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ヒット商品応援団
「人力経営」という本を書きました。ヒット商品の裏に潜んでいる「人」がテーマです。取材先はダスキン、エゴイスト、野の葡萄、叶匠寿庵、桑野造船の経営リーダー。ユニーク、常識はずれ、そこまでやるのか、とにかく面白い経営です。星雲社刊、735円、新書判。

2009年11月29日

江戸時代の成長戦略

ヒット商品応援団日記No423(毎週2回更新)  2009.11.29.

前回江戸時代の不況対策、吉宗が行った享保の改革の概要について書いた。そして、好況と不況を交互に繰り返したとも。今回は好況を生み出した成長戦略について書いてみたい。
まず、江戸時代最初の好況期で元禄バブルと言われた頃の経済であるが、当時の経済を活性させたのはインフラとしての水上交通であった。海と川、これら水路を通じて多くのモノが流通していた。この元禄バブル期の象徴で伝説の人物が周知の紀伊国屋文左衛門である。紀州のみかんを江戸へ、江戸に集まった塩鮭を上方へ、といわば江戸と上方との価格差を巧みにビジネスに持ち込んで莫大な富を手にした商人である。幕府の側用人柳沢吉保に取り入り、賄賂政治、賄賂経済を行ったとされ、浅草吉原での豪遊ぶりが絵にも残っている。そこには吉原を一人で借り切り、豆まきの豆の代わりに金銀を蒔いて、幇間や芸者が競い合って拾っている絵であるが、拾った金銀は背後にいる役人に渡るという、官僚接待の構図である。一晩で千両、二千両がばらまかれたと言われている。しかし、バブル期にはバブルであると認識しないのが江戸時時代も今日も同じで、新興企業、新興商人の代表で江戸庶民のヒーロー的存在であった。

江戸に幕府が置かれ、1600年代〜元禄にかけて漠大は富を得たもう一人の人物に淀屋常安がいた。大阪の陣の時に徳川方を支援し、その褒美として米の相場を立てる「米市」の権利を得る。米の価格は仲買人によって無秩序に決められ、実はインフレ&デフレを起こすのであるが、その安定をはかる市である。淀屋は大阪中之島に市を立てる。その淀屋に行くために橋を架け、その地名は淀屋橋として今も残っている。
ウイキペディアによると、1620年当時米の収穫量は約2700万石で自家消費や年貢の分を除く約500万石が市場で取引され、その4割の200万石が大阪で取引されたと言われている。米市の取引は現物取引ではなく、手形の売買に発展するのだが、ある意味世界の先物取引きの起源とされている。米経済「=米の価格は他の物資の価格統制・安定につながる」という幕府の考えと、貨幣経済「=先物取引き・貨幣それ自体が富を産む」と考える商人、この2つの矛盾が次第に生まれてくる。今で言うところの実体経済と金融経済(投機マネー)という言葉に置き換えてもそれほど違わない。
そして、五代目廣當(こうとう)の時、「町人の分限を超え、贅沢な生活が目に余る」という理由で、実は諸大名への貸し付けが莫大になり、(ウイキペディアによると銀1億貫/現代では100兆円に相当)淀屋の全財産を没収する処分を行う。

少し短絡的な言い方になるが、貨幣経済が日本全国に浸透していくことによって、新たな産業も生まれ、経済は活性化する。この活性化を可能にしたのが前述の物流・水上交通であった。今日の高速道路に該当するが、江戸も大阪も水の都と言われるように、水路が張り巡らされていた。米価を決める大阪はいわば通貨政策を取り仕切る大蔵省や経済産業省であり、京都はというと皇室があり公家文化とそれに基づいた下り物商品の生産経済機能というある意味文化庁があり、長崎にはさしづめ外国との交易を含めた外務省がある、そして江戸は政治機能を果たす行政府や国会があり、それぞれの機能を果たす分散型国家がこの時代に出来上がりつつあった。
こうした政治機能以外は、幕府から認可され商人自らが実施する国づくり・町づくりであった。水上交通のみならず、陸上交通についてもこの頃五街道が整備され、ヨーロッパの街道が軍事道路であったのに対し、日本の場合商人によって街道は整備・発展した。この街道を天秤棒を担いで全国へと商売に出かけたのがあの近江商人であった。今日言われているような政官業の癒着といった問題や一人歩きしてしまう投機マネーといった問題をはらみながらも、商人を中心にした民に任せる民活戦略が江戸初期の経済を成長させた。

こうした元禄期のバブルを改革したのが、前回書いた吉宗の享保の改革であった。前回を少し補足すると、実は吉宗は5代将軍綱吉の重用によって幕府に参画しており、綱吉の頃の元禄政治を全否定することはできなかった。享保の改革は緊縮財政政策と社会福祉・保障政策を中心に行われたが、拠って立つ思想的裏付けをしなければならなかった。吉宗は幕府を開いた家康に戻る、いわば原点回帰を拠り所にした。キーワード的に言えば、元禄という華美で贅沢になってしまった風土に対し、「質実剛健」をポリシーとした。1990年代バブル崩壊後、多くの企業が危機に対処するために創業回帰、原点回帰に向かったとのと同じである。

話を元に戻すが、吉宗は倹約令を始めとした多くの禁止令を実行する。元禄期の過剰な遊び、物見遊山などは贅沢であると。歌舞伎、人形浄瑠璃の退廃的演目、特に「心中もの」を禁止。岡場所、賭博も禁止。以降、こうした政策は松平定信などへと引き継がれていくのだが、「毎日が節約」「まじめに働く」、そんな日々が長く続くと、楽しみがないと江戸市民は思うようになる。そんな江戸市民の気持ちを代弁するような歌が残されている。

白河の 清きに魚も棲みかねて もとの濁りの田沼恋しき

白河とは白河藩主松平定信を引っ掛けたもので、田沼とは賄賂政治の田沼意次のことである。田沼が明和・安永という元禄と同じバブル時代を作った世を懐かしむ、今一度バブル時代が来て欲しい、と歌ったものである。松平定信によるあまりに道徳的清貧的ばかりの世では窒息しそうだと、そんな歌である。ある意味、民意は右に揺れ、左に揺れる、いつの世も同じであるように思えてしまう歌だ。

この田沼意次であるが、新たな税収を求めるために、多くの成長拡大政策を民の力を活用実施した人物である。町人資本による印旛沼・手賀沼干拓事業や蝦夷地での新田開発・鉱山開発、更には長崎を通じた輸出の振興、株仲間への規制緩和・・・・こうした成長戦略を採ったが、賄賂政治を批判され、天明の大飢饉(冷害と悪天候で数万人が餓死したと言われている)によって失脚し、松平定信へと政権が移るのである。

江戸時代も、右肩上がりの成長期には「新(外)市場の開発」と「規制緩和」、それらを行うに足りる貨幣の流通と消費の促進、結果として生まれる「インフレ」によって成長してきた。前回、260年ほど続いた江戸時代には好況期3回、不況期3回存在したと書いた。ほぼ40年サイクルで好不況の波があった訳である。1955年保守合同によって自民党政権が誕生した。54年ぶりに民主党に政権が移行した訳だが、まるで享保の改革を思わせるような動きに見える。
このブログを書いている最中にドバイ発の金融ショックがあり、円高へと大きく振れた。勿論、輸出企業にとって大きな痛手となるが、更に海外現地生産が加速されるであろう。仕事の場が国内には少なくなっていくということである。既に、数年前から技術を持った中高年のリストラがあり、仕事の場を海外に求め、中国を始めとしたアジアへと向かっている。大学生には少し困難さが伴うが、アジアに就職の場を求めるという発想の転換は必要である。

今、緊縮or成長、規制強化or規制緩和、公的支援or市場解決、消費で言うと低価格or適正価格、セルフ解決orプロ解決、・・・こうした二項対立的な発想・論議からの転換が必要ということだ。実は吉宗は元禄バブルの後始末として緊縮財政、社会福祉といった政策だけを採ってきた訳ではない。成長政策も同時に実行してきた。漢方薬の国産化や米に頼らない他の農産物の開発、あるいは江戸市民の華美な娯楽の禁止に代えて、健全な娯楽場所として桜の名所づくりを行った。つまり、吉宗はバランス感覚のある政治家であったということだ。
もし、江戸時代の好不況から学ぶとすれば、この大転換期への一つの視座は「バランス感覚」、あるいは「第三の道」ということとなる。(続く)  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:32Comments(0)新市場創造

2009年11月25日

江戸時代の不況対策

ヒット商品応援団日記No422(毎週2回更新)  2009.11.25.

