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ヒット商品応援団
「人力経営」という本を書きました。ヒット商品の裏に潜んでいる「人」がテーマです。取材先はダスキン、エゴイスト、野の葡萄、叶匠寿庵、桑野造船の経営リーダー。ユニーク、常識はずれ、そこまでやるのか、とにかく面白い経営です。星雲社刊、735円、新書判。

2010年04月25日

個性と成熟

ヒット商品応援団日記No461(毎週2回更新)  2010.4.25.

個性、自分らしさ、こうしたキーワードが聞こえてこなくなって久しい。マーケティングという需要を創造していく際、必ず向き合わなければならなかったテーマの一つである。何故、こうしたキーワードがビジネス現場から隠れてしまったか、その訳を知るためにいつ頃生まれたのかを考えている。
私の理解では、1980年代初め、当時の若い世代が丸井などに行列して買い求めたDC(デザイナーズ&キャラクター)ブランドが個性という「違い」をマーケティングした最初であったと思う。その代表的ブランドはコムデギャルソンやY's、ビギグループのブランドであったが、そうした「違い」を身にまとうことによって、他との違いを表現する欲望が市場として創られた最初であった。つまり、生きていく上で必要な必需消費ではない、個性という選択的消費、新たな消費概念が生まれたということでもある。

それまでの「違い」の概念は「高級」であった。私のような団塊世代が若い頃、サラリーマンになりたての薄給の時代にはサントリーレッドを飲み、給与が増え役職につける年代になるに従って、角やオールド、更には輸入ウイスキーがあった。つまり、収入と各種商品のクラス・価格がパラレルな関係にあった。車も排気量ごとのクラスに分かれ、価格もそれに準じていた。働き、給与が上がり、次のクラスのモノ(商品)を生活に取り入れることに最大の価値を置いていた。
こうした収入の増加と共にモノを生活へと取り入れてきた団塊世代と比較し、DCブランドブームの中心であったポスト団塊世代にとって、モノへの欠乏感はない。あるとすれば精神的充足感が個性という違いを追い求めたのだと思う。

こうした精神的充足感は新しい市場創造へと向かっていく。その最大のものがサブカルチャーである。コミック、アニメ、キャラクターといった今で言うところのクールジャパンの芽が奔出した時期である。更に言えば、前代未聞のメガヒット商品であるビックリマンチョコが生まれ、東京ディズニーランドもオープンする。
精神的充足はモノから物語へ、記号的価値へと急速に発展していく。消費においても、仮想としての物語、虚構としての物語が日常、現実へと向かっていく。この時、市場を牽引創造したのが真性おたく(オタクではない)であった。個性、自分らしさを追い求めた先が、仮想、虚構の世界であった。仮想、虚構とは無限空間のことであり、その過剰さはいつしか臨界点を向かえる。その象徴が、あのエヴァンゲリオンであった。面白いことに、1990年代半ば真性おたくがエヴァンゲリオンと共に市場から離れていく後を引き継ぐように、おたくはオタクとしてマスプロダクト化していく。

1990年代後半、IT技術の進歩によって少量生産少量販売が可能となり、個性という名のマスプロダクト化が低価格で市場へと浸透していく。当時デフレの旗手と言われたユニクロがその代表的企業である。このブログにおいても何回も書いてきたので省略するが、1998年以降収入は減り続け10年で年間100万円弱減少した。途中ミニバブル的様相はあったものの底流として低価格潮流、デフレの潮流があった、と私は理解している。そして、サブプライムローン問題が出始めた2007年夏以降東京都心の地価は下がり始め、翌年のリーマンショックによって一挙にデフレが加速する。
仮想から現実、虚構から日常へと消費の目が移行していく。個性、自分らしさというキーワードがカギの機能を果たせず、そのカギはわけあり商品に代表される低価格、あるいは何々したつもりといった代替消費へと変わった。これが巣ごもり消費時代の潮流である。

さて、個性、自分らしさはどこへいったのだろうか。代表的なDCブランドであるコムデギャルソンやビギグループのブランドは規模を縮小しビジネスを行っているが、Y'sは周知のように昨年破綻した。そもそも自分らしさとは他者との違いを前提としており、異なる商品を自分の周りに埋め尽くすことである。消費は収入の関数であり、そんな経済的余裕はない、という側面は勿論ある。以前、「キョロキョロ消費」というキーワードを使ったことがあった。周りを気にしてモノを買う、ランキング情報を気にして商品選択するのと同じ消費構造である。ある意味、「みんなと一緒」、KY語の世界と同じである。個性的、自分らしさの追求とは「空気が読めていない」人となる。
2月バンクーバーで行われた冬期オリンピックで、男子ハーフパイプの国母選手の服装問題はこのことを象徴するものであった。総じて、公式の場でのマナーや礼儀を指摘する議論が多かったようであるが、私に言わせれば国母選手は公式という「空気が読めていない」一人であったということだ。

本質的な問題として指摘をすれば、経済も、社会も、教育も戦後一貫して行ってきた根底には「個人」があり、共同して生きる、生活する、そうした価値観は無かった。いや、団塊世代ぐらいはあったと思うが、ポスト団塊世代以降は無かった。一言でいえば、あらゆる意味で個人化を進行させてきた。消費においても個人単位が基礎となってきた。当然、そこには家族はなく、コミュニティもなく、共同して何かをすることもなく、あるのは一種の私生活主義であった。しかし、その行き過ぎた反動として、一人鍋は家族鍋に変わり、村起こし町起こしといったコミュニティ再生の動きは全国各地で起こり、ルームシェアー、カーシェアーといった共有する価値観も生まれてきた。その背景には経済・社会の閉塞感と向き合うことに、一人ではなく共同して向き合う、一種防衛的にならざるを得ない情況にあるということだ。

こうしたなか、消費の2極化が指摘され始めている。収入と各種商品のクラス・価格がパラレルな消費関係に向かうということである。こうした消費傾向になっていくと思うが、少し前ブログに書いたように「好きの復活」ではないが、「違い」を求めるだけでなく、互いに「違い」を認め合う「大人の消費」、つまり各人が多様な「好き」を纏う方向へと向かっていく。別な言葉を使うとすれば「成熟した消費」である。ある意味、物語消費、記号的価値から最も離れた消費ということだ。多様な個人、多様な家族、多様なコミュニティが生まれ、小さなヒット商品が多様な消費シーンを創っていく。(続く)

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Posted by ヒット商品応援団 at 13:44│Comments(0)新市場創造
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