていた自民党から不信任案へと舵を切ったこと、はしごを下されたと指摘した政治ジャーナリストがいたが、舛添要一本人にとっては無念のうちに都庁を去り、坂を転げることになったということであろう。ジャーナリスト田原総一郎氏はそんな様を過剰なまでの自信によるものだと喝破したが、結果としては「転がる石」となった。しかし、前回のブログにも書いたが、TVによる虚像としての「舛添要一」ではなく、TVカメラの向こう側にいる都民にその実像としての舛添要一を見せて欲しかったと思う。

「転がる石」と言えばもう一人いる。それはあの清原和博である。覚せい剤取締法違反については「思い起こせ、甲子園の詩を」にも書いたのでその「転がる石」の経緯についてはここでは書かない。ただ裁判においてハマの大魔神佐々木主浩氏が情状証人として出廷し、清原和博との出会いなど「友人」としての思いを述べていた。そして、一緒に野球を通じた更生の道を探っていきたいとも。恐らく、共に野球をやってきた仲間の一人である桑田真澄氏も同様であろう。

ところでこうした「仲間」「友人」とのエピソードは誰にでも持っているはずであろう。例えば、そんな事例の一つとして、1970年代フォークのカリスマと呼ばれ一時代を築いた吉田拓郎にも「転がる石」はあった。アマチュアバンドからインディーズレーベルの契約社員へ、そして1972年CBSソニーに移籍し「結婚しようよ」が大ヒットする。1974年度の納税分では、歌手部門にフォークシンガーとして井上陽水とともに初のランク入りとなる。しかし、その後周知のように仲間と共に立ち上げ所属するフォーライフは大赤字となり、解散へと向かう。そして、吉田拓郎は曲を書けなくなるのだが、1970年代から交流のあった中島みゆきから『永遠の嘘をついてくれ』という曲が提供される。その時のエピソードだが、これ以上曲は書けないという拓郎に対し、一つだけ条件をつけ、これからも曲を書きミュージシャンとしてやってくれるならと、作詞作曲したと言われている。どこまで本当かわからないが、2006年9月の嬬恋コンサートで特別ゲストとして中島みゆきがこの『永遠の嘘をついてくれ』を拓郎と歌っていたが、これも「仲間」であればこその世界で、拓郎フアンもみゆきフアンもよく知られたエピソードである。

「転がる石」の意味合いを阿久悠は次のように「甲子園の歌 敗れざる君たちへ」(幻戯書房刊)で書いている。

『人は誰も、心の中に多くの石を持っている。そして、出来ることなら、そのどれをも磨き上げたいと思っている。しかし、一つか二つ、人生の節目に懸命に磨き上げるのがやっとで、多くは、光沢のない石のまま持ちつづけるのである。高校野球の楽しみは、この心の中の石を、二つも三つも、あるいは全部を磨き上げたと思える少年を発見することにある。今年も、何十人もの少年が、ピカピカに磨き上げて、堂々と去って行った。たとえ、敗者であってもだ。』

これが勝者のみならず、いや転がる石となった敗者であればこそである。清原和博の場合、野球を通じた「友人」がいて、吉田拓郎にも中島みゆきがいるが、舛添要一にはそんな「友人」はいるのであろうか。30年来の付き合いであり、「朝まで生テレビ」に登場させた田原総一朗氏はインタビューに、そんな友人がいるとは聞いたことがないと答えていた。しかし、舛添要一が転がることを止め、苔むすことはないと思う。清原和博は麻薬から更生し、好きな野球を通じ、少年野球を目標に貢献してくれるであろう。吉田拓郎もその後肺がんになる迄音楽活動を続けてきた。舛添要一がどんな転がりを見せるか、まずは身近にいる支援者へのお詫び行脚から始めると思うが、もし政治家としての道を再び歩むこととなれば、出版とか、インタビュー記事などではなく、記者会見で都民に向かって直接自分の言葉で疑惑の説明更には「次」の坂道を話してほしい。(続く)
  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:45Comments(0)新市場創造

2016年06月17日

舛添狂騒劇 

ヒット商品応援団日記No649(毎週更新) 2016.6.17.

