2021年05月16日
根拠なき抑制の破綻
ヒット商品応援団日記No788(毎週更新) 2021.5.16.
3回目の緊急事態宣言、GW期間を挟んだ短期集中を目的とした感染拡大対応策を終え、5月末までの延長が実施されている。大阪における感染が拡大し医療崩壊が深刻化しつつあることは知事会見を始め報道の通りであろう。この緊急事態宣言の狙いは「短期集中」と共に「人流」を止めることにあった。しかし、宣言のエリアは愛知、福岡、北海道、岡山、広島へと更に拡大し、まんえん防止策の地域も同じように拡大、つまり「全国」へと広が理、宣言及びまんえん防止措置エリアを入れると全国の43%に及ぶに至っている。
こうした中、政府と自治体との間の「考え」の違いが具体的な防止策の問題として露呈している。その一つが東京都の防止策で、例えば演劇やプロ野球などは人数制限など限定的に緩和するが、映画館や美術館が休業、と言ったように支離滅裂な「考え」が露呈している。「人流」を抑制することが目的であるが、何故演劇は緩和で、映画館は休業なのか、その根拠が説明されないまま押し通す始末である。
そうした行政、東京都の「考え」を推測してとのことと思うが、生活必需品以外は休業との要請に対し、高島屋を始め東京都のほとんどの百貨店は、宝飾品・美術品あるいはゴルフ用品などを除外した商品を「生活必需品」とし、ほとんどのフロアで営業を再開している。極論を言えば東京都の「考え」とは異なる自己判断によるビジネスを始めたと言うことである。
実は日本百貨店教会の売り上げなどの公開情報では1月からの緊急事態宣言が解除された3月の売り上げは21.8%増と18か月ぶりのプラスとなった。前年の新型コロナウイルス感染拡大による臨時休業や時短営業の反動に加え、緊急事態宣言の解除や、各社が企画し た会員向け施策等が寄与したことによる。こうした消費の回復傾向は家計調査にも明確にでている。3月の二人世帯以上の消費支出は6.2%で、1月は▲6.1%、2月は▲6.6%である。当たり前のことであるが、緊急事態宣言の発出は「消費」に多大な影響を及ぼしているということである。生活必需品の見直しは百貨店経営が危機的な状況になりつつあるあると言うことを表していると言うことだ。飲食店がテイクアウトへを取り入れたのと根っこは同じである。
前々回のブログでGWにおける生活者・個人の行動、特に不要不急の代表的な「旅行」について取り上げた。繰り返し書くことはしないが、コロナ禍の1年、学習した人達は感染していないエリア、あるいは感染しにくい移動の方法で、旅行を楽しんでいる。つまり、都心の夜の人出は減ってはいるが、昼間の人流は減るどころではなく、逆に増加しているということである。菅総理のコメントに都心の人流は減少したとあるが、これも当たり前のことでGW期間中に夜の繁華街に出かけることなど極めて少ない。横浜のみなとみらい地区のように周辺の観光地には多くの人出が見られ「分散化」しているだけである。学習してきた生活者・個人はある意味自己判断で動きは始めたということだ。その背景は分科会の尾見会長が言うように、「人流」抑制には感染を減少させる根拠がないと言うことからである。
生活者のこうした反応は今回の百貨店の判断対応と見事に付合している。それは「生活必需品」の解釈として、百貨店として「必需」は何かを明確に示し売り場を作ったと言うことである。1970年代百貨店は貧しかった戦後日本が経済成長を果たし「豊かさ」を手に入れつつあった時代の代表的な流通であった。それは以降生活にとって豊かであるための「必需」商品、必要な業態であった。それは百貨店にとって「当たり前」のことである。
問題は「人流」抑制ではなく、「感染」防止に更に努力すると言う判断である。周知のように百貨店は感染者が出た事実に対してはHPにその都度公開し併せて対策も講じている。勿論、結果としてクラスター発生を起こしてはいない。制限付きの観客を入れたピロ野球がクラスターを発生させた日ハムとは対照的である。
