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ヒット商品応援団
「人力経営」という本を書きました。ヒット商品の裏に潜んでいる「人」がテーマです。取材先はダスキン、エゴイスト、野の葡萄、叶匠寿庵、桑野造船の経営リーダー。ユニーク、常識はずれ、そこまでやるのか、とにかく面白い経営です。星雲社刊、735円、新書判。

2008年06月29日

2008年上期ヒット商品を読み解く

ヒット商品応援団日記No278(毎週2回更新)  2008.6.29.

先週好きな沖縄に行っていたので書くことができなかったが、6月18日付日経MJ「2008年上期ヒット商品番付」を私流に読み解いてみたい。日経MJがキーワード「守るが価値」で指摘しているように、自己防衛市場へと急速に進んでいる。東西の横綱にはイオンやセブン&アイによるPB商品と糖質ゼロの発泡酒。財布にも身体にもやさしい商品といえるであろう。メタボ対策、価格が手頃、エコロジーにも役立つ、そんな商品ばかりが上位を占めている。東の大関には「5万円ノートPC」、東の小結には「電球型蛍光灯」、西の小結には「シャワークリーンスーツ(こなか)」、東の前頭には「三井アウトレットパーク入間」。

値上げをしたNB商品に代わって、PB商品へと消費移動が起こり、イオンのトップバリューの袋めんは5月の前年同月比6倍、カップ麺は2倍になったと報じている。沖縄からの帰り、東京は東急田園都市線用賀駅に降りたところ、周辺の道路は車がひしめき合って大渋滞であった。その原因はOKストア用賀店であるのだが、エブリデーロープライスを求めた顧客が殺到していた。価格という境界線を跨いだ、商品ばかりか流通にまで大きな「消費移動」が進んでいる。鳥取や沖縄によく行く私であるが、地方にはない価格競争市場を改めて実感する。ところで、「2008年上期ヒット商品番付」に表れている消費特徴を読み取ると次の2つになると思う。

1、大型・高額商品から、中小型・リーズナブル商品へ
多くの人が今年に入りメガ・ヒット商品がないと指摘しているが至極当然である。過去、薄型TVや自動車、ブランド商品といった商品が番付に入っていたが、今回は入っていない。国内においてはトヨタのレクサスが苦戦し、プリウスは順調。あるいは通常のPCが苦戦する中、ヒューレッドパッカードなどの5万円台ノートPCに人気が集まる、といった具合である。ブランド品は欲しいけれど、定価ではなく、アウトレットで購入するように、消費傾向というより、価格を境界線にした「消費移動」が起こっている。私が指摘してきたように、生半可な付加価値など幻想にすぎないということだ。

2、非日常型商品から、日常型商品へ
非日常型商品の代表というと、やはり海外旅行ということになる。今年の5月の連休は安・近・短というほとんどが国内中心で海外では中国などの近場。ガソリン価格高騰により、日常の休日ドライブですら減少傾向にある。今回の番付の最下位にJALの国内線ファーストクラス導入があるが、これも新幹線におけるグリーン車と同じで特別なことではない。そして、番付に入っているマラソングッズに代表されているようにほとんどが日常生活関連商品ばかりである。本来であれば中国旅行やホームシアターといった8月の北京オリンピック関連市場が活況を見せるのであるが、チベット問題や四川大地震という問題もあって、新たな市場は生まれてこない。別のキーワードで表現するならば、特別から普通へ、「普通が一番」ということだ。

このブログでも取り上げたが、中国製冷凍餃子事件あるいは食品偽装事件を踏まえ、家庭菜園やベランダ菜園がブームになって野菜の種子や苗木が飛ぶように売れている。自己防衛市場化とは、自ら生産し、加工調理するようなセルフスタイル化のことである。売れるのは素材と共に、スクーリングや周辺商品である教材や道具類となる。そして、ますます消費は内側へ小さな単位へと向かっていく。ヒット商品という言い方をするならば、マスメディアの知らないところで小さなヒットが生まれる、そんな市場構造へと変化していく。

ところで全漁連が7月15日に一斉休漁すると報じられた。原油価格高騰で赤字となり、このままだと経営できないという理由からだが、一種のストライキと私は理解している。つまり、水産業も農業と同様に国の支援を受けるための政治メッセージであろう。一方、この8月から物価の優等生といわれてきた鶏卵を10%程度値上げをするという。鳥インフルエンザから立ち直りかけた養鶏・鶏卵業界にとって輸入穀物の高騰は大きい。エネルギー政策、食料自給のための政策、共に国の無策といえばそれで終わってしまうが、そのつけは消費へとダイレクトにつながっている。電気・ガス料金の本格的な値上げが予定されており、住宅ローン金利も徐々に上がり、このまま値上げが続けば、停滞どころか完全な消費不況へと進む。27日の総務省の発表では、5月度の消費支出(除く住居等)は前年同月比3.9%、前月比2.8%の減少となっている。勤労者世帯収入はどうかというと、前年同月比0.6%の減少となっている。更には、完全失業者数は270万人となり、5年ぶりの大幅増加で、しかも男性失業者が増加し163万人になった。企業も生活者も心理面だけでなく、具体的現実そのものが収縮へと向かっている。

