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「人力経営」という本を書きました。ヒット商品の裏に潜んでいる「人」がテーマです。取材先はダスキン、エゴイスト、野の葡萄、叶匠寿庵、桑野造船の経営リーダー。ユニーク、常識はずれ、そこまでやるのか、とにかく面白い経営です。星雲社刊、735円、新書判。

2018年01月14日

価格価値を超えるもの

ヒット商品応援団日記No699(毎週更新) 2018.1.14.



今年の中心テーマとして、「成熟時代の消費」を考えていくこととした。それは既に一昨年の夏ユニクロの決算発表の記者会見内容を踏まえたもので、新たな「価格」認識が必要な時代に向かっていると感じたからであった。既に何回かブログにも書いてきたので繰り返さないが、値上げの失敗を認め次なる改革が必要であるとの発表であった。この改革が眼に見える結果の一つとして現れてきているのが、昨年秋からのファーストりテーリングの出店内容、その規模によく出てきている。特に売上好調である低価格妹ブランドGUとユニクロブランドとのセットの出店によく出てきている。こうしたビジネス事例としてユニクロを取り上げるのも、柳井社長という創業者でありオーナー型リーダーによる経営であることから、その経営戦略とその結果が、他のサラリーマン型リーダーによる企業運営と比べて、わかりやすくよく見えているからである。

2008年のリーマンショック以降、多くの企業、特にチェーンストアは市場の縮小に伴い店舗閉鎖が相次いだ。勿論、「訳あり」というキーワードと共に「低価格」商品のヒットが続いたことは周知の通りである。その良き事例の1社が290円という安さを売り物にしたラーメンチェーン店の幸楽苑である。ある意味順調に成長してきた幸楽苑であるが、昨年業績悪化により全店の約1割弱の店舗閉鎖が実施されたように単なる低価格だけでは成立しないことも明らかになった。更には低価格を売り物としてきた焼き鳥居酒屋のチェーン店「鳥貴族」も昨年10月280円均一から298円均一へと値上げをした途端売上が3.8%減少となったとのこと。背景には原材料費やアルバイト人件費の高騰があるのだが、幸楽苑も鳥貴族も全て「客数減」による経営悪化である。言葉を変えれば、「消費のあり方」が変わってきているということである。

年頭のブログでは「新しい消費物語始まる」とし、成熟時代の消費をテーマとした。その「成熟」とはモノ充足から離れた「いいね文化」「共感物語」がその出発点となっているという指摘であった。その裏側にはデフレが常態化、日常化した時代の「新たな価値観」のことである。昨年夏頃から最早デフレは死語となったとの指摘をしてきたが、このような消費動向を誰も定義しないまま今日に至っている。そうしたことから今後は「ポストデフレ時代 」と呼ぶこととした。
私も「デフレ」という言葉を何回となく使ってきたが、その定義であるOECDによるもので「一般物価水準が継続的に下落する情況」をデフレとしている。但し、デフレ=不況ということではない。リーマンショック時の不況は脱したものの、いわゆるV字回復のような成長ではなく、停滞状況が続いているということである。

実は価格価値が下がり続ける経済の問題としてだけではなく、あらゆる面において旧来価値の「下落」が取り巻いていることを指摘してきた。例えば、価値の下落、その価値とは従来価値があるとされてきたものの下落である。その冴えたるものの一つが情報であろう。周知のように、インターネットによるブログやYouTube、あるいはFacebookといった個人情報の出現によって、既存メディアによる情報価値は総体的に下落した。その象徴例が既存雑誌が部数を落とし、あるいは廃刊していくなかで、宝島社の付録付き雑誌が部数を伸ばしたり、他の雑誌社も付録付き雑誌の発売へと追随した。書店は情報販売と共に、多様なグッズの販売をも引き受ける事象も副産物として生まれてきた。
つまり、価格を含めてだが、旧来価値の下落がその本質にあるということである。

