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「人力経営」という本を書きました。ヒット商品の裏に潜んでいる「人」がテーマです。取材先はダスキン、エゴイスト、野の葡萄、叶匠寿庵、桑野造船の経営リーダー。ユニーク、常識はずれ、そこまでやるのか、とにかく面白い経営です。星雲社刊、735円、新書判。

2016年08月17日

未来塾(23) パラダイム転換から学ぶ (江戸と京)後半 

ヒット商品応援団日記No654(毎週更新) 2016.8.17

文化が経済を牽引する時代になった。その文化はすでに江戸時代に生まれている。それは今日からの「下りもの」として。そうした江戸と京が交差するところに新しい市場が生まれる。今回は「江戸と京」の後半である。

庶民から生まれる文化
未来塾(23) パラダイム転換から学ぶ (江戸と京)後半 ヨーロッパの文化はオペラが代表するように貴族社会や宗教社会から生まれ、それが次第に庶民へと浸透していった。一方江戸文化は庶民から生まれ、武家社会にも浸透していった特異な文化である。そうした江戸文化を代表するのが浮世絵であるが、その誕生は1680年ごろで絵師と呼ばれていた。今日伝わっている浮世絵は娯楽そのもの、遊里や芝居町の遊女や役者を描いたもので、江戸のプロマイドのようなものであった。
そして、売れるために多色刷りになり、江戸土産にまで発展する。こうした出版物はより専門分野化し、現代の紳士録のように大名の家臣の名前や、紋所、系図、給料まで掲載する出版物まで出てくるようになる。地図類や旅行のガイドブックも人気で、名所旧跡、寺院、景勝地など出版文化が発展する。
こうした江戸文化の基礎となったのが、周知の寺子屋教育で江戸市内であれば、ひらかなであればほぼ100%の識字率であったと言われている。こうした背景から絵草紙なども広く読まれ、貸本屋も繁盛した。江戸の貸本屋は店舗を構えたものではなく、行商のように長屋に訪問レンタルしてくれるサービスで、価格は一般購入価格の6分の1程度で皆で回し読みしたと言われている。そして、幕末には江戸市内には800もの貸本屋があったと言われている。


男と女が交差する

そして、こうした出版文化とともに、新しい、珍しい、面白いを生み出す江戸マーケティングで注目しなければならないのはやはり「歌舞伎」であろう。男が女役をするという前代未聞の在り方もさることながら、当時は御法度であった不倫をテーマにした心中ものを始めコンテンツそれ自体もかってないものであった。「既成」とは全く異なるコンテンツを小屋という表舞台に上げたことを含め、新しい、珍しい、面白いものの冴えたるものと言える。
歌舞伎の原語である「斜(かぶ)く」とは、それまでの常識外の異形の様に傾倒することであり、真反対ではあるが宝塚の男装の麗人と同じ心理であろう。勿論、幕府としてはそれまでの武士の精神文化とは全く外れたもの、悪徒として規制を行うが、それは庶民ばかりでなく、次第に武家の奥方や女中衆まで熱狂的な女性フアンをつくり、1泊2日の芝居見物、今日言うところの舞台観光ツアーが組まれ、まさしく文化が経済を引っ張っていった。前回にも触れたが、これも「垣根のない」江戸ならではの消費である。
こうした「既成」から外れた表現は、身近で言うならば1980年代のファッションにも出てきている。女性はそれまでの男性のような肩パッドの入ったスーツを好み、男はといえば逆になぜ型のスーツを着る。DCブランドブームとして若い世代が丸井に行列を作っていた光景も同じである。男性は女性の何かを取り入れ、女性もまた男性の何かを取り入れて楽しむ、そんな第三の市場が江戸にもあったということである。

男の時代
未来塾(23) パラダイム転換から学ぶ (江戸と京)後半 
歌舞伎以外にも浄瑠璃や寄席、あるいは講談といった楽しみが広く江戸庶民に広がる成熟した文化都市であった。その文化の中心には男がいた珍しい時代であった。平易に言うならば、旦那の時代、「粋」を求めた文化の時代である。つまり、「こだわり」から「粋」「鯔背(いなせ)」へと、モノからスタイルへの転換が起き始め時代への端緒であるといえよう。モノ消費から時間消費、出来事消費、スタイル消費への移行である。消費の主役である女性から、まだ端緒ではあるが「粋」で「鯔背」な男性が消費という舞台に上がる。フランスのような気障でもなく、ドイツのような野暮でもなく、粋で鯔背な「男文化」が江戸における消費のもう一つの主役であった。
今や家計は緊縮の時代となっており、ワンコインランチ時代にあっては粋で鯔背なスタイル消費は一部の旦那世代・シニア世代のみとなっている。