少し前に、ビジネス現場での打開策の一つとして「共同解決」というテーマで書いたことがあった。従来は企業間で個別であったものを「共同仕入れ」「共同開発」「共同物流」「共同販売」といった内容であったが、更に価格をテーマに踏み込んだコラボレーションが進む。1970年代の第一次・第二次オイルショックを乗り越えて産業の高度化が計られたが、今回の第三次オイルショックは「産業の複合化」を促している、と私は理解している。保有する資源を相互に活用し合う、人材や組織、工場施設、車両や配送施設、オフィスや店舗、更には技術やノウハウ、ブランド力に至まで、これらの価値を最大化させる試みである。ある意味所有価値から使用価値へと100%移行させることでもある。こうした試みは企業間だけでなく、生活者間でも行われ始めている。例えば、郊外団地では車は必需品であるが、1台の車を共同で利用(1時間600円)する試みが始まっている。あるいは2世帯家族の場合は、1台の車をうまく使い回すといった具合に。江戸時代のコンビニであった損料屋のように、物を借りるレンタルの仕組みは新たな分野へと広がるであろう。
もう一つの解決策は、少し前にOKストアを事例に挙げ「エブリデーロープライス」を実現した「無人化」という視点であろう。GSにおける無人給油スタンドだけでなく、工場はもとよりあらゆる小売業業態において省エネならぬ省人の可能性を追求することになる。但し、顧客の理解はもとより、機械やITに不得手な弱者に対する十分な配慮が必要であることはいうまでもない。
従来の区分や境界を超えて、行政と市民、大企業と中小企業、市民相互など、いかに使用価値を高めコストダウンできるか、結果環境にも弱者にも優しいか、この一点において複合化したコラボレーションが進むであろう。そのためには規制緩和も必要であるが、まずは許認可権を国から地方へ、現場へと移譲させることだ。既成・既存の縮小と併行して創造されるこうした試みに新しいビジネスの芽、ヒット商品の芽が生まれる。(続く)  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:41Comments(0)新市場創造

2008年06月25日

ランキングと格付け

ヒット商品応援団日記No277(毎週2回更新)  2008.6.25.

過剰な情報が行き交う世界にあって、どの情報を信用し使うことが一番目的にかなっているか、見極めることが難しい時代である。こうした中、判断する情報の一つがランキングや格付けだ。企業経営の各種情報から、就職先ブランドランキングや病院の格付け、あるいは好きなタレントランキングに至まで、あらゆる分野でランキングや格付けが行われている。そして、それらは全て情報としてある。情報と現実、情報と実体、これらの乖離が大きくなる時、競争を背景に偽装が生まれる。
このブログでもたびたび取り上げてきた偽装事件の多くは「情報偽装」で、内部告発がなければ今なお情報を信用し食べ続け、使い続けているであろう。偽装情報を食べていると言ってしまうこともできる。そして、ミートホープ社に続き、またしても飛騨牛の等級という格付け偽装疑惑が起きた。

江戸時代にもランキングが盛んで、大相撲の番付から、今でいう長者番付やミスコンのような花魁ランキングなんかも行われていた。ランキングには大きくは2種類あって、スタンダード・アンド・プワーズのような信頼の置ける格付けもなされていた。長者番付なんかの行事のところに「金比羅」とか「春日神社」等と書かれており、寄進先における寄進額のランキングに基づいた長者番付であることがわかるようになっていた。こうした一応格付けの理由を明らかにしたランキングには学者や絵師があった。もう一種類のランキングが趣味や仲間内の洒落で行う遊びとしてのランキングである。「ミシュランガイド東京2008」が発表されたが、周知のように既に「美味しいラーメン100選」とか、「行ってみたい隠れ宿」といった具合に、無数のガイド本やサイトが存在している。

先日、「本屋大賞」についてのTV番組を見て、そうだろうな思った。本好きのために読んでもらいたいと願って創った本屋さんが選んだ「本屋大賞」についてである。面白いことに、本屋さんが選んだランキング1位はそこそこ売れたが、2位以下はあまり売れない結果となったとのこと。しかも、オリコンが調査したところ、こうしたランキングをものさしとした購買層は年間わずか数冊しか買わない顧客であった。いわゆる本好きのリピーター顧客はランキングなど当てにしていないという結果だ。つまり、ランキング情報=話題となっているようだから、取り敢えず一度は読んでみよう、使ってみよう、食べてみようということである。結果、ランキング1位だけに集中することとなる。商品のライフサイクルが短くなった、一過的といわれる理由の一つで、情報消費市場の特徴だ。

それでもマーケッターは1位のみを目指し、多くの投資を行う。本という商品であれば、1冊1500〜2000円といったハードカバーではなく、買いやすい1000円未満の新書判となる。老舗飲食店では、夜の顧客が総体的に少なくなり、昼のランチに格安のメニューを出し、夜の顧客増につなげようとする商売が盛んである。結果、東京ではエリア1位を目指したランチ激戦区となる。話題づくりマーケティング、情報業態ビジネス、これが都市市場の最大特徴である。以前は雑誌などを使った話題づくりのPR投資が中心であったが、昨年あたりからはエニグモに代表されるブログを使った口コミマーケティングが盛んだ。

ところで鬱屈した時代の雰囲気の中、ランキングNO1になるために熾烈な競争を繰り広げる都市市場であるが、同じランキングをするなら洒落っ気たっぷりでユーモア溢れるものが必要と思っている。江戸時代の東京は世界NO1の120万都市でほとんどの人間は地方出身者で占められ、方言が飛び交う一種インターナショナルな都市であった。世界で唯一流れる上水道が整備され、長屋には季節の花々が咲き乱れた文明と文化が共に発展した世界でも類を見ない都市であった。その江戸庶民は勝手にランキングをして楽しんでいた。「うそまこと見立角力」といった、「うそランキング」や「まことランキング」もあった。洒落の極致が「屁(へ)番付」で、「梯子(はしご)屁」というのは梯子を上ったり降りたりするように音階のある屁で、最低ランクには「すか屁」が置かれていたようだ。