そして、この「ポストデフレ時代」に新しい消費の芽、新しい価値を気付かさせてくれたのが訪日外国人とオタクであり、それは中心から「外れた」地方に、郊外に、表通りから少し入った横丁路地裏に、あるいは高層ビルの谷間にある「雑居ビル」の一室に、「地下」に、生まれ熟成している。この象徴例が、東京からみれば地方である大阪に、中心の梅田ではなく難波(道頓堀・道具屋筋)に、あるいは中心の裏路地にあたるようなベイエリア(USJ)や新世界(ジャンジャン横丁)に、人が押し寄せ活況を見せている。そして、人を魅きつけるキーワードが日本ならではの「生活文化」ということである。

こうした価値の進化(魅力)をエリアとしてみて行くと以上のようになるが、業界の中でも同じような「進化」と「下落=旧来型」がみられる時代となっている。前述の幸楽苑と比較されているのが日高屋であるが、日高屋の場合は安さの前に「至便な立地」と「時代にあったメニュー=野菜たっぷりタンメン」という柱が用意されている。そうした比較よりも、いわゆる「街中華」の店々の方がこうした他にはない手作りといった特徴、地場の顧客要請を踏まえた中華定食作りといった目の前にいる顧客を大切にした「進化」を遂げ生き残っている。例えば日高屋もそうであるが、立地商圏に合わせてサラリーマン向けの「ちょい飲み」需要にも応えるといった丁寧な商売が進化のもとになっているということだ。

そして、この進化の先には何があるかである。それは日高屋のコンセプトでもあるが「食堂」である。中華メニューを入り口としているのが日高屋や街中華店、あるいは「餃子の王将」も入るが、「和」を入り口にしたのが成長著しい「大戸屋」をはじめとした「やよい軒」や地域の特色ある「大衆食堂」である。東京で言えば、歴史のあるときわ食堂ということになる。メニューは豊富で、しかも安い。一時期、ファストフードチェーンによって、あるいは後継者がいないことから市場から撤退した「食堂」である。一般的に外食産業を不況業種のように見る専門家もいるが、それは一面的で食堂は健在である。昨年銀座の路地裏歩きから久しぶりに「三州屋」という大衆割烹で食事をしたが、満席でしかも次から次へと顧客は押し寄せていた。三州屋はまさに知る人ぞ知る路地奥の老舗店だが、顧客は周辺のビジネスマン以外にシニア層や外国人と多様で、大衆割烹というより街の「食堂」となっていた。食堂にはあれこれ好きなメニューを組み合わせる「楽しさ」もあるが、この三州屋には「鳥豆腐」という古くからの名物メニューがあって一つの「文化」となっている。いわゆる名物メニューである。入り口は異なるが「食堂」には選ぶ楽しさと共に、独自の「店文化」とでも呼べるような特徴メニューがあるということだ。

その「文化」とは何か、どんな力をもたらしてくれるのか、ということである。それは「文化」を感じた顧客によって力となる。「いいね」あるいは「共感」することを入り口に、回数を重ねフアンになり、オタクにもなり、そして信者にもなる。勿論、時間を必要とする。四半期単位の実績だけで評価される米国型経営には難しい。昨年の未来塾「生活文化の時代へ」の末尾にも書いたが、青森には「100年食堂」と呼ばれる大衆食堂が数多くあると。地域の人たちが100年かけて育てた食堂である。店の人たちだけでなく、顧客もまた受け継いで行くもので、そうした感じる「何か」を生活文化と呼ぶ。
そして、その生活文化の中心には必ず「あるもの」がある。それは使命感であり、それまで精進してきたこだわりで、もう少しビジネス的に言うならば、ポリシーとコンセプトということになる。使命感やこだわりは必ず「表」に出てくるものである。いや、表に出てこないものには使命感もこだわりもないということだ。「外見」は一番外側の「中身」であり、それは一つの「スタイル」となって、私たちに迫ってくる筈である。
例えば、この外見と中身の関係はデザインの本質でもある。「いいね」と感じるデザインは中身が素敵であると言うことである。デザイン価値とはそうしたものであって、長く使い続けたい、着続けたいデザインのことで、作ってくれた企業や人物の使命感やコンセプトを感じ楽しむことでもある。成熟時代の豊かさとは、こうした感じることができる豊かさのことで、ポストデフレの時代とは、「感の時代」を迎えたということだ。価格価値を超えるもの、それは「感じる」商品作りということだ。(続く)
  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:25Comments(0)新市場創造