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「人力経営」という本を書きました。ヒット商品の裏に潜んでいる「人」がテーマです。取材先はダスキン、エゴイスト、野の葡萄、叶匠寿庵、桑野造船の経営リーダー。ユニーク、常識はずれ、そこまでやるのか、とにかく面白い経営です。星雲社刊、735円、新書判。

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2015年03月24日

いつか来た道

ヒット商品応援団日記No609(毎週更新) 2015.3.24.

未来塾に力を入れていたので、変化する「今」という消費場面で何が起きているかといったことについて疎かになってしまった。また、2015年に入りイスラム国による邦人人質事件、川崎中学生リンチ殺人事件、そして更にチュニジアにおける観光客襲撃事件といった大きな事件が相次ぎ、マスメディアもネットメディアも同様にメディアサーカス状態が続いている。唯一、消費に関する収入について大手企業の賃上げが果たされ中小企業や地方への波及が課題であるといったいつもの論調がアベノミクスの正念場として報道されている。

周知のように円安・株高の恩恵を受けた大手企業、あるいは業種でいうと自動車などの輸出企業、金融証券企業、建設関連企業、こうしたところはベアもさることながら一時金も予想以上の金額が提示された。そして、言うまでもなく株保有の個人、シニア層も恩恵を受け好況マーケットを形成している。更に、先日国土交通省から全国の地価が発表され、三大都市圏が2年連続で上昇していると。少し前のブログにも書いたが、円安ということで外国投資家による不動産投資が2014年度では1兆円近くに及んだように都市部の地価を押し上げる一要因にもなっていることが分かる。勿論、相変わらず地方の7割弱もの地域で地価が下落しているのだが。
また、百貨店協会による2月度の売り上げ速報値については少し前のブログにも書いたのでここでは結論だけとするが、訪日外国人、特に中国人観光客による売り上げ貢献が大きい。こうした「新市場」開発が可能な地域、都市部においては良い結果となっているが、地方においては低迷状態が続いている。

こうした状況を見るとITバブル崩壊後の2004年~2007年頃の首都圏のミニバブル状態を想い起こす。当時、年収3000万以上のための雑誌が続々と出版され、3Aエリア(赤坂、麻布、青山)といった一等地には高額賃貸マンションが1万戸あり、その内10%が月額家賃100万以上であった。そして、「新富裕層」や「ヒトリッチ市場」「隠れ家」といったキーワードが消費の世界に出てきた。より具体的にいうと、有職独身女性市場のことで、年齢は30歳以上、住居は都心の3Aエリアという赤坂、青山、麻布に住み、会計士や弁護士といった専門職、あるいは総合職の女性、外資系企業に勤めるといったキャリア女性市場を指していた。ある意味、都市、特に東京が産み出した特別な市場であり、地方においては想像し得ない市場であった。

ところで、消費増税による消費に関する家計調査のデータのなかで気になることが一つある。12月度の「勤労者世帯の収支」であるが、収入は0.8%減、消費支出も相変わらず3.0%減というマイナス状態であるが、もう一つのデータに「世帯の収支」という項目で、これまでとは異なる統計結果が出ている。それは「配偶者の収入」が17カ月ぶりに増加し、「他の世帯員収入」は14カ月ぶりに増加に転じている。つまり、主婦がパートなど働きに出ないと家計が立ち行かなくなっているサラリーマン世帯が急増していると推測される。また、『他の世帯員の収入』とは年老いた両親や子供の稼ぎと推測される。但し、2015年1月度については配偶者などの収入は横ばいもしくは減少に転じていることもあり、数ヶ月の傾向を見ていく必要がある。そして、12月と同じように配偶者の収入が増える世帯が出てきた時、本格的な赤信号となる。
実は、2008年9月のリーマンショックの翌年、同じような「収入増」を目指す動きが至るところで見られた。例えば、企業も本来であれば就業規則違反になる「副業」「アルバイト」などを黙認するような事態にまで至っていた。今回の消費増税以降、給与アップよりも、物価上昇の方が上回ったままという事態への自己防衛策がリーマンショック後と同じように出始めてきたということである。家計における収入・支出という面だけ見ると、リーマンショック後と今回の消費増税後が自己防衛策として同じような動きになっているということである。

ちょうど1年前には消費増税前の激しい駈け込み需要が起きていた。そして、増税後は節約を含めた買い控えが家計支出に如実に出てきた。しかし、もやしやひき肉が売れる景気低迷の時代、買い控えの消費にあって、売れている商品はある。その事例としてブログにも書いた「俺のシリーズ」のように、高級食材を使った一流シェフによる安価なメニューであるが、スタイルとしては立ち食い、といった「何か」を得るために「何か」を犠牲にするといった新しい合理的価値に消費は向かっている。実はこうした業態は既にあって、例えば話題のGINZA5の「俺のそば」についても、西新橋虎ノ門の「港屋」がかなり前から行列のできる隠れた立ち食い人気そば店として存在していた。

こうした新しい合理主義と共に、復活・回帰してきたのが、こだわりを超えたこだわり、職人技、名人、本物、伝統、といった懐かしいキーワードによる消費である。1990年代末からのデフレというプロ受難の時代にあって、こだわりより低価格、職人技の高価格より量産された低価格、名人による固有な価値より誰でも出来る素人価値、本物という希少価値でなくても一般平均的価値、・・・・・こうした傾向が続いてきたが、例えば数年前から土鍋で炊くご飯が美味しいと静かな土鍋調理ブームが起きていたり、あるいは鋳物ホーロー無水鍋で作るカレーが美味しい、熱伝導が素晴らしくステーキが焼けるフライパン。こうした少々高いが独自なこだわり商品が売れ始めている。また、ここ数年全国規模の店舗展開をしているカルディコーヒーファームもその特徴である輸入食品も少々高いが手に入りにくい商品が用意されている。料理道具もカルディのような輸入食品専門店も、一般的には「こだわり商品」と呼称されるが、一種の「隙間市場」を狙ったものである。隙間とは特定顧客にとっては「特徴」をもった魅力ということである。但し、こうした料理道具や輸入食材専門店という日常使い、手を伸ばせば買うことが出来る商品についてであり、こだわりの先には本物がある、そんな回帰が始まっているということだ。

前回のブログで「上野アメ横」における「雑食の楽しさ」について書いたが、その中で元気な雑食系女子が飲んべいオヤジの聖地である大衆酒場に出没していると。そうした光景について、あの漫画家中尊寺ゆっこさんが描いたオヤジギャルの世界を想い起こした。こうした現象も1980年代のバブル期を彷彿とさせるもので、当時のバブルファッションも復活し始めていると聞いている。つまり、昭和レトロばかりでなく、バブルレトロも懐かしくも新しい新鮮な世界として映る、そんな若い世代市場もあるということである。節約、買い控えといった内向きの時代は「過去」へと想いが向かう。いつか来た道ではないが、これも一つの隙間市場ということだ。(続く)

  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:24Comments(0)新市場創造

2015年03月20日

未来塾(15)「テーマから学ぶ」 雑エンターテイメント 上野アメ横(後半)

ヒット商品応援団日記No608(毎週更新) 2015.3.20.

