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ヒット商品応援団
「人力経営」という本を書きました。ヒット商品の裏に潜んでいる「人」がテーマです。取材先はダスキン、エゴイスト、野の葡萄、叶匠寿庵、桑野造船の経営リーダー。ユニーク、常識はずれ、そこまでやるのか、とにかく面白い経営です。星雲社刊、735円、新書判。

2017年07月30日

「やりすぎ」戦略の意味 

ヒット商品応援団日記No683(毎週更新) 2017.7.30.

本来であれば夏休みの消費動向を書くのだが、前号の「バブルから学ぶ」に時間を取られてしまい遅くなってしまった。ただ急いで書くほどの注目すべき点はほとんどない。この1年”デフレが日常化した”と書いたように、この夏も賢明な消費、遊び方となっている。安近短、しかも費用面でもやり繰り算段の上での楽しみ方である。やり繰り算段と言ってもお金を使わないわけではない。東京ディズニーリゾートが苦戦する中で、値上げをしてもなお大阪のユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)は相変わらず好調である。
顧客がファミリーが喜ぶことなら「ここまでやるか」と、任天堂をはじめ多くのキャラクターとのコラボレーション満載である。昨年11月USJ復活の象徴として、「水鉄砲遊び」に着目したことがあった。あまりお金をかけずにできるアトラクションで、子供たちにとって遊びに参加できる最高の未体験時間である。昨年まではステージでのショーであったが、今年からはヴァージョンアップして園内をサプライズパレード(ミニオン・パレード)することになったようだ。この他にもあまりお金をかけずに「楽しませるアイディア」に溢れており、ホラースタイルのハロウィンイベントなどもそうした事例である。今年のUSJのニュースリリースには自らのコンセプトを「やり過ぎエンターテイメント」と発表している。

前号の「バブルから学ぶ」を読んで頂ければ理解いただけると思うが、バブル期には今まで無かった<新しさ>、未来に繋がる<芽>が誕生しており、その時代背景には過去や既成からの「自由」があったと指摘をした。この自由とは「憂き世」ではなく、文字通り「浮き世」という心踊る時代の空気感が横溢していたという意味合いである。USJにはこの自由な発想があり、ディズニー物語に忠実な東京ディズニーリゾートとはある意味真逆な方針である。そして、自ら「やりすぎ」  と呼んでいるように、顧客に喜んでもらおうと、とことん、そこまでやるか、その旺盛なサービス精神の結果が好調さの背景にある。よくよく考えれば、バブル期の象徴であるディスコ・マハラジャの誕生の地も大阪であった。

「やりすぎ」を別な表現をするとすれば、「こだわり」であったり、さらに言えばオタクに繋がる世界と言っても良い。以前、テーマから学ぶシリーズの中で競争市場下におけるコンセプトをどうすべきかという課題に対し、<「差分」が生み出す第3の世界>を次のように分析をしたことがある。

1、面白がり・ゲーム感覚を売り物にした「差」創り ex迷路店
2、問題点こそ新たな解決の入り口とする「差」の創り方 ex狭小店
3、オタクが求めるような「際立った」「ここだけ」「この時だけ」という明確な「差」創り exオンリーワン
4、「まさか」という意外性を売り物とした「差」創り ex超デカ盛り店
5、一番重要なことは人による「差」創り ex看板娘

上記1の「面白がり」についていうならば、今までであれば「隠れ家」であった店を更に面白がるために「迷い店」にしてしまう、そんな「やりすぎ」である。こうして創られた「差」の大きさがその後のビジネスの明暗を分けるとも書いた。まさにUSJの好調さは「差」の大きさを物語って入る。そして、この「差」は実は意外に足元に日常にも潜んでいることに消費者は気づき始めた。そうしたことからここ2年ほど前から街場の人気店を取り上げてきたわけである。もちろん、「孤独のグルメ」人気もそうした延長にあることは言うまでもない。

この「やりすぎ」 はここ数年ネット上のSNSなどで見られる過剰・過激な自己表現やヤラセとは根本的に異なるものであることは言わずもがなである。過剰な情報が行き交う中で、どれだけ「目立つ」か、「人気者になる」か、それらは全て自らのためであり、そうした利己主義とは真逆のことである。停滞する消費にあって、顧客に対しどれだけ「意味ある目立ち方」をするのかという競争である。
2008年のリーマンショック以降の競争市場にあって、「差」をどう創っていくか、そのキーワードが「わけあり」であった。そして、デフレ消費経済のキーワードであったことは周知の通りである。この消費傾向の推移を図式化するとすれば以下のように推測される。

Phase1;低価格・合理的消費による訳あり生活
Phase2;低価格を前提としたデフレを楽しむ生活
Phase3;     ?