今日のライフスタイルの原型は江戸にあり、今日の消費を読み解く視点や新たな市場着眼の一つになるというのが私の持論であるが、江戸時代にも好不況の波は存在していた。昨年のリーマンショック以降の大不況について1929年に始まった世界恐慌の事例を持ち出す専門家はいたが、江戸時代の不況事例を持ち出す専門家、歴史研究者は皆無であった。勿論、日本一国の不況と市場が世界に広がる時代の不況とでは参考にならないということだが、当時の幕府(政府)がどんな改革という不況対策を採っていたか、奇妙に符号する点もあったので少し調べてみた。

江戸時代には好況期(元禄、明和・安永、文化・文政)は3回、不況期(享保、寛政、天保)も3回あった。NHKの「天地人」ではないが、周知のように戦国の世は終わり、江戸時代は天下泰平の世となった。この江戸初期は信長・秀吉による規制緩和の延長線上に経済を置いた政策、特に新田開発が盛んに行われ、昭和30年代の「もはや戦後は終わった」ではないが、戦後の高度成長期と良く似ていた時代である。この経済成長の先にあの元禄時代(1688年〜)がある。浮世草子の井原西鶴、俳諧の松尾芭蕉、浄瑠璃の近松門左衛門、といった江戸文化・庶民文化を代表するアーチストを輩出した時代だ。貨幣経済は地方へと広がり、以前ブログにも書いたが紅花や木綿などが各地で栽培され、瀬戸内の塩や京都の日本酒が全国各地へと流通する。鉱山(金銀銅)開発が積極的に行われ、それらを基に海外からどんどん舶来品を輸入していった。桜が盛んに植えられお花見が庶民の季節イベントになり始めたのもこの頃である。まさに「消費都市」として爛熟した文化を咲かせた時代であった。

しかし、元禄期の後半にはそうした鉱山資源は枯渇し、不況期に突入する。幕府の財政は逼迫し、元禄という過剰消費時代の改革に当たったのが、8代将軍の徳川吉宗であった。享保の改革と言われているが、倹約令によって消費を抑え、海外との貿易を制限する。当時の米価は旗本・御家人の収入の単位であったが、貨幣経済が全国に流通し、競争もあって米価は下落し続ける。下落する米価は旗本・御家人の収入を減らし困窮する者まで出てくる。長屋で浪人が傘張りの内職をしているシーンが映画にも出てくるが、職に就くことができない武士も続出する。吉宗はこの元凶である米価を安定させ、財政支出を抑え健全化をはかる改革を行う。この改革途中にも多くの困難があった。享保17年には大凶作となり、餓死者が約百万人に及び、また江戸市内ではコロリ(コレラ)が大流行する。ちなみに、吉宗が死者を供養するために翌年行われたのが両国の花火であった。その花火が名物となり、川開きの日に今もなお行われているのである。

今日の日本経済と単純に重ねてしまうことは危険とは思うが、生活者は10年前から収入が減り始め、ここ数年の消費はまさに倹約令を自ら行ってきたようなものだ。国債・地方債という借金を増やさないために、今「事業仕分け」という倹約をやっと政府が始めたところである。江戸時代の武士はいわば行政マンというサラリーマンで米価を基準にした禄高が唯一の収入源であった。収入保証を幕府は政策として打ち出すのだが、米価安定とはいわばデフレ対策としてあった。。現政権の政策であれば、直接的デフレ対策は出ていないが、こども手当という家計支援などが間接的ではあるが該当するであろう。

8代将軍吉宗は老中水野忠之や江戸町奉行大岡忠相というブレーンと共に、江戸市民の声を聞く「目安箱」を置き、民意を生かした行政を行う。この目安箱に町医者が投じた意見書から生まれたのが小石川養生所である。貧しい町民の医療を含めたセーフティネットであるが、山本周五郎が描いた小説「赤ひげ診療譚」の舞台となった施設である。
こうしたセーフティネットの背景には吉宗の改革ポリシーが明確にあってのことであった。一言でいえば、「元禄バブルによって、心が荒み、本来もっていた優しさを取り戻したい。財政の赤字改善だけでなく、こころの優しさをも」ということになる。この吉宗のポリシーは、後の松平定信に引き継がれる。それは、「七分積立金」という寄付制度で、町会費を節約してもらい、その節約分の七分(70%)を小石川療養所の運営費に充当してもらう制度である。おもしろいことに、この制度は明治政府になっても「東京市立養育院」となって続き、水道や道路整備更に築地の埋め立てなどにも使われた。

こうした吉宗による享保の改革はいわば社会福祉政策と呼ばれているが、そこには町民への明確な「権利と義務」を明らかにした上でのことであった。江戸は木造家屋であったことから火事は日常的にあり、安全・安心のための最大課題であった。当時の消防は、武士(行政)によるものであったが、町民自身も消防に参加すべきとし、「町火消し」制度が創られる。町火消しの番所建設費やその運営費は町民の負担とした。つまり、権利と義務を明確にしたのである。この延長線上に、災害時の食料を確保するための「囲い米」を保管する倉庫を作り、これも「七分積立金」の中から拠出させた。ある意味、不況対策は新しい町づくりとして、町単位での経済・社会運営をまかせ、世界に類を見ない都市国家を創ったと言える。

不況時の改革はこのように「町づくり」という市民参加によるものと併行して行われた。それは何よりも、市民の認識を変え行動することによってのみ変革は可能だということだ。そして、ある意味豊かな都市づくりが可能となったのも、江戸の生活が町単位という小さな単位であったからである。当時、江戸は「八百八町」といわれていたが、実際には1000以上あったようで、互いに「隣の町より良い町にしよう」と競い合っていた。お金を持っている人はお金を出し、力のあるものは労力を出す、経験ある者は知恵を出す、そんなことが当たり前のこととして通用する社会が実現した。
さて、今回の政権交代による「改革」は、新たな国づくり、町づくりへと進んでいくのであろうか。政治ショー化してしまってはいるが、「事業仕分け」という情報公開は必要である。しかし、それらは緊縮財政のためで成長への道にはつながらない。私見ではあるが、改革の本筋は地方分権にある。「生活が第一」としてきた政権であり、生活は現場、つまり地方にある。財源とそれを使う権限を地方に渡し、その土地ならではの産業を起こすことだ。そして、その構想力と実行力こそが首長に問われることとなる。行政能力だけでなく、経営センスと共に強いリーダーシップが要求される。不況対策には特効薬など無いが、「新しい町づくり」という市民運動、「ハードからソフトへ」という考えによってのみ困難さを超えることができる。(続く)  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:44Comments(0)新市場創造

2009年11月22日

デフレ下のヒット商品

ヒット商品応援団日記No421(毎週2回更新)  2009.11.22.

