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「人力経営」という本を書きました。ヒット商品の裏に潜んでいる「人」がテーマです。取材先はダスキン、エゴイスト、野の葡萄、叶匠寿庵、桑野造船の経営リーダー。ユニーク、常識はずれ、そこまでやるのか、とにかく面白い経営です。星雲社刊、735円、新書判。

2016年05月29日

消費増税再先送りのシナリオ 

ヒット商品応援団日記No647(毎週更新) 2016.5.29、

伊勢志摩サミットの総括スピーチで安倍総理は消費増税の再先送りを示唆したが、私も含め多くのビジネスに関与する専門家はすべて織り込む済みである。私も3月25日のブログで再先送りの背景について書いたので、繰り返すことはしないが、アベノミクスの失敗の結果の再先送りであると受け止められることを恐れ、伊勢志摩サミットにおける世界経済の「危機説」という議論を踏まえての「理屈」という誹りは免れ得ないであろう。その数日後米国FRBのイエレン議長は「今後数カ月のうちの利上げ」を示唆しており、米国景気の改善が進んでいることを示したように世界経済の「危機」などないということである。サミットでの危機をヘッジするための各国による「財政出動」も不調に終わった。それもこれも夏の参院選対策であるといえよう。
さらに心配なことは、5月18日に発表された財政諮問会議による成長戦略である。読まれた方もいると思うが、骨太の方針は「プライマリーバランス」という視点がまるで欠落しており、まさに「骨抜きの方針」となっている。つまり、何が何でも目先の経済を活性させるための財政出動で、つまり国の借金はさらに増えていくとうことである。消費増税先送りには賛成ではあるが、大規模な財政出動ではなく、緊縮財政にすべきであろう。

10%の消費増税は多くの専門家が予測するように東京オリンピックの前年に先送りされる。いわゆる施設工事などのオリンピック景気のピークを迎える時であり、翌年の2020年は本番のオリンピックを迎え、多くの訪日外国人による消費が続くこととなる。これまで「2020 年に 2,000 万人」としてきた政府目標の前 倒し達成がほぼ確実な情勢となっており、仮に2011年以降の増加ペースが今後 も持続した場合には、2020 年には 3,300 万人に達する、という日銀の試算もある。(詳しくは日銀による「2020 年東京オリンピックの経済効果」を読まれたらと思う。)但し、この恩恵のほとんどは東京、首都圏となる。

さてのその後の2020年以降であるが、自民党若手議員による幾つかの小委員会がスタートしている。その中に「レールからの解放~22世紀へ新たな社会モデルを」とした委員会で委員長には橘慶一郎、事務局長にはあの小泉進次郎が名を連ねている。その内容であるが、2020 年以降を「日本の第二創業期」と捉え、戦後続いてきたこの国のかたちを創りなおす、とある。人口減少時代における日本の国づくりということであり、その序文、入り口として、その理想を次のように謳っている。

「学びも仕事も余暇も、年齢で決められるのではなく、それぞれが自分の価値観とタイミングで選べる未来へ。政治が用意した一つの生き方に個人が合わせるのでなく、個人それぞれの生き方に政治が合わせていく。そうすればきっと、100 年の人生も幸せに生きていける。・・・・・・・・・・・・しかし、終戦直後、敷かれたレールも無い中で、一人ひとりが挑戦を続け、世界に誇る唯一無二の社会モデルを確立したのが日本という国である。むしろ先人たちが遺した豊富な資産と、日々進化する新しい技術がある今、できないことは何もない。人口減少さえも強みに変える、22 世紀を見据えた新しい社会モデルを、私たちの世代で創っていきたい。」

最早「アベノミクス」といった金融政策のみではなく、人口減少国日本を見据えた生活者像を描こうとしている。その理想はよし、志をもって進んで欲しいと思うが、具体的な構想の具現化を是非示してもらいたいものである。これは政府与党の若手が描く、消費増税実施以降の経済財政のあり方である。

