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「人力経営」という本を書きました。ヒット商品の裏に潜んでいる「人」がテーマです。取材先はダスキン、エゴイスト、野の葡萄、叶匠寿庵、桑野造船の経営リーダー。ユニーク、常識はずれ、そこまでやるのか、とにかく面白い経営です。星雲社刊、735円、新書判。

2009年07月12日

アリとキリギリス

ヒット商品応援団日記No382(毎週2回更新)  2009.7.12.

ここ数週間、マスメディアばかりか、ネットメディアにおいても政治の話題ばかりである。マーケティングの視点から、2回ほど劇場型社会の「今」を東国原シアターを通じて書いてみた。マスメディアは「何でもありが政治だ」と、その裏側には政治とは権力闘争であるからと説明するが、まるで古代ローマの剣闘士による戦いの如きを報道する。娯楽とは真逆の筈の政治がエンターテイメントショーとして創られている。
こうした政治劇に隠れるように扱われている経済の変調が実は気にかかって仕方がない。一時期、株価が1万円を超え、景気の「底」は脱したと政府も経済アナリストも口を揃えて言っていたが、そうした楽観的見方とは異なる指摘や指標が出てきている。その問題指摘の一つが表に出ていない不良債権、傷んだ証券化商品、金融派生商品が米国金融機関に未だかなりあるのではないかという指摘である。あるいは米国の失業率が更に悪化し9.5%となり、当然ではあるが消費も落ち込んだままである。日本においても週刊東洋経済は今回の特別補正予算を「麻生バブルの罠」とし、一過性の景気回復であると指摘。更には株式市場を始め8月あるいは年末にかけて再度暴落するとの予測記事まで出てきた。世界各国が超低金利政策をとることで、大量の資金が市場へと供給され、一種のバブル状態であると。つまり、大不況下の「バブル」状態ということだ。

どうしてこんな情況が生まれたのか分からない点が多いが、世界同時不況をもたらしたサブプライムローン問題を深刻な問題であると誰よりも早く唯一指摘してきたのが元大蔵省審議官榊原英資氏と三菱UFJ証券のチーフエコノミスト水野和夫氏であった。その榊原英資氏の近著「大不況で世界はこう変わる」(朝日新聞社刊)では面白い予測と展望が書かれていた。私は金融のプロでも、経済のアナリストでもないが、少なくとも消費については理解できる。
その消費であるが、周知のように米国のGDPの約70%が消費によるもので、その旺盛な消費が世界経済を牽引してきた。2001〜2002年のITバブル崩壊により、企業の設備投資がマイナスになっても、この消費だけは堅調で年2.5〜2.7%と増大している。しかし、リーマンショック以降、金融システムが破綻し、金融収縮が急速に起こり、消費者金融の貸し出しがストップする。つまり、単純化していうと、最早クレジットカード、リボ払いによる消費は行えなくなったということだ。つまり、ライフスタイル変更を否応なくつきつけられたということである。

榊原氏はその象徴例として米国の貯蓄率を挙げている。家計に占める貯蓄率であるが、1980年代は平均9.05%、1990年代は5.15%へと下落、更に2006年には0.4%と限りなく0となる。つまり、この20年間貯蓄を減らし続けることによって消費水準を維持してきたということだ。そして、ついにクレジットカードローンも使えず、消費そのものを減らすことしかなくなる。当然であるが、食品などの消費を減らすことには限度があり、耐久消費財の買い替えをためらい、あるいはあきらめることとなる。その代表商品が車であるが、破綻したGMの再生プランは今までの生産の30%減となっていることによく表れている。

確か、このブログにも書いたが、この春米国の貯蓄率がマイナス傾向からわずかながらプラスに転じたと。つまり、消費が美徳であったライフスタイル観から、貯蓄が美徳である価値観へと変化し始めたということだ。世界の消費エンジン役を果たして来た米国が変わり始めたということである。
日本の場合、リーマンショックによる株式や投資信託の評価額が下落したとはいえ、日銀の発表では2008年度末の家計が保有する金融資産残高は1410兆4430億円(前年度比3.7%減)となっている。その内訳は分からないが、予測するにリスクを伴わない現預金などは約50%位と推測される。喩えは悪いが、日本はアリで米国はキリギリスということだ。

面白いことに、日本が進むべき方向転換に関し、榊原氏の提案の一つが「日本回帰」である。勿論、狭く凝り固まったナショナリズムではなく、そのモデルとして挙げているのが江戸時代の政治、経済、社会である。私の持論の一つが、今日のライフスタイルの源流は江戸にあり、そこに回帰し、学ぶべきとの考えとほぼ同じであった。私たちが教えられてきた歴史の嘘は異端の歴史研究者網野善彦さんによってことごとく明らかになってきた。例えば、歴史的文書に残る百姓という言葉は農業従事車ばかりでなく、商業者も金融業者も海運事業者も含まれており、言葉一つ読み解くにも大きな間違いがあった。士農工商という身分制度も明治維新政府が江戸時代の社会を意図的にがんじがらめな階級社会であったと認識させようとしたものであった。結論から言えば、江戸時代は私たちが想像する以上に、自由で平等な、しかも文化を育むだけの豊かな社会であったということだ。詳しくは私の初期のブログに書いているので是非一読いただけたらと思う。また、「日本回帰」では地方分権についても提言されているので、このブログにおいても私見を書いてみたい。

話しを元に戻すが、日本で起こっている消費の在り方は米国のそれとは貯蓄率を見ても分かるように基本的に異なる。ここ10年ほどの間に、米国ほど格差社会にはなってはいないが、まだら模様の如く格差は生まれた。注目すべきは米国も日本も共通していることは、中産階級の崩壊である。社会の安定を形作る土台がこの中産階級であるが、消費においてもそのリーダーとしてあった。今、日本の百貨店が右肩下がりであるのも、顧客の中心であるこの中産階級の崩壊にあることは周知の通りである。過剰であるのはモノばかりでなく、流通も同様で縮小・再編はこれからも進んでいく。
ただ日本のライフスタイル変化を見ていくと米国のそれとは違って、今まで私がブログに書いてきたように、少しでも安くするための生活の工夫、そうした顧客要望に応えるメーカーや流通。結果、生まれたのが、「わけあり商品(消費)」や「代替商品(消費)」、更には「○○したつもり消費」、あるいはファッションから食品、住宅までもがアウトレット化し、顧客に応えているのが日本の消費の「今」である。アリとキリギリスの喩えで言うならば、アリらしい消費と言えよう。

日本のこうした「やりくり算段」上手な消費、したたかな消費はその根底に地政条件から生まれ育った自然思想のようなものが横たわっていると思う。一言でいえば、五風十雨といった湿潤な恵みをもたらす自然であると共に、また地震のような畏怖すべき自然の国であるとの考えである。こうした日本固有の風土と共に、回りの国々からもたらされるモノや文化をとにかく取り入れる地政学的条件が備わっている。日本が置かれている地政学的位置をパチンコ台のようだと指摘した人物がいた。名前は忘れてしまったが、世界地図を右に90度傾けて見てみると、打ち出した玉は上(ヨーロッパ)から中近東を通り、中国や東南アジアを過ぎ、下の受け皿である日本に全ての玉が落ちてくる、そんな地政学的条件に合致していると。つまり、ある意味強靭な胃袋を持つ民族、たくましい民族と言えよう。(続く)

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Posted by ヒット商品応援団 at 13:42│Comments(0)新市場創造
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