2021年07月01日
不安から不信へ
ヒット商品応援団日記No792(毎週更新) 2021.7.1.
緊急事態宣言が解除されたが、1月の緊急事態宣言以降まんえん防止措置を含めるとほとんど半年の間規制された「日常」を送ることとなった。多くの人が感じていることは、緊急でもなんでもなく、規制された日常を送ってきたということであろう。今回の政府分科会が解除に向かった背景の要因として、「もはや限界」といった生活者心理を挙げていた。その「心理」はこの1年以上多くの学習を経た結果であることを忘れている。少し前までは感染の増加を「慣れ」とか、「緩み」といった表現をする感染症専門家やコメンテーターがいたが、そうではなく明確な物差しを持って認識し行動していることがわかる。それは「規制」の中に楽しさを見出す「気分転換」と言う満足消費、ライフスタイル変化がこの1年半随所で現れてきている。私の言葉で言うと、自らが判断し行動する「セルフダウン」を実行してきたということである。例えば、何度となくブログにも書いてきたが、「密」を避けてのキャンピングに象徴される「楽しみ方」であるが、実はその根底でつながっているのがワクチンフィーバーである。
ワクチンについては、昨年秋以降多くの感染症専門家はその有効性や副作用について疑問と不安を持って各国の接種推移を見るにとどまってきた。それは1970年代以降、いくつかのワクチン接種において集団訴訟が起きたことが起因している。厚労省も感染症専門家もある意味で及び腰てあった。しかし、今年に入り、三回目の緊急事態宣言がが発出され、海外でも多くのロックダウンの中ワクチン接種が本格化する。こうした情報から敏感に受け止めたのが「高齢者」であった。勿論、重症化率の高い世代であり、ワクチン予約における多くの自治体での混乱・行列騒ぎが起きたことは周知の通りである。政府も自治体も、感染症専門家も一様に驚く顛末となった。ある意味見事なくらい高齢者の「危機心理」が行動へと向かわせたということである。そこには感染の「危機」をいくらメッセージしても届かなかったにもかかわらず行動へと向かわせたのはワクチンのエビデンス。証拠を感じ取ったからに他ならない。政治家よりも、感染症専門家よりも、実は高齢者の方が接種の必要を「実感」できたということである。(ワクチンのエビデンスについては前回のブログを参照して欲しい。)
そして、この危機心理の裏側にはそれまでの日常を取り戻したい、自制してきたことから解放されたい、つまり「自由」を手に入れたいという強い欲求からであるということだ。家族にも、孫にも、友人にも会いたい、楽しい、そんな自由な時間を手に入れたいという思いである。
このことは戦う相手がウイルスという見えない敵に対しどれだけ「感じ取れるか」がポイントであると同時に、それら行動の裏側には自由を求める心理への理解が必要であるということだ。これも若い世代にメッセージが届かないとマスメディアも政治家も言うが、つまり実感し得る言葉も内容も持っていないことによる。このことも昨年の夏以降若い世代を感染拡大の犯人とした説が広く流布した時ブログに書いたので今一度読んで欲しい。(「密」を求めて、街へ向かう若者たち 2020.7.26.)