ネット上には「勝手広告」ならぬ「勝手ランキング」も盛んである。そのほとんどが直接商品に関わるものばかりであるが、それはそれとして洒落たランキングを見たいものである。例えば、「素人芝居ランキング」のNO1はやはり船場吉兆のささやき女将、NO2は最近話題のお風呂の無い谷本整形外科院長、・・・・センスのない事例で申し訳ないが、くすっと笑えるユーモアのあるランキングサイトがあったら是非御教え願いたい。1万円札を模した入浴剤がヒットする時代である。うそをわかって、チョット笑える。そんな商品が売れる時代だ。(続く)  


Posted by ヒット商品応援団 at 14:13Comments(0)新市場創造

2008年06月22日

文化型(蓄積)価値とコンビニ型(変化)価値

ヒット商品応援団日記No276(毎週2回更新)  2008.6.22.

ここ2週間ほどいくつかのブランドをテーマに挙げて、時代と向き合い、時代と呼吸するとはどんなことであったかスタディレポートの概略を書いてきた。ブランドが時代の変化と共にある、その意味合いを、時代が求める使用価値を超えた何か、付加価値などといった表層の価値と異なる何かを、理解いただけたと思う。そして、ブランドは顧客が育てるもので時間がかかるということも。今回取り上げたブランドは高額なインポートブランドであるが、日本経済と同様に低迷している。高額商品も等しく、時代の雰囲気は直接消費に反映される。従来からの富裕層と呼ばれる人達は、株式市場が世界的に低迷しているとはいえ、経済的には変わらず豊かであり、都市ばかりか地方にもいわゆる資産家は存在している。

以前にも少しふれたと思うが、行動経済学におけるプロスペクト理論では、人間が感じる感覚差(幸福感)を明らかにしている。その内容であるが、人間が気にする富の参照点(どこを参照して見るか)を設定し、それよりも上の富を所有する時の感覚の増大さよりも、参照点を下回る場合の減少の方が二倍以上大きいとされている。例えば、年収の平均を参照点と考えるならば、収入が平均以上の差を付けているという喜びよりも、差を付けられているという悔しさの方が二倍以上大きいという理論である。もっと分かりやすく例えると、「勝ち組」の喜びよりも、「負け組」の悔しさの方が感覚差として二倍以上大きいということだ。そして、私が指摘してきたようにバブル崩壊以降、それまで参照点という意識を無くしていた中流層の多くが下流層へと流れ込み、参照点を富の「平均」とするならば圧倒的に下回り、差をつけられているという感覚を持つ下流層が圧倒的に増大したということだ。これが時代の雰囲気を作っている。

勿論、参照点という視座は経済、富といったことばかりでなく、家族の幸福であるとか、生き甲斐であるといった非経済面での喜び・幸福感もある。情報の時代にあっては、どの市場を対象とするのか、顧客は誰かと共に、価値感覚として「何」を基準に見ているかを判断することが極めて重要な時代になったということだ。消費行動、特に日常においては明確に価格に関心が集まっているが、何故この価格なのかという背景を正直(オネスト)に情報公開しているOKストアを取り上げたのもこうした理由からだ。何故安いのか、何故高いのか、その理由を店頭で明確にすることが時代に沿った基準となり、顧客支持が集まっているということである。

ところでブランドの主要購買層である、従来の富裕層や新富裕層の独身キャリア女性・DINKS層の参照点・視座はどこに置いているかということだ。一つは「頑張った自分(達)へのご褒美」と「お気に入り」であると思っている。前者のヒット商品には定年後の夫婦向けの世界一周クルージングであったり、独身キャリア女性ではお一人様歓迎の「ヒトリッチ市場」なんかであろう。後者はやはりブランド市場ということになる。しかし、時代の雰囲気、格差感覚が充満する社会にあって、「喜び」心理は半減する。こうした格差感覚のある社会の解決には全体がよくならなければならないことは言うまでもない。

前回のロレックスのところでスオッチとブランド比較をした。顧客は何を見て価値としているかというと、ロレックスは文化価値(=アンティーク)であり、スオッチはデザイン価値(=変化・鮮度)であると指摘をした。前者を文化型商品、後者をコンビニ型商品と私は呼んだが、過剰な情報が行き交う時代にあってそうした価値を見出すには極めて難しい時代となっている。後者のようなトレンド型商品の場合は、極めて単純で「ランキング情報」もしくは「格付け情報」が物差しとなる。但し、ランキングNO1のみがベストセラーとなる。2位以下は物差しとはならず、多くのメーカーなどはNO1となるための話題づくりに投資するのである。過去サプライズというキーワードが流行ったが、これも過剰な情報時代に話題を集めNO1になるためだ。こうした消費、買われ方は変化・鮮度を求めるアパレルファッションのみならず、食品、化粧品、更には書籍まで幅広い市場が作られてきた。あまり、予測はしたくないが、飲食サービスにおいて使用牛肉はA5とかA4といった「格付け」が流行っているが、いつか産地偽装と同様に「格付け偽装」が始まる。

