さぽろぐ

  ビジネス  |  札幌市中央区

新規登録ログインヘルプ


インフォメーション


QRコード
QRCODE
アクセスカウンタ
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 1人
プロフィール
ヒット商品応援団
「人力経営」という本を書きました。ヒット商品の裏に潜んでいる「人」がテーマです。取材先はダスキン、エゴイスト、野の葡萄、叶匠寿庵、桑野造船の経営リーダー。ユニーク、常識はずれ、そこまでやるのか、とにかく面白い経営です。星雲社刊、735円、新書判。

2018年10月10日

未来塾(34)「コンセプト再考」(1)前半  

ヒット商品応援団日記No723(毎週更新) 2018.10.10.

今回は消費税10%時代の迎え方としてどうあるべきか、そのコンセプト事例を取り上げ学ぶこととする。時代を超えたコンセプト、時代を取り入れたコンセプト、何を残し何を変えていくのか、避けて通ることができないその良き事例を学ぶこととする。



消費税10%時代の迎え方(3)

コンセプト再考
その良き事例から学ぶ(1)

時代を超えたコンセプト、時代を取り入れたコンセプト
何を残し、何を変えていくのか

「コンセプト」という言葉はビジネス現場のみならず日常会話においても多用される言葉であるが、その対象を広く考えるならば、人を惹きつける魅力その特徴の中心を為すものと考えるとわかりやすい。通常言われる商品やサービスだけでなく、その対象は広く街であったり、自然豊かな農村であったり、場合によっては街のちょっとした路地裏であったりもする。あるいは人物についてもコンセプトで整理することもできる。今まで何回か街歩きの観察からもレポートした「看板娘」や「頑固おやじ」もコンセプトの役割を果たしている。最近の傾向では、看板娘で言えば「かわいいおばあちゃん」であったりする。

さてそのコンセプトの良き事例の一つが冒頭写真の創業1921年(大正10年)老舗とんかつ「王ろじ」のカツカレーである。その大正10年と言えば、その2年後には関東大震災が起きた時期である。東京新宿にあるとんかつ専門店で、その店名「王ろじ」の由来は「路地の王様」とのこと。場所は新宿三丁目の伊勢丹本店裏に当たるのだが、まだ伊勢丹本店が移転しオープンする前で、大規模な商業施設も少なく、まさに路地裏の店であった。当時の新宿三丁目は宿場町内藤新宿の面影を残した賑わいのある街であった。新宿通りが表通りで、「王ろじ」はその裏通りに当たり、まさに路地裏のとんかつの王様であった。店の暖簾には「とんかつ」の4文字を表した絵文字がデザインされており、「王ろじ」のシンボルマークとなっている。
とんかつは周知の通り洋食の一メニューとして明治以降広く流行ったのだが、そのとんかつはより特徴あるものとして専門店化していく。カツサンドであれば上野御徒町の「井泉」であり、カツカレーであればこの「王ろじ」あるいは同じ大正時代に創業した台東区入谷の「河金」となる。この飲食市場もカレー専門店もとんかつを含め多くのトッピングがなされ、昔も今も市場競争の激しい外食産業となっている。









少し分析的になるが、看板には「昔ながらの あたらしい味」とある。OLD NEW、古が新しいとした言葉が表しているように、変化する時代の好みや嗜好にも応えていく、そんな考え方でメニューがつくられている。今や名物となっているカツカレー(とん丼)の冒頭写真を見ていただくとわかるが、高く盛られたカツにカレーがかけられており、こんな独特な盛り付け方も今なお「新しさ」が感じられる。カレーの味はといえばスパイシーというより、いわゆる家庭で作られているカレーに近く、とんかつの味を殺さないものとなっている。とんかつ専門店としての原則は継承しながら変化にも応えていくということである。ボリュームもあり、数年前に950円から1050円に値上げされたが満足度の高いカツカレーである。

こうして見ていくとわかると思うが、コンセプト、ネーミング、デザイン、MDポリシー、マーチャンダイジング、・・・・・・・見事なくらいマーケティング&マーチャンダイジングされており、学ぶべき点がよくわかる。
ちなみに、ご夫婦による家族経営でお店をやっており、そうした意味においても見事である。勿論、食は好き嫌いがあり、こうした見事さだけで流行るとは言えないが、少なくとも100年近くもの歴史を刻むことができたのはこうしたコンセプトからであろう。

