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「人力経営」という本を書きました。ヒット商品の裏に潜んでいる「人」がテーマです。取材先はダスキン、エゴイスト、野の葡萄、叶匠寿庵、桑野造船の経営リーダー。ユニーク、常識はずれ、そこまでやるのか、とにかく面白い経営です。星雲社刊、735円、新書判。

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Posted by さぽろぐ運営事務局 at

2020年07月26日

「密」を求めて、街へ向かう若者たち  

ヒット商品応援団日記No769(毎週更新) 2020.7.26.



新型コロナウイルスの感染が拡大し続けている。その震源地は若い世代で次第に中高年世代へと広がっていると報道されている。緊急事態宣言が解除されてから約2ヶ月半近く経つが、一旦治った感染はその後東京新宿から始まり、全国へと広がり始めている。前回の未来塾で5月の家計調査結果についてレポートしたが、今の調査方法に変えてから初めての激しい消費の落ち込みが示されていた。特に観光産業関連は軒並み前年比90数%の落ち込みとなっており、その時にも書いたが政府は持続化給付金が切れる前に計画されていたGOTOキャンペーンを前倒しで行うことを決めたのではないかと。

ほとんどのメディア、特にTVメディアは消費実態、その「数値」の意味については報じない。その極端な落ち込みによる企業破綻、倒産についても同様で、5月の倒産件数は314件で56年ぶりの低水準であったこともあって経済の危機についての関心はなく、記事にすることはなかった。実は倒産件数が少なかったのは、裁判所もコロナ禍によって業務が縮小されており、つまり受付なかったということによるものであった。こうしたことを報じたのは唯一日経新聞ぐらいで、TVのワイドショーなどで取り上げられることはなかった。ところが7月に入り、やっと知っている中堅企業が続々とその破綻が明らかになってきた。例えば、主にSC(ショッピングセンター)などに出店していた「すし常」やエゴイストと共に渋谷109を代表すっるブランドであった「セシルマクビー」の破綻、更にはファッションであれば「ナチュラルビューティー」も事業を廃止した。その背景にはファストファッションの台頭やネット通販業態への転換など多くの要因はあるが、消費増税の壁の先に出現したコロナ禍が破綻に追い込んだことは間違いない。
家計調査にも出ているが化粧品やファッション衣料はまるで売れてはいない。勿論、外出自粛によって着ていく場所、街という舞台を失っているからである。ただ面白いことに化粧品について唯一売れているのがマスクからでも見えるアイラインなどは好調であると。このようにコロナ禍にあって売れている商品もある。また業績は低迷している手芸のユザワヤは都心部の店舗を撤退させてきたが、手作りマスク需要から活況を見せている、そんな事例も見られる。こうした事例はある意味で例外であり、残念ながら、メディアの舞台に上がることのない中小零細企業の破綻は進行している。

私は何事かを決めつけるやり方として、あまり「世代論」が好きではない。俗に言う「今の若者は」と言う言い方に象徴されるのだが、今から10数年前に社会現象となった若い世代のコミュニケーション、KYについてブログに書いたことがあった。それは2007年の流行語大賞の一つに選ばれた言葉、KY(空気が読めないに当時の若い世代の時代感覚のようなものを感じたからであった。当時次のようにその「意味」を書いたことがあった。

『KY語の発生はコミュニケーションスピードを上げるために圧縮・簡略化してきたと考えられている。既に死語となったドッグイヤーを更に上回るスピードであらゆるものが動く時代に即したコミュニケーションスタイルである。特に、ケータイのメールなどで使われており、絵文字などもこうした使われ方と同様であろう。こうしたコミュニケーションは理解を促し、理解を得ることにあるのではない。「返信」を相互に繰り返すだけであると指摘する専門家もいる。
もう一つの背景が家庭崩壊、学校崩壊、コミュニティ崩壊といった社会の単位の崩壊である。つまり、バラバラになって関係性を失った「個」同士が「聞き手」を欲求する。つながっているという「感覚」、「仲間幻想」を保持したいということからであろう。裏返せば、仲間幻想を成立させるためにも「外側」に異なる世界の人間を必要とし、その延長線上には「いじめ」がある。これは中高生ばかりか、大人のビジネス社会でも同様に起こっている。誰がをいじめることによって、「仲間幻想」を維持するということだ。
KY語は現代における記号であると認識した方が分かりやすい。記号はある社会集団が一つの制度として取り決めた「しるしと意味の組み合わせ」のことだ。この「しるし」と「意味」との間には自然的関係、内在的関係はない。例えば、CB(超微妙)というKY語を見れば歴然である。仲間内でそのように取り決めただけである。つまり、記号の本質は「あいまい」というより、一種の「でたらめさ」と言った方が分かりやすい。』

更に、若い世代の常用語である「かっわいい~ぃ」も「私ってかわいいでしょ」という「聞き手」を求め、認めて欲しい記号として読み解くべきだとも書いた。以降、多くの社会現象、例えば渋谷スクランブル交差点に集まるバレンタインイベントも、「聞き手」と言う仲間を求めて集まる出来事であることからわかるかと思う。
記号、つまり絵文字やスタンプを使った即時のやりとりは「反応」という「自動機械」の潤滑油となる。そこには個性はなく入れ替え可能と言うことである。むしろコミュニケーションに遅れが生じると「意識」や「考え」の働きを目ざとく見つけられて叩かれる。それを恐れるから意識や考えを極端なまでに抑制する、「自動機械」に埋没したがる。その結果、今時の若い世代は、文脈を分析して「他者に対して想像力を働かせる」ことができなくなってしまった。私はそうしたコミュニケーションをあいづちを打つだけの「だよねコミュニケーションであると名付けることにしたことがあった。

ところで新型コロナウイルスについて置き換えるならば、最近東京都が言い始めた「感染をしない、うつさない」と言う標語、他者への想像力は働かないと言うことである。勿論、悪気があってのことではない。「大人」がいくら社会的責任の意味を説いてもコミュニケーションは成立しないと言うことだ。自分がうつってしまうかも、という不安はあっても、コロナ禍が始まった3月以降、若い世代の感染者は軽傷者がほとんどであるとの認識が強くあり、街中で行われる多くのインタビューには”自分はうつらない、大丈夫」とだけ答え、他者にうつす危険性についてはほとんど答えがないのはこうした理由からである。

