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ヒット商品応援団
「人力経営」という本を書きました。ヒット商品の裏に潜んでいる「人」がテーマです。取材先はダスキン、エゴイスト、野の葡萄、叶匠寿庵、桑野造船の経営リーダー。ユニーク、常識はずれ、そこまでやるのか、とにかく面白い経営です。星雲社刊、735円、新書判。

2016年04月30日

進化する自己防衛市場、経済から生命へ 

ット商品応援団日記No643(毎週更新) 2016.4.30、

前回、大地動乱というキーワードを使って熊本地震について書いた。やっと、自然と向き合う科学者、研究者は100年程度の過去ではなく、1000年単位の歴史にも向き合い、地質学や歴史研究という横断的なものとして学び直すことが必要であると書いたが、そうした「考え」がマスメディアにも取り上げられるようになった。前例がない地震、想定外の地震といった「考え」がいかに狭いものであるかが次第に分かってきたと思う。このブログはそうした科学をテーマとしたものではない。さて本論に戻ることとする。

ところで、5年前に起きた東日本大震災は生活価値観にどんな変化をもたらしたか、そしてどんな新しい消費が現れてきたか、震災数ヶ月後のブログに次のように書いた。

『東日本大震災によってより鮮明となった市場が自己防衛市場である。「絆」とは真逆のように見えるかもしれないが、自然災害などに対しては自らを守る志向が極めて強く出てきている。防災グッズは言うに及ばず、電気自動車を蓄電池代わりとする。帰宅難民化に対処するために自転車が飛ぶように売れ、避難住宅にもなるとしてキャンピングカーまで売れ行きを伸ばした。また、主婦感覚とでも言うべきなのか、賞味期限の長い日持ちする商品が売れている。ソーセージなどがその代表であるが、従来鮮度価値の日配品と言われてきた牛乳やお豆腐にも賞味期限の長い新商品が出てきた。こうした商品以外にも、レトルト食品や缶詰も再認識されている。』

こうした消費傾向は都市、特に東京がそうであるのだが、「計画停電」という無計画停電がこうした自己防衛的備えをより強くした。被災した熊本・大分の人たちは活断層が地下に眠っていたことは周知していたようだが、東日本大震災の被災地と同じように「まさか」という受け止め方であった。地震後2週間ほど経ったが、大きな地震が断続して起きていることもあって、数日間は混乱があったようだが、登山家の野口健さんの呼びかけで多くのキャンプ用テントが被災者に提供されたり、ユニクロは夏に向けた支援として涼感衣類を送ったように、いやな言葉だが、経験、学習の成果が支援する側にも生まれている。また、東日本大震災の時もそうであったが、コミュニティが崩壊した後、孤立し支援を受けられずにいた被災者にはSNSという新たなコミュニティメディアによって救われている。

熊本地震は、「どこにでも起こる」、「誰でもが被災する可能性がある」というだめ押しをしたかの感を強くさせた。「自己防衛」というキーワードが本格的に使われるようになったのは、実は2008年のリーマンショック後からである。当時は家計収入は増えない中、翌年の春には一斉に「副業」に走る人が増えた。主婦は勿論のこと、サラリーマンも休日には副業へと向かい、勤務先企業もこれらアルバイト収入を認めるところも出てきた。未来に楽観できないということの証左であった。ちなみに2008年度の日経MJの「2008年ヒット商品番付」の概要について以下のようにブログにも書いた。

『東西の横綱には「ユニクロ・H&M」と「セブン&アイとイオンのPB商品」、大関は「低価格小型PC」と「任天堂DSのwiifit」、関脇には「ブルーレイ」と「パナソニックの電球型蛍光灯」と続く。東芝のDVDレコーダー「ブルーレイ」が入ったのは、HD-DVDレコーダーの市場からの撤退によってシェアーが伸びたもので、それ以外は全て価格価値に主眼を置いた商品ばかりである。「お買い得」「買いやすい価格」、あるいは「パナソニックの電球型蛍光灯」のように、商品自体は高めの価格であるが、耐久時間が長いことから結果安くなる、「費用対効果」を見極めた価格着眼によるヒット商品である。そうした自己防衛市場への消費移動として理解すべきである。』

単なる節約という言葉とは少し異なる、つまり自己抑制的でデフレマインドが表に出た消費であった。それは今までのどちららかというと「生活経済」を反映させた防衛意識であったが、2011年3月の東日本大震災はライフスタイル価値観の転換を促すほどの衝撃をもたらした。その一つが「絆」であり、消費という側面から見ていくと「絆消費」と呼ばれた新しい消費が出現した。例えば、婚約指輪が大きく需要を伸ばしたり、母の日ギフトや誕生日ギフトなどいわゆる記念日消費に注目が集まった。また、それまでは一人鍋が日常であったのだが、家族や友人といった複数の人間が一つ鍋を挟んだ食事は、家庭でも居酒屋でも日常風景となった。
そして、何よりも自己防衛に向かったのが福島の原発事故による放射能汚染であった。特に子育て中の母親を中心に「生命」の防衛として認識され、避難先は遠く北海道や沖縄にまで及んだ。流通現場においても風評被害を踏まえ、「汚染の見える化」が小売店頭において始まった。ちなみに日経MJは2011年上半期には東西横綱に該当するヒット商品はないとした。
このように「生命」そのものを防衛するというライフスタイルへと変化していく。それは特に地震のような人智が及ばない自然に対する強い認識としてある。予知が難しい以上、自己防衛として「何ができるか」、これからの消費の根底に「生命価値」を置くということを意味している。