ところで5月のGW以降緊急事態宣言が延長されたにもかかわらず街中の人出は逆に増えている。都知事をはじめ感染症専門家は一様に人流増加に警鐘を鳴らすが、何故真逆の「増加」現象が生まれているのか。多くのコメンテーターは「我慢の限界」などと言うが、そうではなく自ら認識した上での行動結果であると言うことである。ある意味、節度を持った行動結果であり、宣言解除後ここ1週間ほど減少傾向に向かっていた感染者数は再び増加傾向を見せる。多くの政治家、感染症専門家は「リバウンド」と言う表現を使うが、生活者・個人にとってみれば「自制」した行動の結果ということだ。
6月20日には延長された宣言が解除され、引き続きまんえん防止措置へと移行したが、この「規制」がどんな変化を街にもたらしたか、その「心理」を見ていくと政治家や東京都の思惑とはまるで異なる心理が見えてくる。まず、解除にもかかわらず時短や飲酒の規制が続く飲食事業者の変化であるが、東京都の規制通りに、夜7時までのお酒の提供、人数は2人、滞在時間は90分を守る店もあるが、これでは経営できないとした飲食店が増加し、コロナ禍以前の通常営業に戻る店すら数多くでてきた。その背景には協力金がなかなか支払われないという経営の事情もあることはいうまでもない。実は面白いことに、こうした飲食店もあるが、東京都の規制を逆手にとった「セール」「キャンペーン」を行う店まで出てきている。例えば、「制限時間90分、飲み放題。ただし7時まで」といった具合である。まさに「昼飲み」促進キャンペーンであり、通常営業に戻した店を始め、満席状態になっている。今回の規制に際しては東京都独自の感染防止策であるコロナ防止リーダー事業など条件をつけてのアルコール解禁であるが、こうした背景には山梨県や千葉市をはじめとした感染防止対策の成功事例がある。実はこうした成功事例の背景には、飲食事業者はもとより利用する生活者・個人の納得・協力によって成立している。行政による「管理」ではなく、事業者・生活者による「防止運動」によって実行されてきたことによる成功事例である。その運動は、行政の職員が現場に入り、席の間隔や換気の相談にものり、アクリル板などの設置支援も行う。行政はサポート役であって管理するのは利用者の理解を得て飲食事業者自らが行うということで東京都のような昔ながらのお役所仕事とは真逆な現場主義によるものである。
東京五輪開幕まで1ヶ月を切った。開催内容が少しづつ明らかになるにつれ、感染下の東京で行う「オリンピック」の矛盾、いや明らかに間違った「考え」に基づくものばかりが明らかになった。まず多くの観客を集めたイベント・パブリックビューイングであるが、多くの都民からの反発により代々木公園会場はワクチン接種会場へと変更することとなった。以降、ほとんどのパブリックビューイングイベントは中止となったことは周知の通りである。こうした「世論」を踏まえ、オリンピック組織委員会からは各競技会場の観客人数案が提示され、その是非についても多くの議論が巻き起こった。特に、会場内での飲酒、五輪貴族と呼ばれる大会関係者用のラウンジでの飲酒についても検討されているとのことであったが、これも街中の飲食店が飲酒は7時まで利用は2名といった「制限」をしているのに、オリンピックは「特別」なのかといった非難が巻き起こる。即日撤回されたが、スポンサーとして当事者であるアサヒビールはその「特別」には与しないとの提言を組織委員会に申し入れたとコメントしていたが、これも至極当然のことである。
また、こうしたオリンピックイベントの問題と共に、夜間の競技時間についても埼玉、千葉の両知事から8時までの時短制限を都民に強いているのに9時以降の競技はやめて欲しいとの要請を組織委員会にしている。これも至極当然のことで・・・・・・・・・・つまり、コロナ禍の1年半、延期を決めてから1年3ヶ月、組織委員会は今までの「計画」のまま行おうとしてきたということである。常識として、これまでの大会とは異なった「コロナ禍のオリンピック」として行われなければならない筈であった。
この「コロナ禍のオリンピック」において一番大切にしなければいけないのが「安全安心」である。しかし、これも報道によればウガンダ選手団9名の内2名が陽性であったことがわかった。大会規則として選手団はワクチン接種を含め十分検査をしての入国である。まずワクチン接種で100%安全が担保されたわけでないということだ。また成田の検疫で見つかったものの、濃厚接触者の特定や隔離方法については明確な「方法」を持っていないことが明らかになった。「バブル方式」という完全に隔離されているから安全という「神話」は崩れ始めている。これもオリンピックの特例で通常であれば2週間の隔離であるがわずか3日で済むという。その後、南米で行われているサッカーの大会「コパ・アメリカ」ではバブル方式、しかも無観客試合にもかかわらず選手スタッフ140名ほどの感染者がでているとCNNは報じている。世界に目を転ずれば、南米やアフリカ、あるいは英国ですら感染は拡大傾向にある。つまり、「パンデミック」、今なお感染爆発は進行中であると言う認識である。
