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「人力経営」という本を書きました。ヒット商品の裏に潜んでいる「人」がテーマです。取材先はダスキン、エゴイスト、野の葡萄、叶匠寿庵、桑野造船の経営リーダー。ユニーク、常識はずれ、そこまでやるのか、とにかく面白い経営です。星雲社刊、735円、新書判。

2009年02月08日

生活の知恵財を掘り起こす

ヒット商品応援団日記No339(毎週2回更新)  2009.2.8.

前回、「不況であればこそ、生活文化が熟成する」と私は書いた。家庭という巣の中で知恵や工夫を凝らした生活、新しいライフスタイルが生まれてくるという意味である。そして、商品が単なるモノであるかぎり、陳腐化し、価格だけが唯一の競争力になるということも。では、生活者自身が 知恵や工夫を凝らす新しいライフスタイルとは何か、そこにはモノ価値以外に何があるのであろうか。これが次なるマーケティングの課題となる。

ところで熟成した生活文化とは何かであるが、祖父母から子へ、子から孫へと伝えられる生活の知恵のことである。家族が崩壊し、個族化した時代にあって、伝えられるべき文化は寸断されてしまっている。恐らく、唯一そうした生活文化が色濃く残っているのは京都であろう。勿論、京都も他の都市と同様に個族化してはいるが、四季折々の祭りや生活歳時が一種の生活カレンダー化されていて、生活文化が伝承されている。祭りの日をハレ、日常をケと呼ぶが、これほどはっきりとした生活が残っているのは京都だけである。ハレの日はパッと華やかに、普段は「始末」して暮らす、そうした生活習慣である。ハレの日はどこまで残っているか京都の友人に確認してはいないが、例えば4月の今宮神社のやすらい祭りにはさば寿司を食べる、といった具合である。

この始末であるが、始末の基本は食べ物を捨てないという意味。素材を端っこまで使い切ったり、残ってしまったおばんざい(京の家庭料理/おふくろの味)を上手に使い回すといった生活の知恵である。それは単なる節約ではなく、モノの効用を使い切ることであり、もったいないという考えにつながるもので、エコロジーなどと言わなくても千数百年前から今なお続いている自然に寄り添って生きる生活思想だ。
例えば、大根なら新鮮なうちはおろしてじゃこと一緒に食べ、2日目はお揚げと一緒に炊いて食べ、3日目はみそ汁の具にするといった具合である。この始末は日本古来のビジネスモデル、三方よしを創った近江商人の日常の心構えでもある。「しまつしてきばる」という言葉は、今なお京都や滋賀では日常的に使われており、近江商人の天性を表現した言葉である。

さて、都市生活者はどんな生活思想を持ち、その表現としてのライフスタイルを持つのであろうか。誰もがテーマとする課題であるが、モノも情報も世界中を行き交うグローバルの時代にあって、当たり前であるがコトは簡単ではない。
確か、1980年代始めの頃であったと思うが、西武百貨店が「おいしい生活」という広告キャンペーンを展開し、話題になったことがあった。糸井重里氏によるコピーであるが、「おいしいことに理由はいらない。好きか嫌いかがテーマ」だとする、つまりマス市場を構成する中流層がモノ消費の舞台の中心にあることを前提とした広告キャンペーンであった。ある意味、生活者はモノの豊かさを求め百貨店という業態が右肩上がりに成長していく市場情況とパラレルな関係であった。つまり、百貨店がライフスタイル創造のリード役、シンボル的役割を果たしていたということだ。

そのライフスタイルを創造してきた百貨店は、私のブログを読むまでもなく、中流層の崩壊と共にその座を降りている。江戸時代の行商や屋台がそうであったように、庶民のライフスタイルを創ってきたのは流通であった。しかし、多くの偽装事件も含めてであるが、学習体験を積んできた個人の側へとその座を移してしまった。成熟した個人、プロ顧客、いずれの呼称もかまわないが、ライフスタイル創造者は個人に移ったということだ。好調な業績を受けて、ユニクロ会長の柳井氏はインタビューで、「ユニクロは良質な部品をセルフスタイルで安く提供する業態」と呼び、部品(カジュアル衣料)をコーディネートするのは個人であると答えていた。スタイルを創るのは個人であるということをビジネスの前提としてきたということだ。

その個人は家庭へと戻ってきた。ハレとケという言い方をすれば、圧倒的にケの日が増えてくる。節約という後ろ向きの生活から、日常生活、普段、普通、といった生活それ自体を楽しむことへと向かう。今までの便利さを享受することから、自らの知恵や工夫を楽しむ生活ということだ。それではプロは必要としない生活かというとそうではない。プロの役割が変わるということである。今までは、プロとして完成された一つのスタイル、一つの美、一つの味を提供してきたが、プロならではの技や方法を教え、提供することへと役割が変化する。完成されたモノを売るのではなく、技や方法をモノを通して売っていくということだ。専門店とはモノ専門店ではなく、技や方法の専門店であり、店頭で接客する人間はそうしたノウハウを持つプロでないと務まらないということだ。また、モノ専門店としてやっていくには、ユニクロのように部品(モノ)を安く提供することしかない。

少なくなるハレはと言えば、それこそプロならではの世界を楽しむということだ。独自性、固有性、ここだけ、この人だけ、という希少価値がハレの日の中身となる。生半可なこだわりはプロ顧客の生活にすぐ取り込まれ価格だけが選ばれる理由となっていくであろう。つまり、成熟した生活者は、自身の学習体験を元にハレとケをたくみに使い分けていくということだ。そんなライフスタイルにふさわしいキーワードはまだ見つかってはいない。「おいしい生活」といった表現にならって言うと、「上質な生活」でもなければ「ロハスな生活」でもない。ただ、古来から生活に組み込まれてきた自然思想、そこから生まれた生活の知恵財にヒントが隠されていると思う。(続く)

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Posted by ヒット商品応援団 at 13:50│Comments(0)新市場創造
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