生命とは、その日常のあり方を言葉にするとすれば、「安全」ということになる。熊本地震が再度気付かせてくれたことは、「安心」を超えて、自ら安心を求め「安全」という自己確認によって防衛されるということである。つまり、日常生活にあって「自己確認」が日常化されるということである。これは食べて安全か、これは安全に使えるか、さらには楽しみとする遊びすらも安全か、ということを意味する。これまでは「快適」「便利」「お得」といったキーワードが住まいを中心とした生活価値観を形成してきたが、そこに「安全」が加わることとなる。オール電化、スマート家電といった生活が、電源を喪失することによって全く意味をなさないことを実感してしまったからである。勿論、震災後には家庭用蓄電池も売れ、耐震構造化についても全てを行うには多大な費用がかかることから、部屋単位での耐震化、いわばシェルター作りも行われ、自治体でもそうした耐震化にも助成をし、普及し始めている。こうした直接的な生命防衛・「自助」が進んでいる。

ここ数年、「食」を中心としてだが、日本マクドナルドの期限切れ鶏肉問題をはじめ「安心」がビジネスの最重要キーワードとなってきた。こうした心理市場下の時代ならではのキーワードであるが、2011年の東日本大震災以降、「安全」が最重要キーワードとなってきた。それは自然災害に対するだけのことではなく、経済優先、効率優先といったビジネスへの警鐘としても出てきている。「安全」にコストをかけない、「安全」を軽視する、そうした商品やサービスはビジネスにとって致命的なものとなっていく。1月に起きた若い学生向けの日帰り夜行バス事故のように、詳細な事故原因は不明ではあるが、安全にコストをかけない安易なバス運行事業などは淘汰されていく。また、昨年横浜都筑区の大型マンションが傾き、その原因が建築にとって最も重要となる杭打ちにおける施工不良・データ偽装によるものであったことをデべロッパーは認め、住民との話し合いから立て直し案が進んでいる。これも生命を脅かす可能性が明らかになった以上、安全であるべき住居を建て直すとし、「生命」が守られた例である。生命に関わる「安全」を最重要視した結果ということであろう。
安心から安全へと時代のパラダイムは進んでいく。その本質は経済から生命への転換である。そして、このパラダイムは内向きな防衛的なものであると同時に、より生命的なポジティブなものへの希求として、消費の舞台にも上がってくる。(続く)
  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:30Comments(0)新市場創造

2016年04月18日

大地動乱の時代に

ヒット商品応援団日記No642(毎週更新) 2016.4.18、

大地動乱、おどろおどろしい言葉である。この言葉を耳にしたのは、3.11東日本大震災後数ヶ月経ってからであった。それは一部の地震学者から発せられたものだが、100年ほど眠っていた地球の活動、地震や火山が東日本大震災をきっかけに再び活発化するというものであった。
ところで今回の熊本地震についてだが、14日夜に起きた地震による被害の大きさが明らかになってきた。今なお地震が続いており、被災された人たちの救助の行方を見守るしかないのだが、私もそうであるが、多くの人が5年前の3.11東日本大震災や1995年の阪神淡路大震災を思い浮かべる人は多いと思う。地震以外にも御嶽山の噴火もあり、昨年秋には茨城県常総市には豪雨による大水害もあった。日本人はどのように自然災害と向き合ってきたか、そこに何らかの学習はあったのか、考える人も多いかと思う。

今回の熊本地震について気象庁は記者会見を行っているが、誰もが注視したのは分かっているだけで2000の活断層がどのようなメカニズムで今回熊本で起こったのか、その広がりとこれから続くであろう期間についてであった。そうした発表の中で14日夜の地震を本震と発表しでいたが、16日未明に起きた大きな地震が起きたことからこちらを本震とし、14日の地震を前震とすると訂正発表された。また、過去経験したことがない、前例のない地震であるとも。記者会見では記者からそれまでの発表は誤報ではないのかと質問があったが、地震の大きさから決めているに過ぎず、誰もが知りたがっている「これからどうなるのか」という予知については明確ではなかった。そして、その中でも気象庁始まって以来「前例のない地震」であるとの言葉に驚いた人は多いかと思う。

3.11東日本大震災後、地震・津波研究者は何を研究してきたのか、特に地震予知の方法と精度について。更に防災研究者はどんな対策をこれまで進めてきたのか、自省してきたはずである。そして、予知などできないということから、地震予知連絡会という名称をやめようではないか、という動きもあったと報じられた記憶があった。そして、特に東北海岸部では津波防災の痕跡に触れ、その科学的な解明は既に着手していたという。それは平安時代869年の貞観地震・津波は、今まで地震学で考えられていた地震の規模をはるかに超えた、想定される大地震がいくつも連動して起きる地震だということがわかっていた。その結果として岩手県から福島県にまでおよぶ広範囲で、海岸から1.5~4kmも遡上する大津波が襲ったものであった。そのことが今なお残る祠などに痕跡があることから明らかになったと言われていた。この研究は東北大学やつくば市の産業技術総合研究所やその他の団体が協力によって行われたものである。
あるいは江戸時代初期には現在起こるであろう想定されている南海トラフ地震の場所では既に巨大慶長地震が起きている。つまり過去には多くの大地震を経験してきているということである。気象庁の活動が始まったのは150年ほど前であり、前例が無いのは当たり前である。少し短絡的に言うならば、日本には多くの大地震が起きており、3.11東日本大震災は貞観地震・津波の再来であり、科学的に予想されていたという地震学者もいる。

また京都大学ではGPSを使って全国1000数百カ所の地殻変動のデータを日々解析しており、今回の熊本地震にもその変動データから大きな地殻の「歪み」が現れていたという。予知まではいってはいないが、一つの「予兆」はあったという指摘である。さらに言うならば、3.11東日本大震災後、地震防災を目的に「地震ハザードステーション」が開始され、住んでいる地域がどの程度の地震発生の可能性があるのか確かめられる仕組みも作られて使えるようになった。しかし、今回の熊本地震においてはその地震発生率は極めて低く評価されていたが、こうした評価についても見直されるべきであろう。熊本県民の多くは活断層があることは知っていたが、その活断層が活発化するとはほとんど認識される「情報」にはなってはいなかった。