周知のようにこうした感染対策は飲食事業者など1年間を通じて行ってきた。時短営業は勿論のこと、今回の措置であるアルコール禁止であっても、例えばビールを売り物にしているビールバーはノンアルコールを出して営業している。飛沫感染対策として、アクリル板の設置から始まり、席数の制限、換気扇の設置・・・・・・・今度「人流」のための休業措置。おそらく6月には破綻する飲食店は続出するであろう。それでもランチ営業やデリバリー活用で商売していく店もあるかもしれない。しかし、こうした「不公平さ」は歴然として明らかになった。
人流を止めるなら鉄道など公共交通を止めるしかない。実は東京都の要請でJR東日本が鉄道本数を減らす減便を行なったが、減便の前後の車両はスシ詰め状態でそれこそ感染を拡大する危険な「密」状態を生み出し、結果元のダイヤに戻した。そんなことは当たり前のことで、次なる施策は何かと言えば、再度テレワークの推進となる。そのテレワークの実施実態は都のHPに掲載されているが、都の担当者による聞き取り調査でその実行は大企業やIT関連企業は可能であるが、補助金を出されても運営するのは「人」であり、仕事のやり方を含めてゼロスタートするしかないのだ。そんな「改革」が一朝一夕でできるはずがない。ビジネス現場を知らない行政のやりがちなことで「実効性」はまるでない。(今回は取り上げないが、「改革」を進め定r企業は多数に登っている。行政に言われるまでもなく生き残ろために必死に取り組んでいる。)
少し前の3月になるが、感染拡大防止と経済社会活動の両立を図るための取組として、「コロナリーダー事業」として、東京都感染拡大防止ガイドラインやガイドブックを策定し、対策に取り組んでいる店舗等で感染拡大防止徹底宣言ステッカーを掲示してもらうなど、感染拡大防止の取組を推進していた。スタート当初から協力金の条件に過ぎない事業と考えられていたが、その実効性は現在どうであったのか。アルコールの禁止によって飲食店はどんな状況になっているのか。マスコミ、特にTVメディアは「その後」を追跡しようとはしない。泥縄という言葉があるが、全ての対策は縄のない泥まみれとなっている。今、飲食店を支えているのは、常連客による「飲食」である。顧客によって救われているということだ。しかし、残念ながら長続きはしない現実がある。
この「人流」抑制は感染拡大防止のための「手段」であった。その背景には病床の確保、新規感染者を減少させる、特に重傷者に対する救命のためであった。緊急事態宣言の実施については、政府は大きな方針を提示するにとどまり、都道府県知事による「実行」に任せることが明確になった。理屈上は「現場」を熟知している知事に権限と責任を任せることはその通りであると思う。その良き事例と思われるのが東京と大阪の「違い」である。既に報道されているので繰り返しはしないが、大阪の場合周知のように自宅待機者から亡くなる感染者が出ているように医療破綻の危機にある。こうした背景から「人流」を止めることはやむなしとする世論が大阪の場合は形成され、例えば百貨店の大阪高島屋は今まで通りの「休業」要請を引き受けている。一方、東京の場合日本橋高島屋は前述のようにほとんどのフロアは営業する道を選んだ。その理由の一つは東京の場合の病床の逼迫は大阪ほどではないという理由からだ。社会的存在である百貨店はその危機的状況にある「社会」を考えてのことだ。ある意味、生活者個人が「自己判断」して行動変容を決めることと同じである。
「ヒット商品応援団」という名の通り、必ず「ヒット」するには根拠がある、勿論、逆に廃れることにも根拠がある。この10年ほど、街の「変化」を観察し実感し、その根拠を分析してきた。例えば、あの秋葉原が「アキバ」になり世界中から「オタク」の聖地として賑わいを創ることができたのも明確な「根拠」があった。あるいは、今や若い世代の好きな街に一つとなっている吉祥寺も、ライフスタイルの変kに追いつかない大型商業施設が次から次へと撤退した街であった。しかし、そうした状況下にあって若い世代は駅前の古びた一角、昭和の匂いのする飲食街「ハモニカ横町」に「新しさ」を感じ賑わいを見せることとなった。
