さぽろぐ

ビジネス  |札幌市中央区

ログインヘルプ


インフォメーション


QRコード
QRCODE
アクセスカウンタ
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 1人
プロフィール
ヒット商品応援団
「人力経営」という本を書きました。ヒット商品の裏に潜んでいる「人」がテーマです。取材先はダスキン、エゴイスト、野の葡萄、叶匠寿庵、桑野造船の経営リーダー。ユニーク、常識はずれ、そこまでやるのか、とにかく面白い経営です。星雲社刊、735円、新書判。

2014年07月23日

未来塾(7)「商店街から学ぶ」戸越銀座編(後半)

未来塾「商店街から学ぶ」戸越銀座編後半を公開します。前半では商店街周辺の住民と商店構成の特徴などをスタディしました。後半では「次」の町の商店街を目指すにはどうすべきか、他の商店街の事例を踏まえて学びます。

時間帯によって表情を変える商店街

通常の商店街であると、ウイークデーの場合午後3時頃から買い物客が集中し始めるが、戸越銀座の場合は夕方5時過ぎからピークを迎える。
未来塾(7)「商店街から学ぶ」戸越銀座編(後半)
駅から西へ数分のところに中堅地域スーパーである「オオゼキ」があるが、午後3時過ぎから地元顧客である永く住んでいる主婦層が買い物に訪れる。一方、午後5時過ぎからは駅から数分という近さもあり、仕事帰りの若い女性達が買い物をし、商店街を歩いて自宅に戻っていく。
そして、商店街には永く愛されてきている創業1933年の鮮魚の「魚慶」や青果店がある。ただここ戸越銀座は砂町銀座とは異なり、お惣菜を売る専門店は極めて少ない。砂町銀座商店街の場合は、おでんやてんぷら、シュウマイにに肉じゃがなどの和総菜といった総菜専門店であった。戸越銀座では例えば「百番」のように中華食堂の店先で中華総菜を売ると言った提供の仕方だけである。
また、戸越銀座においても前回の砂町銀座同様、町の人気商品の一つが「焼き鳥」である。自宅で焼くには大変だし、かといって居酒屋に行くにはチョット、スーパーの焼き鳥は今ひとつだし・・・・こうしたことから焼きたての焼き鳥をその場で食べるのが一つのトレンドとなっている。この戸越銀座商店街も砂町銀座同様、休日には他のエリア顧客による焼き鳥などの食べ歩きツアーを促進したいようであるが、食べ歩く回遊の密度、特に総菜店が少ないことから、今ひとつ楽しさは半減といったところである。

戸越銀座のブランドづくり

恐らく商店街のブランド化に最も熱心な商店街の一つであろう。前回の砂町銀座においても書いたが、商店街は戸越コミュニティの中心にあり、住民顧客と商店街との交流によって創られると。そのブランドのコアとなるのが、名物と看板娘やオヤジという人物であるとも。
まずその名物であるが「おでんコロッケ」(後藤蒲鉾店)、「手作りつくね」(焼き鳥エビス)、「精進 串カツ」(百番)、「レモンだんご」(だんご屋あさの)、「メンチカツ」(かたばみ精肉店)、・・・・おそらく他にも地元住民に愛されてきた名物があると思うが、例えば吉祥寺の「小ざさ」のように40年間行列が途切れることの無い和菓子店やその隣にある「メンチカツ」のサトウも休日には30分以上並ばないと買うことができない、そんな突出した広域集客が可能な名物店が残念ながら戸越銀座商店街にはない。
また、吉祥寺と比較すると分かるが、吉祥寺には「ハーモニカ横丁」という懐かしさと新しさが同居した飲食店が集まった一角がある。その名の通り、ハーモニカのように間口の狭い店が軒を連ねる、そんな密度は残念ながら戸越銀座にはない。東京で一番長い商店街は逆に弱点になっているということである。この「長さ」を少しでも解決するために商店街の通りは平日の15~18時、日曜・祝日は14~19時が歩行者天国となっている。