また、選手団とは別に入国するメディア関係者や大会関係者・オリンピックファミリーの約5万人の「行動」である。これも決められたホテルなどでの食事が難しい場合、例外として街中の「個室」のあるレストランや居酒屋などの飲食を認めるという。メディア関係者などは「バブル」の中の選手達の取材が中心となり、大会期間中バブルを行き来する人間である。つまり穴だらけの「バブル」であるということだ。外国人にとって、本場本物の日本食を食べることは来日の目的の一つとなっている。また、ここ数年日本のコンビニも大人気である。本来であれば、こうした庶民の日常を満喫させてあげたいが、やはり厳格に行動を規制しなければならないということだ。
このように多くの都民、いや国民が怒っているのは「オリンピックは特別」「別枠」という考え方であり、しかも大会間近になって詳細が明らかになるに従って、多くの矛盾、一貫性の無さに対してである。コロナウイルスは「人」を選ばない、と言われ続けてきた1年半である。昨年から怒りの先は政治家による銀座での深夜にわたる会食であり、感染対策の中心である厚労省官僚の送別会であり、全て「言っていることとやっていることが違うじゃないか」と言う点にある。
こうした「不信」の中での東京五輪である。開催間近になればオリンピックムードは高まると推進する組織委員会はコメントするが、そんな状況ではない。今回の東京五輪のスポンサー一覧を見てもわかるようにトヨタ自動車を始め日本を代表する企業ばかりである。各企業は東京五輪に「寄付」しているわけではない。しかし、パブリックビューイングイベントや会場内ラウンジでの「飲食」への非難に際し、例えばアサヒビールは飲食中止の提言を自らしている。理屈に合わないことことは重々承知しており、そのまま進めれば不買運動こそ起こらないとは思うもののブランドイメージは大きく損ない、消費にも影響が出てくることは間違いない。一覧に名前を連ねている企業の多くはTVCMを放映しているが、「オリンピック・ブランド」を使ってのキャンペーンなど行ってはいない。せいぜい東京五輪のマークと自社ロゴを並べているに過ぎない。つまり、本来ならば夢や希望溢れる祭典として社会の注目となるオリンピックが、逆に「そこまでしてやるのか」と言うネガティブな目に晒されてしまっていると言うことだ。単純化して言うならば、多大な投資をしたにもかかわらず消費が高まるどころかマイナスに作用しかねないと判断していると言うことである。それは従来進めてきた東京五輪の「コンテンツ」を全く新しい視点、パンデミックを踏まえた視点で編集し直さなければならなかったにもかかわらず、「そのまま」押し通した結果から生まれたものだ。しかも、1年延期によってスポンサー各社は確か追加拠出額の合計は約220億円に上り、組織委の収入に組み込まれた筈である。
参加したスポンサー企業が一様に注視しているのが生活者心理であり、その心理が「ネガティブ」なものの延長線上にスポンサー企業にまで及ぶのではないかと言う危惧である。しかし、心配は無用である。組織委員会への非難の先にスポンサー企業へと向かうほど無理解な生活者ではない。アサヒビールの事例ように、スポンサーも大変だなという思いであろう。さらに言うならば、ウイルスの被害者である企業、観光産業である近畿日本ツーリストなどの苦境に思いは及ぶ。おそらく大会終了後、後始末としてスポンサー契約に応えることができなかった内容への「返済」が始まるであろう。企業としては株主に対する当然の説明として追求することとなる。しかし、そうであっても生活者は誰よりもスポンサー企業を非難しないであろう。そこにはある意味で賢明な生活者個人がいると言うことだ。
今どんな社会の「心理」が起こりつつあるのか。それは一言で言えば、1年前の「未知」への不安から、コロナ禍によって起こった多くの現象の裏にあること、不信が「見えてきた」ことにある。その不信心理の第一はやはり「東京五輪は「特別扱い」と言うことであろう。その象徴が撤回されたが五輪会場内での飲酒であり、多くの飲食店が時短で飲酒は7時までと言う制限とはまるで違うのではないかと言う批判である。しかも夜間の滞留人口が多く感染の要因となっているとして外出を控えるように要請されているが、バスケットボールやサッカーなどの競技では夜9時以降の外^むもあり国民に言っていることとはまるで違うのではないかと言う批判もある。また、東京五輪の有観客制限についても「会場への規制も会場規模の50%未満、1万人以内」ぬ見られるように、「行動の制限」が大きく緩和されたイベントである、つまり自由に行動しても良いとした「シグナル」として受け止める人も多い。つまり、こうした多くの「特別」「別枠」に対し、今まで国民に「言ってきたこととやっていることとは違うじゃないか」と言う感情を生んでいる。しかも、組織委員会はJR東日本各社へ深夜運行の特別ダイヤを要請していると言う。