首都圏ではJR東日本による「上野東京ライン」という新しいダイヤが組まれ、新しい「移動」によって大きく街が変わっていくと指摘をした。その変化について、「上野アメ横」がこれからどんな変化を見せるか、「次」の時代に生き残るテーマは何かを学ぶこととした。後半ではその生き残るテーマの「芽」が既に出始めており、新しい可能性について学んでみた。



「テーマから学ぶ」

地球の胃袋
雑エンターテイメント

上野アメ横(後半)


賑わう夜のアメ横

昼のアメ横を歩くことはあるが、夜のアメ横を歩くのは久しぶりである。写真は週末夜のアメ横である。歳末の人出ほどではないが、推測するにここ数年「夜のアメ横」の賑わいが自然発生的に生まれていることであった。


この賑わいは「何」によってもたらされたものであるか、10分もアメ横ガード沿いを歩けばその理由がわかる。昼のアメ横とは全く異なる表情をしているのは屋台や店頭での立ち飲みが至る所で見られ、しかもどの店もすし詰め状態であった。
恐らく20店舗を超える屋台や店舗が参加しており、ケバブや小籠包、韓国のトッポギ、あるいは海鮮丼屋台や三陸の海で採れた牡蛎などを肴に立ち飲みができる鮮魚店等多様な「夜市」が賑わっている。


そして、もう一つ特徴的なことは、中国の春節休みが終わったので、訪日外国人は少ないと考えていたが、日本人客と共に、韓国あるいは東南アジアの観光客と推測される人たちが多かったという事実である。

こうした屋台と共に、夜のアメ横を賑わせているのが「大衆酒場」である。「大統領」を始め、昭和33年創業の焼き鳥の「文楽」、あるいは立ち飲みの「たきおか」や「カドクラ」。面白いことに、オヤジだけの酒場に若い女性客がかなり多くいるという事実である。決してスタイリッシュとは言いがたい大衆酒場であるが、古(いにしえ)が今新しいとした若い世代にとっての新しい「芽」が出始めているということであろう。


飲んべえオヤジにとって、上野ガード下の酒場は聖地となっているが、若い女性や訪日外国人という従来の顧客層とは異なる人たちが集まっている。「雑」の楽しさを求めてであるが、「夜のアメ横」には世代や性差、あるいは国や人種という壁を超えた独特なエネルギーのようなものが感じられる。


テーマから学ぶ


「上野東京ライン」の開業は大きく街を変えていくことが予測される。北関東から都心への連絡は乗り替えなしで行われ、特に東海道線とつながることは大きい。一方上野駅は途中駅もしくは通過駅となり、東北・上越からの移動の玄関口となってきた戦後の役割を終えることになる。「上野東京ライン」の開業直後はそれほどの大きな変化は見せないと思うが、時間経過と共に変化は出てくる。特に2016年3月に北海道新幹線 新青森 - 新函館北斗間の開業から変化が始まり、2031年(平成43年)春には北海道新幹線 新函館北斗 - 札幌間が開業し本格的な変化となって現れてくる。


東北や上越からの上京に際して、チョットアメ横でも寄ろうかという顧客は少なくなることは十分想定される。特別な理由、魅力ある理由が創造されない限り、駅前から大衆食堂が消えていったように新しい波が上野アメ横にも押し寄せることとなる。既に、リニューアルを終えた駅前の旧西郷会「UENO3153」も、夜になれな写真のようにきらびやかなネオン管を使った新しい装いへと変化している。
また、十数年前までは輸入化粧品や雑貨、あるいは古着など手に入りにくい商品が販売され、人気の商店街であった。しかし、今やどこの店でも手に入るようになり、次第に顧客は離れつつある、そんな商店街の状況にある。つまり、総合としての「商店街」としての魅力、集客の磁力がどんどん無くなりつつあるということだ。そうした意味で前回のテーマとして取り上げたヤネセン(谷中、根津、千駄木)がそうであったように、集客磁力を発揮させるための「面」での再編が必要となる。
つまり、アメ横ガード下を中心とした上野の街の再編集である。その着眼は「古(いにしえ)が今新しい」としたコンセプトによっての再編集である。つまり、「既にあるもの」、歳末売り出しの風物詩となっている「アメ横ブランド」や「ねぎり・おまけ」といった販売スタイル、所狭し軒を連ねる密度ある店舗、溢れかえる人出、勿論利用してきた膨大な顧客群、・・・・・・こうした財産に次の時代の息吹を注入することである。


アメ横では集客のための小さな売り出しやイベントが日常的に行われている。その象徴ではないが、アメ横センタービルでは「アメ横アイドル劇場」が開催されている。アキバのAKB48劇場のモノマネで、「雑」の面白さと言えなくはないが、アメ横が本来持っているテーマ世界とは無縁である。アメ横センタービルであれば地下にある多国籍食品売り場がテーマ世界をより強めることに貢献している。扱う食材は各店舗で違うが、インド・中国・台湾・韓国・タイ・フィリピン・ベトナム・シンガポール・インドネシアなどの、肉・魚介類・野菜・果物・調味料・香辛料・飲料・乾物・インスタント食品などが安い価格で手に入る。こうしたアジアの食材が販売され、新しい食、珍しい食、面白い食が集められた「雑食」の世界であり、アメ横が持つ「雑食」エンターテイメントというテーマをより強めることとなる。こうしたテーマ集積がアメ横再編の鍵となる。

1、「歳末売り出し」以外の魅力の創出/例えば、アメ横「夜市」の拡大・強化

自宅で作っていた正月のおせち料理は、どんどんデパートやスーパーのお重にセットされたおせち料理へと移行し、あるいはお取り寄せ通販といった方法へと変化してきた。そうした傾向にあって正月用食材の「買い出し」客で溢れる商店街としては上野アメ横が最後となる。そして、アメ横においてもここ数年の人出がピークとなる。別の表現を使うならば、歳末の観光地としてのアメ横は既にピークを迎えているということである。

