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「人力経営」という本を書きました。ヒット商品の裏に潜んでいる「人」がテーマです。取材先はダスキン、エゴイスト、野の葡萄、叶匠寿庵、桑野造船の経営リーダー。ユニーク、常識はずれ、そこまでやるのか、とにかく面白い経営です。星雲社刊、735円、新書判。

2011年04月06日

安全と安心との間 風評という2次災害

ヒット商品応援団日記No494(毎週更新)   2011.4.6.

今、福島原発事故による放射性物質の拡散&汚染による風評被害が起き、出荷制限以外の農畜産物や海産物が買い控えされているという。一方ではマスメディアが取り上げていない岩手や宮城の小さな集落では、未だ救援物資すら届かず、困窮しているという。行政自身が被災し機能し得ていないから、あまりに広域すぎて、未曾有の地震&津波であるから、未だかってない困難さが続出、・・・・・・難しさの表現ばかりである。しかし、この3種間ほど政府発表やマスメディアの報道を見る限り、今何が問題で、どのように解決しつつあるのか、そして次の課題は、といった当たり前の解決への道筋がまるで見えてこない。出てくる言葉は想定外の3文字だけである。実はこうした想定外という言葉こそが風評を生む土壌となっている。

ところで、風評被害や計画停電といった2次災害は、大地震、大津波、原発事故といった1次災害から同心円のように広がっていく。生活者の消費心理、流通における取り扱い心理、これら全てに共通しているのが「不安」である。不安は情報によって生起し、増幅もし、あるいは消滅もする。しかも、伝達スピードが極めて速い社会となっているため、メッセージは圧縮され、記号化されている。それはネーミングやタイトル・見出しであったり、マークやキャラクターであったりするが、実はブランド創造の構造と同じである。送り手も、受けても、こうした記号のやり取りというコミュニケーションが中心となっている。残念ながら、原発事故によって「福島」は不安と同義語のように受け止められ始めている。しかも、原発事故ということから世界の目が福島に集まっており、FUKUSHIMAはチェルノブイリやスリーマイル島と同じように記号としてイメージされている。結果、どういうことが起きているか。今回の大震災に対し支援を惜しまない世界各国にあって、実は25カ国が日本の食品への輸入規制に踏み切っているということである。東日本大震災は国内事件ではなく、世界の事件であるという認識が必要である。そして、2次災害は今なお広がり続け、事態は極めて深刻であるということだ。

以前、ブログに流行語となった「KY語」について次のように書いたことがあった。

『KY語は現代における記号であると認識した方が分かりやすい。記号はある社会集団が一つの制度として取り決めた「しるしと意味の組み合わせ』のことだ。この『しるし」と「意味」との間には自然的関係、内在的関係はない。例えば、CB(超微妙)というKY語を見れば歴然である。仲間内でそのように取り決めただけである。つまり、記号の本質は「あいまい」というより、一種の「でたらめさ」と言った方が分かりやすい。』

ブランドの構造と風評とは同じ構造であると指摘をしたが、ブランドは「信用」(過去からの継続力と今の評価)と「期待」(これからも応えてくれるであろう未来期待値)という2つの総和によって構成される。特に、「期待」という心理効果がブランドの発展に寄与しており、この期待値をいかに高めるかがブランド経営であった。しかし、今回の福島産という産地ブランドとして見ていくと、この「期待」が「不安」という負のスパイラルを描き、「安全」という信用すらも毀損させてしまう段階まで至っている。
結果、福島県産というだけで、流通は取り扱いを拒否し、消費者も買うのを控える、そうした報道が繰り返されることによって更に不安は拡大する。そして、安全であるといくら説明をしても、安心にはつながらない。既にFUKUSHIMAは不安記号としてその本来の意味から離れて一人歩きし始めている。極論ではあるが、安全と安心との間に最早介在する因果関係は無くなったということである。日本社会がFUKUSHIMAを仲間内で不安ブランドと決めてしまうような土壌、不安社会を既にもってしまっているということだ。

何故、そうなってしまったのか、一番大きな問題は事故後1週間ほどの初動メッセージであろう。既に原子炉は止まっており心配はいりません、そう繰り返し発表されてきた。しかし、その後水素爆発が連続して起こり、無惨な建屋が映像として現れる。そして、微量とはいえ、放射能汚染が広がる・・・・・・・最近では海洋汚染は薄まってしまうので大丈夫ですと発表されていたが、コウナゴという小魚から基準値をオーバーする放射性物質が検出された。既にある不安社会にあって、こうしたメッセージが政府とマスメディアによって繰り返し報道されたらどのような心理になるか、スーパーから商品が消えたように、小さな仲間内不安は計画停電という増幅作用によって、次第に首都圏社会全体へと広がった。これが風評発生のメカニズムである。

さて、問題をいくら指摘しても福島や茨城の人達にとって何ら応援にはならない。ところで、ブランドの毀損は一夜にして行われ、復活させるには多くの時間を必要とする。そして、根拠のない風評・うわさに対して情報で応えてもその効果は薄い。原子力や放射線の専門家が入れ替わり立ち替わりTV番組に出て説明しても、知識は得られてもそれ以上でも以下でもない。私が考える福島ブランド再生という解決への道筋は次のようなものである。