もう一つの不信の要因が実はワクチンの供給である。遅れに遅れたワクチン供給の目処が立ち、やっと順調に接種が進行してきた。しかし、接種の目標1日100万回、あるいは職場での接種など接種の多様化により供給が複雑化し管理ができなくなり、職域などでの接種予約をストップせざるを得なくなった。しかもファイザー製ワクチンは7月以降減少すると言う。唯一の時代の空気転換を促す「ワクチン」が赤信号となったことで、未接種の世代には不安が残ったままとなる。
ちょうど6月30日の東京都の新規感染者数は714人となり直近7日間の平均は500人を超えて、508人となった。ちなみに人から人への感染の目安である実効再生産数は1.15と高いままである。7月11日にはまんえん防止措置の期限となり、延長もしくは緊急事態宣言の発出する議論がされ始めている。当然東京五輪の無観客開催が議論となるが、会場内にはIOC関係者のみが観客となる。当然日本人が見ることができないのに何故IOC関係者だけが観客となるのかと言う非難が巻き起こるであろう。組織委員会はIOCに自制を求めてもおそらく聞く耳を持たないであろう。ここでもIOCの本質が見えてくる。不信はIOCだけにとどまらず政権へと向かうであろう。また、東京都始めまんえん防止措置が延長された場合、アルコール飲酒は全面禁止なることが予測される。結果どうなるのか、容易に起こりうる現象が目に浮かぶ。飲食事業者の反発はもとより、アルコールは勿論のこと深夜に及ぶ営業店はさらに増加するであろう。路上飲みも増えるであろう。あるいは東京近郊都市の居酒屋は満席状態になるであろう。つまり、不信は深刻化し、小さなトラブルが至る所で起きる予感がしてならない。いわゆる社会不安である。(続く)
緊急事態宣言が解除されたが、1月の緊急事態宣言以降まんえん防止措置を含めるとほとんど半年の間規制された「日常」を送ることとなった。多くの人が感じていることは、緊急でもなんでもなく、規制された日常を送ってきたということであろう。今回の政府分科会が解除に向かった背景の要因として、「もはや限界」といった生活者心理を挙げていた。その「心理」はこの1年以上多くの学習を経た結果であることを忘れている。少し前までは感染の増加を「慣れ」とか、「緩み」といった表現をする感染症専門家やコメンテーターがいたが、そうではなく明確な物差しを持って認識し行動していることがわかる。それは「規制」の中に楽しさを見出す「気分転換」と言う満足消費、ライフスタイル変化がこの1年半随所で現れてきている。私の言葉で言うと、自らが判断し行動する「セルフダウン」を実行してきたということである。例えば、何度となくブログにも書いてきたが、「密」を避けてのキャンピングに象徴される「楽しみ方」であるが、実はその根底でつながっているのがワクチンフィーバーである。
ワクチンについては、昨年秋以降多くの感染症専門家はその有効性や副作用について疑問と不安を持って各国の接種推移を見るにとどまってきた。それは1970年代以降、いくつかのワクチン接種において集団訴訟が起きたことが起因している。厚労省も感染症専門家もある意味で及び腰てあった。しかし、今年に入り、三回目の緊急事態宣言がが発出され、海外でも多くのロックダウンの中ワクチン接種が本格化する。こうした情報から敏感に受け止めたのが「高齢者」であった。勿論、重症化率の高い世代であり、ワクチン予約における多くの自治体での混乱・行列騒ぎが起きたことは周知の通りである。政府も自治体も、感染症専門家も一様に驚く顛末となった。ある意味見事なくらい高齢者の「危機心理」が行動へと向かわせたということである。そこには感染の「危機」をいくらメッセージしても届かなかったにもかかわらず行動へと向かわせたのはワクチンのエビデンス。証拠を感じ取ったからに他ならない。政治家よりも、感染症専門家よりも、実は高齢者の方が接種の必要を「実感」できたということである。(ワクチンのエビデンスについては前回のブログを参照して欲しい。)
そして、この危機心理の裏側にはそれまでの日常を取り戻したい、自制してきたことから解放されたい、つまり「自由」を手に入れたいという強い欲求からであるということだ。家族にも、孫にも、友人にも会いたい、楽しい、そんな自由な時間を手に入れたいという思いである。
このことは戦う相手がウイルスという見えない敵に対しどれだけ「感じ取れるか」がポイントであると同時に、それら行動の裏側には自由を求める心理への理解が必要であるということだ。これも若い世代にメッセージが届かないとマスメディアも政治家も言うが、つまり実感し得る言葉も内容も持っていないことによる。このことも昨年の夏以降若い世代を感染拡大の犯人とした説が広く流布した時ブログに書いたので今一度読んで欲しい。(「密」を求めて、街へ向かう若者たち 2020.7.26.)
