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「人力経営」という本を書きました。ヒット商品の裏に潜んでいる「人」がテーマです。取材先はダスキン、エゴイスト、野の葡萄、叶匠寿庵、桑野造船の経営リーダー。ユニーク、常識はずれ、そこまでやるのか、とにかく面白い経営です。星雲社刊、735円、新書判。

2007年04月29日

過剰流通時代の今 

ヒット商品応援団日記No162(毎週2回更新)  2007.4.29.

バブル時代の過剰の一つが流通であった。ここ十数年、オーバーストア情況にあって百貨店やGMSあるいは専門店も合併あるいは撤退など企業再編が行われて来た。また、売り場という現場においては、変化対応を行うために、従来のような10年毎のリニューアルは5年になり、そして日常的な部分リニューアルを繰り返し行うようになった。多大な投資といった構えたリニューアルから、日常の小さな変化対応としてのリニューアルである。東京ミッドタウンのオープンに続いて、丸の内に新丸ビルが27日オープンした。東京においては商業施設が続々と新規及びリニューアルオープンが続いている。そうした東京の百貨店において、4月19日新宿高島屋が全館リニューアルという形でオープンした。

新宿に出店して10年。どんな全館リニューアルをしたのか大変興味が湧くオープンであった。その興味とはこれからの百貨店の生き方を示しているであろうと思っていたからだ。結論から言うと、「本来の百貨店の良さ」「百貨店らしさ」を時代変化の中で取り戻したと私は感じた。
オープニングのキャッチコピーに「薔薇と書けなくてもバラになれる」とある。コンセプトは「今」という時代の感性、2つの異なる感性世界、アンビバラントを分かりやすく提案するというものだ。具体的には、男と女、伝統と現代、和と洋、マチュアとヤング、こうした異なるそれぞれの世界をフロアゾーニングとして、マーチャンダイジングとして具現化し、顧客の選択肢を広げ、かつ奥行きをもったものとして提案している。この異なる2つの世界の真ん中にウエルカムゾーンという顧客サービスを行う百貨店ならではのおもてなしがある。(http://www.takashimaya.co.jp/shinjuku/index.html?alltop_banner01

今回のリニューアルで特に感じたのは団塊世代市場への意識的な取り組みと男性顧客の取り込みである。後者は新宿伊勢丹のメンズ館の成功を意識したものでかなりのスペースが割かれている。前者の団塊世代市場に対してはかなり充実したMDを行っている。その例の一つが食における「銘菓百選」という売り場だ。日本全国のお菓子の銘品を100集めたものでおかきやあられ、豆大福、といったどこにでもあるものだが、団塊世代にとっては懐かしいお菓子ばかりである。私が地方の「小さくてもキラリと光る商品」、地方の埋もれた商品に注目が集まると指摘をしたが、まさにその通りMDされた売り場である。いわゆる「町の和菓子屋さん」集積である。こうした発想は洋菓子にも見られる。世界から日本から集められたパティシェ達のケーキの集積で、中でも11人のパティシェが10個づつ合計110種類のケーキを集積、つまりケーキのセレクトショップである。

もう一つ着眼したい点が「学習の販売」「学び売り場」の展開である。モノを売るのではなく、学習という方法を売っていくことを積極的に取り入れている点である。その一つが和ブームだけに終わらせない「和文化倶楽部」における体験学習とオープニングイベント「京の銘菓と美食展」におけるだしの取り方等料理法のセミナーに表れている。
他にも日本初東京初といったブランドや専門店が多数MDされているが、特徴をキーワードとして言うと「セレクト」に表現される。つまり、顧客に代わってMDしてきましたという百貨店の原点、流通の原則に立ち返っていると感じた。過剰な流通の時代にあって、百貨店は50貨店いや30貨店等と言われて来たが、顧客代理店としての役割に戻って来たと思う。また、時代背景として百貨店の成長は団塊世代と共にあり、この点についても原点回帰であると感じた。過剰さを削ぎ落とし、育ててくれた顧客が求める物を顧客に代わってMDするという原点がこれから先の流通に求められている。丁度同じタイミングで百貨店を追い越したコンビニ大手が電子マネーを導入すると発表された。セブンイレブンはカードから得られた購買履歴データは顧客が求めるMDに反映させるためとコメントした。流通は顧客代理店という原則を外れてはならないということだ。(続く)  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:40Comments(0)新市場創造

2007年04月25日

情報化社会の今 

ヒット商品応援団日記No161(毎週2回更新)  2007.4.25.

