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ヒット商品応援団
「人力経営」という本を書きました。ヒット商品の裏に潜んでいる「人」がテーマです。取材先はダスキン、エゴイスト、野の葡萄、叶匠寿庵、桑野造船の経営リーダー。ユニーク、常識はずれ、そこまでやるのか、とにかく面白い経営です。星雲社刊、735円、新書判。

2018年03月06日

未来塾(32)昭和から平成へ、そして新元号の時代へ (後半)  

ヒット商品応援団日記No704(毎週更新) 2018.3.6.
新しい時代の迎え方を学ぶ


雑踏する大阪黒門市場

戦後の闇市が商店街になり、再開発から取り残されたエリアや商店街を「昭和レトロ」というコンセプトの下で再生させてきた事例を見てきた。そして、平成の時代になり、昭和回帰という潮流が社会に消費にと表の舞台に出てきたが、新元号となる数年後には、果たして「昭和」は残るであろうか、また「平成レトロ」回帰が昭和と同じように舞台へと上がるであろうか。今後昭和を生きてきた世代が少なくなっていくが当分の間は超高齢者市場として残っていく。そして、新たな時代を創っていくであろう平成世代はどうであろうか。
新時代の幕開けとなる2020年の東京オリンピックを境に、訪日外国人は4000万人を優に超えて行くであろう。観光産業を軸にしたグローバル化の波は都市部だけでなく、地方にも及ぶ。こうした産業構造の大転換を含め、これまでのテーマ型市場はどう変わって行くのか、変わらずにいくのか、昭和と平成という時代が創った市場のこれからを学んで行くこととする。

昭和と平成の構図、その心象風景

数十年という単位で時代を見て行くと、昭和が太平洋戦争による焼け跡からの復興であるのに対し、平成はバブル崩壊後の阪神淡路大震災、東日本大震災という未曾有の自然災害からの復興であった。昭和は戦争からの、平成は自然災害からという違いはあるが、共に焼け野原からからの復興である。
生活という視点に立つと、昭和の時代の「焼け野原」には闇市、露店、屋台、物々交換、平成の時代の「バブル崩壊」にあっては、大企業神話の崩壊と倒産・リストラ、災害からのボランティア・炊き出し支援、仮設商店街、・・・・内容は異なるものの共通しているのは「復興」のイメージである。その復興の象徴として路地裏商店街、小さな簡易店舗、更に屋台やフリーマーケット、あるいは歌謡曲、こうしたものが「昭和レトロ」への興味喚起剤としてつくられている。

東京中央区月島のもんじゃストリートも晴海通りの裏路地の商店街にあり、モダンで綺麗な造りにはなっているが、昭和の駄菓子屋の雰囲気を残した店内となっている。阿蘇の黒川温泉も川沿いに建ち並ぶ旅館街であるが、これも昭和の鄙びた山間の温泉街の風景が造られている。東京谷根千の谷中銀座酒店街も下町らしく会話が弾む距離間の店づくりとなっており、吉祥寺のハモニカ横丁も六角橋商店街も前述のように狭い路地に密集した小さな店が並ぶ、闇市の露店・屋台の雰囲気を醸し出すつくりとなっている。つまり、各々が担ってきた歴史に基づく固有の地域文化を絵解きしたようなそんな昭和の原イメージがつくられている。
「昭和レトロ」は一つの概念・コンセプトではあるが、このように個々異なるイメージの風景となっていることが分かる。

豊かにはなったけれど・・・・・夢がない

冒頭の昭和30年代という時代の空気感を「豊かではなかったけれど・・・・・夢があった」と書いたが、バブル崩壊後の平成という時代を表現するならば、「豊かにはなったけれど・・・・・・夢がない」ということになる。バブル崩壊後生まれた「夢」はどんなものなのか、社会に共有されないまま今日に至っているのではないか。言葉を変えていうならば、成熟時代の「夢」は何かということになる。
映画「Always三丁目の夕日」に描かれた昭和30年代の向こうには昭和39年の「東京オリンピック」というわかりやすい夢があった。”もはや戦後ではない”という言葉は、1956年度(昭和31年)の『経済白書』の序文に書かれた一節である。一般庶民における「戦後」は、やはり東京オリンピックを目指し、新幹線や高速道路に象徴されるような日本の国土が一変することを通して実感されるものであった。皮肉なことに、当時造られた高速道路をはじめとした社会インフラはその耐久期間を超えて大規模なメンテナンス時期を迎えている。人口ばかりでなく、あらゆるインフラが高齢化していると実感されているのだ。