前者の文化型消費、キーワード的にいうと、「大人消費」へと全体が動いているのだが、まだ全体へと波及しているとは言い難い情況にある。こうした文化型消費はあまり話題になることもなく、顧客がブランドとして育てるという時間を必要とする買われ方である。ブランドは、時という顧客体験を経て磨かれ、そのエッセンスだけが残った、ある意味余計なものを削ぎ落とし、引き算に引き算を重ねなお残った価値である。だから高額なのだ。この文化というテーマは2年半ほど前から和回帰と共に過去へと遡っており、今日の「江戸ブーム」なんかもこうした潮流の中にあるものだ。恐らく、江戸のライフスタイルである粋や鯔背といったコンセプト&キーワードが新しいブランドづくりの着眼になったり、既存ブランドと江戸を継承する職人とのコラボレーションなんかも出てくると思う。奥行き、深み、味わい、こうした微妙な違いを楽しむ時代になるにはまだまだ時間を必要とする。しかし、確実に「大人の時代」へと向かっている。(続く)  


Posted by ヒット商品応援団 at 14:30Comments(0)新市場創造

2008年06月18日

コレクションブランド/ロレックス

ヒット商品応援団日記No275(毎週2回更新)  2008.6.18.

私たちが身につける腕時計というスタイルを最初に作り世界へと広めたのが、あのロレックスであることを知っている人は少ない。「どんな場所や状況においても、そこに人が存在するなら腕時計も存在しなくてはならない。そのためには解決へ向けて挑戦し続ける」というのがロレックスの変わらぬポリシーである。
まだ懐中時計が全盛であった1905年、ロンドンにウィルスドルフ&デイビス社が創立される。設立者であったハンス・ウィルスドルフは、新参企業が生き残る道として新しい革命的商品、「腕時計」の中にその可能性を見出す。
激しい振動や温度変化、ほこりや湿気にさらされる腕時計に対し、信頼できないとの社会的評価がある中でのスタートであった。まず、ウィルスドルフは「ギアの正確さ」をつくるムーブメントをスイス・エグラー社に依頼。そして、1905年、スイスで腕時計をつくり販売することとなる。

1927年、ロンドンの女性記者グライツがドーバー海峡を泳いで横断する。その時、腕に巻いていたのがロレックスであった。海峡横断の快挙と共に「腕時計」の快挙が報じられ、全世界に認められることとなる。
ロレックスのデザインには大きく2つの潮流がある。1つはダイバーズウォッチへと流れを組むロレックス誕生の基本となった「スポーティ」なものと、もう一つが別称ドクターズウォッチと呼ばれた王室御用達の「プリンス」の流れである。この「プリンス」は時代、時代の雰囲気をケースデザインに取り入れたもので、アールデコ調のデザインは、王室・医師=上流階級のシンボルとしてそのポジションを手に入れていくこととなる。

1940年代、時計メーカーを大きく変化させたのが第2次世界大戦であった。ロレックスは米国へとその販路を広げ、信頼と精度にすぐれたオイスター、パーペクチュアルは連合軍の士官達へと支給され、ロレックスという名前はヨーロッパ・米国で広く認められることとなる。
以降、ロレックスはあくなき挑戦者として、「そこに人が存在するなら」という“特殊分野”に挑む。それらが深海に潜るダイバーズウォッチのサブ・マリーナであり、登山等に使われる冒険家用のエクスプローラ、パイロット用のGMTマスターであった。

1970年代、画期的なクオーツの登場によって時計業界は一変する。高精度・低価格が実現し、多くのブランドは衰退していく。丁度この時期に、アンティーク・ロレックスのブームが訪れ、さらにロ レックスの知名度と理解の奥行きが深まることとなる。そのアンティーク・ロレックスを流行させたのが、あのA・ウォーホルであった。こうした背景を含め、日本市場において、ロレックスの人気が落ちることはなかった。

アンティーク・ロレックスのブームに火をつけたA・ウォーホルのコレクション癖は、それが彼自身の人生のすべてを表現するくらい狂信的なものであった。その多くのコレクションの中でも時計に賭ける執着は、他を寄せつけないほどのものがあったという。'78年に発売されたイタリアのVOGUE誌で、バブルバックを腕にしたウォーホルが表紙に登場し話題を呼んだ。また同誌は別の号で「ちょっと古い時計」という特集を組んだこともあり、アンティークウォッチ、中でもロレックスのバブルバックが世界的に大流行した。金無垢ロレックスが上流階級のステイタスシンボルであったのに対して、ファッショナブルなヤッピーやモデルたちにとって、アンティークウォッチをするのが当時の流行りで。アンティークウォッチを腕にしたウォーホルのスタイルは、こうした時代の中でシンボライズされた。

ロレックスは今で言う「ニッチ市場」「ピンポイントマーケット」をテーマとしてきたブランドである。そのぶれないポリシーこそが、ロレックスのアンティークマーケットを成立させる。同じようなクオーツ技術の台頭に対し、徹底したローコスト&デザインオリエンテッドを貫くスオッチ(ETA社)をコンビニ型消費商品とすれば、ロレックスはその両極の文化型消費商品といえよう。勿論、両ブランド共に狙うマーケットは明確である。誰を顧客とするのか、極めて分かりやすい2つのブランド事例だ。スオッチをトレンドブランドといってもかまわない。ロレックスをコレクションブランドといってもかまわない。両ブランド共に「時代の変化と共にある」成熟したマーケットへの明確な戦略をもった良きビジネスモデルであろう。(続く)  


Posted by ヒット商品応援団 at 08:20Comments(0)新市場創造

2008年06月15日

継承されるデザイン/ティファニー

ヒット商品応援団日記No274(毎週2回更新)  2008.6.15.