ところでこうした構想、シナリオを踏まえ、消費現場を運営していくにはどうすべきかである。ここ数ヶ月の私のブログを見ていただければわかると思うが、ユニクロの高価格設定の失敗に現れているように、あるいは吉野家を始め牛丼大手が元の価格帯に戻してきているようにデフレ的世界が日常化している。更に言うならば、マクドナルドは高価格帯の新商品導入によって業績を戻し始めている。これは新製品効果もあるが、多くの赤字店舗を閉鎖した効果によってである。デフレの騎手と呼ばれ上場した2002年には3891店舗あったが、2015年には2956店舗まで縮小している。900店舗以上もの店舗閉鎖である。これは2008年のリーマンショック後に大手ファミレス3社が500店舗ほど閉鎖して立て直しに成功した効果と同じである。つまり、マーケット規模を採算に合わせて縮小したということである。ある意味経営的には適正規模への縮小であるが、顧客の側から言うならば外食出費の選択的節約ということになる。
あるいは未来塾でも取り上げた「俺のフレンチ」などの立ち食い業態も話題は一巡し、当初目標である300店舗への出店拡大をストップさせ、あるいは着席業態への転換などリニューアルしているのもマーケット認識として同様である。

こうしたマーケットの縮小は家計支出の減少とパラレルな関係にあるのだが、これもブログにも書いてきたことだが、「街場」の人気店は元気そのものてある。全て生業的パパママ調理店であるが、一種のレトロブームにものっており、マニアックなB級グルメ、B級オタクが活性の主人公となっている。これは飲食店ばかりでなく、これも「未来の消滅都市論」にも書いたが、横浜の興福寺松原商店街、江東区の砂町銀座商店、さらには谷根千の谷中ぎんざ商店街など、・・・・・・元気な「街場」の商店街は存在している。全て独自な商売観・文化に裏付けされているのだが、2020年までにこうした商売観を磨き、より独自なものにすることである。

こうした街場人気の潮流は、足下にいくらでも未知なる宝物があるということに生活者が気づいたことによる。そうした気付きを触発したのが周知の「街歩き」である。1970年代から1980年代にかけては未知なる興味の先は海外であった。しかし、バブル崩壊後は家計収入が減少したこともあり、興味の先は「足下」「日常」「小さなこと」へと向けられてきた。「知ってるつもり」が実は知らないことばかりであったことがわかり、しかもオタクの後を追うように新鮮な体験をするようになった。そうした顧客の動向にやっと気づいたマスメディアも激安やメガ盛り・食べ放題から、街場で愛され続けてきた食堂などに注目し始めてきている。
つまりロングセラービジネスから学び、2020年以降に備えるということである。情報の時代、話題づくりの時代はともするとベストセラーを求めがちである。しかし、街場の人気店には小さいながらもロングセラーという固有の文化を持っている。あの親父が作るチャーハン、あるいはおばあちゃん食堂もそうであるし、そこには「人」が創る文化がある。生活者はそうした固有性を楽しんでいるということだ。それが消費税8%と10%の差、2%を超えさせてくれるのである。そして、2020年までに文化を創ることはできないが、まずは目の前にいる一人の顧客に真摯に向き合うということだ。そこから文化は生まれてくる。(続く)

電子書籍「未来の消滅都市論」は以下のサイトから
Kindle
http://www.amazon.co.jp/s/ref=nb_sb_noss?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&url=search-alias%3Dstripbooks&field-keywords=%E6%9C%AA%E6%9D%A5%E3%81%AE%E6%B6%88%E6%BB%85%E9%83%BD%E5%B8%82%E8%AB%96

紀伊国屋書店
https://www.kinokuniya.co.jp/disp/CSfDispListPage_001.jsp?qs=true&ptk=03&q=%E6%9C%AA%E6%9D%A5%E3%81%AE%E6%B6%88%E6%BB%85%E9%83%BD%E5%B8%82%E8%AB%96&SF_FLG=1

楽天Kobo
http://search.books.rakuten.co.jp/bksearch/nm?sv=30&h=30&o=0&v=&spv=&s=1&e=&cy=&b=1&g=101&sitem=%CC%A4%CD%E8%A4%CE%BE%C3%CC%C7%C5%D4%BB%D4%CF%C0&x=42&y=13


iBookStore
https://itunes.apple.com/jp/book/shuai-tuisuru-jie-wei-laino/id1040742520?mt
=11
  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:43Comments(0)新市場創造

2016年05月22日

劇場型政治の変容 

ヒット商品応援団日記No646(毎週更新) 2016.5.22、

このブログは政治をテーマとしてはいない。しかし、生活者の意識、認識が「今」どこにあるのかを見ていくために、敢えて取り上げていくことがある。タイトルの如く、以前取り上げた劇場型政治の先駆者はあの元総理小泉純一郎である。奇人変人と言われ、「自民党をぶっ壊す」と政治的閉塞感を突き抜け、70%以上の圧倒的な支持率を得た政治家である。当時はわかりやすくしかも強く伝えるために「ワンフレーズ」で、さらにあっと驚くようなサプライズワードを持って劇場に立ったわけである。現在米国で行われている大統領候補予備選における共和党のトランプと類似点は多い。経済をベースにした時代の閉塞感がまん延するとき、こうしたパフォーマーが出現する。