コンセプトは「次」に向かう道しるべ

何故この時期にコンセプトが大切なのかというと、それは今まで顧客を惹きつけてきた「魅力」が消費税10%という一つの壁を越えることができるか、その課題への対応を明確にしておくことの大切さである。時代の変化、トレンドという「波」に任せる経営もある。しかし、波は時間が経てば必ず以前の海へと戻っていく。それはそれで波が波であった期間だけの限定メニュー商売としては成立するが、ビジネスの本質は「継続」である。そのためには課題に対し、今一度コンセプトを見直して、依って立つ市場におけるポジションを明確にしておこうということである。結果、経営判断として間違えたとしても何が間違いであったか、次に向かう戦略を得ることができるからである。つまり、何が悪かったのか、どうすれば改善できるのか、という一つの「答え」を得ることができるからである。

専門店も、商店街も、ショッピングセンターもオープンした時が一番「新しい」。その新しさとは今まで無かった魅力の新しさのことで、施設などのハード面は翌日からその鮮度を落とし古くなっていく。その鮮度を感じさせるのは情報にもあるが、その根本は期待に応えた中身・コンテンツのリアルな満足感である。その満足感は回数を重ねることによって、リピーター・フアンとなっていく。しかし、その多くは次第に「普通」になって足が遠のくこととなる。つまり、鮮度という特別なことが無くなっていくということである。
こうした時に役に立つのがコンセプトはどうであったかという「問い」である。何を変えなければならないのか、その答えのヒントを得るのがコンセプトである。多くの老舗、特に元祖と言われ今日もなおその魅力を発揮している場合の多くは、元祖を生かしながら新たな商品・メニューを随時発売していくことによってその「新しさ」を保っていくことが多い。「昔ながらのあたらしい味」を掲げる「王ろじ」というとんかつ専門店を選んだのもこうした理由からである。つまり、消費税が10%になっても変わらず来店してくれることを期待する戦略とは何かである。

ここで一番重要となるのが、「何を残し」、「何を変えていくのか」という避けて通れない課題である。この課題は「人」がビジネスを継承していく場合真っ先に答えを出さなければならない。ビジネス規模によっても答えを出す手続きなど異なるが、実はビジネスをビジネスとして存在させているのは「顧客」「市場」であり、コンセプトの最大の支持者であることを忘れがちである。株主や取引先、あるいは従業員もその「答え」の関係者ではあるが、顧客にとって「何を残して欲しいか」、「何を変えて欲しいか」が一番重要なことである。実はそのためにコンセプトをビジネスの全ての物差しとして活用していくということである。ビジネス規模が大きくなればなるほど、多くの事業や商品も生まれ、人材も増え、管理も複雑化し、ともするとコンセプトという顧客を魅了した「はじめ」を忘れがちになってしまう。つまり、今一度全ての議論もこのコンセプトを基に進めていくということである。
ところでこの未来塾で取り上げた専門店の多くは顧客から教えられたメニューは多い。例えば、前回の未来塾で取り上げた大阪南船場のうさみ亭マツバヤについも、その元祖きつねうどんの誕生は顧客から教わったものであった。実はサービスで出した甘辛く炊いた揚げを顧客の多くはうどんに浸して食べていたことから生まれたメニューである。あるいはいまや観光地となった大阪なんばの「千とせ」の肉吸いも、吉本興業の芸人花紀京が「肉うどんのうどん抜き」と頼んだことから生まれた名物メニューである。このように顧客からのヒントや指摘によって生まれ変わった事例は多い。