日本経済の情況について、やっと政府は「ゆるやかなデフレ」であると認めた。デフレとは商品やサービスの価格が持続的に下落する状態のことだが、国際通貨基金(IMF)によると、下落が約2年間続くことが条件とされている。しかし、このブログにも何回か書いてきたが、1997年をピークに1998年以降収入は減り続け、この10年間で100万円減った。六本木ヒルズのオープン前後数年間は、金融自由化を背景に世界の金融関連企業や外資ホテルに代表されるような企業群が大挙して東京に進出してきた。一種の金融バブル、不動産バブル、消費バブルが特定エリア(東京3Aエリア/赤坂・青山・麻布)、特定市場(ヒトリッチ市場)に起きて、インフレ的様相を見せたことは事実であった。しかし、それらは一部であり、私はそうした市場全体を「まだら模様」と名前をつけた。多くの企業、特に流通業、勿論生活者にとって、デフレは10年ほど前から実感もし、対策も立ててきた。消費で言えば、その象徴が「わけあり商品ブーム」である。デフレは今始まったことではない。

このデフレも問題ではあるが、1年半ほど前に「ねじれ現象」というテーマで書いたように、資源を持たない日本の場合、川上(輸入価格)ではインフレ、川下(消費接点)ではデフレという構造的問題を抱えている。今また、原油価格が上がり始めており、特に内需関連企業はその狭間で苦悩している。結果、有効求人倍率は40%台、正社員の場合は4人に1人しか求人はない。来年度の大卒における就職内定情況もひどいが、高卒の場合は更に深刻な情況だ。こうした雇用の情況下で、消費心理が上向く筈がない。
危機の本質はこの構造そのものにある。「わけあり商品」は、提供する側と消費する側とで生まれた一種のあだ花のようなものである。

先週は鳥取から大阪へと回ってきた。大阪ではいつものホテルが満室ということもあって、急成長している「スーパーホテル」に泊まってみた。セルフ形式ホテルという余計なサービスを削ぎ落とした、その分価格を下げて急成長しているホテルである。チェックインし氏名・住所を書くところはどのホテルも同じであるが、その後は全く異なる。コンピュータに入力すると、部屋番号と部屋の暗証番号が印字された、しかも領収書にもなるレシートが渡される。そして、最近のホテルや旅館では良く見かけるが、パジャマを渡される。後は全てセルフ、ご自由にというシステムである。翌朝の食事時間に集まった利用者は出張サラリーマン、OLから学生、シニア夫婦と多様な人達が宿泊していた。朝食は朝6時半から、勿論セルフ形式で、無料である。そして、スーパーホテルの特徴の一つが運営スタッフのほとんどが若い女性という点にある。しかも、ホテル経営における経費の中心となっている人件費が極端な位抑えられている。つまり、最小人数で運営されるビジネスモデルと言える。恐らく、中途半端なビジネスホテルはスーパーホテルのようなセルフ形式ホテルへと変わっていくであろう。

2年ほど前から、外食→中食→内食への傾向を書いてきたが、別な表現を借りればセルフ化への進行である。勿論、食ばかりでなく、生活全体に対する傾向としてある。商品やサービスの厳選傾向は回数を減らす減選へと進み、そしてセルフに至る。これが消費氷河期の最大特徴である。東京では過激なほどの弁当競争が繰り広げられているが、サラリーマン・OLの間では自分で作るセルフ「弁当族」が増えてきている。
セルフ化とは自分で行うことであり、道具や方法を必要とする。大不況下で売れるのはこうした商品群である。例えば、理美容院であれば、安いクイックサービスや髪を梳くバリカンのような道具が売れていく。調理道具が売れ、家庭菜園も更にセミプロ化していく、こうしたことも全てセルフ化、ビジネス用語でいうところの内製化である。そして、言うまでもなく省エネ、省力、省マネー型の道具が売れる。

前回、「回帰のゆくえ」というテーマで回帰現象の根っこについて書いた。回帰体験とは「自分の感性、自分の知を手に入れる、そんな体験である」、と仮説してみた。十数年前から言われてきた「成熟」、成熟した消費社会を迎えるということだ。安い商品についても単純に飛びつく訳でもなく、しかし「訳あり」に納得すれば購入する。勿論、生半可なこだわりにはそれに見合う費用等はかけない。長い目で見た費用と効果、それらを踏まえた満足感を手に入れる、そんなしたたかな消費者像が目に浮かぶ。
昭和30年代、戦後のモノも心も荒廃していた中で食べるのが精一杯であった時代、それでもどん底から這い上がる生命力だけはあったと思う。そんな時代の風景と「今日」の荒廃さを重ねて見る。モノは安くなり至る所に溢れていて、しかしモノへの欠乏感はない時代が今である。何が欠けているか、言わずもがなである。


川上ではインフレ、川下ではデフレという構造的問題に危機はある。先日鳥取県で委員会があったが、そこでもこうした構造的問題の一端を垣間みた。鳥取県を代表する地域ブランド商品と言えば、「20世紀梨」である。日経リサーチによれば果物部門で第4位の商品だ。しかし、作付け面積は昭和58年をピークに年々減り続け、昨年度はピーク時の1/3である。背景は全国どの地域も同じで、農家の高齢化と跡継ぎがいないと言う。自給率40%の日本農業にあって、若者の農業への労働移動はそれほど単純なものではない。しかし、中長期的な産業構造の転換をはかることが問われているのだ。
生活者は、生活そのものの構造転換がはかられつつある。セルフ化もその一つである。政府は「ゆるやかなデフレ」と表現したが、この「ゆるやか」という表現は正確である。生活者は「ゆるやか」に生活を仕分けし、構造転換を計ってきたということだ。そして、この生活仕分けであるが、子への教育費が下がり始めた時、その時本格的な消費氷河期に入ったと判断すべきであろう。何故なら、子は私たちにとって唯一の未来であるからだ。(続く)  


Posted by ヒット商品応援団 at 14:00Comments(0)新市場創造

2009年11月18日

回帰のゆくえ 

ヒット商品応援団日記No420(毎週2回更新)  2009.11.18.

このブログを書き始めてから4年余となるが、多くの回帰現象について書いてきた。昭和回帰、和回帰、故郷回帰、といった時や場所への回帰が思い出消費として現れてきたり、自然回帰や家族回帰といった近代化によって壊されゆくものへの修復や取り戻しも数多く現象として出てきた。少し前にもサントリー角のハイボールを取り上げたが、昭和の時代のアルコール飲料も若い世代にとってはOld New、温故知新として受け止められるような消費の在り方もある。このように回帰はシニアばかりか、若い世代にとっても同様の多様な側面を持つ。
変化と不安が常態化した時代には、こうした回帰現象は底流としてあり、これからも起こってくる現象である。変わってゆくこと、変わらないこと、変化することが良いとする価値と継続することこそが良しとする価値この2つがせめぎ合う、まさに混沌とした時代の特徴としてある。

変化を象徴するものと言えば、やはりインターネットの進化であろう。ブログの進化系としてトゥイッターが流行っているが、「今、渋谷にいるが、美味しい店教えて」と発信すれば、「○○のこれがおすすめ」といった情報がすぐに手に入る便利な時代だ。数年前、若い世代でケータイ小説が注目されたが、アマゾンの電子ブックリーダー「キンドル」やiPhoneの端末で読める電子書籍も出てきた。つまり、Web時代が本格的に到来し、本の読み方や学習の在り方、情報と知というテーマを根底から考え直す時代にきたということである。このWeb時代を招いたのが周知のGoogleであるが、キーワードを入れれば瞬時に欲しい情報と出会うことが出来る。そうした便利さに慣れてくると、逆に検索で手に入らない情報はあるのだろうかと、ふと自問することがある。

私のマーケティング・ブログを訪問するキーワードには大きくは2種類ある。1つは人名で、だんとつに多いのが鬼頭一弥さんである。あの渋谷109のエゴイストを誕生させカリスマを育てた人物であるが、基本的には取材を受けないためマスメディアには一切登場しない、結果私のブログに来られるのだと思う。しかも、その多くは鬼頭さんの人物写真、画像を欲しがっているのも特徴の一つである。
もう1種類は、キーワードでいうと「未来予測の方法」と「うわさの法則」である。先が見えない、不透明な時代であることを良く表したキーワードだ。こうした「方法」や「法則」を欲しがっているとは、情報の時代にあって信頼できる情報がいかに少ないかである。
私のブログも、ちょうど1年ほど前から携帯を通じて訪問される方が増えてきた。私もそうだが多くの人にとって、携帯電話とPC、共に必携道具というより身体の一部分のような感覚があると思う。持たないで自由にいられたら、でも持っていないとどこか落ち着かないといった情報の時代に生きる奇妙な感覚である。