こうした単一イベントから脱却したのが、観光地札幌である。既に行われていた冬の「雪祭り」ともう一つのイベントとして企画されたのが「YOSAKOIそうらん祭り」である。1992年6月「街は舞台だ! 日本は変わる」を合言葉に、道内16大学の学生実行委員150名で第1回YOSAKOIソーラン祭りを開催。当初は参加10チーム、参加者1,000人、3会場という規模で、観客は20万人であった。2014年はどうかというと、参加270チーム、参加者は27,000人、観客は187万人という規模にまで成長した。

観光地アメ横の魅力づくりにはいくつかの方向が考えられる。札幌の「そうらん祭り」、あるいは同じ台東区浅草における「三社祭」と「浅草サンバカーニバル」、こうした例と同じように考える方向。つまり、歳末以外の新たな「売り出し」、「食の祭典」「ワールドフードフェスティバル」を組むということである。特に、1年のなかで歳末に売り出しの山が出来ているが、夏、しかも夜への集客が極めて弱い。ここにもう一つの「売り出し」を着眼創造することによって、次の上野アメ横を描くことができる。


例えば、台湾台北やソウル南大門における「夜市」のように、日本からもグルメツアーが組まれるほどである。日本においても商店街企画として「食べ歩き」が実施され始めているが、上野アメ横ガード下を中心にした食べ歩き「夜市」は新たな「胃袋」を満たすイベントとして十分成立し、既にその「芽」が出始めている。
上野アメ横もスタート時はその多くは屋台やバラック建ての簡易舗であった。「俺のフレンチ」がそうであるように一つの「食べ歩きスタイル」として実施してみようということである。勿論、衛生管理を徹底することを基本に、良い意味での「雑」の面白さ、「雑」の楽しさといったもう一つの「雑食」の売り出しである。

2、新しい「飲食文化」の創出

恵比寿、渋谷、新橋、勿論新宿にも池袋にも多く見られるのが洋風居酒屋である。10年ほど前からスペインの居酒屋から始まり、イタリアンや中華、その他多国籍料理を出す居酒屋が若い世代に広がっている。しかし、ここ上野アメ横にはそうした新しい「飲食」はほとんどない。「大統領」といったオヤジ相手の老舗酒場はあっても若い世代にとってのスタイル業態はない。


1980年代末、中尊寺ゆっこが描く「オヤジギャル」というマンガが当時の若い世代の女性の共感を得て流行語大賞を取るほどの人気となったことがあった。それまでオヤジ専用の場所であった競馬場、パチンコ、そして居酒屋に若いOLがオヤジ顔負けの遊びっぷりを見せる痛快マンガであったが、今また大衆酒場にもそうした第二次オヤジギャルが現れ始めている。しかし、そうした新たな芽はまだまだ育ってはいない。問題は「大衆」としての若い世代、特に女性の好みに合ったスタイル業態が創られていないという点にある。「俺のフレンチ」はその「立ち食い」を新しいスタイルとして定着させたが、「酒場」もそうしたスタイル化が求められている。上野アメ横に決定的に足らないのは、こうした若い世代への取り込み、その新しい飲食業態である。

勿論、若い世代ほどアルコール離れが激しい。これからもこの傾向は続くことが予測される。しかし、ソフトアルコールあるいはノンアルコールへの支持は結構ある。既に安さだけを売り物とした従来の居酒屋スタイルからはどんどん客離れが進行している。しかし、仲間とわいわいがやがやと雑談しあう「居酒屋」的雰囲気への支持はある。こうした雰囲気を残しながら料理主体のダイニングバー業態が求められているということである。こうした新しい飲食業態こそ「雑食」の街、アメ横ならではのチャレンジであろう。こうした日本人の胃袋を満たす先行した取り組みこそが第二のアメ横編集の鍵となる。

3、戦略顧客としての雑食系女子

今回の上野アメ横「雑」エンターテイメントというテーマから学んだことの大きなポイントは「既にあるものを生かす」ことであり、その「芽」は「夜」にあるという点であった。前回のヤネセンは、エリアをこよなく愛する住民の人たちが、「既にある」古い家屋や建物を使い続ける試みへのチャレンジであった。そして、住民自らが後継者として「バトンタッチ」が行われている点である。

上野アメ横の夜は新宿歌舞伎町や池袋、渋谷といった繁華街の夜とは異なり、独自な夜を楽しむ可能性、しかもご近所顧客だけでなく、国内、いや海外の訪日外国人をも集客できる「夜」の観光地としての可能性である。そして、そうした新しい波を起こす鍵はその中心となる顧客、雑食系女子であろう。10年ほど前から、Under30(30歳以下)の草食系男子と対比されるキーワードとして肉食系女子という言葉が使われてきた。そうした比較を超えて、もしキーワードとして言うならば「雑食系女子」となる。つまり、それこそ地球の胃袋となる強靭な咀嚼力を持ったエネルギッシュな女性であり、上野アメ横再編の鍵にふさわしい顧客となる。

4、新しい物語づくりへ

そして、これからのアメ横について「夜市」という発想をしてみたが、上野駅の過去は中島みゆきの「ホームにて」ではないが、東北や上越からの上京という物語であった。上野駅が途中駅に変わることをきっかけに、「次」の上野アメ横を考えるとするならば、これまでの「人」の上京ではなく「物」の上京、つまり地方の埋もれた物産をライブに販売提供する一大拠点を目指すという着眼である。東日本大震災の復興支援あるいは地方創成という意味合いを含め、商店街のなかに地方のミニミニアンテナショップ的意味を含めた販売拠点として、新しい「雑食」市場づくりを目指すということである。またJR東日本における「地域再発見プロジェクト」と連携することで、更に「雑食」というテーマ世界を強めていくことも必要であろう。

ところで周知の築地市場は2016年12月に豊洲に移転し開業することが決まった。そして、築地市場には「場外」と呼ばれる商店街が形成されており、ここ数年一般客が押し寄せ観光地の様相を見せている。そして、「場内」市場が豊洲に移転しても「場外」を残して営業していくと計画されている。しかし、築地市場の跡地利用についての計画は現在白紙であり、豊洲市場は周辺のSCや商店街と連動した新たな観光地になることが予測される。こうした「食」に関する観光競争、特に「食べ歩き」競争は今後更に激しくなっていくと考えられる。
上野アメ横も新たな物語づくりが急務になっているということだ。(続く)
  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:44Comments(0)新市場創造

2015年03月18日

未来塾(15)「テーマから学ぶ」 地球の胃袋 上野アメ横(前半)

ヒット商品応援団日記No608(毎週更新) 2015.3.18.