情報化社会という言葉を私も良く使うが、その意味するものは多様で広い。ここでは情報を伝えるメディア技術の発展と共に、どのように生活者の意識変化を促したか、それが大きく動向を左右する社会という意味でここでは使いたいと思う。特に、マーケティング、新しい市場を創っていく上で「情報」が果たしている役割とその変化の「今」について私見を書いてみたい。

情報化社会の変化、質的変化を私たちに促したのはITというテクノロジーを別にすると、1995年3月オウム心理教による「地下鉄サリン事件」と1997年神戸で起きた「酒鬼薔薇聖斗事件」の2つであったと思っている。前者は今なお裁判が継続しており、後者は少年法の問題と共に再注目されたが、共におぞましい事件、狂気の事件として否応なく脳裏にこびりついて離れない。この想像を超える言葉にならない「衝撃」の大きさは、後にキーワード化される「サプライズ」という言葉が生まれる伏線となっている。この時期、どんな時代であったかというと、「不安の時代」へのまさに序章の時期であった。大企業神話を始め、従来の価値観が崩壊している時期に当たる。同時にインターネットという新しい時代の幕開けで、楽天市場を先頭にITベンチャーやユニクロ等デフレ企業が続々と生まれた時期でもある。街にはコギャルと呼ばれた少女達が漂流する、そんなカオスの時代であった。つまり、カオス、混沌の象徴として2つの事件があったということである。

メディアの変遷を10年単位で見ていくとよく分かるが、メディアの種類が圧倒的に増えて来た。情報を発信するという視点に立てば、人も、街も、イベントも、勿論商品もサービスもあらゆるものがメディアになる時代になった。戦後の新聞とラジオの時代を経て、TVや雑誌の時代、ネットの時代、しかも文字情報だけでなくyoutubeのように動画情報がまるで個人放送局のように発信される、種類も量も「過剰」な時代にいる。メディアビジネスは広告収入を基本としていることから、そのレスポンスの競争となり、「発掘!あるある大辞典Ⅱ」のような情報偽造が行われるようになる。しかも情報は鮮度、スピードが命であり、どこよりも早くが第一番目の競争となる。当然、メディアは話題になるであろう「芽」に集中する。集中すれば、「違い」を創るために更に集中することとなる。情報も一極集中し、情報格差が生まれてきた。

そして、過剰な情報が行き交う時代のコミュニケーションは「キーワード・コミュニケーション」となる。キーワードとは鍵となる言葉で、その意味する世界を短く表現する言葉である。若い頃、広告会社に勤務していた頃、コピーラーターのトレーニング法の一つに、1万語を1000文字に、1000文字を100文字に、100文字を10文字に圧縮し、その意味世界を創るプログラムがあった。10文字をキーワードと呼んでもかまわないと思う。このキーワード手法を最初に政治に使ったのが周知の小泉前総理である。「自民党をぶっこわす」から始まり、ワンフレーズポリティクス=キーワード政治を行った。以降他の政治家も「もったいない」や最近では「しがらみのない」といった具合である。つまり、キーワード・コミュニケーションとはキーワードを記憶に残し、後は当人にイメージしてもらうといったイメージ・コミュニケーションのことである。政治家は人であるから、良きイメージ、好感度といった見た目が重要となり、基本的にはタレントと同じである。勿論、選挙の際、公開されたマニフェストをよく読み、検討する人も存在しているが、圧倒的に少ない。既に、政治家も一つの商品として見ていくことはかなり前から行われて来た。

デジタル社会における情報はまさに白か黒、0と1、どちらかの意味しか持たない。情報は受け止めて反応するものではなく、瞬間的に感応する感じるものとなる。しかし、ここ1〜2年感応したことによる結果に対する学習が進んだ。「情報」の前で立ち止まり、一呼吸置いて反応するようになってきた。今回の長崎市長選挙の結果を見ても分かるが、投票総数の7.7%に当たる無効票15,000余の内、白票が4,558票、亡き伊藤市長などの名前を書いた票が7,463票もあったと報じられた。伊藤市長への想いは勿論強くあったのだと思うが、それ以上に新たに立候補した二人の候補者を判断する「情報」がほとんど無かった(届かなかった)ことによるものと思う。「伊藤一長さん、今までありがとうございました」といった氏名以外の無効票は1,095票もあったことは、「情報」が届かないまま判断停止せざるを得なかった長崎市民の姿が見えてくる。

過剰な数のメディアと過剰な量の情報の中で、マスメディアは相対的にその効果を落とし、ブログのようなパーソナルメディアやリアリティのあるイベントメディアにウエイトが置かれるようになった。サプライズといった手法も回数を増す毎にその刺激は半減していく。そして、一般的平均的に、あるいは一律的に情報が届く時代は既に終えている。その是非は別として、特定の世代内、特定のエリア内、特定のクラブ内、特定の興味、特定の帰属組織、特定の階層、・・・・全て「特定」の中での情報交流・交換の時代となってきた。次回新宿高島屋のリニューアルについてレポートするが、流通、商業施設も特定路客を中心に再編が始まっている。新宿高島屋は「大人の女と男」という団塊世代という特定顧客、特定市場に対してのリニューアルとなっている。先日オープンした東京ミッドタウンも同様であったし、今週末東京駅丸の内にオープンする新丸ビルも同様のコンセプトである。「大人の時代」というコンセプトをどうMDし、どう情報として伝えているか、団塊世代市場についてまたレポートしたいと思っている。(続く)  


Posted by ヒット商品応援団 at 09:41Comments(0)新市場創造

2007年04月22日

人生美学市場 

ヒット商品応援団日記No160(毎週2回更新)  2007.4.22.