今回の熊本地震も過去1000年単位での歴史から同じような事象を掘り起こされることになるかと思う。つまり、自然と向き合う科学者、研究者は100年程度の過去ではなく、1000年単位の歴史にも向き合い、地質学や歴史研究という横断的なものとして学び直すことが必要であるということだ。そして、地震や火山という地球活動の「未知」を解明する科学は多様な視座が必要であり、問題なのはそれらから得られた情報をもとにより高い精度の「予兆」を公開して欲しいと思う。生活実感からも、

日本には五風十雨(ごふう じゅうう)という言葉がある。その意味は、五日に一度風が吹き、十日に一度雨が降る、という農作物には良い湿潤な気候、風土を表す言葉である。豊かな自然を育み、その恵みをいただくと同時に、また恐ろしい災害となる自然の力も受けざるをえないのが日本という国だ。日本の面積は地球上の陸地面積の約0.25%、過去記録されている地球上に起こったM6.0以上の地震の約20%が日本で起きているという。そして、年に数回必ず台風もやってくる。自然を前に、人為が及ばない世界であることを数千年前から続けてきたのが日本という国だ。東日本大震災の時もそうであったが、今回もまたご主人を亡くし呆然と全壊した家を前に、思い出という人生そのものである家を捨てざるを得ないお年寄りの表情は悲しい。
生活実感からも、特に3.11東日本大震災以降、「大地動乱」に入っていると思う。地震火山列島に住む日本人は数千年前からこうした自然と向き合ってきた。そこには災害から身を守る、やりすごす知恵もあった。しかし、それすらできない時もある。そんな時が頻発する「大地動乱」の時代に入ったということだ。
最後になったが、亡くなられた多くの方のご冥福をお祈りいたします。(続く)
  


Posted by ヒット商品応援団 at 14:00Comments(0)新市場創造

2016年04月10日

既に日常定着化しているデフレ

ヒット商品応援団日記No641(毎週更新) 2016.4.10.

4月になると消費傾向の「今」を見ることにしている。4月という時期は新しい仕事、新しい学び、新しい人生がスタートする時期であり、ほとんどの企業はそうした時期を市場機会として認識し、新しい顧客獲得競争へと向かう。2月の家計調査における消費支出はうるう年ということで対前年比プラスになったとの速報が報道されたが、1日多いからで実態はマイナスである。こうした昨年秋からの消費傾向を踏まえた「価格」を中心に置いた発表が相次いでいる。

そのトップバッターがデフレの騎手の一社であるユニクロを展開するファーストリテイリングで、柳井会長がテレビ東京WBSのインタビューに、記者会見で発表した今年2月の中間連結決算の大幅減益の理由に答えていた。純利益が1年前と比べ55.1%減り、470億円と大幅に落ち込み、その純利益の減少は、中間期としては5年ぶりとのこと。柳井会長は、円安や原材料価格の高騰を背景に秋冬商品の通常価格を高く設定したことが業績の不振につながったとし、今後は、通常価格を低く抑える方針を明らかにした。少し短絡的に言うならば、高めの価格設定が顧客支持を得なかったということである。そして、インタビューの最後にユニクロも大企業病にかかっているとも付け加えていた。

また、あの牛丼の吉野家が豚丼を4年ぶりに復活させたことである。価格は4年前と同じの税込330円だ。これは牛丼よりも50円安く設定されている。現在は復活キャンペーンとして300円となっており、外食離れが進む中での明確なデフレ戦略としてある。つまり、客単価志向ではなく、客数志向で、ユニクロと同じで価格を下げる戦略を採ったということだ。というのも豚丼が誕生した背景にはBSE問題の影響で牛丼を提供することが出来なくなったことによる。ある意味で、豚丼は窮地に陥った吉野家の救世主で、吉野家フアンであれば周知のことである。

さてデフレの騎手のもう一社である日本マクドナルドはどうかというと周知のように売り上げの減少が止まらない状況となっている。昨年業界内では閉店した跡立地や人材の争奪戦が繰り広げられたようだが、この売上減少幅を見ていくと誰もが驚くこととなる。2015年12月期通期の連結決算は、減損損失や店舗閉店などに伴う特別損失72億円を計上したことなどで、最終損益が347億400万円の赤字(前期は218億円の赤字)となった。2001年の株式上場以来、過去最大の赤字額に上る。これは100円バーガーの廃止から一転して復活させるなどの価格設定の迷走など多くの理由が挙げられるが、やはり中国食品工場における期限切れ鶏肉使用問題に端を発したことが一番大きな理油であろう。つまり「見えないところでつくられた食」への不信感が決定的であったということである。これはマクドナル固有の課題としてだけでなく、セントラルキッチン方式を採っているチェーン店は等しくその可能性があると自覚しなければならない。そして、こうした背景とともにあるのはユニクロ同様、マクドナルドの大企業病であろう。ただ、最近の動向としては3月の客数が前年同月と比べ既存店ベースで7.9%増となり、3カ月連続で前年を上回ったと発表した。また、売上高も18.3%増と4カ月連続プラスで、好調を維持していると。
1990年代後半デフレの旗手と呼ばれた3社の「今」を見てみたのだが、言葉の正確な意味におけるデフレではなく、デフレマインドがいたるところで横溢しているということである。企業もそうであるが、個人金融資産は1700兆円を超えたと発表があったが、それらが消費には向かってはいないし、マイナス金利を更に進めようとしても消費者の反発を招くだけで、これからも消費に向かわないことは確かであろう。

