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「人力経営」という本を書きました。ヒット商品の裏に潜んでいる「人」がテーマです。取材先はダスキン、エゴイスト、野の葡萄、叶匠寿庵、桑野造船の経営リーダー。ユニーク、常識はずれ、そこまでやるのか、とにかく面白い経営です。星雲社刊、735円、新書判。

2022年11月20日

未来塾(46)  昭和文化考・後半  

ヒット商品応援団日記No811毎週更新) 2022.11,20




個人化社会の進行

1980年代注目すべきは社会構造が大きく転嫁していくことにある。例えば、当時核家族という言葉が使われるようになり、住まいも個室化するようになる。それを象徴するように、お化け番組と言われたTBSの「8時だよ全員集合」が1985年に終了する。更に年末のNHK紅白歌合戦は1984年78.1%を最後に右肩下がりとなる。つまり、家族での生活から、子供たちには個室があてがわれ、家族団欒という言葉は仕事なった。「豊かさ」が新たな社会構造の変化を促したと言うことである。
つまり、社会の単位が「家族」から個人へと変化し、私がそうした個人を「個族」と呼んだ。家族から個族への変化である。以降平成・令和と時代が変わっても「個人化」というライフスタイルの傾向は変わらない。勿論、家族の大切さ、家族価値の再考もあって個人と家族の間で揺れ動くことはあってもである。例えば、住宅メーカーの場合、「個室」はプライバシーを保つことになるのだが、閉ざされた空間であることから家族内の「会話」もまた乏しくなる。そうしたことからコミュニケーションが行えるリビングなどへの工夫なされるようになる。
消費においても、2000年代にはシングル女性の個人行動、特に旅行に注目が集まり、「ひとリッチ」という言葉も生まれる。更には、「一人鍋」がヒットし、あれこれちょっとづつ、個食、小食、が基本となる。こうした個人中心の価値観が広く浸透して行くこととなる。

一方、個人中心社会はあるいみで「バラバラ社会」のことでもあり、そのバラバラを解消するために「仲間社会」が生まれる。この仲間社会からは「いじめ」が生まれ、社会問題化したことは周知の通りである。あるいは地域のコミュニティの消滅にも向かわせ、大きな時代潮流の「負」の側面でもある。

「昭和」は新しい、おもしろい、珍しいか?



今「昭和」が若い世代において注目されている。リニューアルした西武園遊園地ではないが、昭和をテーマとしたテーマパークからクリームソーダがカフェの人気メニューになったように、新しい、おもしろい、珍しい「時代」として受け止められている。昭和を生きたシニア世代による郷愁としてではなく、現在のブームを創っているのは昭和の中にある「人間臭さ」「息遣い」にあるのではないかと思っている。
今や商業施設の賑わいづくりの定番にもなったレトロな雰囲気は若い世代にとってはまさに「新鮮」そのものであったということだ。渋谷パルコ、虎ノ門ヒルズ、渋谷横丁、心斎橋パルコ・・・・・・・・・・それら賑わいづくりのモデルになったのが吉祥寺のハーモニカ横丁である。賑わいとは街の息遣いの事である。詳しくは「未来の消滅都市論」を読んでほしいが、街の魅力がどのようにつくられてきたか一つのモデルとなっている。吉祥寺という街は都心・新宿と郊外・立川とのちゅかにある街で、消費のエリア間競争翻弄されてきた街であった。吉祥にには3つの百貨店があったが勝ち残ったのは東急百貨店のみで大型商業施設の多くは再編した経緯がある。街の活性化策として対象となったのが、駅前の一等地ハモニカ横丁であった。横丁に一歩入るとタイムスリップしたかのような商店・飲食店街が密集している路地がある。ハモニカ横丁と愛称されているが、そのハモニカの如く狭い数坪の店が並んでいる。餃子のみんみんのように、地元の人から愛されてきた店も多いが、一種猥雑な空気が漂う横丁路地裏にあって、なかにはおしゃれな立ち飲みショットバーや世界のビールやワインを飲ませるダイニングバーもあり、若い世代にはOLD NEW(古が新しい)といった受け止め方がなされている、そんな一角がある。人の温もりが直接感じられるそんな一角である。そんな時代の傾向を「観光地化」と名付けた。いわゆる都市観光である。観光の魅力は新しい、面白い、珍しい出来事体験である。日本アカデミー賞を受賞した「Always三丁目の夕日」に出てくる昭和の街並みに生きる三丁目の住民との出会いがあたかも追体験できるかのような錯覚を感じさせてくれる。その錯覚とは遠く懐かしさを感じさせてしまうもので、今や死語となってしまった父性と母性、お節介好きのおばさんに頑固親父、人間味を調節感じさせてくれる街。そんな当たり前の暮らし、日常の魅力である。三丁目の住人の一人になりたくで街を訪れるということである。[
「錯覚」という表現wp使ったが、ひとときの「昭和体験」をしたということである。これが観光地化の本質である。