3月14日北陸新幹線が開業し、その経済効果を始め北陸の豊かな食や文化に注目が集まった。毎年3月には鉄道を始めとした交通のダイヤ改正が行われるが、今年は北陸新幹線の開業と共に、首都圏では「上野東京ライン」という新しいダイヤが組まれ、新しい「移動」によって大きく街が変わっていく、そのスタートが切られた。前回の未来塾で取り上げた「谷中ぎんざ商店街」も地下鉄千代田線の開通によって近隣の顧客が他の街へと流出し、危機を迎えたように、大きな変化を与える。今回は「上野東京ライン」の開業によって、始発駅・乗換駅であった上野駅が途中駅・通過駅に変わり、今までとは異なる変化を上野の街にもたらすことが予測される。そんな上野の街の中心である「上野アメ横」がどんな変化を見せるか、生き残るテーマは何かを学ぶこととする。



2月の平日昼の上野アメ横


「テーマから学ぶ」

地球の胃袋
雑エンターテイメント

上野アメ横


思い出を語る駅

駅に関する歌は時代を映し出し、世代によって口ずさむ歌は異なる。出会いや別れの舞台となる駅であるが、そのなかでも印象深く歌われる駅が上野駅である。


戦後の高度経済成長を支えた団塊世代にとっての上野駅は、故郷を後にして集団就職列車から降り立った駅である。”どこかに故郷の香をのせて 入る列車の なつかしさ・・・・”  この世代にとって井沢八郎が歌う「あゝ上野駅 」(1964年リリース)は東北地方出身者の愛唱歌であった。集団就職列車は1954年(昭和29年)4月5日15時33分青森発上野行き臨時夜行列車から運行が開始され、1975年(昭和50年)に運行終了されるまでの21年間に渡って就職者を送り続けた。
1977年阿久悠作詞石川さゆりが歌い大ヒットした曲に「津軽海峡・冬景色」がある。上野駅から夜行列車に乗り、雪の青森駅で降りて、ボーディング・ブリッジを渡って北海道に向かうという歌であるが今な口ずさむ人は多い。実は同じ年にシンガーソングライターである中島みゆきがリリースしたなかに「ホームにて」という歌がある。実は大ヒットした「わかれうた」のB面に入っていた歌であるが、中島みゆきフアンには良く知られた歌である。

ふるさとへ 向かう最終に
乗れる人は 急ぎなさいと
やさしい やさしい声の 駅長が
街なかに 叫ぶ
・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・
灯りともる 窓の中では 帰りびとが笑う
走りだせば 間に合うだろう
かざり荷物を ふり捨てて
街に 街に挨拶を
振り向けば ドアは閉まる


中島みゆきの出身地は北海道で、上京し降り立ったであろう上野駅を舞台にした歌であると思う。こころの機微を歌う中島みゆきのことだから、「故郷に帰ろう、でも・・・」と迷い躊躇する気持ちを歌ったもので、やさしい駅長さんが”乗れる人は 急ぎなさい(がんばりなさい)”という応援歌である。
この「ホームにて」という歌は多くの歌手がカバーしている。例えば、自ら地方出身者で「ホームにて」を是非歌いたいとカバーしたシンガーソングライターの槇原敬之もそうした一人である。

記憶のなかにしかない上野駅

2015年3月13日(金)(始発駅基準)をもって寝台特急「北斗星」が運転を取り止めることになった。北海道新幹線開業に向けたもので車両の老朽化に伴いその役目を終えるのだが、既に上野の転換点はその駅舎の改修から始まっている。2002年2月アトレ上野がオープンし、旧上野駅の雰囲気を一部残しながらも、明るい都市型ショッピングセンターを併設した駅へと変わっていく。
そして、2015年3月のダイヤ改正によって更に変貌することが予測されている。それが「上野東京ライン」の開業で、宇都宮線・高崎線と東海道線が結ばれるほか、常磐線が品川まで乗り入れることになり、京浜東北線と山手線の混雑緩和と利便性の向上が見込まれている。

こうした直通あるいは相互乗り入れによって鉄道利用が活性化した例が東急東横線と東京メトロ副都心線の相互直通運転による変化である。横浜市の調査では、この新ダイヤによって横浜みなとみらい地区への訪問は過去最多の約7,200万人に及んだと。前年からの比較では約500万人が増加し、国の試算では経済効果は65億円と相互運転の恩恵を受けたと報告されている。

さて「上野東京ライン」によってどんな変化が上野という街にもたらされるか、極めて興味深いものがある。ただ言えることは、寝台特急「北斗星」の役割が終えたことに象徴されるように、上野駅は記憶のなかにしかない駅になっていくことだけは間違いない。勿論、新たな上野駅の出発でもあるのだが。

時の変化を映し出す駅と街

中島みゆきが歌う優しい駅長さんではないが、駅は人の移動という外側だけでなく、内側をも見つめてきた。JR東日本の1日平均の乗降客数第1位は新宿駅で 751,018人、池袋駅550,350人、東京駅415,908人、・・・上野駅は13位の181,880人である。仕事の場、学びの場、あるいは買い物や旅行といった観光など、人を移動させる「何か」によって乗降客数は変わってくる。こうした視点に立てば、上野の変化は小さいかもしれない。しかし、ある時期まで上野駅は始発駅であり、終着駅でもあり、途中駅ではない意味合い、こころのありようを担ってきた駅である。そうしたことを含め、他の駅と比較し上野駅・上野の街が特徴的なのは、新しさという変化だけでなく、「過去」、つまり大仰に言うならば日本社会の歴史と文化の痕跡が地表に出ている珍しい駅であり、街である。その象徴があの「アメ横」である。
そのアメ横であるが、台東区のJR御徒町駅から上野駅間の高架に沿って伸びる約400mの商店街。店舗数は約520店。戦後、バラック建ての仮設店舗や屋台からスタートし、生活必需品を売買する闇市から始まったのがアメ横である。


