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「人力経営」という本を書きました。ヒット商品の裏に潜んでいる「人」がテーマです。取材先はダスキン、エゴイスト、野の葡萄、叶匠寿庵、桑野造船の経営リーダー。ユニーク、常識はずれ、そこまでやるのか、とにかく面白い経営です。星雲社刊、735円、新書判。

2015年06月14日

2015年上期ヒット商品番付を読み解く 

ヒット商品応援団日記No617(毎週更新) 2015.6.14.

2015年上期の日経MJによるヒット商品番付であるが、パッと見てどんな印象を持たれたであろうか。それこそパッとしたヒット商品が見当たらない。あるいは新聞やTVの報道を見ればわかることで、ヒット商品の理由、なぜ売れているのかその価値潮流が見当たらない。こうしたヒット商品の不作は消費増税や円安=物価高が消費を収縮させている大きな要因になっていることは言うまでもない。

東横綱 インバウンド旋風、 西横綱 北陸新幹線
東大関 ピケティ現象、  西大関 ベア
東関脇 セブンドーナツ、 西関脇 イートイン
東小結 アップルウオッチ、  西小結 ドローン

コインの裏表

訪日外国人市場の急伸、特に中国観光客による「爆買い」については連日のように報道されてきたのでこれ以上コメントすることはないが、1月~3月累計の買い物額では昨年同期の2倍近い2972億円。よくTVの報道で中国人観光客の「爆買い」の様子として「いくら買うつもりか」と聞いているが、お金の使い方が今の日本人とは異なるため「爆買い」といった表現となる。自分の興味ある商品を前にした時、その行動を左右するのは「どれだけのお金が自分にあるか」である。カメラの前で札束を見せてこれだけ買うつもりであると誇らしげに取材に答える。自分が「お金が払える」範囲で、できるだけ品質が良く高いものを、できるだけたくさん買おうという金銭感覚である。ちょうど1960年代の日本人の生活のように物で生活を埋めることで満足を求める意識と根底は同じに見えるが、一種独特な金銭感覚であると理解することが必要である。現在の日本人のように「必要」「好み」という志向から、我慢をしたり時には無理をしたり、ローンを組んだりして買う、こうしたいわば「どうお金を使ったら良いのか」という論理的計画的な購入行動ではないということだ。

円安によるインバウンド旋風とは逆に、GWの日本人の旅行は海外旅行は減り、国内旅行が増え、その象徴が北陸新幹線となる。GWの顧客数は39万1000人と在来線特急の前年比3.1倍になった。実はこうした円安=お金の使い方が変わりそして金額自体も減ったこともあるが、北陸はまだまだ未知の観光地で新しい発見を求めてのことと理解すべきである。海外旅行についても安近短という傾向は変わらないが、例えばベトナムにはまだ行っていないので。あるいはカンボジアのアンコールワットにも。遠いヨーロッパであっても、パリではなく、チェコといった東欧、あるいはトルコといった国々となる。
こうした傾向は国内の旅行先についても当てはまることで、まだまだ未知の地方は多いと理解すべきである。何度でも書くが、課題は興味を引く、どんな「未知」を提供できるかである。

さて東西大関についても横綱同様コインの裏表にような関係となっている。周知のピケティは仏の経済学者であるが、ちょうど1年ほど前米国で英訳された「21世紀の資本」がベストセラーになり、格差の大きい米国でその格差の源を多くのデータをもって解き明かした書であった。当初は「21世紀の資本論」としてあのマルクスの「資本論」と比較され、「現代のマルクス」と呼ばれていたが、そんな言葉の表層をなぞったものではない。ピケティ本人が取材に答えているように「マルクスにはデータがない」とし、グローバル時代の不平等をデータをもって仔細に解き明かし、グローバル富裕税を課すべきと提言している。実は14万部を超えたベストセラーであるが、和訳された本を書店で見て購入しようと思ったが、その膨大なページ数からこれは読めないなと断念。私にはピケティを語る資格はないが、国を超えたビジネスの問題、従来から米国の経済学者であるクルーグマンなどが指摘してきた「市民主義」のような国家が果たすべき社会性への指摘についてはわかる気がする。

一方、日本におけるグローバルビジネスの中核を担う大企業の多くが賃金の基礎となるベアを大きく伸ばした。ちなみに大企業の賃上げ率は平均2.59%と極めて高い水準となっている。しかし、従来のような革新的技術、製造業、輸出立国、・・・・・・こうした産業からの転換が求められており、新しいビジネスへの転換の模索が始まっている。例えば、東京オリンピックで好況となっている建設業や不動産業も既に次なるテーマへと動き始めている。そうした結果としてのベアであると理解すべきであろう。つまり、中小企業であっても、地方企業であっても、高水準の収入を得る道はある。ちなみに、経済の地盤沈下が叫ばれている関西においても、IT関連ベンチャーへの投資を行うファンドも組成され既に動き始めていると聞いている。

これからのヒット商品市場

ところで、問題なのは大きな価値潮流として産みだすことが求められている高齢社会・少子社会へのヒット商品がまるでない状態である。せいぜい待機児童の解決策や高齢者の買い物を含めた諸対策が若干行政レベルで行われるているに過ぎない。勿論、咀嚼が困難なお年寄りにもっと美味しく食べてもらえるようなプロ仕様の食や介護道具類が開発されていることは知ってはいる。しかし、社会が「アレ!」と思うようなヒット商品、「元気に老いる」ための行政や医師、そして、地域コミュニティ、あるいは企業に未だ出会ってはいない。前回の未来塾「スポーツから学ぶ」の長寿県長野がそうであるように、食だけでもなく、スポーツだけでもなく、日々仕事もし、温泉といった楽しみをも生活へと取り入れる。そうした全体としてバランスある生活そのものが問われている。