こうした情報の時代が進めば進むほど、自ら体験することへと向かう。つまり、自らの実感を拠り所とする、ということだ。特に、人工的な暮らしに慣れてしまった子供達にとって、この体験は不可欠となっている。社会体験のキッザニアしかり、芋掘りなどの収穫体験、昆虫採集体験、農家での薪割り体験ですらビジネスメニューになる時代である。
宮崎駿監督のスタジオジブリ内にある保育園はエアコンなし、バリアフリー設計ではなく間違えれば怪我もする、そんな保育園とのこと。自然は危険でもあることを自ら体験できる保育園であり、人間が本来持っている一種の実感力を鍛えることであろう。
情報の時代とは、見なくても、体験しなくても済んでしまう落とし穴が潜んでいるということだ。情報から実感へ、自らの感受性を磨く方向へと向かっている。

音楽業界も出版業界と同様に低迷している。大きなヒット曲もなく、CD売上は年々下がり続けるばかりである。アルバムを買うのではなく、好きな曲だけを安くダウンロードできる時代だ。しかし、クラシックからJPOPまでライブコンサートには多くのフアンが押し寄せている。何故か、そこにはリアリティ、臨場感、その場その時の空気感、そんな五感を震えさせてくれるものが求められているからだ。音楽の原点とは、こうした五感に訴えてくるライブ感にある。この原点に戻りえなくなった時、音楽業界も出版業界も消えてなくなるであろう。

さて、回帰した後はどのように考えたら良いのであろうか。これは私論ではあるが、回帰することによって感性は磨かれ、知は熟成されることとなる。過剰な断片情報は実感を得て、確かなものとなるということだ。自分の感性、自分の知を手に入れる、そんな時代となっていく。もし、ビジネスという視点を当てるとすれば、感性磨きの手伝い、知の熟成を手伝う、それこそが音楽業界、出版業界が課題・テーマとしなければならない。
ところで、新政権には次の経済成長を目指す戦略がないと指摘されているが、どうも「エコ立国」を旗印として掲げるようである。見事なくらいにエコ社会、循環型経済社会を創ったのが江戸時代であった。また、磨かれた感性、熟成した知が庶民レベルで開花したのも江戸時代であり、今日のライフスタイルの原型の多くは江戸にある。推測ではあるが、消費を含め「江戸回帰」が次なるテーマとなる。(続く)  


Posted by ヒット商品応援団 at 11:14Comments(0)新市場創造

2009年11月15日

生活仕分けと消費移動

ヒット商品応援団日記No419(毎週2回更新)  2009.11.15.

少し前に、ファミレスの「すかいら〜く」業態が閉店し、新たな「価格帯市場」へと変化し、価格を中心にあらゆる分野の事業を再定義する必要となったと書いた。「食」はライフスタイル変化が最も早く出やすいことと、デフレ状態があらゆる生活領域に及び始めたことによる。何が生活にとって合理か、それはどの程度の支出=価格が妥当か、そこに更なる支出を抑える工夫はあるのか、生活者は考え、生活仕分けを行い行動へと移してきた。今、政治に於いてもやっと「事業仕分け」が始まっているが、生活者は既に2年ほど前から「生活仕分け」が始まっている。

浮き沈みの激しいアパレルファッションにおいて着実に売上・利益を出し伸ばしてきた企業に神戸に本社をおいたワールドがある。製造小売り&卸の企業であるが、数年前までは商業施設デベロッパーから「出店テナントで困ったときのワールド頼み」といわれるぐらい、多くのブランドを持ち、百貨店向け、駅ビル商業施設向け、専門店への卸向け、といった具合に業態別のブランドをもっている数少ないアパレル企業である。ある意味、こうした業態別とは「価格帯別ブランド」という側面をもっている。
しかし、周知のように百貨店では生き残りのために、デパ地下500円弁当を始め、わけあり商品の値引きセール、時間帯による値引きセール、更にはPB商品の導入や自社開発商品(リーズナブルな価格のSPA商品)、旧来の価格帯市場とは異なる売り場やセール、あるいは商品導入が組まれてきた。
さて、そのワールドであるが、昨年度の決算内容を見る限り売上利益を落とし始めている。優秀な企業であるワールドも恐らくブランドの再定義を行っていると思う。出店、卸先の変化と共に、顧客の変化をにらみ、次なるブランドの価格帯を模索、検討するということだ。

「1000円高速」に顧客を奪われた鉄道各社であるが、9月のシルバーウイーク(18〜23日)の利用情況を見てみると、5月のゴールデンウイークと比較し、高速道の渋滞が敬遠され、鉄道にややシフトした形となっている。ちなみに、JR東日本によると、9月のシルバーウイーク中、同社の新幹線や特急、急行を利用した人は約275万人。ゴールデンウイーク後半(5月1〜6日)の約257万7千人に比べ約7%多かったと。
こうした大型連休以外の「1000円高速」では、中心となっていた近隣地への利用=ドーナツ型行楽利用が減り、遠距離利用が増加しているという。その遠距離利用者の多くは、写真撮影や絵を書く、あるいは釣りといった個人趣味のための利用が多いという。こうしたケースを見ていくと、一時期あった「安ければ」という利用理由だけでなく、利用目的やそのための費用のかけ方が定着してきていると言えよう。行列しても「安さ」を求めるといった消費行動も、エブリデーロープライスではないが、かなり日常的な「生活仕分け」という計画に沿ったものとなっている。一種の計画家庭経済の如きである。

まだ、正確な家計調査のデータを時系列で分析していないが、日経MJ等の調査によれば生活仕分けの廃止・節約の順番では「食費」と「衣料・アクセサリー」、更には「遊び・レジャー」という順番となっている。こうしたことは不況時にはいつも見られる現象であるが、そうした生活費の単なる順番ではなく、その内容の変化=消費移動に着目しなければならない。
例えば、外部要因ではあるが、新型インフルエンザの消費への影響は様々なところにかなり出てきている。先日、再建中のJALの上期決算が1300億超の赤字決算になったと発表があったが、全日空も同様の赤字で売上でいうと▲18.8%であったと報じられた。ビジネス出張と団体旅行のキャンセルが続出したとのことだが、消費指標の一つとして考えてきた東京ディズニーランドもディズニーホテルの稼働率が90%台から70〜80%台へと落ち込んだとのこと。つまり、移動が極めて鈍くなってきたということだ。消費という視点に立てば、新型インフルエンザは「外」から「内」への移動を加速させたということだ。

従来の生活発想、生活仕分けでいうと、旅行を止めたから家族で楽しめる大型の薄型TVに変えようということになるのだが、今回の大不況下ではそうした単純なことにはなりそうにない。既に、一昨年暮れの帰省や海外旅行を止めて、その代わりにチョット贅沢におせちで正月を迎えようという消費移動があった。そうした移動事例の一つだと思うが、家電量販のビッグカメラは10/22にアウトレット専門店を東京池袋にオープンさせた。販売価格は新品と比較し最大50〜20%安いという。流通もこうした移動に備え多様な消費選択肢を広げているが、外食産業の中で成長している一つに回転寿司がある。大手回転寿司では単なる安さだけでなく、子どもが喜ぶゲームなどを用意し、食のアミューズメントパークの如くである。こうした回転寿司などに旅行の代替消費が移動することもあるであろう。数年前までの競争軸の一つは時間の使い方・時間の過ごし方競争であった。しかし、お金の使い方を軸に、生活仕分けが行われ代替消費が消費の全面に出てきた。それは従来の競争相手が変わったということでもある。