そして、アメ横と共にその上野駅利用客を見続けたのが聚楽台である。上野駅前のシンボル的存在であった「西郷会館(上野百貨店)」に居を構える「聚楽台」はファミリーレストランのいわば先駆け的存在であった。1959年から2008年まで営業していたが老朽化によって取り壊しに伴い、2008年4月21日で閉店する。その後リニューアルし、2012年9月に全面ガラス張りの建物「UENO3153」としてオープンする。東北や上越の出身者にとっては上野駅と共に思い出深いレストランである。今でも「じゅらく」で同郷の仲間との同窓会を行う人は多い。名物の「西郷丼」を食べることを通し、「遠い過去」「思い出」という記憶を生産するわけである。

闇市から一大商業観光地へ

アメ横はJR御徒町駅から上野駅間の高架に沿って伸びる約400mの商店街であるが、今では貴金属、輸入雑貨、食料品、衣料品、化粧品、ゴルフ用品やアパレル衣料、更には鮮魚、塩干物、珍味、海苔、菓子などを扱う店が軒を並べる、そんな一帯をアメ横と呼んでいる。

戦後の闇市は上野だけでなく、新宿にも池袋にもあった。そして、再開発の波は巨大なビル群として押し寄せ今日に至っている。アメ横商店街と再開発を進めようと計画を立てるJR東日本と意見の違いもあったが、駅と商店街は不可分な関係にあり、急激な再開発は見送られ、今では共存共栄の道が選ばれている。
そうして闇市から始まった商店街であるが、次第に正月食材の買い物、マグロやかに、たこ、新巻鮭といった魚介類をはじめ蒲鉾、伊達巻・・・・・更には菓子類までを店頭での「ねぎり」と「おまけ」で安く買い求めるといった商売が話題となる。そんな話題は年々広がり、年末恒例の風物詩として多くのメディアにも取り上げられ、一大観光地となる。普段は一日10万人程度の来街者は12月になれば50万人にも及び歩くにも大変な混雑となる。そんなごった返すような人出もまた恒例の楽しみにもなる、そんな年末の正月食材の買い出しという「商業観光地」へと変貌する。昨年末はどうかというと、12月30日は約57万人、27日から31日までの5日間で約200万人弱が訪れたという。ちなみに浅草と上野という2大観光地を抱える台東区には年間4000万人を超す観光客が訪れる。そして、観光都市への更なる変貌を期待している。

闇市の痕跡が残るガード下商店街


「闇市」とは何か、高齢化社会というシニア世代が多い社会とは言え、戦後の食糧難の時代に闇市で物を買い、そして空腹を満たした世代はどんどん少なくなっている。アメ横という名前の由来には二通りあり、一つは米軍払い下げの(アメリカ)衣料等を販売していたからという由来。もう一つは戦後間もない頃「アメ(飴)」のような嗜好品はほとんどなく上野に行けば手に入るということから「アメ横」という俗称がつけられたと。2つの由来に共通していることは、戦後の物資難にあって闇で手に入れることが出来た商店街ということである。特に、生命をつなぐ「食」を安く提供する飲食店、当時は屋台が多数あって、戦後庶民の「胃袋」を満たしてくれた街である。
このような「闇市」を象徴しているのが、上野ー御徒町間の高架下、ガード下である。

駅と食堂

昔から駅と食堂は密接な関係にあった。駅は多様な人々が集散する拠点であり、必ず駅前食堂はあった。外食産業にあって、大衆食堂という言葉が一般化するのは昭和初期と言われており、鉄道利用の浸透と併行して繁盛してきた。戦後も通勤通学客相手の大衆食堂は庶民の「日常食(ケ)」を提供してくれたが、戦後の高度経済成長と共に所得は増え豊かになり、「非日常食(ハレ)」が食の中心へと変化していく。
そして、日常食は日本マクドナルドや吉野家といったファストフード、あるいはコンビニエンスストアの浸透によって大衆食堂はどんどん減っていく。更に、本格的な美食・グルメや健康食への志向も強まり、非日常食が日常食を侵蝕し始めていく。結果、大衆食堂は更に減っていくことになり、今や駅前食堂という言葉は死語となってきた。
上野アメ横を歩き、やはりというか、そうだろうなと思ったことの一つがJR御徒町駅にあるガード下の大衆食堂「御徒町食堂」の閉店であった。
しかし、多くの駅前の飲食店とは異なり、上野アメ横ガード下にはアメ横ならではの固有な「食堂」が集積していた。

大衆食堂から「雑」食堂へ

自ら大衆食堂の詩人とする遠藤哲夫氏は「猥雑さ、いかがわしいのが大衆食堂の信頼の証明である」「気取らない庶民の味が今、懐かしくも新しい」と言い、そんな食堂の復権を詩っている。
しかし、後継者不足という問題もあり、上野にあっては駅の大衆食堂は「雑」食堂へと変化している。その「雑」とはどんな世界なのか、和洋中、韓国、台湾、インド、トルコ、・・・・・・地球の胃袋にふさわしい多様多種な飲食店があり、例えばトルコ料理のケバブなどがニュースとして取り上げられアメ横を代表する「胃袋」のように伝わっているが、そうした多国籍飲食もあるが、アメ横では次のような「雑食」の特徴が見られる。


・立ち飲み「たきおか」:立ち飲みのつまみとしてもつ煮が有名であるが、日替わりランチがなんと400円。他にも海鮮丼 450円など。
・肉の「大山」:店頭には立ち飲みコーナーがあり、コロッケとかメンチカツをツマミに一杯やれるようになっている。ちなみに「やみつきコロッケ50円」「やみつきメンチカツ100円」など。また、定食系ではステーキ、ハンバーグ、あるいは大山カレー400円。
・中華「珍々軒」:屋台からスタートし50年以上商売をしているアメ横名物の中華屋であるが、オープンカフェならぬオープン中華店。さすがに雨天のときは店内カウンター席のみとなるが、一番人気は、レバニラの具材をタンメンのスープで煮立て、麺と合わせたレバニラタンメン。ありそうでなかった人気のオリジナルメニュー。
・大衆酒場「大統領」:昭和25年創業。アメ横にガード下の酒場文化を生み出したお店である。朝9時の開店であるが、同時に注文が殺到するモツの煮込みは、馬の腸を使った人気の逸品。