一方、東京にも寂れた商店街は数多くあり、シャッター通りから古びた住居が立ち並ぶ通りへと変貌する、ちょうど過疎となった中山間地のように人の手が入らない場所が猪などの棲み家になると言った変化を観察してきた。つまり、あまり大仰なことを言う気はないが、豊かさを追い求める「商業」の本質を少しだけ学んだ。商業は生活そのものであり、商業なき生活などあり得ないと言うことだ。(その根拠については拙著「未来の消滅都市論」電子書籍版を参照してください)」
今回の「人流」を止める作戦は見事なくらい失敗したと言うことだ。それは欧米のような法的強制力持たない日本という理由だけでなく、個々人、個々の企業がそれぞれ自制する判断、セルフダウンする能力を持ち合わせているということだ。東京の場合第三波における感染者が2400人を超える2という「シグナル」であり、大阪の場合は病床に収容できない状態、医療崩壊寸前状態という「シグナル」、そうしたシグナルによって「行動変容」するということだ。感染症の専門家は「人流」を止めることが唯一の切り札のようにいうが、それは教科書の世界で、現実は一人ひとりの心の中の「自制」を働かせる「鍵」を探すことに他ならない。
「自制」とは自らの「自由」を制限することであり、個々人、個々の企業ごとに持っている。政治家も行政も、その「自由」を語らなければならないということだ。コロナとの戦いとは「自由」を取り戻すための戦いであるということである。ワクチン接種がゲームチェンジャーであると言われるが、自由を取り戻す入り口、その鍵であるということだ。
ところで大阪府民の多くはは今回の宣言の延長、厳しい制限のままの延長について支持しているという。勿論、病床が逼迫し医療の破綻を感じているからである。日本における死亡数は年間約137万人。周知のように死因1位は癌であり癌にかかる人は2020年の予測値で約101万7000人。医療崩壊は早期発見、入院、手術・治療という高度な医療を受けることができなくなる。ある意味で「医療を受ける自由」がコロナによって奪われるということだ。そうした現実に対し一定の行動制限は「やむを得ない」と感じたからであろう。そして、大阪府の場合、昨年1月武漢からの中国人観光客のバスツアーで感染が発生したことを覚えているだろうか。中国人バスガイドと運転手が罹患したのだが、厚労省をはじめ大阪府も個人のプライバシーを守りながら「情報公開」している。つまりこの1年半近く府民と情報を共有してきたという背景がある。
宣言の開始後、都の職員が盛んに新宿歌舞伎町や渋谷センター街に出かけ、路上飲みを止めるよう注意して回っているが、それはTVカメラを意識してのパフォーマンスで若い世代の行動を変えることはできない。若い性こそ自制すべき「根拠」、その合理性を求めているのだ。注意された若者は都の職員に向かって「義務ばかりで、何一つ権利はないのはどうしてか」と言っていたが、路上飲みはやめた方が良いとは思うが、心の奥底には「自由」を希求する気持ちがひしひしと感じる。
政治家、行政は理屈に合わない、非合理な、公平性を欠いた「義務」を押し付けるのではなく、「自由」を取り戻す戦いの先頭に立つことこそが求められているということだ。例えば、山梨県のように感染対策を飲食事業者と住民とが共通した目標を持った「実行性」のある取り組みが行われている。私の言葉で言うと、事業者・住民が共に「自由を取り戻す」運動のようなもので、行政がそうした目標を持って取り組みを現場でサポートする仕組みとなっている。感染対策の鍵は「ワクチン」であると、しかも横浜市大の山中教授の研究から変異型ウイルスにもワクチン効果があると「根拠」を持った成果が発表された。こうした朗報もあるが、まだまだコロナとの戦いは半ばである。(続く)