ところでこの若い世代の消費について少しだけ分析したことがあった。それは日経新聞が「under30」という名称で若い世代の価値観、欲望喪失世代として指摘をしたことがきっかけであった。ちょうど「草食世代」などといったキーワードが流行った時代である。そのライフスタイル特徴と言えば、車離れ、アルコール離れ、ゴルフ離れ、結婚離れ、社会離れ、政治離れ、・・・・多くの「離れ現象」が見られた。一方で「オタク」という超マニヤックな行動を見せる世代が社会の舞台に出て来てもいた。周知のようにオタクは過剰、過激さをその特徴としているが、このunder30はオタクの対極にある「バランス」や「ゆるさ」への志向をはかってきたグループ世代で、外見は気のいい優しい「人物」である。
「バランス」が取れた誰とでもうまく付き合うゆるい関係、空気の読める仲間社会を指し「だよね世代」と私は呼んでいたが、もっとわかりやすく言えばスマホの無料通話ソフトLINEの一番の愛用者である。そもそもLINEは「だよね」という差し障りの無い世界、空気感の交換のような道具である。オシャレも、食も、旅も、一様に平均的一般的な世界に準じることとなる。他者と競い合うような強い自己主張はない。結果、大きな消費ブームを起こすことはなく、そこそこ消費になる。そして、学生から社会へと、いわゆる競争世界に身を置き、それまで友達といったゆるいフラットな世界から否応なく勝者敗者の関係、あるいは上下関係や得意先関係といった複雑な社会を生きる時、そうした仲間内関係から外れることを恐れ、逆にそれを求めて街へ出る。今のコロナ禍の表現をするならば、「密」な関係を求めて、東京へ、街へ、出かけるのである。
未来塾の第一回目には「正しく、恐る」をテーマとしたが、この若い世代にとって「正しさ」の認識は「かかりにくい、かかっても軽症で済む」と言うのが彼らの認識である。そして、その「正しさ」を大人の論理で強制するのではなく、まず「聞き手」になることから始めると言うことである。感染症の専門家も、特にTVメディアも伝え方が根底から間違えていると言うことだ。その聞き手とは言うまでもなく「現場」であり、大学も、職場も、夜の街・ホストクラブの大人達である。東京アラートに際し、レインボーブリッジを赤く染めたら、お台場には見物客が多数集まり、つまり東京の新たな観光スポットになってしまった失敗を思い起こすべきである。「正しく、恐る」その正しさが一切伝わっていない証明そのものである。ロックダウンではなく、セルフダウンを選んだ日本は、まずすべきは「大人」が聞き手になるということだ。(続く)
  
タグ :コロナ禍


Posted by ヒット商品応援団 at 12:59Comments(0)新市場創造

2020年07月19日

未来塾(41)「日常の取り戻し」を学ぶ 後半

ヒット商品応援団日記No768(毎週更新) 2020.7,19



コロナ禍以前の築地場外市場

「日常の取り戻し」を学ぶ


不安を抱えながらの「日常」

危機からの脱却は「自由時間」の取り戻し、その中でも生活に即して言うならば「日常の取り戻し」となる。多くの自然災害は勿論のこと、コロナ禍も同様である。2008年のリーマンショックによる大不況の時は「年越し派遣村」に見られるように非正規労働者の失業が目に見える危機であった。2011年の東日本大震災の時は大津波によって町全体を失い、福島原発事故では放射能汚染によって住むことができない故郷を失うといったことを生み出した。どの危機も失うものは異なっていても、取り戻したいと願うことの第一は「日常の取り戻し」であった。
その日常の中には個々人全て異なるものであるが、共通していることは、危機の先に「自由時間」を持てることにあった。好きな仕事ができる自由、子供との時間、家族との旅行や外食、実家への里帰り、・・・・・・・個々人の年齢や環境によって大切にする時間の使い方は異なる。その自由こそが日常の本質となっている。ライフスタイルの本質はこの日常にあるということを再認識させた。
今回のコロナ禍の特徴は、「ウイズコロナ」「コロナとの共存」といった言葉に代表されるように、ワクチンや治療薬が開発されるまでの「長期間」不安を押し殺したままの日常になるということである。それは事業を行う人も生活者も同じ思いとなっている。リーマンショック後では特に事業者にとって「事業の立て直し」が社会の主テーマとなり、東日本大震災後では生活者も事業者も「街・故郷の復旧・復興」が主テーマとなった。同じ日常の取り戻しでも危機のあり方によって異なる。

非接触業態へと向かう消費

コロナ禍はこの日常を「移動自粛」によって失ってしまったということである。このブログは「消費」が大きなテーマとなっおり、3月からの3ヶ月間はスーパーなど日常生活に必要な商業施設以外は百貨店をはじめほとんどの商店は休業状態となった。楽しみを求めて多くの人が集まるイベントや娯楽施設は勿論のこと、街の人通りはゴーストタウン化したことは周知の通りである。そのゴーストタウンが象徴するように、ネット通販や宅配ビジネスといった非接触流通が生活を補完するものとして好調に推移している。
また以前からシニア世代の必須業態となっている移動販売が再び注目されている。数年前から地方の山間部のみならず、都市近郊のスーパーなどの無い空白地帯の必需業態となっている。また、周知のようにフードデリバリーに人気が集まっている。更にキッチンカーによる移動レストラン業態も生まれている。しかし、こうした業態がコロナ感染が収束した後まで持続していくかどうか、確かなことは言えないが宅配ピザのように固有の流通となり得るかは提供するフードメニューの魅力、他にはない魅力によるであろう。
非接触の反対は接触であり、簡単に言ってしまえば「賑わい」のことである。コロナへの不安心理の変化はこの賑わいの復活度合いを見ていけばわかる。渋谷や新宿など逐の移動データが発表されているが、これも不安心理を見ていく一つの指標となる。

働き方変化のゆくえ

そして、コロナ禍で売れたものは何かといえば、まず巣ごもり消費の定番、つまり内食の食材であり、子供たちであればゲームとなる。また、在宅勤務・テレワークに必要とされる商品である。周知のように新たなパソコン、あるいはWebカメラといったテレワーク必需品である。更に付帯的なものとしてエアコンといった在宅環境整備商品である。こうしたテレワークの経験はコロナ禍が収束した後もそのまま継続するという企業が多いという調査結果もあるが、テレワークだけで「先」を見据えた合理的なビジネススタイルになり得ることはない。

満員電車の通勤に戻りたくはない、地方で仕事をしたいと願う人が増えてくると考える専門家もいるが、逆で長時間通勤から仕事場により近いところに住まいを移すことの方に向かうであろう。都心に近い江東区など湾岸エリアが一大居住地帯となっており、更には都心まで十数分の川崎市武蔵小杉などのタワーマンション人気を見てもわかるように通勤時間の短縮が数年前からのテーマとなっている。東京一極集中はコロナ禍によって解決されるのではないか、地方移転が始まるのではないかと考える専門家もいるが、逆に都市集中化はこれからも進むと私は考えている。
何故なら、仕事はどんどん専門職化、個人化していくと思うが、それだけでビジネスは成立はしない。仕事はチーム単位で行われ、しかもグローバル化し競争によって高度化すればするほど、「外」からの刺激を必要とし、「人」との直接的なリアルな議論などの刺激が必要とされその専門性は磨かれ高められていく。そんな専門集団を束ねていくのが経営リーダーの役割であり、「人」を束ねる理念・ヴィジョンこそが不可欠となっていく。こうした働き方については、AIの時代を含め別途考えてみるつもりであるが、結論から言えば、AI以上、ロボット以上の働き方が問われる時代に既になっているということである

