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「人力経営」という本を書きました。ヒット商品の裏に潜んでいる「人」がテーマです。取材先はダスキン、エゴイスト、野の葡萄、叶匠寿庵、桑野造船の経営リーダー。ユニーク、常識はずれ、そこまでやるのか、とにかく面白い経営です。星雲社刊、735円、新書判。

2015年03月20日

未来塾(15)「テーマから学ぶ」 雑エンターテイメント 上野アメ横(後半)

ヒット商品応援団日記No608(毎週更新) 2015.3.20.

首都圏ではJR東日本による「上野東京ライン」という新しいダイヤが組まれ、新しい「移動」によって大きく街が変わっていくと指摘をした。その変化について、「上野アメ横」がこれからどんな変化を見せるか、「次」の時代に生き残るテーマは何かを学ぶこととした。後半ではその生き残るテーマの「芽」が既に出始めており、新しい可能性について学んでみた。



「テーマから学ぶ」

地球の胃袋
雑エンターテイメント

上野アメ横(後半)


賑わう夜のアメ横

昼のアメ横を歩くことはあるが、夜のアメ横を歩くのは久しぶりである。写真は週末夜のアメ横である。歳末の人出ほどではないが、推測するにここ数年「夜のアメ横」の賑わいが自然発生的に生まれていることであった。


この賑わいは「何」によってもたらされたものであるか、10分もアメ横ガード沿いを歩けばその理由がわかる。昼のアメ横とは全く異なる表情をしているのは屋台や店頭での立ち飲みが至る所で見られ、しかもどの店もすし詰め状態であった。
恐らく20店舗を超える屋台や店舗が参加しており、ケバブや小籠包、韓国のトッポギ、あるいは海鮮丼屋台や三陸の海で採れた牡蛎などを肴に立ち飲みができる鮮魚店等多様な「夜市」が賑わっている。


そして、もう一つ特徴的なことは、中国の春節休みが終わったので、訪日外国人は少ないと考えていたが、日本人客と共に、韓国あるいは東南アジアの観光客と推測される人たちが多かったという事実である。

こうした屋台と共に、夜のアメ横を賑わせているのが「大衆酒場」である。「大統領」を始め、昭和33年創業の焼き鳥の「文楽」、あるいは立ち飲みの「たきおか」や「カドクラ」。面白いことに、オヤジだけの酒場に若い女性客がかなり多くいるという事実である。決してスタイリッシュとは言いがたい大衆酒場であるが、古(いにしえ)が今新しいとした若い世代にとっての新しい「芽」が出始めているということであろう。


飲んべえオヤジにとって、上野ガード下の酒場は聖地となっているが、若い女性や訪日外国人という従来の顧客層とは異なる人たちが集まっている。「雑」の楽しさを求めてであるが、「夜のアメ横」には世代や性差、あるいは国や人種という壁を超えた独特なエネルギーのようなものが感じられる。


テーマから学ぶ


「上野東京ライン」の開業は大きく街を変えていくことが予測される。北関東から都心への連絡は乗り替えなしで行われ、特に東海道線とつながることは大きい。一方上野駅は途中駅もしくは通過駅となり、東北・上越からの移動の玄関口となってきた戦後の役割を終えることになる。「上野東京ライン」の開業直後はそれほどの大きな変化は見せないと思うが、時間経過と共に変化は出てくる。特に2016年3月に北海道新幹線 新青森 - 新函館北斗間の開業から変化が始まり、2031年(平成43年)春には北海道新幹線 新函館北斗 - 札幌間が開業し本格的な変化となって現れてくる。


東北や上越からの上京に際して、チョットアメ横でも寄ろうかという顧客は少なくなることは十分想定される。特別な理由、魅力ある理由が創造されない限り、駅前から大衆食堂が消えていったように新しい波が上野アメ横にも押し寄せることとなる。既に、リニューアルを終えた駅前の旧西郷会「UENO3153」も、夜になれな写真のようにきらびやかなネオン管を使った新しい装いへと変化している。
また、十数年前までは輸入化粧品や雑貨、あるいは古着など手に入りにくい商品が販売され、人気の商店街であった。しかし、今やどこの店でも手に入るようになり、次第に顧客は離れつつある、そんな商店街の状況にある。つまり、総合としての「商店街」としての魅力、集客の磁力がどんどん無くなりつつあるということだ。そうした意味で前回のテーマとして取り上げたヤネセン(谷中、根津、千駄木)がそうであったように、集客磁力を発揮させるための「面」での再編が必要となる。
つまり、アメ横ガード下を中心とした上野の街の再編集である。その着眼は「古(いにしえ)が今新しい」としたコンセプトによっての再編集である。つまり、「既にあるもの」、歳末売り出しの風物詩となっている「アメ横ブランド」や「ねぎり・おまけ」といった販売スタイル、所狭し軒を連ねる密度ある店舗、溢れかえる人出、勿論利用してきた膨大な顧客群、・・・・・・こうした財産に次の時代の息吹を注入することである。