そうした時代ならではのヒット商品ではないが、街場の日常ヒット商品、あるいはわが町のヒット商品といった小粒だが、意味あるヒット商品が誕生してきている。例えば、シニア固有のものではないが、街場の商品と言えばパン屋さんであるが、優良商店として農水大臣賞となった千葉のパン店ツオップのようなヒット店である。焼きたてパンは鮮度が命で4分に1回焼きたてパンを店頭化しているパン好きにはたまらない行列店で、多い日には1日5000個を売るパン屋さんである。ちなみに、同じ千葉にはメロンパンでお馴染みのピーターパンがあり、勿論街場の先行する人気パン店として流行っているが、そのピーターパンの焼き立ての目安は30分としている。ツオップはこうした焼き立ての鮮度を手間と仕組みとして超える努力をしてきた結果ということである。

さらには、今年のGWに首都圏で行われた「肉フェス」の来場者であるが、開催会場を広げらこともあり、東京が55万2000人、千葉が27万人、神奈川が11万5000人。合計で約93万7000人を記録した。2014年は約71万人であったが、わずか3年目で93万人超の集客はいかに「フードイベント」が人気となっているかがわかる。これもあのB1グランプリを契機に各地・各店の自慢料理イベントに人が集まり、そして定着したといっても過言ではない。
どんどんつまらなくなっていくTV番組にあって、「グルメ番組」だけが視聴率をとることができる。それは町歩きをしながらの「食べ歩き」から、これでもかといった「食べ放題」、更にはちょっと変わった漁師飯や旬の魚料理、そして注目のデパ地下から道の駅まで。つまり、日常の小さな「発見」、まだ味わったことのない小さな「美味しさ」に興味が惹かれるということだ。

都市市場の可能性とリスク

これが東京、首都圏の注目すべき消費の傾向であるが、人口減少時代、少子高齢社会にあって、地方だけでなく都市もまた同様の問題というより、更に大きなリスクを負った時代に向かっている。それは最近ニュースとなっている「空き家率」として目に見える問題として露出している。
2年ほど前、ブログにも書いたが東京湾岸地帯のマンション群に人気が集まり、さらに都心の高層億ションも順調に売れていると。実はこのマンションを含め大きなリスクが表面化してきたことがわかってきた。空き家というと過疎、地方固有の現象であると思われがちであるが、実は都市部においても同様の傾向が見られる。総務省によれば空き家は全国では820万戸、総住宅戸数に占める率は13.5%と過去最高であると。ちなみに都内で一番空き家率の高いのが豊島区で15.8%となっている。(東京平均では11.4%)
高齢社会は人口減少とともに地方も都市も同様に押し寄せており空き家の発生につながっているが、都市の場合マンションについてではあるが仔細に調べていくと、千代田区36%、中央区28%、と驚くべき空き家率の数字となっている。多摩ニュータウンなどの郊外団地なら分かる話ではあるが、都心の良い立地、分譲マンションについて大きな変化が実は出てきている。1980年代後半から増えてきたいわゆる「ワンルームマンション」という投資用のマンションで、今や狭い上に老朽化が進み、改修には多くの同意者が必要からそうした試みも進まず、・・・・・結果、空き家が増え続けるというリスクが年々増大してきている。
更には都心の高層億ションについても今は売れており住民が住んではいるが、これも中国富裕層の投資用となっている物件もあり、活況を見せる上海株式市場を始め中国経済次第ではあるが、株バブルの崩壊が起こればいつ売却されるかもしれないというリスクも孕んでいる。

こうした景気次第の問題とは異なり間違いなく高齢社会は進み、人口も減少し続ける。空き家だけでなく、商店街もさらにシャッター通り化していく。そして、例えば乗用車の場合、1980年代にかけては新車を所有することが一番であったが、1990年代に入り中古車が一番売れるようになる。さらには環境やエネルギーコストの視点からHV車から水素自動車へ。また、普通乗用車は軽自動車へ、そしてカーシェアリングも普及し始めた。自動車の場合は技術的なイノベーションが必要であるが、高齢社会を解決する一助となる自動車はまだ現れてはいない。コンパクトシティといった交通インフラの方策が考えられているが、都市においても高齢者の買い物難民は少なからず存在している。

自分創生時代へ

つまり、社会の変容とともに消費価値観自体が変化してきたということである。しかし、高齢社会ならではのヒット商品は生まれてはいない。少子化社会ならではのヒット商品も同様である。せいぜい5ポケットや6ポケットならではのヒット商品、例えば祖父母から孫へのプレゼント、ランドセルなどが入学シーズンを待たずにどんどんプレゼント時期が早まり、そして豪華なものになっている。しかし、少子化社会、プレゼント対象となる孫はどんどん少なくなっていく。こうしたランドセル市場であるが、実はそのデザインとユニークなスタイルが海外の人気商品となっている。その背景にはクールジャパン、ドラえもんやコナンをはじめとした日本アニメの登場人物が愛用するランドセル姿から影響を受けてのこと。結果、海外セレブはもとより訪日外国人のお土産として百貨店や空港で売られ、輸出するまでのヒット商品となっている。

このように何がどのように売られヒットするのかわからない時代、またまだ社会の変容に追いついていない時代。そのためにも、街場のヒット商品、街場の衰退商品をより丁寧に見ていかないと間違ってしまう時代にいるということだ。ランドセルのように海外で売れる理由を見いだすことも必要であり、少子化だから、あるいは高齢社会だから売れない、衰退していくと勝手に決めつけてはならないということだ。そして、売れない理由がわかったら、自らの発想自体をイノベーションすること、自らの行動も変えていくこと。地方創生ならぬ、自分創生が必要不可欠な時代にいるということだ。(続く)  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:06Comments(0)新市場創造

2015年06月08日

未来塾(18)「スポーツから学ぶ」(4)

ヒット商品応援団日記No616(毎週更新) 2015.6.8.