「危機後」に現れた過去のヒット商品

ここ数週間私のブログを訪れる人が増加している。おそらく過去「何」が売れ、その背景には「何」があったのかをブログ化しているのは私のブログぐらいしかないからと思われる。出口戦略としてどんな「消費」に動くのか、そのための情報収集ということからであろう。

■リーマンショック後のヒット商品の傾向

日経MJによる「2008年ヒット商品番付」を踏まえたものでは、まず注視すべきは自己防衛型商品であった。これはリーマン・ショックに端を発した金融危機により、更に生活全体への危機対応へと進んできたと言える。その象徴例が、商品版付にも顕著に出てきている。

横綱  ユニクロ・H&M      セブンプレミアム・トップバリュー
大関  低価格小型パソコン  WiiFit
関脇  ブルーレイ        パルックボールプレミアクイック
小結  円高還元セール    マックのプレミアムローストコーヒー

東西の横綱には「ユニクロ・H&M」と「PB商品」、大関は「低価格小型PC」と「任天堂DSのwiifit」、関脇には「ブルーレイ」と「パナソニックの電球型蛍光灯」と続く。東芝のDVDレコーダー「ブルーレイ」が入ったのは、HD-DVDレコーダーの市場からの撤退によってシェアーが伸びたもので、それ以外は全て低価格価値に主眼を置いた商品ばかりである。
「お買い得」「買いやすい価格」、あるいは「パナソニックの電球型蛍光灯」のように、商品自体は高めの価格であるが、耐久時間が長いことから結果安くなる、「費用対効果」を見極めた価格着眼によるヒット商品である。そうした自己防衛市場への消費移動を整理し、キーワード化してみると次のようになった。

1、外から内へ、ハレからケへ
この時にも「外食」から「内食」への傾向が顕著に出てきている。しかも、中国冷凍餃子事件により、冷凍食品から手作り料理へと移動が起こり、前頭に入っているような「熱いまま急っと瞬冷凍」といった冷蔵庫が売れたり、前頭に入っている親子料理の「調理玩具」がヒットするといった具合である。ライフスタイル的に見ていくと、ハレからケへの移動、非日常から日常への消費移動となる。遊びも「任天堂DSのwiifit」、あるいは「ブルーレイ」といった家庭内充実商品・巣ごもり商品が売れている。
そして、特に都市ではミニホームパーティがますます盛んになっていくのだが、今回のリモート飲み会にも通じるものである。
2、エブリデーロープライス
リーマンショック後の消費の中心に「消費価格」があった。この時生まれたキーワードが「わけあり商品」である。この「わけあり商品」は小売業態のみならず、サービス業態のホテル・旅館まで広く行き渡り、デフレのキーワードにもなったことは周知の通りである。消費は収入と不可分の関係にあるが収入が一向に増えない中での消費である。ユニクロを筆頭に価格破壊企業が大きく躍進した節目の出来事となった。以降、このデフレ克服が最大テーマとなり、現在は好調の日本マクドナルドも1000円バーガーを発売したり価格戦略の迷走をもたらすこととなった。あるいは大手ファミレス3社ガスト、デニーズ、ロイヤルホストも合計500店舗を閉鎖し、立て直しに入ることとなる。
3、個族から家族へ
個人化社会の進行は1990年代から始まっていたが、次第に家族単位のあり方が変化していく。その象徴が単身世帯の増加で、単身的ライフスタイルである夫婦二人家族を含めると50%を超えるまでになっていた。このリーマンショックという不況危機はこのバラバラとなった個族を再び家族へと引き戻していく。後に触れる東日本大震災の時にも家族回帰が見られたが、危機は生き方としての家族へと向かわせるということであろう。今回のコロナ禍では在宅勤務ということもあり、ウイークデーの昼間に公園で子供を遊ばせる父親の姿が多く見られたが、夫婦共に家族認識を新たにしたと言えなくはない。
4、小さなアイディア、小さなうれしい
日経MJと同じように年度のヒット商品を発表している三井住友グループのSMBCコンサルティングは今年の横綱は該当なしとなっている。社会的注目を集めるような商品力と実績を集めた商品はなかったとし、「横綱不在時代の幕開けか?」とコメントしている。日本は既に不況期に入っているという認識は同じであるが、日経MJはヒット商品が小粒になったと指摘、SMBCは消費支出の選択と集中が始まると指摘している。私に言わせれば、両社共に、生活価値観(パラダイム)がどのように変わりつつあるか、その過渡期の断面を指摘いると思う。
例えば、外食から内食への移動では、内食について言えばヒット商品は小粒になり、納豆の「金のつぶ」のように改良型商品がヒットする。しかし、外食が全て無くなる訳ではない。回数は減るが、ハレの日には家族そろってお気に入りの店を選択して使うことになる。つまり、中途半端な外食には足を向けないということ傾向が見られた。
今回のコロナ禍では移動抑制・外出自粛ということから「外食」に向かうことは心理的に制限され、緊急事態制限解除後も以前のような「外食」には戻ってはいない。その背景にはまだまだ刷り込まれた「恐怖」が残っており、以前のような外食には繋がってはいない。

また、この時代の大きな潮流であるダイエット・健康・美容のジャンルにはヒット商品は生まれてはいない。勿論、誰もが関心はあるのだが、心理的な余裕がない状態であった。
今回のコロナ禍においては「免疫力」をつけるための食品など若干話題になったが、その程度の免疫ではコロナには勝てないことが分かって今や話題にもならない状態となっている。コロナ禍は命に関わることであり、その恐怖はダイエット・健康・美容といったそれまでの関心事を一掃してしまったということである。

■3.11東日本大震災後のヒット商品の傾向

実は2011年上半期には東西横綱に該当するヒット商品はないとした日経MJであるが、年度の横綱をはじめ主要なヒット商品は以下となっている。

横綱  アップル、 節電商品
大関  アンドロイド端末、なでしこジャパン
関脇  フェイスブック、有楽町(ルミネ&阪急メンズ館)
小結  ミラーイース&デミオ、  九州新幹線&JR博多シティ