アメ横では集客のための小さな売り出しやイベントが日常的に行われている。その象徴ではないが、アメ横センタービルでは「アメ横アイドル劇場」が開催されている。アキバのAKB48劇場のモノマネで、「雑」の面白さと言えなくはないが、アメ横が本来持っているテーマ世界とは無縁である。アメ横センタービルであれば地下にある多国籍食品売り場がテーマ世界をより強めることに貢献している。扱う食材は各店舗で違うが、インド・中国・台湾・韓国・タイ・フィリピン・ベトナム・シンガポール・インドネシアなどの、肉・魚介類・野菜・果物・調味料・香辛料・飲料・乾物・インスタント食品などが安い価格で手に入る。こうしたアジアの食材が販売され、新しい食、珍しい食、面白い食が集められた「雑食」の世界であり、アメ横が持つ「雑食」エンターテイメントというテーマをより強めることとなる。こうしたテーマ集積がアメ横再編の鍵となる。

1、「歳末売り出し」以外の魅力の創出/例えば、アメ横「夜市」の拡大・強化

自宅で作っていた正月のおせち料理は、どんどんデパートやスーパーのお重にセットされたおせち料理へと移行し、あるいはお取り寄せ通販といった方法へと変化してきた。そうした傾向にあって正月用食材の「買い出し」客で溢れる商店街としては上野アメ横が最後となる。そして、アメ横においてもここ数年の人出がピークとなる。別の表現を使うならば、歳末の観光地としてのアメ横は既にピークを迎えているということである。

こうした単一イベントから脱却したのが、観光地札幌である。既に行われていた冬の「雪祭り」ともう一つのイベントとして企画されたのが「YOSAKOIそうらん祭り」である。1992年6月「街は舞台だ! 日本は変わる」を合言葉に、道内16大学の学生実行委員150名で第1回YOSAKOIソーラン祭りを開催。当初は参加10チーム、参加者1,000人、3会場という規模で、観客は20万人であった。2014年はどうかというと、参加270チーム、参加者は27,000人、観客は187万人という規模にまで成長した。

観光地アメ横の魅力づくりにはいくつかの方向が考えられる。札幌の「そうらん祭り」、あるいは同じ台東区浅草における「三社祭」と「浅草サンバカーニバル」、こうした例と同じように考える方向。つまり、歳末以外の新たな「売り出し」、「食の祭典」「ワールドフードフェスティバル」を組むということである。特に、1年のなかで歳末に売り出しの山が出来ているが、夏、しかも夜への集客が極めて弱い。ここにもう一つの「売り出し」を着眼創造することによって、次の上野アメ横を描くことができる。


例えば、台湾台北やソウル南大門における「夜市」のように、日本からもグルメツアーが組まれるほどである。日本においても商店街企画として「食べ歩き」が実施され始めているが、上野アメ横ガード下を中心にした食べ歩き「夜市」は新たな「胃袋」を満たすイベントとして十分成立し、既にその「芽」が出始めている。
上野アメ横もスタート時はその多くは屋台やバラック建ての簡易舗であった。「俺のフレンチ」がそうであるように一つの「食べ歩きスタイル」として実施してみようということである。勿論、衛生管理を徹底することを基本に、良い意味での「雑」の面白さ、「雑」の楽しさといったもう一つの「雑食」の売り出しである。

2、新しい「飲食文化」の創出

恵比寿、渋谷、新橋、勿論新宿にも池袋にも多く見られるのが洋風居酒屋である。10年ほど前からスペインの居酒屋から始まり、イタリアンや中華、その他多国籍料理を出す居酒屋が若い世代に広がっている。しかし、ここ上野アメ横にはそうした新しい「飲食」はほとんどない。「大統領」といったオヤジ相手の老舗酒場はあっても若い世代にとってのスタイル業態はない。