3週間ほど前のブログ「劇場型政治の変容 」で舛添都知事の政治資金私的流用疑惑問題等について取り上げた。その後記者との定例会見や都議会での追求が続けられ、自ら辞職するという形で第二幕が終わった。今回の政治劇場の変容は前回のブログで指摘通り、第二幕においても従来の劇場の配役とは逆で、主役は舛添都知事ではなく、物言うマジョリティ・都民であった。脇役は舛添都知事他都議会議員や政治アナリストや記者たちという構図である。政治の裏側についてはまるでわからない私であるが、辞職を促したのは物言うマジョリティであり、その存在を一番知っており、参院選への多大な影響を考えて最後の引導を渡したのは「官邸」(自民党本部)であったと思う。新聞紙上において、今回の舛添疑惑によって現政権の票数をどれだけ落としかねないか試算事例が載っていたが、選挙のプロではない私が考えても現政権与党の票、特に比例区の票がかなり減るであろうことは容易に推測できる。

メディアサーカスという言葉がある。過熱報道、集中報道といった意味合いの言葉である。舛添都知事に関する疑惑は東京ローカルの問題にもかかわらず、週末の舛添都知事との記者会見は民放各局はその模様を全国ネットでライブ中継するという異常なまでの報道であった。コミュニケーションの専門家であれば熟知していることだが、こうしたニュースが全国にわたって微に入り細に入り繰り返し伝えられ、一大狂騒劇と化した。
その舛添要一という人物についてであるが、「朝まで生テレビ」に颯爽と登場し、舌鋒鋭く多くの論客を圧倒した。以後政治家になり、母親を介護し、厚労大臣にまで上りつめる。そして、次の総理候補としてもてはやされた。それら人物像はTVによって創られたイメージの高さによってであり、「政治とカネ」の問題で辞職した猪瀬前都知事に代わって、大きな「期待」を持って誕生した都知事であった。しかし、TVによって創られたいわば「人気者」は、繰り返し、繰り返し、謝罪の言葉は言うものの、違法ではないもののその公私混同の「セコさ」や「屁理屈」が伝えられるとどうなるか。謝罪は本気でも本音でもなく、「嘘」と感じさせてしまう。当然「期待」は失望どころか、一気に「怒り」へと変容する。
物言うマジョリティの怒りは、抗議や批判の声として都庁へと4万件以上寄せられ、さらには舛添都知事が疑惑の精査を依頼した「第三者」の弁護士事務所には会見後非難の電話が殺到し、電話回線がパンクし、つまり炎上する事態にまで至った。どこまでかはわからないが、舛添都知事誕生を支援した与党自民党議員事務所には支持者からの「なんとかしろ」といった叱責が多数寄せられたと言われている。記者会見や議会での答弁を重ねれば重ねるほど、怒りは増幅し、狂騒劇となった。

TVによって創られた「人気者」は、TVを通じたマジョリティの「物言う力」によって辞職へと追い込まれることとなった。情報の時代にあっては、TVによっていとも簡単に「人気者」を創ってしまう。多くのタレントが間違ってしまうのは、自分の才能(タレント)によって人気者になったと錯覚してしまう。人気者はTVという増幅する「映写機」によって映し出された虚像であって、実像ではない。今回もそうした自覚を無くした結果としてある。不倫疑惑騒動のベッキーも、舛添都知事もそうした意味では同じ構図である。本来目指すべきは実像としての人気者である。TVが映し出す世界には、虚像としての世界も含まれるという自覚の無さが起因しており、さらにはTVというメディアを意図的に自由に使えるという「思い上がり」があったと思う。そのTVはつぶさにセコさや小狡さ、あるいは違法でなければ何をやっても、そんな実像を映し出した。逆にメディアに復讐されたと言っても過言ではない。
また物言うマジョリティの行動についてビジネスに置き換えると、「ブーム」という一過性の現象とよく似ている社会心理が見られる。一つの情報による潮流、話題となったことに自らも乗ること、若い世代の言葉で言うと、「KY・空気読めない」そんな一人にはなりたくない、一種の仲間内の自己保身本能に似ている、そんな現象も怒りの中には見られた。例えば、それら心理は批判としての怒りなどではなく、いわゆるネット社会における「パッシング」と同じで、感情的でさらには面白がるといった単なる野次馬的現象である。特にTVのバラエティ番組においては舛添都知事を「笑いもの」にして楽しむといった光景が数多く見られた。実はそうした「危うさ」をはらんだ第二幕であった。