この1年ほど、和回帰、日常回帰、家族回帰、都心(中心)回帰、ふるさと回帰、多くの回帰現象とその背景にある価値観変化について触れて来た。ここ1〜2年書店には「日本論」や「日本人論」、あるいは「日本文化」に関する本が棚に多く並ぶようになった。このブログでも「国家の品格」や「えんぴつで奥の細道」あるいは柳澤桂子さんの「心訳般若心経」、最近では熊野古道や鳥取の三徳山三佛寺の投入堂といった日本精神誕生の秘密への注目、更にはお茶や座禅といった修養人気についても触れて来た。バブル崩壊後の十数年、不安と閉塞感が支配する時代にあって、立ち止まり、「今」はどこから生まれて来たのかその誕生へと遡行するこころの現象であったと思う。

もっと平易に言えば、「未だ知らない日本探検」に多くの人が旅立ち始めたということだ。私の場合、マーケティングという職業から和への傾向といった消費動向の変化推移を見て来た訳であるが、より意識的に調べるようになったのは歴史学者網野善彦さんによる多くの著作であった。そこには学校教科書には書かれていない「日本」があった。日本は島国=閉鎖的国家でもなく、単一民族国家でもなく、稲作単一文化国家でもない。特に、日本資本主義の源流を鎌倉時代の仏教に見出した点(「日本中世に何が起きたか」洋泉社刊)については、現在のライフスタイルの原型が江戸時代にあることを考えるとマーケティングにおいて多くのヒントやアイディアを得るものであった。
また、最近読んだ本に、あのホリエモンの恩師と言われている東大教授船曳健夫氏の「右であれ左であれ、わが祖国日本」(PHP新書)における歴史的地政学的という、日本への視座は興味深いものであった。船曳氏は日本国家のモデルを国際日本(織田信長型政治)・大日本(秀吉型政治)・小日本(家康型政治)の3つにわける。そして、この国家の在り方は3つの超大国(中国、ロシア、西欧/米国)に囲まれた中で日本の命運が決まって来た、という超俯瞰的な視座をもった独自な国家論を展開している。網野善彦さんとは異なる分野の研究者であるが、二人に共通していることは「未だ知らない日本」への一つの視座を与えてくれていることだ。

前回書いた自己確認市場のように個人のみならず、国家も自己確認しなければならない情況下にある。3つの超大国との関係、外交・経済といった諸問題が報じられており、これから日本が進むべきグランドデザインをどう描くのかということである。つまり、個人も国家もアイデンティティを無くしているということだ。そして、個人においては「私は誰」といった回帰現象となり、国家においては憲法改正論議の中で「日本って何」と議論され、その誕生を探すことへと向かうであろう。そして、ここ10年位精神の旅は、船曳さん流に言うならば3つの国家モデルの間を漂流することとなる。個人も国家もその歴史を辿り、検証する精神の旅を続けるということだ。

さて、マーケティングの話に戻るが、個人の精神の旅はどんな消費となって現れてくるであろうか。これは私の仮説であるが、ビジネスから家族に至る多くの諸関係から一定の「自由」を得る団塊世代から、次の「ライフデザイン」が生まれる。漂流する精神は「人生」に最大価値を置くことへと至る。”素敵な一生であったであろうか”である。その人生価値は消費という視点に立ってキーワード化すると「道」となる。日本文化固有の人生の極め方「道」である。仕事でも、遊びでも、更に奥へと突き詰めることに無上の喜びを感じる「道」である。ゴルフ道、ボーリング道、・・・・カメラ道、蕎麦打ち道、散歩道、スポーツや趣味といった道楽も「道」の精神につながる。勿論、その道具やスタイルは全てプロ仕様となるだろう。
今や、店頭に並ぶ商品は全てこだわり商品となった。素材に、水に、土に、塩に、価格に、サービスに、ディテールに「こだわる」商品ばかりである。こだわり競争を超えるもの、それは「道」である。道の精神世界は固有であり、競争を超えたものである。こだわりを超えた、その精神の響きに魅せられる顧客が増えてくる。未だ知らない日本の「道」、その人生美学。そんな小さくてもキラリと光る埋もれた商品がこれから発掘され店頭に並ぶであろう。(続く)  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:39Comments(0)新市場創造

2007年04月18日

自分確認市場

ヒット商品応援団日記No159(毎週2回更新)  2007.4.18.