未来塾(7)「商店街から学ぶ」戸越銀座編(後半)
戸越銀座商店街はエリアの活性をはかることを目的に「戸越ブランド」づくりの努力は行ってきている。その一つが10年前に「戸越銀次郎」というキャラクターを作り、戸越銀座商店街のアイデンティティとして使っている。更には最近では「好きですこの街」というイメージソングまでつくられている。このようにクマモンやふなっしーといったゆるキャラブーム以前からキャラクターを活用してきている。課題はそのブランドの魅力の表現の仕方、強さにある。
ところでこうしたブランドづくりと共に、最近注目されている「バルイベント」にもトライをしている。「バルイベント」とは2004年に開催された「函館バル」にはじまり、「ユルベルトKASHIWAX(千葉県柏市)」、「伊丹まちなかバル(兵庫県伊丹市)」など、近年全国各地で行われているイベントである。主に飲食店を中心にした地域活性化イベントで、チケット制の食べ・飲み歩きイベントである。参加店舗の「自慢のおつまみ+ワンドリンク」をこの日だけの特別価格で楽しんでいただくというイベントである。名物商品づくりから始まり、キャラクター活用や販促策まで、とにかくこのように多くのマーケティング努力を行ってきたのが戸越銀座商店街である。

銭湯のある商店街

未来塾(7)「商店街から学ぶ」戸越銀座編(後半)
戦後どんどん無くなっていくものの一つに銭湯がある。昭和30年代までは町単位に銭湯があった。ちなみに昭和40年には都内には2641軒もの銭湯があった。豊かになり、自宅に内風呂のあることが当たり前の時代へと向かうことと反比例するように町の銭湯は無くなっていった。そして、平成22年には801軒にまで減ってしまった。銭湯が生活の一部であった世代はポスト団塊世代までである。おそらく個室をあてがわれた最初の世代である団塊ジュニアにとって、幼い頃の銭湯経験はほとんどなかったと思う。
戸越銀座商店街には駅を境に、西に金泉湯、東に戸越銀座温泉(スーパー銭湯)の2カ所も営業している。戸越銀座商店街から少し歩けば、武蔵小山近くには福井湯、南の戸越公園近くには万年湯があり、戸越一帯には多くの銭湯が今なお残っている。

未来塾(7)「商店街から学ぶ」戸越銀座編(後半)
周辺の住居にはアパートのワンルームが多いことと、50年以上もの永い間住んできた住民の人たちのライフスタイルを考えると銭湯が普及した江戸時代のライフスタイルが想起されてくる。
江戸時代の住まいは周知の長屋であるが、部屋は3坪程度の狭さでほとんどベッドルームとして使われていた。ダイニングはといえば共同の井戸のある水場で、バスルームといえば近くの銭湯であり、リビングルームもかねていた。この銭湯であるが、その二階には世間話ができる場所(リビングルーム)があり、更には何か食べたいなと思う時には近くには屋台(ファストフード)もあった。まさに銭湯は町単位のコミュニティの中心であった。戸越銀座商店街に2店もの銭湯があるというのも50年以上も住み続けてきた住民の人たちによるコミュ二ティが今なお生きている証であるということだ。東京への一極集中と良くいわれ再開発が日常化していると考えがちであるが、品川地区や大崎地区はそうであるが、都心に近い荏原、戸越地区には昭和のコミュニティ、昭和のライフスタイルが今なお残っているということである。

戸越銀座商店街の次の戦略

未来塾(7)「商店街から学ぶ」戸越銀座編(後半)



