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「人力経営」という本を書きました。ヒット商品の裏に潜んでいる「人」がテーマです。取材先はダスキン、エゴイスト、野の葡萄、叶匠寿庵、桑野造船の経営リーダー。ユニーク、常識はずれ、そこまでやるのか、とにかく面白い経営です。星雲社刊、735円、新書判。

2015年09月04日

ノンコンセプト・オリンピック

ヒット商品応援団日記No621(毎週更新) 2015.9.4.

オリンピックのエンブレムが新国立競技場のゼロ見直しに続き使用中止となり、またもや再度公募するとの発表があった。新国立競技場についてはその膨大な建設費について「何故」と思う人が大多数であった。1000兆円を超える債務をもつ日本にあっても、それでも意味ある費用であれば納得したことと思う。そして、今回のエンブレムの件であるが、盗用・コピーといった疑義の混乱のなかでの使用中止である。誰もが納得しないのは何故なのか。納得できるための理由、意味ある理油が提示されていないことによる。

かなり前になるが、多くの人が目にしたオリンピック招致のためのプレゼンPR映画を思い起こす。国境、人種、性差や年齢差、世界の垣根を越えたアスリートが輝く世界を謳っていた筈である。そして、2020年の東京オリンピックがその次なる世界、コンパクトオリンピックというハードの中身、どんな内容のオリンピックを創ることを目指すのか具体的なオリンピック内容をイメージさせ共感を創ることであった筈である。
昔は良かったなどと言う気はない。しかし、1964年の東京オリンピックのエンブレムは周知の亀倉雄策によるものであった。躍動感溢れるアスリートの写真と共に、白地に日の丸という極めてシンプルな、極めて強い主張を持ったデザインである。内も、外も、戦後の復興を見て欲しいというメッセージが明確に感じ取れるデザインであった。招致のプレゼンは終えて、より具体的なメッセージを内にも外にも送らなければならない、それが今回のメイン会場の新国立競技場とエンブレムであった筈である。

さて、そんな意味あるメッセージ、私の言葉で言えばコンセプトは何かである。五輪招致のためのエンブレムは桜のリースであった。確か女子美の学生が原案を創り、亡くなられた栄久庵憲司さんが監修したもので、少なくとも佐野研二郎氏によるエンブレムと比べ、主張、メッセージ性はある。周知のように訪日外国人が急増しており、京都や富士山観光の次のテーマとして「桜見物」に注目が集まっている。つまり、今や日本を象徴する固有美として感じ取っているのだ。つまり、クールジャパンの一つとしてである。夏のオリンピックだから、桜ではと思うかもしれないが、日本の自然、四季を象徴しているのが、春であり、桜である。招致の時のエンブレムを継続使用すればという意見が多いのはこうした背景からであろう。つまり、誰にでもわかりやすい、大衆性のあるエンブレムであった。

佐野研二郎氏による原案を修正した経緯を五輪組織委員会は説明した。本来であれば、原案が商標登録に抵触する恐れがあるとの説明があったが、既にその時点で対象外にすべきであった。さらに、原案への疑義であるがそれは20世紀モダン・タイポグラフィの巨人ヤン・チヒョルトの展覧会ポスターデザインの酷似である。ポスターには著作権の表示はなく、展覧会という一過性のものであるため盗用しても法には触れない。更に言うならば、ヒントやアイディアを取り入れても全く問題はない。しかし、ポスターデザインにおける「デザイン」は極めて似ていると言わざるを得ない。サントリーにおけるトートバッグデザインについてはトレースしたなどと弁明しているが、嫌な言葉であるがパクリと言われても仕方のない事実である。つまり、残念ながらこの程度のパクリは日常的に行われているということである。ところで発端となったベルギーの国立劇場のロゴタイプの盗用ではないかという疑義については、世界における商標・著作権問題に詳しくはないが、私の見るとことでは、発送は似てはいるがデザインという形状の盗用・パクリではないと思う。
盗用というのは「そのままのデザイン」をコピーして使うことではない。そんな馬鹿げたやり方など誰もしない。一部形を変えたり、色を変えたりして使う。多くの人にとってわかりづらいものであるが、少なくとも、デザイナー、プロとしてはこころの中で感じているいることである。それでも盗用ではないというのであれば、法に抵触していないのであれば、それで話は終わりである。