3回目の緊急事態宣言、GW期間を挟んだ短期集中を目的とした感染拡大対応策を終え、5月末までの延長が実施されている。大阪における感染が拡大し医療崩壊が深刻化しつつあることは知事会見を始め報道の通りであろう。この緊急事態宣言の狙いは「短期集中」と共に「人流」を止めることにあった。しかし、宣言のエリアは愛知、福岡、北海道、岡山、広島へと更に拡大し、まんえん防止策の地域も同じように拡大、つまり「全国」へと広が理、宣言及びまんえん防止措置エリアを入れると全国の43%に及ぶに至っている。
こうした中、政府と自治体との間の「考え」の違いが具体的な防止策の問題として露呈している。その一つが東京都の防止策で、例えば演劇やプロ野球などは人数制限など限定的に緩和するが、映画館や美術館が休業、と言ったように支離滅裂な「考え」が露呈している。「人流」を抑制することが目的であるが、何故演劇は緩和で、映画館は休業なのか、その根拠が説明されないまま押し通す始末である。
そうした行政、東京都の「考え」を推測してとのことと思うが、生活必需品以外は休業との要請に対し、高島屋を始め東京都のほとんどの百貨店は、宝飾品・美術品あるいはゴルフ用品などを除外した商品を「生活必需品」とし、ほとんどのフロアで営業を再開している。極論を言えば東京都の「考え」とは異なる自己判断によるビジネスを始めたと言うことである。
実は日本百貨店教会の売り上げなどの公開情報では1月からの緊急事態宣言が解除された3月の売り上げは21.8%増と18か月ぶりのプラスとなった。前年の新型コロナウイルス感染拡大による臨時休業や時短営業の反動に加え、緊急事態宣言の解除や、各社が企画し た会員向け施策等が寄与したことによる。こうした消費の回復傾向は家計調査にも明確にでている。3月の二人世帯以上の消費支出は6.2%で、1月は▲6.1%、2月は▲6.6%である。当たり前のことであるが、緊急事態宣言の発出は「消費」に多大な影響を及ぼしているということである。生活必需品の見直しは百貨店経営が危機的な状況になりつつあるあると言うことを表していると言うことだ。飲食店がテイクアウトへを取り入れたのと根っこは同じである。
前々回のブログでGWにおける生活者・個人の行動、特に不要不急の代表的な「旅行」について取り上げた。繰り返し書くことはしないが、コロナ禍の1年、学習した人達は感染していないエリア、あるいは感染しにくい移動の方法で、旅行を楽しんでいる。つまり、都心の夜の人出は減ってはいるが、昼間の人流は減るどころではなく、逆に増加しているということである。菅総理のコメントに都心の人流は減少したとあるが、これも当たり前のことでGW期間中に夜の繁華街に出かけることなど極めて少ない。横浜のみなとみらい地区のように周辺の観光地には多くの人出が見られ「分散化」しているだけである。学習してきた生活者・個人はある意味自己判断で動きは始めたということだ。その背景は分科会の尾見会長が言うように、「人流」抑制には感染を減少させる根拠がないと言うことからである。
生活者のこうした反応は今回の百貨店の判断対応と見事に付合している。それは「生活必需品」の解釈として、百貨店として「必需」は何かを明確に示し売り場を作ったと言うことである。1970年代百貨店は貧しかった戦後日本が経済成長を果たし「豊かさ」を手に入れつつあった時代の代表的な流通であった。それは以降生活にとって豊かであるための「必需」商品、必要な業態であった。それは百貨店にとって「当たり前」のことである。
問題は「人流」抑制ではなく、「感染」防止に更に努力すると言う判断である。周知のように百貨店は感染者が出た事実に対してはHPにその都度公開し併せて対策も講じている。勿論、結果としてクラスター発生を起こしてはいない。制限付きの観客を入れたピロ野球がクラスターを発生させた日ハムとは対照的である。