通常の飲食店であれば、顧客を想定し、メニューや価格を設定、そして業態をどうするか、といった飲食店を考えるのだが、アメ横の基本は顧客の欲望任せ、顧客の求めるものが自然に生まれ定着し、看板メニューになるといった、これこそ欲望をストレートに満たす「闇市」的飲食、「雑」食堂である。そして、ストレートであるが故、外見はいかがわしい食のように見えるが、メニューや業態などにはアイディア溢れる「何か」がアメ横にはある。
こうした既成にとらわれない立ったままの飲食業態としては、銀座を中心に急成長する「俺のフレンチ」があるが、上野アメ横では何十年も前から「俺の雑食」が人気となっている。

ワンコイン食堂街


デフレ時代のキーワードの一つが「ワンコイン」である。100円の代表的業態がダイソーなどの「100円ショップ」であり、東京新橋のサラリーマンのランチとしてよく紹介されるのが500円ランチである。しかし、デフレ以前から上野アメ横ではワンコインが基本・スタンダードとなっている。
アメ横オタクや近くのサラリーマンは勿論のこと、上野駅から御徒町に向かうガード沿いの路地に入れば定番カツカレーの店として知られた「クラウンエース」がある。カツカレーは500円、ポークやチキンは400円、ビーフは450円。安くて分かりやすいカレー専門店である。
「雑」食堂の例として取り上げた「たきおか」や「大山」のランチメニューの多くは400円~500円となっている。また、中華の「珍々軒」はどうかと言うと、名物レバニラタンメンはチョット高めであるが、ラーメンは500円。

また、右肩下がりの居酒屋にあって上野の居酒屋「八起」ではランチの定食は全品400円。少し見にくいメニュー看板であるが、「かけそば+半カレーライス」や「かつおタタキ定食」などが400円。他に「大トロ刺身定食」が700円となっている。更に面白いことに居酒屋らしく5杯まで生ビールが1杯100円で飲めるメニューもある。更に、居酒屋「いかり屋」では時間帯の制限はあるものの11時45分までに入れば干物定食がワンコインという店もある。

そして、戦後間もない頃の「ごちそう」の一つがとんかつであった。ここアメ横においてもとんかつの名店は多い。御徒町を含めた一帯では「双葉」は閉店してしまったが、大正元年に屋台から始め、昭和3年にこの地に軒を構えて上野のとんかつ屋を牽引してきた「ぽん多本家」。あるいは「蓬萊屋」やカツサンドを初めて作った「井泉」など名店にふさわしくメニュー価格もそれなりとなっている。アメ横にはそうした老舗価格店とは異なるリーズナブルな店も多い。例えば、「山家(やまべ)」では1000円ほどでとんかつ定食が食べられ、更に路地裏にある「まんぷく」も同じような価格で満腹することができるそんなとんかつの店も多い。

「雑」食堂の中心は老舗飲食店


老舗の代表店舗と言えば、やはり上野藪そばであろう。明治25年に「藪安」の屋号で創業し、昭和41年に現在の屋号に変わったという老舗である。昭和3年に店を始めたふぐの老舗では「さんとも」、あるいは焼き肉であれば創業昭和38年の「大昌園」、前述の居酒屋「大統領」も老舗のなかに入るであろう。また、昭和30年、台湾・台北出身の上条さんが26歳のころに開いた台湾料理の店「新東洋」も老舗のなかに入る。焼き鳥の「文楽」も昭和33年創業であり、今なお特大餃子に行列ができる「昇龍」も昭和32年創業。他にも昭和30年代に創業した店が極めて多い。勿論、閉店した店もあるが、老舗は顧客が支持し続けることによって成立する。「食」の変化は凄まじいスピードであるが、こうした老舗市場もまた生き残っている珍しいエリアが上野アメ横である。


一方、新風の代表飲食となると、やはりラーメン専門店である。「蒙古タンメン中本」、「麺屋武蔵武骨」、「麺屋武蔵武骨相傳」、「青葉」、「麺処 花田」、あるいは二郎系では御徒町高架下秋葉原寄りに「希」、東上野に「麺徳」がある。しかし、吉祥寺や町田といった若い世代の多い街と比較すると、立ち飲みに代表されるようなオヤジの街アメ横としては少ないがそれでもラーメン市場は浸透している。

「雑」を創造する日本人

古くはアジア諸国、特に朝鮮半島や南は沖縄を始めとした東南アジア、北は樺太を通じて多くの人や物、文化が日本にもたらされた。江戸時代における「鎖国日本」というイメージが強いが、庶民レベルにおいては日本を囲む海は大きな交通路になっていた。室町時代には丸木舟を使って太平洋の向こう側南米ペルーまで渡っていたという史実が残されている。人の交流は物の交流であり、また文化の交流でもある。四方八方から様々なモノを取り入れ、咀嚼できない雑居的なこともあったとは思うが、生活のなかへと取り入れてきた。そして、五風十雨と言われるように湿潤で豊かな自然の恵みを生きてきた日本である。結果、明治維新における和洋折衷ではないが、「外」から取り入れることへのこだわりは少なく、雑種文化、雑食が定着する。


こうした歴史を遡るまでもなく、例えば中国から取り入れたラーメンは今や世界の「ラーメン」へと成長してきた。インド料理としての本格カレーもあるが横須賀海軍カレーではないが、ジャガイモの入ったカレーも庶民のメニューとなっている。そうした「雑」の根底には、新しいもの、珍しいもの、面白いもの「好き」があり、世界に例を見ない「雑」生活の国である。そのことの証明ではないが、周知のように主食の米の消費量は落ち続けている。現在と言えば昭和30年代の消費量の約半分ほどとなり、農水省の長期的予測においても減少傾向に変わりはない。つまり、雑食は日本人のスタンダードになっており、今後もそうした傾向は続くということである。