日本におけるティファニーは「TIFFANY Blue&Silver」というキーワードと共に、あのオードリーヘップパーンによる「ティファニーで朝食を」で広く認知されてきたブランドである。しかし、これほど「デザインポリシー&スタイル」が受け継がれ、そして磨かれ、しかも時代の求める「美呼吸」とでも呼べる在り方を示したブランドはティファニーだけと言えよう。受け継がれる「時を超える美」と呼吸する「時代と共にある美」が、たった一人のデザイナーによって融合する世界。それがティファニーである。

ティファニーは1837年ニューヨークに小さな「ファンシーグッズ&ステーショナリー」の店としてスタートする。そして、1845年にはクオリティの高いジュエリーショップとして、アメリカで認知され始める。こうしたティファニーが世界に認められる機会となり、そして今日まで受け継がれてくる「デザインポリシー&スタイル」の創始者は、天才ポールディング・ファーナムであった。ポールディング・ファーナムは創業者チャールズ・ルイ・ティファニーの良き支援を受け、次々とジュエリー業界にそのデザイン旋風を巻き起こしていく。

ファーナム29歳の時、1889年パリ博覧会に出店するが、その精緻なデザインと今日受け継がれ、その頃TIFFANY BLUE & SILVERが登場する。そして、当時のジュエリーは、ブローチや髪飾りが中心であったが、その象徴である蘭をモチーフにデザインする。当時、「健康とプレステージ」のシンボルとして一大フィーバーが起こった。以降、世界の博覧会やコンテストにおいて、12以上の賞を獲得し、その完璧なデザインが世界に知れ渡ることとなる。
ファーナムが48歳でティファニーを辞めるまで、次々と以下のようなテーマをもって、世の中へと提供し、今日のティファニーデザインの基礎を創ることとなる。
 【Native】【Orientalism】【Orchids】【The louis Rerival】【Vectorianism】
 【Native American Design】【The Renaissanu Rerival】
そして、メトロポリタン美術館から次のような賞賛が送られる。“最も偉大な生まれついてのアメリカが生んだジュエリーデザイナーである”と。

このようにファーナムは自身の興味領域であるNative(植物、昆虫等)からスタートするが、時代のもつ雰囲気や、社会的注目を集めているテーマに多彩に取り組んだデザイナーと言えよう。
1900年代、ファーナムの後を引き継いだのが統括デザイナー、ジュリア・マレソンであった。以降、アメリカの社交界ではティファニーとそのステイタスシンボルと共に、「美」のシンボルとしてもイメージされるようになる。

こうした美しさの“アメリカスタイル=ティファニースタイル”として確立される機会となったのが、1930年代のハリウッドスター達の愛用とPRであった。そして、1940年に、NY5番街がティファニーを中心とした本店の立ち並ぶショッピングストリートとなり、人々は“Woman's New York”と評した。
そしてティファニーを世界のブランド、最もアメリカらしいスタイルとして認知させたのが、あのオードリーヘップバーンによる「ティファニーで朝食を」(1960年)という映画であろう。こうしたパブリシティ活動もさることながら、アメリカの多くの著名人、セレブリティを使ったPR、特にミュージカル“キャバレー”のライザ・ミネリを使ってVogue誌の表紙を飾るなど、その完璧な「アート」を続々と送り続ける。

この時代の統括デザイナーはジョーン・ローリングが行っており、デザイン創始者であるファーナムの素描や作品を収集・整理し、次のティファニーデザイナーへと引き継ぐことを行っている。そして、1980年にパロマ・ピカソがデザイナーとしてティファニーに参画し、「時代と共にある美」が注目をあびる。このティファニーも、ある意味デザインポリシー&スタイルを継承している点で、シャネルとどこか似ている。シャネルについては日本語で書かれた著作も多数あり、その変遷をビジュアルで見ることができる。ティファニーの場合はほとんど無いが、洋書ではティファニーの変遷をビジュアルで見ることができる。著作権の問題でブログには公開できないが、そのデザインビジュアルに触れていただければと思う。
次回はクオーツという画期的な技術導入がなされ、そのクオーツを世界に送り出した「日本市場」において、今なお根強い人気を保ち続けているブランド・ロレックスを取り上げてみたい。時代の変化を取り入れながら、しかし、ロレックスにおいても時代を超えるものは、その挑戦者としてのポリシーであった。(続く)  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:52Comments(1)新市場創造

2008年06月11日

時代の変化と共にあるシャネル(2)

ヒット商品応援団日記No273(毎週2回更新)  2008.6.11.