今回の「スポーツに学ぶ」は高齢社会におけるスポーツの意味するところを学ぶこととする。2021年に世界大会「ワールドマスターズゲームズ」が関西で開催されるが、この大会を機に高齢者の「スポーツビジネス」についてもそのコンセプトが問われている。今回も井上氏に寄稿いただき学ぶこととする。




「スポーツから学ぶ」

時代の観察

高齢社会のスポーツ


世界有数の長寿国の日本は、「高齢化社会」の「化」はとれて、はっきりと「高齢社会」を迎えた。どのような課題が噴出し、うまい解決策があるのか、マスコミでも「高齢社会」について、連日といっていいほど何らかの報道がされている状況だ。
 さて、スポーツの世界では、「高齢」や「中高年」といわず、少しスマートに「マスターズ」という言葉で表現される。2020年の東京五輪の翌年、2021年には、関西で4年に1度の世界大会「ワールドマスターズゲームズ」が開催される。大会日程は、5月15日から30日までの16日間に決まっている。関西でも、もちろん東京五輪への興味度は高いが、身近な世界のスポーツ祭典として、この「ワールドマスターズゲームズ」の準備が進んでいる。
 関西経済同友会は2015年5月7日、「関西全体の活性化の観点から、(関西の)各地域が一つにまとまって準備を進めていくべき」という提言を発表した。「関西ワールドマスターズゲームズ」は、経済界が強い関心を持っている。日本のスポーツは明治時代の発祥以来、教育界がリードしてきたが、21世紀は、経済界がお株を奪おうとしている、といえなくもないのだ。
 すなわち、「スポーツビジネス」のチャンスを嗅ぎ取っているのである。振り返って、昭和39年の東京五輪は、日本が国際社会に認められる絶好の機会であった。使い古された言葉だが「国威発揚」を五輪に求めた。現在のような「スポーツビジネス」が支える五輪ではなかった。五輪は、1984年のロサンゼルス大会を機に、一気に「商業化」する。税金を注ぎ込む大会から、利益が上るイベントに変貌した。それは、すぐに五輪だけでなくスポーツ全体に波及した。
 スポーツが生む「利益」。代表的な例はテレビの放映権料だ。スポーツがスターをつくる。大衆がスターを見たがる。テレビがスターを放映すれば大衆がとびつく。大衆がとびつくなら、テレビ番組にスポンサーがつく。テレビは巨額の放映権料をスポーツに支払ってでもスポンサーを獲得し、放送する。
 「ワールドマスターズゲームズ」もスポーツビジネスと切り離せないが、おそらく放映権ではなく、「スポーツ観光」という新しい考え方とつながる。大会には、原則として30歳以上の個人が、予選を経ずに自由に参加でき、国家を代表することなく、“身銭”で出場する。しかも、家族、友人というプライベート応援団を引き連れている場合が多い。
 もう、死語であろうが「フジヤマ ゲイシャ」を見るために日本に来るのではなく、「クールジャパン」へのあこがれだけでなく、日本製品の「爆買い」でもなく、「スポーツを目的に」関西にやってくる。もっといえば、スポーツをして、家族も一緒にお金を落として帰るのである。願わくば、日本に新しい友人をつくって、再び日本に来る動機づけをしてくれれば、何よりなのだが…。
 2020年の東京五輪が、日本にとって、どんな財産を残してくれるのか、その推測、検証は別の機会に譲ろう。2021年「ワールドマスターズゲームズ」は、少なくとも、国内の中高年のスポーツ、「マスターズスポーツ」への関心を高めてくれるだろう。
 私は、京都を拠点に活動しているので、最近、京都であった「マスターズ」に関する催し、報道などについて、少し実例を紹介したい。



 ○ワールドマスターズゲームズのシンポジウム

 2015年2月21日、京都市内で、ワールドマスターズゲームズのシンポジウムが初めて開かれた。京都市が主催し、京都市体育協会などから参加者が集まった。大学の研究者が基調講演したが、当面の最大の課題は「関西 カンサイ」というエリア名称を世界にどうアピールするかだという。関西という名称は、関西空港ぐらいしか思い当たらないのだから。




○京都500歳野球

 「ナインの合計年齢が500歳」の京都500歳野球大会が2015年3月7日から4月29日まで開かれた。毎年恒例の大会で、高校野球部のOBチームなど25チームが参加、トーナメント戦で行った。かつての甲子園球児らが出場した。京都には、別に「還暦野球」という組織もある。

○ラグビーの2015京都マスターズ大会

 3月15日に京都市内で行われた。この第12回大会には、40歳以上の約150人が参加し、福井県から「福惑RFC」チームを招待した。40歳代は白パンツ、50歳代は紺パンツ、60歳代は赤パンツ、70歳代は黄パンツと色分けに、楕円球を追った。(2015年3月28日付け京都新聞記事から)

 ○京都シニアサッカー大会

 40歳以上の大会で、第15回を迎えた。21チームが参加し、京都大学OBチームが3年ぶり2度目の優勝を飾った。チームは25年前の1990年に創部、そのときの平均年齢は29歳だったいう。この大会とは別に、京都府サッカー協会傘下の京都フットボールリーグには、30歳代、40歳代、50歳代のリーグ戦があり、60歳代のリーグも計画中だ。(2015年4月4日付け、京都新聞記事から)

 ○第111回全日本剣道演武大会

 京都市の旧武徳殿(現京都市武道センター)で、明治28年から(戦時の中断をはさんで)続いている大会。今年も全国から6段以上の約3800人が参加した。京都から参加した居合道の達人は、本職が京友禅デザイナーで、大会中、会場に掲示する演武者600人の名前を1カ月かけて手描きしている。名前の主は、演武が終わると、自分の名前が書かれた半紙を記念に持って帰るという。(2015年5月9日付け、京都新聞の記事から)