2011年度の新語流行語大賞、あるいは世相を表す恒例の一文字「絆」も東日本大震災に関連したものばかりであった。つまり、ライフスタイル価値観そのものへ変化を促すほどの大きな衝撃であったということだ。西の横綱に節電商品が入っているが、例えば扇風機を代表とした節電ツールや暑さを工夫した涼感衣料が売れただけではなく、暖房こたつや軽くて暖かいダウンが売れエネルギー認識が強まることとなった。震災時に電話が通じない状態のなかで家族と連絡を取り合ったFacebookといった情報サイトの活用。震災復興の応援ファンドにツイッターが使われたこと等、スマートフォンやタブレット端末も震災との関連で大きく需要を伸ばすこととなった。
震災から9ヶ月経った年末商戦では、百貨店を始めほとんどの流通のテーマは世相を表す「絆」ではないが、人と人とを結びつける商品や場づくりとなった。阪神淡路大震災の時と同様に、東日本大震災後婚約指輪が大きく需要を伸ばした。こうした消費は一つの象徴であるが、母の日ギフトや誕生日ギフトなどいわゆる記念日消費に注目が集まった。
あるいは家族や友人といった複数の人間が一つ鍋を挟んだ食事は、家庭でも居酒屋でも日常風景となった。こうした傾向、「絆消費」は一過性のものではなく、以降も続くこととなる。そして、「国民総幸福量」の国、ブータンの国王夫妻の来日は、人と人との絆、その精神世界にこそ幸せがあることを再確認させてくれた。

今回のコロナ禍においては、人との接触の「8割削減」が一つの指針となり、絆という「密」な関係を難しくさせてしまった。しかし、緊急事態解除によって、この「関係」の取り戻しが始まっている。東京をはじめとした首都圏では移動の緩和とともに感染者が増えているが、これもある程度は想定内のことであろう。この日常の取り戻しにあって、旅行と生活文化の2つを取り上げたが、遊びとしての旅行もあるが、今年の夏は実家への「帰省」が多くなるであろう。これも一つの絆の取り戻しである。

  
タグ :コロナ禍


Posted by ヒット商品応援団 at 13:01Comments(0)新市場創造

2020年07月17日

未来塾(41)「日常の取り戻し」を学ぶ 前半

ヒット商品応援団日記No768(毎週更新) 2020.7,13




コロナ禍から学ぶ(2)

「日常」の取り戻し

セルフダウンからセルフフリーへ、
危機に現れるヒット商品。
そして、2つのテーマ、「観光」と「生活文化」。



2ヶ月ほど前にこの危機をとにかく生き延びて欲しいとの思いから、歴史からその知恵を学んで欲しいとブログに書いたことがあった。それは公的支援を受けることは勿論だが、例えば飲食店が店内飲食を中断し、テイクアウトの弁当店を行うことによって少しでも売り上げの補填をして経営を持続させていくといったことであった。

しかし、こうした「持続」を断念する老舗が数多く出て来た。その象徴が東京歌舞伎座前の弁当店「木挽町辨松(こびきちょうべんまつ)」の廃業であろう。152年の歴史を持つ弁当店で、歌舞伎座や新橋演舞場などの役者さんや観劇用弁当として愛され続けた老舗である。廃業のきっかけは新型コロナウイルスによる売り上げ減少が大きく影響したようだ。大阪でも今年創業100年を迎える「づぼらや」が9月には店を閉じるとの発表があった。大阪の人には馴染みのある店で、復活した新世界のランドマークにもなっている店である。「食い倒れの街大阪」を代表してきた老舗で、安い値段で気ままに、ずぼらにフグを食べてほしいという願いが店名になったと聞いている。この2つの老舗共に、アフターコロナ、つまり「明日」が見えてこなかったということであろう。こうした現象は巣ごもり消費が続く中、先が見えないことからの廃業で、いわゆる経営破綻・倒産としてのそれではなく、ある時を持って店を閉める幕引きである。

ところでやっと新型コロナウイルスとの次なる戦い、「出口」戦略が始まった。新しい「生活様式」という感染を防ぐ一つのガイドラインが提示されているが、そのまま生活に組み込まれることはない。その意味するところは前回書いたように「ロックダウンではなく、セルフダウン」、つまり個々人の「自制」されたライフスタイルとなる。そして、誰もが数ヶ月前の生活とは「どこか違う」ものになるであろうと予感している。それはテレワークと言った単純な「違い」ではない。今テレワークが注目されているのは、業種にもよるが専門職化の辿る道の一つであり、ある意味フリーランス化でもある。いずれ働き方の変化については取り上げてみるつもりである。
そして、この「出口」戦略は周知のようにベトナムとの往来が始まり、7月にはEUや台湾との間でも往来が解禁される見通しとなった。時期尚早との判断もあるが、国内のみならず限定的ではあるが世界との移動が始まっている。

検証すべきコロナ禍4ヶ月間の意味

「出口」戦略とは当然「入り口」があっての出口で、その入り口は大きく言えば外出自粛と休業要請、つまり移動抑制である。マーケティングを専門とする私にとって、「何事」かを実施すれば、必ずその結果が得られ、それは妥当であったかという検証が必要とされる。出口とはその検証に基づいて行われるべきである。
そして、今見極めなければならないと考えていることは、今回のコロナ禍によって、例えば1990年代初頭のバブル崩壊による大きな価値観の変化と同様のことが起きるかどうか、あるいはその後の2008年のリーマンショック、更には2011年3.11東日本大震災後のように、「今まであった生活」を取り戻すような一種の「生活回帰」のようか変化となるのか、その変化が目指す「先」は何であるのかということの見極めである。勿論、後者の場合でも数ヶ月前の生活とは当然変わってくるのだが、前回の未来塾にも書いたがiPS細胞研究所の山中伸弥教授が提言しているような新しい視点「ファクターX」には、この日本人固有のライフスタイルが他国と比較しその致死率や感染率の低さの原因の一つが潜んでいるのではないかという意味も含まれている。例えば、中国武漢での感染を拡大させた原因の一つとして中国武漢での伝統の大宴会にあったと報じられているが、これは中国における直ばしで食べる大皿料理の文化である。少なくとも日本の場合は円卓の場合は少なく、しかも大皿であっても取り箸が用意され、直ばしということはほとんどない。現在、スーパーなどでの惣菜売り場はほとんどが個包装になっており、過剰なまでの売り方となっている。感染のメカニズムが今だに接触・飛沫感染と言った抽象レベルのものであり、例えば飛沫感染の具体的なメカニズム、発症数日前のウイルス量が多いという報告はされているが、その防止策と言えば医師が使うような仰々しいフェースシールドの着用といった具合である。こうした日常生活においてもっと簡便に生かされる「知見」が求められているのだが、やっと「ファクターX」という視点を含めた新型コロナウイルス制圧を目的としたタスクフォースが5月末スタートした。日本における知性が結集し、連帯して戦うということである。