一方で4月1日から東京ディズニリゾートの入場チケットの値上げが実施された。これは年間3000万人ものゲストが来園されるキラーコンテンツによるものであるが、キラーコンテンツであるが故の課題、例えば人気アトラクションなどの待ち時間緩和策が用意されてはいるものの解決とはならない。つまり、来園者の抑制が必要となってきているということである。これは推測であるが、東京ディズニーランド時代の売り上げ構成は入場チケット売り上げ30%、グッズやレストラン売り上げ70%という構成であった。しかし、消費増税の影響によってグッズやレストラン売り上げはどんどん下がってきていると推定される。経営上、来園者を抑制しつつ、値上げをして売り上げを確保するということであろう。東京ディズニーリゾートはリピーターによって経営が成立しており、値上げによってそのバランスが崩れるか否か、注視していく必要がある。

ところで本題に戻るが、1〜2年ほど前からシェアリングエコノミーというキーワードで住まいや車の新しい「使用価値」について話題が集まった。「シェアー」という考えは以前からあって、リーマンショック以前から、従来プロ需要に応えるための業務用スーパーにご近所主婦が共同で購入しシェアーすることが浸透していた。こうした素人消費が伸びていくことを背景に、実は「わけあり」お得消費がいたるところに浸透したのである。そうした意味でデフレマインドは消費の底流として既にあった。そして、こうした「物」としての形あるもののシェアーから、形のない技術や経験といったソフト価値のシェアーへと広がってきている。この使用価値重視の価値観からは、例えばLEDのように購入時は少々高いが使用耐用年数を考えたら、結果「お得」という新しい合理的生活へと広がってきた。

こうした価値観、所有価値から使用価値への転換が行われてきたのだが、「所有」が無くならないことではない。誰でも1つや2つ「お気に入り」を持っている。既に死語なっているが「一生物」という商品があった。例えば、紬の着物がそうで、親から子へ、子から孫えと引き継がれていくような商品で、年数が経って汚れや補修が必要な時には一度1枚の布に戻して洗い張りや仕立て直しをするという作業を行って「一生」着ていくもの。ある意味、使い捨てという価値観とは真逆の考えに基づいた商品である。少々高くても他に代えがたいもので、それが物であったり、場合によってはサービスであったりする。例えそれが日常消費型商品であったとしてもである。他は節約しても、これだけはという消費である。
他に代えがたい固有価値を持つ商品、アートな商品、文化型商品であるが、それらは高額商品に限らない。以前からヒット商品は街場の中にもあるとブログにも書いてきたが、例えばあの親父が作る550円のラーメンがなんとも好きで好きでたまらない、そんな「差」のある商品がデフレ時代に生き残るということだ。(続く)  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:40Comments(0)新市場創造

2016年04月03日

未来塾(21)テーマから学ぶ 変化する観光地 葛飾柴又(後半) 

ヒット商品応援団日記No640(毎週更新) 2016.4.3.

未来塾で取り上げてきた街や商店街、あるいはテーマについて学んできたが、街や消費を活性させる競争軸のキーワードとして「観光地化」を指摘してきた。今回の学びのテーマであるが、あのフーテンの寅さんこと渥美清は1996年に亡くなり既に20年になる。周知のように映画「男はつらいよ」の舞台となった葛飾柴又は、駅から帝釈天へと続く小さな門前町である。天空の城「竹田城跡」のように続々と生まれる新しい、面白い、珍しい観光地化競争が激しくなった現在において、葛飾柴又を中心にいくつかの記念館を中心に置いた観光地の変化をスタディした。





「テーマから学ぶ」

変化する観光地 葛飾柴又
観光地化競争の「今」






その後の観光地・記念館の「今」

葛飾柴又にも「寅さん記念館」があるが、全国にも多種多様な記念館がある。そうした記念館の多くは社会的な業績や貢献を後世に語り継ぐ施設であり、フアン、オタクにとっては聖地としての意味合いが強く、人を惹きつけ続ける。しかし、時間の経過と共に記念館やその地を訪れる人は否応なく少なくなる。こうした記念館や観光地が衰退していく中にあって、いくつか新しい試みを行っているところがある。そうした事例を2つ取り上げてみた。

1、兵庫県宝塚市の「手塚治虫記念館」
鉄腕アトムを始めとした戦後漫画の代表的作家の手塚治虫の記念館である。平成6年(1994 年)に開館した宝塚市立手塚治虫記念館は、手塚治虫が作品の中で訴 えてきた「自然への愛と生命の尊さ」というテーマを後世に伝えるとともに、未来を担う 青少年に夢と希望を与える施設として、市の直営により運営されている。
その記念館への入館者数は、開館の1994年度に約53万人を記録する。その後は同じエリアの年間200万人の観光客を集める宝塚ファミリーランドが2003年に閉園し、その影響もあって20~10万人台に漸減。ただ、「アトム」の誕生日(2003年4月7日)を挟む02~03年度は、イベントの成果もあって入館者が大きく上向く。
そして、近年、東アジア地域では漫画人口が増加して手塚アニメに対する興味が非常に高まっ ており、アジア系外国人の入館者が増加しているという。 以下、入館者の推移である。
1994年 約530,000人
1995年 約280,000人
ーーーーーーーーーーー
2000年 155,704人
2001年 150,661人 
2002年 185,250人 
2003年 214,724人 
2004年 140,871人 
2005年 103,668人 
2007年 107,255人
ーーー10万人以下ーーー
こうした減少から新たな成長を目指す活動として、人気アニメ「エヴァンゲリオン」の企画展を開催する。日本初のアニメ作品である「鉄腕アトム」との共通点を探り、人気アニメの源流に手塚作品があることを紹介する試みで、狙いは見事に当たる。結果、新たにエヴァファンが続々と訪れたという。この他、人気アニメ「マクロスシリーズ」や、女性向けゲームブランド「オトメイト」とコラボした企画展なども開く。
 こうした努力が実り、平成24年度は約11万2千人と4年ぶりに来館者が10万人を超え、平成25年度も約10万5千人が訪れる結果となった。
手塚治虫没後27年経っており、手塚作品を知らない若者が増えたことが減少の一要因となっており、「エヴァンゲリオン」など現代の人気アニメとのコラボを企画することによって、こうした回復の成果が得られたということだ。