もう一つ生活仕分けの前提にあるのがマイレージポイントの急速なる普及である。確か、2007年度のヒット商品番付にSuicaを始めとした電子マネーが入り、携帯電話のお財布携帯も急速に普及した。従来、航空券購入などのマイレージポイントだけであったものが、業界を横断するような生活領域にまで共通したポイントとして貯めることができるようになった。日常のスーパーやコンビニの買い物から公共料金の支払いまで、クレジット支払いでポイントが貯まるようになった。こうした支払いを一カ所にまとめマイレージポイントを貯め、海外旅行等に無料で行く「陸(おか)マイラー」が増加している。私の友人の一人もそうしたマイレージポイントで海外旅行を楽しんでいるが、生活費のかなりの部分をクレジット支払いに充てれば、1ヶ月で数千ポイントが貯まる。こうした生活仕分けの前提となる消費=支払いでの「お得」競争が激化し、さながら「マイレージバブル」の様相を見せている。それはポイント提供者企業にとっては販促手段の一つと理解しているが、生活者にとってはポイントはお金との認識であろう。こうした認識の違いがクレームとして出てきているが、ポイント提供側も単なるポイント還元率を下げてバブル熱をさますことも必要だとは思うが、もっと根本的なところで事業の再定義が必要であろう。

つまり、生活者・顧客は着々と生活仕分けを行い、消費内容に伴う消費対象の移動が始まっている。勿論、移動によって売れなくなる場合もあるが、売れ行きが好調であることもある。例えば、業務用専門の食品店や卸の市場には旧来の小売店ばかりか一般生活者が買い物に来ている。今月末、商業施設のデベロッパーと会う約束となっているので、どんなところに消費移動が起きているか、その動向についてまたブログに公開するつもりだ。(続く)  


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2009年11月11日

2009年バッド商品番付(2)自分仕様の合理性

ヒット商品応援団日記No418(毎週2回更新)  2009.11.11.

今回も引き続きバッド商品について書いてみたい。前回指摘したのが顧客変化に応えられない業態は市場から退出せざるを得ないという点と、過剰を削ぎ落としている時代にあってどう低価格に向き合うかという視点で評価してみた。少し短絡的な言い方になるが、競合を見た類似的な「安さ」と、敢えて求める消費の本質を目指すための「安さ」、この2種類があると思う。今、100円ビールや第三のビールが主役となっているが、10数年前アサヒビールがキリンを追い抜くためにスーパードライを開発した時の開発責任者であった松井康雄氏の言葉、「たかがビール、されどビール」(日刊工業新聞社刊)を思い起こす。その言葉借りるとすれば、「たかが価格、されど価格」の時代にいる。

東の小結 ・・・・・総アウトレット化現象 
西の小結 ・・・・・マイブームからマイ合理主義へ

東の前頭 ・・・・・ひととき消費からロングライフ消費へ
西の前頭 ・・・・・ミーギフトとマイファミリーギフト

東の小結 の総アウトレット化現象であるが、生活のあらゆる領域、衣食住遊休知美に浸透してしまった。アウトレット化現象の根底には低価格要請があるのだが、本来は「定価があって、わけあって安くなりました」という規格外、基準外、季節遅れ、賞味期限間近、チョットした傷有り、展示商品、大量仕入れ、選択肢なし、これだけで終わり、・・・・・こうした「わけあり」故の商品であった。しかし、自店の在庫処分どころか、問屋にある在庫商品をかき集め「わけあり商品」として売っていくようなそれ自体を目的としたセールは論外である。あるいはオーシャンビューではない部屋を0円にする旅館やホテルも出てきて、話題に乗るだけの目的も同様である。
「わけあり商品」を日常化、システム化した先駆者はOKストアであり、旅行代理店のH.I.S.であろう。あるいは最近ではTV東京のソロモン流で紹介された「鎌倉シャツ」のように上質なシャツを半分以下の4900円で販売している。1万円以上するであろうシャツを、されど買い求めやすいようにと工場直轄で作られたシャツである。こうした企業は愚直なまでにポリシーを貫いており、一朝一夕ではエブリデーロープライスはなし得ない。つまり、奇をてらった「わけあり商品」のブームもそろそろ終わったということだ。

少子高齢化の特徴の一つは単身世帯の増加であるが、既に昨年65歳以上の高齢者の単身世帯と夫婦二人世帯が1000万を超えた。人口は減少へと向かってはいるが、総世帯数は増えている。特に、東京の場合は人口も世帯数も増加している。つまり、従来の消費の中心にファミリー、家族をイメージしていたが、この10年間個人を対象としたマーケティングへと変貌してきた。その象徴として、「一人鍋」がヒットし、「ひとりっち」といったキーワードが流行った。私の場合は、そうした個人化社会の進行に伴い、「個族」と呼び、あらゆるものの単位革命が必要であると、このブログにも書いてきた。
それまでの物理的単位、量、サイズと共に、時間単位、スペース単位、あるいは金額の単位、それらの小単位化が進行してきた。それらは「食べ切りサイズ」「飲み切りサイズ」といった具合であったが、それらを称して私は「個人サイズの合理主義」と呼んできた。1990年代の個性化といわれた時代を経て、2000年代に入り好き嫌いを物差しに、若い世代では「私のお気に入り」というマイブームが起きた。しかし、周知のように中流層の崩壊といった経済的理由や就業への不安などによって急速に「お気に入り」から「がまん生活=身の丈消費」へと移行した。そして、その個人サイズの合理主義の延長線上に実は質的変化が出てきた。今回のエコカー減税などにより車が売れているが、それは購入時における助成もあるが以降使用するガソリン等の費用がかなり軽減する、結果お得な買い時商品という合理的な価値観によるものだ。
今、都市部で住宅を購入する場合、従来の戸建住宅とマンション、新築と中古、といった違いを第一の選択理由に挙げる購入者は少なくなっている。最近ではリノベーション住宅が人気となっているように「自分仕様の暮らしを安く手に入れる。」といった理由で、そこには新築と中古といった価値観はない。ある意味、所有価値ではなく、使用価値を第一とする合理主義と言えよう。そうした意味で、今後はエコ単位とか、旧来の概念にはない新しい合理性に基づいた単位へとライフスタイルが変化していく。高機能商品群について書いたように、便利なようだが使いこなせなければ結果損をしてしまうということに気づき始めたということだ。また、今年の夏、エアコンがエコポイントがついたにも関わらず売れなかったが、補助的な除湿器が売れたと言う。あるいは今年の冬の暖房器具類については個人用の電気カーペットを始め個人サイズ商品のものが売れると予測されている。これも新しい個人サイズの合理的商品と言える。

さて、前頭についてだが、前述の「自分仕様の合理性」といった価値観には、トレンド消費からロングライフ消費への志向が読み取れる。もはや、「目的買い」があるだけで、話題にのった「ついで買い」はない、という時代に入ったということだ。
その「目的買い」の一つが、ロングライフ、永く使い続けられる商品、継続して利用したいお店ということだ。手に馴染む、身体にフィットする、何回食べても食べ飽きない、そんな商品づくり店づくりのためにも、顧客に対し「たかが価格、されど価格」の時代にふさわしい価格を用意するということである。顧客の側も永いつきあいをしたがっているということだ。そのための価格である。キリギリスよりアリ、冒険より安定、変革より保守、不満より不安、大より小、言葉より実感、・・・・こうしたキーワードがあてはまるライフスタイル観である。
これを顧客との関係として表現するならば、「アリ」とは愚直なまでにこつこつと役に立とうとすることだ。「安定」とは、いつ行っても驚きはないが、期待通りのものがある。「不安」とは、安心を強く求めており、そのための情報を常に公開し続ける。「小」は入り口であり、永く付き合うための「小価格」であり、「小サイズ」である。そして、何よりも「実感」、使ってもらうこと、食べてもらうこと、体験してもらうこと、そのための工夫が必要である。もし、バッド商品という言い方をするならば、この全く逆の行き方を選んだメーカー、流通ということである。