さてこの劇場の第三幕はどうなるか。残念ながら、「集中審議」も「百条委員会」も開催されることなく舞台に上がった「疑惑」は解明されることなく次の幕へと移りそうだ。つまり、時間経過と共にうやむやのうちに終えていくであろう。しかし、辞職と引き換えに終わらせることには納得できないとする物言うマジョリティは多い。疑惑の解明、その説明まではできないにせよ、舛添都知事は記者会見を通じ、これまでの「いたらなさ」を都民に向かって詫びることが必要であろう。最後の最後、そんな本音が少しでも伝わる記者会見であったら、政治家舛添要一の「次」はあり得るかと思う。しかし、その「次」を自ら閉ざしてしまった感がしてならない。そして、残念ながら主役となったマジョリティ・都民は再び沈黙のマジョリティに戻り、「人気者」ではない人物を新しい都知事にする方向へと向かうであろう。
東京という選挙区は江戸時代からそうであるように、全国から集まったいわば寄せ集め雑居都市である。そうであるが故に、「知名度」のある候補者が選ばれてきた。しかし、こうしたTVによって創られた知名度の欠陥がまたしても露呈した訳だ。今回の学習を踏まえ、従来から指摘されてきた成熟した市民へと成長しなければならないということである。

そして、「物言う」とは、当然「言いぱなし」ではなく、責任を伴わなければならない。ましてや舛添都知事を選んだのは都民自身であり、その責任でもある。インターネットが普及した当初、そのネット上の匿名性が問題となり、今またその不特定多数としての都民・マジョリティの物言う責任の荷い方が問われている。今回について言うならば、「次」の都知事の選択、どんな「物言う」こととするのかが問われているということである。具体的には第三幕は「次」の新都知事だけでなく、「政治とカネ」その根幹となっているザル法の政治資金規正法をどうすべきか、そうした課題に一人一人が向き合って「物言う」市民になるということである。具体的には参院選の候補者の選択基準の一つにこの政治資金規正法の改正をも含めるということである。また、新都知事によって残された疑惑の解明を引き続き取り組むことも必要であろう。さらにはチェック機能を果たすべき都議会が機能してこなかったことを含め、来年行われる都議会選挙においても選挙を通じ「物言う」ことが必要となる。そして、今回の狂騒劇は、政治家に対し、物言うマジョリティの力をまざまざと見せつけたことになった。舛添都知事と同じようなことをしたら、同じように結末が待っているということである。
そして、狂騒劇となった第二幕を終え、第三幕は物言う怒りのマジョリティから「物言う市民」へと成長する、そんなフェーズへと少しづつ向かikuであろう。(続く)
  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:16Comments(0)新市場創造

2016年06月10日

2016年上期ヒット商品番付を読み解く 

ヒット商品応援団日記No648(毎週更新) 2016.6.10.

