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「人力経営」という本を書きました。ヒット商品の裏に潜んでいる「人」がテーマです。取材先はダスキン、エゴイスト、野の葡萄、叶匠寿庵、桑野造船の経営リーダー。ユニーク、常識はずれ、そこまでやるのか、とにかく面白い経営です。星雲社刊、735円、新書判。

2016年10月09日

果たして、豊洲ブランドは成立するであろうか?

ヒット商品応援団日記No660(毎週更新) 2016.10.9.

東京中央卸売市場の築地から豊洲への移転計画において、築地ブランドという言葉と共に、豊洲ブランドという言葉が使われ始めている。ブランド価値、無形の資産ブランドという考えがビジネスに導入されてきた背景には、例えば同じ便益・機能を持つ商品がA社では100なのに、何故B社では120と評価されるのかという、誰もが持っている心理的価値に着眼してきたことによる。その心理的価値とは何かであるが、結論から言えば「人は皆、記憶の生産者である」ということが根底にある。多忙な日常の中で記憶はある時何かに触発され、商品やサービスを使い、満足を得て、そして「思い出すこと」によって記憶は深く刻まれる。その繰り返しがブランド価値を更に強めたり弱めたりしていく。そうした期待と満足が時間をかけて創られるのがブランドである。つまり、ブランドは顧客によって創られるものであり、長い時間にわたって育てられた文化価値のことである。

ブランドという言葉以前に日本には老舗・暖簾という言葉がある。実は日本ほど老舗企業が今なお活動している国はない。創業200年以上の老舗企業ではだんとつ日本が1位で約3000社、2位がドイツで約800社、3位はオランドの約200社、米国は4位でわずか14社しかない。何故、日本だけが今なお生き残り活動しえているのであろうか。出口の見えない失われた20年と言われてきたが、グローバリズムの波、激烈な価格競争、そうした市場に生き残るためのヒントがここにある。その象徴とも言える世界最古の会社である金剛組について以前ブログに次のように書いたことがあった。創業1400年以上、聖徳太子の招聘で朝鮮半島の百済から来た3人の工匠の一人が創業したと言われ、日本書紀にも書かれている宮大工の会社である。何故、1400年以上も生き残ってきたのかである。その苦難の歴史は別の機会とし、金剛組の仕事にその秘密はある。

『宮大工という仕事はその出来上がった外形面からはできの善し悪しは分からない。200年後、300年後に建物を解体した時、初めてその技がわかるというものだ。見えない技、これが伝統と言えるのかも知れないが、見えないものであることを信じられる社会・風土、顧客が日本にあればこそ、世界最古の会社の存続を可能にしたと思う。
しかし、今日の情況はと言えば、「見える化」というキーワードが流行るように、膨大な情報のなかで、これでもかとパフォーマンスを高めることに注力しなければならない時代となっている。物やサービスの評価の前に情報競争に勝たなければ先に進むことが出来ないからだ。』

実は築地市場にはこの「見えない技」が代々継承されてきた。よく「こだわり」と言うが、宮大工の世界まではいかなくても、「見えない」世界に執着することがこだわりである。その執着を今まで私たちは修行と呼んできた。例えば、料理で言えば、基本の出汁は言うまでもないが、隠し味、隠し包丁、見えない工夫に執着することこそこだわりであろう。ファッションであれば、外面デザインだけでなく、素材や縫製更には裏地やボタン一つということになる。こうした「見えない技」を築地では「目利き」と呼ぶプロの人たちが卸売市場を形成してきた。
こうした食のプロ達が日常食べる店がいわゆる場外市場と呼ばれている場所である。この場外には数年前から多くの人がその食を求めて行列する、そんな観光地にもなってきた。プロの料理人が食べる賄い飯を素人である生活者が求める構図は、隠れ家食堂のようなものである。
もう一つの「見えない努力」は食の安全に対する日々の努力であろう。最近築地には行ってはいないが、若いころ銀座で働いていた頃はよく歩いて場外の寿司店など利用していた。当時から建物は老朽化し、決して綺麗とは言えない場内外であったが、ここ数十年食中毒など一度も聞いたことがなかった。これも衛生という見えない世界に対する伝統であろう。そして、この見えない世界という伝統を育ててきたのも築地から食材を仕入れきた鮮魚店や青果店、あるいは飲食店であり、その向こうには膨大な安全安心を求める消費者がいるということである。

さてこうした築地が創ってきたブランド価値、有形無形の文化価値は豊洲でも創っていけるであろうかということである。今、豊洲市場の建物の地下空間に盛り土がなされておらず、その安全性に対する疑義が噴出している。土壌や地下水の汚染等の専門家ではないので科学的な安全性についてはコメントできる立場にばない。しかし、東京都議会が始まり、専門家会議や技術会議といった安全を担保する人たちの提言とは異なる建築物になっており、既に「風評」という二次被害は始まっている。その風評とは市場の第一次顧客である鮮魚店や青果店、あるいは飲食店が移転しても大丈夫なのかという「不安」となって現れている。
こうした風評被害の構図は5年半前の東日本大震災による福島の原発事故を思い起こさせる。当時の一番大きな問題は事故後1週間ほどの初動メッセージであった。「メルトダウンは起きてはいません。既に原子炉は止まっており心配はいりません」、そう繰り返し発表されてきた。しかし、その後水素爆発が連続して起こり、無惨な建屋が映像として現れる。そして、その建屋は原発事故の象徴記号として今なお記憶に残っている。
こうした虚偽のメッセージこそが「不安」を生むことにつながっている。今回の建物の地下空間に盛り土がなされていなかったことを隠したり、地下にたまった水を地下水にもかかわらず雨水であると言ったり、こうしたメッセージを出せば出すほど不安は増幅し、より具体的な被害へと向かっていくのだ。不安を作っているのは東京都自身であるということである。