移動抑制の検証こそが安心産業である観光の一番の担保となる

新型コロナ対策として、旧専門家会議から「8割削減」が提言されてきた。人との接触を8割減らすということで、10のポイントが公表され今日に至っている。この中には周知のテレワークの推進をといったオンラインの活用によってであるが、介護現場のように業種や職種によっては「接触」しないことには先に進めないものも数多くある。
この「8割削減」の延長線で「新たな生活様式」が提言されている。例えば、
・公園はすいた時間、場所を選ぶ
・すれ違うときは距離をとる
・食事は大皿を避けて、料理は個々に
・対面ではなく横並びで座る
・毎朝、家族で検温する
といったものだが、この間4ヶ月半近くにもなるが、この「8割削減」によってどれだけ感染防止に役立ったかその明確な「根拠」は今だに明らかにされてはいない。生活者の多くは季節性インフルエンザの対策の延長線上で自衛するだけとなっている。すでに感染の背景の大きな要素となる移動におけるデータはGoogleやドコモ、あるいは各鉄道会社の乗降データがあり、感染防止の効果がシュミレーションできるはずである。この「8割削減」は欧米のような都市封鎖(ロックダウン)」できない日本をその代わりのものとして目標化されたものであることが後に分かってきている。
ちなみに移動自粛による経済損失については観光バス業界やタクシー業界の苦境は報道されているが、交通産業全体としての損失はほとんど報道されてはいない。専門家の試算の一つでは全国の公共交通事業の損失は年間最小3.5兆円〜最大8.3兆円の減収になると。経営面での医療崩壊が心配されているが、8月には交通崩壊の危機がやってくるという専門家の分析もある。

ところで8月以降観光産業の復興を目的とした「GO TOキャンペーン」が予定されている。これも「出口」戦略の一つであるが、「どれだけの自粛による行動削減」によって、感染が防止されたかと言った数字が必要とされ、その数字を基にした根拠によって、観光という移動における「安心」が担保される。
例えば、大阪のUSJ(ユニバーサルスタジオジャパン)」が段階的にオープンされたが、こうした行動の抑制・自制がどの程度感染抑止効果があったかなど検証する視点を持って再開されたことと思う。旧政府専門家会議ではこうした課題に全く答えていないが、大阪府にも独自な専門家会議がある。今回は詳しくは取り上げないが、第二回の会議の議事録がHP上に公開されている。「大阪の第1波の感染状況と今後の方向性」と「K値による大阪のCOVID-19感染状況の解析」には、「自粛」によって感染がどれだけ防止できたかといった視点で分析がなされている。
つまり、今までなかった視点での「検証」である。その中で多くの移動や休業といった自粛要請は感染防止には効果がなかったと指摘する専門家もいる。「過剰な自粛」は不要であったという指摘である。大阪府民にもわかるように分析されたものだが、是非一読されたらと思う。
ところで観光という行動の広がりと感染の広がりとの関係をぜひ検証して欲しいものである。こうした多くの人が理解できる根拠ある検証が観光という安心産業を再開させ活性化させるものとなる。
そして、この先には何があるかと言えば、USJに即して言うならば行動の広がりは近畿圏となり、更には日本全国へと、そしてかなり先にはなると思うが、世界・インバウンドビジネスも視野に入っていくであろう。こうしたUSJの試みは一つの移動モデル、安心観光モデルとなり東京をはじめとした他の都市観光の良き指標となる。

政府専門家会議が廃止され、新たな組織ができることとなった

6月24日、以上のような発表が政府専門家会議の記者会見と並行して行われ「廃止」が発表された。専門家会議には事前に政府から知らされていたようだが、一番大事な国民へのメッセージであるリスクコミュニケーションがうまくなされていないことが今回の記者会見でも明らかになった。専門家会議の座長は政府との役割分担が明確になされず、危機感から「前のめり」になってしまい政策があたかも専門家によって決定されているかのように見えてしまった」と発言。この発言は、厚労省クラスター班の北大西浦教授の発言である「このままだと42万人が亡くなる」「指数関数的な感染の爆発的広がり」といったショッキングな発言が数多く流されてきた。こうした発言のほとんどがクラスター班と専門家会議両者による記者会見であったことを踏まえてのことであった。つまり多くの感染症の専門家がネット上を含め様々な発言がなされ、特にTVメディアの番組出演を通しこの西浦発言を援用して恐怖を煽るようなことすら生まれた。しかも、こうした発言はことごとく現実とは異なる結果となっていることは周知の通りである。その象徴例が、感染のピークは3月末、4月1日ごろと推定されているにもかかわらず、旧専門家会議の提言を受けての緊急事態宣言の発令は、その後1週間経ってからであった。
欧米のコロナとの戦い、特に病院崩壊が繰り返しTVメディアを通じ放映され、今まで何回も書いてきたが、不安どころか「恐怖」へと向かわせてしまった。しかし、日本における現実は旧専門家会議が提言してきたことの本質にはことごとく異なったものとなってきている。報道するメディア、特にTVメディアの報道が大きかったと思うが、手弁当で提言してきた旧専門家会議だけにその責任を問うことはしないが、「何故、予測がことごとく間違ってしまったのか」「本当に休業自粛は必要であったのか」「外出自粛はどの程度感染防止に効果があったのか」を明確にして欲しかった。接触及び飛沫感染が主たることであることから、「密」という概念で予防を説明してきた功績はあり、国民にとってわかりやすく取り入れられてきた。しかし、今問われているのは「出口」戦略であり、情報公開という意味で大阪の専門家会議とは雲泥の違いとなっている。

出口戦略の最大テーマは、「恐怖イメージ」からの解放である

ロックダウン(都市封鎖)」、つまり移動を極端に制限することが、宿主を次から次へと変えて増殖・感染するウイルスの生命のあり方に対する一つの方法であることは多くの生活者は理解していると思う。勿論、季節性インフルエンザの延長線上の経験値・実感ではあるが、「ウイルスをうつす・罹患」させるのは接触であることは十分理解している。その接触であるが、接触のためには近づく、つまり「移動」が全ての前提となる。