ストック(文化型)とフロー(変化型)消費が交錯する時代

時代時代の変化、つまり顧客の好みや嗜好の変化をどう取り入れていくのか、そうした市場の変化に対し、メニューやサービスのみならず業態や経営のあり方をも変えていく。新しい価値、今風に言えば「インスタ映え」する商品・メニューのように顧客興味に応えた「新しい」「面白い」「珍しい」ものが誕生する。一方、変わらぬ「何か」、老舗だけでなく、街場の中華店のように慣れ親しんだ「味」、あるいは使い勝手さなどを求める市場もある。
そうした新たに創られた価値商品と顧客の体験実感価値商品との比較例として前者をスオッチ、後者をロレックスの2つの時計市場でその「違い」を分析したことがあった。周知のようにロレックスは文化価値(=アンティーク)であり、スオッチはデザイン価値(=変化・鮮度、トレンド)であると分析をし、前者を文化型商品、後者をコンビニ型商品と私は呼んだことがある。

このように時計のみならず、食品、化粧品、更には書籍まで幅広く2つの市場が作られてきている。特に都市においてはこの2つの市場が明確に現象化している。例えば、誰の目にも分かりやすい例としては、今東京で脚光を浴びている「街」にあてはめれば、文化型話題を提供しているのが江戸文化の日本橋や人形町、更には昭和の庶民文化の街であればヤネセン(谷中、根津、千駄木)といったエリアである。一方時代の変化を映し出すコンビニ(トレンド)型価値を提供しているのが表参道・原宿といったエリアとなる。商店街という視点に立てば、前者は「商店街から学ぶ」でも取り上げた東京江東区砂町銀座商店街であり、後者であれば新宿ルミネといった商業施設となる。前者、後者を小さなエリアのなかに混在させながら独自な魅力を発揮しているのが吉祥寺・ハモニカ横丁となる。そして、前者の文化型話題のなかで新たに生まれたのが、世界に誇るサブカルチャーパークとなっているあの秋葉原・アキバである。
今回のコンセプト再考の事例についてもこの2つの視座を持って、4〜5回にわたって学んで行くこととする。

時代を超えるコンセプトとは何か

さて、そのコンセプトであるが、時代を超えるコンセプトを追い求める企業も多く、、実は老舗の多くが持っているポリシー・コンセプトのことである。そして、今風に言うならば、「潰れない会社の持続力とは何か」と置き換えても構わない。
少し前のブログに、「日本一高い 日本一うまい」を掲げた花園饅頭の破綻について書いたことがあった。1834年創業、180年もの歴史を持つ和菓子の老舗である。東京・新宿に本店を持つ花園万頭はその饅頭もさることながら「ぬれ甘納豆」で知られた和菓子店で虎屋の塩羊羹ほどのブランド和菓子ではないが、それでも掲げたフレーズ「日本一高い 日本一うまい」が破綻した。そのニュースを表面だけで理解するならば、デフレのこの時代に潰れるのは当然と思いがちである。しかし、「日本一高い商品」が売れなくなったことで破産したわけではない。東京商工リサーチによればバブル期の不動産投資の失敗が重く、再建に向けてスポンサー探しを進めていたが上手くいかなかったとのこと。
1990年代初頭のバブル崩壊が20数年を経た今、資金繰りができなくなったということである。「日本一高い・・・」としたコンセプトが100%間違っていたとは言えない。但し、経営としては第二のヒット商品「ぬれ甘納豆」を作ることができなかったことによる経営破綻であると理解すべきである。

「見えない技」が時を超える

ところで、世界で最古の会社である金剛組について以前ブログに書いたことがあった。創業1400年以上、聖徳太子の招聘で朝鮮半島の百済から来た3人の工匠の一人が創業したと言われ、日本書紀にも書かれている宮大工の会社である。何故、1400年以上も生き残ってきたのか。実は日本ほど老舗企業が今なお活動している国はない。創業200年以上の老舗企業ではだんとつ日本が1位で約3000社、2位がドイツで約800社、3位はオランダの約200社、米国は4位でなんと14社しかない。何故、日本だけが今なお生き残り活動しえているのであろうか。時代を超えたコンセプトのヒントがここにある。