シャネルブランドの歴史の続きであるが、シャネルにもいくつかの挫折がある。1939年、第2次世界大戦が始まると、シャネルは香水とアクセサリーの部門を残してクチュールの店を閉める。15年後、再びシャネルは挑戦する。そして、戦後シャネルのコレクションに対し、次のような批評が殺到する。
「1930年代の服の亡霊」あるいは「田舎でしか着ない服」
と酷評される。

1954年、既にパリモード界はクリスチャンディオールの時代となっていた。これらのモードに猛然と反撃したのがシャネルだった。カムバックする舞台はパリではなく、アメリカ。それがシャネルスーツであった。エレガントで、シック。かつ、時代のもつ生活に適合する機能をもったスーツであった。アメリカは「シャネルルック」という言葉でこのスーツを評した。そして、シャネルは“モードではなく、私はスタイルを創りだしたのです”と語る。

1971年1月、87歳の生涯を終えるシャネルだが、生前、“シーズン毎に変わっていくモードと違って、スタイルは残る”としたシャネルには、そのスタイルを引き継ぐ人々がいた。そして、1987年、あのカール・ラガーフェルドが参加する。“シャネルを賞賛するあまり、シャネルの服の発展を拒否するのは危険である”。シャネルの最大の功績は、時代の要請に沿って服を創ったことにあり、シャネルスタイルを尊重しながらも、残すべきもの、変えていくべきものをラガーフェルドは明快に認識していた。顧問就任時にこうも語っている。“シャネルは一つのアイディアの見本だが、それは抽象的ではない。生活全てのアイディアである。ファッションとスタイルのシャネルのコンセプトは一人の女性のため、彼女のパーソナルな服と毎日の生活のためのものなのだ。シャネルのコンセプトは象牙の塔のものではなく、ライフ=生活のためのもの”こうしてシャネル・コンセプトはカール・ラガーフェルド達に引き継がれ今日に至るのである。

確か12〜3年前であったと思うが、当時の(今も)シャネルジャパンの社長であったリシャール・コラス氏は雑誌のインタビューに答えて、”世界的に見れば、もちろんシャネルの中心顧客は現代をいきいきと生きるキャリアウーマン達です。ある意味ではココ・シャネルの生き方に共鳴する女性達、フランスでいえば、シモーヌ・ヴェイユのような強い意志をもった女性です。しかし、こういう女性達の信頼を繋いでいくために一番大事なことは、ココ・シャネルの精神を正しく受け継いでいくことなのです”と語っている。つまり、シャネルが残した一番の財産は「シャネルの生き方」であるということだ。

シャネルにとって「時代と共にある」とは、生活の変化を素直に受け止めることで、結果として「既成」を壊すこととなる。今日あるブランドに共通していることは、創業者の思い、精神が正しく継承されていることだ。ブランドシャネルはシャネルの「生き方継承」であり、熱烈なシャネルフアンはその伝道者といえよう。伝道者が聖地として訪れるのがシャネル銀座だ。私はブランドは顧客が育てると書いたが、この伝道者こそが停滞を突破することになる。

以前、鳥取の老舗和菓子店「ふろしきまんじゅう」についてその経営理念「変わらぬこと。変えないこと」に触れたことがあった。変わらぬこと=常に顧客変化という時代と共にあること、そしてそのために真心込めてまんじゅうをつくる、それらはいつの時代になっても変えないということと同じである。シャネルの服もまんじゅうも同じであるといったら言い過ぎかもしれないが、時代と共にあるとは、このような精神によってである。次回も創業の精神が誰によって、どのように継承されてきているか、あのティファニーブランドをテーマとしてみたい。(続く)  


Posted by ヒット商品応援団 at 11:25Comments(0)新市場創造

2008年06月08日

時代の変化と共にあるシャネル(1)

ヒット商品応援団日記No272(毎週2回更新)  2008.6.8.

前回個人文化・パーソナルブランドの時代を迎えるであろう書き、ブログに公開した直後、高級インポートブランドのフェラガモが値下げに踏み切ったと報じられた。3年ほど前から、ユーロ高(円安)と原材料高から20%ほど値上げしてきたフェラガモが今回7〜10%の値下げに踏み切ったとのこと。その背景には高級インポートブランドの売上不振があったと思う。値下げによって買いやすさが生まれるかどうかわからない。値上げはあっても値下げしないことが、ブランドを守ると経営判断してきた高級インポートブランドである。トヨタのレクサスが不振でプリウスが好調な日本市場にあって、どんな答えが出るか高額ブランド商品の需要指標の一つとして注視していきたい。

ところで前回のブランドへの考え方の続きであるが、私は「ブランドは顧客が育てる」ものであると書いた。一般論としてではなく、ブランドのポリシーを守り支援するといったパトロナイズする顧客の有無ということである。ヨーロッパには今なお貴族社会が残っており、いわば貴族文化がブランドを育て守っている。十数年前の話であるが、ヨーロッパの観光客が日本を訪れびっくりしたことの一つに、街の至る所で無数の女性達がルイ・ヴィトンのバッグを持っている光景であったという。つまり、モノを購入・消費するとは、その裏側にある考え方や生きざま、理念に共感し、そうした文化を共有することの歓びに他ならないと考えているからだ。極論ではあるが、こんなに多くの女性達が貴族文化人としてパトロナイズしているのか、といって当時驚いたのである。勿論、ヴィトンフアンにはそうした考えの人もいると思うが、多くは他者との「違い」をモノを通して表現したいとするトレンドファッションである。だから、新作が発表されると我先に買うことに「違い」を見出すという、常に「変化」を楽しむ消費と言えると思う。最近のデータを確認はしていないが、今もなおヴィトンの最大消費国は日本である。分かりやすくいうと、前者・ヨーロッパ市場を文化型消費、後者・日本市場をコンビニ型消費と私は呼んでいる。そして、日本も文化型消費へと向かいつつある、というのが私の仮説である。