2、宮城県石巻市の「石ノ森萬画館」
周知の仮面ライダーで知られている漫画家石ノ森章太郎の記念館である。この石ノ森萬画館は実は全国でも珍しいほど 大きな収益を上げている記念館である。その収益は街づくり関連事業に回されるだけでなく、施設を作っ た石巻市にも還元されるほどである。
この石ノ森萬画館の運営を任されたのは「株式会社街づくりまんぼう」という 組織である。設立は石ノ森萬画館と同じく 2001 年で、 資本金 6000 万円のうち、石巻市が半分を負担し、残り半分を地元の企業や市民からの寄付な どでまかなった第三セクター施設である。しかしこの組織は石巻市の職員を受け入れておら ず、民間人だけで経営しており、それまでの石ノ森フアンを全国から集客するのではなく、次のような特徴を持った記念館としている。
○地域住民のリピーター獲得のために、子供向けワークショップを常設。 その理由は石ノ森章太郎を知 らない世代である子供をターゲットにした仕掛けが必要である という「先」を見据えた計画を実行。
○館の顔ともいえる受付から、館外の駐車場の警備員に至るまで、 従業員全員が良質なホスピタリティ溢れるサービスを提供。
○更に、全国にいる石ノ森フアンには石巻に来てもらうために、石ノ森萬画館限定の オリジナルグッズを開発。
こうしたある意味明確なマーケティングとしての目標を持った活動を行っていることがわかる。更に、こうした石ノ森萬画館の活動にとどまらず、JR 石巻駅から商店街を経て石ノ 森萬画館に至る通りを「マンガロード」と呼び、様々なところに石ノ森 章太郎にちなんだオブジェを登場させ、石ノ森ワールドが作り出されている。郵便局と協力して、郵便ポスト の上にキャラクターのオブジェを登場させたり、宮城県警と協力して、交通安全ポスターに 仮面ライダーを登場させたり、JA と協力して、石巻産の「ひとめぼれ」に「仮面ライダー」 を、「ささにしき」に「ロボコン」を、それぞれのパッケージに入れる。 つまり、石巻市民から企業までもが、マーケッター&応援団として参加しているということだ。その結果として、あまり評判の良くない第三セクターにあって、堅実な経営、黒字経営を果たしている。

そして、特筆すべきは運営する「街づくりまんぼう」は街づくりの組織であり、石ノ森萬画館などで得た収益を生かして、様々な中心市街地活性化事業を行なっている点にある。 例えば、フアンの中心が中高年ということから、懐かしい駄菓子屋「まんぼう壱番館」を 商店街に造ったり、来館者の市街地における回遊性を図るために、敢えて石ノ森萬画館には駐車場を作らずに、来館者には街中の駐車場の無料駐車券を発行するといった具合である。つまり、地域活性の中心的役割を果たしているということである。(「みずほ地域経済インサイト」 宮城県の地域活性化事例  みずほ総合研究所発行から抜粋要約)

3.11東日本大震災から5年が経つ。石巻市も甚大な被害に遭っており、死者・行方不明者を約3600名出している。勿論、石ノ森萬画館もその震災被害に遭っている。館のある立地は石巻市内を流れる旧北上川下流の中州にあり、大津波は館の1階まで押し寄せたとのこと。収蔵品や従業員への被害はなく、逆に被災者の避難場所として館を解放し、ここでも地域コミュニティの役割を果たしたようだ。
そして、石ノ森萬画館の復興であるが、全国からの義援金は合計義援金額 67,874,403円。
2012年11月17日に約1年8ヶ月振りに再開を果たし、さらに、”2013年3月23日、お陰様をもちまして石ノ森萬画館はリニューアルオープンしました”と。(石ノ森萬画館の(HPより)
一言で言うならば、石ノ森萬画館の誕生はシャッター通り化した石巻市内に賑わいを取り戻すためのものとして生前から構想されたもので、石巻市民は石ノ森章太郎の意志をも引き継いだと言えよう。つまり、今なお、石ノ森章太郎は石巻市民の心の中に生きているということである。



テーマから学ぶ


「観光地化」というキーワードをテーマにいくつかの事例を学んできた。バブル崩壊後、デフレが続き足踏み状態が続く景気にあって、どのように他とは異なる「差」を創り競争すべきかについては、少し前の未来塾『「差分」が生み出す第3の世界』というタイトルで書いてきた。いわばMDにおける競争をテーマとしてきたのだが、今回の「観光地化」は集客のための磁場となっている「観光地」とそれらを含めた商業、観光産業といっても良いが、ある意味その全体運営、経営としての視座についてである。例えば、国内だけでなく、訪日外国人にとっても人気の観光エリアとなっている東京の谷根千は数名の地元主婦が作るコミュニティ雑誌の誕生とともに、エリア全体として観光地化というマーケティングが進められてきた。エリアの中にある観光地としての根津神社も、谷中霊園も、美術館も、谷中ぎんざ商店街も、小さなカフェも、それらが創り出す景観全体を一つのコンセプトとしてまとめ上げることが成功要因の一つとなっている。「谷根千」というコミュニティメディアは外部の観光客だけではなく、実はそこに住む内部の人たち、商店や住民、寺社にとっても極めて重要な意味を担っている。
今回の学びの視点は、個々の特徴資源をどのように「まとめ上げる」かということになる。どんな特徴ある魅力(=MD)を持っていてもそれだけで顧客、観光客を呼べるわけではない。しかも、今回は「記念館」という「過去」の素材をどう料理し、一皿の魅力あるメニューに「仕上げ」いくのかというテーマである。

