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「人力経営」という本を書きました。ヒット商品の裏に潜んでいる「人」がテーマです。取材先はダスキン、エゴイスト、野の葡萄、叶匠寿庵、桑野造船の経営リーダー。ユニーク、常識はずれ、そこまでやるのか、とにかく面白い経営です。星雲社刊、735円、新書判。

2016年02月21日

思い起こせ、「甲子園の詩」を 

ヒット商品応援団日記No638(毎週更新) 2016.2.21.

清原和博の覚せい剤事件が多くのメディアに取り上げられ、いわゆるメディアジャック状態となっている。逮捕当時はこれからの成り行きを見るように「信じられない」「残念なことだ」といった当たり障りのないコメントばかりであった。しかし、以降警察をはじめとした情報が増えるに従って、徐々に「本音」の話が出てきた。その象徴がPL学園時代KKコンビと言われた桑田真澄のインタビューコメントであった。やはり、桑田真澄は友人であり、ともに野球をやってきた一番身近な仲間として”嫌なことも言ってきたが、もう関与してくれるな”と言われ、以来電話すらすることはなかったとインタビューに答えていた。それを多くの視聴者、特に野球フアンは桑田自身の無念さとして共感し受け止めたと思う。そうした無念さは桑田以外にも多数いると思うが、なぜか熱烈な高校野球フアン、私の言葉で言えば高校野球オタクであった阿久悠を思い起こす。亡くなって8年半ほどになるが、この清原和博の覚せい剤事件をどう思っているだろうか。

阿久悠は1976年以降、スポニチに高校野球観戦記として「甲子園の詩」を書く。途中腎臓癌の入退院を繰り返し、亡くなる2007年8月の前月7月22日まで書き続ける。タイトルは「甲子園の詩 敗れざる君たちへ」。
何故そこまでして書き続けたのか、それは無心で野球にぶつかっていった高校生の一瞬輝く世界を書き留めたいとした想いから観戦記を書かせたと思う。勿論、単なる高校野球賛歌でもなく、応援コメントでもなく、阿久悠自ら言うように徹底した「観る者」として、しかも主観としての文字通りの阿久悠観戦記、高校野球オタクの世界であった。ある意味、一試合一試合を、作詞している詩(うた)である。

”なぜにぼくらはこれ程までに高校野球に熱くなるのだろう”という阿久悠は明快に言ってのける。小椋佳の「つかれを知らない子供のように」という「シクラメンのかほり」の一節を引用しながら、”分業制合理主義のプロ野球に較べて非合理な肉体酷使が存在する高校野球に戦いの原点を見るのかもしれない”と。その原点ともいうべき一戦、私たちの記憶に残る試合を次のように書いている。(以降の引用文は「甲子園の詩 敗れざる君たちへ」阿久悠著 幻戯書房刊より)

やまびこが消えた日

まさに それは事件だった
池田が敗れた瞬間
超満員の観衆は
勝者への拍手を忘れ
まるで母国の敗戦の報を聴くように
重苦しい沈黙を漂わせた
・・・・・・・・・・・

たかが高校野球の
たかが一高校に対する
思い入れとして度が過ぎる
人々は この少年たちに
何を夢見 何を託していたのだろうか
・・・・・・・・・・・・
少年たちが かくまでに
人の心の中で築き上げて来た
ロマンの大きさに
今 少年たちが敗者となった今
初めて気がつくのだ

1983年第65回大会準決勝「PL学園対池田高校」の観戦記の一部である。池田高校は徳島県西部の山あい池田町のどこにでもあるごく普通の公立高校である。その高校の野球部が、 蔦 文也(つた ふみや) 監督に率いられ、甲子園大会で春夏あわせ3度の優勝をはじめ、輝かしい成績をおさめた。そして、池田高校を世に知らしめたわずか11人の部員による「さわやかイレブン」や、筋力トレーニングを積極的に取り入れ代名詞となった「やまびこ打線」。
この試合はPL桑田の力投にやまびこ打線は沈黙し、7対0でPLが勝った試合である。観戦記のタイトルにあるように「敗れざる君たちへ」はそんな敗者の一校である池田高校の少年たちに贈った言葉である。ちなみに、PL学園は決勝で横浜商業と戦い清原の先制打、桑田の完封で7対0で優勝した。この時、清原も桑田も高校一年生であった。

勿論、敗者だけを書いたわけではない。翌年の第66回大会一回戦のPL学園対享栄の戦いでは次のように観戦記を書いている。

標的は決まった

さあ 諸君
標的は決まったぞ
きみらが汗を流し登る山が
くっきりと全貌を現し
過酷なまでに堂々と
高さと 美しさと 見事さを
誇って見せだぞ
・・・・・・・・・・・・・・

PL学園14ー1享栄
清原4打数 4安打 2四死球
3ホームラン
桑田被安打3 奪三振11 失点1
全員安打 毎回安打
一試合4ホームランは大会新
・・・・・・・・・・・・・・