現在はPhase2であるが、この「やりすぎ」というキーワードに即していうならば、「やりすぎ」もまた遊び・楽しむ消費世界ということである。”ここまでやるか”というコミュニケーションであり、それは単なる安さや合理性だけではない。つまり、「やりすぎ」物語のことであり、その物語が楽しめるかどうかである。少し俯瞰的に見ていくならば、それは「文化」ということになる。USJの「やりすぎ」は、商都大阪という商いの文化が背景にあり、この商い文化の基本はコミュニケーションである。例えば、大分少なくなっているが、店頭価格の表示はあっても、顧客は”もう少しまからんか”と言い、店側も”勘弁して~な”と返す、いわゆる「値切り文化」である。つまり、一方的なコミュニケーションではなく、「対話」「会話」によって成立する商いである。結果、値切ることができなくても商いは成立する、そうした会話のやり取りを楽しむコミュニケーション文化である。くたくたになるまで楽しんで帰ってもらう、そんな<やりすぎ>文化がUSJにはあるということである。

そして、「やりすぎ」によって何が見え、拓けてくるかである。USJのミリオンパレードは元々アトラクションまでの待ち時間を有効に楽しんでもらうことを目的とした水鉄砲遊びであった。大人たちにとっては子供の頃の水かけっこ遊びであるが、今の子供達にとってはそんな場所はほとんどない。せいぜい噴水や水辺のある公園ぐらいで、場所は限られている。思いっきり、ミリオンスタッフに水をかけたりかけられたりして遊ぶ、ある意味レトロな遊びである。かなり前になるが、着眼としては電子ベーゴマ「ベイブレード」の大ヒットを思い起こさせる。勿論、このUSJの水鉄砲遊びは無料で、夏の一大アトラクションメニューになったということである。

「やりすぎ」とは、既にあるもの、過去あったもの、それらをアイディアを持って新しくつくり直すことである。アイディアにやりすぎはない。USJもオープン当初あった西部劇をテーマとしたアトラクションは今はない。失敗は必ずあるが、めげずに「やりすぎ」を続けることによって、「ミリオンパレード」のようなヒット作は生まれる。
やりすぎであれば顧客の満足がどこにどの程度あるのか、本当に喜んでくれているのか、必ず見えてくる。中途半端こそ全てを見えなくさせる原因となる。テストだから、チョットだけやってみようということでは顧客の満足度はわからない。Phase2という「今」の消費傾向を把握するには「やりすぎ」は不可欠であるといことだ。(続く)  
タグ :やりすぎ


Posted by ヒット商品応援団 at 13:36Comments(0)新市場創造

2017年07月20日

未来塾(29)「バブルから学ぶ」(後半) 

 ヒット商品応援団日記No682(毎週更新) 2017.7.20.

「バブルから学ぶ」(後半)

元禄と昭和

その成熟消費文化



バブル崩壊は1991年の大蔵省による「土地関連融資の抑制について」(総量規制)に加えて、日本銀行による金融引き締めに端を発する信用崩壊であった。こうした政府・日銀のバブル潰し=加熱した投機マネーの変化は少し前からその兆候を見せていた。株式市場においては1989年の大納会(12月29日)に終値の最高値38,915円87銭を付けたのをピークに暴落に転じ、湾岸危機と原油高や公定歩合の急激な引き上げが起こった後の1990年10月1日には一時20,000円割れと、わずか9か月あまりの間に半値近い水準にまで暴落した。こうした状況に追い討ちをかけたのが総量規制であった。

1980年代後半「過剰さ」はオタクだけでなく、狭い国土の日本では土地価格は上がっても下がることはない、そんな不動産神話は企業ばかりか個人にまで広く行き渡り、銀行も個人融資を積極的に行った時代であった。そして、バブル経済が崩壊した結果、日本全体の土地資産額は、1990-2002年で1000兆円減少。バブル崩壊で日本の失われた資産は、土地・株だけで約1400兆円とされている。