緊急事態宣言の最中話題となったのは、他県を跨がる「移動」であった。例えば、他県ナンバーの車には規制をかけるべきであると移動先の地域住民の声を借りて声高にコメントする「専門家」や「行政」も出てきた。その象徴がパチンコ店に対してであったが、補償を行い自粛した方が良かったと思うが、このパチンコ店で大きなクラスターという感染集団が発生したとの報道は一切ない。同じようにコロナ疎開と呼ばれたように首都圏周辺の観光地は「首都圏のお客様は、今はご遠慮いただきたい」としたコメントが行政から出され、TVメディアを中心に繰り返し報道されてきた。これらはいわゆる「自粛警査」と同じように、主に TVメディアによって創り上げられた「恐怖」イメージが根底にある。
ところが緊急事態宣言が解除され、6月19日以降は他県にまたがる移動は構わないとなっているが、当の観光地や行政は観光を含めた移動の解除=ウエルカムメッセージを出してはいない。地方の学生の帰省を自粛して欲しいと、故郷の産品を送った自治体はその後学生にどうメッセージを送っているのか、明確にすべきことの一つである。繰り返しになるが、それら根底には繰り返し刷り込まれた「恐怖」が今なお残っているということである。その鎖を解き放したのが大阪府でありUSJであった。
観光というより、「楽しみ」を取り戻す、鬱屈した我慢の時間からの解放、自由時間を好きに使えるという「日常回帰」の第一歩である。そのためには大阪府の知事が言うように、感染源を追跡できるシステムと十分な病床の用意という「担保」によって、「安心」へ一歩進むことができるということである。

問題なのは「移動先」の施設や観光地である。前々回ブログに書いたようにこれまでの数年はインバウンドバブルであったことを受け止め、観光の原点に今一度立ち返るということだ。良く考えてみればわかるように、国内旅行の需要は既に20兆円を超える産業になっており、インバウンド需要は5兆円弱となっている。まずは足元の国内観光から始めることである。これは飲食でも同じで、「おなじみさん」「御近所さん」に再び来店していただくということである。USJの場合は、年間パスポート顧客で、大阪府民がその対象となっているが、これが「出口」戦略の基本であろう。東京でも6月13日から「はとバス」が再開している。初めの1週間は2階建てのオープンバスを使った1時間ほどの東京観光のみだが、徐々に運行コースを増やしていくとのこと。これも「出口」戦略の基本と言えよう。また、中止となった春のセンバツがこの8月1試合のみではあるが甲子園球場で行われることとなった。選手たちにとって嬉しい復活であるが、高校野球フアンのみならず多くの人にとっても、季節遅れの選抜ではあるが甲子園という「大舞台」のドラマはうれしいいつもの「日常」となる。

「三密」の考え方

「移動自粛」からの解放と共に、もう一つの課題が「三密」である。密閉、密集、密接は、経営の基本である「坪効率」という指標の壁となっており、デフレ時代の経営を更に苦しくさせている。その蜜の根幹にあるのが、「ソーシャルディスタンス」である。飛沫感染を防ぐ距離・空間を必要とするとのことだが、まず経営を成立させる経済性・生産性から言えば、客数を倍もしくは1.5倍ほど必要となる。つまり、従来の「考え方」の延長線上では経営は成立しない。そこで生まれた発想が、飲食店の場合店舗を「調理工場」とする経営で、テイクアウトやチルド化したり、冷凍化してネットを活用とした販売である。既に多くの飲食店はこうした方法を取り始めている。
但し、こうした手法を取り得ない大型飲食店舗、例えばファミリーレストランの場合は店舗を閉鎖して採算の取れる店舗のみの営業となる。つまり、大型店舗に見合うテイクアウト売り上げが望めないという理由からである。その象徴がジョイフルで先日200店舗閉鎖という報道があったが、こうした背景からであろう。但し、ガストのように以前からテイクアウトや宅配を積極的に実践しており、売り上げ減少の歯止めになっていると思われる。また、ファミレスではないが、ドライブスルー業態やテイクアウトを充実させてきた日本マクドナルドなどは逆に大きく売り上げを伸ばし好調である。ちなみに4月のマクドナルド全店の売上高は前年同月比6.7%増。

こうした様々な工夫が採られている中、2つの異なる業態が出てきている。その象徴例が2つの寿司店の生き方である。周知のように寿司は日本を代表する食文化であるが、あの名店「銀座久兵衛」の場合伝統的なお客を前にした「握り」を食べさせるのは店舗内として、少々時間が経っても食べられる巻き寿司やちらし寿司はテイクアウトにするといった2つの作戦をとっている。一方、非接触型業態である回転寿司はどうかというと、結果は同じように苦戦している。ちなみに大手のスシローの4月の売り上げは客単価は増えたものの客数は大きく減少し、既存店売上高は44.4%減、既存店客数54.7%減、既存店客単価22.7%増となった。全店売上高は、42.0%減とのこと。

今、大阪の専門家会議ではこうした接触における「密」と言う概念、「ソーシャルデスタンス」の視点ではなく、問題なのは具体的な密なる感染接点であり、この防疫こそが重要であるという。極論を言えば、一般的な密なる空間・距離を問題にするのではなく、接触するウイルスとの接点、例えば手洗いの励行や飛沫を飛ばさないマスク着用さえすれば十分。つまり、ソーシャルデスタンスなどではなく、感染の接点にこそ注意すべきであるという研究結果が報告されている。ある意味、季節性インフルエンザの自衛と同じように手洗い・マスク、うがいといった習慣と同じであるという説である。こうした仮説が多くの事例で検証されるのであれば、これまで言われてきた2mという「距離を置く」という自衛は過剰であり、不要になるということである。

感染者数の比較は意味がない

更にいうならば、日本全国にあって特に東京における感染者数が極端に多くなっている。今までのPCR検査対象を濃厚接触者から広げ症状のない人を含めたので感染者数が増えたとの説明であるが、その詳細についてはほとんど報道されていない。その象徴例として、夜の街、新宿、歌舞伎町、ホストクラブ、・・・・・こうした陽性者の説明がなされているが、PCR検査数増加についての報道は極めて少ない。おそらく唯一と思うが、読売新聞では次のように報道されている。
『東京都新宿区は、区内在住の新型コロナウイルス感染者を対象に、1人当たり10万円の見舞金を支給する方針を固めた。感染すれば本人だけでなく家族も就労などが制限されるため、生活を支援したい考えだ。区は保健所の調査で、感染者本人と濃厚接触者の家族が、仕事を休まざるを得なくなって生活が困窮している状況を把握。収入が減って苦しくなった家計を助けることにした。」
つまり、狙いはホストクラブなど働く人の検査を促進するための「協力金」の意味であり、ある時点から新宿の感染者が増加した背景の一因となっている。感染者の多くはこうした街から出ていることは既に2ヶ月前からわかっていたことである。緊急事態宣言解除以降、ほとんどの店は営業してきている。すべてが後手後手になってしまった結果である。
そして、連日報道されているが、新宿における感染者の急増についてであるが、このように発見された感染者数を足し上げていく「数字」にどれだけの意味があるのか疑問に思う人は多い。つまり、今までの症状が出たり、家族などの濃厚接触者に対する検査数と現在行われている検査数から得られた感染者数とではその「意味」は異なる。つまり、4月ごろの感染者数と現在とでは異なるということである。極論ではあるが、感染者数の推移グラフにはまるで意味をなさないということである。ただし、全国の自治体も同様のことをやっているのか不明ではあるが、すくなくとも東京都の「数字」はそのような内容となっている。そうした意味において、特に感染ピークを迎えた4月との比較は全く意味をなさない。さらに悪いことには、東京アラートという数値を基にした危険信号がない状態にあってはこの「感染者数」が一種のアラート、警戒信号になっているという事実である。目に見えないウイルスの状況は唯一「感染者数」しかないということである。