今なお銭湯のある商店街が目指す次の商店街計画「ユビキタス計画」が準備されている。ここでいうところの「ユビキタス」とは電線類地中化計画」の一環として行われる計画で、電線や電柱を撤去し景観を良くすることだけでなく、光ファイバーを使った情報環境の整備、いわゆるIT技術を使った次代の商店街戦略を行おうという計画のようである。例えば、単なるモノの売り買いする商店街としてではなく、商店街の通り自体を一つの「舞台」にすることもできるし、戸越銀座固有のコミュニティ演出も可能となる。そして、何よりも時代の趨勢でもあるインターネットによって顧客と個店とがつながることによってビジネスのあり方が根底から変えることが可能となる。スマホの活用は若い世代にとって日常であり、若い世代が多く住む戸越の商店街にとっては、ユビキタスの言葉通り「いつでもどこでも必要な情報を提供する」ことが可能となる。この情報サービスのシステム化は商店街の良きビジネスモデルになると想定される。
また、上記構想を見ても分かるように社会的にも防災・防犯を含めた安心・安全な街づくりとしての役割を果たすことも計画の狙いの一つとなっている。この計画がいつ実現するのか分からないが、実現された時、東京で一番長い商店街ではなく、東京で一番「便利で楽しい」、しかも「安心・安全」な商店街になることは間違いない。全体としてはこうした次なる商店街を目指すこととなるが、IT化は個店のビジネスをも根底から変えることとなる。

戸越銀座商店街に学ぶ


恐らく全国の商店街、シャッター通り化する寸前の商店街にとって、戸越銀座商店街はいくつかの示唆を得ることのできる商店街である。商店主の多くは古くからの地権者である。商売人としてはプロであったが、次第に顧客の変化に追いつけなくなる。答えは簡単には出ないが、課題は明確になりつつあると思う。

1、「棲み分け」する商店街

「棲み分け」あるいは「隙間」というビジネス上のキーワードがある。都心には「好み・多様な個性」や「価格(低価格~高価格)」、あるいは「時間(省時間~賞時間)」といった顧客の選択肢を満足させる業態や専門店は30分も電車に乗れば無数存在する。そうした競争環境下の商店街である。前回の砂町銀座商店街も周りを大手商業施設に囲まれた環境下にあって、「モノマネをしない名物商品」、「売り切ることによる安さ」と「看板娘・名物オヤジ」によって見事なくらい棲み分けが成立している。戸越銀座も同様、若い世代向けの美容室やネイルサロンはあってもファッション専門店は1軒もない。ミセス向けの専門店は数店あるが、歴史のある商店街だけあって、商店街の商店構成としては隙間市場として成立している。
多くの駅ビルにあるSC(ショッピングセンター)のコンセプトづくりを行ってきたが、まず行うのが駅周辺の商店街や大型商業施設の調査である。この調査は、私の言葉でいうと「過不足調査」といって、顧客が求める専門店がどの程度既に存在しているか、あるいは足りないか、その顧客満足度を見極める調査のことである。大手デベロッパーではない町の商店街が生き残る術は、まず不足している専門業態やサービスへと地権者自ら転換することから始めることである。大手デベロッパーやチェーン展開する専門店が出来ない領域、出来ないサービスという「隙間」を見つけ、それを磨き続けるということである。結果として砂町銀座商店街のように煮卵ですら名物になる。町の商店街は身近な顧客との直接対話が可能である。その会話のなかで「隙間」とは何かを感じ取るということである。それが「過不足調査」となる。
戸越銀座商店街もある程度過不足のない商店構成となっていることが分かる。時間経過によって顧客要望が自ずと必要とされる商店やサービス、銭湯ですら商店街を構成することとなる。ただ、更なる成長を目指すには、必要に迫られた商品やサービスだけでなく、日常生活にあってチョットうれしい、楽しい出来事の発見こそが消費と共に必要となる。それを可能とするのが、店・顧客共に相互に言葉をかわし合い、その結果をすぐ店頭で商品で答える、そうしたことが商店街の生命線となる。