実はバブリ崩壊の影響が企業における経済活動だけであれば、その復活もまた可能かもしれない。しかし、当たり前のことであるが、生活者個々の生活に直接・間接にわたる影響は、極論ではあるが「今尚続いている」と考えている。住宅ローン破綻など数値に現れている影響についてはわかりやすいが、心理的なものについてはほとんで分析されたことがない。

デフレにはバブル崩壊が底流している

この未来塾で第1回から第5回にわたって「パラダイム転換から学ぶ」というタイトルで旧来の価値観がバブル崩壊によって変わる様を読み解いてきたので是非再読していただきたいが、一言で言うならばそれまでの「豊かさ」の意味合いを再度考える時間が今尚続いている。それは「投機」に対する考え方で、極論ではあるがバブル期お金がお金を過剰に産む投機経験をしてきたことによる。一定の投資に対するリターンではなく、何倍何十倍にも変換できる「投機」は是としないということである。これは欧米のような保有資産を株式で持つのではなく、いわゆるリターンの少ない貯金のままであるのはこうした理由からである。0金利時代にあっても預貯金比率が高いのはこうした理由からである。いくら政府日銀が株価を高くし個人投資家の投資を期待しても活況を見せないのもこうした背景からである。バブル崩壊という経験は単なる世界経済の変動、例えば2008年のリーマンショックが与えた影響どころではない。「単なる」という形容詞をつけたのも、バブル崩壊は多くの生活者の「生活・経済」を変えただけでなく、ある意味「人生」を変えた転換であったということだ。つまり、人生観をも変えたということである。

神話とは「こころ」のなせるものである。情緒的な表現になるが、神話崩壊とは「こころ」が壊れてしまったということだ。この崩壊を直接経験したのがバブル世代・新人類を中心に団塊世代という消費の中心世代であった。更にいうならば、団塊ジュニアは1990年代初頭の第一次就職氷河期を経験し、新人類の子供達の一部は家庭崩壊に陥り、更に子供の一部は都市漂流民となった。1980年代新人類の結婚観を「成田離婚」とネーミングされ話題となったが、実はこの世代以降離婚率が増加する。つまり、シングルマザーが増加するということである。こうした社会現象が生まれた背景の一つ、いや中心にバブル崩壊があり、それは消費においても「デフレマインド形成」へとつながっている。
団塊世代が多くの金融資産を持ちながら、子供や孫にはお金を使ってもそれ以上は使わない。新人類世代も高齢社会の只中にいて、両親の介護に没頭し、1980年代の頃のような「自由な行動」「自由な消費」に向かうことができない状況だ。
彼ら世代の子供達もまた、間接的にバブル崩壊を経験しており、その価値観の根底には「冒険」より「安定」、「消費」より「貯蓄」、といった内向き傾向となり、デフレマインドに繋がっている。

断絶する昭和マーケットと平成マーケット

バブル崩壊とは直接影響を受けない平成世代による消費市場はどうかと言えば、数年前のキーワード「草食男子・肉食女子」という構図が如実に表している。数年前のブログになるが、この世代について次のように書いた。
『本来であれば欲望むき出しのアニマル世代(under30)は草食世代と呼ばれ、肉食女子、女子会という消費牽引役の女性達も、境目を軽々と超えてしまう「オヤジギャル」の迫力には遠く及ばない。私が以前ネーミングしたのが「20歳の老人」であったが、達観、諦観、という言葉が似合う世代である。消費の現象面では「離れ世代」と呼べるであろう。TV離れ、車離れ、オシャレ離れ、海外旅行離れ、恋愛離れ、結婚離れ、・・・・・・執着する「何か」を持たない、欲望を喪失しているかのように見える世代である。唯一離さないのが携帯をはじめとした「コミュニケーションツールや場」である。「新語・流行語大賞」のTOP10に入った「~なう」というツイッター用語に見られる常時接続世界もこの世代の特徴であるが、これも深い関係を結ぶための接続ではなく、私が「だよね世代」と名付けたように軽い相づちを打つようなそんな関係である。例えば、居酒屋にも行くが、酔うためではなく、人との関係を結ぶ軽いつきあいとしてである。だから、今や居酒屋のドリンクメニューの中心はノンアルコールドリンクになろうとしている。』