 ○100歳スイマー、1500メートル完泳

 2015年4月に松山市で開かれた全日本マスターズ水泳で、女子100~104歳の部に出場した山口県田布施町に住む女性が、1500メートル自由形種目に出場、(得意の背泳で)完泳した。水泳を始めたのは80歳。趣味の能楽で培った足腰と精神力が水泳にも生きているという。日本マスターズ水泳協会によると、60歳以上の登録者は全国で約1万7500人という。(2015年5月10日付け、京都新聞の記事から)

  ◇      ◇      ◇

  スポーツは手段か目的か

 マスターズスポーツの愛好者は、高齢社会とともに増えていくに違いないだろう。楽しむスタイルがどうなるか。旅+スポーツ、グルメ+スポーツ、ファッション+スポーツ、医療+スポーツ、はたまた、追悼+スポーツ(スポーツ葬)……。
 最近、こんな言葉を聞いた。日本では、『なにかスポーツをして健康になろう』と考える。あるスポーツ先進国では、『スポーツを楽しむために、健康になろうと努力する』。スポーツは「手段」なのか「目的」なのか、関西で開かれる「ワールドマスターズゲームズ」で答えは出るのだろうか。


[ワールドマスターズゲームズとは]
 主催は国際マスターズゲームズ協会(IMGA)。五輪と同様に4年ごとに開催する。第1回は1985年にトロント(カナダ)で開催。2013年の第8回はトリノ(イタリア)で開き、五輪の約半分の107カ国が参加した。2017年はオークランド(ニュージーランド)で開催、第10回の関西は、アジアで初の開催となる。
 30歳以上なら、だれでも参加でき、チームゲームの場合は、異なる国の選手でチーム編成も可能。2014年12月、関西7府県4政令指定都市や関西の経済界で組織委員会を設立した。会長は井戸敏三兵庫県知事、事務総長は木下博夫元京都市助役(国立京都国際会館館長)。2016年10月ごろに、約30の競技種目と会場を決定する予定。関西ゲームズには、海外2万人、国内3万人の参加を見込んでいる。
*日本で中高年向きスポーツとして人気のソフトバレーボール(京都・亀岡運動公園体育館)



スポーツから学ぶ


高齢社会の楽しむスポーツ

人口減少時代を迎え、このまま推移すれば消滅するであろう市町村が数多くあると提言した日本創生会議は、その第二弾として急速な高齢化で医療や介護の体制が追いつかない「老いる東京」の姿を浮き彫りにし地方移住という解決策を提言した。
大分県など体制が整っている移住先候補の自治体からは歓迎する声が出る一方、東京都や神奈川県は反発していると報道されている。
1990年代末、生産年齢人口は減少に向かっており、全体としての人口減少は目の前に迫っていた。こうした大きな潮流は基本的な住まい、住居の変化として空き家率にも表れてきており、そこにも人口減少時代ならではの新たなビジネスが生まれてきている。建築の概念は新築からリフォームやリノベーションへ、空き家のセキュリティからその活用ビジネスに至まで、・・・・・こうした文脈のなかで高齢社会のスポーツを考えなければならない。井上氏は”スポーツは健康のための「手段」なのか「目的」なのか”と問い、「楽しむスポーツ」を提言してくれている。極論ではあるが、介護老人を少なくするためのスポーツではなく、老後の楽しみのなかのひとつとしてのスポーツということである。高齢者のオリンピック的競技スポーツ、マスターズスポーツとしてだけではなく、「楽しむスポーツ」という広い幅のなかでスポーツを考えようということだと思う。そして、事例として挙げてくれたソフトバレーボールのように、仲間と共に日常的な小さな楽しみとしてのスポーツによって、結果として要介護シニアが少なくなり、楽しみをもって人生を全うするためのスポーツであって欲しいものである。
そして、「楽しむ」世界はあ、旅+スポーツ、グルメ+スポーツ、ファッション+スポーツ、医療+スポーツ、はたまた、追悼+スポーツ(スポーツ葬)……と広がるのではないかと新しい市場について言及してくれている。

バランスのとれた楽しむ生活

こうした井上氏の見識を裏付けるようなデータがある。周知のように「日本一長寿の県」といえば、既に沖縄ではなく長野県である。2013年に発表されたデータを見ても、男性が80.88歳で1位、女性が87.18歳で1位と、名実ともに全国一の長寿県となっている。この長寿の秘訣として食生活を挙げる専門家が多く、確かに塩分の多い野沢菜などを食しているが、そうした塩分を排出する野菜の摂取量が極めて多くバランスがとれた生活を送っている。更に、他の長寿要因においても極めてバランスのとれた「生活県」となっている。
1、高齢者の就業率全国1位
長野の高齢者就業率(65歳以上)は26.7%で全国1位。ちなみに全国平均は20.4%。長野では定年がない農業従事者が多いことがその理由のひとつにあげられるが、平成2年から20年まで1人当たりの老人医療費は全国最低額だった。つまり、長野では老人が病気にかかることなく、元気で働いている、とも言えるだろう。
2、スポーツクラブの数全国1位
NTTタウンページのデータベースによると、長野県のスポーツクラブ数は人口10万人当たり4.97軒で、全国1位。ちなみに2位は鳥取県、3位は宮崎県だという。

他にも自然と共に生活するという昔からの生活習慣が残っており、そうしたストレスのない環境にある。そのなかでも長寿の一つに挙げられているのが温泉で、長野県の日帰り温泉は775軒でこれも全国1位。小さいころから温泉につかることが当たり前の生活を送ってきたお年寄りが少なくない。
こうしたバランスの上に長寿があるということである。長野のお年寄りを見ていくと、仕事を楽しみ、スポーツを楽しみ、長野の自然を愛で温泉を楽しむ、そんな楽しい人生が見えて来る。そして、スポーツを通して見えて来るもの、それは「バランス」というキーワードである。(続く)


元京都新聞社運動部長 
スポーツライター  井上年央
ヒット商品応援団 飯塚敞士

  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:14Comments(0)新市場創造

2015年06月03日

未来塾(17)「テーマから学ぶ」エスニックタウンTOKYO(後半)

ヒット商品応援団日記No615(毎週更新) 2015.6.3.