2、特別な「にぎわいの時」づくり

銭湯のところで少し触れたが、今日のライフスタイルの原型は江戸時代にある。そのなかでもライフスタイル変化の最大のものはなんといっても、一日の食事回数が2回から3回になったことである。当時は火事が多く、1日3回の食事をしないと力がでなかったためと言われているが、定かな研究をまだ目にしてはいない。恐らく、商工業も発達し経済的豊かさも反映していたと思う。その食事回数の増加を促したのが庶民にとっては屋台や行商であった。新たな業態によって新たな市場が生まれた良き事例である。この屋台から今日の寿司や蕎麦などが進化していく。いわゆる今日のファーストフーズである。江戸時代こうした外食が流行ったのも今日とよく似ている点がある。大雑把に言うと、江戸の人口の半分は武士で単身赴任が多く、庶民も核家族化が進み、独居老人も多かったという背景があった。今日で言うところの個人化社会である。ところで武士という言葉を「地方から出てきた学生」や「若い社会人」に置き換え、庶民と独居老人を戦後復興と共に生活を営んできた「古くからの住民」に置き換えれば、まさに戸越銀座そのものである。
その江戸生活の象徴として銭湯を挙げたが、屋台のように多くの飲食店が商店街に並び、更には今なお町単位で神輿を出す祭礼が行われており、昭和どころか江戸スタイルを感じさせるような生活文化が臭う町である。
コミュニティが今なお残る戸越にあって、そのコミュニティをより豊かにしていくことが商店街の活性へとつながる。銭湯、屋台(飲食店)、祭り(神輿)、戸越の名前の由来、・・・・・・江戸を彷彿とさせる要素を数多く有している商店街である。もしコミュニティをより交流させるとすればそれは「縁日」であろう。周知のように縁日は本来神仏の有縁の日のことをいい、祭祀や供養が行われる日を指すのだが、今や東京においても無数の縁日が行われている。戸越が縁日を実施するとすれば、神仏との有縁と共に、商店街と住民との有縁、住民同士の有縁の日とし、「江戸」をテーマに実施するならば戸越銀座の魅力は倍増することと思う。つまり、商店街が持っている資源を一つのテーマの基に集めることによって、突出した「出来事」、「象徴」を創ることが可能になるということである。この突出した「出来事」とは商店街の持つ「密度」、ひしめき合う商店がつくり出す界隈性である。平易に言えば「賑わい」である。戸越銀座商店街の場合、東京で一番長い商店街はこうした「賑わい感」を半減させてしまっている。例えば、「縁日」というアイディアは毎日は難しくても、1ヶ月の内何日かは、店先に屋台を出し、夏であれば金魚すくいといったイベントがあっても良い。砂町銀座商店街の場合は「ばか値市」が該当している。つまり、「この時だけ」という特別なにぎわい時を創るということである。「賑わい」とは顧客にとって、必要に迫られた買い物を超えた、新しい「何か」を期待するわくわく感のことである。今、町の商店街に決定的に欠けているのがこの「わくわく感」である。砂町銀座にあって、戸越銀座には無い物ということである。


3、ユビキタス構想という商店街の明日について

未来塾(7)「商店街から学ぶ」戸越銀座編(後半)
戸越銀座商店街の西側にある中原街道をl越えた先に東急目黒線の武蔵小山駅がある。その駅前には戸越銀座商店街とともに歴史のある武蔵小山商店街パルムがある。パルムは全長0.8キロ約250店舗のアーケード商店街である。パルムも多くの商店街と同様1990年代初頭のバブル崩壊と共に消費は落ち込み危機に立たされることがあった。特にパルムの場合はクレジット事業を積極的に進めており、クレジット売り上げ21億円は15億円まで減少し深刻であったという。この危機を打開したのが現金、クレジット客を問わずポイントを提供するポイントサービス事業であった。それはFINES構想(FUTURE INTELLIGENCE NETWORK SYSTEM)=「近未来型商店街情報通信ネットワークシステム」として、「ポイントサービス事業計画」を行うことで乗り越えたと。その内容であるが、ポイントサービスの稼動状況(平成18年1月現在/武蔵小山商店街HPより)について、
●発行数 81,677,066ポイント(総発行数 954,453,343ポイント)
●交換数 79,532,845ポイント(総発行数 663,171,282ポイント)
という良き稼働状況(=顧客への小さなお得)が提供されている。
このようにポイントの交換率は極めて高い。つまり、こうした「お得」はもはや当たり前のこととして受け止められている。そして、危機の打開策と共に、加盟する商店の端末機の改廃やシステム構築などその苦労は戸越銀座商店街のメンバーは熟知したうえでのユビキタス構想であると思う。
未来塾(7)「商店街から学ぶ」戸越銀座編(後半)
商店街のIT化、情報サービス化の成功事例はパルム以外にもいくつかあるが、小さな商店街の参考となる代表的事例は東京世田谷の京王線千歳烏山駅前にある150店舗ほどの商店街「えるも~る烏山 」であろう。IT化、情報サービス化とはつまるところ地域住民顧客に多様な小さな「お得」を提供する方法論のことである。えるも~る烏山の中心事業はアナログとしての「スタンプ事業」である。ユニークなのはこのスタンプの特典交換アイディアの多様さである。例えば、中元時と歳末に行う「お買物券」が当たる抽選ができる赤いスタンプ(通常は緑)を発行したり、350ポイントを貯めて(1冊)500円のお買いものができるほか、映画のチケットやJTBの旅行券、駐輪券、協定旅館の宿泊券と格安で交換できる。また、バス旅行や観劇会に参加したり、夏祭り時には東京ディズニーランドのチケットと交換できたり、楽しいメニューが盛りだくさんである。
ポイントという機械的な金額還元ではなく、集めて交換する楽しさが倍加するアイディアという訳だ。また、特典の仕組みもさることながら、このエリアには区の出張所でもある烏山区民センターという人が集まれるコミュニティとしての「場」が用意されている。こうした人が集まり、行き交うという相乗効果もあってえるも~る烏山は運営されている。