総世帯数が5000万を超え、生活スタイルはもとより生活単位においても個人化が進行している時代である。こうした一種バラバラな時代にあって、常に「自分確認」が必要となり、目に見えない様々な不安が確認を更に促す。自分確認をし何かに帰属させたいとアニメやフィギュアという虚構の世界に求める人を「オタク」と呼んでいる。一方現実世界の自分を「自分にご褒美」という形の消費によって確認する市場を「ミーギフト」と私たちは呼んでいる。この2つの市場は個人化という根っこのところではつながっており、その消費という表現の仕方が異なっているだけである。
ところで、自分確認は自分自身で行うことと共に、回りの人達との関係確認という市場をも形成する。帰属する共同体との関係、絆を確認し合うアイデンティティのことであり、一般的には記念日や行事といわれているものだ。会社という共同体ではバレンタインデーといった関係確認であったり、家族という共同体では誕生日、結婚記念日、卒業、入学、喜寿、米寿、といった様々な記念日となる。「今」という時代は時間のスピードは凄まじく、あらゆる時の境目を無くしてしまう。昼と夜、季節、仕事という社会時間とオフの私生活時間、こうした激変する時間の中で自分確認、アイデンティティ(自分を何かに帰属・同一化させること)の確認という「境目=時」を自ら作ることが不可欠な時代となっている。数年前から人気となっているブラダンスのようなクラブから始まり、mixiのようなSNSといったネット上の共同体まで、一人になればなるほど帰属する共同体は多様に無数生まれてくる。「自分探し」は中高生のものであるが、社会人にとってはいくつもの「自分確認=アイデンティティの確認」が日常的なテーマとなる。

”この味がいいねと君が言ったから7月6日はサラダ記念日” 俵万智

1987年260万部というベストセラーとなった「サラダ記念日」の一首である。青春期にあって人と人との関係の中で、その想いを瑞々しい感性で歌ったものであるが、マーケティングという視点に立てば、今日の生活者心理に潜む「時」認識を彷彿とさせる歌となっている。
心がそう想えばどんな小さな、ささいな出来事も自分確認できる「記念時」となる。つまり、マーケティングとしては、顧客に「そう想える」出来事を創ることによって、記念としての商品が販売できるということだ。一見普通に見える商品購入も、実は「今日はチョットうれしいことがあったから」といった「ヒトリッチ市場」となる。数年前から、「お一人様仕様」の旅や飲食などが若い女性に人気となっているが、最近では男性版「お一人様仕様」がホテルなどで出始めている。人間は一人では生きていけないが、ひととき自己納得、自分で自分を癒す市場はこれからも増大していく。
この「自分確認・自己納得市場」は、極論ではあるがどんな商品でもサービスでも購入&消費される市場という側面を持っている。当人が「そう想える」ということが唯一条件となる市場だ。ある意味心理市場というより、宗教市場と言った方が正確である。勿論、その宗派は「自分教」である。つまり、「そう想える自分確認」ができる、いやさせてくれるサービス市場と言った方が正確であろう。自己を投影した商品やサービスという「ナルシスト」な市場であり、今後も市場全体を覆っていく。

不安の時代にあって、「内なる自分」と「帰属する共同体」とを行ったり来たりすることの中に「自分確認市場」が生まれてくる。さて自分確認という自分の中に「何」を見出したいのであろうか。マズローの法則から言うと自己実現ということになるのであろうが、もっと日常的で手の届くものとしては「小さな幸福」だと思う。バブル崩壊後10数年を経て、島田洋七の「佐賀のがばいばあさん」やリリー・フランキーの「東京タワー」のような、どこにでもある「小さな幸福」に戻ったのだと思う。
こうした時代の市場創造は、新たな共同体を創っていくことだ。「孫の日」を筆頭に無数の業界団体による記念日が創られているが、これはこれで消費を促進させる一つの方法ではある。しかし、これからは、「好き」を入り口としたクラブのような、江戸時代でいうところの「連」のような共同体を創っていくことだと思う。その仮想共同体のコンセプトは、勿論「家族」となる。(続く)  


Posted by ヒット商品応援団 at 11:44Comments(0)新市場創造

2007年04月15日

新しい母性

ヒット商品応援団日記No158(毎週2回更新)  2007.4.15.

熊本の赤ちゃんポストが市の承認を踏まえ一歩踏み出した。ここ数ヶ月その是非について多くの意見が出されたが、その本質は家族という考えの先にある「母性」についてであった。私はライフスタイル研究の原型が江戸時代にあるとの仮説から江戸庶民の生活を調べて来たが、江戸時代はいわゆる「捨て子」がかなり多かったようである。世界に例をみない自然との共生社会であった江戸時代にあって、捨て子に対する人間としての引き受け方は一つの示唆があると思っている。その共生思想の極端なものが、江戸中期の「生類憐れみの令」である。歴史の教科書には必ず「生類憐れみの令」について書かれているが、多くの人は犬を人間以上に大切に扱えというおかしな法律だと思っている人が多い。生類とは犬、馬、そして人間の「赤子」であることはあまり知られてはいない。その「生類憐れみの令」の第一条に、捨て子があっても届けるには及ばない、拾った者が育てるか、誰かに養育を任せるか、拾った人間の責任としている。そもそも、赤子を犬や馬と一括りにするなんておかしいと、ほどんどの人が思う。江戸時代の「子供観」「生命観」、つまり母性については現在の価値観とは大きく異なるものだ。生を受けた赤子は、母性を超えてコミュニティ社会が引き受けて育てることが当たり前の時代であった。自分の子供でも、隣の家の子供でもいたずらをすれば同じように怒るし、同じように面倒を見るのが当たり前の社会が江戸時代である。