「エスニックタウンTOKYO」の後半では衰退に向かう新大久保コリアンタウンとは逆に、新たな成長の芽が出てきた2つの街、池袋西口のチャイナタウンと高田馬場のリトルヤンゴンを選び学ぶこととする。

2、新しく成長する街、池袋チャイナタウン

今から7年ほど前であったと記憶しているが、新華僑たちが提唱した「東京中華街構想」について地元池袋北口の商店街との摩擦がマスメディアで取り上げられたことがあった。一言で言えば、池袋駅の北西には、約200軒の中華料理店や中国食材あるいは雑貨などを販売する店が点在しでいる。中国人店主らがこの一帯を「東京中華街」と名づけて、新しい観光スポットにしようという構想であった。地元商店街にとっていきなりの話から、こじれたわけだが、その後の構想の進展はHPを見る限りにおいては進んではいないようだ。
しかし、約200軒の店が無くなった訳ではなく、実は横浜中華街とは異なる「個性」を発揮していることは事実である。その異なる「個性」のなかに、成熟した中華街としての横浜と、これからの成長を図る池袋とのコンセプトの違いが明確に見て取れる。その違いとは、外国の食の取り入れ方、「日本化」という課題への取り組み方の違いでもある。

▪️「日本化」の先駆者、陳 建民

中国料理オタクとは言わないが、本場の四川料理と日本における中国四川料理の違いについて分かる人が徐々に増えてきている。戦後本場の四川料理を日本に取り入れる努力をし、今日の中国四川料理を日本全国に普及させ確立した貢献者が「四川料理の父」と呼ばれている陳 建民であった。つまり、日本の味覚に合わせたアレンジを積極的に行ったことによるもので、現在の日本では当たり前になっている「回鍋肉にキャベツを入れる」「ラーメン風担担麺(中国では汁なしが一般的)」「エビチリソースの調味にトマトケチャップ」「麻婆豆腐には豚挽肉と長ネギ」というレシピは、建民が日本で始めたものだと言われている。
そして、有名な言葉「私の中華料理少しウソある。でもそれいいウソ。美味しいウソ」という言葉を残してくれた料理人であった。(ウイキペディアより)
こうした「日本化」を踏まえて成長してきたのが横浜中華街であり、今や一大観光地となったことは周知の通りである。そして、そうした観光地=一般化・大衆化していくなかで、本場の味を求める日本人も出てきた。

▪️本場中国料理の「今」、ネイティブチャイナがテーマ


横浜中華街は神戸南京町や長崎新地と同じように開港都市に作られた中華街で、先人たちとして老華僑と呼ばれている。池袋北口に集まる中国料理や食材店の多くは、1978年末以降の中国の改革開放政策の進展などに伴い日本に来た中国人で,在留中国人人口は急増する。特に豊島区池袋周辺に居住する在留中国人は多く約1万2000人。それまでの老華僑との比較としていわゆる「新華僑」と呼ばれている。
昼間、仕事で池袋を訪れる中国人も入れると、約3万人。その大半が留学生として来日、日本に住み着いたニューカマーである。池袋北口周辺を歩くと分かるが、中国語を話しながら歩く男女、携帯電話の声の多くも中国語である。この新華僑による中華街が池袋チャイナタウンである。


写真を見てもわかると思うが、池袋チャイナタウンには横浜中華街のような入り口を示す楼門も無ければ、関帝廟もない。それどころか、ずらりと中華料理店が並ぶような通りもなく、パラパラと店が点在するだけである。楼門の代わりをしているのが、池袋チャイナタウンのランドマークとなっている写真の「陽光城」であろう。中国食材の専門店であるが、店内に入れば中国語の会話しか聞こえてこない、そんな中国一色となっている。


そして、池袋チャイナタウンの特徴ともなっているのがその中国料理店のメニューである。新華僑も更に「新」となり、中国東北3省(遼(りょう)寧(ねい),吉(きつ)林(りん),黒龍(こくりゅう)江(こう))出身の新華僑が新たに加わり,中国東北料理店や中国朝鮮族料理店は,今や池袋チャイナタウンを彩る名物になっている。 
その代表的中国料理店の一つが「知音(チイン)食堂」であろう。火鍋という中国の伝統料理が名物でそのなかでも四川系の”旨い、辛い”料理がこれでもかとメニューに並んでいる。ほとんど日本語が通じない中国人スタッフ、そしてランチ時ということもあり、ごく普通の担々麺を食べたがまさに”旨辛”料理であった。
おそらく初めて来る人間にとってここは東京池袋を一瞬忘れさせてしまうほどの「本場中国」がある。

他にも中国東北家郷料理・朝鮮族の料理店の「阿里郎(アリラン)」、重慶三巴湯しゃぶしゃぶが名物の「四川火鍋城」、中国東北家庭料理の「永利」や「大宝」、といったように中国東北、伝統料理、火鍋、が最大特徴となっている。ある意味陳健民が築き上げた「日本化」の反対極にある「伝統中国」「ネイティブチャイナ」という中国回帰を思わせるような日本においては新しい「動き」が見られる店々である。