ところで5月のGW以降緊急事態宣言が延長されたにもかかわらず街中の人出は逆に増えている。都知事をはじめ感染症専門家は一様に人流増加に警鐘を鳴らすが、何故真逆の「増加」現象が生まれているのか。多くのコメンテーターは「我慢の限界」などと言うが、そうではなく自ら認識した上での行動結果であると言うことである。ある意味、節度を持った行動結果であり、宣言解除後ここ1週間ほど減少傾向に向かっていた感染者数は再び増加傾向を見せる。多くの政治家、感染症専門家は「リバウンド」と言う表現を使うが、生活者・個人にとってみれば「自制」した行動の結果ということだ。
6月20日には延長された宣言が解除され、引き続きまんえん防止措置へと移行したが、この「規制」がどんな変化を街にもたらしたか、その「心理」を見ていくと政治家や東京都の思惑とはまるで異なる心理が見えてくる。まず、解除にもかかわらず時短や飲酒の規制が続く飲食事業者の変化であるが、東京都の規制通りに、夜7時までのお酒の提供、人数は2人、滞在時間は90分を守る店もあるが、これでは経営できないとした飲食店が増加し、コロナ禍以前の通常営業に戻る店すら数多くでてきた。その背景には協力金がなかなか支払われないという経営の事情もあることはいうまでもない。実は面白いことに、こうした飲食店もあるが、東京都の規制を逆手にとった「セール」「キャンペーン」を行う店まで出てきている。例えば、「制限時間90分、飲み放題。ただし7時まで」といった具合である。まさに「昼飲み」促進キャンペーンであり、通常営業に戻した店を始め、満席状態になっている。今回の規制に際しては東京都独自の感染防止策であるコロナ防止リーダー事業など条件をつけてのアルコール解禁であるが、こうした背景には山梨県や千葉市をはじめとした感染防止対策の成功事例がある。実はこうした成功事例の背景には、飲食事業者はもとより利用する生活者・個人の納得・協力によって成立している。行政による「管理」ではなく、事業者・生活者による「防止運動」によって実行されてきたことによる成功事例である。その運動は、行政の職員が現場に入り、席の間隔や換気の相談にものり、アクリル板などの設置支援も行う。行政はサポート役であって管理するのは利用者の理解を得て飲食事業者自らが行うということで東京都のような昔ながらのお役所仕事とは真逆な現場主義によるものである。
東京五輪開幕まで1ヶ月を切った。開催内容が少しづつ明らかになるにつれ、感染下の東京で行う「オリンピック」の矛盾、いや明らかに間違った「考え」に基づくものばかりが明らかになった。まず多くの観客を集めたイベント・パブリックビューイングであるが、多くの都民からの反発により代々木公園会場はワクチン接種会場へと変更することとなった。以降、ほとんどのパブリックビューイングイベントは中止となったことは周知の通りである。こうした「世論」を踏まえ、オリンピック組織委員会からは各競技会場の観客人数案が提示され、その是非についても多くの議論が巻き起こった。特に、会場内での飲酒、五輪貴族と呼ばれる大会関係者用のラウンジでの飲酒についても検討されているとのことであったが、これも街中の飲食店が飲酒は7時まで利用は2名といった「制限」をしているのに、オリンピックは「特別」なのかといった非難が巻き起こる。即日撤回されたが、スポンサーとして当事者であるアサヒビールはその「特別」には与しないとの提言を組織委員会に申し入れたとコメントしていたが、これも至極当然のことである。
また、こうしたオリンピックイベントの問題と共に、夜間の競技時間についても埼玉、千葉の両知事から8時までの時短制限を都民に強いているのに9時以降の競技はやめて欲しいとの要請を組織委員会にしている。これも至極当然のことで・・・・・・・・・・つまり、コロナ禍の1年半、延期を決めてから1年3ヶ月、組織委員会は今までの「計画」のまま行おうとしてきたということである。常識として、これまでの大会とは異なった「コロナ禍のオリンピック」として行われなければならない筈であった。