昭和の風景、外へと向かうエネルギー 「食」

日本は地政学的にも多くの外国の人との交流によってモノや文化を取り入れてきた歴史がある。沖縄に今なお残るニライカナイ伝説では海の向こうには黄泉の国があると。海を通じて他国、他民族あるいは神と交流してきたと言う伝説である。面白いことにその沖縄には文明、文化の交差点を表した言葉が残っている。それは「チャンプルー」、様々のものが混ざり合った、一種の雑種文化の代名詞のようなものである。「食」で言えば、ゴーヤチャンプルーとか豆腐チャンプルーといった多くの食材を炒め合わせるチャンプルーのことである。
ところでその雑種文化から昭和の時代にもメガヒット商品が生まれている。コロナ禍によってインバウンド市場は激減してしまったが、訪日外国人が食べたい日本食NO1は、寿司でもすき焼きでもない、実はラーメンである。ラーメン市場も成熟市場であるが、本場中国麺の「日本化」ではない。ある意味、「和食」と“いう固有な世界と同じあり方、オリジナリティのある世界にまで進化した「食」である。少なくとも海外からのラーメン認識はそうである。極論かもしれないが、日本において和食がネイティブフーズだとするならば、ラーメンもネイティブフーズと考えても良いのではないかと思う。
雑居から雑種への進化については分かりやすい事例があっる。中国四川料理を日本に持ち込んだ珍県民が次のように言っている。

「私の中華料理少しウソある。でもそれいいウソ。美味しいウソ」と、日本の味覚に合わせたアレンジを行った。」
現在の日本では当たり前になっている「回鍋肉にキャベツを入れる」「ラーメン風担担麺(中国では汁なしが一般的)」「エビチリソースの調味にトマトケチャップ」、「麻婆豆腐には豚挽肉と長ネギ」というレシピは、建民が日本で始めたものだと言われている。例えば、麻婆豆腐は中国では山椒が効いていて「麻」はしびれるという意味。このアレンジこそが今日の日本での中国料理、とりわけ四川料理の普及に多大なる効果を発揮することになった。エビチリのトマトケチャップアレンジについては、中国本土でも、現在はそのような料理が見受けられると、陳建一が見聞したという。
こうした「進化」した食で世界を席巻したのはやはりラーメンになるであろう。ブランド化されたラーメン専門店は世界各地に進出し、インバウンド市場の多くは本場日本のラーメンを食べたいという訪日外国人が多く存在しているという。