ところでバブル崩壊後の平成の社会変化をキーワード化していくと、昭和という右肩上がりの成長時代との比較では真逆のような変化が続いていく。例えば、
1990年代/リストラ ・大企業神話の崩壊 ・産業の空洞化 ・阪神淡路大震災 ・オウムサリン事件 ・山一證券や拓銀破綻 
2000年代/ITバブル と崩壊・リーマンショック・・・・・・・・・・・そして、3.11東日本大震災。
この東日本大震災が起きた2011年の新語・流行語大賞にノミネートされた言葉が以下のようなものであった。
・想定外 ・安全神話 ・復興 ・瓦礫 ・帰宅難民 ・計画停電 ・メルトダウン ・絆
この年の大賞は「なでしこジャパン」となったが、「絆」と「帰宅難民」がトップ10に入っている。震災の当日、大津波が押し寄せ次々とあらゆるものを飲み込んでいく光景がライブ中継され、多くの人が声を上げることが出来ないほどであった。そして、戦争体験のあるシニアのほとんどがまるで戦災を受けた焼け野原のようだと。そして、日本は2回にわたって戦争体験をしたとも。その象徴とも言える言葉が「想定外」であった。以降、「想定外」という言葉は禁句となり、いつでも起こり得る日本列島の宿命であるとして強く記憶されることとなる。
東日本大震災3.11の4日後のブログに私は「商品が消えた日」というタイトルで次のように書いていた。

『さて消費についてであるが、大震災の翌日からスーパーの陳列棚から商品が消えた。こうした情況は土曜日より日曜日の方がひどくなり、翌月曜日の14日には生鮮三品を始め牛乳や卵、パン、豆腐といった日配品は全く商品が無く、空の棚だけが並んでいる状態となった。こうした葉もの野菜や鮮魚に代表される鮮度商品の欠品は当然であると思ったが、今回の消費特徴はお米とか缶詰、カップラーメンなどが同様に一切の商品が無いという点であった。ドラッグストアはどうかというと、トイレットペーパーといった紙製品がこれまた欠品となっており、卓上コンロ用のガスボンベや懐中電灯用の電池なども全て欠品となっている。つまり、自己防衛の巣ごもりへ冬眠生活へと、まるで買いだめのような消費へと向かったということだ。』

そして、2週間後のブログには「光と音を失った都市」というタイトルで次にようにも書いた。

『東京の今はどう変容しているか、電車やバスを利用し、都心を歩いたら実感出来る。全ての人が感じるであろう、とにかく暗い。計画停電によるところが大で、夜は勿論であるが、昼間でも極めて暗い。それは特定の店とか通りとか、電車のなかだけとか、あるいは駅だけとか、そうした特定の「場所や何か」が照明を落としている暗さではない。全てが暗いのである。更に、人通りが極めて少なくなった感がする。電車の運行本数が減ったにもかかわらず電車内においてもである。つまり、人が「移動」していないということだ。勿論、百貨店や専門店といった商業施設も営業時間を短く制限しているところが多く見受けられる。話題となるイベントや催事といった集客もほとんどが休止となった。今なお、日を追うごとに亡くなられた方が増え、更に行方不明の方までもが増え続けていることを考えれば無理のないことではある。』

そして、「戦争体験」とは無縁であった若い世代の心には漠とした社会「不安」だけが鬱積していくこととなる。勿論、正規非正規といった雇用面や収入が増えないといったこともあるが、「夢」は遠くのものと感じている。つまり、バブル崩壊後の度重なる大災害、一種の「戦争体験」を消化できないまま今日に至っている。「想定外」という言葉を飲み込むには、まだまだ時間を必要とするということである。
この若い世代を欲望喪失世代として「草食男子」あるいは若干旺盛な「肉食女子」などと揶揄しがちであるが、災害などのボランティアの中心世代として活動していることを見ても分かるように「優しい」世代である。ボランティア元年と言われたのがあの阪神淡路大震災であったことはある意味象徴的である。東日本大震災はもとより、御嶽山の噴火、熊本地震、北九州豪雨災害、こうした自然災害には多くのボランティアが活動しているのは周知の通りである。

バブル崩壊からの復興キーワードは「デフレからの脱却」?