池袋チャイナタウンのガイドになってしまったが、これが横浜中華街との違い「個性」であろう。店のスタッフは中国人で、顧客の多くも中国人、そのなかに日本人も含まれるといった程度である。食べ慣れてしまった「日本化」された中国料理にあって、ある意味ネイティブチャイナという新鮮な「中国」に出会うことができるという魅力である。

▪️横浜中華街(表)と池袋中華街(裏)の楽しみ方

今後池袋チャイナタウンがどのような活動を見せていくかわからないが、消費という視点に立てば2つの中国料理を楽しむことができる。横浜中華街の最大特徴の第一はその中国料理店の「集積密度」にある。東西南北の牌楼で囲まれた概ね 500m四方の広さの中に、 中国料理店を中心に 600 店以上が立地し、年間の来街者は 2 千万人以上と言われている。観光地として全国から顧客を集めているが、東日本大震災のあった3月には最寄駅である元町・中華街駅の利用客は月間70万人まで落ち込んだが5月には100万人 を上回る利用客にまで戻している。こうした「底力」は「集積密度の高さ=選択肢の多様さ」とともに、みなとみらい地区など観光スポットが多数あり、観光地として「面」の回遊性が用意されているからである。こうした背景から、リピーター、何回も楽しみに来てみたいという期待値を醸成させている。
一方、池袋はというと、中国料理店の集積密度もそれほど高くなく、観光地として他の楽しみをも味わうといった回遊性もない。ある意味、個店が尖った特徴を持たない限り、「普通」の中国料理店街ではやってはいけない。つまり、日本化した中国料理とは歴然とした違いが分かる店に向かうしかないということである。「東京中華街構想」の詳細を熟知している訳ではないが、横浜中華街と同じような中華街をつくっても消費者にとってあまり意味ある戦略とは思えない。
尖った特徴という表現を使ったが、前回の「原宿」で学んだように、表参道を表とするならば、キャットストリートの裏原宿の関係のように、明確な戦略があった方が意味ある戦略と思える。横浜(表)と池袋(裏)という2つの楽しみ方である。

3、新しいエスニックタウンの芽、リトルヤンゴン


新宿百人町のイスラム横丁も新しいエスニックタウンの芽であるが、もう一つユニークな街がある。今回は衰退する街新大久保コリアンタウンと成長する池袋チャイナタウンという2つの街を比較しながら、日本市場のなかの外国コミュニティとそのビジネスのあり方について学んできた。何が問題なのか、何をもって強い競争力を発揮すべきか、こうしたマーケティングの視点をもって比較しながら街を見てきた。
実はもう一つ「リトルヤンゴン」と呼ばれるミャンマーの人たちが集まる街、高田馬場を歩いてみた。私の世代ではビルマといった方がわかりやすいが、最近では日系企業が続々と進出している経済記事を目にする国である。日経ビジネスオンラインによれば、JR山手線という交通の便が良く、家賃も安いことから高田馬場及び周辺には1000人近くのミャンマー人が住んでいる。彼らの多くは旧軍事政権による迫害を恐れ、本国を逃れてきた難民である。そして、日本語の壁と戦いながら、建設労働などに従事し、ミャンマー料理店を始め「起業」していると。最近の情報によれば高田馬場駅周辺の新宿区に住むミャンマー人人口は、2015年4月現在、1310人となっている。1年前の2014年4月には1106人、2年前の2013年4月には1021人にしか過ぎなかった人口が急増している。
いくつかのそうした飲食や雑貨などを扱う店が高田馬場の駅前にあるビル「タックイレブン高田馬場」(写真)に入っている。
今、ネット上ではエスニックな国々の料理を味わおう、未知の国の文化に触れてみよう、といったサイトやブログが数多く見られるようになった。
今回はそうした難民申請が認められミャンマー料理の「ルビー」という店で初めてミャンマー料理を食べてみた。

写真はランチメニューの一つ「モヒンガー」というミャンマーの代表的な家庭料理。具材に米粉で作ったソーメンのようなものが入ったスープ仕立てのもので優しい味のするものであった。帰り際、流暢な日本語を話す女主人に初めてのミャンマー料理の感想を話すと、ランチには魚介のなかに「鯖」を使っているが、夜には「ナマズ」を入れた「モヒンガー」やフライなどいくつかのナマズ料理を出してくれると。ちなみにランチの値段であるが、サラダやスープ、ライスにデザートが付いて750円であった。随分安いなと思ったが、高田馬場駅から早稲田通りにかけては学生街ということからラーメン激戦区と言われており、まあ妥当な価格であると理解した。

▪️エスニックが行き交うスクランブル交差点、高田馬場

リトルヤンゴンと呼ばれる高田馬場であるが、駅周辺を歩くと風景は日本だが、日本とは異なる「外国」に来ているような奇妙な錯覚に襲われる。高田馬場というと誰もが早稲田大学の学生街とイメージするが全く異なる「学生街」であった。ハングル、中国語、時折英語、更に少数であるが私にはどこの国が識別できない人々で溢れた街となっている。つまり、都内にある日本語学校の多くが高田馬場に集まっているということである。前述のように留学生のなかで中国や韓国からの留学生は減少傾向にあるとはいうものの絶対数では大きな留学生となっている。写真はそうした日本語学校の一つであるが、周辺には4〜5箇所ほどの学校がある。

例えば、SIランゲージスクールを始め、ヒューマンアカデミー 日本語学校、新宿日本語学校、東京国際大学日本語学校、といった学校で勿論早稲田大学や東京富士大学といった大学の日本人学生もおり、ちょうどコリアンタウンの新大久保と池袋チャイナタウンの中間にある駅、高田馬場はアジアのスクランブル交差点とでも呼ぶにふさわしい光景が繰り広げられている。