ところでこうした劇場型政治の誕生は過剰な情報が行き交うなかでのコミュニケーションであったが、当時の劇場演出は、現在のようなスピーチライターやスタイリストなどのスタッフチームによるものではなく、小泉元総理の場合は天性によるところが大であったと思う。主役は小泉潤一郎、脇役は田中真紀子、後の郵政民営化選挙の時の脇役は「抵抗勢力」であった。それらストーリーは「役者」が演じていることを感じさせることなく、生き様を見せることができ、それを小泉劇場と呼んだのである。以降、天性の「役者」としての政治家は、「宮崎をどげんとせんといかん」と言った東国原元宮崎県知事、弁護士でTV番組のデベート好きであった橋本前大阪市長、と続いてきた。舞台はTVメディアを中心にしたもので、旧来の政治家とは異なる政治手法である。共通するのはTVメディアを舞台とした「役者」政治家である。

こうした奇人変人・役者たちとは正反対の政治家である舛添東京知事が、豪華外遊や週末湯河原別荘への公用車利用、さらには参議院議員時代の政治資金の公私混同で厳しくその資質を含め問われている。まさに劇場に立たされた主役としてである。否、主役ではなく、脇役かもしれない。1970年代以降、サイレントマジョリティという言葉が政治の世界で使われるようになった。「物言わぬ多数派」、「静かな多数派」という意味であったが、現代のマジョリティは、「物言う多数派」、「うるさい多数派」である。「ノイジー・マイノリティ」という言葉があるが、「サイレント・マジョリティ」の対義語とされている。しかし、この対義語の世界は高度情報化社会にあっては最早存在しない。少し前に話題となった「保育園落ちた、日本死ね」と書かれたブログがツイッターなどで拡散していく現象を目の当たりにしているが、こうした「物言う」生活者がマジョリティになってきたということである。
主役は誰か、それはある意味「物言う都民」であり、牙を持ったマジョリティとして、一種不気味さのあるマジョリティである。

今回の舛添都知事による記者会見は民放3局でライブ中継されており、これ自体も極めてイレギュラーなことである。記者との間で、どんなやり取りをするのか、劇場のライブ中継ということである。そして、ここで明らかになったことは、政治資金規正法がいかに「ザル法」であるか、極めてわかりやすく理解できたことにある。そのことは政治家舛添要一は過去東大の助教をしており、「ザル」の使い方は当然熟知しており、違法なことはやってはいない。であるが故に、さらにタチが悪いと感じてしまうということに至る。そして、この分かりやすさは例えばホテルでの会議利用(家族旅行?)あるいは回転寿司利用といった日常的な世俗j的なことであり、その公私混同の内容が実感を持った分かりやすさであった。セコさ、小狡さ、といった都民の批判は人格、品格への指摘となっている。「そんな人物に都政が任せられるのか」といった不信・疑念である。

ビジネス世界に置き換えるとさらによくわかるかと思う。不祥事が起きると釈明会見が開かれるが、「危機感路」のプロ・専門家が記者会見の内容などにコメントしているが、その多くは10数年前のモンスタークレーマーといった特別な少数顧客対応が中心となっている。今やそうではなく、「危機」を起こさせないことが第一義としてあり、それは常に顧客に聞き続けることしかない。そして、聞いたら、必ず答えを返すことである。「物言う都民」「物言う多数派」に耳を傾けるということである。主役は顧客・都民であり、脇役は自社・都知事であるということだ。
舛添劇場の行方はわからない。しかし、弁護士などによる第三者による法的な調査をいくらやったところで、信頼回復にはならない。既にマイナスのスパイラルに入っており、第二幕は6月の都議会での議論いかんによってではあるが、「物言う都民」の矛先は都議会議員にも向けられる。主役と脇役が逆転している時代ということである。(続く)  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:44Comments(0)新市場創造

