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ヒット商品応援団
「人力経営」という本を書きました。ヒット商品の裏に潜んでいる「人」がテーマです。取材先はダスキン、エゴイスト、野の葡萄、叶匠寿庵、桑野造船の経営リーダー。ユニーク、常識はずれ、そこまでやるのか、とにかく面白い経営です。星雲社刊、735円、新書判。

2008年06月08日

時代の変化と共にあるシャネル(1)

ヒット商品応援団日記No272(毎週2回更新)  2008.6.8.

前回個人文化・パーソナルブランドの時代を迎えるであろう書き、ブログに公開した直後、高級インポートブランドのフェラガモが値下げに踏み切ったと報じられた。3年ほど前から、ユーロ高(円安)と原材料高から20%ほど値上げしてきたフェラガモが今回7〜10%の値下げに踏み切ったとのこと。その背景には高級インポートブランドの売上不振があったと思う。値下げによって買いやすさが生まれるかどうかわからない。値上げはあっても値下げしないことが、ブランドを守ると経営判断してきた高級インポートブランドである。トヨタのレクサスが不振でプリウスが好調な日本市場にあって、どんな答えが出るか高額ブランド商品の需要指標の一つとして注視していきたい。

ところで前回のブランドへの考え方の続きであるが、私は「ブランドは顧客が育てる」ものであると書いた。一般論としてではなく、ブランドのポリシーを守り支援するといったパトロナイズする顧客の有無ということである。ヨーロッパには今なお貴族社会が残っており、いわば貴族文化がブランドを育て守っている。十数年前の話であるが、ヨーロッパの観光客が日本を訪れびっくりしたことの一つに、街の至る所で無数の女性達がルイ・ヴィトンのバッグを持っている光景であったという。つまり、モノを購入・消費するとは、その裏側にある考え方や生きざま、理念に共感し、そうした文化を共有することの歓びに他ならないと考えているからだ。極論ではあるが、こんなに多くの女性達が貴族文化人としてパトロナイズしているのか、といって当時驚いたのである。勿論、ヴィトンフアンにはそうした考えの人もいると思うが、多くは他者との「違い」をモノを通して表現したいとするトレンドファッションである。だから、新作が発表されると我先に買うことに「違い」を見出すという、常に「変化」を楽しむ消費と言えると思う。最近のデータを確認はしていないが、今もなおヴィトンの最大消費国は日本である。分かりやすくいうと、前者・ヨーロッパ市場を文化型消費、後者・日本市場をコンビニ型消費と私は呼んでいる。そして、日本も文化型消費へと向かいつつある、というのが私の仮説である。

今から10年近く前に、「何故ブランドは人を惹き続けるのか」というテーマでいくつかのブランドをスタディしたことがある。その中のブランドにシャネルやティファニーがあったが、今なおブランドとして確立しているが、その核・コアとなっていることは「常に時代の変化と共にある」ということであった。この号を含め、どのように時代と向き合ってきたか、マーケティングの視点で解き明かしていきたい。
そのシャネルには周知のように多くの逸話が存在している。「この服は売りに出せないわ。私のものになっていないから」「仕事は私の命をむさぼりくった。私の恋さえも」・・・過去の破壊者、自由に生きる恋多き女、激しさ、怒り、・・・多くの人がそうシャネルを評しているが、シャネルにとっての服とは、そうした生き方や生活、アイディア等、全てが一つのスタイルとして創られたことにある。逸話はそうしたスタイル創造の過程として必然的に生まれた。

当時のヨーロッパ文化のある意味破壊者で、丈の長いスカート時代にパンツスタイルを生み、男っぽいと言われながら、水夫風スタイルを自ら取り入れた。肌を焼く習慣がなかった時代に黒く肌を焼き、マリンスタイルで登場した。そして自分がいいと思えば決して捨て去ることはなかった。スポーツウェアをスマートに、それらをタウンウェア化させたシャネルはこのように言っている。“私はスポーツウェアを創ったが、他の女性たちの為に創ったのではない。私自身がスポーツをし、そのために創ったまでのこと”。勿論、アクセサリーの分野でも彼女のセンスを貫き通した。“日焼けした真っ黒な肌に真っ白なイヤリング、それが私のセンス”。シャネルのポリシー“モードではなく、私はスタイルを創りだしたのです”というマリンルックは徐々に流行する。

1920年代、シャネルは香水の分野でも、その革新的チャレンジをしている。過去の“においを消す香水”ではなく、“清潔な上にいい匂いがする香水”、つまり基本は清潔、それからエレガンスであった。そして、調香師エルネスト・ポーと出会い、「No.5」「No.22」が生まれるのである。コンセプトは“新しい時代の匂いを取り入れること”とし、どこにでもつけていける香水を創ったのである。その後、ジャスミン、ローズ、スズラン…といった植物を調合してでき上がったのが、この「No.5」と「No.22」であった。「No.5」が売り出されたのは、1921年、ネーミングも簡潔そのものであり、ビンのフォルム、ロゴマークも従来の甘さや文学性を排除した、シャネルの新しい時代感覚そのものの明快なデザインであった。(続く)  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:58Comments(0)新市場創造