1、誰を料理人とするのか

映画「男はつらいよ」がシリーズとして続いている時は、松竹、いや山田洋次監督以下のプロジェクトが「料理人」を務めてきた。コンセプトは「日本人の心の故郷」ということになる。メインディッシュは勿論「フーテンの寅さん」で、サイドディッシュは時々のマドンナということになる。
さて、その渥美清が亡くなり、記念館という「過去」が残ってはいる。多くの記念館は個人の場合や団体・企業もあるが、その社会貢献を伝える意味合いからその地域の自治体が料理人になる場合が多い。石巻市の「石ノ森萬画館」のような第三セクターの「街づくりまんぼう」という 組織は珍しい。しかし、問題なのはマーケティングできるリーダーとその街ぐるみの応援団ネットワークにある。柴又帝釈天においては葛飾区が料理人となっているが、具体化していくには現場、地元の商店や市民の参加が不可欠となる。「石ノ森萬画館」を始め、東京の谷根千もそうであるが、昔から言われているように、ワカ者、ヨソ者、そして一番重要なバカ者の三者による市民チームが必要となる。そのバカ者とは生まれ育ったその地が好きで好きでとことんやる、一種の街おこし、事業起こしの経営感覚・マーケティング理解を有したオタク達である。

そんな人物はいないよと言われそうだが、そうであったら公募すれば良い。少し前のブログにも書いたことがあるが、経営再建中の千葉のいすみ鉄道の社長は公募によるものである。2009年に社長に就任した鳥塚 亮氏は根っからの鉄道オタクで外資系航空会社からの転職である。周知の「訓練費用自己負担運転士」の募集やムーミン列車の運行などの経営活性化策を実行し、その結果、2010年8月に同鉄道の存続が決定した。最近では昨年の冬からイルミネーションによるデコラティブな列車を走らせるだけでなく、駅舎まで飾りつけ、首都圏からの観光の集客努力をしている。
あるいはサッカーのU23日本代表監督の手倉森 誠氏もサッカーバカ、サッカーオタクの一人であろう。3.11東日本大震災当時はベガルタ仙台の監督をしており、Jリーグ再開後の鹿島との戦いで勝利し、東北のために戦ってくれたと涙して選手を褒めたあの監督である。その手倉森 誠氏のサッカー人生は決して平たんなものではなく、住友金属・鹿島アントラーズ時代の選手としては失敗・挫折の連続でギャンブルに走り、無一文にもなる。しかし、その後指導者の道を歩むが、その挫折の教訓から生まれた選手指導は旧来の指導者とは全く異なる選手を惹きつける力強さがあると言われている。その強さの根底には挫折があり、それが選手のプレーへの取り組み方へのサジェッション、生き方指導となっているということだ。

ところで葛飾柴又にも地域活性のための市民応援団ができ始めているようだ。葛飾区在住のシニア約50人で結成されている『かつしか語り隊』で、エリアの観光案内ボランティアの活動を2004年から始めている。そうした市民と共に現場で動く若いバカ者の出現が待たれている、ということだ。

2、誰を顧客、観光客とするのか

つまり、どのようにマーケティングしていくかである。そして、マーケティングを進めていくためには、まず問題点は何か、ということを明確にしなければならない。言葉を添えるとすれば、どのように顧客は変わってきているのか、そこにチャンスはあるのか、何が障壁となっているのか、を明確にしていくことから始めるということである。”問題点こそチャンスとなる”とは、マーケティングの基本である。

手塚治虫記念館の来館者の数字の推移は極めてわかりやすいものとなっている。オープン初年度は約53万人、次年度は28万人となっているが、私たちマーケッターの数字理解ではオープン初年度はコンセプト力によるもので、つまり簡単に言ってしまえば「手塚治虫の偉大さ」によるもので、翌年からは手塚治虫フアンとなり、次第にフアンも減少し、一部のオタクだけとなる。宝塚市も問題点として挙げているが、近くにある宝塚ファミリーランドの閉園によってエリア内の回遊という楽しみが無くなったことも大きい。
しかし、その後の活動として「エヴァンゲリオン」の企画展を行いエヴァフアン、エヴァオタクを顧客とし広げたことは正解である。つまり、手塚治虫を「今」という時代の漫画、アニメ作家に変えたことによる。「今」という視座を持って、過去の手塚治虫を見ていく、ある意味コンセプトチェンジに踏みきったということである。そして、手塚治虫を知らない世代、エヴァフアンを始め広くアニメフアン、漫画フアンを顧客に設定したということである。時代の変化に応えるとはこうしたコンセプトを変えることによってチャンスとすることに他ならない。
また、石ノ森萬画館はどうかといえば、コンセプトも想定顧客もまずは変えることを必要とはしない。生前からの石巻市の活性のためのミュージアムとして構想された石ノ森萬画館である。東日本大震災という苦難を経て、「石巻という街の次をどう構想するか」、そのために石ノ森萬画館はどんな役割を更に果たしていくのか、逆に期待する。