その金剛組であるが、最大の危機は明治維新で、廃仏毀釈の嵐が全国に吹き荒れ、寺社仏閣からの仕事依頼が激減した時だと言われている。明治政府が行った神仏分離令であるが、その意図を超えて廃仏運動へと全国に広がり、有名な話では国宝に指定されている興福寺の五重塔が売りに出され薪にされようとしたほどの混乱であった。
更に試練は以降も続き、米国発の昭和恐慌の頃、仕事はほとんど無く、三十七代目はご先祖様に申し訳ないと割腹自殺を遂げている。何がそこまで駆り立てるのか、守り、継承させていくものは何か、老舗に学ぶ点はそこにある。今風に言えば、ブランド価値とは何であるか、ということにもつながっている。
金剛組の場合は、宮大工という仕事にその「何か」がある。宮大工という仕事はその表面からはできの善し悪しは分からない。200年後、300年後に建物を解体した時、初めてその「技」がわかるというものだ。
「見えない技」、これが伝統と言えるのかも知れないが、見えないものであることを信じられる社会・風土、顧客が日本にあればこそ、世界最古の会社の存続を可能にしたということだ。
ここ10数年、「見えない技」とは真逆の「見える化」が叫ばれ、消費の世界もそうした見えるための工夫やシステムが実施されてきた。それは2008年中国で作られた冷凍餃子中毒事件に始まり、数年前にも日本マクドナルドのチキンナゲット問題など「見えない」ところで製造されたものへの不信感が消費者にあるからであった。しかし、そうした食の世界とは別に、日本人が持つ「技」への関心は世界へと広がっている。建築に素人である私であっても、釘や金物を殆ど使わず、木自体に切り込みなどを施し、はめ合わせていく「木組み工法」という日本固有の技術のすごさぐらいはわかる。その建築物が何百年もの時を刻んでいくすごい「技」である。

「生き方」が時を超える

コンセプトを語る時、それはブランドの理念を語ることに直接つながる。それはブランドのスタートである創業の理念・精神をどのように継承発展させていくかということでもある。その創業精神が継承されている良きブランド事例としてあのシャネルがある。今から10年前にブランドの継承というテーマでロレックスやティファニーと共にシャネルをブログに取り上げたことがあった。時間が経っているので、抜粋して再録しておく。
『波乱万丈、成功と失敗を繰り返したシャネルであるが、この生き様が商品に映し出された例は珍しい。その生き様であるが、1910年頃マリーンセーター類を売り始めたシャネルは、着手の女として彼女自身が真先に試して着ていた。そして、自分のものになりきっていないものは、決して売ることはなかった。それは、アーティストが生涯に一つのテーマを追及するのによく似ている。丈の長いスカート時代にパンツスタイルを生み、男っぽいと言われながら、水夫風スタイルを自ら取り入れた革新者であり、肌を焼く習慣がなかった時代に黒く肌を焼き、マリンスタイルで登場した。そして自分がいいと思えば決して捨て去ることはなかった。スポーツウェアをスマートに、それらをタウン ウェア化させたシャネルはこのように言っている。“私はスポーツウェアを創ったが、他の女性たちの為に創ったのではない。私自身がスポーツをし、そのために創ったまでのこと”。勿論、 アクセサリーの分野でも彼女のセンスを貫き通した。“日焼けした真っ黒な肌に真っ白なイヤリング、それが私のセンス”。シャネルのマリンルックは徐々に流行する。
以降も次々と革新的な商品を生み出していく。例えば香水についても、過去の“においを消す香水”ではなく、“清潔な上にいい匂いがする香水”、つまり基本は清潔、それからエレガンスであった。そして、調香師エルネスト・ポーと出会い、「No.5」「No.22」が生まれるのである。コンセプトは“新しい時代の匂いを取り入れること”とし、どこにでもつけていける香水を創ったのである。
シャネルにもいくつかの挫折がある。1939年、第2次世界大戦が始まると、シャネルは香水とアクセサリーの部門を残してクチュールの店を閉める。15年後、再びシャネルは挑戦する。そして、戦後シャネルのコレクションに対し、次のような批評が殺到する。
「1930年代の服の亡霊」あるいは「田舎でしか着ない服」と酷評される。

1954年、既にパリモード界はクリスチャンディオールの時代となっていた。これらのモードに猛然と反撃したのがシャネルだった。カムバックする舞台はパリではなく、アメリカ。それがシャネルスーツであった。
エレガントで、シック。かつ、時代のもつ生活に適合する機能をもったスーツであった。アメリカは「シャネルルック」という言葉でこのスーツを評した。そして、シャネルは“モードではなく、私はスタイルを創りだしたのです”と語る。