やっとマスメディアのコメンテーター達もデフレ状態にあることを認め始めた。私に言わせれば、資源輸入国の日本の場合は川上ではインフレ、川下ではデフレ、というねじれ状態が生まれ、何をもって判断するかが難しいが、消費という場面では既に2年ほど前からデフレとなっている。前述の「自分仕様の合理性」ではないが、財布の中身と相談しながら家計の計画経済を行っているのが生活者である。それを私たちは巣ごもり消費と呼んできた。以前、「ハレの日」と「ケの日」があり、消費は大きく「ケの日」へと振れてきたと。つまり、日常使い、普段使いに消費の重点が置かれ、「ハレの日」は減少する。今年もお歳暮のシーズンとなったが、お世話になった方へのギフトではなく、ミーギフト、自分へのご褒美としてシフトされている。バレンタインデーしかり、勿論中元もそうであるが、この時位はという自身への「ハレの日」としてある。意味的に言うならば、例えば百貨店は「ミーギフト売り場」であり、特別な日のための売り場ということである。既に、「自分仕様の合理性」の物差しの中には、お歳暮という考えは入ってはいないということだ。例えば、一昨年の年末のデパ地下ヒット商品であったのが正月のおせちセットであった。年末年始の旅行は止めて、自宅で正月を迎えるものへの代替消費、マイファミリーギフトとしてあった。巣ごもり生活であればこその、一つの合理的な消費移動である。

今年の冬、百貨店で何が売れるか売れないかを注視していくが、その視座は「自分仕様の合理性」という価値観の見極めである。何が自分にとって合理で、何が非合理なのか、その時「たかが価格、されど価格」はどうであったか、そしてどんな消費移動を見せるかをである。(続く)  


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2009年11月08日

2009年バッド商品番付(1) 過剰な時代のマーケティング

ヒット商品応援団日記No417(毎週2回更新)  2009.11.8.

今回はヒット商品の裏側に潜む落とし穴、ある意味反面教師として見て欲しいこともあり、バッド(顧客評価に合致しない)商品を日経MJ風に番付をつけてみた。特に良かれと思って商品化したが、顧客が求める要請にずれていたり、安易に顧客要望に従ってしまったことによる落とし穴、こうした商品を取り上げてみた。

東の横綱 GMS業態
西の横綱 民放バラエティ番組

東の大関 ドン・キホーテ680円ジーンズ
西の大関 おまけ付き女性雑誌

東の関脇 シニアのコンビニレジャー
西の関脇 高機能商品群

東の小結 ・・・・・ 
西の小結 ・・・・・ 

東の前頭 ・・・・・ 
西の前頭 ・・・・・

東の横綱のGMS(総合スーパー)業態については、既に10数年前から曲がり角に来ており、いくつかの手が打たれてきた。しかし、今年に入り、いち早く下取りセールなどを取り入れ成功させたイトーヨーカドーですら初めての営業赤字となり、イオンも同様の赤字事業だ。GMS業態の活路はPB商品の拡充というところだと思うが、特に衣料部門において価格を含めユニクロなどと競争しえるかどうかがポイントとなる。そして、今年の春からのジーンズ競争やヒートテックやパワーウォームといった暖か下着競争の結果でこれからの業態転換の行方が決まる。
また、こうしたMDのPB化、SPA的MD以外ではウォルマートの傘下に入った西友のようなエブリデーロープライス業態であるが、いち早く確立したOKストアを見ても分かるように、2〜3年でシステムが確立できるものではない。都市部に中型店舗の多いイトーヨーカドーの場合は、こうしたエブリデーロープライス型の「ザ・プライス」への転換が更に早まると思う。つまり、GMS業態は一部は残るにせよ、既に終焉したということだ。ちょうどファミレスの象徴であった「すかいら〜く」が幕を閉じ、クローズしたファミレスを居抜きで買い取り急成長しているステーキレストラン「けん」(=ディスカウンター業態)と同じ構図である。既に破綻をしたダイエーが三越を抜いて小売業NO1となったのは1972年であった。その革新的であったGMSという業態も終焉を迎えている。

西の横綱の民放バラエティ番組であるが、これは言わずもがなである。「TVが消えてなくなる日」のところでも書いたが、若い世代のTV離れが激しく、年代順の使用メディアでいうと、携帯>PC(パソコン)>TVという順になる。現在のTVのコア視聴者はシニア層、65歳以上であろう。しかし、民放各局は騒々しいバラエティ番組と取材力を持たない2次情報による報道番組ばかりでシニア層からも更にそっぽを向かれていくであろう。シニア層に的を絞ったNHKが安定した視聴率を稼いでいるのと対照的である。
民放各局は経費を抑えるために、安い芸人を使った「バラエティのディスカウント」業態のような放送、もしくは例えば過去の高視聴率番組であった「8時だよ!全員集合」のような番組の再再?放送や昭和の名曲を取り上げるといった過去の財産を食いつぶすていたらくである。勿論、TVメディアが相対的価値を落とし続けるとは思うが、多様で過剰なメディアの時代にあって従来の既成を自ら壊さない限り、その価値を落とし続けるであろう。

さて、大関であるが、東西共に追随する類似ビジネスの悪しき事例である。まずドン・キホーテ680円ジーンズであるが、ユニクロやイオン、ヨーカドー、西友といったジーンズ競争という話題に乗ることだけが目的で、売り出したジーンズの本数1万本がそのことを表している。ドンキ・ホーテは従来の概念には無かった異質なディスカウンターであった。深夜営業のDSという競争無風地帯の開発、コンビニの10倍以上の4万品目を熱帯雨林陳列、まるで宝探しのような新しい買い物感を創造する、小さな売り場に担当責任者を置き仕入れから売り場づくり、結果としての売上を1人で行う小さな単位経営の良きモデルとしてあった。つまり、既成に対する革新者として登場し、顧客支持を集めてきたのがドン・キホーテであった。低価格という時代の風にのっているとはいえ、増収増益という数少ない小売業の一社である。しかし、敢えて言うならば、革新者であり続けて欲しい、大企業病になってほしくはないということだ。

このブログにも書いたことがあったが、廃刊、部数を落とし続ける雑誌業界にあって、唯一部数を伸ばし利益を挙げているのが「おまけ付き雑誌」の宝島社である。その後追いであろうか、「モア」を始め多くの既刊女性誌が続々と「おまけ付き雑誌」へと変貌している。雑誌も例外でなく、全てが「わけあり競争」市場になり、その内容次第で物(雑誌)が買われる、そんな市場へと移行している。その「わけ」は単なる「こだわり」ではなく、ある意味ここまでやるのか、こんなおまけなのか、といった常識を超えた「わけ」が購入を促進させる。
従来は編集長のセンスと編集者ネットワークで雑誌(商品)を創ってきたが、宝島社の場合は「おまけ」もさることながら、編集内容それ自体が明確にセグメントされた女性に向けた「わけあり情報雑誌」づくりが行われている。つまり雑誌業界で初めてマーケティングという手法を取り入れ、それに付帯した「おまけ」がつけられただけである。編集長とは編集のプロではなく、優れたマーケッターでなければならないということだ。雑誌の本業、「わけあって、こんな情報を掲載しました」という雑誌づくりではなく、単なる「おまけ付き」雑誌であるならば、「おまけ」に左右される一過性のものでしかない。つまり、一番重要な継続性がないということだ。

ところで、今年の7月北海道大雪山系のトムラウシ山・美瑛岳でシニア世代を中心に10人が遭難死した。夏山ということから軽装での登山で荒天による寒さが死に至らしめたと報じられた。そして、自然の恐ろしさを甘く見た旅行会社・ガイド、更には登山参加者に対し、気軽に便利な登山旅行の持つ危険性について「コンビニ登山」として問題指摘された。
10数年前からシニア世代の隠れたレジャースポーツの一つが登山・山歩きであった。東京では登山クラブの待ち合わせ場所としてJR八王子駅が有名で朝方にはシニア世代で溢れる状態である。マスメディアに取り上げられることは少ないが、この元気なシニア層が消費を下支えしている。特に、都市部におけるこうした消費の多くは、まさに手軽に気軽に、そしてリーズナブルな価格で提供されている。東京成城にある家庭菜園のクラブには道具のレンタルや指導員によるサービスばかりか、農作業の後のシャワー施設まで完備されている。こうしたコンビニ農業とでもネーミングしたくなるようなビジネスが至る所に浸透した。つまり、興味がそのままストレートに体験へと移っていけるコンビニ的便利さには、北海道大雪山系トムラウシ山の事故のような落とし穴が常に潜んでいることを教えてくれた。