今から10年近く前に、「何故ブランドは人を惹き続けるのか」というテーマでいくつかのブランドをスタディしたことがある。その中のブランドにシャネルやティファニーがあったが、今なおブランドとして確立しているが、その核・コアとなっていることは「常に時代の変化と共にある」ということであった。この号を含め、どのように時代と向き合ってきたか、マーケティングの視点で解き明かしていきたい。
そのシャネルには周知のように多くの逸話が存在している。「この服は売りに出せないわ。私のものになっていないから」「仕事は私の命をむさぼりくった。私の恋さえも」・・・過去の破壊者、自由に生きる恋多き女、激しさ、怒り、・・・多くの人がそうシャネルを評しているが、シャネルにとっての服とは、そうした生き方や生活、アイディア等、全てが一つのスタイルとして創られたことにある。逸話はそうしたスタイル創造の過程として必然的に生まれた。

当時のヨーロッパ文化のある意味破壊者で、丈の長いスカート時代にパンツスタイルを生み、男っぽいと言われながら、水夫風スタイルを自ら取り入れた。肌を焼く習慣がなかった時代に黒く肌を焼き、マリンスタイルで登場した。そして自分がいいと思えば決して捨て去ることはなかった。スポーツウェアをスマートに、それらをタウンウェア化させたシャネルはこのように言っている。“私はスポーツウェアを創ったが、他の女性たちの為に創ったのではない。私自身がスポーツをし、そのために創ったまでのこと”。勿論、アクセサリーの分野でも彼女のセンスを貫き通した。“日焼けした真っ黒な肌に真っ白なイヤリング、それが私のセンス”。シャネルのポリシー“モードではなく、私はスタイルを創りだしたのです”というマリンルックは徐々に流行する。

1920年代、シャネルは香水の分野でも、その革新的チャレンジをしている。過去の“においを消す香水”ではなく、“清潔な上にいい匂いがする香水”、つまり基本は清潔、それからエレガンスであった。そして、調香師エルネスト・ポーと出会い、「No.5」「No.22」が生まれるのである。コンセプトは“新しい時代の匂いを取り入れること”とし、どこにでもつけていける香水を創ったのである。その後、ジャスミン、ローズ、スズラン…といった植物を調合してでき上がったのが、この「No.5」と「No.22」であった。「No.5」が売り出されたのは、1921年、ネーミングも簡潔そのものであり、ビンのフォルム、ロゴマークも従来の甘さや文学性を排除した、シャネルの新しい時代感覚そのものの明快なデザインであった。(続く)  


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2008年06月04日

パーソナルブランドの時代

ヒット商品応援団日記No271(毎週2回更新)  2008.6.4.

前回ブランド効果が衰退していった背景について、中流の崩壊と個性化の進展という2つの要因を挙げた。この点についてもう少し言及してみたい。
中流の崩壊については、「勝ち組・負け組」論議や格差問題、あるいは市場の2極化といった文脈の中で多くが語られてきた。この中で最も注視しなければならないことは、中流市場(≒百貨店顧客)がブランドを支えてきたということである。高級インポートブランドはもとより、多くのブランドは、中流市場の「憧れ」がブランド価値を創ってきたといっても過言ではない。この「憧れ」を期待値といってもかまわない。多くのブランドは「違い」を固有の世界として確立するために、百貨店の中の売り場ですら、路面店の如きショップを創ってきたのである。

この中流市場の崩壊は、1998年以降の経済、下がり続ける所得という課題を背景に、未来への漠然とした「不安」という心理世界が衰退を加速させる。情報の時代の特徴であるが、マスメディアから流される少年犯罪や年金といったさまざまな不安情報は、それが「重要さ」と「曖昧さ」が大きければ大きいほど「うわさ」になりやすい。この「うわさの法則」通り、期待や憧れといった心理は急速に漠とした「不安」へと向かっていく。時代の寵児「ホリエモン」、あるいは新しい日本版セレブ・ヒルズ族といって話題に持ち上げたマスメディアは、今はどうであろうか。潮目が変わった、顧客の関心事が変わったといってしまえば終わりであるが、昨年来の偽装事件報道を含め、過剰な不安情報はブランド衰退の遠因の一つになっている。

もう一つの個性化の進展であるが、言葉を変えて言うと、主体が個人、個客の側に移ったということである。消費のプロはその学習体験の積み重ねにより、生半可なブランドはその本質を見抜いてしまうまで成長していく。そして、いつしか単なる消費から、自らコーディネートしたり、プロデュースするといった創造の側へと成熟していく。これがプロ顧客と呼ばれているものである。ちょうどインターネット上の個人放送局であるブログがマスメディアに代わって情報の発信者になったのと同じである。主客逆転、表が裏になり、裏が表になった時代である。表現主体が個人の側に移ったということだ。

十人十色とよく言うが、今や一人十色となった。色づけするのは個人である。だから、住まいから被服まで色づけしやすいようにシンプルなものが好まれ、大きな潮流となった。勝手にデザインするな、私がデザイナーということだ。ブランド名は忘れたが銀座プランタンでは、従来のサイズより更に細かなサイズを用意したところ売上が急成長したと報道されていたが至極当たり前のことである。既製服ですら、どんどんセミオーダー化してきたということだ。
こうしたモノ販売より前に、サービス業において一人十色は進行している。例えば、海外旅行などは良き事例である。1980年代ぐらいまでは、パック旅行が中心で観光プログラムがしっかり組まれていた。しかし、行きたくもない所に連れて行かれ、買いたくもない土産物を買わされることを繰り返し、そんな旅行は行きたくないと考える顧客が増える。今や行き帰りの航空便とホテルを決める位でフリープランが主流である。