エネルギー溢れる「雑」エンターテイメント

「雑」の反対語や対義語などとして挙げられる言葉は「純」や「整」となる。「雑」を組み合わせた言葉となると、雑多や雑談といったように正式ではない、純粋ではない、整理されてはいない、・・・・ある意味いいかげん、曖昧な意味合いとして使われる場合が多い。しかし、人は時に構えた既成の中から離れ、自由気ままに、いつもと違ってチョット何事かをしてみたいことがある、そんな気持ちにフィットする人間の本性が持っている言葉だ。
そして、よく言われることであるが、例えば正式な会議での議論はつまらない結論しか出ないが、雑談の時の方が面白いアイディアが生まれると。雑談、雑種、雑草、あるいはオンタイムに対するオフタイム、既成に対する異端。エネルギー発生の源がこの「雑」にあるということは確かである。
こうした「雑」を商品の品揃えや陳列、あるいは価格にも反映させたのがあのディスカウントストアのドンキ・ホーテである。周知のように熱帯雨林のような圧縮陳列とブランド品から食品までの雑多な商品揃え、そして何よりも「雑」業態の原点は創業にあり、開業した小規模店舗は「泥棒市場」とネーミングされている。笑い話ではあるが、泥棒から仕入れるから激安で売ることが出来ると。そんな既成から離れた異端の店としてスタートした。
ドンキが「雑」業態店であるならば、上野アメ横は「雑」の街となる。戦後の混乱の中で、雑然、雑多、雑草のように逞しく生きてきた街である。闇市という言葉が使えるのもここアメ横だけである。「闇」とは法の届かない世界のことであり、違法な市場がひらかれる街ということである。勿論、そうした法やルールは守られた街となってはいるが、どこか法から外れたそんな雰囲気が残る街である。(後半へ続く)
  


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2015年03月10日

市場の浮き沈み 

ヒット商品応援団日記No607(毎週更新) 2015.3.10.

中国の春節爆買ツアーが過ぎ都内も訪日外国人が少なくなったかなと思っていたが、それほどの減少を感じること無く至る所で見かけるようになり、ここ数年で東京の表情が一変した。ところでその春節爆買ツアーによるところが大きいと思うが、2月度の大手百貨店売り上げの速報値がマスメディアを通じて報じられた。その売上高であるが、三越伊勢丹は7%増と大幅に伸びた。免税品の売り上げは3倍に増えたと。 またそごう・西武は2.6%、大丸松坂屋百貨店は2.5%増え、阪急阪神百貨店は1.1%増と7月から8カ月連続のプラスを維持し、高島屋は微増だったと。
また、中国メディアによればこの期間に日本を訪れた中国人は約45万人、消費金額は約60億元(約1140億円)にも上ったという。
百貨店にとって春節爆買ツアーはボーナスのようなものであると思うが、今後は明確な「訪日外国人市場」としての取り組みが必要となる。特に、百貨店など小売り業ばかりでなく、円安による都市部の不動産投資が激しい。日経新聞によれば2014年の海外企業による日本の不動産取得額は1兆円近くに及び、前年の約3倍に増え過去最高となったと。
但し、こうした変化は都市に集中しており、観光という視点に立っても訪問率でいうと関東約70%、関西40%弱、東北3%前後、四国に至っては1%前後となっており、地方観光への波及は依然として少ない。

ところでその首都圏の変化であるが、3月には2つの「移動」に関する大きな変化が生まれる。その一つが周知の3月7日中央環状線の全線開通で、中心部首都高の混雑緩和が期待され、例えば羽田行きリムジンバスなどの利用が増えることになるであろうと。更に、首都圏の外側にあたる圏央道が神奈川区間や埼玉・茨城区間が開通し、湘南と北関東との移動がスムーズになった。残るは外環道であるが、こうした3つの道路網の整備は物流等への経済効果が大きいと予測されるが、それと同時に個人単位の移動に大きな変化をもたらすこととなる。その変化の中心は「観光」や「レジャー」であるが、今まで「行くにはチョット時間がかかる」とためらわれていた場所あるいは埋もれている物産などが新たに脚光を浴びることも出てくる。また、その反面、独自な魅力を更に磨かないと、「通過」されてしまうこととなる。つまり、エリア間の魅力競争がより激しくなるということである。

もう一つの大きな変化がJR東日本による「上野東京ライン」の3月14日の開業である。宇都宮線・高崎線と東海道線が結ばれるほか、常磐線が品川まで乗り入れることになり、京浜東北線と山手線の混雑緩和と利便性の向上が見込まれている。つまり、変化という視点に立つと、上野駅が従来の始発駅、乗換駅から途中下車駅もしくは通過駅に変化するということである。上野は上野公園の桜や上野アメ横の歳末の売り出しといった二大観光地の玄関となる駅である。その上野駅の1日の乗降客数は181,880人となっている。
さて「上野東京ライン」の開業によってこの乗降客数はどのように変化するのか。上野の街にどんな変化をもたらすのかということである。既にこうした直通あるいは相互乗り入れによって鉄道利用が活性化した例が東急東横線と東京メトロ副都心線の相互直通運転による変化を実感している。横浜市の調査では、この新ダイヤによって横浜みなとみらい地区への訪問は過去最多の約7,200万人に及んだと。前年からの比較では約500万人が増加し、国の試算では経済効果は65億円と相互運転の恩恵を受けたと報告されている。「上野東京ライン」によって乗換駅もしくは通過駅となる上野や御徒町は乗降客数は減少していくことが予測される。当然街は少しづつ変化していくこととなる。

訪日外国人市場、あるいは首都圏における2つの移動に関する変化によってもたらされる新たな市場、こうした新市場こそが「次」を目指す良き市場機会となる。未来塾で取り上げたヤネセンの谷中ぎんざ商店街もその最初の危機は昭和43年の地下鉄千代田線の千駄木駅開通による通行量の激変であったと。つまりご近所顧客の流出である。こうしたいくつかの危機を超える試みがヤネセン(谷中、根津、千駄木)という「面」での観光地化であった。詳しくは未来塾を再読されたらと思う。また、廃れてしまったもんじゃ焼きの再生をはかるきっかけとなったのも地下鉄の開通であった。月島に地下鉄有楽町線が1988年開通し、大人相手のもんじゃ焼きを提供する飲食店が10店舗ほど現れ始める。そして、今では70数店舗のもんじゃ焼き飲食店が軒を連ね、新しいメニューづくりなどを競い合うまでに成長している。

また、LCCという格安航空手段は移動市場活性化の大きな役割を果たして来た。そうした意味でスカイマークの再建は移動=経済活性化という側面においても是非再建して欲しいものである。通常のノーマル運賃による移動とは異なる新しい市場を創ってくれた移動手段である。経済・景気活性の基礎となるのが「移動」であり、人だけでなく物の移動を含め、移動を促す情報も含めたものとしてある。前述の中央環状線大橋ジャンクション―大井JCTの9.4キロだけでも総事業費は約3100億円。こうした費用に見合う経済成果を得られるかという課題は残る。課題の本質は「移動」はあくまでも何事かをするための手段であり、それだけでビジネスが生まれることはない。移動という大きな変化を市場機会とすることが重要で、やはり変化を受ける顧客が何を欲求しているかを探り、一つのビジネスとしての答え、出来るならば他には出来ない答えを持って果敢にトライするということである。
消費増税導入以降、財布と相談しながらより合理的な商品やサービス、よりお気に入りのものにしか消費しない、こうした消費傾向は今までも、これからも続く。つまり、仕入れ価格に準じて末端価格を上げてもなお2~3%のマイナス売り上げという状態、このままではじり貧状態が続くということだ。いつの時代も変化は破綻への道もあり、またチャンスにもなるということだ。
4月、桜見物を含め訪日外国人が増える季節である。また、首都圏においては2つの大きな「移動」の変化が具体的に出始める頃である。どんな新しい市場が生起しているか、またその逆にどんなところに市場下落が見られるか仔細に見ていくことが必要となる。(続く)  


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2015年03月01日

止まらない日本マクドナルド 

ヒット商品応援団日記No606(毎週更新) 2015.3.1.