こうしたシニア世代の課題と同様に、家庭用電化製品はデジタル化の進行と共に、便利さがスイッチ一つで得られるようになった。その代表的商品が高機能商品群である。既に、携帯電話では高機能商品と単機能商品とに分化したが、I Hヒーターを先頭に電子レンジ、炊飯器、圧力釜、冷蔵庫、洗濯機、地デジ対応薄型TV・・・・・こうした製品群にも便利さの裏側、いや既に表へと出てきていることに「機能を使いこなせない」という初歩的問題がある。外食から内食化という巣ごもり生活が進行している中、クッキング教室が見直され流行っている背景の一つがこうした使い方学習、あるいは方法論学習である。各社共にカスタマーサービスを充実させようとしているが、既に体験学習の領域まで踏み込んでいるメーカーもある。誰でもが操作が簡単と思っている洗濯機の使い方を含め洗濯教室が開催されつつある。
当たり前のことであるが、こうした高機能商品も道具である。以前、ブログにも書いたが、一昨年位から土鍋が静かなブームとなっている。その背景には道具の原点に立ち戻り、和の合理性に着目したからである。更に付け加えれば、有機野菜は当たり前となり、日本古来の固有種の野菜に人気が出ているが、これも「どう調理したら良いのか」、使いこなす調理法とそのメニューが具体的に用意されないと、高機能商品群と同じである。つまり、とことん使いこなす時代になったということだ。

今回は東西の横綱、大関、関脇について書いたが、勿論番付といった観点ではない。モノもサービスも過剰な時代にあって、革新の継承の難しさ、顧客の変化にどう向き合えば良いのか、という課題がある。大企業もそのスタートは零細企業であった。町のパン屋さんもお惣菜屋さんも、人気商品が次第にその売上を落としていくことに向き合うことと同じである。あるいは便利な時代へと向かっていくことの中に、落とし穴も存在する。実はマーケティングそれ自体が問われていると思うが、その第一番目である「誰を顧客とするのか」、「市場をどう特定するのか」という原則が極めて重要な時代となった。(続く)  


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2009年11月04日

ブランドも原点に帰る

ヒット商品応援団日記No416(毎週2回更新)  2009.11.4.

ブランド価値、無形の資産ブランドという考えがビジネスに導入されてきた背景には、同じ機能を持つ商品がA社では100なのに、何故B社では120なのかという、誰もが持つ心理的価値に着眼してきたことによる。その心理的価値とは何かであるが、結論から言えば「人は皆、記憶の生産者である」ということにつきる。多忙な日常の中で記憶はある時何かに触発され、「思い出すこと」によって記憶は深く刻まれる。
名著「胎児の世界」(三木成夫著 中公新書刊)に書かれているような人類の生命記憶と共に、人の心に刻み込む何事かによって創られる(生産される)記憶もある。後者に多くのマーケッターは着眼し、人間心理に刷り込むようなマーケティング、残像効果を発揮させる手法、そんな記憶に残る思い出づくりをテーマとしてきた。その中心にブランドマーケティングを置いてきた。

この10数年間、和回帰や昭和回帰を始め、多くの回帰現象が至る所で見られた。回帰とは記憶をたどることであるが、その中心は団塊世代であったが、若い中学生にも回帰はある。例えば、一時期コンビニのヒット商品となった「揚げパン」は小学校時代の給食に出された揚げパンの記憶によるものである。それを私は「思い出消費」と呼んで、どの世代にも等しくある消費であると書いたことがあった。
あるいは、思い出時間は遠い過去の記憶ばかりでなく、少し前の近過去の記憶もある。古い話で恐縮であるが、コンビニの創成期には、夕方になったら電球や電池をカウンター近く目につくところに置け、と言われてきた。夕方暗くなり、そう言えば電球が切れていたと店頭を見て思い起こさせる方法である。市場が心理化したと言われるのは、こうした記憶を呼び起こさせるマーケティングのたまものでもある。

こうしたマーケティングの成果を踏まえ、あらゆる領域でブランドが生まれた。国、街、エリア、あるいは横丁に至る場所から、商品においてはそのほとんどがメーカーによってあるいは流通によってブランド化された。更には、カリスマという言葉に象徴されるように、人ブランド、あの人が作った商品といったように、継続した情報発信力によって全てがブランドとしてマーケティングされてきた。前回取り上げた地域ブランドもそうしたブランドの一つである。いわゆるメディア化社会の特徴でもあるが、ブランド競争は情報競争、実体としての固有のモノ価値からどんどん離れてしまった。過剰な情報競争に勝ち抜くには話題になることだと、それにはTVメディアに取り上げられることだと、ブランドの本質に根ざさない世界へと向かってしまった。
しかし、10年間で100万円所得が減ったことを見ても分かるように、消費は所得の関数という事実は1年半ほど前からブランド消費においても顕著となった。特に、話題づくりこそブランド化への第一歩とするようなブランドは急速に市場から消えていった。そして、ハイブランド、スーパーブランドというブランドはアウトレットで買われ、20〜30%程度売上を落とし、いくつかのブランドは中国市場へと方向転換を計っていることは周知の通りである。

ところで、先日象徴的な出来事がまた一つ起きた。戦後の高度成長期という豊かさを追い求めた時代の象徴であったファミレスの元祖的存在であった「すかいら〜く」の最後の一店がクローズしたというニュースである。その時代的な意味合いについてはここでは触れないが、すかいら〜くを始めとした飲食業界では「価格帯業態」について明確な考え方をとっている。すかいら〜く業態は顧客単価1000円、ガスト業態は顧客単価750円、ちなみに500円業態はテイクアウト業態で(お弁当+お茶)、ファストフーズ、コンビニ、スーパー、町の総菜店など大激戦市場となっている。すかいら〜くの閉店は1000円から750円へと顧客要望が変わったということである。
ブランドもこうした価格帯市場と無縁ではなく、兄妹ブランドとしてg.u.を発売したユニクロにはこうした価格帯市場を見据えたもので、その戦略性は高く評価したいと思う。

さて、課題は価格帯市場が進展するなかで、ブランドを育て創る顧客心理の今である。その前に考えなければならないことは、ブランドを育て創るということはどういうことであるかだ。「記憶」というキーワードをスタディしてみたが、ブランド経験、単に商品を買ったということではない記憶に刻まれた何か、そのことにブランド担当者は思い至らなければならない。育てるとは「ブランドの記憶を思い出すこと」であり、そうした記憶を伝承することだ。単純化してしまうが、ブランドを育てるとはその「記憶の継承者」をいかにつくっていくかである。
記憶は個人的なものとしてある。そんな個人の思い等付き合ってはいられない、これが誰しもが思うことである。しかし、たしか中国のことわざに「聞いたことは忘れ、見たことは覚え、したことは理解する」とある。体験、体感したこと、言葉では表しきれない個人的なこと、そのような感動、感激、感謝が記憶をつくってくれている。少し前まで、感動マーケティングとか、感動経営といった書籍が出されていたが、こうした背景からである。しかし、その多くはテクニックが中心となっていたため、価格帯市場を打ち崩すまでには至らなかった。

記憶に残る、深くこころに刻み込まれる何か、それがブランド再生への道となる。過去、多くのブランドについてスタディをしてきた。シャネル、ティファニー、ロレックス、SONY、・・・・その創業者の精神がどのように受け継がれてきたかをである。結論から言うと、明確なポリシー、理念、ミッションをもった人、生きざまをビジネスとしてきた人、そう表現できる。そして、全てのブランドに共通していることは、創業当時周りの人からは奇人変人扱いされてきた。例えば、とびっきりの奇人変人であったシャネルであるが、そのシャネルフアンは時代に向き合い既成に対し激しく戦う生きざま、その生きざまに共感する。シャネルの服を着るとはそうした生きざまを纏うことに等しいということである。シャネルの生きざま記憶と自身のブランド体験記憶とが重なることによって、深くこころに刻み込まれるということだ。
ブランドが再生する道はただ一つ。創業の精神に立ち戻ること、その生きざまを「今」に重ねてみることだ。それは前回取り上げた地域ブランドも同じである。単なる産地識別表示としてのブランドではなく、その地域はどんな生きざまを「何か」を通して見せることができるか否かである。日経リサーチによる地域ブランドの第1位は「讃岐うどん」であった。つまり、無数にある町の讃岐うどん屋さんが一店一店独自なうどんを提供するという地域の生きざまが見えるということだ。押し寄せる価格帯市場に対し、奇人変人と呼ばれようとも自身のポリシーに生きる、一人の顧客に対し愚直にがんばる、そんな生きざまをもって向かっていくということだ。(続く)  


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2009年11月01日

地域ブランドの再創造へ

ヒット商品応援団日記No415(毎週2回更新)  2009.11.1.