私たち現代人にとって、赤子を犬や馬と一緒にする感覚、母性とはどういうことであろうかと疑問に思うことだろう。勿論、捨て子は「憐れむ」存在ではあるが、捨てることへの罪悪感は少ない。法律は捨て子の禁止よりかは赤子を庇護することに重点が置かれていた。赤子は拾われて育てられることが前提となっていて、捨て子に養育費をつけた「捨て子養子制度」も生まれている。つまり、一種の養子制度であり、そのための仲介業者まで存在していた。
私たちは時代劇を見て、「大家と言えば親も当然、店子と言えば子も当然」といった言葉をよく耳にするが、まさにその通りの社会であった。あの民俗学者の柳田国男は年少者の丁稚奉公も一種の養子制度であるとし、子供を預けるという社会慣習が様々なところに及んでいると指摘をしている。江戸時代にも育児放棄、今で言うネグレクトは存在し、「育ての親」という社会の仕組みが存在していた。この社会慣習とでもいうべき考え、捨て子の考えが衰退していくことと反比例するように「母子心中」が増加していると指摘する研究者もいる。(「都市民俗学へのいざない1」岩本通弥篇)

少子社会にあって、5ポケットどころか6〜7ポケット言われる位、一人の子に消費が集中する時代にいる。妹の子供、弟の子供、つまり甥っ子、姪っ子達へのギフトが盛んである時代にも、子育てに悩み、ノイローゼになる母親は多い。私の身じかにも、子の命が危険になり、子を祖母に預け、海外で妻をリハビリする知人もいる。勿論、会社を辞め、子と女房の命を救うためである。今回の赤ちゃんポストは慈恵病院が長屋の大家さんになるという仕組みだ。赤ちゃんポストという名前は良いとは思わないが、小さな共生社会として、「新しい母性」を病院が一部代行してくれる一つの知恵であり進歩だと思う。
ところで母性というと「母の日」を思い浮かべ、クリスマスと同じように西欧からもたらされたと思う人が多いと思う。しかし、昭和6年当時の皇后誕生日「地久節」を祝うために始まったものだ。この日をスタートに大日本連合婦人会が発足し、国家による母性創造へと向かったと指摘する人も多い。ちなみに、「結婚適齢期」という言葉も同じ時期に生まれたと言われている。明治政府の富国強兵政策の延長線上に「母性」もまたあったということだ。
戦後の復興に大きく寄与した池田内閣、そのシナリオを書いた大蔵官僚下村治が奇跡といわれる所得倍増を実現した後、低成長時代を迎え、今後の日本は江戸時代をひな形にすべきと発言したことを思いだす。全てを江戸時代に求め、理想化する訳ではないが、いくつかのモデルとすべき知恵やアイディアは存在している。(続く)  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:35Comments(0)新市場創造

2007年04月11日

五感の取り戻し

ヒット商品応援団日記No157(毎週2回更新)  2007.4.11.

便利さを追求していくことは決して悪いことではないが、「スイッチ族」と呼ばれるように全てが指一つで快適な生活が送れることによって失ったものもある。その最大なものが五感の喪失である。五感は外の世界を感知する、視覚、聴覚、触覚、味覚、臭覚、の5つを一般的には指し示す言葉である。少し前に「無菌社会」というテーマで書いたが、極論ではあるが「無感社会」になりつつあるように思えて仕方が無い。無感こそが快適であると、人が本来持っている「野生」を無くしているように思える。

外の世界を感知する五感の内、脳が反応する70%近くが視覚であると言われているが、この数十年一番変わったのが「明るさ」である。私は商業施設のリニューアルを数多く見て来たが、常に照度はアップし、鮮度の基本は照度であるかのように言われて来た。そして、コンビニやドンキホーテのように24時間化は日常となった。つまり、昼と夜の境目が無くなったということである。朝らしい朝、昼らしい昼、夜らしい夜、勿論季節らしい季節も失っている。夜らしい夜を演出したのが東京西麻布あたりに沢山あるダイニングバーなどの「隠れ家」である。過剰な都市の光から暗闇の素敵さに着眼し演出した訳である。隠れ家ばかりか、京都を始め寺社や名所旧跡のライトアップがさかんである。また、照明デザイナー石井幹子さんによる中心市街地ライトアップ計画なども暗闇をどう素敵に見せるかの着眼だ。
過剰さはモノや情報ばかりか、光も同様で都市は「光害」に覆い尽くされていると言っても過言ではない。夜を取り戻す、暗闇を楽しむ、といった動きが出始めている。蛍狩りやお月見といった季節歳時や、家の中を見渡すとあんどんや蝋燭といった心にやさしい光が復活し始めている。前回の和と洋の振り子ではないが、光も明るさと暗闇を振り子のように行きつ戻りつしている。

