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「人力経営」という本を書きました。ヒット商品の裏に潜んでいる「人」がテーマです。取材先はダスキン、エゴイスト、野の葡萄、叶匠寿庵、桑野造船の経営リーダー。ユニーク、常識はずれ、そこまでやるのか、とにかく面白い経営です。星雲社刊、735円、新書判。

2012年09月01日

秋葉原と渋谷、そして孵化装置としての街

ヒット商品応援団日記No533(毎週更新)   2012.9.1.

前回のブログで音楽産業の本質はライブにあり、この本質に立ち帰ることが増税対策であると指摘をした。その良き例に挙げたAKB48のセンターをつとめた前田敦子嬢が卒業公演を秋葉原の専用劇場で行ない入りきれない1500人ものフアンが秋葉原の街を埋め尽くしたとスポーツ紙やTVメディアが報じていた。ライブの専用劇場といっても、行けば分かるが雑居ビルの上にある小さな劇場である。全国から集まった入りきれないオタク達はアキバの空気に浸り、前田敦子と同じ時間を過ごしたいとインタビューアーに答えていた。

広告も、商品も、人も、ストリートも、あらゆるものが、情報を発信する放送局の時代にあって、街は舞台へと劇場と化した。この劇場で生まれたサブカルチャー、あるいはカウンターカルチャーの斬新さをシンボリックに表した街が秋葉原と渋谷である。
1980年代コミックやアニメに傾倒していたフアンに対する一種の蔑称であった「お宅」を「おたく」としたのは中森明夫氏であった。その後アニメやSFマニアの間で使われ、1988年に起きた宮崎勤事件を契機にマスメディアは事件の異常さを過剰さに重ね「おたく」と呼び一般化した言葉となる。
消費という視点に立つと1980年代半ばに社会現象化したあのビックリマンチョコ以降、この過剰さは物語として提示され1997年の庵野秀明氏による「新世紀エヴァンゲリオン」の公開によって第一次オタク文化のプロダクト化を終了する。終了という意味は、この物語世界のもつ「過剰さ」「思い入れ」が持つ固有な鮮度の行き場を失っていくということである。市場認識としては、真性おたくにとっては停滞&解体となる。つまり、「過剰さ」から「バランス」への転換であり、物語消費という視点から言えば、1980年代から始まった仮想現実物語の終焉である。別の言葉で言うと、虚構という劇場型物語から日常リアルな物語への転換となる。

そして、その後の秋葉原の次なる芽となったのが、インターネットによるものである。それは2チャンネルのスレッドでスタートした「電車男」である。後に書籍化・映画化という形で表へ外へと消費世界へと出てきた。つまり「オタク」の第二次マスプロダクツ化である。その象徴が観光地アキバであり、メイド喫茶へとつながっていく。マスプロダクツ化が進み、あるフェーズに至ると臨界点を超え、急激に終末を迎えるのが情報化社会、劇場型社会の特徴である。
そして、数年前まで誰も見向きもしなかった、冷笑すらされたAKB48が昨年ブレークする。卒業した前田敦子を見てもわかるが、「会いに行けるアイドル」という、どこにでも居そうな身近でかわいい少女はオタク達が創った日常リアルな物語と言えよう。そして、日本ばかりでなく世界各国にAKB48が誕生している。アキバはAKB48オタクの聖地になり、恐らく第三次マスプロダクト化が始まったと言うことであろう。

こうした聖地の先駆者は渋谷であり、そのランドマークはあの渋谷109である。1990年代後半渋谷109を中心としたカリスマ販売員というキーワードと共に、ガングロ、ヤマンバといった社会現象が起こる。渋谷という街がスタイル表現の舞台、劇場になった最初の街であった。そして、地方中学生の修学旅行の訪問先の定番として、東京ディズニーランドと共に渋谷109が人気となり、東京観光のメニューとなったことは周知の通りである。
こうした社会現象が生まれる時代背景には、1990年代後半山一証券や拓銀の破綻が象徴するように今までの既成概念の崩壊、神話崩壊がある。そうした混沌の中で漂流したのが若い10代の子供達であった。時代の変わり目に敏感なのはいつの世も若い世代である。既成に飽き足らない若い世代は、山姥、ガングロといった舞台衣装で渋谷を歩く。そんな光景に無秩序、無法のような姿に大人には見える。しかし、混沌とした時代を映し出しているのも、また彼女達である。

渋谷に集まる若い世代に個族と名前をつけたのは私であるが、1990年代後半渋谷に集まってきたティーンこそこの個族の芽であった。大人にとって一種異様にも感じられる渋谷という街は、彼女達にとっては居心地の良い自由な舞台空間、学校にも家庭にもない「居場所」である。そして、何よりも「大人」になるための学習体験の場であった。私はそうした社会体験の場の象徴として渋谷109を「大人の学校」と呼んだ。それは時に、援助交際や薬物中毒といった、大人の罠にはまってしまうという社会問題も引き起こすのであるが。そうした清濁、善悪混在した一種の通過儀礼の空間としてあった。これはインターネット上のアダルトサイトを含め子供達の多くが通過しなければならない儀礼と同様である。

ところで、こうしたティーン達は渋谷の街から次第にいなくなりつつあるという。数年前から地元商店街の有志が集まって街をキレイにしようと違法看板の撤去や路上での違法客引きを含めパトロールをしてきた。そして、渋谷のイメージを明るくしようと、誰でもが知る「渋谷センター街」を昨年秋「バスケ通り」と命名。そうした大人による渋谷の大人化、まるで無菌空間のような街はティーンの子達にとっては居心地の悪い街になってきたということだ。そんな結果であろうか、低迷するファッション業界にあって一人勝ち状態であったあの渋谷109の売上が頭打ちになっていると聞いている。

これは異端の歴史家である網野善彦さんから学んだことであるが、日本商業発展の源流である市場(古くは市庭)の原初は荘園と荘園との境界、縁(ふち)で行われていた。平安時代、市の立つ場所・境界には「不善のやから」が往来して困るといった史実が残っている。つまり、場としても精神的にも知らない者同士が商売を行なう無縁的空間であったということだ。荘園と荘園との境界よりも、国と国との境界の方がより無縁的空間となり、そこにお目付役の寺社を立てコントロールしてきた。網野善彦さんは、こうした境界・市の立つ場所を辺界と呼び、市の思想には寺社といった聖なるものが必要であったと指摘している。日本人は神仏という聖なるものとの関係、縁にはこうした見えざる世界との関係性がある。今も続いている寺社での縁日は、こうした聖なる神仏が降りてくる有縁の日という意味である。

市場というあらゆるものが行き交う境界はある意味法が及ばない脱法的世界という側面を持つ。既に平安時代にも「不善のやから」が横行していた。欲望と欲望とがぶつかり合う混乱・カオスの世界でコントロールできないこともある。しかし、こうした中から新しい「何か」が生まれてきたことも事実である。秋葉原の街も、渋谷の街もそうであった。街起こし、村起こしがテーマとなって10年近く経つが、東京だけでなく、地方都市についても、従来とは異なる視点で街がもつ潜在エネルギー、特に若い世代とシニアの持つエネルギーを再考すべき時が来ている。(続く)

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Posted by ヒット商品応援団 at 13:05│Comments(1)新市場創造
この記事へのコメント
中国の逸品館
潮流の商品は発売します
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Posted by 中国の逸品館 at 2012年09月01日 17:21
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