さて、葛飾柴又であるが、事例にあげた記念館と同様渥美清が亡くなって20年になる。映画「男はつらいよ」も、渥美清も知らない世代が時間の経過と共にこれからも増えていく。広く「伝えていく」ことも必要ではある。しかし、伝える内容、伝え方も「今」という時代に応えたものでなくてはならない。写真のような狭い路地裏にある吉祥寺ハモニカ横丁も若い世代に人気スポットとなっている。前述の谷根千も「夕焼けだんだん」という坂の上からの景観が象徴するような下町レトロが魅力となって観光客を集めている。その中心にある谷中ぎんざ商店街は下町物語「東京下町レトロ」の主要コンテンツのキーワードが端的に表現されている。「笑顔」「人情」「職人」「粋」「食」「新風」「風情」「歴史」「猫」「未来」とある。一見特徴が分散化され、強さが失われるのではないかと思われがちだが、エリア内の各店が自店の特徴を出しやすいように、参加しやすいように考えられている。こうしたコンテンツの「まとめ」として下町物語が創られているということである。
それを私は「Old New 古が新しい」とキーワード化した。吉祥寺ハモニカ横丁は戦後の闇市を彷彿とさせるような狭い路地にハモニカのような小さな飲食店や商店が集まった商店街である。そこに「新しさ」を感じて集まる若者がいることの理解をまずしなければならない。つまり、旧来の概念や常識に生きている人間は根本から変えなければならないということだ。このことは若い世代におもねるということではない。「古が新しい」ということが分かっている古い世代は、若い世代にその古の歴史や文化を伝えれば良い。そこから次に向かう「新しさ」が始まる。

「故郷」もまた変わっていく

ところで葛飾柴又には山田洋次監督をして「日本人の心の故郷」と言わしめた風景が残されている。しかし、多くの若い世代にとって映画「男はつらいよ」も、渥美清も知らない。そうした若い世代にとっての「故郷」はシニア世代が想い浮かべる「故郷」とは異なる。
夫婦共稼ぎが当たり前の「今」にあっては、おふくろの味は学校給食やコンビニに取って代わられた。遊び場である校庭はコンクリートになり、泥まみれになることもない。遊びの中心はスマホのゲームとなり、SNSを通じての友人は数多くいても、生身の友人は少ない。そんな家族の「今」について10年近く前のブログに「家族のゆくえ」というタイトルでバラバラとなった個人化社会の今を次のように書いたことがあった。

『あらゆる情報を入手できるネット世界はケータイによって、個人から個人へといつでもどこでも瞬時につながり、情報を取り入れることがいとも簡単になった。しかし、同時に情報によって翻弄される「個」でもあった。その象徴例と思うが、たった一人、若い個達は友を求め街へと「漂流する」か、「ひきこもる」ことになる。「夜回り先生」こと水谷修さんが街へと夜回りしながら掲示板を開設するのもこの時期からである。既に、家族は崩壊していた。まだまだ残すべき家族という「過去」があると声をあげて言う人は少なかった。』

私はこうした家族から離れ、都市に漂流する個人を「個族」と呼んだ。そのことに気づいた人もいて、家族の住まい方として家族同士が会話できるような造り方など工夫がされてきた。しかし、個族は変わらず生まれ続けている。何故家族に言及したのかは、勿論生まれ育った場所と家族が「故郷」を創っていくからである。東京の場合、「場所」の多くは再開発が進みオフィスビルやマンション群に変わり、家族は個族となった。「下町」と呼ばれる小さなコミュニティにのみ故郷は残るが、それでもシニア世代が想い描く故郷とは異なる。石ノ森萬画館のようにコミュニティの活性を目的につくられ、そのメンバーが中心になって運営されている記念館の場合は故郷はこれからもつくられていくと思う。しかし、津波の被害にあった多くの沿岸部にはコンクリートの防潮堤が造られ、津波によって失った町の多くは新たに造成され、以前の景観は全くなくなり、故郷を想起させるものは多くを奪った海だけになった。
つまり、故郷は常に変化していくものであり、残念ながら故郷を持たない若者も増えてきたという事実である。「今」という時代にあっては、故郷は一人ひとりの心の中にしかない、ということだ。

「時代」に馴染んだコンセプトへ

時代に馴染むとは、新しい故郷を求めている都市「家族」に対し、新しい故郷を提案していくことに他ならない。個族化しつつある家族に対し、柴又エリアではのファミリーパークを提案することも一つの方向であろう。新しい故郷づくり、新しい家族づくりという石ノ森萬画館のような柴又ならではのコミュニティモデルを葛飾区は目指すということである。このようなコンセプト、上位概念を設定することによって、区内にある個々の施設や商店街や公園などを「家族」をコンセプトにして再編集するということである。
葛飾区にはOld Newを感じさせる立石商店街もあれば、金町の北側には膨大な緑と水に囲まれた水元公園もある。特徴ある資源を持つエリアであるが、新しい故郷物語、新しい家族物語としての「まとめ上げ」が問われているということである。東京谷根千を歩いて感じたことだが、戦災に逢わずに残る古い木造家屋の町並をどうリノベーションするのか、住民も、商店街も、古くからの寺社も変化への課題を共有している。同じことが葛飾柴又においても可能であるか、そこまで踏み込めるのか、そんな思いにとらわれた。