2020年には2回目の東京オリンピックが開催されるが、バブル崩壊後の「復興」のシンボルにはなり得ない。その最大理由は今なおバブル崩壊の「清算」が、国、企業、個人においてなされていないからである。もう一つの理由は後述するがその清算の主人公が団塊世代から平成世代へと移ったということである。

まず国においてはどうかと言えば、これは推測ではあるが、戦後復興のキーワードであった”もはや戦後ではない”という言葉に当てはまる平成の言葉は”デフレの時代を終えた”という宣言であろう。バブル崩壊からの復興・立て直しにおける経済のキーワードが「デフレからの脱却」であった。つまり、デフレ経済の清算が未だ終えていないという状況にある。何故、デフレから脱却できないかといえば、これは私論であるが、結論から言えばグローバル化によって、従来のデフレ概念の物差しとは異なる時代を迎えていることによる。そのグローバル化の象徴が訪日外国人という観光産業であり、コミックやアニメといったクールジャパンビジネス。この世界を拡大解釈するとすれば世界でブームとなっている日本食関連の輸出拡大といった言わば「クールジャパン産業」の勃興・・・・つまり、従来の製造業・輸出中心の産業構造が大きく変わってきており、デフレの概念もまた変わってきているということである。

企業においてはどうかと言えば「パラダイム転換から学ぶ」において整理したように、バブル崩壊以降物の見事に日本の産業構造が変わってしまった。その象徴の一つがバブル期まではダントツ1位、世界の造船竣工の約半分を誇っていた造船王国は今どうなっているかを調べればその激変ぶりが分かるであろう。当時の製造業で今なお世界に誇っているのは自動車産業ぐらいとなっている。こうした変化を象徴するかのように、「モノづくり日本」という言葉がメディアに登場することが少なくなった。世界に誇った日本の「技能」がどんどん低下し続けている。昨年行われた技能オリンピックでは獲得金メダル数は1位中国が15個、2位のスイス(11個)、3位の韓国(8個)、日本はわずか3個で9位に終わっている。モノづくりをはじめとした「職人」の世界はこんな現状となっていること忘れてはならない。ちなみに、過去を遡れば2007年においては獲得金メダル数1位は日本であったが、以降は韓国が1位となり、2017年には中国がトップになった。「技能」とはつまるところ「人」によるものである。ここにも高齢化の波が押し寄せているということである。

ところで個人の場合はどうかと言えば、バブル崩壊を一番大きく影響を受けた世代としてはポスト団塊世代である。ちょうど人生で一番の買い物である「住居」という不動産価値は大きく下がり、購入時組んだ住宅ローンが大きな負担となる。つまり、資産崩壊が個人においても始まったということだ。そして、同時に前述の日本産業が一変する結果、「リストラ」が始まる。職を失うか、もしくは給与の減額という、それまでの働き方ではやっていけない時代が到来する。団塊世代の子供達は就職時期を迎え、リストラという言葉と共に「就職氷河期」という言葉も生まれた。そして、ポスト団塊世代もバブルの清算を終えない人も多く、数年後には高齢期を迎えることとなる。

