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「人力経営」という本を書きました。ヒット商品の裏に潜んでいる「人」がテーマです。取材先はダスキン、エゴイスト、野の葡萄、叶匠寿庵、桑野造船の経営リーダー。ユニーク、常識はずれ、そこまでやるのか、とにかく面白い経営です。星雲社刊、735円、新書判。

2018年04月29日

名脇役が物語を創る 

ット商品応援団日記No711(毎週更新) 2018.4.29.

衣笠祥雄さんが亡くなった。昭和の時代、プロ野球が国民的スポーツとして観戦した時代のヒーローの一人であった。多くのスポーツ紙を始めTVメディアもこぞって衣笠祥雄さんの「感劇」した一つ一つの場面を思い起こさせてくれた。再来年のオリンピック競技種目を見てもわかるように、この時代のスポーツは多様なスポーツの時代ではなく、ある意味プロ野球は国民的なスポーツであり、それはちょうど TVメディアが絶頂期であった時代でもあった。誰もが野球中継のTV画面に釘ずけになった時代で高視聴率を上げた時代でもあった。

ドラマ、それは少々陳腐な表現になるが、何が起こるかわからない、筋書きのない物語のことである。それが目の前で繰り広げられる光景に、心動かされる物語のことである。それは前以て作られる未来ではなく、プレーをする当事者ですらわからない未知の世界のことである。そして、この時代、1970年代から1980年代にかけた時代は、高度経済成長期のいざなぎ景気を終えても日本経済は成長し続けていた時代で、オイルショックはあっやものの人も、街も活気があふれていた時代であった。歌謡曲が時代を映し出していたように、野球もまた時代という大衆の心もようを映し出していた。そうした意味において、大きな物語の時代であり、「国民的」という表現の意味通り時代が求める共通関心事が大きかった時代でもあった。

衣笠祥雄さんの野球人生、「鉄人」と呼ばれたように連続試合出場の世界記録を果たしたり、デットボールを食らっても痛みの表情すら見せずに一塁に向かう、野球界には珍しい優しい人間性を持った人物であった。こうした逸話はすでにスポーツ紙が訃報と共に書いているのでことさら書き加えることはない。あるとすれば1979年11月の日本シリーズ、弱小球団同士の広島カープと近鉄バッファローズの試合を興奮してTVを見ていたことを思い出す。そう、あの山際淳司が翌年1980年に書いたドキュメント「江夏の21球」(文藝春秋、「ナンバー」)である。「近鉄対広島」第7戦の9回裏の江夏豊が投げた21球だけをドキュメントしたもので、従来のスポーツエッセイにはまるでないものであった。そのときのバッターや監督や江夏自身に取材しながら構成したものである。
 江夏はスクイズをフォークに見えるような下に落ちるカーブではずして、3塁走者を殺し2アウトをとり、さらに最後の打者石渡を三振に切って落として広島を優勝に導いた。後にNHKスペシャルにおいても取り上げられスポーツの楽しみ方、「感劇」の仕方を教えてくれたものである。

私の場合、実は山際淳司が書いた「江夏の21球」とは異なる一フアンとしての見方をしていた。一フアンとは広島ではなく、近鉄、いや監督である西本幸雄のフアンであった。西本幸雄は広島と同様プロ野球のお荷物球団と言われた弱小球団であった阪急及び近鉄を優勝できるチームに育て上げた名監督である。その指導力は後の広岡監督や野村監督などプロ野球界で広く認められるものであった。その野球への情熱は時に選手への鉄拳制裁に見られるように批判を招くものであったが、それは愛情溢れるもので選手も良く分かっていた、そんなリーダーであった。1979年の日本シリーズの前年のオフにはそうした批判を含め監督辞任を表明したが、「俺たちを見捨てないでくれ!」と選手に引き止められて辞任を撤回し、翌年日本シリーズに向かうのである。「今の時代」であればパワハラ扱いされるかもしれないが、それは理にかなったハードな指導で、西本のように殴りこそしないものの、日本のラグビーを世界レベルに引き上げたエディヘッドコーチや日本女子シンクロの井村雅代コーチも実は同じ指導法である。選手への愛情があればこそのハードな練習であり、指導であるということである。
2011年悲運の名将西本幸雄の葬儀で当時日ハム監督の梨田昌孝はその弔辞で『近鉄に入団して3年目の74年に、西本監督が阪急から移ってきた。「お前らがいたから近鉄に来たんや」と声をかけられ「3年で1000万円プレーヤーにする」と約束された。厳しい指導のもと、それは現実となった。』と。更に『開幕前日の4月11日のこと。電話口で叱咤されたとも。斎藤佑樹、あいつの投げ方はあかん。電話を切ろうとすると「待て、中田翔のバッティングや」と続いた。90歳のアドバイスは、30分に及んだという』。そんな人物が西本幸雄という人間である。

ところで、私の1979年の日本シリーズ物語は、舞台はこの一戦で優勝が決まる大阪球場、出演者は主演は江夏豊と西本幸雄、そして助演は衣笠祥雄さん。筋書きのない物語、何が起きるかわからない、どんどん引きずり込まれる劇であった。西本フアンとしては「打ち勝つ野球」で優勝して欲しかったのだけれど、満塁の場面で「江夏の21球」にもあるように江夏の投げた17球目のスクイズが空振りになり3塁走者が挟殺され、物語は終わったなと感じたのを今でも思い出す。そして、西本監督に勝たせてあげたかったと思ったことも。以降、あのスクイズ失敗について多くの議論が巻き起こった。
この満塁劇にあって、多くのドラマが生まれていた。このドラマについてはウイキペディアに詳細があるので引用することとする。

『「同点にされたらもう負ける」と考えた古葉は、1点もやらないという狙いのもと、吹石の盗塁を覚悟の上で前進守備を選択した。ネット裏の野村克也の目には、この前進守備は危険な選択として映った。
これと同時に、古葉監督はブルペンに北別府学を派遣。この時ブルペンでは既に池谷公二郎も投球練習をしていた。ブルペンが動くとは思っていなかった江夏は、これを見て「オレはまだ完全に信頼されてるわけじゃないのか」と内心で憤り、「ここで代えられるくらいならユニフォームを脱いでもいい」とまで思った。』

この時衣笠は一塁からマウンドで苛立つ江夏に駆け寄り言葉をかける。「お前がやめるならオレもやめてやる」。そう声をかけられた江夏は「生え抜きのサチが…」と感激。これで落ち着きを取り戻し、カーブの握りのままスクイズを外す投球を見せ、名場面を生んだ。「あの苦しい場面で自分の気持ちを理解してくれるやつが1人いたんだということがうれしかった。あいつがいてくれたおかげで難を逃れた」と、後ににそう話している。

衣笠さんは江夏豊、西本幸雄という主役に対し名脇役ということになる。いや日本プロ野球の偉大な脇役であったということである。名脇役が物語を創る。脇役が生きる時代は素敵である。主役だけでは物語足り得ない。それは何故か、名脇役がいることによって物語は更なる「意味ある世界」へと広がり、それを私たちは人間ドラマと呼ぶが、多くの共感に結びつくからである。衣笠さんの訃報に接し、江夏は「しょうがない。順番だから…。一つ言えるのはいいやつを友人に持ったなということ。本当に俺の宝物だった。こんなに早く逝くとはね…」と。続けて「どっちみちワシもすぐ追いかける。向こうの世界で野球談議でもするよ」と寂しそうに話したとスポーツ紙は報じている。物語は伝説となって続いていくということだ。(続く)


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Posted by ヒット商品応援団 at 13:36│Comments(0)新市場創造
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