日経MJによる2016年のヒット商品番付が発表された。消費増税が再先送りされたように消費には見るべきものはないので、日経MJも番付を作るのに苦労したと思う。デフレ脱却どころか家計の支出を抑えたまさにデフレを表す消費となっており、アベノミクスならぬ「安値ミクス」としている。以下その主だった番付である。

東横綱 安値ミクス、 西横綱 マイナス金利特需
東大関 バスタ新宿、  西大関 伊勢志摩・広島
関脇 民泊、 関脇 AI(人工知能)
小結 北の新幹線、  小結 京都鉄道博物館

東横綱の「安値ミクス」とは再び「安い」価格帯への復活をミックスさせるという意味である。その代表的な「安値ミクス」のヒット事例として牛丼の吉野家における豚丼の復活とユニクロにおける中価格帯ラインへの値上げ失敗を挙げている。私はすでに4月10日のブログ「既に日常化しているデフレ」というタイトルで取り上げ、次のように書いている。

『あの牛丼の吉野家が豚丼を4年ぶりに復活させたことである。価格は4年前と同じの税込330円だ。これは牛丼よりも50円安く設定されている。現在は復活キャンペーンとして300円となっており、外食離れが進む中での明確なデフレ戦略としてある。つまり、客単価志向ではなく、客数志向で、ユニクロと同じで価格を下げる戦略を採ったということだ。というのも豚丼が誕生した背景にはBSE問題の影響で牛丼を提供することが出来なくなったことによる。ある意味で、豚丼は窮地に陥った吉野家の救世主で、吉野家フアンであれば周知のことである。』

このデフレ戦略によって豚丼は2か月間で1000万食の売り上げとなり、年間目標の50%を達成したという。吉野家の窮地を救った救世主となった。

そして、ユニクロについては
『デフレの騎手の一社であるユニクロを展開するファーストリテイリングで、柳井会長がテレビ東京WBSのインタビューに、記者会見で発表した今年2月の中間連結決算の大幅減益の理由に答えていた。純利益が1年前と比べ55.1%減り、470億円と大幅に落ち込み、その純利益の減少は、中間期としては5年ぶりとのこと。柳井会長は、円安や原材料価格の高騰を背景に秋冬商品の通常価格を高く設定したことが業績の不振につながったとし、今後は、通常価格を低く抑える方針を明らかにした。少し短絡的に言うならば、高めの価格設定が顧客支持を得なかったということである。そして、インタビューの最後にユニクロも大企業病にかかっているとも付け加えていた。』

こうしたユニクロの現状に対し、しまむらやディスカウントショップが好調であることは言うまでもないことである。
デフレの御三家といえば残るは日本マクドナルドであるが、周知のように今年に入り「既存店売り上げの復活」となっている。これについても他のブログにも書いたが、赤字続きのマクドナルドにおける赤字店舗の閉鎖による効果によってである。上場時から2015年度までに900店舗以上もの店舗閉鎖によるもので、そしてメニューについても定番であるビッグマックのデラックス版は200円バーガーの導入といった原点回帰としてのデフレ型メニューの導入も功を奏しているということである。
このようにデフレの御三家に見られるように、何によって顧客支持を得てきたのか、原点に立ち返ったということだ。

また、同じような意味における消費傾向の一つが西横綱の「マイナス金利特需」である。この背景を単純化するとすれば金利が安くなることによる住宅ローンなどの借り換え需要で、より「安い」金利への移動である。格安スマホと同様、より「お得な」商品やサービスへと向かっている、まさにこれもデフレを象徴するヒット商品である。
少し余談になるが、このマイナス金利を含めた日銀の金融政策についてであるが、数日前日経新聞によれば最大手銀行である三菱東京UFJが国債の入札における特別資格の返上に向かったと報じた。少し短絡的になるが、メガバンクが国債の引き受け手(買い手)から、売り手に回ったということである。周知のように日銀は超金融緩和策として自ら国債の買い手に回り、市場へとお金をジャブジャブにしてきた。そして、国債の保有残高の多くは日銀となり、すでに30%を優に超えている。このまま新規国債を発行し続けるとすれば、2020年頃には日銀による国債保有は50%近くになり、国債の流動性が失われ、硬直化し、今まで低下する一方だった金利が上昇に転じ、国債を保有する金融機関に含み損が生じるおそれが生まれる。結果どうなるか、中小の金融機関は破綻し、さらに日銀がコントロールできないインフレが起きると指摘する専門家もいる。そして、国債は大量に売られる・・・・・それをまた日銀が買い支える・・・・・・・つまり「悪夢」が目の前に差し迫っていると、少数ながら指摘するエコノミストもいる。私は金融のプロではないので、そのリスクの本質は言い当てられないが、「マイナス金利」による「お得」に走ることだけを指摘するのは安易すぎる気がしてならない。三菱東京UFJの資格返上は、今すぐということではないが、国債の金利上昇という悪夢を予測しての行動ではないか、そんな感がしてならない。