昭和の風景、内へと向かうエネルギー 「食」



昭和の「食」でブームとなっているものに喫茶店の「クリームソーダ」や「ナポリタン」ががあるが、同じラーメンで言うならば「町中華」となる。ブランド化されたラーメン専門店ではなく、住宅地などどに少し前まではどこにでもあったあの町中華である。定番メニューで言えば「醤油ラーメンとなるが、手軽で安く食べ飽きないラーメンである。なるとにシナチク、それに焼き豚・・・・・・そんなラーメンである。
また、同じ傾向にあるのが食堂である。ダイニングバーではなく、抜かしながらの亜北道である。青森には100年食堂として残ってはいるが、東京ではどんどん少なくなってしまった。町中華も食堂も後継者不足から絶滅危惧業態になってしまった。手間暇かけて作る食より、セントラルキッチンで作られたチェーン業態の方が「経営」としては合理的であるという考えから今や探すのに苦労するほどである。但し、後継者がいる店の場合は若い後継者のアイディアや工夫により同じラーメンであっても地域の顧客に合わせたメニュー開発により繁盛店になっている。
こうした絶滅危惧専門店の継承を図る動きもあるが、残念ながら次第に市場からは無くなっていくこととなる。




「下山からの風景」に学ぶ



未来塾(1)(2)では昭和の出来事の中で注目すべき「コト起こし」を中心にその発想など学ぶべきことを取り上げてきたが、そうした中、今「昭和レトロ」がブームとなっている。その対象の中心は若いZ世代とその上のミレニアム世代である。昭和を生きた世代にとって、そんな出来事が過去あったなと少しの郷愁を感じるだけである。そうした「下山途中」の人間にとって「登山の風景」を語ることはいささか面映さを感じてしまう。今回は「昭和文化考」としてできる限り昭和という時代の雰囲気・空気感を想起できるような注目すべき事象を取り上げた。
体験としての「昭和」

実は若い世代に決定的に足りないのが「経験」「実感」である。「倍速世代」と言われるように、過剰情報を処理するために倍速処理する。映画であればラストシーン・結末を見てから観るか観ないかをを決めるように駆け足で登山しているように見える。駆け足にさせているのが経験不足、いや未経験を埋めるためであるように思える。そうした倍速行動を促す一つを私は「昭和体験」と呼んでみた。

昭和世代にとって時代の風景は荒廃の中からのスタートであった。生きることに必死ではあったが、決して暗くはなかった。それは今日より明日、明日より明後日と、希望の持てる時代、それを感じることができた時代であった。それを可能にしたのは、それまでの「価値観」が戦争によってことごとく壊され、新たな価値観が求められ、それらを創る川へと変化したからであった。ある意味「前例」などないゼロスタートであったからで、そこには自由に発想し、行動できる時代であった。映画「Always三丁目の夕日」ではないが、「貧しかったけれど夢があった」とは、「自由」があったと置き換えても構わない。
ビートルズの日本公演に刺激された日本のミュージシャンは多く、それはジャンルを超えたものであった。その刺激によってJPOPも生まれたように、多くの若い世代は自由に登山できた時代であった。こうした音楽の聴取者はラジオの深夜放送で育った。その代表的番組が1965年から始まった『オールナイトニッポン』である。今も継続放送されてはいるが、倍速世代はニコ動やTikTokへと移り、町中華のラーメン同様絶滅危惧番組に向かっている。勿論、この深夜番組からはあの中島みゆきや吉田拓郎が生まれたことは知らない。

ところでその「昭和体験」の楽しみ方であるが、その特徴の一つが「体験確認」、つまり体験の記録をとることにある。所謂インスタグラムなどで公開する「映える」記録である。それは新大久保の韓国街での新メニューを殺エルするのとほとんど変わらない。若い世代がハマっているクリームソーダも古びたレトロな喫茶店でのもので、食べたい理由は二番目でまずは写真を撮ることにある。新大久保のコリアンタウンもそうだが、観光地体験ということである。繰り返し食べにくる人間もいるとは思うが、倍速世代にとって「登山」は駆け足で登ることであり、今日はこの山、明日は・・・・と体験を重ねるということである。