1971年1月、87歳の生涯を終えるシャネルだが、生前、“シーズン毎に変わっていくモードと違って、スタイルは残る”としたシャネルには、そのスタイルを引き継ぐ人々がいた。そして、1987年、あのカール・ラガーフェルドが参加する。“シャネルを賞賛するあまり、シャネルの服の発展を拒否するのは危険である”。シャネルの最大の功績は、時代の要請に沿って服を創ったことにあり、シャネルスタイルを尊重しながらも、残すべきもの、変えていくべきものをラガーフェルドは明快に認識していた。顧問就任時にこうも語っている。“シャネルは一つのアイディアの見本だが、それは抽象的ではない。生活全てのアイディアである。ファッションとスタイルのシャネルのコンセプトは一人の女性のため、彼女のパーソナルな服と毎日の生活のためのものなのだ。シャネルのコンセプトは象牙の塔のものではなく、ライフ=生活のためのもの”こうしてシャネル・コンセプトはカール・ラガーフェルド達に引き継がれ今日に至るのである。』

ブランドは無形の経営資産であると言われてきたが、カール・ラガーフェルドが言うように、例えば社長室に飾られている社是や経営理念のような「抽象的世界」ではないことを基本に継承されているブランドである。それはシャネルの生き方、生き様の継承であって、ある意味「見えないもの」の継承である。
そして、よく言われることだが、シャネルにとって「時代と共にある」とは、生活の変化を素直に受け止めることで、結果として「既成」を壊すこととなる。シャネルフアンはそうしたシャネルの生き方に共感する女性たちで、生き方という「見えないもの」を消費していると言っても過言ではない。つまり、ブランドシャネルはシャネルの「生き方継承」であり、熱烈なシャネルフアンはその伝道者と言えよう。そして、伝道者には必ず聖地があり、その聖地がシャネルブティックの店である。

コンセプトを磨く、変える

コンセプトを磨くと書いたが、その磨き方として大きくは2つに分かれる。消費税10%を乗り越える磨き方であるが、ビジネス・商売が順調に進展している場合、コンセプトへの顧客支持はあることから、その「テーマ」をより強めることに注力する。もう一つの場合、現状売り上げも右肩下がり状態で客数の減少が見込まれどうすべきか迷っていることから、コンセプト自体の変更を考える。何れにせよ、問題点の整理から生まれる解決策になる。

新業態店「WORKMAN Plus(ワークマンプラス)」

あまり消費の表舞台には出てこなかった企業の1社が、ベイシアグループのワークマンという建設技能労働者向け衣料品専門店事業である。全国821店舗、勿論ダントツトップシェアを誇る企業である。2018年3月期の売上高は前年比7.3%増の797億300万円、経常利益は10.4%増の118億5600万円と好調である。このワークマンがカジュアルウエア事業を強化し始めている。
ガテン系、3Kといった屋外作業員の労働着のイメージが強かったワークマンであるが、数年前1着の防水防寒ウエアからカジュアルウエア事業が始まる。その商品はPB商品「イージス」で、突如売り切れが続出する。それは一般のバイクユーザーが防寒着として買い求めていたことが要因であった。バイク用の防水性を持つ防寒着は数万円はするのだが、ワークマンのイージスは6800円と安い。次第にスポーツ愛好者や主婦の間にも口コミで広がって行く。スポーツメーカーやアウトドアメーカーからも高機能ウエアが発売されているが、ワークマンの場合は建設労働者という大きな市場、男女兼用着もあって大量に製造することによって、価格は「3分の1」と極めて安い。
そして、ライダー用から釣り用へ、自転車ロードバイク用、ランナー用、子育てママ・・・・・・顧客の広がりと共に、新業態店「WORKMAN Plus(ワークマンプラス)」の出店に向かう。その一号店が9月5日ショッピングセンターららぽーと立川への出店である。コンセプト的にいうならば「かっこいい (作業服)レインウエア」となる。