「昭和レトロ」という居場所、そのイメージ

平成の時代は「崩壊」という言葉と共に始まっていく。こうした混沌とした社会崩壊の空気を吸ってきたのが、後に草食世代、欲望喪失世代と言われた平成世代であった。ある意味、崩壊から生まれた世代であると言っても過言ではない。バブルのなんたるかを知らない、ただ崩壊だけが原イメージとして残っている世代ということだ。
この世代にとって「昭和」はまるで新しい時代としてのイメージとなる。つまり、戦後の荒廃した焼け野原からの復興イメージではなく、再開発から残った街並み、古びた商店街や飲食街は今まで体験したことのなかった新しいイメージとしての昭和である。「古が新しい」とはこのことを指す。整然としたキレイな街ではなく、不規則で雑然とした街にはどことなく手で触ることができる、一種居心地の良い場所、つまり「自由な」空間であると言えよう。1990年代「都市漂流」という言葉が流行ったことがあった。家庭崩壊という言葉が表していたように、自由な居場所を求めての漂流であったが、「昭和レトロ」は彼ら世代にとっては一つの「居場所」になったということだ。
また、六角橋商店街の「昭和」はその闇市の名残を残す景観だけでなく、ふれあいの街と標榜しているように、商店のおばさんおじさんには母性、父性が感じられる「優しい商店街」となっている。

実はこの居場所は昭和を生きてきた団塊世代ともクロスする場所となる。団塊世代にとっての「昭和」は過去という「ノスタルジー」を楽しめる場所であるが、平成世代にとっては新しい世界である。今回取り上げた吉祥寺ハモニカ横丁の飲食街は、「アルコール離れ」と言われてきた若い世代の人気スポットになっている。若干ブームの気配がするのが大阪駅ビル「ルクアイーレ」の地下にある「バルチカ」という路地裏の飲食街である。
更に面白いことは、この「昭和レトロ」は日本好きな訪日外国人にとっても居心地の良い居場所となっている。旅好きの口コミサイト「トリップアドバイザー」における日本のレストランランキングを見てもわかるように、メニューでいうと「お好み焼き」であり、家庭的なサービスの、いわゆる庶民的な下町飲食である。数十年前の「富士山芸者」という日本イメージに代わる新しい日本イメージになる可能性があるということだ。

人は危機に直面する時、「過去」の中に未来を見ようとする

「過去回帰」は年齢を重ねたシニア世代固有の現象ではない。かなり前のことであるが、「揚げパン」が若い世代、特に中学生の間で人気商品となり、コンビニの棚にも並ぶようになったことがあった。その背景には小学校の学校給食の人気メニューの一つで、卒業しても食べたいという欲求にコンビニが応えたということであった。この現象を私は「思い出消費」と名前をつけたことがあった。中学という社会は「危機」ではないが、それまでの小学校という社会とはまた異なる大人への入り口となる社会である。つまり、「思い出」という自分が思い浮かべたい記憶をたどることに年齢差はない。今までとは異なる「何か」に直面する時、過去の中に「明日」を見ようとするのは極めて自然なことである。
バブルが崩壊した1990年代にはこうした過去回帰現象が数多く見られた。こうした回帰は回数多く現象化する。実はリーマンショックの翌年2009年に景気の後退・低迷さによるものと考えられるが、消費の表舞台へと一斉に出てきている。ちなみに日経MJによるヒット商品番付では次のような番付となっていた。

東横綱 エコカー、 西横綱 激安ジーンズ
東大関 フリー、    西大関 LED
東関脇 規格外野菜、西関脇 餃子の王将
東小結 下取り、   西小結 ツィッター
東西前頭 アタックNeo、ドラクエ9、ファストファッション、フィッツ、韓国旅行、仏像、新型インフル対策グッズ、ウーノ フォグバー、お弁当、THIS IS IT、戦国BASARA、ランニング&サイクリング、PEN E-P1、ザ・ビートルズリマスター盤CD、ベイブレード、ダウニー、山崎豊子、1Q84、ポメラ、けいおん!、シニア・ビューティ、蒸気レスIH炊飯器、粉もん、ハイボール、sweet、LABII日本総本店、い・ろ・は・す、ノート、