ところで東大関の「バスタ新宿」であるが新宿西口にあった地方とのバス路線の発着場所を新宿駅南口に新たなターミナルビルに集約したもので、利用者にとってはわかりやすく使いやすくなったものである。また、西大関の「伊勢志摩・広島」は、周知のサミット&オバマ大統領の広島訪問である。ともに一定の話題にはなったが、大関といったヒット商品とは言いがたいものである。
同じように関脇の「民泊」も AI(人工知能)も、さらには小結の「北の新幹線」、  「京都鉄道博物館」も番付に入るようなヒット商品ではない。特に、「北の新幹線」新青森-新函館北斗間開業の結果であるが、予約率は開業3日間の平均乗車率は43%と低調。GWの予約率は29%とこれまた低調となっている。北海道新幹線の課題については開業前から運行本数や停車駅の少なさ、あるいは東京乗り入れが飽和状態、といった多様な課題があり、JR北海道の2016年度の経営計画の発表のように111億円の収入に対して支出は160億円、差し引き49億円程度の赤字になると試算している。もちろん、収益改善に対し頑張って欲しいとは思うが、小結にランクするようなヒットではない。同じ鉄道事業の一つであるJR西日本による「京都鉄道博物館」も注目されたオープンではあるが、小結とはこれまた言いがたい。150~200万とも言われる鉄道フアンによるもので、そのコアとなっているのが「鉄ちゃん」と言われるオタクである。このオタクはより専門的な「好き」に分化し、今やファミリーへと広がりを見せ、こうした背景からである。つまり、2016年上期にはヒット商品はほとんど無く、原点回帰としてのデフレ潮流の商品やサービスのみがヒットしたということである。

以前何回か「街場」のヒット商品として、足元にあるヒット商品や人気店を取り上げてきた。その多くは「お得な価格」と「慣れ親しんだ世界、その中での「固有」といった日常における小さなヒット商品である。例えば、5年ほど前には高機能炊飯器が売れ、2年ほど前には無水鍋がヒットした。その延長線上には、今2万円ほどのトースターに注目が集まっている。外はカリッ、中はモチッといった食感を味わうトースターである。
マスコミ的には話題を終えているが、銀座の本格パン専門店「セントル ザ・ベーカリー」は今なお行列が絶えない。街場のパン専門店で言えば、焼きたてにこだわる千葉のピーターパンやツオップなども客足が途絶えることはない。身近な日常の中に小さなヒット商品が沢山生まれている。
そして、チェーン店が衰退の兆候を見せている中で、大阪の「鯖や」という鯖すしや鯖惣菜などの製造販売を行っている会社であるが、その飲食業態「SABAR」が急成長している。青森の「八戸沖さば」にこだわった「鯖オタク」で、その調理法もさることながら輸送を含めた冷蔵・冷凍技術の成果でもある。今から、10数年前にもいかの活き造りをメインにした活魚居酒屋が流行ったことがあったが、さばの新しい魅力を引き出し、ありそうでなかった専門店として確立させたことが成長の源となっている。この「ありそうでなかったもの」という日常、足元への着眼がヒットにつながっているということだ。(続く)
  


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