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「人力経営」という本を書きました。ヒット商品の裏に潜んでいる「人」がテーマです。取材先はダスキン、エゴイスト、野の葡萄、叶匠寿庵、桑野造船の経営リーダー。ユニーク、常識はずれ、そこまでやるのか、とにかく面白い経営です。星雲社刊、735円、新書判。

2017年11月12日

続く無縁社会 

ヒット商品応援団日記No692(毎週更新) 2017.11.12.

座間の猟奇殺人事件による被害者の身元が判明し報道されている。こうした事件を取り上げたくはないのだが、無縁社会が引き起こす事件として、ある意味象徴的事件が起きてしまったことになんとも言えない思いにかられる。実は今から7年半ほど前に「無縁社会とツイッター」というタイトルで次のようにブログに書いたことがあった。

『昨年(2009年)のヒット商品の一つであったツイッターが更に広がりを見せているようだ。日経MJによれば昨年は月間利用者が250万人に及んでいると報じていたが、政治家を始め、企業の新製品の試食会やモニターリングなど多様な使われ方が表へと出てきた。当初は140文字以内のつぶやくミニブログであったが、その双方向コミュニケーションのスピード、即時性によって、新しい会話メディアとして定着し始めたということであろう。
そもそもプログの発展は、誕生した米国では主にビジネス用として使われていたが、日本に導入されるや「子育て情報」の交換・交流メディアとして、更には自分のペットを舞台へと上げるメディアとして成長してきた。日本の場合は、「話し相手・つながりを求めて」という動機であったということだ。その裏返しであるが、いかに話し相手がいないか、個人化社会の進化と共に生まれてきたメディアと言えよう。』

無縁社会は高齢社会の進行とともに、また若い世代においては家庭の崩壊、学校の崩壊によって生み出されたものだが、個人化社会という「つながり」を求めたコミュニケーションはツイッターやFacebookなどSNSへと発展していく。現在はどうかと言えば、ソーシャルメディアのユーザー数・年齢層・利用率などのデータが公開されている。

1、Facebook;国内月間アクティブユーザー数: 2,800万人 
2、Twitter;国内月間アクティブユーザー数: 4,500万人
3、LINE;月間アクティブユーザー数:7,000万人以上
4、Instagram;月間アクティブユーザー数: 2,000万人

複数のアカウントを持つユーザーの総計であるが、いかに個人メディアが浸透しているかがわかる。こうした膨大な「個」の表現世界を検索するには従来のGoogleやYahooでは最早スピードを持ってたどり着くことができなくなっている。何回かのキーワードを入れなければならなくなっている現実があり、若い世代の場合特にそうであるが、特別な興味関心事を共有する場合#(ハッシュ)タグをつけて行うことが一般化している。世界最大のSNSであるFacebookも少し前にこの#タグで検索できる方法が取り入れられほとんどのユーザーは無縁空間に向かって直接語りかけることが可能になった。

ところでこのツイッターであるが、無縁社会にあって、血縁、地縁、職縁といった動かし難い大きな観念から離れた、小さな軽い縁、ゆるい縁結びメディアである。インターネットというと、少し前までは「仮想世界」で仮想と現実を行ったり来たりするメディアであると理解されてきたが、実は仮想どころではなく、全て「現実」社会の出来事としてある。デジタルネイティブ世代という言葉があるように、仮想と現実の境目のない若い世代がネット社会の多くを占める時代となっている。ツイッターと同じ機能を持つ掲示板である2ちゃんねるとは根本異なる次元のコミュニケーション世界が広がっているということだ。
つまりトランプ大統領のツイッターではないが、ダイレクトに現実世界を動かすメディアとなっている。「インスタ映え」というキーワードがあるように、好きなラーメンを食べに行くのではなく、ちょっと面白いインスタ映えするラーメン屋に写真を撮りに行く、といった具合である。ツイッターやインスタグラムで公開された「写真」が素敵だとして一躍観光ブームが起こる、そんな時代にいる。誰も使ってはいないが、「ツイッター的リアリズム」というキーワードが思い浮かぶほどである。

このようにSNSでは個人単位の小さな興味からヒット商品が数多く生まれている。それが公開され「いいね」であれば急速に拡散して行く、バイラルマーケティングという言葉そのものの効果を生み出すメディアとなっている。語の真の意味を表現するならば、「バイラル」とはウイルス性、感染的の意味で、口コミでよく使われる「拡散希望」を可能とするメディアのことである。
こうした「拡散」して行く中で、今回の事件の場合は逆の世界で、「特定」「固有」の興味・関心事を共有する絞り込みを可能とするのが#タグという仕組みである。そして、今回の座間の猟奇殺人事件で使われた興味関心事の#タグが「自殺」であった。