ところで聴覚であるが、実は音も合理化された音に囲まれている。最近は凋落傾向が激しい演歌であるが、日本は「こぶし」や「うねり」といった音楽感性をもった民族であった。古くは江戸時代に「虫聞き」といった風情ある遊びがはやっていたが、風鈴や鐘の音といった自然音は西欧音楽には無い世界である。実は、西欧もこうした自然音のような複雑な音階を使っていた。しかし、ピアノが大量生産されるようになり「12音階」に統一してしまった。音楽の合理化である。勿論、この合理化によって誰でもが演奏することも聞くこともできるようになった。あのマックスウエーバーが「音楽社会学」の中で「近代の音楽芸術作品は、われわれの楽譜という手段がなければ、生産することも伝承することも再生することもできない」と書いているが、合理化することによって進歩がなされてきた。そして、12音階に統一された西欧音楽が今日の私たちの音楽の基礎になっている。こうした12音階にはない、音符には表せない音楽は日本では民謡として、あるいはアフリカや中近東に今なお残っている。少し前のニュースで見た程度であるが、横浜で声明によるイベントがあり好評であったという。仏教音楽では高野山の声明(http://www.syomyo.jp/sho.html)が有名であるが、謡曲、民謡、浄瑠璃といった日本の伝統音楽は声明をそのルーツとしている。声明はまさに自然音に近く、私たちに「ゆらぎ感覚」といった心地よさを与えてくれる音楽だ。

今回は視覚と聴覚をテーマに取り上げたが、合理的な世界に埋没してしまうと、自らの感性を退化させてしまうことにつながっていくと思う。既に自然の光や音は、現状では癒しマーケットとして顕在化しているが、五感の取り戻しは日本の感性の取り戻しであり、そこに大きなマーケットが存在していると思う。つまり、感知すべき外の世界に、五風十雨と呼ばれるような湿潤で豊かな日本の風土を取り戻すことが、無感から脱皮し瑞々しい感性を取り戻すことへとつながる。例えば、田舎暮らしで自ら鍬をもって耕すことも、合理化できない自然と向き合うことである。あるいは団塊世代市場とも関連するが、ビジネスや家族といった制約から解き放たれて、少年少女になって小さな冒険探検旅行も増えるであろう。そして、誰もがあっと驚くような「五感の取り戻し」が団塊世代から生まれてくる。(続く)  


Posted by ヒット商品応援団 at 14:04Comments(0)新市場創造

2007年04月08日

和と洋の狭間で 

ヒット商品応援団日記No156(毎週2回更新)  2007.4.8.

前回東京ミッドタウンと六本木ヒルズとの比較を和と洋という対比の中で、その事例として両方に出店している和菓子の老舗虎屋についてふれてみた。東京ミッドタウンに行き実感されていない方も多いと思うのでそのコンセプトである「Japan Value」についてはデベロッパーのHP(http://www.tokyo-midtown.com/jp/shops_restaurants/area.html)を見ていただきたい。木と石、アクセントに竹と小石を使った和の世界であるが、その日本美を出店各社は独自なアート&デザインで表現している。事例として挙げた虎屋は正面には巨大な暖簾一枚だけである。アートディレクター葛西薫氏によるものと聞いているが、中に入ると白を基調にした素敵な空間となっている。六本木ヒルズのTORAYA CAFEはカジュアルな空間とメニューになっており、あずきやカカオなど6種が入ったデザートプレートのように和と洋を融合させたスタイルとなっている。一方、東京ミッドタウンの虎屋はまさに和のアートそのものとなっており、そのメインメニューは老舗虎屋を代表する小倉羊羹「夜の梅」である。480年という虎屋の歴史を受け継いで来た商品、THE虎屋である。

ところで、老舗和菓子が洋の世界を取り入れ始めたのは、1990年代からの洋菓子ブームに触発されたからであった。その頃の洋菓子はパティシェという言葉と共に、カラフルでアートな感覚の商品によって多くの支持を得てデパ地下のコア商品となり、その領域を広げていった。小豆を始めとした和の素材の活用から始まり、洋菓子屋さんが作る和菓子も生まれるようになる。その代表例が大阪の洋菓子店GOKAN(五感)であろう。一方、こうした背景から和菓子も若い女性に合わせたカジュアルで気軽に使ってもらおうと和カフェという業態へと進出してくる。和菓子ばかりか、日本茶ブームに乗ってお茶屋さんも和カフェへと進出し、東京では和ブームの一端を担っている、というのが現況である。最近では関西の和菓子屋さんが「MOCHI CREAM」という創作大福をつくり、FC展開による出店を東京で加速させている。大福餅の中の餡が和と洋のフレーバーあんで出来た冷菓で、いわゆる「変わり大福」というトレンド商品である。