TVメディアを中心としたこの間の報道は、新宿歌舞伎町へと視点を移し、今ではホストクラブやキャバクラ関連の従業員・顧客の感染者へと変わってきた。このホストクラブ関連の関係者への集団PCR検査による感染者数の増加ということだが、これも大阪の事例を持ち出してしまうが、大阪においても梅田のライブハウスにおいてクラスターが発生したが、見事にウイルスを閉じ込めた。その成功には行政(府・市、保健所)による努力によるものだが、何よりも大きかったことはライブハウスのオーナーを説得して店名を公表し、ライブイブハウスの顧客に呼びかけ検査を受けさせてきたことによると聞いている。クラスター発生は3月上旬で、今東京新宿のホストクラブなどで行われている事態を見るといかに遅れているかがわかる。
しかも、大阪梅田のライブハウスでは行政の勧めもあって店を閉めライブ配信を行なったとも聞いている。必要なことは、感染のメカニズムをわかりやすく情報公開し協力を得ることしかない。
ちなみに抑え込みに成功しつつある米国ニューヨークでは経済再会のために、誰でも気軽にPCR検査が受けられる仕組みが用意されている。住まいや勤務先近くの見左場所はマップ化され多くの人が検査を受けている。勿論、無料である。新宿や池袋とは大きな違いである。

オープンエアはこれからも続く

既に生活者の知恵から「オープンエア」を求める行動が多く見られるようになった。東京で言うならば、公園の散歩はもとより、河川敷でのジョギングやゴルフ練習、テニス練習、あるいはキャンピング、登山やハイキングなども復活するであろう。

実は緊急事態宣言が解除されて一番の賑わいを見せたのが吉祥寺の街であった。最近はおしゃれなカフェも増え、今までのハモニカ横丁のレトロ観光からさらに進化してきている。こうした背景もあるが、なんと言っても近くには写真の井の頭公園やミニ動物園など散策するには格好の町であると多くの人には映ったことと思う。都市空間にあって、閉じられた街ではなく、まさに街全体がオープンエアとなっていると言うことだ。

こうした傾向は個店の作り方にも採用されるであろう。前々回の未来塾「老朽化から学ぶ」でも書いたが、横浜桜木町ぴおシティの立ち飲み飲食街や大阪駅前ビルの地下飲食街でも取り上げたが、出入り自由な感覚、道草を楽しむにはこうした場の作り方はコロナ共生時代にはふさわしいものである。また、コロナ禍が収束した後もこうしたオープンエアな店づくりは継続していく。

移動のところで少し触れたが、今年の夏の移動・旅行についてはこうした自然を求めた旅行が中心となる。既に予約が入り始めているようだが、交通機関も従来通りのダイヤ編成へとシフトした。もてなし側もこの「自然」をたっぷり味わってもらうメニューが必要となっている。巣ごもり生活で一番失ってしまったのがこの自然で、しかもその季節の「旬」である。夏の風物詩と言えば花火大会と夏祭りであるが、恐らく大規模イベントということで実施されないであろう。ただ、そうしたイベントではない夏らしさがメニューを飾ることとなる。
インバウンドバブルでオーバーツーリズムとなっていた京都も日本人観光客は戻ってくる。どんな「京都」でもてなすか、少し前に書いたように原点に立ち返った京都観光で、今までの「なんちゃって京都」ではなく、本物の京都、いわゆる名所観光地のそれではない京都散策を目指すべきであると思う。日本観光の原点は京都にあると考えているのだが、私の友人がブログで紹介しているが、京都の町筋に残っているかすかな史跡を辿り思いを巡らす歴史散歩、そんな「大人の修学旅行」「大人の京都」も原点の一つであると思う。また、唯一生活の中に「四季」が残っているのも京都であり、祇園祭の山鉾巡行は中止となったが、せめてハモなどの旬でもてなして欲しいものである。

観光という移動を不安視するTV番組のコメンテーターもいるが、今回セルフダウンを選んだほとんどの生活者はこの観光についても賢明な判断をするであろう。セルフダウンからセルフフリーである。勿論、慎重に楽しみを求めた行動となる。他県をまたがる移動が解除され一挙に移動が起こり、感染が爆発する恐れがあるといったコメンテーターもいるが、それほど無知な生活者はいない。セルフダウンと同じように自制したセルフフリーである。


できること、まずは元気な声

社会を定点観測したわけではないが、今やマスク社会となった。アベノマスクに話題が集まった時には既にマスク不足から手作りマスクが盛んに行われはじめていたとブログにも書いた。以降、ロフトなどにはカラフルでお洒落なマスクが数多く販売されるようになった。間違いなく今年のヒット商品になるであろう。このマスク社会はコミュニケーションにも大きく影響を及ぼしている。
その影響とは「表情」が見えないことにある。子育てをした経験のあるお母さんならよく知っていることだが、言葉を理解できない赤ちゃんはお母さんの表情から多くのことを学び受け止めている。この表情コミュニケーションが取りにくくなってしまったということである。特に飲食店などの場合、誰も暗い、陰気な店など利用したくはない。コロナ禍であれば尚更である。前回大阪の心意気、「負けへんで」をキャッチフレーズにした道頓堀の商店のように店頭でその「意気込み」を語ることである。現在は「負けへんで」の次なるキャンペーン「やったるで」が始まっている。店側が元気であることが、何よりも大切である。亡くなられてずいぶん時間が経つが、コラムニスト天野祐吉さんは「ことばの元気学」で”ことばは音だ”と次のように語ってくれていた。

『やっぱり,言葉は音ですよね。
音を失ったら、言葉は半分死んでしまう、とぼくは思っています。
言葉は何万年も昔から音とともにあったわけで、
文字が生まれたのは、ほんの昨日のことですから。』