パラダイム転換から学ぶ


江戸の1極集中・大移動化社会

未来塾(23) パラダイム転換から学ぶ (江戸と京)後半 
実は江戸の1極集中から生まれた豊かさについて、参覲交代という大移動化社会との関連から指摘した文献は極めて少ない。
その参覲交代であるが、原則1万石以上の大名は藩邸(駐在屋敷)を江戸に置くということは、政治としての全国統治の仕組みではある。しかし、その経済効果という視点に立てば、1年交代で定期的に「移動」する参覲交代は、ある意味大移動化社会を前提とした都市構造を創らせている。
ちなみにウイキペディアによれば以下のような規模を持っての参勤交代で、五街道を始め江戸と自藩とを結ぶ街道の道路や橋などの整備、あるいは宿泊の宿など周辺経済に及ぼす効果は莫大であった。
・仙台藩伊達家(63万石) 4-9日 2000~3000人規模  経費3000~5000両
・加賀藩前田家(103万石) 13日 2000~4000人規模  経費5333両
・鳥取藩池田家(33万石) 22日 700人規模  経費5500両
*ちなみに、江戸260年の間概ね250~270の藩が存在していた。

この幕藩体制における財政出動は、各藩の財政を苦しめたが、全国の主要幹線道路や港湾などの社会インフラ整備がなされ、その周辺経済を大きく持ち上げた。これは今日の国と地方とが分担しあって公共工事を行うこととほぼ同じようなものである。こうした大規模な列島改造は1970年代の田中角栄による列島改造論と同じように見えるが、田中角栄による列島改造は人とカネと物の流れを巨大都市から地方に逆流させる “地方分散” を推進することであったのに対し、江戸時代の参覲交代はその逆で江戸へと人とカネと物の流れを作り、一大集積した点にある。江戸の豊かさの背景にはこうした参覲交代の制度によるものが大であった。そして、江戸に住む武士はいわば行政マンであり、その多くは単身赴任者であった。簡単に言うならば、生産することなく消費のみの存在としてある。
その旺盛な消費は、京をはじめとした上方を真似することから始まった江戸であるが、その集積度の大きさは参覲交代という制度によることが大きいが、江戸は上方とは異なるもう一つの魅力ある輝きを見せる。ある意味2つの都市は競争相手としてあった。そして、江戸に豊かさが集中したのは江戸周辺の地域における軽工業の発展と共に、商業が発展したことによる。つまり、それだけ消費市場が大きく、まさに消費都市であり、その豊かさを目指し、人も物もおカネも江戸を目指す。ある意味、こうした好循環によるものだと言えよう。

このように1極集中のように見えるが、その江戸内部にあって競争相手も集中する市場であった。屋台も行商も互いに独自な口上を持ったパフォーマンスの商売をしており、いわば競争市場としてあった。商業の発展とはこうした江戸内競争市場のことで、今日の商業施設の競争と基本は同じである。
例えば、以前未来塾で取り上げたが、江東区の砂町銀座商店街とヨーカドーグループが総力を挙げて出店したアリオ北砂の関係である。アリオ北砂という巨大なショッピングモールが出来たことによって、逆に砂町銀座商店街も生きる術・特徴を見出し活気ある商店街として今日に至っている。
あるいは、横浜興福寺の松原商店街も、お手本は上野のアメ横として、ハマのアメ横と自ら呼び、誕生当初からわけあり激安コンセプト商店街として成長すらしている。今日のマーケティングとして見るならば、競争相手を潰すことではなく、異なる魅力を創造することによる選択肢を顧客に提供すること。つまり、棲みわけ市場のことを競争市場と呼んでいる。

ところでこうした江戸の1極集中から、これからの地方はどうすべきか、何を学ぶかである。勿論、時代を取り巻く諸環境は異なり単純な比較はできないが、現在の地方移住のあり方、特にIターンにおける助成といった施策、更には地方における高齢者移住といった分散化の仕組みだけでは1極集中の波を変えることはできない。
例えば、高齢者の人気移住先はどこかと言えば、NPO法人のふるさと回帰支援センターは「田舎暮らし希望地域ランキング2014」を都道府県別に発表している。1位になったのは山梨県で、長野県が2位、岡山県が3位と続いている。その山梨であるが特に北杜市で八ヶ岳の裾野といった方がわかりやすい。北杜市の特徴はというと、緑が多く水に恵まれ日照時間の多い、つまり明るい田舎暮らしができる環境という魅力があるということである。そして、「空き家バンク」という紹介の仕組みは以前から出来ており、移住実績が次の移住を生むという、ここでも集中現象が生まれているのが事実である。そして、重要なことは東京からのアクセスは中央自動車道を使えば2時間50分ほどで行ける近さにある。勿論、JR中央本線もあれば、高速バスもある。つまり、都市生活に慣れすぎた高齢者にとって、終の住処であっても時には東京に出かけたいということが可能な近さだ。10数年前に「ウイークエンドリゾート・田舎暮らし」が小さなブームになったことがあった。今やその逆も出てきたということである。それを可能にしたのが、自在な移動を可能とするアクセス網が整備されたということである。
そして、北杜市の場合はテーマは「田舎暮らし」であり、あまりマスメディアに載ることはないが島根の山間地では「子育て」がテーマで子育てしやすい環境が整っており、若い世代の移住者が増えている。他にも漁村であれば後継者不足が全国的に日常化しているが、「漁業・漁師」がテーマの町おこしでは島根県沖の隠岐が漁師移住&漁業ビジネスとして成功している。