既に記憶の中にしかなくなっている事件の一つが、あの小保方氏によるSTAP細胞論文問題である。当時、コピペの是非論がメディアを賑わしたが、画像を切り貼りするソフトは無料のものを含め無数にあり、素人であってもいくらでも技術的には「作品」を創ることは出来る時代である。
しかし、最も重要なことはオリンピックのコンセプトが見えないことにある。当たり前のことであるが、コンセプトがないまま進めてしまえば、新国立競技場もエンブレムもいくら公募しても選択すべき基準がなく、国民が共有できる術はない。結果、混乱は生じ、後は好き嫌いが残るだけである。まずすべきはポリシー・コンセプトを確認し、広く国民に伝え共有すること、つまり原点に戻るということである。その役割こそ五輪組織委員会が果たさなければならない。

ところでそのコンセプトであるが、2020東京オリンピックがどんなコンセプトを持ってIOCに提案したかを語る専門家はほとんどいない。実は、そのキーワードは「スポーツ・フォー・トゥモロー」となっている。この「スポーツ・フォー・トゥモロー」を実行すると宣言したことで、日本の方針をIOCが高く評価し、それが招致決定の決め手になった。そして同時に東京五輪の実施にあたって、この「スポーツ・フォー・トゥモロー」の実行が求められるという経緯になっている。この経緯などについては村上龍が主催しているJMMに投稿し広く知られている米国在住の冷泉彰彦氏は、そのキーワードについて、3つのスポーツ貢献を果たしていくというものであったと指摘をしている。(詳しくは2014年8.5.のNewsweekの「コラム&ブログ」をご一読ください。)
ところで、その貢献を簡略化するとすれば、
1)青年海外協力隊などの活動として、途上国などに日本のスポーツ振興のノウハウや施設を普及させる。
2)日本のスポーツ文化と世界の最先端のノウハウを融合した高度なスポーツマネジメントに関する国際的な人材育成を行う。
3)そして、今盛んい行われているアンチ・ドーピング活動を国際的に支援する。
調べた範囲は限られているが、概略は以上のようで、「スポーツを通じた未来への社会貢献」という意味合いについて、その社会貢献世界については誰もが納得理解し得るものだ。しかし、この方針はメッセージ性はあっても地味であるため、オリンピックのもつイベント性、お祭りというエンターテイメント溢れるビジネス世界とは異なるものである。
よくロンドンオリンピックは成功したと言われているが、その成功のためには英国が抱えている多様な社会矛盾を視野に入れた一種の社会運動としてスポーツを位置付け、その目標にロンドンオリンピックを置いたことによる。つまり、お金をかけないコンパクトオリンピックもそうであるが、「オリンピックは儲かる」という転換点となったロサンジェルスオリンピック以降の反省、いきすぎた商業主義としてのオリンピックの反省を踏まえたものであった。周知のサッカー界においても同様で、汚職にまみれたFIFAの改革にも繋がる課題である。ある意味世界的なスポーツビジネスの潮流を踏まえたコンセプト、方針であった。これがロンドンオリンピックであり、東京オリンピックのポリシーであったと。こうしたポリシー・コンセプトを詰め、祭典というエンターテイメント世界との折り合いをつけるという進化の努力がまるで見られない。

こうした東京招致への経緯への理解がないところでの議論、ノンコンセプト状態においては、建設費が高い、安い、デザインが好き、嫌いといった基準なき基準のまま、選定基準の公開性といった議論だけが進んでいくことであろう。しかし、本質的な議論のないところでは国民的な盛り上がりは期待できない。思い起こせば、招致決定前の世論調査では、招致に賛成の国民はせいぜい50%程度で、マドリード78%、イスタンブール73%、と比較し一番低かった。つまり、今なお賛成という日本国民は少ないという現実を直視しなければならないということである。そして、今回のようなノンポリシー、ノンコンセプトによる無様さは世界中に伝わってしまった。クールジャパンどころか、バッドジャパンである。オリンピックこそ、目指すべきスポーツを通じた未来を語る場であって欲しい、誰もがそう思っている。しかし、今なおコンセプト不在であると共に、語るリーダーもいないという最悪の事態に至っている。(続く)
  


Posted by ヒット商品応援団 at 14:04Comments(0)新市場創造