前回、隙き間市場、小さな市場に対し、ブランドマーケティングを行っている事例について書いた。ブランドというと、「固有のらしさ」が過去もそうであったし、今も未来もそうであるであろうと期待を膨らませてくれる他とは違う新しい価値として総称してきた。それを商標という財産、別な表現をすれば暖簾といってもかまわない。そうした無形の財産を創るためにマーケティングをしてきた。ここではブランドの再生といった一般論を語る気は一切ないが、一つだけブランドの盛衰に共通していることは、マスプロダクト化、日常化すればするほど、そのブランドとしての固有性は陳腐化していくという事実である。

2006年4月に商標法の改正が行われ、地域名をつけた商標が登録され、町おこし、地域団体起こしに活用されるようになった。商標ではないが、地名をつけた街に銀座がある。昨年秋、H&Mが銀座に進出した時にレポートしたが、ユニクロやZARA、GAPといった量販カジュアルブランドと世界のハイブランドのフラッグショップが混在し、まだら模様の如くに変貌したと。更には、300円弁当戦争に乗り遅れまいと、デパ地下では500円弁当が売られ、スーパーの特売セールの如き売り出しが日常的に行われる。低価格という波が銀座の街に押し寄せ、以前とは異なる表情を見せ、全国の主要都市も同様の傾向となっている。

マンゴーブームの土台を作ったのが沖縄マンゴーでファインフルーツ沖縄が知られているが、宮崎マンゴーが舞台に上がり、最近では宮古島マンゴーも出てきた。価格帯が高いということから、松阪牛以降、各都道府県のほとんにブランド牛がある。農水産物の多くが地域名がつけられたブランドとして登録されている。
しかし、一方ではこの一年半ほど前から指摘してきているように、わけあり商品ブームが続いている。極論ではあるが、地域ブランドの多くは、単なる識別=産地表示のためだけで、「固有性」としての価値は価格に反映されていないということである。

私は好きで沖縄によく行くが、頻繁に行くようになってから10年になる。当時の沖縄のイメージは、「長寿の島」、「癒しの島」、であった。長寿の島について言えば、雑誌サライを始め健康食がテーマとなり、その代表的な食として那覇安里の「あしゃぎぐわ〜」が取り上げられた。しかし、実態は正反対で、平均寿命は女性は全国NO1であるが男性は25位、肥満率は男女共に全国NO1、糖尿病の死亡率も全国NO1、という非健康県である。これは人口1人あたりのファストフーズ店が全国NO1であることと、移動全てが車であると言われている。そして、ホテルや観光ガイドに載っていない、ごく普通の食堂で食事をすればすぐにわかる。それは、その量の多さにである。

1980年代後半、リゾートが大きなテーマになっていたこともあり、以降沖縄のホテルには体験すべくほとんど1回は泊まってきた。万座ビーチホテルもその一つであるが、キレイな白砂のプライベートビーチがあるが、他の場所から白砂を運び人工的に作られたものである。後に沖縄の知人から聞くと、沖縄の人は海では泳がない、ビーチはバーベキューパーティをする場所とのこと。つまり、極論ではあるが観光客にとって癒しの島はリゾートホテルの中だけということだ。もう一つの沖縄、知らない沖縄がいかに多くあるか、オキナワフリークの私ですらまだまだ多い。沖縄の海が何層にも緑や青みがかった色に映るのは、海底の砂の色が反射してのことで、その砂のほとんどが珊瑚で、世界でも珍しい海である。また、その珊瑚が危機に瀕しているのも、もう一つの癒しの島の実態である。

今年1月にまとめられた日経リサーチ「地域ブランド戦略サーベイ」(http://www.nikkei-r.co.jp/area_brand/index.html)によると、地域・街や名産品のブランド力の総合評価としては、沖縄は北海道、京都に次ぐ3位となっている。訪問者の満足度では沖縄が第1位となっている。しかも、観光地別では10位以内に4つの離島がランクインしている。ホテルリゾートという人工的に作られたものとはいえ、まだまだ手つかずの自然が残る離島=沖縄固有の海への評価は極めて高い。しかし、名産品、お土産となると極端にその評価は下がる。やっと26位に黒糖がランクインするだけである。ちなみに第1位は讃岐うどんである。
一方、沖縄県民自らが挙げた名産品は、第1位沖縄そば、第2位讃岐うどん、第3位ちんすこう、となっている。が、全国ランキングになると沖縄そばは71位、ちんすこうは56位となっている。つまり、沖縄県民の評価と全国評価とでは全く違うということである。

都市生活者が求める価値と地方がこれは良いと考えるものとの間には大きな違いがある。今回は沖縄を取り上げたが、持っている資源が単なる観光産業だけに終わり、他の産業へと波及していないということだ。誰でもが指摘していることと思うが、地方の人口が流出する時代にあって沖縄の人口は増え続けている。その多くは移住者である。しかし、石垣島の住宅乱開発など、私のブログにも”団塊様、お断り”とコメントが寄せられている。沖縄の人達は、人懐っこくシャイで、こちらが心を開けばその分心を開いてくれる、そんな程よい関係をつくってくれる人が多い。しかし、その奥底には、過重な基地負担、遡れば薩摩侵攻から明治政府による琉球処分・・・・その端的な表現として今なお「うちなんちゅ〜」(沖縄人)と「やまとんちゅ〜」(本土の人間)という言葉が使われている。こうした都市と地方の溝はどの地方にもあるのだが、顧客が求め、満足する多様な資源を生かし切ることこそが地域ブランドとなる。年間600万人の観光客、その大半が中学の修学旅行という壁を乗り越えるには、観光を入り口とした産業化であり、回数多く訪れてもらうための沖縄文化ビジネスの確立であろう。それが「沖縄という固有性」を保持し、発展させていくこととなる。

地域ブランドが単なる産地識別名になっているのは沖縄だけでなく、多くの地方でも同様である。2006年以降、様々な地域ブランド商品が生まれた。なんとか全国へと浸透させるためにTVメディアの取材を受け、一時的には売れたと思う。しかし、その数ヶ月後には言わずもがなである。地域の固有性とは何か、当たり前の話であるが顧客評価、ブランドは顧客が創るのだ。地元の人達はそれに応え、固有価値を磨くために、更に固有と言うテーマを進化させる。そこに産業化への着眼がある。沖縄で言えば、温暖な気候はリタイアしたシニアにはうれしいものである。できれば冬場だけの長期滞在型のコテージのような施設があったらと思っていた。今、北部金武町の米軍跡地に医療と癒しを融合させた「リゾート・リバビリテーション」をつくる構想が練られていると聞く。過重な基地負担とは、逆に基地依存でもある。こうした跡地利用という解決には、「長寿の島」復活にも大いに役に立つ。
少し長くなったのでここで終わるが、消費が巣ごもり状態の今、一度立ち止まって考えることも必要であろう。(続く)  


Posted by ヒット商品応援団 at 14:07Comments(0)新市場創造