周知のようにこうした感染対策は飲食事業者など1年間を通じて行ってきた。時短営業は勿論のこと、今回の措置であるアルコール禁止であっても、例えばビールを売り物にしているビールバーはノンアルコールを出して営業している。飛沫感染対策として、アクリル板の設置から始まり、席数の制限、換気扇の設置・・・・・・・今度「人流」のための休業措置。おそらく6月には破綻する飲食店は続出するであろう。それでもランチ営業やデリバリー活用で商売していく店もあるかもしれない。しかし、こうした「不公平さ」は歴然として明らかになった。
人流を止めるなら鉄道など公共交通を止めるしかない。実は東京都の要請でJR東日本が鉄道本数を減らす減便を行なったが、減便の前後の車両はスシ詰め状態でそれこそ感染を拡大する危険な「密」状態を生み出し、結果元のダイヤに戻した。そんなことは当たり前のことで、次なる施策は何かと言えば、再度テレワークの推進となる。そのテレワークの実施実態は都のHPに掲載されているが、都の担当者による聞き取り調査でその実行は大企業やIT関連企業は可能であるが、補助金を出されても運営するのは「人」であり、仕事のやり方を含めてゼロスタートするしかないのだ。そんな「改革」が一朝一夕でできるはずがない。ビジネス現場を知らない行政のやりがちなことで「実効性」はまるでない。(今回は取り上げないが、「改革」を進め定r企業は多数に登っている。行政に言われるまでもなく生き残ろために必死に取り組んでいる。)
少し前の3月になるが、感染拡大防止と経済社会活動の両立を図るための取組として、「コロナリーダー事業」として、東京都感染拡大防止ガイドラインやガイドブックを策定し、対策に取り組んでいる店舗等で感染拡大防止徹底宣言ステッカーを掲示してもらうなど、感染拡大防止の取組を推進していた。スタート当初から協力金の条件に過ぎない事業と考えられていたが、その実効性は現在どうであったのか。アルコールの禁止によって飲食店はどんな状況になっているのか。マスコミ、特にTVメディアは「その後」を追跡しようとはしない。泥縄という言葉があるが、全ての対策は縄のない泥まみれとなっている。今、飲食店を支えているのは、常連客による「飲食」である。顧客によって救われているということだ。しかし、残念ながら長続きはしない現実がある。
この「人流」抑制は感染拡大防止のための「手段」であった。その背景には病床の確保、新規感染者を減少させる、特に重傷者に対する救命のためであった。緊急事態宣言の実施については、政府は大きな方針を提示するにとどまり、都道府県知事による「実行」に任せることが明確になった。理屈上は「現場」を熟知している知事に権限と責任を任せることはその通りであると思う。その良き事例と思われるのが東京と大阪の「違い」である。既に報道されているので繰り返しはしないが、大阪の場合周知のように自宅待機者から亡くなる感染者が出ているように医療破綻の危機にある。こうした背景から「人流」を止めることはやむなしとする世論が大阪の場合は形成され、例えば百貨店の大阪高島屋は今まで通りの「休業」要請を引き受けている。一方、東京の場合日本橋高島屋は前述のようにほとんどのフロアは営業する道を選んだ。その理由の一つは東京の場合の病床の逼迫は大阪ほどではないという理由からだ。社会的存在である百貨店はその危機的状況にある「社会」を考えてのことだ。ある意味、生活者個人が「自己判断」して行動変容を決めることと同じである。
「ヒット商品応援団」という名の通り、必ず「ヒット」するには根拠がある、勿論、逆に廃れることにも根拠がある。この10年ほど、街の「変化」を観察し実感し、その根拠を分析してきた。例えば、あの秋葉原が「アキバ」になり世界中から「オタク」の聖地として賑わいを創ることができたのも明確な「根拠」があった。あるいは、今や若い世代の好きな街に一つとなっている吉祥寺も、ライフスタイルの変kに追いつかない大型商業施設が次から次へと撤退した街であった。しかし、そうした状況下にあって若い世代は駅前の古びた一角、昭和の匂いのする飲食街「ハモニカ横町」に「新しさ」を感じ賑わいを見せることとなった。