1980年代に男社会・大人社会に対し挑戦的であった「オヤジギャル」とは異なり、倍速世代はおとなしい。
数年前から、SNSなどを中心に盛んに使われ始め、2021年の「新語・流行語大賞」ではトップ10候補の「ノミネート3されたキーワードに「推し活」がある。昭和世代にとってはまるでわからない概念であるが、「推し」の対象は、アイドルやお笑いタレント、アニメ、キャラクター、漫画、ゲームから、歴史や鉄道、スポーツなどと幅広く存在する。ファンやオタクとは異なり、さらに一歩進んだ概念である。 
元々「推す」という言葉が発生したのは、あのアイドルグループ「AKB48」に遡れる。彼女達の熱狂的ファンは最も応援しているメンバーを「推しメン」(”推しメンバー”の略)や単に「推し」と呼ぶようになり、それがいつからか他のアイドルやアイドル以外のゲームやアニメキャラなどでも使われるようになり、現在はさらに発展して「推し活」となる。アキバの雑居ビルから生まれたAKB48については分析してきたので過去のブログを見ていただきたいが、AKB48せん風の凄さは理解いただけるであろう。その延長線上に「推し活」があるということである。そして、多くの「推し」の対象の一つに昭和レトロもあるということである。

「居心地の良さ」にレトロ時間がある

何故か喫茶店が若い世代にも「推し」の一つとなっている。少し暗い落ち着いた空間のレトロな喫茶店でクリームソーダを飲むのだが、映える写真を撮ることも目的の一つであるが、人気のスターバックスとは異なる「時間」を感じていると私は考えている。大仰に言えば歴史や伝統への興味であるが、「ゆっくりとした時間」過剰な情報が行き交う日常とは遮断した「時間」を求めてのことと思う。駆け足登山をする倍速世代に突tれも居心地の良いう「時間」があるということであろう。昭和世代にとっては慣れ親しんだいつもの喫茶店、そんな日常「時間」があるということである。
そんな喫茶店の一つとして若い世代に人気の街吉祥寺にモデルのような喫茶てrんを取り上げたことがあった、未来塾(1)では次のように書いたことがあった。
『吉祥寺に詳しい知人に聞いたところ昭和レトロな喫茶店にも若い世代の行列ができているとのこと。聞いてみると吉祥寺駅南口近くの喫茶店「ゆりあぺむぺる」。宮沢賢治の詩集『春と修羅』に登場する名前からつけた喫茶店である。変化の激しい吉祥寺にあって、実は1976年にオープンして以来ずっと変わらずこの場所にあり、地元の人に愛されている老舗喫茶店である。勿論、クリームソーダも人気のようだが、他にもチキンカレーなどフードメニューもあるとのこと。』
このように2つの世代が交差している店だが、共通していることは穏やかで居心地の良い時間があるということだ。その居心地の良さとは、昭和世代にとっては「日常」ではあっても、倍速世代にとっては未体験の休憩時間である。

昭和」探検隊



昭和を振り返ってみると今なお続くものもあれば既に無くなってしまったものもある。昭和という時代を終え30年度度経つが、倍速世代を中心に「昭和」の見直しが始まったという感がしてならない。それは単なるリバイバル・復興と言った「過去」の再生ではなく、「ニュー昭和」とでも言いたくなるようなことである。何故そうした発想が生まれたかは、このコロナ禍の2年半若い世代の「行動」を観てきたが、ウイルスの拡散という悪者説がマスメディアの定説となっていることに対し、それは間違いであるとブログを通じて書いてきた。結論から言えば、倍速世代にとって、例えば人流抑制の効果について「その根拠は何か」そして「それは合理的であるか」を問うているだけで多くのことを否定している訳ではない。例えば、路上呑みが問題であると多くのマスメディアは指摘していたが、「何故8時までの飲酒は良くて、それ以降は感染拡大になるのか。「その根拠は何か、科学的な説明。路上と言うオープンエアのもとでの
飲酒の方が感染拡大にはならないのでは」」と問うているのだ。路上飲みの風景は良いとは思わないが、合理的な価値観世代にとっては路上飲みの方がより健康的ではという考えである。詳しくはブログを再読してほしいが極めて素直で優しい世代である。