あまり世代論に偏ってはいけないが、バブル期、バブル崩壊に直接間接関わった世代における価値観とは根底から異なることが分かるであろう。「デフレ」という言葉はデフレ経済のそれであって、今や多様な使われ方をしているが、新人類を始めバブル(崩壊)経験世代にとってはデフレマインドは消費心理の底流としてあるが、このunder30(確か4年ほど前に日経新聞が特集を組みネーミングした)はデフレとは無縁なマーケットとしてある。私は「欲望喪失世代」との表現をしたが、それは団塊世代や新人類との比較においてであって、under30にとってはこれが普通の消費感覚となっている。つまり、全く異なる価値観のマーケットが存在しているということである。

バブルの思い出消費

思い出は人生時間が長い団塊世代だけのものではない。若い世代にとっても短い時間ではあるが思い出はあり、それらを消費することはある。例えば、平成世代の両親は夫婦共稼ぎが一般標準となり、「おふくろの味」は家庭での手作り食ではなく学校給食とコンビニとなった。10年程前から「食育」が子育ての大きなテーマとなっているが、その中のメニューには郷土食がある。その郷土食とは本来家庭でつくる日常食のことである。それらは家庭ではなく学校給食として提供され、卒業数年後にはコンビニのヒット商品にもなる。平成世代はコンビニで「おふくろの味」を買い求め、思い出を消費するのである。そうした思い出消費のヒット商品の一つが学校給食で出された揚げパンであろう。
もう一つ着眼すべきがOLD NEW、昭和世代にとっては懐かしい過去であるが、「古(いにしえ)が新しい」と若い世代にとっても新鮮な興味関心を喚起し、新しいマーケットを創造している消費である。その代表的ヒット商品が数年前流行った「角ハイボール」であろう。団塊世代にとっては懐かしいアルコール飲料であるが、今また飲むかと言うと頻度多く飲むことは無い。アルコール離れが進んでいる若い世代にとってすら、まさに「古(いにしえ)が新しい」飲み物として急速に浸透した。
バブル世代の思い出消費となると、やはりディスコであろう。バブル崩壊と共に閉鎖・縮小へと向かったが、ここにきてディスコが復活しつつある。新人類も50代になり、体が動くかどうかとも思うが、これも青春フィードバックで、団塊世代のOldiesを聞きにライブハウスに行くのと同じである。また、1980年代「フレンズ」で大ヒットしたあのフレンズが再結成した。どんな「次」を見せてくれるか楽しみである。

バブルから学ぶこと・・・・・・「自由」であった時代

1980年代を「特異な時代」としたのは、その後の消費における新しい、面白い、珍しい商品やサービスが数多く市場に誕生してきたことにある。江戸時代との比較でいうと、江戸っ子の心を掴むキーワードは「珍」「奇」「怪」で、珍しい、奇をてらった、秘密めいた怪しげなものに惹かれた。例えば、天ぷらであれば上方では魚のすり身を揚げていたが、江戸では切り身に衣をつけて揚げる。寿司で言えば、時間のかかる押し寿司ではなく、酢飯にネタを握って素早く食べるように。似て非なるものを創ったのである。

江戸の場合は上方をモデルに「珍」「奇」「怪」という工夫・アイディアを付与し創造したのに対し、バブル期は欧米のメニュー業態をモデルに日本的な業態に変えていったということである。例えば、日本マクドナルドの成長についても日本版マクドナルドであり、1980年代半ばマクドナルドのハンバーガーにはミミズが入っているという「噂」を根本から否定するために、それまでの米国レシピから「100%ビーフ」に変更した。日本マクドナルドというより創業者の意向が強く反映した「藤田マクドナルド」であった。
あるいはダスキンが行なっているミスタードーナツの場合も、米国との契約上レシピ変更は不可であったが、確か1980年代契約を変更し、日本独自のメニューが可能となった。その本格的な独自メニューが1992年の新商品「飲茶」で、後に大ヒットとなるポン・デ・リングに繋がる。
つまり、ある意味今までの既成メニューとは全く異なる「商品」が生まれたという点にある。こうした例は米国生まれのコンビニ・セブンイレブンも同様で、米国のメニューや業態とは全く異なる日本独自の小売業を確立したのも1980年~1990年代であった。江戸時代から続いてきた異なる地域・文化の取り入れ方の工夫ではなく、全く発想の異なる今まで無かった「新」が生まれた点にある。