日本マクドナルドは1月の既存店売上が前年同月比38.6%減ったと発表した。マイナスは12カ月連続。昨年2月に前年割れが始まって以降、減少幅は8月(25.1%減)を上回って最も大きくなった。勿論、年初全国各地で異物混入が明らかとなった影響もあり、客離れが加速したこともあるが、問題の本質は日本という「市場」認識が間違っていることにある。そうした意味合いから「大いなる決断の時」に至っているとブログにも書いた。リスク管理などといった技術的な段階は既に終えている。市場認識を根底から変えない限り、つまり既にマクドナルドブランド(信頼)は毀損しており、少々の改善程度であれば右肩下がりのスパイラルは止まらない。情報によって浮き沈みする心理市場とはそうしたメカニズムが働く市場のことである。

私たちは消費を考える時、今から6年半ほど前「リーマンショック」という経験を踏まえて何事かを決断しなければならない。そのリーマンショック後の翌年2009年4月の家計支出調査を見てみると、前年同月比実質マイナス1.3%の減で、当時は多くのエコノミストは予測以上にリーマンショック後の景気は悪くないと判断していた。しかし、私は川上は輸入コストのインフレ(上昇)、川下は消費マインドの落ち込み・デフレという表現を使ってブログを書いたことがあった。実は当時と比較し同じような消費環境にある。所得は増えないことから家計支出はマイナス状態が続いており、円安による輸入コストの上昇から物価は上がり、8%という消費増税によって消費マインドの落ち込みは回復には至ってはいない。リーマンショック直後ほどではないにしろ消費環境は極めて厳しい。

そして、大きな変化に対し、需要(=市場規模)に見合った店舗展開を行ったのがファミリーレストランであった。2009年以降、すかいらーく500店、デニーズ200店、ロイヤルホスト100店大手3社で800店が撤退。そして、経営を立て直し、昨年夏デニーズやロイヤルホストは初めて2000円台のステーキメニューを出し、顧客単価も1000円台にまで戻し本来の安定経営に戻した。これも、顧客需要に見合った市場規模へと再編・縮小し、新メニュー開発による結果ということだ。そして、以降、消費増税にも関わらずファミレスはプラス成長となっている。

日本の外食産業における市場はある意味で特殊な市場となっている。米国の場合、マクドナルドの競合はバーガーキングやウェンディーズといったハンバーガーチェーンで、あるいはサンドイッチのサブウエイといったファストフードである。日本のように牛丼もあればカレー専門店もある。立ち食い蕎麦もあれば、ラーメン店もある。勿論、競合として重なり合うコンビニも。顧客にとって極めて多様な選択肢。メニュー、価格、サービスなど財布の中身から好み、あるいはその日の気分次第で食べるところは無数にあるいっても過言ではない。
例えば、最近売り上げ好調な回転寿司の「くら寿司」における競争相手はどこかと言うと、明快にコンビニが競争相手であると。回転寿司はファミレス市場を浸食して伸びてきた業態である。その回転寿司が今トライしているのがサイドメニューの開発である。恐らくサイドメニューに一番力を入れているのがくら寿司であろう。2012年11月には「7種類の魚介醤油らーめん」を導入。2013年には天丼、うな丼、2014年にはイベリコ豚丼、特上うな丼といった具合に丼メニューを拡充している。そして、2013年12月にプレミアコーヒー「KULACAFE」を展開すると、コーヒーに合うスイーツとして「フォンダン・ショコラムース」「イタリアンティラミス」「京風あんぶらん」「ニューヨークチーズケーキ」を販売開始。昨年9月に販売を開始した「揚げたて豆乳ドーナツ」も好評とのこと。

昨年ブログにも書いたが、コンビニカフェの次は何かと言うとドーナツで、ミスタードーナツやクリスピークリームドーナツも安閑としてはいられないと。こうしたコンビニを競争相手に学習しチャレンジしようとしているのが「くら寿司」である。経営的にも客単価を上げるだけでなく、価格競争の波を直接かぶる鮮魚を使う寿司とは異なり、やり方次第ではあるが、サイドメニューの方が利益を出しやすいという利点もある。

ところで、日本マクドナルドは「本格カフェコーヒー」を提供するコーナー“McCafe by Barista”(マックカフェ バイ バリスタ)の新メニュー「ショートケーキ with ストロベリーホイップ」「シュガードーナツ with ストロベリーホイップ」を、2015年3月3日から期間限定で販売するという。やらないよりやった方が良いとは思うが、それにしても周回遅れのような新メニューの導入である。
周知のようにセブンカフェはコンビニカフェにおいては後発であった。そして、「バリスターズカフェ」の壁を超えることが出来ず失敗もあったようだ。そして、完成したのがセブンカフェで2012年北海道での先行販売で缶コーヒーやチルド飲料の売り上げを落とすことなく、逆に北海道では調理パンやスイーツの売り上げが2~3割増えたという。そして、その後年間4.5億杯、500億円の大ヒット商品になった。つまり、新しい市場を創ったということである。これは伊藤園という最強メーカーの牙城であったお茶市場にあって、負け続けてきたサントリーが工場をはじめとした生産を根底から変え、その結実である伊右衛門を導入し、新たなお茶市場を創ったのと同じである。
今回日本マクドナルドを取り上げたのは、大きくは毀損したブランドはどう再生できるか、一つのケーススタディとして学ぶということである。そして、もう一つは日本市場には多種多様な飲食業態があり、提供する側はそうした競争市場から「何」を学ぶべきかというテーマについてである。(続く)
  


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