ちなみに、高田馬場は次の3線がつながる一大ターミナルを形成している。

•JR東日本 - 2013年度の1日平均乗車人員は201,513人である。
•西武鉄道 - 2013年度の1日平均乗降人員は292,694人である。
•東京メトロ - 2013年度の1日平均乗降人員は189,308人である。

西武新宿線の乗車人数が多いのは乗り換え客が多いからということもあるが、実は周辺の大学もさることながら専門学校、特に「日本語学校」が数多くあることによる。

テーマから学ぶ



訪日外国人の市場、インバウンドマーケティングが注目を浴びている。文化の違い、あるいは興味関心がどこにあるのか、気づかされる点が多い。同時に、実は在留外国人による市場がここ数年大きく変化してきているのだ。今回は衰退に向かう新大久保のコリアンタウンと一方独自なメニューを掲げ成長を見せはじめた池袋チャイナタウン、そして更に新しい芽が出始めたイスラム横丁やリトルヤンゴンについて学んでみた。
今回の学習は前回の「2つの原宿」と共通するテーマである「観光地化」と、外からのモノや文化の取り入れる際の「日本化」であった。また、在留外国人によってもたらされる生活文化からの刺激、まだまだ知らない日本の中にある「外国」への興味関心、そうした新しい消費の動きが至る所に出てきている。そして、こうした変化は次なる目標である訪日外国人2000万人という変化を踏まえ、結果として在留外国人も増えて行くと予測される。そうした意味を含め、日本の消費市場にも更に影響を与えていくことは間違いない。

1、「ブーム」はバブル、そして原点への回帰


結論から言えば、新大久保コリアンタウンの再生に欠かせないのは「ブームは終わり、実はバブルであった」という認識につきる。「バブル崩壊」という生活実感、消費実感を知っているのはポスト団塊世代以上であるが、結論から言えば多くの神話が壊れた後再建回復できた「源」は原点回帰であった。
勿論、バブル崩壊から立ち直れてはいない企業も個人も今なお苦しんでいる。そして、過去の学びとして、「立ち直る」には新しいイノベーションが必要であった。間違ってはならないが、原点回帰とは単に過去に戻ることではない。原点回帰とは「創業」における志とイノベーションの意味に戻る、ということである。そうでなければ「今」すらもない。未来塾の「創業の精神から学ぶ」で、創業とはベンチャーであり、今ある企業から、町おこしを進めようとする人たちまで、全てにその原型が創業にあると。そして、その原点回帰をより具体的「今」どうすべきかという課題に置き換えていくとすれば、「変わらぬこと。変えないこと」を明確にすることから始めなければならない。多くの企業にとって一番難しく、悩むところである。変わらぬこと=常に顧客変化という時代と共にあること、そしてそのために真摯にお客様につくす、それらはいつの時代になっても変えないということと同じである。時代と共にあるとは、このような精神によってである。

私は韓国ソウルには3度ほどしか行っていない普通の観光客であったが、それでも1990年代前半には新宿の歌舞伎町裏の韓国料理店にはよく通っていた。特に通った2つの店が「松屋」と「明洞」であった。2店ともある意味ネイティブコリアで特に「松屋」はそうであった。顧客の半分はコリアンで、残りは日本人。カムジャタンという鍋やどんぐりを使った料理などソウルで出会った料理が国内でも食べられるという意味で新鮮であった。「松屋」も「明洞」も、歌舞伎町あるいは歌舞伎町裏にある店という認識で、新大久保のコリアンタウンではなかった。

私にとって新大久保コリアンタウンは「冬ソナ」ブームによって創られた情報による「虚構」の街という認識である。原点に戻るとは、「虚構」から「現実」へ、つまり顧客支持の原点であるネイティブコリアに戻ってみるということである。「イケメン通り」などと浮かれた世界とは真逆の世界に今一度戻ってみようということである。
「変わらぬこと。変えないこと」を確かめに、久しぶりに歌舞伎町裏の「松屋」に行ってみたいと思う。これがバブルを脱する一つの道である。


2、「日本化」と「ネイティブ」という発想

今回は韓国、中国、そして、新しい外国人居住者のコミュニティの芽について学んでみた。これ以外にも江戸川区西葛西にはインド人コミュニティがあり、約2000人のインド人が住んでいる。私がインド料理のカレーに最初に出会ったのは中央区銀座の外れにあるナイルレストランであった。インドの家庭料理で当時は「本格的」という形容詞が付くレストランであった。しかし、今ではインドも中国がそうであるように広く、南インド料理であるとか、ネパールに近いインド料理もある。また、少し異なるがスパイスという視点に立てばタイカレーのようなジャンルもある。こうした細分・専門化された店とともに、日本人が家庭で作るジャガイモの入ったカレーもあれば、10年ほど前には喫茶店カレーも流行った。最近ではB-1グランプリの影響から横須賀海軍カレーのような「ご当地カレー」も人気となっている。ある意味、「日本化」が進み、インド料理もその違いを特徴として出した「ネイティブ」志向も見られる。これはカレーにおける日本市場がある意味成熟していることの証明で、更に2つの方向に進んでいくと考えられる。
1つは、更なる「日本化」で中国料理店が作るカレーのように、新しい「⭕️⭕️カレー」のようなものが出てくるかもしれない。チョット極端な発想であるが、韓国料理店が作る「コリアンカレー」のようにである。
もう一つは「ネイティブ」の進化である。池袋西口のチャイナタウンのように、国別、地域別、少数民族別といったオリジナル料理である。更には、カレーというジャンルとは少し外れるが、「スパイス」という視点に立てばマレーシアを始めモスリムの人たちの料理まで広がる。