3、「過去」との向き合い方

今回は柴又帝釈天と参道、それらを舞台にした「男はつらいよ」が、「日本人の心の故郷」というコンセプトによって見事に融合し、葛飾柴又の小さな門前町に大きな活力を与えてくれた良き事例であった。そして、冒頭のテーマ課題である20年という時間経過によってコンセプトをどのように「今」という時代に馴染ませていくかというのが今回のテーマである。一言で言うならば、「過去」「歴史」との向き合い方、より具体的に言うならば「何を変え」「何を残していくのか」ということになる。手塚治虫記念館のようにアニメの源流に実は手塚治虫がいて、そして今「エヴァンゲリオン」があるとしたように。
葛飾柴又も「心の故郷」=下町人情としているが、前述の谷根千における下町レトロは以下のようなキーワードとなっている。
「笑顔」「人情」「職人」「粋」「食」「新風」「風情」「歴史」「猫」「未来」
「下町人情」は東京の東側半分はどこも「下町人情」を標榜し、テーマとしている。例えば、門前仲町(深川仲町商店街」のある参道は、”人情深川ご利益通り”がキャッチフレーズである。コンセプトに「今」という多面多様さが求められる時代にあっては、まずはその「多面多様」の世界に自ら持つ資源・特徴を重ね合わせて記念館や参道にある商店の特徴を出していくことになる。これが戦略である。

柴又帝釈天という「過去」、あるいは古くからの庚申信仰、そうしたことに向かい合うには参道の商店、地域住民、勿論それまでの映画「男はつらいよ」の記念館をはじめとしたフアン、周りにある多くの「時代」と馴染むことが次なるコンセプトとなる。大仰にいうならば、柴又コミュニティをこれからつくっていこうということである。「馴染む」とは互いに想いを交換することであり、その交換先はといえば、未来の観光客・若い世代であり、柴又の町を創る地元の若い世代、子どもたちである。
いずれにせよ顧客の減少を止めるにも新たな顧客をつくっていくことが必要となり、コンセプトチェンジが待たれている。帝釈天の参道商店について、まるで「お団子のテーマパーク」のようだと書いたが、そうした財産の活用、「次」を考えていくこともコンセプトチェンジとなる。おそらく参考となるのは京都であろう。例えば、京都には室町時代からの老舗和菓子店が数多くある。一方、和の素材を使った今風のスイーツカフェも京町家をリノベーションして続々と誕生している。
京都ばかりでなく、東京の谷根千においても古い住宅をリノベーションし、更にシェアーするあり方が数多く見られる。その象徴が最小文化複合施設『HAGISO』であろう。解体予定だった築50年以上の木造アパート『萩荘』をリノベーションし、若いアーティストのためのギャラリーやアトリエ、美容室、設計事務所などが入居する。ここにもHAGI CAFEという素敵なカフェがある。
ヤネセンらしい古(いにしえ)に新しい命を吹き込み、新しいものへと生まれ変わらせるリノベーションがある。こうしてレトロコンセプトもより広がりをもって、より深みをもって語ってくれている。これは「今」を生きる私たちが、「過去」を訪れやすくするための方法の一つである。これから先を行くとは、奥深く眠っている歴史・伝統を探検する「オタク」になるということである。
そして、「未来の消滅都市論」にも次のように書いた。

『ヤネセンを歩くと感じることであるが、「どこか懐かしい」と。根津から谷中にかけての路地はその多くは曲がりくねった通りで、狭い路地裏に木造住宅が密集している。そうした横丁・路地裏を歩くということは、いわば「記憶の生産」をしているようなもので、その生産に際しては、実は自分のお気に入りの風景や出来事を重ねている。つまり、現実の横丁・路地裏を歩いている訳ではない。
若い世代が揚げパンを食べるのも、学校時代の「何か」、仲間との遊びや授業を一緒に食べているということである。
つまり、それらは全て過去の忠実な再現ではない。そこに新しい「何か」を付与して思い出すのである。
Old New、古(いにしえ)が新しい、という意味はまさにそうした「何か」を意味したキーワードとしてある。レトロ、下町、というコンセプトは単に「古さ」を懐古することではなく、ある意味未来への入り口、過去のなかに未来を見るという創造的な試みということである。』

私が柴又を歩いて下町レトロを感じたのは老舗の鰻屋でもなければ名物草団子の店でもない。参道入り口手前にあるコテコテてんこ盛りの「かのん亭」という店である。店頭の写真にもあるように、焼き鳥、そばうどん、ラーメン、カレーライス、うなぎ、もつ煮込み、樽酒、勿論草団子からあんみつ、ところてんといった甘味までてんこ盛りのメニューである。決してきれいとは言い難い狭い猥雑な店であるが、どこか落ち着ける懐かしさの感じられる店である。もつ煮込みに惹かれて入ったのだが、観光客も多く、賑わっていた。
実は浅草伝法院通りにも「煮込み通り」と呼ばれるような多様な居酒屋が並んでいる通りがある。以前はご近所顧客中心であった通りであったが、今や煮込み目当ての観光客が集まる人気のスポットとなっている。浅草の表通りが仲見世だとすれば、伝法院通りは路地裏である。浅草が観光地として存在し得るのもこうした表と裏を持っているからである。勿論、表があればこその裏であるが、これらを丸ごと楽しみたい。人間は「好奇心の動物」である。
さて新しい故郷物語、新しい家族物語をスタートさせるために、まずは、出てこい柴又オタク、ということになる。

そして、観光地葛飾柴又を通じ、観光地化という集客のあり方とその衰退への歯止めについて学んできたが、これは単なる観光地だけに当てはまることではなく、顧客を集め、賑わいを持続させていくための着眼にも通じるものである。
商店街であれ、ショッピングセンターであれ、表と裏という例えで表現したように、2つの要素を踏まえた「全体としての仕上げ」が重要となる。ショッピングセンターであれはテナント編集であり、商店街であれば路地裏作りとなる。そして、何よりもこの「仕上げ」には地域の住民、地域の企業、そして利用者の参加が必要になるということである。この参加とは「声を聞く」ことから始まり、「我が町自慢」としての企画参加、あるいは催事参加といったコミュニティ発想がまずまず重要になるということだ。(続く)  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:42Comments(0)新市場創造