そして、これからどんな「ニュー昭和」が生まれていくか楽しみである。例えば、「昭和の街」と言っても町全体が残っている場所はほとんどない。多くは再開発されていて路地裏横丁に一部残るだけとなっている。あるとすれば観光地となった「谷根千」ぐらいであろう。その中心となっている谷中銀座商店は次のような理念を持って活動している。分かりやすいのでHPの一部を転載する。

『時代と共に激変する商流の中で、今、商店街の存在価値が問われています。
時代の流れに適応しながらも、古き良き商習慣を大切に、商店街という文化を次世代に残していく、それが私たちの使命だと考えています。』

「残したいのは商店街という文化である」と明言している。町歩きを通じた時代観察を始めて10数年経つが吉祥寺とともに回数多く訪れた街である。詳しくは「未来の消滅都市論」を呼んでいただきたいが、若い世代が好みそうな店などどんな変化があるかわからないが、倍速世代にとっても格好の探検できる街であろう。ある意味谷根千は都心でありながらここ一帯だけが開発から取り残された「地域」で、THE昭和とでも言いたくなるところである。

思い出消費と未来消費

2009年、リーマンショックの翌年低迷する景気にあって突如として過去を振り返る消費が市場の多くを占める年なった。バブル崩壊の1990年代にもこうした危機にあって同じような「過去回帰型消費が出没した。例えば2009年の日経BJのヒット商品番付では大ヒットではないが前頭に次のような商品が消費されていた。
『アタックNeo、ドラクエ9、ファストファッション、フィッツ、韓国旅行、仏像、新型インフル対策グッズ、ウーノ フォグバー、お弁当、THIS IS IT、戦国BASARA、ランニング&サイクリング、PEN E-P1、ザ・ビートルズリマスター盤CD、ベイブレード、ダウニー、山崎豊子、1Q84、ポメラ、けいおん!、シニア・ビューティ、蒸気レスIH炊飯器、粉もん、ハイボール、sweet、LABII日本総本店、い・ろ・は・す、ノート、』
デフレが加速する中、復刻、リバイバル、レトロ、こうしたキーワードがあてはまる商品が前頭に並んでいる。花王の白髪染め「ブローネ」を始めとした「シニア・ビューティ」をテーマとした青春フィードバック商品群。1986年に登場したあのドラクエの「ドラクエ9」は出荷本数は優に400万本を超えた。居酒屋の定番メニューとなった、若い世代にとって温故知新であるサントリー角の「ハイボール」。私にとって、知らなかったヒット商品の一つであったのが、現代版ベーゴマの「ベイブレード」で、2008年夏の発売以来1100万個売り上げたお化け商品である。この延長線上に、東京台場に等身大立像で登場した「機動戦士ガンダム」や神戸の「鉄人28号」に話題が集まった。あるいは、オリンパスの一眼レフ「PEN E-P1」もレトロデザインで一種の復刻版カメラだ。売れない音楽業界で売れたのが「ザ・ビートルズ リマスター版CD」であり、同様に売れない出版業界で売れたのが山崎豊子の「不毛地帯」「沈まぬ太陽」で共に100万部を超えた。
ヒット消費の中心は団塊世代、下山途中の世代であるが、若い世代にもそうした消費のの傾向は広がっていった。
今回の昭和レトロブームはコロナ禍という「危機」による時代背景があることは事実であるが、倍速世代を中心とした若い世代へと広がっていくのかというと少し異なるものと考えている。倍速世代にとっての「昭和」は過去ではなく、過去の中に「未来」を観ているような気がしてならない。その「未来」とは未体験への興味・関心からであるが、これから小さなヒット商品が生まれてくると予測される。