こうした市場の広がりと進化はその「市場」の成長・成熟段階によって決まる。カレールーを製造するメーカーであるSB食品が苦戦しているのも、こうした成熟市場という、日本化とネイティブのなかの多様性に合わせたカレールーづくり及び周辺商品の開発に遅れてしまったからである。
今、注目を浴びている動きの一つが次々と専門店として起業している「大阪スパイスカレー」であろう。スパイスの組み合わせによって多様なオリジナルカレーを作ることができる。「自分の味」「自己表現としてのカレー」・・・・・・つまり、一般的な創作カレーといったものではなく、「パーソナルブランドカレー」の出現である。アパレルファッションの創世期がそうであったように、「私の」というオリジナリティを目指す表現世界である。成熟市場を突破する一つの方法である。写真はそうした「パーソナルブランドカレー」の先達である東京町田の「アサノ」である。
中国料理もこうした成熟した市場となっており、こうした「パーソナルブランド」としての動きも出てきている。例えば、中国料理美虎(ミユ)なんかは四川料理を基本としているが、五十嵐美幸シェフという女性のセンスを通した「日本化」されたメニューとなっている。辛さとは反対の「優しい味」のメニューが多く、女性客が圧倒的に多い。これもパーソナルブランドの中国料理であろう。


ところで、訪日外国人が食べたい日本食NO1は、寿司でもすき焼きでもない、実はラーメンである。ラーメン市場も成熟市場であるが、本場中国麺の「日本化」ではない。ある意味、「和食」という固有な世界と同じあり方、オリジナリティのある世界にまで進化した「食」である。少なくとも海外からのラーメン認識はそうである。極論かもしれないが、日本において和食がネイティブだとするならば、ラーメンもネイティブと考えても良いのではないかと思う。つまり、市場は世界に広がり、「ネイティブラーメン」として輸出されるということである。

3、観光地化におけるコンセプト

在日中国人が在日韓国・朝鮮人を上回り、「観光地」として池袋チャイナタウンでは「ネイティブチャイナ」を掲げ、一方新大久保コリアンタウンでは「聖地」としての「何か」が見出せないまま衰退しつつある。
ところで、コリアンタウンは何処かと聞かれれば、やはり大阪生野だなと改めて思う。ここ10数年鶴橋に焼き肉を食べに行ってはいないが、私のイメージには大阪生野には韓国のものならばなんでも揃う御幸通商店街が象徴している「ネイティブコリアン」が住む街である。そうした意味において「聖地」は新大久保ではなく、大阪生野となる。横浜中華街と池袋チャイナタウンとの比較に準ずるとするならば、新大久保コリアンタウンは横浜中華街のように「日本化」すべきかもしれない。私の目には中途半端なものに映っている。少し、整理すると、
▫️横浜中華街=日本化 vs 池袋チャイナタウン=ネイティブチャイナ
▫️新大久保=      ?      vs 大阪生野=ネイティブコリアン
新大久保について「聖地」というキーワードをもって整理してきたが、競争市場下にあって「拠り所」とする重要なコンセプトのことである。横浜中華街を「日本化」と呼んだが、その「日本化」の中でオリジナリティを創造した名物料理の店は数多くある。例えば、私の好みで言えば、梅蘭の「あんかけ焼きそば」となる。横浜中華街の路地裏にあった店だが、おそらく20数年前に考案しブレークしたメニューで、今や横浜中華街以外にも店を出すまでの人気店となった。「あんかけ焼きそば」は日本化の代表的な成功事例である。
こうした各店が名物料理づくりを考える努力の他に、マスメディアへの話題提供としてかなり前から「中国料理店のカレーライス」といったメニューにまで及んでいる。例えば、「保昌(ほしょう)」の「牛バラ肉カレー」なんかが代表的メニューである。勿論、それら「話題」の中心は「日本化」の世界でのオリジナル開発である。
ところで一昨年日本の「和食」がユネスコの無形文化遺産に登録されたが、続いて韓国の「キムチ」も登録された。日本の場合、これを機会に和食を世界へと売り込もうとしているが、韓国のキムチづくり文化が日本で再認識されるような情報、特に新大久保コリアンタウン発の情報としては聞いたことがない。「キムチ」こそネイティブコリアンの文化であると思うのだが。


そして、市場としてはこれからであるモスリムの人たちが食べるハラル料理、あるいはリトルヤンゴンで食べたミャンマー料理も、まだまだ市場としては小さな芽の状態にある。ある意味、ベトナム料理の後を追いかけて、これから「日本化」への道が待っている。面白いことにハラル料理はNYで注目されており、その魅力は「ヘルシー」にあるという。ミャンマー料理も鶏肉と魚介、それに野菜が中心となっていて、そうした意味ではヘルシーである。「ヘルシー」は飽食時代の最大のキーワードであり、やり方次第、メディアのサポートがあればブレークすることも可能である。

日本は地政学的にも多くの外国の人との交流によってモノや文化を取り入れてきた歴史がある。沖縄に今なお残るニライカナイ伝説では海の向こうには黄泉の国があると。海を通じて他国、他民族あるいは神と交流してきたと言う伝説である。面白いことにその沖縄には文明、文化の交差点を表した言葉が残っている。それは「チャンプルー」、様々のものが混ざり合った、一種の雑種文化の代名詞のようなものである。「食」で言えば、ゴーヤチャンプルーとか豆腐チャンプルーといった多くの食材を炒め合わせるチャンプルーのことである。
沖縄の琉球王朝は東南アジアや中国、そして日本との交差点であったが、地図を少し広げて見れば、まさにインターナショナルな交差点国家といってもかまわない、コスモポリタンな国、それが日本である。雑種文化、雑食文化の国であるということだ。「日本化」も「ネイティブ」も、ビジネスには必ずついてまわるテーマである。そして、次なる成長を目指すならば、日本が交差点国家である以上、「観光地化」もまた不可避な課題としてある。(続く)
  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:15Comments(0)新市場創造