武蔵小山商店街におけるITを活用したポイントサービス、えるも~る烏山のようなスタンプ活用。デジタル・アナログどちらでも商店街の事業規模や商店同士の相互理解によって採用すれば良い。テーマは住民顧客へ魅力あるサービスをどう提供するかである。前回の砂町銀座商店街の場合は、ポイントやスタンプによる「お得」の替わりに10日ごとに行われる「ばか値市」で顧客に返している。このことは店側も顧客側も十分理解してのことだいる。これも一つの「お得」の返し方である。

さて、戸越銀座商店街の「長さ」をプラスに転換させる試みとは中規模SCのリニューアルと同じである。全国多くの再開発事業を見てきたが、商店街を構成する地権者も後継者難となり、どこか日本農業の衰退と似ていることを強く感じている。今、農家を救うのではなく、農業を救う方法が模索されている。特に中山間地にあっては後継者のいないまま耕作放棄地となり、どんどん増加している。そうした点在する放棄地を集め、従来のやり方にとらわれないいくつかの理にかなったアイディアをもって運営している農業法人も出てきた。作るお米は産地米としてのブランドを超えで高価格で取引される期待溢れる、それこそ「わくわく」する新しいブランド米として顧客に根付きつつある。耕作放棄地をシャッター商店に置き換えるとよくわかる。同じように町の商店街の衰退を救う道は、商店(地権者)を救うことから商店街を救う=再生することへの転換が不可欠ということである。結果、それは商店(地権者)を救うことにつながる。今回の戸越銀座商店街はシャッター通り商店街ではないが、多くの商店街にとって想定される問題点が浮かび上がってきている。難しい課題ではあるが学ぶべき点はこの一点にある。(続く)

あなたにおススメの記事


同じカテゴリー(新市場創造)の記事画像
マーケティングノート(2)後半
マーケティングノート(2)
2023年ヒット商品版付を読み解く 
マーケティングの旅(1) 「旅の始まり」後半  
マーケティングの旅(1) 「旅の始まり」前半
春雑感  
同じカテゴリー(新市場創造)の記事
 マーケティングノート(2)後半 (2024-04-07 13:03)
 マーケティングノート(2) (2024-04-03 13:47)
 2023年ヒット商品版付を読み解く  (2023-12-23 13:34)
 マーケティングの旅(1) 「旅の始まり」後半   (2023-07-05 13:21)
 マーケティングの旅(1) 「旅の始まり」前半 (2023-07-02 14:15)
 春雑感   (2023-03-19 13:29)

Posted by ヒット商品応援団 at 13:11│Comments(0)新市場創造マーケティング
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

削除
未来塾(7)「商店街から学ぶ」戸越銀座編(後半)
    コメント(0)