そうしたヒット商品の多くはそのデザインにある。今流行っている家電商品の一つにアラジンのトースターがある。アラジンといえば、下山途中のシニア世代にとってはあのストーブのアラジンである。そのアラジンのトースターは機能も進化しているが、やはりそのデザインにある。丸みを帯びたレトロタイプである。

ところで「文化」は継承され時代に即した「何か」を取り入れ進化し、次代へと向かう。昭和という時代の雰囲気・空気感を思い起こしてもらいために主な出来事を選んできたが、中でもヒットが生まれるものの一つが「昭和歌謡」であろう。前述の阿久悠に代表される歌謡曲もそうだが、沢田研二の「勝手にしやがれ」にも注目が集まれ、現役である沢田研二のコンサートに倍速世代が聴きにくることも考えられる。また、かなり以前のブログに書いたことだが、休止中の「いきものがかり 」が確か青森でのコンサートで石川さゆりが歌った「津軽海峡・冬景色」をカバーしたという。例えば、中島みゆきが作詞作曲した「宙船(そらふね)」はTOKIOに歌わせたものがが、倍速世代のミュージシャンにカバー曲として提供するなどしたら日本の音楽界も活況を呈することであろう。

大きな転換期を迎えている

大きな転換期と言えば1990年代初頭のバブル崩壊を含めた1990年代であろう。それまでの昭和であった時代の価値観が大きく変わったことは周知恥の通りである。不動産神話をはじめ、潰れないと言われた大企業、金融企業、・・・・・製造業は中国へとその拠点を移し産業の空洞化も起きていた。実はそれ以上に大きな変化の予兆を指摘していたのが、団塊世代の名付け親で当時経済企画庁長官であった堺屋太一さんであった。生産年齢人口が減少へと変わったと警鐘を鳴らしたのだが、マスコミをはじめ殆ど注目されることはなかった。生産年齢人口とは働き・消費する人口のことであり、日本の国力基礎となる指標である。勿論その指標には少子高齢社会という問題も含まれている。

そして、1990年代を象徴するキーワードとして「デフレであったが、バブル崩壊後の国内消費を救ったのはデフレ企業であったが、視野を世界に広げてみると激烈な競争市場になっていた。実は数年前に「転換期」というテーマで日本産業の変化を調べたことがあった。その中で昭和と平成の違い・変化について次のように書いた。

『戦後の日本はモノづくり、輸出立国として経済成長を果たしてきたわけであるが、少なく とも10 年単位で見てもその変貌ぶりは激しい。例えば、産業の米と言わた半導体はその生産額は 1986年に米国を抜いて、世界一となった。しかし、周知のように現在では台湾、韓国等のメーカーが台頭し、 ランキングではNo1は米国のインテル、No2は韓国のSamsung で ある。世界のトップ10には東芝セミコンダクター1社のみとなっている。 あるいは重厚長大 産業のひとつである造船業を見ても、1970年代、80年代と2度にわたる「造船大不況」期を乗り 越えてきた。しかし、当時と今では、競争環境がまるで異なる。当時の日本は新船竣工量で5割 以上の世界シェアを誇り、世界最大かつ最強の造船国だった。しかし、今やNo1は中国、No2は 韓国となっている。 こうした工業、製造業の変化もさることながら、国内の産業も激変してきた。少し古いデータであ が、各産業の就業者数の 構成比を確認すればその激変ぶりがわかる。
第一次産業:1950年48.5%か1970年19.3%へ、2010年には4.2% 第二次産業:1950年15.8%か1970年26.1%へ、2010年には25.2% 第三次産業:1950年20.3%か1970年46.6%へ、2010年には70.6%』