何故和菓子や洋菓子の現在を書いたかと言うと、食は日常そのものであり、ライフスタイルに一番取り入れやすく変化が出やすいからである。単価も安く、チョット食べてみようかと気軽にトライできることから、いち早くライフスタイル変化を読み解くには良い着眼対象になるからだ。
今、日本の食の代表調味料である醤油は世界の調味料となっている。イタリアンやフレンチにも隠し味として使われているが、醤油のように洋から和を見ていくことによって新たな使われ方、新たな市場が世界中で生まれている。日本においては、戦後の洋ライフスタイルから1990年代初頭のバブル崩壊を受けて、立ち止まり、見直す中に和のライフスタイルもあった。丁度、和から洋のライフスタイルを見直している最中で、洋と和とがせめぎ合い、振り子のように洋と和を行ったり来たりしている。これは私の想像の域を出ないが、こうした振り子のような動きの中から新しい文化が生まれてくると思う。まだ文化には至っていないが、いくつかのラーメンブームを経て、和から洋からラーメンを見ていくことによってラーメンは進化している。従来の発想を捨て、逆の視点から見ていくことの中にヒット商品は生まれる。持論であるが、和は日本の至る所に埋もれたままである。埋もれた和に洋の視点、都市生活者の視点をプラスすることで見事に生まれ変わることができる。但し、振り子の時代であることを常に忘れてはならない。(続く)  


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2007年04月04日

東京ミッドタウンと六本木ヒルズ

ヒット商品応援団日記No155(毎週2回更新)  2007.4.4.

「格差」が多くの面で広がりつつあるとスタディするきっかけとなったのは、2003年4月にオープンした六本木ヒルズであった。まだ、「ヒルズ族」といった言葉もなく、「格差」などという言葉もなく、オープン数日は連日30万人もの観光客が見に行っていた頃である。入居企業を調べてみると、IT関連企業や飲食をはじめとしたベンチャー企業と共に、外資を含めた投資組合といった金融関連企業の多くが入居していたことに少々驚いたことがあった。また、数少ない雑誌の中で「3Aエリア」(赤坂、青山、麻布)という言葉が使われ、月額家賃が100万以上といったマンション物件が1万戸以上もあったことも「格差」を調べるきっかけであった。既に汐留の再開発では規制緩和が実行され高層ビル群が生まれ、東京も大きく変わるなとは思っていたが、六本木ヒルズオープンの時の予感はトレンドのような単なる変化ではなく、構造としての変化ではないかとの感じを持った。今回の東京ミッドタウンのオープンによって、そうした変化はいくつかの層へと明確に分化してきたとの認識を更に持った。

生活者調査を数多く実施してきたが、その中でマーケティングリサーチを実施したことのある経験者であればすぐ分かるが、クラスター分析という手法がある。クラスターとは好みや嗜好といった選好度が近い人達をグルーピングしていく方法で、どんな顧客を対象とするかを決める時によく使われる調査手法である。よく知られているところでは、ライフスタイルの違いによるセグメンテーションに使われている。専門的なことは別として、東京ミッドタウンのオープンによって東京はTOKYOという都市国家になったということである。NYのマンハッタンやロンドンのシティと同じになったと考えた方が良いと思う。その都市国家の性格であるが、東京ミッドタウンの中に「21_21デザインサイト」というデザインインキュベーションの試みを三宅一生さんをはじめとしてスタートしたことに注目したい。東京を「デザインシティTOKYO」の第一歩にしようということである。

クラスター(集合群)を形成する基礎はいくつかの価値観であるが、経済的要因を無視することではない。ただ、東京ミッドタウンの本質を「スイートルーム1泊260万もするリッツカールトンホテル」といった富裕層のための諸施設として注目すべきではない。都市に住むとは、世界中にあるビジネス、生活、遊び、といった情報とサービスを自在に手に入れられる可能性を持つということである。以前、「都市別荘」(http://remodelnet.cocolog-nifty.com/remodelnet/2006/10/index.html)というキーワードで書いたことがあるが、居住ではなく、滞在的住まい方が東京ミッドタウンに初めて出来た。つまり、居住者にはリッツカールトンのホテルサービスが受けられるという所有ではなく、使用に価値を置く価値観である。
ところで、東京ミッドタウンのコンセプトは「和」である。グローバルという世界に向けてはJapan Value=和を発信し、感性としては日本美となる。六本木ヒルズの洋コンセプトと比較し、対照的である。クラスターという視点に立つと、六本木ヒルズが洋テイスト=若者的であるのに対し、東京ミッドタウンが和テイスト=大人的である。どちらが良い悪いではなく、2つのクラスターが出来上がったということである。実は老舗の和菓子虎屋がこの2つの施設に入っているがその店づくりを比較して「違い」を見れば一目瞭然であろう。こうしたグローバルなクラスターがこれからも続々と東京、いやTOKYOに創られてくる。繰り返しになるが、大阪や名古屋の延長線上に東京という市場を見てはならない。極論ではあるが、東京の中心TOKYOでビジネス展開することとは世界市場を相手にしていることと同じである。(続く)  