訪問したのはオープンから2週間ほど経った午前中。オープン時の賑わいはなく、落ち着いた店内であったが、想定通りの客層、作業着姿の男性客、若い男女に小さな子供連れの女性客であった。少々陳列には問題を感じたが、とにかく商品が安い。レジの女性に聞いたのだが、通常の路面店と比較し、レインウエアなどのカジュアルな商品を増やしたとのこと。勿論、ワークマンの主力商品である作業着をはじめ靴や手袋なども品揃えされている。売り上げも順調に推移しているようですねと聞いたが、その返事もおかげさまでとのことで、推測するにこの業態店はショッピングセンターなどに出店して行くことと思う。

従来の高機能作業服専門店から、「かっこいい ウエア」へとコンセプトを磨いた新規事業の業態店といえよう。このことから本業である「作業服」も「おしゃれなワーキングウエア」へと変化して行く。本来であれば、ユニクロやguあるいはしまむらといったアパレル企業が取り組まなければならないジャンルである。こうしたワークマンのコンセプト磨きのきっかけもライダーによって創られたものであった。新たな顧客変化を受信し、その変化に応えたワークマンプラスとして、まさに時代と共にある事業の典型である。このことによって、利用顧客のみならず、人手不足で悩む建設業界など現場を抱える企業にとっても良きコンセプト変化、新たなスタイル提供となっている。

カジュアルウエア市場は周知の通りGAPやH&M、あるいはZARAなど極めて厳しい競争市場となっている。ファストファッションという日常のおしゃれ着は一つのスタイルを形成し、若い世代を魅了してきた。しかし、同時にそのおしゃれ好き人間も仕事の場、作業する現場に携わることも多い。そして、防水高機能レインウエアも普段の街着として着てみると意外や意外アウトドアの感じもあって結構素敵じゃないかと思う人たちが出てくる。1990年代始め、当時の団塊ジュニアがそれが中国製であろうが、気に入れば購入する「セレクトショップ」の時代があった。それと同じことが今起きているということである。ファストファッション市場も競争相手ばかりを見ていて顧客が見えなくなっているということだ。ある意味「すきま市場」ということとなるが、本業をもとに「新業態店」として展開するのもコンセプト磨きの良き事例であろう。

旭山動物園の再生

コンセプトを変えることによってV字回復する、そんな企業や団体は数多くある。最近であれば「野菜たっぷりちゃんぽん」で復活を遂げたリンガーハット。深夜のワンオペ・人手不足からブラック企業呼ばわりされ大幅赤字に追い込まれたすき家は労働環境を整備し、牛丼の「質」を改善させ大幅黒字へと回復させた。勿論、日本マクドナルドもそうした回復企業の一つである。

今回旭山動物園を選んだのは、それまでの動物の姿形を見せることに主眼を置いた「形態展示」ではなく、生きている動物そのままの行動や生活を見せる「行動展示」への大転換を行うことによって廃園の瀬戸際から再生した事例である。コンセプト的に言えば、来園者を主役にするのではなく、命ある動物を主役にした発想によるものであった。
その具体的な転換として、ペンギンのプールに水中トンネルを設ける、ライオンやトラが自然に近い環境の中を自由に動き回れるようにするなど、動物たちが動き、泳ぎ、飛ぶ姿を間近で見られる施設造りを行っている。環境エンリッチメントとして、冬のペンギンの運動不足解消から始められた雪の上の散歩は人気イベントで、積雪時に限り毎日開催される。このほか、動物の食事時間を「もぐもぐタイム」と称し、動物の行動を展示する催しも行われている。
例えば、写真のシロクマの行動展示では、最大の好物であるアザラシ(=観客)がさもいるかのような仕組み、見せ方が構造上作られている。アザラシ(=観客)をめがけてシロクマが飛びかかる、観客はその野生にびっくりするといった、野生のもつ行動を興味深く展示する考え方で全ての動物が展示されている。
これは私たちが知らなかった野生の一面、不思議さを見せてくれている。再生に取り組んだ小菅正夫園長をはじめとした「バカもの」と共に、このコンセプトが倒産寸前の旭山動物園を救ったのである。