周知のことであるが、世界との競争で唯一勝ち残ったのはトヨタをはじめとした自動車産業であった。一方欧米、特に米国においてはGAFAに代表されるIT企業が世界を席巻した。「IT」の場合、モノづくりは二義的なことでインターネットによる「情報活用」による今までなかった新しいビジネスである。
何故、GAFAのようなビジネスが生まれなかったのかと言えば、昭和の創業型経営者から平成のサラリーマン経営者へと変化し、資本のグローバル化の波に飲み込まれてしまい思い切った「新しい試み」に躊躇するいわばサラリーマン経営者になってしまったということがその要因の一つであろう。もう一つ挙げるとすれば「バブル後遺症」から脱却できなかったということだ。唯一創業型経営を続けているのはソフトバンクやユニクロであり、失敗を恐れない経営であることを見れば明らかであろう。

実はこうした失敗を恐れることを嫌い傾向は広く日本社会へと広がっている。リスクの少ない生き方、働き方、が求められ、出る杭いは打たれるではないが、そんな人材は極めて少ない社会となっている。ロシアによるウクライナ侵攻から始まった世界の「変化」を見てもわかるが、数年前までのグローバルビジネスとは異なる局面へと激変している。まるで欧米対ロシアと言ったブロック経済のような新たな「壁」がつくられつつある。戦後の昭和が「自由なビジネス」を求めて世界中くまなくセールスした時代であったが、「自由」を実現する苦労から、「壁」をどう壊していくか柔軟でしたたかなビジネスへの転換である。つまり、新たな「競争が始まっている。

もうひとつ時代の転換を感じさせる出来事が起きた。周知の安倍元総理銃撃事件である。その衝撃は容疑者の犯行の背景に旧統一教会への恨みがあったとの報道である。「まだ統一教会って活動してたのか!というのが率直な感想で、その名は霊感商法と共にメディアを通じて知っていた程度で、「何故」という思う疑念が起きた。これから社会的に問題である団体と政治との関係会えういは被害者の救済など議論されていくと思うが、戦後の「昭和」の裏側に潜む問題であり、「昭和」の影を避けて通ることの出来ない課題である。そして、こうした問題こそ「昭和世代」が責任をもって解決すべきことでもある。

それは何よりも「登山」途中の若いZ世代が自由に歩くことができる環境づくりでもある。消費だけでなく、広く新しい価値観のもとで新しい社会を創っていく世代であると確信をしているからだ。昭和世代が敗戦によって過去の「既成」から自由であったように、Z世代はバブル崩壊という敗戦にも似た転換期以降に生まれた。ある意味「昭和」という過去の既成から自由な世代ということだ。戦後の昭和世代が残したものはGDP世界3位の経済大国ではなく、既成からの「自由」であると考えるからだ。




そのZ世代が好きなバンドの一つに「いきものが」かり がある。その定番曲に「ブルーバード」(2008年)という曲がある。 人気アニメ『NARUTO -ナルト- 疾風伝』の主題歌にもなった曲で、あああの曲かと思う人も多いかと思う。この曲をキーワードとして言うならば、「自由への希求」であろう。「昭和」時代の価値観から離れ、「自由」を求める世代ということだ。つまり、新しい価値創造はこの世代から始まるといっても過言ではない。
  
タグ :Z世代


Posted by ヒット商品応援団 at 13:17Comments(0)新市場創造

2022年11月13日

未来塾(46)  昭和文化考・前半 

ヒット商品応援団日記No811毎週更新) 2022.11,13

未来塾の更新に時間が経昭和ってしまったが、戦後の発展成長の歴史に記憶すべき「昭和文化」、その風景について書き留めることとした。




記憶の解凍
平凡パンチ、ビートルズ来日、アイドル、漫画、
新たな戦後文化の勃興、
昭和レトロブームの主人公、Z世代と昭和世代


登録できない言葉があるためおてしいですが下記のブログをお読みくださお。
https://blog.goo.ne.jp/iizuka-takashi-goo
喪章は
https://remodelnet.yoka-yoka.jp
  
タグ :昭和文化考


Posted by ヒット商品応援団 at 14:09Comments(0)新市場創造