2016年05月17日

自販機もよう、人もよう 

ヒット商品応援団日記No645(毎週更新) 2016.5.17、

秋田港近くの船舶向け食品販売会社の軒先に置かれた、レトロなうどんの自動販売機にここ数ヶ月話題が集まっている。昨年、NHKのドキュメンタリー番組「ドキュメント72時間 秋田・真冬の自販機の前で」に取り上げられたのを機に、隠れた名所になり、全国から一杯のうどんを食べにやって来る。200円を投入すると約20秒で出てくる温かいうどんが、250食以上売れる日もあったという。
取材報道を見られた方も多いかと思うが、ひとつの場所に3日間。72時間ずっといたら、どんなことに出会えるだろう?人々が行き交う街角の片隅にカメラをすえて定点観測し、3日間の偶然の出会いを記録する、そんな番組である。

自販機を運営する佐原孝夫社長(73)が高齢を理由に3月末での廃業を決めると、別れを惜しむ客が押し寄せ、24時間営業の自販機は、頻繁にお湯切れを起こしながらも動き続けた。
自販機を譲ってほしいとの依頼も多数寄せられ、佐原社長は「港は思い出が詰まった場所。またお客さんに喜んでもらえたらうれしい」と、近くの道の駅に任せることにした。報道によれば秋田市の会社員加藤大さん(36)は父親が亡くなり落ち込んでいたときに「秋田一うまいうどん屋がある」と知人に誘われて以来、10年以上通う常連。「移転したら、もうすぐ生まれる子どもといつか食べたい」と笑顔で話していた。

なぜここまで人を惹きつけるのか、そこには番組の主旨でもある「人との出会い」という人生もようが自身の人生の写し鏡のように現れてくるからである。地元で長く愛されてきた一杯のうどんは時々の思い出とともに食べることになる。ある意味、過去を食べにやってくるということである。それをソールフードと呼ぼうが、思い出消費と言っても、必ずそんな「過去」が詰まったものの一つや二つは皆持っている。
3月以降連日連夜名残を惜しむ人々により行列ができている。そのため、お湯がすぐなくなりさらに列が伸びることに。それを心苦しく思った店主の「ひとり言」が自販機に貼られ、それがなんとも暖かく嬉しい。

俺のひとり言
お客さん待たへて申し訳ね。
俺も年だし湯っこわくまで時間かかるけど
だども寝ねで頑張っているんだ。
やっと湯っこわでも12食くらいしかないもの。
遠くからうどん食に来た人、
気つけで帰ってけれな!
おっとと車トラック入るがら気をつけてけれ。
あ~今日も寝られねー。

ところでこの自販機もようは、2010年6月60億キロの旅を終え、惑星探査機はやぶさが地球に帰還したことを思い起こさせる。わずかな予算で、壮大なゴールを目指し、燃料漏れやエンジン停止など多くの試練にもめげずに奇跡的な生還を果たしたはやぶさ。宇宙に興味を注ぐ少年や宇宙戦艦やまとになぞらえるオタクもいたが、戦後苦労した人生に重ね合わせて、はやぶさに拍手を送ったシニア世代も多数いた。
あるいは上野ー札幌間「日本初の豪華寝台特急」ともいわれた北斗星、カシオペアが2016年3月その運行を終了した。上野駅13番ホームにはそのラストランを一目見ようと多くの鉄道オタクたちが集まり、報道もされた。そして、口々に「お疲れ様」「ありがとう」の声がホームに溢れていた。この13番ホームについてはあの中島みゆきは「ホームにて」という歌を歌っている。

ふるさとへ 向かう最終に
乗れる人は 急ぎなさいと
やさしい やさしい声の 駅長が
街なかに 叫ぶ
・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・
灯りともる 窓の中では 帰りびとが笑う
走りだせば 間に合うだろう
かざり荷物を ふり捨てて
街に 街に挨拶を
振り向けば ドアは閉まる

周知のように、中島みゆきの出身地は北海道で、上京し降り立ったであろう上野駅を舞台にした歌である。上野は人生という「思い出」を語るホームであり、駅であった。惑星探査機も特急列車も、そして自販機もその果たしてきた役割を終えた「人生」を讃えるものであった。

その人生であるが、道元禅師の言葉の中に「切に生きる」という一節がある。「切に生きる」とは、ひたすら生きるということである。世は無常、常ならず、いまこの一瞬一瞬をひたむきに生きるということである。
ひたむきに生きるとは、辛いことをも「忘れること」ができるのが人間である。そして、時として秋田港の食品販売会社の軒先に置かれたうどんの自動販売機によって、自身の過去を想い起こされる。今回の自販機が紡ぎ出す人生物語のように。そして、ビジネスとして考えるとすれば、人生コンセプトということになる。(続く)  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:31Comments(0)新市場創造