この「コロナ禍のオリンピック」において一番大切にしなければいけないのが「安全安心」である。しかし、これも報道によればウガンダ選手団9名の内2名が陽性であったことがわかった。大会規則として選手団はワクチン接種を含め十分検査をしての入国である。まずワクチン接種で100%安全が担保されたわけでないということだ。また成田の検疫で見つかったものの、濃厚接触者の特定や隔離方法については明確な「方法」を持っていないことが明らかになった。「バブル方式」という完全に隔離されているから安全という「神話」は崩れ始めている。これもオリンピックの特例で通常であれば2週間の隔離であるがわずか3日で済むという。その後、南米で行われているサッカーの大会「コパ・アメリカ」ではバブル方式、しかも無観客試合にもかかわらず選手スタッフ140名ほどの感染者がでているとCNNは報じている。世界に目を転ずれば、南米やアフリカ、あるいは英国ですら感染は拡大傾向にある。つまり、「パンデミック」、今なお感染爆発は進行中であると言う認識である。
また、選手団とは別に入国するメディア関係者や大会関係者・オリンピックファミリーの約5万人の「行動」である。これも決められたホテルなどでの食事が難しい場合、例外として街中の「個室」のあるレストランや居酒屋などの飲食を認めるという。メディア関係者などは「バブル」の中の選手達の取材が中心となり、大会期間中バブルを行き来する人間である。つまり穴だらけの「バブル」であるということだ。外国人にとって、本場本物の日本食を食べることは来日の目的の一つとなっている。また、ここ数年日本のコンビニも大人気である。本来であれば、こうした庶民の日常を満喫させてあげたいが、やはり厳格に行動を規制しなければならないということだ。
このように多くの都民、いや国民が怒っているのは「オリンピックは特別」「別枠」という考え方であり、しかも大会間近になって詳細が明らかになるに従って、多くの矛盾、一貫性の無さに対してである。コロナウイルスは「人」を選ばない、と言われ続けてきた1年半である。昨年から怒りの先は政治家による銀座での深夜にわたる会食であり、感染対策の中心である厚労省官僚の送別会であり、全て「言っていることとやっていることが違うじゃないか」と言う点にある。
こうした「不信」の中での東京五輪である。開催間近になればオリンピックムードは高まると推進する組織委員会はコメントするが、そんな状況ではない。今回の東京五輪のスポンサー一覧を見てもわかるようにトヨタ自動車を始め日本を代表する企業ばかりである。各企業は東京五輪に「寄付」しているわけではない。しかし、パブリックビューイングイベントや会場内ラウンジでの「飲食」への非難に際し、例えばアサヒビールは飲食中止の提言を自らしている。理屈に合わないことことは重々承知しており、そのまま進めれば不買運動こそ起こらないとは思うもののブランドイメージは大きく損ない、消費にも影響が出てくることは間違いない。一覧に名前を連ねている企業の多くはTVCMを放映しているが、「オリンピック・ブランド」を使ってのキャンペーンなど行ってはいない。せいぜい東京五輪のマークと自社ロゴを並べているに過ぎない。つまり、本来ならば夢や希望溢れる祭典として社会の注目となるオリンピックが、逆に「そこまでしてやるのか」と言うネガティブな目に晒されてしまっていると言うことだ。単純化して言うならば、多大な投資をしたにもかかわらず消費が高まるどころかマイナスに作用しかねないと判断していると言うことである。それは従来進めてきた東京五輪の「コンテンツ」を全く新しい視点、パンデミックを踏まえた視点で編集し直さなければならなかったにもかかわらず、「そのまま」押し通した結果から生まれたものだ。しかも、1年延期によってスポンサー各社は確か追加拠出額の合計は約220億円に上り、組織委の収入に組み込まれた筈である。