そして、卸売市場を取り巻く商環境であるが、鮮魚や青果は大手流通の場合は「一船買い」あるいは「一畑買い」が行われており、一定量を継続確保するためのいわば補足的な仕入れへと向かっている。大手飲食店の場合も直接漁港の市馬などから仕入れる、あるいは生産者と交渉して仕入れる、こうした卸売市場を介在させない方向に向かっている。これが現状である。
またこうした中間事業者を通さない流通は「個人」においても産直として行われ、互いに「顔の見える関係」として商品の売買がなされ、この傾向も増える傾向にある。
東京都は都内にある市場事業の個別市馬の売り上げ等詳細を発表していないので移転の是非についてはコメントできないが、「移転&再開発」については秋葉原の場合はJR東日本の協力もあって、ユニークな街づくり、オタクと最先端ITとが交差する他にはない街へと変化・進化させてきた。そして、1989年には神田青果市場は大田市場へと移転し、これも順調にいっていると聞いている。

ところで豊洲は市場として成立するのであろうか、という疑問が起きてくる。勿論、築地という銀座に隣り合わせた超一等地の売却が前提である。移転先の豊洲にこれまで6000億円近く投資しているが、これも売却が前提であるが、「安全」が科学的にも十分担保できた場合であっても、果たして豊洲市場の大家さんである東京都はビジネスとしてやっていけるのか疑問が残る。それは「安全」は科学的に担保されても、「安心」にはつながらない状況に至りつつあるからである。安全=安心ではないということである。築地で営々と培ってきた信用に基づく安心を再びどう豊洲で創っていけば良いのかという問題である。

そして、豊洲市場のスペースに新たな観光拠点として「千客万来施設」を誘致する予定であったが、運営会社に、整備設計の一時中止を要請したことが分かった。敷地の地下を駐車場にする設計だったが、既に施工済みの盛り土を除去する必要があり、地下水への影響など安全性の検証が不可欠と判断したとの事。この計画は簡単に言ってしまうと、「築地場外市場」と温浴施設を中心に置いた170~280店が入居可能な飲食店街の「商業ゾーン」の構成となっている。この計画を中断するというものである。元々周知の大和ハウス工業がこうしたデベロッパー役としてオーガナイズする予定であったが、理由はわからないが撤退した経緯がある。その役割を温浴施設である万葉倶楽部が運営することになっていた。こうした経緯を見てきた私にとって、東京都は困って観光施設などという卸売市場とは全く異なる集客装置に手を出さざるを得なくなったと推測していた。まあ、これもビジネスではやむを得ないことだとは思っていたが、コンセプトづくりを長年やってきた私にとっては「卸売市場」を観光化するのであれば、集客のための温浴施設は必要はないと考えていた。
いずれにせよ、観光もあらゆる意味での「安全」が不可欠となる。

その安全であるが、ITを駆使した汚染による「0リスク」を目指す試案もある。その一つであるが、全ての個々の食材はコストがかかりすぎて難しいが、水産であれば「漁船や漁港単位」、農作物であれば「畑や生産者単位」の安全確認のための履歴の追跡、いわゆるトレーサビリティの仕組みを提案する専門家もいる。しかし、トレースして「汚染のリスク」があったらどうするのか、という問題は依然として残る。こうした「0リスク」を確率論として処理することは可能だが、それでブランドとして成立できるであろうか。つまり、一度は買っても二度と買うことはないというのが答えである。こうした理屈とは異なるのが消費における心理である。

顧客が主人公の時代とは、安全と安心との間には大きな谷間があることをまず認識することから始めなければならない。既に現在は風評等負のスパイラルへと向かっている。それは東京都の縦割り行政や無責任体制といったガバナンスの欠如によってそのスパイラルを加速させている。ブランドを創るのは最終顧客であると私は書いたが、例えば評判の前では風評は消滅する時代のことでもある。何故なら、誰もがリアルな体験をこそ信じているからである。自分が食べてみて、これは本当に身体にも良いとみんなそう思いたがっているということだ。勿論、デマ好き、愉快犯的人間もいる。それは風評ではない。皆、風評を打ち消してくれる、不安を打ち消してくれる「何か」を欲しがっているということだ。もし、豊洲への移転を小池都知事が政治決断したとするならば、その「何か」は今なお築地にはあるということである。築地の誕生、いわば創業の精神に立ち帰る、その生きざまを「豊洲」に重ねてみることだ。重ねても重ねても難しいということになるのであれば、移転は断念し、現在の築地市場を再度段階的にリニューアルする計画二することだ。こうした顧客の期待に応えることから始めるということである。そのためには言うまでもなく、まずは徹底した「情報公開」からであろう。(続く)

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