一方、東京にも寂れた商店街は数多くあり、シャッター通りから古びた住居が立ち並ぶ通りへと変貌する、ちょうど過疎となった中山間地のように人の手が入らない場所が猪などの棲み家になると言った変化を観察してきた。つまり、あまり大仰なことを言う気はないが、豊かさを追い求める「商業」の本質を少しだけ学んだ。商業は生活そのものであり、商業なき生活などあり得ないと言うことだ。(その根拠については拙著「未来の消滅都市論」電子書籍版を参照してください)」
今回の「人流」を止める作戦は見事なくらい失敗したと言うことだ。それは欧米のような法的強制力持たない日本という理由だけでなく、個々人、個々の企業がそれぞれ自制する判断、セルフダウンする能力を持ち合わせているということだ。東京の場合第三波における感染者が2400人を超える2という「シグナル」であり、大阪の場合は病床に収容できない状態、医療崩壊寸前状態という「シグナル」、そうしたシグナルによって「行動変容」するということだ。感染症の専門家は「人流」を止めることが唯一の切り札のようにいうが、それは教科書の世界で、現実は一人ひとりの心の中の「自制」を働かせる「鍵」を探すことに他ならない。
「自制」とは自らの「自由」を制限することであり、個々人、個々の企業ごとに持っている。政治家も行政も、その「自由」を語らなければならないということだ。コロナとの戦いとは「自由」を取り戻すための戦いであるということである。ワクチン接種がゲームチェンジャーであると言われるが、自由を取り戻す入り口、その鍵であるということだ。
ところで大阪府民の多くはは今回の宣言の延長、厳しい制限のままの延長について支持しているという。勿論、病床が逼迫し医療の破綻を感じているからである。日本における死亡数は年間約137万人。周知のように死因1位は癌であり癌にかかる人は2020年の予測値で約101万7000人。医療崩壊は早期発見、入院、手術・治療という高度な医療を受けることができなくなる。ある意味で「医療を受ける自由」がコロナによって奪われるということだ。そうした現実に対し一定の行動制限は「やむを得ない」と感じたからであろう。そして、大阪府の場合、昨年1月武漢からの中国人観光客のバスツアーで感染が発生したことを覚えているだろうか。中国人バスガイドと運転手が罹患したのだが、厚労省をはじめ大阪府も個人のプライバシーを守りながら「情報公開」している。つまりこの1年半近く府民と情報を共有してきたという背景がある。
宣言の開始後、都の職員が盛んに新宿歌舞伎町や渋谷センター街に出かけ、路上飲みを止めるよう注意して回っているが、それはTVカメラを意識してのパフォーマンスで若い世代の行動を変えることはできない。若い性こそ自制すべき「根拠」、その合理性を求めているのだ。注意された若者は都の職員に向かって「義務ばかりで、何一つ権利はないのはどうしてか」と言っていたが、路上飲みはやめた方が良いとは思うが、心の奥底には「自由」を希求する気持ちがひしひしと感じる。
政治家、行政は理屈に合わない、非合理な、公平性を欠いた「義務」を押し付けるのではなく、「自由」を取り戻す戦いの先頭に立つことこそが求められているということだ。例えば、山梨県のように感染対策を飲食事業者と住民とが共通した目標を持った「実行性」のある取り組みが行われている。私の言葉で言うと、事業者・住民が共に「自由を取り戻す」運動のようなもので、行政がそうした目標を持って取り組みを現場でサポートする仕組みとなっている。感染対策の鍵は「ワクチン」であると、しかも横浜市大の山中教授の研究から変異型ウイルスにもワクチン効果があると「根拠」を持った成果が発表された。こうした朗報もあるが、まだまだコロナとの戦いは半ばである。(続く)
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Posted by ヒット商品応援団 at 13:08│Comments(0)
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