若い世代の自殺願望の多くはいじめや受験・就職などの失敗が契機となっていると指摘されている。その心理の背景には間違った「自立」と「自己責任」認識があるとする専門家・教育関係者は多い。その認識は「自立」を家庭や帰属する組織から離れ独り立ちすることであると教えられてきた。自立とはこうした「社会」から離れ独り立ちすることではなく、「社会」の中で自分の果たす役割を全うすることにある。その時重要なことは自分でできることと、できないことをきちんと認識し、周りの仲間と補いながら役割を果たすこと、これが自立である。このことが家庭での子育ての第一義であり、学校もそれに沿った教育をすべきである。ある意味、偏差値を含めた「競争」がこうした教育を歪めてしまっているということだ。同様に、受験も就職も「自己責任」の一言で決めつけられる、そんな偏った個人化社会が背景としてある。

歪みつつある個人化社会にあって、今一度認識を新たにしなければならない。利他の精神という言葉が仏教にはある。自分のことはあとまわし、まず相手のことを考え行動する、これが「利他の精神」で利他に徹すると、結果は自分に返ってくる。つまり自利(自分の利益)は利他の結果であると。利他の心を持って周りの仲間に接しようとしてもそれを阻害する「いじめっ子」はいる。教師がわからないところでのいじめに対しては子の両親は徹底して教師・学校と戦うことだ。なぜなら、当たり前のことだが、「利他の心」を教えるのが学校教育で、受験などのスキルは2番目である。

今回の事件を受け、政府はSNSを含め不適切なサイトへの対策を強化すると報じられている。具体的には「自殺サイト」などの実態を把握し、サイトの削除や書き込み制限など対策の強化を図るとのこと。さらにネットを通じて自殺願望を発信する若者が適切な相談相手にアクセスできるよう取り組むという。
しかし、「自殺サイト」はさらに裏サイトへと変化していくだろう。勿論、防止策としては必要で、特にネット上での相談窓口の強化が必要となっている。少し前の「夜回り先生」こと水谷先生のような相談者が必要となっている。こうした対策は最後の防止策であり、その前に全てを「個」に解決を求める時代の傾向の中で、立ち返るべき基本はやはり家庭や学校である。ちょうど11年前に「いじめ」の問題にふれてブログに次のように書いたことがあった。それは糸井重里さんが主催する「ほぼ日刊イトイ新聞」の中で読者であるお母さんと子供のやりとりに詩人谷川俊太郎さんが答えたものである。(再録)

『【質問六】
どうして、にんげんは死ぬの?
さえちゃんは、死ぬのはいやだよ。
(こやまさえ 六歳)
追伸:これは、娘が実際に 母親である私に向かってした
   質問です。目をうるませながらの質問でした。
   正直、答えに困りました~
   
■谷川俊太郎さんの答え
ぼくがさえちゃんのお母さんだったら、
「お母さんだって死ぬのいやだよー」
と言いながらさえちゃんをぎゅーっと抱きしめて
一緒に泣きます。
そのあとで一緒にお茶します。
あのね、お母さん、
ことばで問われた質問に、
いつもことばで答える必要はないの。
こういう深い問いかけにはアタマだけじゃなく、
ココロもカラダも使って答えなくちゃね。』

「アタマだけじゃなく、ココロもカラダも使って答えなくちゃね」と答える谷川俊太郎さんの温かいまなざしに多くの人は共感すると思う。アタマという言葉を理屈という言葉に置き換えても、ココロを素直にと置き換えても、カラダを行動すると置き換えてもいいかと思う。そして、この答えはお母さんに対してだけではない。教育者にも、社会に対してもである。
ただココロもカラダも使って答えるべき母親のいないひとり家庭が増えており、厚労省の平成27年度のデータでは146万世帯とのこと。今回の座間の事件の容疑者が特定されたきっかけは被害者田村愛子さんのお兄さんであり、田村愛子さんが行方不明になって懸命にツイッターなどで情報収集を行い、捜索活動をした結果であったと報じられている。そして、その田村愛子さんの育った家庭と言えば、母親と二人の子供の母子家庭で、母親が亡くなった今年事件に巻き込まれ犠牲になったという。想像するに、亡くなった母親はココロもカラダも使って二人の子育てをしていたことだろう。母親を失った喪失感が「自殺」に向かったとすれば無残としか言いようがない。
無縁社会とは「世間」という概念が無くなってしまった社会のことである。多くの人が「縁」を求めてネット空間に入って行くが、この空間に「世間」を創ることこそが問われているのだ。座間の猟奇殺人事件を教訓とするならば、アタマという規制も必要であるとは思う。しかし、同時にココロとカラダを使ったネット上の「夜回り先生」こそが必要な時代となっている。(続く)

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