当時のブログに、私は「過去」へ、失われた何かと新しさを求めて」というタイトルをつけた。そして、2009年を、大仰に言うならば、戦後の都市化によって失われたものを過去に遡って取り戻す、回帰傾向が顕著に出た一年であった。しかも、2009年の最大特徴は、数年前までの団塊シニア中心の回帰型消費が若い世代にも拡大してきたことにある。
ヒット商品番付にも、復刻、リバイバル、レトロ、こうしたキーワードがあてはまる商品が前頭に並んでいる。花王の白髪染め「ブローネ」を始めとした「シニア・ビューティ」をテーマとした青春フィードバック商品群。1986年に登場したあのドラクエの「ドラクエ9」は出荷本数は優に400万本を超えた。居酒屋の定番メニューとなった、若い世代にとって温故知新であるサントリー角の「ハイボール」。私にとって、知らなかったヒット商品の一つであったのが、現代版ベーゴマの「ベイブレード」で、2008年夏の発売以来1100万個売り上げたお化け商品である。(海外でも人気が高 く、2008年発売の第2世代は累計で全世界1億6000万個 を売り上げている。 )
この延長線上に、東京台場に等身大立像で登場した「機動戦士ガンダム」や神戸の「鉄人28号」に話題が集まった。あるいは、オリンパスの一眼レフ「PEN E-P1」もレトロデザインで一種の復刻版カメラだ。
売れない音楽業界で売れたのが「ザ・ビートルズ リマスター版CD」であり、同様に売れない出版業界で売れたのが山崎豊子の「不毛地帯」「沈まぬ太陽」で共に100万部を超えた。
リーマンショックという消費が縮小して行く中にあって、消費経済力のあるシニア世代がヒット商品を産んでいることがわかる。

平成という時代の原イメージを創るのは「個人」

さて、来年5月には新元号が始まり「平成」という時代が終わる。平成の時代を生きてきた世代、1980年代後半からの世代でバブル崩壊を肌身に感じてきた世代はどんなイメージを持っているだろうか? 物質的には豊かにはなったが、「夢」が無いと書いた。この書き方も言葉の意味することもシニア世代による昭和との比較においてのものである。
この平成世代に向けた映画「君の名は。」が一昨年大ヒットしたが、監督である新海誠氏は同じアニメ映画であるジブリの宮崎駿監督や「シン・ゴジラ」で注目を浴びた庵野監督とは全く異なった来歴の人物である。周知のように新海誠氏は在学時代からのゲーム育ちの人物として知られ、2000年代に入りアニメ映画を製作している。いわゆるファンタジーアニメ映画であるが、その繊細な描写、映像美はそれまでのジブリ作品と比較し、群を抜くものではある。
ところで新海監督がデビューした2000年代前半にはライトノベル「涼宮ハルヒシリーズ」が隠れたベストセラーとして中高校生に読まれた時代でもある。エキセントリックな美少女高校生、涼宮ハルヒが設立した学校非公式クラブSOS団のメンバーを中心に展開する「非日常系学園ストーリー」である。書籍以外にもアニメやゲームにもなっており、累計発行部数は2000万部と言われている。

ライトノベル、ゲーム、アニメ、こうした世界はサブカルチャーの一大潮流を創っていることとは思うが、「夢」を描くとなると社会という現実の生活や生き方からは離れてしまう。宮崎駿監督の復帰次回作はベストセラーとなった「君たちはどう生きるか」(吉野源三郎著)のタイトルから取ったという。主人公の中学生、コペル君が様々な出来事を経験して自分の生き方に目覚めていくというストーリーの小説であり、社会への一つの「力」となる作品が推測される。「夢」はわかりやすく人から人へと広がることによって「力」となる。そこには理屈っぽい言葉はいらない。しかし、単なる想像の世界、ファンタジーだけであったら、広がることなく「個人」の内なる世界で終わる。

遠くに見えるがいつかは現実になるかもしれない、そうした原イメージとなる「何か」が必要とされている。戦後の復興が東京オリンピックや東京タワーであったように。しかし、「団塊の世代」とネーミングしたのは堺屋太一さんであるが、「団塊」という「かたまり」となってビジネスや社会を動かしてきた。平成世代は真逆の「個人」という最小単位、しかも人口ピラミッドを持ち出すまでもなく圧倒的な少数派である。しかし、その「個人」は誰もが驚くような新しい世界の創造者になる予感がしてならない。