参加したスポンサー企業が一様に注視しているのが生活者心理であり、その心理が「ネガティブ」なものの延長線上にスポンサー企業にまで及ぶのではないかと言う危惧である。しかし、心配は無用である。組織委員会への非難の先にスポンサー企業へと向かうほど無理解な生活者ではない。アサヒビールの事例ように、スポンサーも大変だなという思いであろう。さらに言うならば、ウイルスの被害者である企業、観光産業である近畿日本ツーリストなどの苦境に思いは及ぶ。おそらく大会終了後、後始末としてスポンサー契約に応えることができなかった内容への「返済」が始まるであろう。企業としては株主に対する当然の説明として追求することとなる。しかし、そうであっても生活者は誰よりもスポンサー企業を非難しないであろう。そこにはある意味で賢明な生活者個人がいると言うことだ。
今どんな社会の「心理」が起こりつつあるのか。それは一言で言えば、1年前の「未知」への不安から、コロナ禍によって起こった多くの現象の裏にあること、不信が「見えてきた」ことにある。その不信心理の第一はやはり「東京五輪は「特別扱い」と言うことであろう。その象徴が撤回されたが五輪会場内での飲酒であり、多くの飲食店が時短で飲酒は7時までと言う制限とはまるで違うのではないかと言う批判である。しかも夜間の滞留人口が多く感染の要因となっているとして外出を控えるように要請されているが、バスケットボールやサッカーなどの競技では夜9時以降の外^むもあり国民に言っていることとはまるで違うのではないかと言う批判もある。また、東京五輪の有観客制限についても「会場への規制も会場規模の50%未満、1万人以内」ぬ見られるように、「行動の制限」が大きく緩和されたイベントである、つまり自由に行動しても良いとした「シグナル」として受け止める人も多い。つまり、こうした多くの「特別」「別枠」に対し、今まで国民に「言ってきたこととやっていることとは違うじゃないか」と言う感情を生んでいる。しかも、組織委員会はJR東日本各社へ深夜運行の特別ダイヤを要請していると言う。
もう一つの不信の要因が実はワクチンの供給である。遅れに遅れたワクチン供給の目処が立ち、やっと順調に接種が進行してきた。しかし、接種の目標1日100万回、あるいは職場での接種など接種の多様化により供給が複雑化し管理ができなくなり、職域などでの接種予約をストップせざるを得なくなった。しかもファイザー製ワクチンは7月以降減少すると言う。唯一の時代の空気転換を促す「ワクチン」が赤信号となったことで、未接種の世代には不安が残ったままとなる。
ちょうど6月30日の東京都の新規感染者数は714人となり直近7日間の平均は500人を超えて、508人となった。ちなみに人から人への感染の目安である実効再生産数は1.15と高いままである。7月11日にはまんえん防止措置の期限となり、延長もしくは緊急事態宣言の発出する議論がされ始めている。当然東京五輪の無観客開催が議論となるが、会場内にはIOC関係者のみが観客となる。当然日本人が見ることができないのに何故IOC関係者だけが観客となるのかと言う非難が巻き起こるであろう。組織委員会はIOCに自制を求めてもおそらく聞く耳を持たないであろう。ここでもIOCの本質が見えてくる。不信はIOCだけにとどまらず政権へと向かうであろう。また、東京都始めまんえん防止措置が延長された場合、アルコール飲酒は全面禁止なることが予測される。結果どうなるのか、容易に起こりうる現象が目に浮かぶ。飲食事業者の反発はもとより、アルコールは勿論のこと深夜に及ぶ営業店はさらに増加するであろう。路上飲みも増えるであろう。あるいは東京近郊都市の居酒屋は満席状態になるであろう。つまり、不信は深刻化し、小さなトラブルが至る所で起きる予感がしてならない。いわゆる社会不安である。(続く)
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Posted by ヒット商品応援団 at 13:21│Comments(0)
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