2016年05月08日

「世間」幻想 

ヒット商品応援団日記No644(毎週更新) 2016.5.8、

過剰な情報の時代、しかも個人化が進行し自らメディアを持ち発信する個人放送局の時代でもある。1990年代後半、あらゆるものが、広告メディアは言うに及ばず、商品も、ショップも、街も、イベントも、もちろん人も情報発信メディアとなった。過剰に行き交う情報の中で、いかに伝えるかがコミュニケーションの課題となり、「サプライズ」というキーワードが象徴するように伝達刺激を強くしていく手法がとられてきた。そうした手法は当然個人放送局においても同じサプライズ手法が使われていくこととなる。オレオレ詐欺ではないが、オレオレ放送局である。その代表的インターネットメディアが、YouTubeであり、インスタグラムであり、Facebookやツイッターであろう。こうした個人放送局とマスメディアの言うところの「世間」がハレーションを起こしその内容を見えにくくさせている。ている。

少し前に「ベッキー&ゲスの不倫騒動」がマスコミの話題となり、マスコミ、特にTVメディアはシニア世代の主婦を始め「世間」の常識として不倫は許されることではないと一斉に報じた。そして、渦中の「ゲスの極み乙女」のボーカル・川谷絵音は不倫に対し「誰に謝れば良いのか」と発言し、その言葉の揚げ足取りのようにさらにスキャンダルを増幅させたことがあった。これは想像であるが、川谷絵音は妻やメンバー、あるいは事務所スタッフそして、ライブ会場に集まったフアンである「内輪」に対しては謝罪していたと思う。マスメディア報道のいう「世間」とは川谷絵音にとってはフアンであって、その意味する対象、世界は全く異なる。
一方、不倫相手とされるベッキーは記者会見を開き謝罪したのだが、その謝罪先はTVメデイアの視聴者であり、それは川谷絵音のいうところの「内輪」ではない。「純」なイメージを持ってTVメディアに登場してきたベッキーにとっては、そのイメージを裏切ったこととなり、視聴者という世間に対し謝罪したのである。このように2人にとっての「世間」の持つ意味、構図は異なる。

ところで2007年の流行語大賞の一つに選ばれた「KY(空気が読めない)」について、ローマ字式略語約400語を収めたミニ辞典「KY式日本語」が発売されたことがあった。覚えているだろうか、1位はKY、上位にはJK(女子高生)やHK(話変わるけど)といった言葉遊びが中心となっている。面白い言葉では、ATM、銀行の自動支払機ではなく(アホな父ちゃんもういらへん)の略語やCB、コールバックや転換社債ではなく(超微妙)の略語で若者が多用する言葉らしさに溢れている。
KY語の発生はコミュニケーションスピードを上げるために圧縮・簡略化してきたと考えられている。既に死語となったドッグイヤーを更に上回るスピードであらゆるものが動く時代に即したコミュニケーションスタイルである。特に、スマホのメールなどで使われており、絵文字などもこうした使われ方と同様であろう。こうしたコミュニケーションは理解を促し、理解を得ることにあるのではない。SNSのLINEの多くがそうであるように、「返信」を相互に繰り返すだけのもので、いわば「仲間」確認のためのものである。

こうした仲間語が生まれるもう一つの背景が家庭崩壊、学校崩壊、コミュニティ崩壊といった社会の単位の崩壊が始まっていることにある。つまり、バラバラになって関係性を失った「個」同士が「聞き手」を欲求する。つながっているという「感覚」、「仲間幻想」を保持したいということからであろう。裏返せば、仲間幻想を成立させるためにも「外側(=世間)」に異なる世界の人間を必要とし、例えばその延長線上に「いじめ」がある。これは中高生ばかりか、大人のビジネス社会でも同様に起こっている。誰がをいじめることによって、「仲間幻想」を維持するということである。
社会の単位という言葉を使ったが、ネット上のSNSだけでなく、地域単位から始まり、職場や学校、趣味やスポーツといったクラブ単位まで多種多様な社会の単位・共同体があり、誰もが複数の単位に所属している。マーケティングの第一歩はどこに所属しているかを特定することから始まるのだが、各単位は同じ目的や価値観でくくられていてそれを「市場」と呼んでいる。そうした単位は初期の成長段階にある時はそうでもないが、多くの場合その共同体は次第に閉鎖的となり、「いじめ」や「排除」あるいは今は死語となっている「村八分」が行われる。これが現代における「世間」の実相である。