江戸時代、魅力は江戸には溢れていたが、地方の藩には新しい、珍しい、面白い、そんな魅力を作ることはなかった。しかし、そうしたいわば格差を生んだ参覲交代という大移動化社会は、江戸への1極集中をもたらした。今、1970年代に造られた全国の鉄道や道路といった交通網が都市から地方への逆流ではなく、その逆として人の都市への集中を生んでしまった。
この時代、都市高齢者に対し、福祉や医療の整備といったテーマによる「移住」だけではなく、地方ならではの魅力を掘り起こし、テーマ化し、都市生活者のプレゼンすることによって移住を促せば良い。これも一種の移動を促進するテーマ競争である。まだまだ地方には埋もれた宝物が存在しているということである。そして、宝物とするための「テーマ化」が急務となっているということである。勿論、新しい、珍しい、面白いテーマであることは言うまでもない。

エンターテイメント都市から生まれたクールジャパン

未来塾(23) パラダイム転換から学ぶ (江戸と京)後半 


クールジャパンという言葉は数年前に日本のアニメやコミックといったポップカルチャーを指す言葉として使われたが、もともとは外国のフアンが「外」からそのかっこよさ・素敵さを「クール」と表現したことから始まっている。この「外」からの視線の先には実は江戸時代にもあった。
周知のように、ヨーロッパ美術の印象派に多大な影響を与えたのが浮世絵であった。1856年にパリの店で見つけられた北斎の「漫画」はヨーロッパの人々の日本の美術 への興味をふくらませ、明治維新以降広重や歌磨呂などの浮世絵が一大ブームとなる。その影響を「ジャポニズム」と呼んでいた。こうした「外」からの構図は1990年代後半秋葉原にアニメやコミックを求めて集まった外国人オタクと同じである。国内では冷ややかな目でオタクと蔑称さえされていたポップカルチャーが日本の一大コンテンツ産業として今また動き始めている。

江戸の文化は庶民の文化であったと書いたが、それは寄せ集め人間たちが江戸に集まってプロジェクトを作り、新しい、珍しい、面白いこと創りに向かったことによる。それは1980年代の昭和の漫画が1990年代には平成のコミックと呼ばれ、オタクも一般名詞になったのとよく似ている。そして、浮世絵がヨーロッパに知られるきっかけになったのは、当時輸出していた陶器やお茶の包装紙に使われ、一部のアーチストの目に止まったことによる。同じように、アニメやコミックも単なるコンテンツとしてだけではなく、他のメディアとコラボレーションしたり、ゲームやフィギュアにまで多くの商品としてMDされるのと同じである。最近では「ちびまる子ちゃん」などで描写された日本のランドセルが一部の欧米フアンの目に止まり、、誰もが予想もしなかった少子化による右肩下がりのランドセル業界に活況をもたらしている。そして、空港の免税店でもランドセルが売られるようになった。浮世絵もアニメやコミックもそれ自体垣根を超えた強烈なメディアとなって江戸の文化、クールジャパンのインフラを創ってくれているということである。

浮世絵もアニメもコミックも、いわばマイナーなアンダーグランド文化から生まれた産物である。そして、庶民文化とは長屋文化、別な表現を使うとすれば、表ではない横丁路地裏文化ということである。昨年のブログにも訪日外国人旅行は表通り観光から裏通り観光へと変化している事例を挙げ、桜の名所観光の人気がその象徴であると指摘してきた。そして、今年の庶民・裏通り観光は夏の花火大会へと進化してきている。こうした傾向は食であれば、既にラーメン専門店や回転寿司へと向かっている。そして、今ではしゃぶしゃぶをはじめとした「食べ放題」にも続々と進出している。どこか江戸の町の食のエンターテイメントを楽しんでいるかのようである。

2つの生活文化都市

昭和と平成を分けたバブル崩壊は、未来に向かうために立ち止まり「過去」へと向かわせてきた。消費ということでは、その多くは「昭和レトロ」と言ったテーマであるが、更に過去へ江戸へと遡る動きを見せている。日本の場合、そうした気付きは「外」からもたらされることが多い。いわゆる「逆輸入」である。クールジャパンと呼ばれているものの多くがそうであるが、例えば最近では盆栽の輸出が好調である。この盆栽も江戸で流行った園芸ブームのひとつである。
文化が経済を牽引する時代を迎えているが、このように江戸にはまだまだ多くの宝物が眠っている。