その理由は何であったか、それはあらゆる面で「自由」であったということである。過去にとらわれない「自由」、冒険ができる「自由」、とことん面白がれる「自由」、目標という前もった成果からの「自由」、サントリーの創業精神「やってみなはれ」もそうした自由な企業風土から生まれたものだ。そうした風土に触発されて「自由」を自覚することもあるが、その基本は多くの「しがらみ」を自ら解き放つことによって得られる実感である。勿論、そのことによって生まれる困難さや失敗を含めてであるが。
一方、受け手である生活者・消費者においては、壁を作らない「自由」、性別・年齢という壁を超えた「自由」、価格からの「自由」(安くても好きであればいいじゃないか)、こうした自由な選択肢があった時代である。今や当たり前となったセレクトショップも団塊ジュニアが作ったものだが、中国製でも気に入ればそれでいいじゃないかという「自由」が生まれていた。

ところで「自由」から生まれた代表的人物の一人は2012年のノーベル生理学・医学賞をジョン・ガードンと共同受賞した山中 伸弥氏であろう。医学に知見のない私がいうべきことではないが、いわゆる超エリートコースを歩んできた人物ではない。父親から勧められて医師になる道を歩むのだが、迷った末徳田虎雄(徳洲会理事長)の著書『生命だけは平等だ』を読み、徳田の生き方に感銘を受けて医師になることを決意したという。「平等」であることを目指し、後のiPs細胞の研究に向かうことは周知の通りである。その「平等」という理想を目指すには、多くの障害を超えること、そのためにはあらゆる既成から自由でなければならないということだ。まさに「自由人」のお一人である。

もう一人挙げるとすれば年代的には少し古くはなるが、その行動を考えるとすればそれは亡き立川談志ということになる。多くの逸話が残る故人であるが、例えば政治家であった時代1975年12月26日、三木内閣の沖縄開発政務次官に就任するが、就任時の会見で議員の選挙資金について「子供の面倒を親分が見るのは当然」と発言したことが問題化。更に、政務次官初仕事である沖縄海洋博視察では二日酔いのまま記者会見に臨み、地元沖縄メディアの記者から「あなたは公務と酒とどちらが大切なんだ」と咎められる。これに対して「酒に決まってんだろ」と返したことが更に問題となる。更に詰問する記者に対し、退席を命じ、会見を打ち切ろうとしたため批判を浴びた。(ウイキペディアより)
その発言内容の是非は別にして、その自由奔放さはわかるかと思う。その後も1983年、落語協会真打昇進試験制度運用をめぐり、当時落語協会会長であった師匠・小さんと対立。同年、落語協会を脱会し、落語立川流を創設して家元となる。その後、こう頭ガンによる声を失ってなおお笑いの先にある落語を目指した人物であるが、よくよく考えれば古典の復活を始め生粋の「落語オタク」であった。既成の政治とも、既成の落語とも離れ「自由」であった立川談志の生き方である。

「自由」を面白がる時代へ

こうした「自由さ」は戦前の価値観からの解放と共に、映画「Always三丁目の夕日」に描かれていたように「豊かではなかったが、そこには夢や希望があった」、そんな夢や希望を持ち得たのが昭和という時代であった。そこには夢や希望を追いかける「自由」が横溢していた時代のことでもあった。企業も個人も、何事かを生み出す「創業」時代であったということだ。平成の時代になり、特に2000年代になり盛んにベンチャーが叫ばれてきたが、ほとんど結果は得られてはいない。数年前から、ベンチャーキャピタルのいくつかのフアンドによる試みが始まっているが、社会を動かす潮流には程遠い。
ところで「自由」というと勝手気儘なことのように思いがちであるが、実は真逆の世界である。結果は誰でもない自分自身に返ってくるもので、だから面白いと思える人によってのみ「自由」はある。
江戸元禄の世を「浮世」と呼んでいるが、実は自己責任は明確にあった。平和な江戸時代には五街道が整備され、一定の制限はあるもののお伊勢参りのように旅行が盛んであった。その際必要となったのが通行手形で居住する大家(町役人・村役人)に申請し発行してもらう仕組みであった。今日のパスポートと同じようなものだが、手形に書いてあるのが「旅先で死んでもあり合わせのところに埋めてください」「亡骸は送り戻す必要はありません」といった主旨の一文が記載されていた。つまり、生きるも死ぬも自分の判断、他人のせいにしない」ということが理解されていた社会であった。

こうした自由を面白がれるには、周囲も、社会も、時代も「前」「未来」に向いていることが必要であった。しかし、バブル崩壊後の20数年、多くの神話崩壊と共に企業・個人にのしかかる「不安」、広く社会に広がる「不安」を前に「自由」になれる環境には程遠かった。一言で言えば、繰り返し言われていることだが「将来不安」ということになる。消費を含めた心が向かう先は「内側」ということになる。しかも、「過去」へと遡る傾向を強めていく心理市場については過去何度となく書いているのでここでは省略する。