私も「世間」という言葉を使うことが多い。一番多く使っているのが、近江商人の心得「三方よし」、売り手よし、買い手よし、世間よし、の世間である。この世間については「社会」の意味で、しかも社会的責任、CSRの意味合いとして多様な利害関係者(ステークホルダー)を指している。それは貨幣経済が全国的に庶民にまで広く行き渡ったのが江戸時代で、その中でも新しい商売の開拓を先駆的に行ったのが近江商人であった。周知のように、江戸時代は士農工商という身分制度のもとで、物を右から左へと移動させる流通だけの商人を卑しいものとして見ていた。そうした商人はかくあるべしと、その精神を説いたのが石田梅岩であった。当時は身分制度のもと、村落共同体という世間は前述のように地縁を軸とした「仲間」「内輪」そのもので、新参者の商人を受け入れることをしなかった。当然「いじめ」もあればパッシングもあった。そうした背景から地域の人たちの信頼を得るために「三方よし」が生まれた。陰徳善事(いんとくぜんじ)という言葉がある。人に知られないように善行を行うことであるが、陰徳はやがては世間に知られ、陽徳に転じるという意味である。近江商人は社会貢献の一環として、治山治水、道路改修、貧民救済、寺社や学校教育への寄付を盛んに行なった。中でも文化12(1818)年、中井正治右衛門は琵琶湖瀬田の唐橋の一手架け替えを完成した。その1000両を要した工事の指揮監督に自らあたり、後の架け替え費用を利殖するために2000両を幕府に寄付したと言われている。得た利益は世間という社会に返していく。こうして「内輪」「仲間」としてあった世間の壁を超えてきたのが近江商人で、その商売の心得・戒めが「三方よし」であった。

現代においては士農工商といった身分制度はないが、しかし江戸時代とは比べられないほどの多種多様な無数の「内輪」「仲間」が存在している。「KY(空気が読めない)」という言葉が意味しているように、実は極めて小さな単位の「空気が読める仲間内」である。そして、その本質は互いに交換する記号であって、理解納得のコミュニケーションではない。LINEのやり取りのように、「未読」はコミュニケーション拒否、仲間拒否・拒絶として受け止められる。だから「世間」という居場所を確保するには「返信」し続けなければならないということである。極端な例であるが、ネット上にも居場所を無くして凶行に走ったのが、あの2008年6月に起きた秋葉原通り魔事件であった。

内輪、あるいは仲間言葉について書いてきたが、よりわかりやすい現象が出てきている。あの「保育園落ちた、日本死ね」というブログに対する「世間」の反応である。政府は当初ブログの匿名性に触れ、答える術にないと答えていたが、その間違いは「投稿者」は小さな単位の「仲間」「世間」ではあったが、裏側には多くの待機児童を抱える母親が現として存在し、ツイッターによって拡散していたのである。つまり「社会」としての問題を象徴しているとの認識が政府になかったことの間違いであった。
ところが一方では確か千葉の市川市の住宅地に保育園を建設する予定が、近隣住民の反対で頓挫したと報じられている。大規模な保育園であり、その予定地前の通りが狭いとのことで、騒音・交通渋滞に対する反対であったとのこと。「静かな環境を守りたい」「保育園ができたら迷惑」といった住民、特にシニア世代の反対に対し、ネット上には「保育園に反対する老人死ね!」といった書き込みが多数見られた。客観的に見ればそれぞれが「世間」を標榜し、表面的には利害が対立しているように見える。こうした利害調整は本来行政の役割であるのだが、バラバラとなった「世間」の壁を越えるには、近江商人の場合は商売の心得「三方よし」であったが、現代においては市民の心得「三方よし」が問われているということである。

既に全国における空き家率は14%近くにも至っており、東京の都心部においても30%といった地域もある。商店街にはシャッター通り化している地域も多数ある。子供達の声は騒音ではなく、活気につながると商店主にとって迷惑にはならないという商店街もある。既にあるものをどう生かし切るのか、利害対立しているように見える2つの「世間」が相互に知恵を出し合い寛容の精神を持って新しいコミュニティづくりに向かうことが問われているということであろう。新しい「世間」づくり、街の再編集に向かうことが必要になっているということだ。そして、少子高齢日本であり、高齢者の各種ケア施設も再編集に含まれることは言うまでもない。マスメディア、特にTVメディアが取り上げる「街の声」と言ったインタビューは、いかにも世間の代表であるかのように扱っている。マスメディアをレガシーメディアと呼ぼうが、マス(塊)としての「世間」など存在しない。そんな世間など幻想にすぎないということだ。(続く)  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:37Comments(0)新市場創造