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2007年04月01日

夢舞台       

ヒット商品応援団日記No154(毎週2回更新)  2007.4.1.

前号の最後に、「シニアの日常は全て思い出づくりとなる」と書いた後に、あの植木等さんの訃報をニュースで聞いた。植木等さんの死とは、団塊世代にとって自身の限られた時間認識を更に鮮明にさせるものであった。そして、50数年間生かされて来たことへの感謝と自身の思い出づくりを加速させる。「Always三丁目の夕日」を観た後にも同様の感じを受けたが、今回の植木等さんの死はとてつもなく大きい。戦後の高度成長期にあって、無責任男、ほらふき男を演じた植木等さんであるが、その笑いは痛快で清涼感すらあった。
団塊世代にとって「過去を振り返る」とは、限られた未来を描き行動することと同じである。過去を遡り、残された時間をどう生きるかが唯一の生きる目的となる。勿論、過去は取り出したい「過去」だけであり、「今」の自分を投影している。よく青春フィードバックというが、ストレートしか球種を持たない当時の若い団塊世代に、フォアボールでもいいじゃないか、どうにかなるさ、と一種の「軽さ」を持った応援歌であった。夢は飲み込んで走ることしかなかった昭和という時代、青春時代を象徴した人物であった。

さて団塊世代は昭和に立ち戻り、どんな未来を描くのであろうか。働いて食べることに精一杯であった昭和にあって、好きな仕事に就けることなど極めて難しいことであった。戦後という時代に翻弄されたというより、結果として時代を切り開いたという少しの自負はある。昨年の嬬恋ライブで吉田拓郎が最後に歌ったアンコール曲は象徴的であった。拓郎のデビュー曲である「今日までそして明日から」を歌い、またこれからも生きていきます、またいつか会いましょうとの言葉通りである。死を身じかに感じ、やり残したことは何か、昭和の自分に帰り、そこから団塊世代の未来は始まる。

やり残したことは何か。既にその芽が出てきているのが「田舎暮らし」である。「Always三丁目の夕日」を観られたら分かるが、中学・高校を卒業し都市へと集団就職するのがごく普通の時代であった。40数年後の今、後にした「ふるさと」の暮らしの取り戻しが田舎暮らしになったのだ。数年前から、団塊世代夫婦の旅は、「ふるさと」探しの旅となっている。昨年11月に創刊された団塊世代向けの雑誌「ノジュール」なんかは、よきガイドマガジンになっている。これからも、田舎暮らしを始める団塊世代は多く出てくる。同時に、都市の中にも「ふるさと」が数多く出現する。まずは郷土料理であろう。飲食店ばかりか、郷土の食材、調味料、調理道具なんかも注目されていく。特に、昭和という時代の温故知新が本格的に始まる。例えば、その傾向の一つにコンビニで売られている「ころっけパン」や「揚げパン」があるが、小さな移動屋台のような業態で、コッペパンを使った揚げたて出来立ての懐かしい「ころっけパン」専門店なんかも十分流行っていくと思う。

団塊世代はビートルズ世代と言われたように音楽世代である。オヤジバンドの舞台を用意したライブハウスはどこも盛況である。今、こうした音楽ばかりか、当時の遊びクラブが盛んである。べーごまや模型飛行機づくり、三角ベースの延長線上の草野球、・・・全て思い出づくりである。遊びからボランティアあるいは小さな起業まで多様な思い出づくりがスタートするが、そのこころの根底にあるのは「少年・少女」である。身体は太めになり病気の不安もあるが、こころは暗くなるまで遊び回った頃に戻っている。今流行のトレンド、ダメージジーンズなんかもサイズさえ合えば、団塊世代ははくであろう。
既に「好き」を追いかける消費市場は高額商品を中心に売れているが、少年少女達にとって問題なのは「発表舞台」である。団塊世代が中学生の頃、TV番組に「全国勝ち抜きエレキ合戦」があったように、市場を活性化させるには思い出づくりの「夢舞台」が不可欠となる。田舎暮らしも夢舞台であり、好きを求めた高額商品購入の裏側にも必ず夢舞台がある。少年少女になって舞台に立つ、これが団塊世代における市場開発の最大着眼である。(続く)  


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