また、このブログでも繰り返し書いてきている家計調査報告を踏まえると、勤労者世帯収入が増えないばかりか、リーマンショック以降社会保険料が増え、手取り給与(可処分所得)は減るだけでなく、企業側も半分負担していることからその負担も大きい。「自由」を面白がる環境条件が更に満たされなくなってきている。これが将来不安に直接繋がり、雇用形態も非正規雇用が4割を超えた。

ただ昨年夏以降、ユニクロ柳井社長の言葉ではないが、「デフレもまた良いものではないか」という発言に見られるように、企業も、生活者も自ら「デフレ的なるもの」の世界観からは既に脱却している。そうしたことを踏まえデフレは日常化し、死語になったとブログにも書いた。バブル崩壊によって生まれた個々の「不安」は勿論残ってはいるものの、昭和と平成の世代比較において考えるならば、バブル崩壊という「不安」視座から「消費」を見れば、昭和世代は崩壊経験もあり「リアルなものとしての不安」であり、平成世代のそれは「漠とした不安」である。昭和世代にとっての不安は具体的であり解決もまた可能である。しかし、平成世代の方が不確かであるが故に問題は深刻であるということだ。
ただ、「自由」という視座を持って考えるとすれば、国や社会といった大きな単位における制度や環境作りではなく、もっと小さな単位、家庭やコミュニティ、あるいは企業の部署単位や団体単位で「自由」に取り組むことは可能である。

既成から「自由」である企業がどんな成果を上げてきたか、例えば非常識経営と言われた岐阜にある電気設備資材メーカーである未来工業があり、最近ではブログにも取り上げた24時間営業の立ち食いそば「富士そば」もある。両社共に「人」を大切に考えた経営者による企業であり、従業員もそれに応えた企業である。未来工業においては社員から様々なアイディアを募集し商品開発や作業改善に役立てている。富士そばにおいても店独自のメニュー開発を促進し、一味違う店作りを行なっている。どちらも社員の自由な創意工夫が経営に大きく貢献し、勿論その成果配分は言うまでもない。そんな経営の仕組みを持った企業である。これからもそうした良き事例を取り上げていくつもりであるが、逆に自由のない「既成」に囚われ踏襲してきた失敗事例も同時にテーマにしていくこととする。

今回はバブルのマイナス面ばかりが指摘されてきた20数年であったことに対し。敢えて「バブル期に生まれた<新しさ>」の背景に「自由」があったということに着眼した。「失われた20年」という言葉で、ビジネスもマーケティングにおいても全てを切り捨ててきたが、1980年という特異な時代を読み解いていくと、そこにこれから「先」の着眼も見えてきたように思える。発想を変えてコトに向かう、これもまた「自由」のなせる技である。

付帯資料


<戦後の世代区分>

・「プレ団塊」 <戦中派世代> (1941年以前生まれ)
・[団塊の世代] <全共闘・ビートルズ世代>(1942~1950年)
・[ポスト団塊の世代]  <新人類>(1951~1969年生まれ)
・[団塊ジュニア] <いちご族>(1970~1982年生まれ)
・[ポスト団塊ジュニア] <トマト族>(1983年~生まれ)


<年表:着目すべきバブル期の主な社会現象>

1981年  映画「機動戦士ガンダム」
      田中康夫「なんとなく、クリスタル」
      川久保玲、山本耀司パリコレ進出
1982年  西武百貨店「おいしい生活」キャンペーン
1983年  東京ディズニーランド開園
     「無印良品」青山1号店オープン
1984年  「チケットぴあ」営業開始
      マハラジャ 麻布十番」オープン
1985年  「ゆうやけニャンニャン」放送開始
     「8時だよ! 全員集合」放送終了
     「ビックリマンチョコ」販売開始
     「男女雇用機会均等法」施行
1986年  「岡田有希子」自殺、後追い自殺多発
1987年  「ビックリマンチョコ」大ブーム
1988年  「Hanako」創刊、「平凡パンチ」休刊
1989年  「株価3万八千円超え」
      *消費税導入
1991年  バブル崩壊
     *消費というレベルでいうと通流の売り上げに
     影響が出てきたのは1993年からであった。

  


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