物理的な「密」ではない顧客との密こそが求められている。顧客の間で言葉でさわりあう、つながりあう、という訳である。言葉も触覚のうちであると私も思うが、さわりあう、つながりあう、という基本の感覚が今一番求められていると思う。
言葉でさわりあうとは、例えばあいさつであり、対話ということになる。互いにさわりあう「あいさつ」とはどういうことであるか。顧客は今回のコロナ禍について十分理解している。そして、こころの片隅に少しの不安を持って来店する。その時大切なことは衛生管理の見える化は勿論であるが、その不安をひとときなくしてくれるのは店側の元気な声と明るい笑顔である。
セルフフリーという生活様式

「セルフルリー」という言葉を使ったが、これはセルフダウンの延長線上にある言葉として私が作った造語である。その意味するところは「自粛」という鎖を解き放つ、今までのように心を自由に解き放つことがコロナ禍における心理市場の原則となる。一部の感染症の専門家は主にTVメディアを通じ、一挙に行動するとまた感染の第二波が起こると発言し、今なお「不安」を煽る発言を行なっている。
しかし、サッカーのキングカズが「セルフダウン」を選ぶと発言し、日本人の戦後民主主義のもとで培われてきた国民性を信じるとした「成果」、感染を押し留め致死率も低くさせてきた「一人」であるとの自覚は多くの日本人が共有していることである。また、今回政府が行った抗体検査も欧米のそれと比較しても極めて低く、感染しにくい「何か」、iPS細胞研究所の山中教授が提言しているようにファクターXの解明こそが「出口」戦略、第二波を防ぐ道であることの理解も進んでいる。勿論、こうした中でのセルフフリーである。
他府県にまたがる移動の規制解除が始まったが、十分自制された行動をとっている。今までできなかった実家の帰省であったり、延び延びになっていたビジネスであったり、一人ひとり賢明な行動となっていると推測される。自らの壁を少しづつ開け放つ「セルフフリー」へと向かったということである。公共交通機関の予約も少しづつ回復し、観光地であれば旅館・ホテルの予約も同様となっている。また、JR東日本は、新型コロナウイルスの影響で減少する需要の回復に向け、東北や北陸など全方面で運賃を含む新幹線や在来線特急の料金を半額にするキャンペーンを実施する。期間は8月20日から来年3月31日まで。営業エリアの全域で長期間にわたるキャンペーンを行うとの発表があったが、これもセルフフリーの切符になるであろう。
また、卑小なことかもしれないが、自粛警察の次に「マスク警察」が現れている。周りに誰もいなければマスクを外すのは当たり前で、それを咎める風評が出始めている。「正しく 恐る」、その正しい理解がないままマスクすることが全て良しとした誤った「雰囲気」が社会を覆っている。卑小なことと書いたが、実はリスクコミュニケーションとして大切なことである。勿論、当たり前のことだが満員電車の中では着用した方が良いとは思うが、アレルギーなどから着用できない場合もある。セルフフリーとは地震のことでもあるが、他者を気遣う想像力を働かすことでもある。まだまだ、刷り込まれた「恐怖心理」が残っている社会ということである。
未知のウイルスということもあり、その「正しさ」も変化していく。山中伸弥教授が明らかにしてくれているように、根拠ある情報から不確定な情報までコミュニケーションされているが、生活者と一番身近にいる自治体のリーダーには「正しい」リスクコミュニケーションこそが「出口」戦略の重要なキーワードとなっている。

信用と信頼があらゆる選択の物差しへ

自然災害の多い日本にあって、少なくとの江戸時代以降3つの助け合いが復活の原則となってきた。周知の自助、共助、公助である。自然災害においては人々を助けた最大の助けは「共助」であった。そのわかりやすい事例は2011年の東日本大震災で、周知の「絆」がその時のキーワードであった。勿論、東北地域の残るコミュニティの存在が前提としたものだが、今回のコロナ禍は異なると指摘する専門家もいる。コロナ禍の市民の受け止め方と対応についてはそのコミュニティの「在り方」の違いが大きく作用していることがわかる。その違いは東京と大阪によく出ている。前者が「寄せ集めの都市」であり、後者は「浪速の文化が残る都市」、コミュニティのない都市とまだまだ少しは残る都市の違いということである。

人は「未知」に向かい合う時、何かを支えにする。今回の疾病は「共助」ではなく、防疫や治療に奮闘する医療スタッフへの「感謝」であろう。周知のように日本は小子高齢社会の只中にある。コロナ禍にあって議論はされてはいないが、公立病院の統廃合の真っ最中である。勿論、増大する医療費を押し留める厚労行政であるが、今年の初めには厚労省は診療実績が少ない病院の統合を検討しているとの発表があった。その統廃合のリスト化が話題になったが、全国440の公立病院の内、統廃合の対象となったのは約30%と言われている。一方、医療機関とは少し異なるが保健所も統廃合が続いている。全国の保健所は平成4年には852か所あったが、平成の大合併などの行政改革によって統廃合され、今年4月には469か所とほぼ半減している。周知のように保健所を中心とした「帰国者・接触者相談センター」に電話してもなかなか通じない状態が問題となったのはこうした背景からである。

ここ1ヶ月ほど医療機関や保健所への尊敬・感謝の気持ちはやっと芽生えてきてはいるが、4月段階ではある意味非難の中心であった。なんとか持ち堪えてきたのは使命感だけであろう。そうした実情に真っ先に支援の手をさしのべたのは大阪府・市であった。それも財政が苦しいことから、例えば府民・市民に防護服が足りないので不要の雨がっぱなどあったら提供してほしい、そんな生活者の力を借りることによって乗り越えてきた。東京都とは大きな違いがこのあたりにもあることがわかる。
今、やっと医療機関などに差し入れ弁当を始め支援が広がってきてはいるが、こうした現実を踏まえてのことである。リスクコミュニケーションとは「リスク」を情報公開、つまり正直に正確に伝えることから始めなければならないということである。

こうした「支援」は救いを求める中小企業、特に飲食店への支援となって広がってきている。個人向けのいわゆる多様な「ファンド」となった支援である。注目すべきは銀行各社のファンドではなく、一般市民が小口で支援するものが数多く現れてきた。その多くは「前払い方式」が多く、運転資金としての利用が多い。そして、ファンドの返礼には数ヶ月先の「飲食利用」という仕組みが多くなっている。
あるいはファンドという形式はとらないが、消費が減少する中で、余剰となった生産物などを今までとは異なる流通によって支援する、いわば生産移動、在庫移動を図る支援の動きも出てきた。ある意味で、コミュニティが無くなった都市における「共助」のあり方の一つとなっている。
実はこうした多くの支援の根底には信用・信頼がある。この信用信頼については少し前に書いたブログ、生き延びる知恵、老舗の生き方から学んでほしいと書いたので繰り返さないが、この「信用・信頼」もまた日本固有の商業文化ということだ。(後半へ続く)
  
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Posted by ヒット商品応援団 at 13:22Comments(0)新市場創造