千年という歴史ある寺社、あるいは雅な朝廷文化をめぐる観光地京都。周知のように米国の旅行雑誌「Travel + Leisure(トラベル・アンド・レジャー)」の読者投票では数年前からNO1の人気となっており(今年は6位)、平成26年度では年間8400万人もの国内外の観光客を集客している。実は江戸と同じように京についても庶民の生活文化は今なお残っている。特に四季折々の祭りや生活歳時が一種の生活カレンダー化されていて、生活文化が伝承されている。祭りの日をハレ、日常をケと呼ぶが、これほどはっきりとした季節感のある生活文化が残っているのは京都だけである。ハレの日はパッと華やかに、普段は「始末」して暮らす、そうした生活習慣である。例えば4月の今宮神社のやすらい祭りにはさば寿司を食べる、といった具合である。これは推測であるが、今までの京都観光の「次」はと言えば、こうした庶民の生活文化を表舞台に引き上げる工夫が必要になってくるであろう。そうしたことによって、「新・下りもの」として再び江戸・東京へ世界へ提供するということである。但し、その前に急増する訪日外国人に対する諸整備が必要となっている。東京と同様宿泊施設が足りない状況にはあるのだが、違法民泊施設が約18,000軒にも及び、更にはあまりにも酷すぎる「にわか和食の飲食店」も急増している。京の生活文化を守る以前の課題が山積している状況だ。

未来塾(23) パラダイム転換から学ぶ (江戸と京)後半 こうした残すべき財産としての生活文化商品は、江戸と京だけのことではない。広く都市と地方という関係構図としても当てはまる。アンテナショップのビジネスを手伝ったことがあるが、都心の有楽町から新橋にかけて多くの地方のアンテナショップがある。その中心顧客はシニア世代の女性たちであるが、珍しい地方の物産を一種の「下りもの」として買い求めている。
写真はJR秋葉原の高架下に店を構えているB-1グランプリを受賞した「富士宮焼きそば」をはじめとした地方の飲食店食堂である。あるいは東京駅地下のお土産コーナーには東京土産どころか、地方の駅弁を含めた全国の「食」が販売されている。ここにも「外」からの新しい、珍しい、面白いことの集積があり人気となっている。つまり、江戸・東京は地方無くしては、あるいは世界・欧米なくしては成立しないということである。この構図こそがグローバル化の本質を言い当てているということである。東京を見ていけば、世界がわかるということはこうした意味のことである。

課題はそうした「下りもの」の新しさ、珍しさ、面白さも都市生活者の求めるものでなければならない。例えば、あれこれチョットずつに応えられるようなサイズと種類、使い方・食べ方など一定の情報は提供しても、それに固執せず顧客に任せる。そんな選択肢のある売り方・提供の仕方である。そして、現状においては都市生活者のライフスタイル研究が圧倒的に足りないということである。眠っている宝もただの石になってしまうということである。そして、都市生活者に対する課題というと、真っ先に考えるのが洒落たパッケージや包装紙のデザイン開発ということになる。それ自体決して間違いではないが、長続きはしない。デザイン開発に要した費用すら回収できないことが多く見受けられる。当たり前の話であるが、商品への工夫、ちょっとしたアイディアの付与に尽きる。そして、一番重要なことは、その商品が生まれた背景、地域ならではの文化に培われた情報をわかりやすく伝えることである。つまり、商品は物ではあるが、その地域ならではの文化商品としてである。そして、浮世絵もコミックもそうであるが、文化商品は一朝一夕では成しえない。しかし、前述のランドセルのように、知らないところで人気になっている、そんな時代にいる。

江戸時代「下りもの」を含め珍奇な商品が数多く販売されることがあった。勿論、珍奇のまま消化しきれずに終わった商品は多かったと思う。しかし、そうした「珍奇さ」に対しては興味関心が深く、咀嚼の胃腸は丈夫な民族であった。咀嚼できない場合、さまさまな工夫・アイディアが加わり、結果独自な固有商品、世界に輸出するようなクールジャパン商品が生まれている。浮世絵の先にあるコミックだけでなく、寿司や天ぷらといった江戸時代からの和食は日本の代名詞となった。例えば独自な進化を続けているラーメンもそうしたクールジャパン商品としての可能性もある。推測するに和菓子もそうした楽しみな商品であろう。「珍奇」であるという誹りにめげず、まずは江戸がそうであったようにトライしてみることだ。(続く)


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Posted by ヒット商品応援団 at 13:13│Comments(0)新市場創造
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