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ヒット商品応援団
「人力経営」という本を書きました。ヒット商品の裏に潜んでいる「人」がテーマです。取材先はダスキン、エゴイスト、野の葡萄、叶匠寿庵、桑野造船の経営リーダー。ユニーク、常識はずれ、そこまでやるのか、とにかく面白い経営です。星雲社刊、735円、新書判。

2009年03月18日

わけあり狂想曲

ヒット商品応援団日記No350(毎週2回更新)  2009.3.18.

マスメディアの興味は政治の世界では西松建設事件、消費においては「わけあり商品」という2つに集中しているようだ。いわゆるメディア・サーカスであるが、政治については分からないが、消費についてはマスメディアが取り上げる頃は既にブームが終わろうとしていると考えた方が良い。
私が最初に「わけあり商品」に着目したのは昨年の5月で、確か通販における「たらこの切れ小」人気であり、その典型的な事例として7月にエブリデーロープライスのOKストアをブログに取り上げていた。他にもフードバンク等かなり多くの事例を書いてきたが、特に流通の変化は生活者のライフスタイル変化を見事に映し出している。こうした変化は1年以上前から起こっていたということだ。

敢えてブームであるというのも、周知のようにわけあり商品は以前から人気商品として存在していた。欠けたせんべいやケーキの切れ端、あるいは曲がったきゅうり等の規格外野菜はサラダやカット野菜にして食べていた。ブームの本質は、一過性と共にわけあり該当商品の裾野を広げたということにある。ちょうど今がピークでこれからは落ちていくことは間違いない。商品にもよるが、ブームに乗る顧客層は15〜20%ぐらいはあり、そうした市場を開発することも必要ではある。しかし、マーケットの特徴をよくわきまえて導入し、しかも短期間で終わるので在庫を持たないことが鉄則である。つまり、今からわけあり市場に参入しても遅いということだ。

情報化社会という言葉を私もよく使うが、情報は絶えず生起し続けるものである。マスメディアから流されてくる情報は、時間が経っても変化しないものとして認識しなければならない。つまり、顧客は常に変化し続けているのに、情報は「変化しないもの」としてあるということである。私が目の前の顧客こそ一番の情報であり、そのことによって変わるのだ、と繰り返し言うのもこうした理由からである。
もう一点付け加えるとすれば、「不況=わけあり商品の安さ」という短絡的な図式で報道していることである。勿論、価格の安さという側面は持つが、注視すべきは「わけあり」にある。何故安いのか、何故高いのか、という「何故」という認識を顧客が持ったという点にある。そこには短絡的な情報に左右されない成熟さがあるということだ。

2年前に、私は劇場型コミュニケーションは終わったと認識し、ブログにも書いた。あっと驚かせる、猫だましのようなコミュニケーションは終わったという意味である。早口で多弁な騒々しい時代から、寡黙で訥弁であるが心にしみ込んでくるような静かな時代へと変わったということだ。軽くなってしまった言葉から、本来言葉が持っている意味を取り戻すということである。こうした変化を未だに理解しえないのがマスメディア、特にTV局とそれらを扱う広告会社であろう。
数ヶ月前に「TVが消えてなくなる日」というタイトルでブログを書いたが、その後に週刊東洋経済の1/31号に詳しく内情が書かれていた。読まれた方も多いと思うが、今回の金融破綻を引き金とした未曾有の不況により広告は激減している。広告宣伝費の上位から言うと、1位トヨタ、2位ソニー、3位HONDA、4位日産、・・・・・赤字決算〜人員削減を発表した企業ばかりである。しかも、TVの視聴率は下がり続け、若い世代にとっては携帯が必須メディアとなっている。特に若い世代のTV離れが激しく、年代順の使用メディアでいうと、携帯>PC(パソコン)>TVという順になる。現在のTVのコア視聴者はシニア層、65歳以上であろう。しかし、民放各局は騒々しいバラエティ番組と取材力を持たない報道番組ばかりでシニア層からも更にそっぽを向かれていくであろう。シニア層に的を絞ったNHKが安定した視聴率を稼いでいるのと対照的である。恐らく、民放キー各局の間での統合再編が早晩起きると予測される。

さて本題に戻るが、わけあり狂想曲という騒々しさからどう変化し始めているかという課題である。前回取り上げた築地野口屋のように価格の高いわけあり商品も、従来型の安いわけあり商品も、家計というさいふを考えながらバランスよく取り入れていくこととなる。日常、普通の世界へと向かうということだ。いや、生活者は既にそうした日常にいると考えた方がよい。私はよくハレとケという言い方をするが、価格の高いわけあり商品も安い商品も既にケとして普段使いしているということである。過去の情報消費体験から、わけあり狂想曲を横目で見ながら、自らの体感消費を経て、日常化しているということだ。

こうした価格を軸としたわけあり商品市場と共に、もう一つの新しいコラボレーション市場が生まれてくると予感している。従来のコラボレーションの多くは企業間の取り組みであった。私が新しいコラボレーションと呼ぶのは、生産者&流通(供給者)と生活者(消費・受益者)のコラボレーションである。価格の面でいうと、その負担を互いに持ち合う関係づくりと言える。このブログでも取り上げたことがあるが、例えば有機米生産者と顧客を流通が結びつけ、3者が互いにその有機米というコスト増を分担し合う新しいコラボレーションである。理屈っぽくいうと、安心の共有とコスト増の分散ネットワークということである。そのためには相互に顔の見える小さな関係が必要であり、そうした小さな安心単位が更にネットワーク化されていくであろう。わけあり商品市場もこうしたコラボレーション型のネットワークシステムへと向かっていくと思う。そして、こうした動きは新しいコミュニティ創成への入り口になるであろう。(続く)

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Posted by ヒット商品応援団 at 13:51│Comments(0)新市場創造
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