さてブランドの今はどうかということであるが、ブランドという考え方、ブランディングが不必要になったということではない。ブランドは小さな市場単位として拡散した。ある意味、ブランドに過剰な期待をしてはならないということだ。今、百貨店に導入されているブランドを見ても、ほとんど知られていないイタリアの田舎町の職人が作るバッグや靴であったり、無名に近いオランダのデザイナーであったり、パーソナルブランドといっても良い位の小さなブランドばかりである。ブランドも大量生産大量販売という時代を終え、個人が作り、その範囲内で個人が買う時代になったということだ。個人の考えや思いが作る商品を通して語られ、それが一つ普遍性として波及していくことによって文化価値が生まれる。それを人はその表現を臭いといったり、どこか違った雰囲気といったりするが、受け手である顧客が創っていくのが文化だと思う。そうした個人文化・パーソナルブランドの時代を迎えている。(続く)  


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2008年06月01日

ブランドのこれから

ヒット商品応援団日記No270(毎週2回更新)  2008.6.1.

ブランド論となると、商品ブランドは勿論のこと、国家ブランドから地域ブランドや街のショップブランドまで多様で多面な要素をもつ大きなテーマとなるので、ここでは身近な商品ブランドについて取り上げてみたい。ブランドという考えがビジネスに導入されてきた背景には、同じ機能を持つ商品がA社では100なのに、何故B社では120なのかという心理的価値に着眼してきたことによる。ちょうど、モノ不足の時代を終え、豊かさを求めるようになった1990年代初頭から急速に浮かび上がってきたテーマである。前回も取り上げた付加価値を生む最大のものが、ブランドであり、無形のブランド資産として、マーケティングやビジネスの主要な課題となった。つまり、心理的な「違い」をどう創造していくかが経営課題になったということだ。

ブランド論が盛んになった背景は、極論ではあるがこの「違い」を求める顧客が市場の中心を占めるようになったからである。資本主義の本質は、あらゆるものを商品化していくことであり、以降エリア(場)ブランドや方法・手法(やり方)ブランド、あるいは人(あの人だから)ブランド、更には時(この時)ブランドなど無数のブランドが市場競争をすることとなる。過剰な情報が行き交う時代にあって、あっと驚くようなネーミングやデザインによるブランドも生まれてきた。また、あらゆるものが情報を発信できる時代では、商品ばかりか街も人も勿論店舗も何もかもが「違い」を発信するメディアとなる。これを劇場化社会と私たちは呼んできた。

ブランド創造という言葉がビジネス舞台から消えていった最大の背景は顧客の成熟による。個性化というキーワードが1990年代半ばから一般化していく。この個性化とは、ブランドという心理的物差しから、顧客自身による好みへの変化である。好みは多様であり、ブランドもその中の一つだけとなる。「違い」は、顧客自身が学習体験に基づく美的感性によって、自ら創る方向へと大きく変わった。これがセレクトショップやマイブームへとつながっていく。極論ではあるが、顧客がクリエーターに、デザイナーになったということだ。これが顧客の成熟といわれている主たる内容である。


そして、この「違い」が情報という表層だけをなぞった場合、その顧客心理は一過的となる。これが情報消費の本質である。チョット面白いネーミング、デザイン、スタイルだけでは継続は難しい。一過的という課題を解決するには、常に違いという「変化」を市場に投入しなければならない。この仕組みを週単位で実行し、今なお「変化」を提供し続けているのがあの渋谷109である。
数年前話題となった隠れ家ブームも一種の「違い」を求めたマイレストランであり、最近の百貨店や商業施設が地方に埋もれた無名の商品や店を出店させているのも、この「違い」を表現するためである。しかし、この「違い」を評価するのは成熟した顧客であり、答えが出るのに時間はかからない。継続できるか、退店せざるを得ないかの分かれ目は商品MD力以外にはない。

ところで、この「違い」をブランドにまで高めようとした試みが残念ながら破綻した分かりやすい事例がある。その事例とは「大山どり」のことで、以前から三大地鶏の次の地域ブランドとして候補に挙がっていた。知る人ぞ知る地鶏として、生産量が少ないことから、その希少性に支持があった商品である。地元紙や関係者によると、破綻の理由は都市市場でのブランド確立をはかるために生産&流通の拡大をはかったが、鳥インフルエンザ問題による相場の下落や飼料の高騰、特に都市において価格が通らなかったことから資金繰りに困り昨年秋破綻したとのこと。ここで着目しなければならないのは、ブランド化できれば付加価値として収益率が上がると認識していたことにある。「違い」が明確に分かる嗜好性の高い商品の場合は確かに高い価格は通る。しかし、こうしたマニアックなコレクション市場においては該当するが、食という日常における商品の場合はその多くは通らない。三大地鶏と大山どりをブラインド(目隠し)テストして、その違いが分かる顧客・マーケットはどれだけ存在するのかということである。

少し前に「新富裕層市場」について触れたことがあったが、アパレルやバッグ、靴といったファッションブランドを支えていたのは崩壊した中流市場とその流通を担っていた百貨店であった。多くのマーケッターは新富裕層市場を構成する独身キャリア女性とDINKS(子供をもたない二人世帯)という2つの市場を梃子にブランド再創造を考えていると思う。恐らく固有である文化価値、芸術価値がブランドの中心を占めていくことになる。そして、その先行するブランドとしてはサブカルチャーの中からではないかと予感している。(続く)  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:52Comments(0)新市場創造