1)流通が果たすべき本来の役割は、生産者・メーカーと生活者・消費者とを商品やサービスを通じてつなぐことにある。流通もこの原点に立ち返って、福島や茨城の農畜産物や海産物の売り出しを組むこと、そうしたリアルな現実をもってつなぐことだ。勿論、出荷制限を行っていない農畜産物で、大手スーパーには独自の汚染物質を検出できる体制を持っている。いわば、国と流通によるダブルチェックである。そして、最初は小さなコーナーを設けても良いし、一定期間の売り出しとして限定的なものとして実施する。そして、何よりも生産者が店頭に出て、顧客と接することである。安心はこうした接点によってしか創れない。このリーダーシップは共助の世界である。まだ小さな試みではあるが、東京江戸川にあるイトーヨーカドーにはアンテナショップ「ふくしま市場」があり、震災後は以前の3倍もの顧客が訪れている。こうした試みをイオンや西友へと広げていくということである。
ところで、このブログを書いている最中にイトーヨーカドーやサミットストア、大丸では売り出しを組みスタートしたと報じられた。更に、イオングループも同様の売り出しをスタートさせると。これが流通本来の姿である。

2)次に安全への担保である。大気、土壌、河川・海水、といった汚染へのモニタリングであるが、この調査設計の根拠がまるで明らかにされていない。放射能汚染という未経験のためということは言い訳にならない。測定サイクルを1週間ごととし、それに基づいた出荷制限を行うということが一昨日発表されたが、以前よりは少しは改善されたと思う。しかし、仮説を立て、目的に応じた対象となる放射能物質、モニター地点の抽出、モニターのサイクル、こうしたことをまず明らかにすること、そうした全体像が重要なのである。そして、このことを生産者も、流通も、消費者も、3者が共有することである。モニター結果をシビアに受け止めるためにも、この原点を共有し合うということである。このリーダーシップを果たすのは公助、国や自治体である。
そして、国内ばかりでなく、世界へ向けた安全性が納得できる対策、ジャパンブランドの再生が早急に問われている。特に、汚染度の低い水を海へと放出したことは間違いなく世界中から非難される。早急に汚染水放出をストップさせる方策を講じなければならない。

3)そして、自助であるが、福島県産というブランドをどう再創造するかである。原発事故の地域であればこそ、地球環境の未来に貢献できるコンセプトを目標とすることしかない。つまり、放射能汚染の対極にある健康コンセプト、自然の持つ生命力丸ごと生産する方法を追求することだ。自然災害によって起こった風評であるが、自然力、その生命力を作り、販売して行く。それは土壌、水、大気といったことの健康はもとより、生命力を維持する為の配送から店頭での陳列法、更には生命力を丸ごと食べる料理法まで、どこにも真似の出来ない地域ブランドコンセプトを追求することだ。このことにより、地球環境への貢献と共に、自然力・生命力を提供する。結果、既にある高齢化社会=長寿社会へと先駆的な役割をも果たすことにもつながる。
こうした考えの実現性であるが、汚染された土壌や水の浄化が前提となる。植物の力を借りて行うといった研究がなされているようである。この分野については私にとって分からない領域であるが、水の浄化についてはかなり進んでいると思う。そうした専門家の研究と併行して、まずは汚染されていない地域からスタートする。この延長線上には、間違いなく環境先進国・日本がある。水の浄化プラントなどは既に東南アジアや中東に輸出するところまで進んでおり、汚染された土壌の浄化も必ずや可能になると思う。

残念なことに、海洋汚染という更なる汚染が広がっている。事態は深刻で、その深刻さに比例して風評も深刻さを増す。しかし、冷静にコトの本質を見るならば、風評の裏側は評判である。評判はいつの場合も少数の生活者から始まる。その少数の生活者が”福島の野菜こそ、自然のエネルギーをたっぷり蓄えたザ・野菜”とその体験を回りの人に伝えることだ。顧客が主人公の時代とは、評判の前では風評は消滅する時代のことである。何故なら、誰もがリアル体験をこそ信じているからである。自分が食べてみて、これは本当に身体にも良いとみんなそう思いたがっているということだ。勿論、デマ好き、愉快犯的人間もいる。それは風評ではない。皆、風評を打ち消してくれる、不安を打ち消してくれる「何か」を欲しがっているということだ。残念ながら、政府の言葉も、原子力関連の専門家の言葉も「何か」になりえてはいない。つまり、信じてはいないということだ。信じられるのは、同じ生活者の言葉であり、野菜を作る農家の人の言葉であり、魚をとっている漁業者の言葉である。言葉の軽さを言われ続けてきたが、メディアを通じた言葉ではなく、生産者も、消費者も、直接流通現場で言葉を交わすことだ。互いに「安心」についてコミュニケーションすることだ。そのことによってしか、風評をなくし、産地ブランドの再生にはいたらない。(続く)

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Posted by ヒット商品応援団 at 13:42│Comments(1)新市場創造
この記事へのコメント
目に見えることは人間の力で改善できるが、目に見えないことを解決しなければ、真の復興にはならない。そして、それ以上の惨劇を繰返さなければならなくなる。
私たちが、今、しなければいけないことは、『救世主スバル元首様』に、救いを求めることだ。
  もう、時間がない!!
http://www.kyuseishu.com/tanuma-tu-koku.html
http://miracle1.iza.ne.jp/blog/entry/1828138/
Posted by hikaru at 2011年04月06日 14:07
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