さあ 諸君
高校生が同じ高校生を
標的にして恥じることはない
すぐれた能力への敬意は
自らをも高める
しかし 諸君
決して初めから屈してはいけない

この年、清原、桑田のKKコンビの活躍により、PL学園は決勝へと勝ち抜いていく。そして、決勝は取手二と戦い4対8で敗れ準優勝となる。標的となったPLは9回裏に同点に追いつく。しかし、10回表に桑田が打たれ4点差となり敗者となる。その試合を阿久悠は繰り広げられるロマンの世界を次のように書いている。

最後の楽園

女性は脱皮し 姿を変え
少女から母までその時々の顔を造る
男には脱皮はなく 姿も変えず
ただ年輪という深味を加えるだけで
少年も 青年も ひきずって生きる
・・・・・・・・・・・・・・・・・
三百六十五日のうち
たった十四日間だけ
男は少年時代の自分と出会うことを
神から許される
甲子園という舞台と
高校野球という祭を通して
男たちが夢見る最後の楽園なのだ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
あゝ 勝者取手二高が
笑いながら行進している

そして、翌年PL学園の二人は3年生として甲子園を迎え、しかも3年連続して決勝進出する。その決勝進出を決めた準決勝対甲西戦では、清原は2連続2ランを打ち、PL学園15対2甲西と快勝する。そして、その第67回大会決勝でPL学園は宇部商との死闘を制し4対3のサヨナラ勝ちで幕を閉じる。PL学園のKKコンビは甲子園の球史に残る桑田20勝、清原ホームラン13本。そして、阿久悠は大会を振り返り次のように語っている。

『人は誰も、心の中に多くの石を持っている。そして、出来ることなら、そのどれをも磨き上げたいと思っている。しかし、一つか二つ、人生の節目に懸命に磨き上げるのがやっとで、多くは、光沢のない石のまま持ちつづけるのである。
高校野球の楽しみは、この心の中の石を、二つも三つも、あるいは全部を磨き上げたと思える少年を発見することにある。
今年も、何十人もの少年が、ピカピカに磨き上げて、堂々と去って行った。たとえ、敗者であってもだ。』

覚せい剤所持・使用がどのような刑になるか分からないが、いずれ保釈されることになる。覚せい剤経験者で今なお戦っているダルクのスタッフや薬物中毒患者の専門医も口を揃えて「第三者」を介在させての治療を勧めている。一人で立ち向かうには極めて難しい、きっとそうなのだろう。しかし、同じ覚せい剤所持で逮捕されたあの江夏豊は社会復帰し、野球解説や指導者として社会の表舞台に戻った成功例もある。
阿久悠の音葉を借りれば、清原もいくつものピカピカの石を持ってプロ野球に臨んだ。しかし、歳を重ねるに従い体力は落ち老いて行く。しかも、少年も 青年も ひきずってである。そんな脱皮できない自身に対し、薬物に救いを求めた、ある意味「自死」を覚悟しての行為だったように思えて仕方がない。光沢のない石のまま持ちつづける多くの人間にとって、無縁の世界だと思う。しかし、高校野球に自身を重ねロマンを「観る者」にとって、逆に「自死」は許さない。それはいくつもの石を磨き上げた人間、プロになってもスターであった人間として”それは違うでしょ”と、言葉少なに答えるであろう。つまり、清原自身に「敗れざる者」として諦めて欲しくはないということである。

高校野球ではないが、阿久悠が作詞した歌の中に「時代おくれ」という曲がある。1986年に河島英五が歌った曲である。「・・・はしゃがぬように、似合わぬことは無理をせず、人の心を見つめ続ける時代おくれの男になりたい」というフレーズは、40代以上の人だと、あの歌かと思い起こすことだろう。昭和という時代を走ってきて、今立ち止まって振り返り、何か大切なことを無くしてしまったのではないかと、自問し探しに出るような内容の曲である。1986年という年は、バブルへと向かっていく時に当たる。バブル期もそうであるが、以降の極端な「私」優先の時代を予知・予告してくれていた曲である。

伝聞で確かではないが、阿久悠は「甲子園の詩」で書いた高校球児たちと、その後について対談を夢見ていたと聞いている。勝敗としては負けであっても、その後の「敗れざる姿」を見たかったのだと思う。「時代おくれ」ではないが、バブル期をスター選手時代に置き換え、大切な何かを失くしてしまったと自問してほしい、清原に会ったらそう阿久悠は問うと思う。高校球児の頃はどんな石を持っていたか、磨くために仲間たちとどんな練習をしてきたか。時代おくれの清原になって、再び甲子園の旅に踏み出してほしい。高校野球が好きであった人間にとって、やはり今一度あの「甲子園」に戻って欲しいと思う。そして、PL学園と戦って敗れた高校球児にとっても同じであろう。それは夏の炎天下、無心でボールを投げ、バットを振った時間、一瞬を共有した人間たちの想いである。
そこでだ、これは観る者及び高校球児の勝手な想いだが、「桑田真澄よ、今一度清原を甲子園に連れ戻して欲しい」、そう願ってやまない。(続く)


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Posted by ヒット商品応援団 at 13:43│Comments(0)新市場創造
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