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「人力経営」という本を書きました。ヒット商品の裏に潜んでいる「人」がテーマです。取材先はダスキン、エゴイスト、野の葡萄、叶匠寿庵、桑野造船の経営リーダー。ユニーク、常識はずれ、そこまでやるのか、とにかく面白い経営です。星雲社刊、735円、新書判。

2007年03月14日

世代文化の衝突 

ヒット商品応援団日記No148(毎週2回更新)  2007.3.14.

今、川内康範氏と歌手森進一との間の「おふくろさん」騒動が報道されている。著作権や知的所有権、あるいは作詞家と歌手といったことは別にして、その根本には戦中世代である川内康範氏と団塊・戦後世代の森進一との間のいわば文化価値、生き方価値の違いによる衝突のように私には見える。川内康範氏のことばから図式化すると以下のように見えてくる。

森進一/私人・経済(=計算)  VS  川内康範氏/公人・社会(=思い)

「今」という時代の価値観の違いが明確に出て来ている。その違いとは川内康範氏のおふくろさんは広く「社会のおふくろさん」となっており、森進一自身の「私のおふくろさん」ではないという違いだ。どちらを善とするのかといった論議ではなく、ここには戦後の社会価値観のあり方の違いが明確に出て来ている。今回の川内康範氏の発言を聞くにつけ、昨年のベストセラー「国家の品格」を書かれた藤原正彦氏の思想を彷彿とさせるものである。今の社会の荒廃は戦後の近代合理主義によるもので、自己中心的な考えに対する指摘である。川内康範氏の憤りは歌手森進一個人というより、その背景となっている「近代化」された戦後日本に対してであるように思える。つまり、近代化によって取り残された人々や押しつぶされた人々といったネガティブな面を取り上げて来たのが戦後文学であり、演歌であった。しかし、豊かさと共に、演歌が艶歌であり怨歌であった時代は終焉していく。女性が虐げられて来た時代ではもはやなく、歌謡曲は衰退していくが、その融合はニューミュージックからJ.ポップへと受け継がれて来ている。

豊かさを背景に7〜8年前から「マイブーム」が若い世代を中心に起きる。全てを「私のお気に入り」商品として、生活を埋め尽くすブームである。「ジコチュウ」ということばはごく自然に使われるようになる。本来、個人化とは自律し自立する世界であったのだが、次第に私人化し、そんな時代の風潮に対する戦中世代の憤りが社会のあちこちから吹き上がりつつある。自然を始め、近代化によって失われたものを取り戻すという大きな潮流にはあるが、今なお問題があるとすれば、自分さえ良ければといった身勝手な私生活主義に陥っている点であろう。
ところで、敬語が混乱していると文科省はじめ様々なところから指摘されている。ことばの問題というより、人間関係の混乱といった方が正確である。戦中世代にとって、目上目下という関係の第一は年長者であるか否かである。年長者は経験を重ね年長であるが故の正しい判断ができることから、敬われ目上として敬語の対象となった。しかし、その経験はデジタル化された情報化社会にあって、いとも簡単に経験を上回る時代、精度ある判断ができる時代となった。全てがフラット、横並び関係で、ライブドア事件においてホリエモンが部下の宮内氏に対し、「宮内さん」と呼び、仲間関係を表現していたことを思い起こせば十分であろう。会社でも、家庭でも個人と個人との関係しか残っておらず、敬語が混乱するのも当然と言える。

タイトルに世代文化の衝突と書いたが、その本質は大きく言えば戦後の西洋近代化、近代的自我によってもたらされた価値観との衝突である。こうした背景はあの養老孟司さんが「無思想の発見」(ちくま新書)で書かれているので興味ある方は読まれたらと思う。私も団塊世代、戦後世代の一人であるが、高校時代の国語で読まされた本で今なお記憶に残っている1冊がある。丸山真男さんが書かれた「日本の思想」である。日本文化の特殊性を「雑居文化」とし、戦争といった大きな事件に遭遇すると、雑居であるが故に突如として日本古来の思想へと先祖帰りする。何千年として受け継いで来た自然思想、仏教思想と明治維新後の外来近代思想とが並列同居し、一つの文化にまでなっていないという指摘であった、と記憶している。確かに、今日の和ブームも「ミニ先祖帰り」のようなもので、また新しい「洋」の世界へと戻って行く傾向はある。しかし、和と洋の文化が雑居から雑種へと、新しい文化創造の時代へと向かっていると私は思う。若い世代はこうしたことを微妙に感じ取っている。焼き物、染め、宮大工、・・・匠として伝承され今なお残っている「道」に修行する若者も多い。京都の町家に住みたいと仕事場を京阪神に求め移住する若者も多い。文化はその時代によって常に変化していく。その変化を庶民の生活を通して見て行こうとする民俗学者、あの異端の歴史学者網野善彦さんの後継者である赤坂憲雄氏は「東北学」を実践している。前回取り上げた沖縄久高島に伝わる「海の民の文化」を記録し続ける、私に言わせれば「沖縄学」を実践している人達もいる。丸山真男さん流にいうと、和と洋の世界を「である」とするのではなく、その場に身を置いたり、実践したり「する」ことによって新しい日本文化、雑種文化が生まれてきていると私は思っている。前回取り上げた土鍋も、洋のガスで炊く和の合理的道具で、雑種文化道具と呼んでもおかしくはない。いずれにせよ、川内康範氏のいう「愛は無償であり、極まるところ情死である」、この和のこころに戦後世代は正面から向き合わなければならない。つまり、雑居から雑種へと向かう「日本学」が希求されている。(続く)

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Posted by ヒット商品応援団 at 13:53│Comments(0)新市場創造
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