開園したのは1967年7月1日。当初の動物は75種505匹だった。なお、これにはコイ200匹も含まれている。当初40万人ほどだった年間入園者数は、旭川市の人口増とともに右肩上がりに増加したが、1983年の約59万7千人をピークに減少に転じる。そして、1996年には約26万人まで入園者数は落ち込む。
そして、新しいコンセプトのもと1997年より行動展示を実現する施設づくりに着手する。同年には巨大な鳥籠の中を鳥が飛び回る「ととりの村」が完成。翌年以降「もうじゅう館」、「さる山」、「ぺんぎん館」、「オランウータン舎」、「ほっきょくぐま館」、あざらし館、「くもざる・かぴばら館」、チンパンジーの森と毎年のように新施設をオープンさせ、そのたびに入園者を増やしていく。
2005年、NHKの番組「プロジェクトX~挑戦者たち~・旭山動物園~ペンギン翔ぶ~」に取り上げられる。また、2006年5月13日には、フジテレビ系列で旭山動物園をモチーフとしたスペシャルドラマ「奇跡の動物園~旭山動物園物語~」が放送、次いで2007年5月11日、2008年5月16日に続編が放送され、その後もたびたびドラマの撮影や映画の撮影が行われている。
年間入園者数は、2005年度には前年比55万人増の206万人、2006年度には304万人、2007年度には307万人を記録している。上野動物園の350万人に肉薄し、夏休み期間中はそれを凌ぐ入場者を集め、北海道を代表する観光地のひとつとなった。なお、入園者数は2007年度をピークにその後はブームの沈静化に伴い減少に転じたが、2011年度頃からは160万人台の入園者数となって減少に歯止めがかかった。現在でも恩賜上野動物園・名古屋市東山動植物園に次ぐ日本第3位の入園者数を誇っている。

コンセプトは単なる「概念」としてのそれではない。具体的な「行動展示」として個々の動物ごとに変えて行くことでもある。しかも、その裏側には命ある動物の自然な生き方・行動を見て感じて感動してもらうことが主眼である。多くのニュースにも度々登場する冬場のペンギンの行進や食事時間をもぐもぐタイムとして紹介するように、子供達にとっても楽しく興味深く実感してもらうことも、コンセプト実行を成功させた要因の一つとなっている。


旭山動物園の集客は上野動物園におけるパンダや東山動植物園におけるイケメンゴリラのような話題の動物による集客ではない。少し理屈っぽい表現になるが、旭山動物園のコンセプトその魅力は動物そのものの野生の魅力であり、上野や東山の集客は「希少動物」や時代がつくる「話題」によるものである。
そして、旭山動物園から学ぶとすれば、廃園といういわば倒産寸前からの大転換にはこうした思い切ってコンセプトを変えることが必要であったということである。希少動物を入れる、話題の動物を入れるといったコンセプト磨きでは済まなかったということだ。
この再生の背景には都市においては自然との体験、体感する術が圧倒的に少ないという現実がある。旭山動物園が教えてくれたことは、理屈としての知識学習ではなく、子供たちの興味世界を入り口とした「感性学習」「体験楽習」こそが重要なポイントとなっている。

実は現代アートをテーマとした金沢21世紀美術館も計画当初は多くの反対があった。その理由は、子供たちには現代アートは理解できないというのが反対論者の意見であった。しかし、2004年開館し見事に悲観論者を裏切り、子供たちの人気スポットとなった。「子供たちの興味、遊び場としての美術館」というコンセプトの勝利であった。まるで歩道から通り抜けられるような美術館との導線、見るものと見られるものとの逆転がはかられた空間、声を上げてもよい自由な環境。従来の静かに構えて見るといった美術館とは大きく異なる。子供たちにとって、アートは遊び場であり、興味のおもむくままに感じ取れる、まさに学習ではなく、「感性楽習」の場となっている。成功要因という言い方をするならば、旭山動物園におけるシロクマの行動展示もそうであるが、「見るものと見られるものとの逆転」という発想も同じであり、子供の自由な感性を育といったことも見事なぐらい旭山動物園と同じである。旭山動物園も金沢21世紀美術館も、従来の経験や発想にとらわれることなくコンセプトを実践している良き事例である。(後半へ続く)  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:21Comments(0)新市場創造