1980年代末、中尊寺ゆっこが描く「オヤジギャル」というマンガが当時の若い世代の女性の共感を得て流行語大賞を取るほどの人気となったことがあった。それまでオヤジ専用の場所であった競馬場、パチンコ、そして居酒屋に若いOLがオヤジ顔負けの遊びっぷりを見せる痛快マンガであったが、今また大衆酒場にもそうした第二次オヤジギャルが現れ始めている。しかし、そうした新たな芽はまだまだ育ってはいない。問題は「大衆」としての若い世代、特に女性の好みに合ったスタイル業態が創られていないという点にある。「俺のフレンチ」はその「立ち食い」を新しいスタイルとして定着させたが、「酒場」もそうしたスタイル化が求められている。上野アメ横に決定的に足らないのは、こうした若い世代への取り込み、その新しい飲食業態である。

勿論、若い世代ほどアルコール離れが激しい。これからもこの傾向は続くことが予測される。しかし、ソフトアルコールあるいはノンアルコールへの支持は結構ある。既に安さだけを売り物とした従来の居酒屋スタイルからはどんどん客離れが進行している。しかし、仲間とわいわいがやがやと雑談しあう「居酒屋」的雰囲気への支持はある。こうした雰囲気を残しながら料理主体のダイニングバー業態が求められているということである。こうした新しい飲食業態こそ「雑食」の街、アメ横ならではのチャレンジであろう。こうした日本人の胃袋を満たす先行した取り組みこそが第二のアメ横編集の鍵となる。

3、戦略顧客としての雑食系女子

今回の上野アメ横「雑」エンターテイメントというテーマから学んだことの大きなポイントは「既にあるものを生かす」ことであり、その「芽」は「夜」にあるという点であった。前回のヤネセンは、エリアをこよなく愛する住民の人たちが、「既にある」古い家屋や建物を使い続ける試みへのチャレンジであった。そして、住民自らが後継者として「バトンタッチ」が行われている点である。

上野アメ横の夜は新宿歌舞伎町や池袋、渋谷といった繁華街の夜とは異なり、独自な夜を楽しむ可能性、しかもご近所顧客だけでなく、国内、いや海外の訪日外国人をも集客できる「夜」の観光地としての可能性である。そして、そうした新しい波を起こす鍵はその中心となる顧客、雑食系女子であろう。10年ほど前から、Under30(30歳以下)の草食系男子と対比されるキーワードとして肉食系女子という言葉が使われてきた。そうした比較を超えて、もしキーワードとして言うならば「雑食系女子」となる。つまり、それこそ地球の胃袋となる強靭な咀嚼力を持ったエネルギッシュな女性であり、上野アメ横再編の鍵にふさわしい顧客となる。

4、新しい物語づくりへ

そして、これからのアメ横について「夜市」という発想をしてみたが、上野駅の過去は中島みゆきの「ホームにて」ではないが、東北や上越からの上京という物語であった。上野駅が途中駅に変わることをきっかけに、「次」の上野アメ横を考えるとするならば、これまでの「人」の上京ではなく「物」の上京、つまり地方の埋もれた物産をライブに販売提供する一大拠点を目指すという着眼である。東日本大震災の復興支援あるいは地方創成という意味合いを含め、商店街のなかに地方のミニミニアンテナショップ的意味を含めた販売拠点として、新しい「雑食」市場づくりを目指すということである。またJR東日本における「地域再発見プロジェクト」と連携することで、更に「雑食」というテーマ世界を強めていくことも必要であろう。

ところで周知の築地市場は2016年12月に豊洲に移転し開業することが決まった。そして、築地市場には「場外」と呼ばれる商店街が形成されており、ここ数年一般客が押し寄せ観光地の様相を見せている。そして、「場内」市場が豊洲に移転しても「場外」を残して営業していくと計画されている。しかし、築地市場の跡地利用についての計画は現在白紙であり、豊洲市場は周辺のSCや商店街と連動した新たな観光地になることが予測される。こうした「食」に関する観光競争、特に「食べ歩き」競争は今後更に激しくなっていくと考えられる。
上野アメ横も新たな物語づくりが急務になっているということだ。(続く)
  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:44Comments(0)新市場創造