「好き」をつなぐ、「個人」、そして「日本」

平成世代の夢は「何か」と書いてきたが、ちょうど平昌オリンピックと重なった時であった。核問題・米朝という政治問題から始まり、閉幕式も政治で終わった冬季オリンピックであったが、その中身である競技については多くの人が「夢」の入り口を実感できたかと思う。
獲得したメダル数、いや「スポーツ競技」を超えて、多くの人がそれぞれの想いが生まれたことと思う。どのように受け止めたか異なると思うが、メダリストも、残念ながら果たせなかったアスリートからも、仲間、チーム、絆、応援、感謝、・・・・・そして、悔しさ。何か「昭和」を感じさせるものであった。いや、昭和というより、日本人、日本人のメンタリティといった方がふさわしい。男子フィギュアスケートで2大会連続して金メダリストになった羽生結弦はその代表的な選手であろう。
そして、そこには平成時代の「個人」がいるということだ。しかし、それが社会の「夢」へ、崩壊からの再生へと繋がって行くかどうかはわからない。少なくとも羽生結弦の場合は、3.11によって被災したふるさと宮城県の復興にはこれからも大きく貢献して行くであろう。団塊世代のような「かたまり」になって広がる、そんな時代ではなくなっているということだ。

平昌オリンピックに参加したアスリートに共通していたことは、競技への「好き」を、「想い」をそれまで応援してくれた多くの人々に、企業・団体に、結果を持って返していきたいということであった。この「好き」を未来への入り口とすることによって向こう側にある夢もまた明確になって行く時代であるということだ。カーリング娘のメンバーの一人が記者会見で語っていたが、”何もないこの北見で夢は内にだけはあったが、この北見が夢を叶えさせてくれた”、と。「好き」を繋いでくれたのは北見の人たちであったということである。
「物の豊かさ」という一見すると成熟した社会のように思えるが、成熟とは「好き」を入り口とした生き方を求める個人のことである。そして、復興もまたそうした個人によってなされるということだ。100人の平成世代がいれば、100の夢、100の復興があるという時代である。

勿論、バブル崩壊からの復興というイメージで新元号の時代が語られることはない。しかし、間違いなく平成世代が主人公として語ることになる。しかも、個人の内なる思いが熟成することによって、小さなイメージが創られ表現される。そして、その中から平成という時代が清算されるということだ。
そして、この「好き」こそが崩壊したコミュニティ再生の第一のキーワードになるということである。「好き」の先には、企業の再生があり、町おこしがあり、その先には地方創生があるということでもある。今回歩いた横浜六角橋商店街も地元神奈川大学生の力を借りでアーチや街路灯の整備を行っているのも単なる地元だからだけではない。「ふれあいのまち」に応えた、「優しい世代」が地元にいるということである。六角橋という街が「好き」な人達が集まれば、その結果一つのテーマコミュニティパークとなる。

ところで、消費面でどんなテーマとなるか未だ確かなことは言えないが、「昭和レトロ」というテーマに新しさを感じる平成世代ではあるが、「昭和」もまた少しづつ変わって行くことだけは間違いない。以前ブログにも取り上げたことがあるが、大阪駅ビルルクアイーレの地下に「バルチカ」という飲食街がある。「バル」というおしゃれなネーミングではあるが、飲食街の内容を見れば路地裏飲食街の趣である。その中でも人気の高いバル「コウハク」の目玉メニューは、おでんではなく洋風おでんと日本酒ではなくワインである。しかも安い。これが平成の若い世代の居酒屋である。この平成世代を表現するに、「昭和の孫」とでも呼びたくなるような世代である。このように「昭和レトロ」という着眼は残るが時代の好みと共に少しづつ変わって行くということだ。勿論、今のままの「昭和レトロ」がこれからも存続して行くことはないということでもある。
繰り返しになるが、テーマ・マーケティングとはこうした変化を取り入れ続けて行くということである。新時代を迎えるとは、「過去」の何を残し、何を「新しく」取り入れて行くかということに尽きる。
  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:15Comments(0)新市場創造